番人vs大罪王 後編
「ケェェェェェェ……!!」
突然現れた新手に対して、怪物はその戦いの中において、初めて警戒の体勢を取る。
もっとも、警戒を露にするのは相手だけではない。同じウフクスス家に属している筈の、そして直前に命を救われた筈のデレクとヴェスカルの両者も、驚きと共に警戒を剥き出しにしていた。
「一体どうしてここに!?」
「どうしてって、知らない? 少し前に【風】の人たちが襲撃に遭ったかもしれなくてね。で、その下手人がこっちの方角に飛んで行ったかもしれないから、様子を見に来たと言えなくもないのさ」
飄々と言ってのけるシェヴァンに、デレクは怪物と遭遇する直前に【風】の者たちとの連絡が不自然に途絶していた事を思い出す。
「ついでに言えば、こっちの方から派手な戦闘音が聞こえてきた気がしないでもなかったからね。それで来てみたら、ヴェスカル君がピンチだったかもしれないから、割って入ったのかもしれない」
筋の通った説明に、ひとまずこの場にシェヴァンが登場した理由については納得が行く。しかしそれでも、2人の警戒心は露ほども解ける気配はない。
その理由の1つとして、その断定系を滅多に用いない独特の口調というのもあったが、それ以上に、両者がその男の事を知るが故のものが挙げられた。
シェヴァン=ラル・ウフクスス――宗家に名を連ねる者であり、そして第2師団の師団長を務める男。
その実力は3年前の作戦に参加しながらも生還を果たしている生え抜きであり、現行はおろか当時の師団長の中でもトップを争うほどのものであり、分野の違いはあれど、あのゼインと比べても数段上とまで言われている。
そして何より得体が知れないのが、その年齢だ。
正確な数字は分からないが、少なくとも師団長に昇り詰めてから100年余りが経っており、師団員であった頃の年数も加算し、さらにそれ以前の歳月を加えれば、最低でもその倍近い年数を生き続けているのが、シェヴァンという男だった。
保有する魔力の多い者の老化が遅くなるというのは、特にティスティアの守護家においてはそれなりに良く見られる現象ではある。だがそれにも限度がある。
仮に肉体の大半以上に魔力を浸透させられるのならば、魔族のように不老の肉体を手に入れる事は可能だろう。
しかし常時全身に魔力を浸透させている――言い換えれば、肉体の殆どが魔力で構成されているのと違い、人間は必要に応じて全身に魔力を循環させる事によって、魔力を肉体に浸透させる。つまり、肉体に魔力が浸透していない時が必ず存在し、その時の老化速度は常人となんら変わらないのだ。
その事を踏まえて考えてみれば、シェヴァンの外見年齢は明らかにおかしかった。
守護家内において、200年以上の歳月を生きる者は皆無ではない。だがあくまでそれは遅老の結果であり、その頃になれば外見年齢は老人と言っても差し支えのないものが殆どだ。
勿論それも、保有する魔力の量や浸透率次第ではあるが、少なくともシェヴァンに、200年以上も生きながら年若い青年と呼べる外見年齢を維持できるほどの魔力量や、浸透率に達せられる技量があるかどうかで言えば、答えは否だ。
ならば必然的に、その外見年齢を生み出しているのは固有能力という事になるが、本人が常々吹聴している保有能力は【氷結】であり、その能力に寿命をどうこうするような力は無い。
要するに、味方にしても胡散臭過ぎるのだ。そのくせその実力は疑いようが無い為、余りにも質が悪い。
ましてや2人とシェヴァンとでは、掲げる主義主張も違う。警戒してし過ぎるという事はない。
「まあまあ、警戒するのも理解できなくもないかもしれないけどさ、ここはひとまず、互いの主義主張については、鉾を収めてみるのも一興じゃないかな? 何せ……」
シェヴァンの全身から、そうと分かるレベルの怒気が溢れ出す。怒りは魔力を乗せて荒れ狂い、不完全な術式を構築しては崩壊し、物理的な圧力を生み出し放射する。
