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頂上決戦①

 



 大陸中部の小国トロークに存在する、場末の酒場。

 お世辞にも客入りが良いとは言えず、それ故に客を選べる余裕もなく、必然的に利用客は柄が悪い者が殆どだった。


 そんな酒場の隅の、小さな円卓を挟んで酒を傾ける男が2人居た。


「最強の定義とは何か、そういう命題はよく聞くが、それに対するこれという解は特に聞いた事はないな」


 そう語ったのは、逆立った鳶色の髪と猛禽類を彷彿させる鋭い眼を持った男。対する黒髪黒目に、右目の下にピアスを付けた男が答える。


「厳密に言えば、多数の奴に支持されている解が、複数あるってのが実情だろう」

「そもそもが、特定の正解が存在しない哲学に近いものだからな。そうなるのも必然と言える」


 そこで手に持った杯に並々と注がれた、黄金色の液体を喉奥に流し込む。

 大抵の者ならば、喉の粘膜が焼かれる感覚を覚え、吐き出してしまってもおかしくない程度数の高い酒だったが、まるで水のように飲み干し、空となった杯に新たに注ぐ。


「ある奴は言う、最強とは即ち、負けた事のない者だと」

「そりゃ無敗であって、最強じゃねえ。ガキを相手に勝って、最強だと威張っている猿山の大将と大差がない」

「なら、敗北を経験した者は、その直後であっても最強と呼べるのか」

「呼べやしねえな。負けた時点で、そいつは相手よりも弱かったって事だ。そんな奴が最強を名乗るなんざ、おこがましい」


 黒髪の男も、飲んでいる銘柄こそ違うものの、度数では大差のない透明の液体を次々と飲み干し、挙句酒瓶自体が空となったのを見て、追加の注文までする。


「で、そんなテメェの考える最強の定義ってのは何だ」

「難しい問いだが、強いて言うとするならば……常に勝ち続けた者、だろうな」

「出来上がるのが、お山の大将であってもか?」

「いいや。そんな者はオレからすれば、勝ってすらいない輩だ」


 茶化すような言葉に対して、神妙な表情で持論を並べる。


「大人が子供に勝てるのは、当然の事だ。ある程度の実力差ならば、大番狂わせは十分起こり得る。だが余りにも実力差に開きがあり過ぎると、それすら起こらない。そんなものは勝つのが絶対的に保障されていて、それ故に勝負にすらなり得ない。ならば負けはあっても価値は存在せず、勝ち続ける事も不可能だ」

「ある程度実力が伯仲、あるいは上の奴を相手に、勝ち続けた奴が最強だと?」

「少なくとも、それに近いと考える」


 なるほどと、黒髪の男が頷きながら、懐から煙草の箱を取り出し、中身を1本口に咥える。


「そいつには異論があるな。少なくとも自分が絶対に勝てないって奴を敵に回さなきゃ、そいつが負ける事はないんだからな。ああ、テメェはそれは戦う前に負けているのと同義だって言うんだろ? そいつは俺も同感だ」


 火を付けて、煙を胸一杯に吸い込み、吐き出す。当然対面に座っていた男の元にも煙は届くが、男は微かに顔を顰めるのみで、窘めたりはしなかった。


「ところが、世の中には凄い奴も居るものでな、本人すら自覚しない無意識下にて、自分よりも強い相手に遭遇する事を避けるなんていう芸当を可能にする奴だっているんだとよ。そういう奴が最強かって言えば、違うだろ? まあ、ある意味じゃ最強かもしれねえが、少なくとも俺は認めねえ」


 周囲では酒が入って気が大きくなった者たちによる、罵声や汚らしい単語が飛び交い、殴り合いの音までが響く中で、まるで自分たちの世界に入り込んでいるかのように、一切の注意を払っていなかった。

 もっとも、それも当然の事だった。彼らにとって、周囲で馬鹿騒ぎをしている連中など、注意を払う価値も無い存在だった。そして周囲の者たちも、自分たちが彼らにとってそうだと理解しているが故に、好き好んで絡みに行ったりもしない。


 彼ら――【死神】エルンスト・シュキガルと【絶対強者】リグネスト=クル・ギァーツに対して、喧嘩を売るという事は死を意味するが故に。


「ならば、お前の考える最強の定義とは何だ?」


 リグネストが、エルンストに問い返す。その問いにエルンストは笑い、あっけらかんと答える。


「一番強い奴だ」

「……それは、文字通りの意味なんじゃないのか?」

「そうでもあるし、同時に真理だと俺は考えるぜ」


 呆れの混じった苦笑を浮かべるリグネストに、大真面目な表情で言い張る。


「一番強いってのは、自分から思い込むもんじゃねえだろ? 周囲がそう評して、そういう下地ができて、初めてそうかもしれねえって自分の中で思うべきもんだ」

「周りから認められた奴が、最強になれるとでも?」

「重要な要素の1つではあるだろ? 腕に覚えのある奴なら、それを認めねえって挑むだろ。そういう奴らも、負ければ認めざる得なくなる」

「ならば、オレたちは最強なのか?」

「最強は2人も居ねえさ。周りが認めているのは大前提で、その上で自分が納得できるかどうかだ。自分も他人も、全員がそれを認めれば疑う奴自体が居なくなるんだからな」


 新たな酒瓶も空になった事に気付き、さらに追加を注文しようとして、挙げかけた手を下ろし、杯もテーブルの上に置く。


「ならば、周囲は何をもってして、当人を最強だと認めるのか」

「実績か」

「ああ。何事においても、そいつは重要だ」


 リグネストの答えを肯定し、楽しそうに笑う。


「俺は今まで飽きるほど戦って来たが、大抵の戦いはその前に、漠然と勝てるっていう確信を持てる。その確信を欠片も持てなかった事は、あまり無いってくらいにな」

「なら今はどうだ?」

「……さあな。正直、かなり自信が持てない。勝てるどころか、勝てそうにないって確信まで抱きそうだ。こんなのは片手に数えられる程しかない」


 エルンストの頬は遠めに見ても分かるぐらい紅潮していたが、それが酔いによるものではない事は、誰もが見て分かった。

 それを齎しているのは酔いなどではなく、高揚。動悸が痛いくらい激しくなるほどの興奮であると、見て理解できた。


「ならそろそろ行くとしよう」

「ああ」


 リグネストもまた杯を置き、椅子を引いて立ち上がる。エルンストもまたそれに続く。


「ちょっくら殺し合うとしよう」


 これは20年以上も前の光景。後に2日2晩にも渡る、凄絶な殺し合いが行われる前夜の何気ない出来事。

 だがこの出来事が切っ掛けで、周囲には夥しいほどの被害が齎され、数ヵ月後に起こるトロークの崩壊の遠因とまでなるとは、その当時は誰にも想像などできなかった。










「最強の座は、1つしかない……お前は確か、そう言っていたな」


 異形の怪物の襲撃と、それに伴う周辺地形の破壊によって、一時的に無人となった廃墟の適当な場所に腰掛けていたリグネストが、来客に対して告げる。


「ならば、別の者がその座に就こうと思えば、方法はたった1つしかない。原始的で確実なもの、力尽くで奪うという選択肢のみだ」

「前口上が長え」


 放っておけば何時までも語り続けそうなリグネストの話を、来客者は遮る。


「ンなクソくだんねえ話を聞かせる為だけに、わざわざ人を叩き起こしたのか? だとしたら、相応の報いを受ける覚悟はできてんだろうな?」

「……ハハッ!!」


 話を遮られたのにも関わらず、リグネストの表情に不愉快な成分は含まれず、むしろ堪え切れなくなったかのように笑い出す。


「そうだな、その通りだ。わざわざ回りくどい事をする必要も無かったか。挑戦を受けるか否かの判断は相手に一任されるのは事実だが、お前が拒否する理由もないからな。戦う理由に、怒りも憎悪も必要ない」

「だから、その話自体が回りくでえんだよ。さっさと要点だけを話せ。不合理過ぎる」

「ああ、すまない。確かにお前からすれば意味が分からないだろうな」


 焦れたように、言葉に苛立ちが混じり始めた事を敏感に感じ取り、笑いながら結論を述べる。


「後で詫びを入れる必要がある、ただそれだけだ」

「……何だそりゃ?」


 途端に不機嫌そうな雰囲気から一転して、さもおかしい事を聞いたとばかりに、喜悦の雰囲気に変わる。


「つまりあれか? テメェは早くも、先の予定を立ててるって事か? そりゃ随分と余裕なこったな」

「そうでもないさ。ただ、取り立てて難しい事でもない」


 応じるように、リグネストも笑みを――普段の嘘くさいそれではなく、心の底からの本物の、毒の滴るような笑みを浮かべる。


「お前に勝てば良いだけの話だからな……エルンスト」

「そうかい。なら、旧交を温めるのもここまでにしとくか」


 エルンストがもはや意味を成さなくなった外套を脱ぎ去り、放り投げる。その下から現れた、背負っていた大剣を手に取り構える。

 全長にして180センチを越える長大さを誇る得物に対して、リグネストが構えるのは、30センチを越える程度のナイフ。武器として使うのに、どちらが頼りになるかは一目瞭然とさえも言える差があるのにも関わらず、リグネストが握るだけで、あたかも相手の得物に引けを取らない代物であるかのように見えて来る。