その威圧感に圧されたか、その対象である怪物は僅かに体を震わせ、条件反射のように術式を多重展開する。
「【闇針】」
無数の黒水晶の針の散弾が怪物の前方へと無差別に放たれ、建物の壁や石畳み等に着弾し、対象を無慈悲に粉砕する。
だが放たれた散弾のうちの一部――シェヴァンたちを射線上に置いたものは、途中で現れた分厚い氷壁に妨げられる。
「秩序を乱す、特大のゴミが湧いて出てるんだからさ。主義主張は違くても、その点においては僕らは意見が一致している」
「……ああ、そうだな」
散弾を片手間に防いだシェヴァンが、普段のふざけた口調を彼方に置き去りにし、底冷えする声音で言い放つ。
一方その言葉を向けられた2人も、破れた鼓膜を修復しつつ手に武器を握り、また術式を再構築しながら応じる。
自身の魔法を防がれ、また新手を加えた3人が戦意を向けて来た事に、怪物は弾かれたように動き出そうとして、失敗。
タイミングとしては動き出そうとした直前に、シェヴァンが怪物と地面とを一瞬で凍らせて接着させていた為に動けず、またその事実に僅かながらも動きが乱れ、格好の隙を相手に晒す羽目となった。
その隙を逃す道理は無く、容赦無く高速射出された槍が表皮を貫き肉を穿つ。また反対側から迫ったデレクが4つある眼のうち、右の2つを左右の剣で斬り裂き光を奪う。
「カキャッ……!?」
体を貫かれ光を奪われる痛みに苦鳴を上げながらも、眼を狙う為に普段よりも深く踏み込んで来たデレクへ腕を振るう。
さすがに一瞬で範囲外に退避する事はできなかったデレクは、それでも自信に迫る打撃に対し、両手の剣を逆手に構えて迎え入れる。
ほぼ同時に、両者の間に幾本もの氷柱が出現し、直後に剛腕によって纏めて圧し折られる。
だがその甲斐もあってか、本来のそれと比べて僅かに威力の落ちた一撃がデレクの構える剣と接し、その刃の幾らかが肉を断つ事と引き換えに薙ぎ払わんとする。しかしデレクも並の者ではなく、その力に真っ向から抗おうとはせずに双剣を起点に流れに身を任せ、跳躍して横回転。完全に受け流して躱す。
滞空中のデレクの視線と怪物の視線とが交わり、銀閃が交錯。残る視界も潰された怪物の怒号と狂鳴が響き渡る。
「【縛錠鋼帯】」
苦痛で暴れる怪物から距離を取ったところで、すかさずヴェスカルの高速魔法が発動し、鈍色の帯布が怪物を雁字搦めに絡め取り、身動きが取れないように拘束する。
もっともその拘束も、完全に怪物の発揮する力を抑え切れずに、早くも異音を上げて軋み始めている。しかしデレクはその僅かな時を好機と見て、再び接近する。
「イハァ……」
無防備な頭部に渾身の一撃を叩き込もうとした瞬間、不気味な笑みを怪物が浮かべる。
その事に不穏な何かを感じ取り、無理やり動きを止めて後退しようとした直後、怪物の背中が裂けて中から何かが飛び出し、デレクを打ち抜く。
咄嗟に交差させた剣を正面に構えて盾とするも、その打撃を支え切る筋力までは持ち合わせておらず、耐え切れないと瞬時に判断。地面を蹴って衝撃を逃がそうとするも間に合わず、押し込まれた剣腹が胸を打ち据え、粉々に粉砕。デレク自身も衝撃に耐え切れずに吹っ飛ぶ。
「ゴフッ……!?」
発射されたと錯覚するほどの速さで吹っ飛び、重力によって地面に落ちても尚も止まらない勢いは数度に渡って人体を跳ねさせ、途中にあった家屋に穴を開けて突っ込む事でようやく止まる。
「ぐッ、クソッ……」
瓦礫を掻き分けて出て来たデレクは瀕死と形容するのが相応しく、体の前面には粉砕された剣の破片が至る所に突き刺さり、それほどの一撃を受け止めようとした両腕は原型を留めずに捻じ曲がっており、また口からは絶え間なく内臓破裂による血を滝のように流していた。
それでも間髪入れずに治癒魔法を展開し、状態を瀕死の域で引き止める。
「大丈夫か!?」
「問題、無い……それより、も」
体の中に溜まっていた血を全て吐き出し終え、視線を怪物へと差し向ける。
「脱皮したとでも、言いたい訳か……?」