「まずは一手目」


 リグネストがそう宣告し、前進。逆手に握ったナイフが大剣と衝突。火花と衝撃が生まれ、翻された刃がエルンストの頭上を抜ける。返される筈の大剣が、伸びたリグネストの左手によって、握る腕を押さえられる事で停止。戻されたナイフが順手に持ち帰られ、連続で繰り出される。

 至近距離の初手を、エルンストは首を振って回避。おまけとして蹴りを繰り出して半歩距離を取り、右腕の自由を確保。二撃目を剣で受け、さらに続く連撃も全て叩き落とす。

 大剣とナイフが噛み合い、不協和音。エルンストの左手が柄に添えられ、力任せに振り抜かれる。その強烈な力の流れにリグネストは抗わず、自ら跳躍。空中で身を畳み、固有能力【超感覚】を駆使して狙いを絞らせ、直後に繰り出された斬撃を受け止めて大きく後方へ。


 膝を曲げて衝撃を完全に殺し切り、着地。距離を詰めて来るエルンストを、体を起こすと同時にナイフを繰り出して迎え撃つ。

 急所を狙う一撃を、エルンストは反射神経だけで回避。リグネストはさらに左の拳を、顎を目掛けて放つも、それも首の動きだけで回避し、返礼の剣撃を体に叩き込もうとする。


「――ッ!?」


 リグネストの左腕が伸び切る直前、それに気付いたエルンストが、振る筈だった剣の方向を転換して地面に突き立て急制動。それでも足りないと、上体を仰け反らせる。

 リグネストの左拳には、いつの間にか、彼が使うそれよりも更に小振りなナイフが逆手に握られていた。それが拳撃の動作と同時に放たれ、エルンストの頬を掠めて抜けて行く。


「危ッねえなッ!」


 後方に更に跳躍して距離を取り、肺に溜まった空気を一気に吐き出す。エルンストの頬には赤い傷が一文字に引かれ、その上に血玉が浮かび顎へと垂れる。


「しばらく見ねえうちに、随分と小細工がお上手になったじゃねえか」


 リグネストがやった事は単純。エルンストの攻撃を受けて吹き飛ばされた際に、相手に見えぬように新たにナイフを抜き、拳と共に放っただけ。

 だが着地の際には相手に対して半身になるように――左手が体の陰に隠れるようにし、その体勢から体を起こす動作とナイフを繰り出す動作を同時に行い、直後に拳を放つ事で、拳撃が相手の右手から迫るようになり、逆手に握り込まれたナイフはその拳と手首によって作られた死角に隠れる事となる。

 さらに相手の視界の下方からの一撃であるが故に、切っ先は拳が振り抜かれる直前まで相手からは見えず、ようやく視認できるようになった時には、既に目と鼻の先にまで迫る事となる。


 一連の動作は、リグネストの能力の併用によって理想的な動きで再現され、結果としてエルンストに血を流させる事に成功する。


「面白い技だろう? お前の言う通り、初見でしか通じない小細工以上になり得ない技術だが、その初手で回避し切れる者は殆ど居ない。というか、殺せなかったのはお前が初めてだ」

「そりゃ光栄。んじゃ礼として、二手目はこっちが行かせて貰うぜ」


 流れる血を手で拭い取り、剣を持ち上げる。リグネストが応じて構えた直後に踏み込み、剣を振り下ろす。


「ッ!?」


 一歩後退して回避した筈の剣が、顔を目掛けて追い掛けて来るのを見て息を呑むも、即座にエルンストが剣を手放して投じたのだと理解し、ナイフで弾き軌道をずらす。


 そんな事をした相手の意図を考えるよりも早く、剣の間合いよりも更に深く懐に入り込み、拳の連撃。投じた大剣の陰に隠れての奇襲も、リグネストの【超感覚】の前では意味をなさず、軽くいなされる。ナイフを返そうとして手首に手が伸び、掴まれるのを嫌い腕を引っ込めるのと同時に上段蹴りを繰り出す。

 人を容易く殺せるそれを、エルンストが下方からの左拳で軌道がずらし、右の拳打を繰り出す。首を傾けて回避したところで拳を返し、裏拳に変更。半歩引いてそれを躱すも、戻された左拳が放たれ右肩を掠める。回避の為に僅かに重心が左に偏ったところへ、右足の上段蹴り。上体を傾けて回避しようとした瞬間に、蹴りの軌道は下段に変化。