「確かに、言われてみりゃ元から蟲に見えなくもなかったな」
デレクを打ち抜いたものの正体は、背中の表皮を破いて飛び出して来た腕だった。
巨体の皮を脱ぎ捨てる事で拘束から脱した怪物は、傷1つ無い体を外界に曝し、纏わり付いた粘液を払うように身を震わせる。
その怪物へと上空より氷柱が降り注ぐ。
「硬いねえ……」
人間相手ならば頭頂部から股間まで容易に串刺しにできる雨も、怪物の表皮に弾かれ砕け散る。
挙句、そのうちの何本かは自在に動く腕によって捕まれ、大口の中に放り込まれて咀嚼される。
「クソったれが。その気になればすぐに見えるようになりますってか?」
「いいや、と言うよりも、僕の事を観察してたっていうのが正しい気がしなくもないね」
潰した筈の眼球が元通りとなっているのを見て、忌々しそうに吐き捨てるヴェスカルの言葉を訂正する。
「僕がどれだけの力を持っているのか、僕が君たち2人の中に加わる事で自分にとってどれだけの脅威となるのか、それを見極めてたんだと思うよ」
「無駄な知恵だけは働くって事か」
「忌々しいかもしれないけど、合理的な行動である以上は無駄とも言えないかもしれないよ」
当てつけの言葉を否定し、それよりもと続ける。
「気付いてるかい? 僕たち、結構追い込まれてるかもしれないよ」
一見するば3人の優勢に傾いているようにも見えるが、所詮は一時的な事だ。
シェヴァンという新手に対応し切れていない――あるいは様子を見ていたが故に手数で勝り、優位に立っていたように見えていただけで、相手にとっては窮地でも何でもない。
そして何より、3人には決定的な一撃に欠けていた。
「言われねえでも分かってる」
曲がりなりにもウフクスス家の師団長を務めている身である以上、その程度の事は他の2人も理解していた。
だが理解しているだけであり、どうしようもないのも事実だった。どう足掻こうとも、その場の誰も決定打となり得る手段を持ち合わせていない事に変わりは無い。
「せめて雨の日か、湿度が高い日なら違ったかもしれないんだろうけどねえ」
「胡散臭え事の極まりねえ台詞だが、今は置いといてやる。1つ手があると言ったらどうする?」
「その質問が来る辺り、協力前提かな?」
「じゃなきゃ提案しねえ」
「確かに、そうかもしれないね」
「嫌だってんならそれで構わねえよ。伸るか反るかだ」
まず大前提として、その場の全員が個々で当たったところで、怪物に確固撃破されるのは目に見えていた。それも結末は酷く呆気ないものとなるだろう。彼我の実力にはそれ程の差があった。
かといって、このまま共同戦線を張ったまま戦い続けたところで、過程が変わるだけで結果が同じである事にも変わりはない。その決まりきった結末を覆すのには、相応の危険を冒さなければならない。
「違いないね。勿論やるさ。あのクソ野郎を排除できるなら何の問題も無い」
そしてそこまで理解できているのならば、彼らに躊躇う理由など有りはしなかった。
「お前にやってもらいたい事は――」
「ストップ。あれに人語が理解できる以上、直接的な表現でなくとも迂闊には口にしないで、そっちて勝手に進めて貰って構わないよ。こっちで適当に合わせられるかもしれないからさ」
「できんのか?」
問い掛けに対して、普段通りの薄っぺらい笑みで応じるシェヴァンを中心に濃霧が発生し、瞬く間に周囲に充満して行く。
「これでも、伊達に長生きして無いかもしれないからね」
僅か数歩先すら見通す事のできない濃霧の中で、シェヴァンが怪物へと向かって行く音だけが遠ざかって行く。
「術式を構築したようには見えなかったが……やっぱ【氷結】って嘘だな。もっと広義的に水に関わっているのか、それとも冷気に関わってる能力か……」
「あるいは、全く別系統の能力か」
ようやく動くのに支障をきたさない状態にまで復帰したデレクが、ついでのように付け加える。
「ここまで濃いと、相手からだけでなく、こちらからも相手の位置の確認が難しくなる。大丈夫か?」