 リグネストはそれが【ゾルバ式戦闘術】の多段蹴りと瞬時に看破。更なる軌道変化を嫌い、大きく歩を取って後退。直後に足が大地に踏み下ろされ、右の踏み込み突きが追撃。身を屈めて回避と同時に鉄槌に変化し、左手でそれを払う。同時にナイフを繰り出すも、エルンストの左手がそれを払い、右足が動く。

 再度の蹴りかと警戒するも、フェイント。開いた半歩の距離を詰める踏み込みに終わり、本命の左の後ろ回し蹴りが炸裂。左脇腹を狙う一撃を回避しようにも体は上手く動かず、直撃を僅かに避ける程度。強烈な一撃が決まり、大きく吹っ飛ばされる。


「なんッ、だ今の、は……?」

「既存の軍隊式格闘術の型の、相性のいいものを幾つか組み合わせた、オリジナルの型だ」


 追撃を掛けようと思えばできたが、エルンストはそれをせず、リグネストの問いに答える。


「至近距離での拳と蹴りに、手足の自在な軌道変化。最後に重心が傾いて、立て直される瞬間に、重心の動きと向かい合うように渾身の一撃――ゾルバじゃ蹴り技を叩き込む」


 リグネストの脳裏には、数日前に遠方で見ていた、ジェメインの見せた【ゾルバ式戦闘術】の奥義。

 それとは大きく――特に初手からの組み立てが違うが、エルンストが見せたのは、それに近いものだった。


「強者――特にお前が相手じゃ、重心を崩す事自体が相当骨の折れる作業だからな。崩しきらずとも、確実に一撃を決められるように組み立てた技だ」

「なるほど、参考になる」


 息を整え、口の端から僅かに流れた血混じりの唾液を拭い取る。


「三手目……そろそろ体も温まって来たな」


 両者の身に纏う雰囲気が一変する。


 それまでのエルンストもリグネストも、お互いの自分の技を自慢気に解説するその様は、殺し合いというよりも、まるで遊んでいるかのような雰囲気だった。

 実際それに近く、これまでのは全て本番を始める前の準備運動、余興に過ぎなかった。そしてここからが、本気の戦いになる。


 互いに殺気を叩き付ける。エルンストが神速の踏み込みを見せ、必殺の斬り払い。応じて前進したリグネストのナイフで弾かれるも、即座に引き戻しての斬り下ろし。

 戦場で培われた精緻で苛烈な剣撃が、あらゆる軌道から繰り出される。一の太刀が振られたかと思えば、引き戻す間も惜しむように軌道が変わり、二の太刀に繋がる。合間に各国の軍隊式格闘術を取り入れ、独自に昇華させた獰猛な拳打と蹴りが織り交ぜられ、その一撃一撃が人体を容易く破壊し、致命傷を与える威力を孕んで繰り出される。

 瞬きの間に二桁を越える攻撃が繰り出され、そして迂闊に瞬きをすれ即座に死に繋がる組み立てが幾つも重ねられ、リグネストへと襲い掛かる。

 そのことごとくを、リグネストはナイフで弾き、いなし、また繰り出されるよりも先に牽制して封じる。最初の動作で回避し、隙あらば反撃に転じ、反対に剣で、拳で、蹴りで封殺される。


 両者の間で、人ごみの中で無作為に撒き散らせば、どれほどの死者が出たのか分からない程に強烈な殺気の衝突がそんな幻影を生み出し、そして実体が虚構の影を斬り裂いて肉薄。本気の攻撃を繰り出し、互いの武器が衝突。発生した甲高い金属音、そして衝撃波が周囲を震撼させた。










「始まりましたか……」


 遠方から響いて来た、次元の違う戦闘音を敏感に感じ取ったメネケアが、溜め息混じりに呟く。


「アキリア嬢が勝ってくれれば、要望を聞き入れなければ、こうはならなかったのですが……やはりそう、上手くは行きませぬか」


 苦笑い――愚痴にも近いものを吐き出しながら、迷い無い足取りで進む。その先にあるのは、戦闘音の発生源、即ちエルンストとリグネストが激突している地。

 周囲には無傷の建物が並んでいるとは言え、既に彼自身の手腕により避難が行われ、人の気配は皆無。その為、行進を邪魔される事は無い筈だった。


「辞めときな」


 その筈の街中で、メネケアを呼び止める声。

 声の主は無人の建物に背を預け、腕を組み、静かな瞳でメネケアを見据えていた。


「行くべき方角が間違ってる。今すぐ右に回りな。方向音痴だってんなら、手を貸すぞ?」

「貴方は……アベル殿、でしたな」


 メネケアの確認に、アベルは沈黙で肯定。


「ご心配は嬉しいのですが、そういう訳にも行きません」

「関わんない方が懸命だ。下手に介入したところで、死ぬのがオチだ」

「何もせねば、無辜の方々が命を落としかねない。それは到底看過できるものではありませぬ」


 理脱者同士の衝突の凄まじさは、余人の想像できる域に無い。その余波で周囲に齎せる被害は筆舌し難く、しかも性質の悪い事に、止められる者などそうは居ない為、防ぎようがないと言っても過言では無い。