「何も問題ねえよ、全部【収束】させるからな。そっちこそどうなんだよ」
「音と気配、あとは記憶にある姿形とで、どこにどの部位があるか察知するのは容易い」
「そりゃ重畳ってやつだ。なら――」
「焦れさせれば勝ち、だろう?」
言葉を先回りして結論だけを述べ、任せろと請け負う。
「さっすが、良く分かってんな」
「付け加えるのならば、前提条件を達成できていればの話だろう?」
「そればかりはお前次第だな。生憎、俺に演算力で勝てるやつなんざ身内にも居ねえ。今回もいける筈だ」
自信を込めて断言したのにも関わらず、まるで自分自身に言い聞かせているかのような言葉。そんな言葉が出て来た内心は、付き合いの長いデレクでなくとも察する事ができたが、付き合いが長いからこそデレクは指摘せずに応じる。
「後もう1度見て、かつ直に触れられれば」
「ハッ、そいつは重畳ってやつだ。仕込みで死ぬなよ」
「当然だ。剣と槍、どっちが必要だ?」
「槍だな。どうせどっちも大して使えねえ。なら、用途に合った物で十分だ」
答えを聞き、新しく顕現させた槍を放り投げる。それをヴェスカルが危なげなく受け取ったのを確認し、更に自分用に双剣を顕現させて疾駆。濃霧を切り裂いて怪物の輪郭を視認する。
「【炸撃連弾】」
後方からヴェスカルの援護射撃が飛び、デレクに当たる事無く追い越し、濃霧を掻き分けて標的に正確に着弾。爆風が濃霧を掻き回して一時的に視界を晴らし、そして間髪入れずに新たな煙幕を張る。
それでも空気の流れか、それとも別のいずれかの理由で敵の接近を察したか、爆煙を裂いて腕が放たれる。しかし完全に視界が遮断される中で狙いを定めるのは不可能に近く、デレクの居る位置よりやや前の空間を貫いて後方の建物に命中し、派手な音と共に倒壊させる。
その一瞬の間だけ無防備に晒された腕を見逃す手はなく、素早く跳び乗って根元へと走り、怪物と視線が交錯した瞬間に双剣を振るい、腕の肉を抉り裂く。
「クソッ……!」
返って来たのは一段と硬い手応え。怪物の表皮を含む肉体の硬度は脱皮前と比較しても明らかに上がっており、切断ないしその寸前まで行く筈だった斬撃は腕の半ばまでを抉るまでに留まる。
「んー、ダメダメだね。やるのなら徹底的にが、最善である可能性もあるよ」
自分の失策に呻き交代しようとするデレクの後方より声が響き、影から姿を表したシェヴァンが腕を一線。腕の軌道をなぞるように傷口が抉られ、血と水の飛沫が迸り、腕が完全に切断される。
刎ね飛ばされた成人男性の胴体ほどの太さのある腕が落下し、地鳴りと共に怪物の絶叫が響き渡る。4つの
眼光を血走らせ、怒りの形相を浮かべた怪物の目がシェヴァンを捉え、腕が放たれる。
「危ないかもね」
近くに居た為についでに狙われたデレクを、イマイチ気の抜ける声音でシェヴァンが押し退け、代わりに手の内に収まる。
「カカカ……」
怪物の哄笑は、手の内に捕らえた筈のシェヴァンの姿が霞となって消え失せた為に途中で止まる。
「残念でした」
周囲に満ちていた霧の一部が渦巻いて集まり、シェヴァンの姿を形成したのは、怪物の腕の上での事。その場で即座に腕が一閃され、腕の半ばまで切り込みが入れられて水と血の飛沫が舞い散る。
さらにその直後に、背後からデレクが飛び出し、傷口に刃を叩き付けて完全に切断する。
「やー、ありがとう。やっぱ僕じゃ、切断まで行ける可能性は無に近いみたいだね」
「……高圧水流か」
「大正解」
霧の影響ではありえない、水滴が滴る指先を見て、シェヴァンのやった事をそう推察する。当のシェヴァン自身も、否定する素振りも見せずにあっさりと肯定する。
問題があるとするならば、やはり術式を構築したようには見えず、また【氷結】の能力で再現する事は不可能であるという点だろうか。
「中々便利だけど、射程が短かすぎるのが難点でね。お陰でああいうデカブツを切断するのには向かないのさ――ッと!」