 建造物の破壊による金銭的被害だけで済めば御の字。夥しい数の人が死に、場所によっては生産地が破壊され、戦いが終わった後も、相当数の餓死者が出る事となる。

 ましてや、街のど真ん中で両者の衝突が起こった場合の被害は、想像を絶するものとなるだろう。


「行ったところで、あんたに何ができる。あんたはもう、理脱者とも呼べねえだろうが。その老いた体が何よりの証拠だ」

「だからと言って、私に静観するという選択は無いのですよ。それに何もできないという訳ではありません」


 やんわりとそう言い、手も足もでないというアベルの言葉を遠回しに否定する。


「この老体であっても、喉奥の小骨くらいにはなれるでしょう。そしてその小骨で、両者の均衡を傾け、結果を早める事ができるかもしれません。そうすれば被害も、少しは抑えられるでしょう」

「死ぬぞ?」

「意味ある死を迎えられるのであれば、本望ですな」


 心の底からそうと断言できる、高尚な意識とそれに伴う言葉。その言葉からメネケアの意思が揺るがないと分かり、アベルが嘆息して建物から背を離し、進行方向へと立ち塞がる。


「あんたにゃ悪いが、こっちはそいつを許容できたりは――ツ!?」


 言葉の途中で、メネケアが問答無用で術式を高速展開。瞬時に生み出された真空の道を、不可視の石弾が疾走。さらに着弾の直前に、石自体に刻まれた爆裂術式が作動し、巨大な爆発がアベルを呑み込む。


「……さすがは、長年に渡って最前線に立ち続けた、超大国の英雄ってところか。相変わらず容赦ねえ」


 爆煙の中から響いたのは、どこかくぐもった声音。煙が晴れて現れたのはアベルの姿ではなく、奇妙な物体。

 地味な色合いの布を広げ、その端と裏地に骨組みを貼り付けたかのような物体が、何も無い筈の地面から出現しアベルを包み、爆撃を防いでいた。


「……貴方の持つ固有能力は【吐竜息】と、そう聞き及んでいましたが」

「ああ、間違っちゃいねえよ」


 暖簾のようにそれが左右に広がり、アベルが姿を現す。予想通りと言うべきか、その体には傷はおろか、汚れの1つも付いていない。


「違うのは、能力に対する認識だ。【吐竜息】ってのは、竜の息吹を生み出しているんじゃない。そう見えるのは、瞬間的且つ無意識に、竜の持つ発息器官を生み出しているからだ」


 アベルの体が宙に浮く。足元には鰐のような頭部。そこに長い首が続き、胴体に繋がる。先ほどまで地面より出現していた奇妙な物体がその背にあり、それが翼だったのだと分かる。

 現れたのは、全身を赤い鱗で覆った、一軒家程の巨躯を持った火竜。頭には青い燐光を放つ術式の縛鎖が絡み付き、アベルの右手に繋がっていた。


「竜を生み出し使役する能力――それが【吐竜息】の本当の能力だ」


 さらに反対の左手にも、同じ術式の縛鎖。その先は地面に繋がっており、程なくして地面から新たにもう1頭、翡翠色の鱗を持った、同じくらいの巨躯の竜が出現。咆哮を上げる。最初に現れた火竜もそれに習い、耳を塞いでいても苦痛を感じるような振動が天を震わせる。


「さっきあんたは、俺が心配してると、そう言ってたな。それも悪いが勘違いだ」


 その咆哮の中で、不思議と明瞭に聞こえるアベルの声が宣告する。


「介護拒否のクソ老害が。世話を受けたくねえってんなら、老い先短いその命を、今すぐ終わらせてやる……そう言ったんだよ!」












次回予告

道化が舞台上の劇に目を奪われ思い馳せ、理脱者たちは己に制限を掛け更なる死闘に縺れ込む……みたいな。


王都襲撃編のクライマックス突入。個人的にここまで長くなる(掛かる)とは思いませんでした。はい。

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