残る腕が薙ぎ払われ、シェヴァンとデレクが揃って後退。尚も追いすがる腕に対して、両者は二手に分かれて回避。腕はデレクには興味も向けずにシェヴァンへと向かう。
「【闇哭握鬼掌】」
ならばと再び接近しようとしたところに、片手間に紡がれた闇魔法が炸裂。
先日アスモデウスが使用したものと同様の術式でありながら、桁違いの規模の黒球が発生。脇目も振らずに後退し続けるデレクを追い掛け、途中にある建造物も、道路も、更にはヴェスカルの放つ魔弾さえも関係なしに吞み込み、圧搾し、消失させて行く。
一方で本命のシェヴァンに対する追撃の手は緩まる事なく、4本の腕を縦横無尽に動かして彼を追い詰め、何度目かの回避行動後に背に建造物を背負い、退路が塞がれた瞬間に手を振り下ろして圧し潰す。
「危ない危ない」
回避などできる筈も無い、完璧に決まった一撃を喰らった筈のシェヴァンは、そこからやや離れた場所に唐突に姿を現す。
もっとも2度目ともなると想定していたのか、驚いたような気配もなしに怪物が突進。
「【岩壁牢】」
その怪物を包むように岩製の立方体が地面から出現し、怪物を閉じ込める。
「【伽藍浄獄炎】」
それをやったヴェスカルは、さらに立方体の内部に業火の術式を展開。熱とその燃焼に伴う酸欠による二段構えの攻撃を試みるが、直後に突進の勢いのままに壁を粉砕される事で失敗する。
しかし一瞬とはいえ、壁によって視界を塞がれた怪物には、その一瞬の間に進路上に形成されたものに気付く事ができず、落下。絶叫を上げる。
「湯加減はどんな具合かな?」
石畳みが一瞬のうちに溶解し、広範囲に渡って形成された溶岩の池の中で怪物がもがく。
そこに容赦なく、上空から巨大な氷塊を幾つも発生させては落とし、怪物に打撃攻撃を与えると共に池の熱で一瞬で気化させ、水蒸気爆発を引き起こす。
「【陥盤埋葬】」
さらにヴェスカルの追撃が放たれ、池を含む周囲の地形が急速に沈下して行き、同時に開いた穴を塞ぐように周囲の地面が隆起し、蓋を閉じる。そして爆発。
「【流奔水】」
溶岩の中を泳ぎ、地層をブチ破って脱出した怪物の頭上に、デレクが容赦なく大量の水を浴びせ掛ける。
高熱に晒された直後の冷却に、さすがの甲殻も耐え切れずに亀裂が入る。そこに立て続けにヴェスカルの魔弾が降り注ぎ、脆化した甲殻を粉砕し、青い血飛沫を上げる。
「カァ……!」
怪物が苦痛に塗れた熱気を吐き出し、正六角形の結界を展開。さらに巨躯を伏せ、一本角に魔力を集中させて帯電させ始める。
それが終わった時に何が起こるかを知っているデレクは、即座に武器を構えて突撃。迎え討つ怪物が呵々と嗤う。
「【闇縛】」
瞬間的に構築された怪物の魔法が発動し、数百条の帯が差し向けられ、それを斬り払って避ける為にデレクの足が止まる。
その様子を見て再び呵々と笑い、翅を広げて振動させようとし、失敗して目を見開く。
「悪いけど、同じ手は通じないのが世の中の常らしいのさ」
翅の付け根を凍り付かせたシェヴァンが笑い、氷壁を出現させて自身目掛けて飛来した拳を防ぎ、踵を返して逃走。砕け散った氷塊に紛れて地面が爆発。
土砂の間を縫って現れたヴェスカルが、デレクから受け取った槍を片手に突撃。技術など無い、だが速度だけは乗った刺突が命中。柔らかな眼球を潰し、柄の半ばまで深々と埋まる。
「ギャァァァアアアアアアアァアアアアアアッ!?」
再び視界の1つを潰される苦痛に絶叫が上がる。しかしそれも僅かな間の事で、すぐに怒りへと変換される。
「【暗衝波乖濤】」
「氷波」
ドス黒いエネルギーの波が、寸前で間に入ったシェヴァンの放つ氷の波濤と衝突し、一瞬で押し勝ち呑み込む。しかしその一瞬の隙に退避したヴェスカルの特大の爆撃が炸裂。爆圧によって濃霧を押し広げ、粉塵を張る。
そこから離れたところで、再三霧の中から姿を現したシェヴァンが手を差し出し、指先から魔力の意図を無数に伸ばし、怪物の体内へと潜り込ませる。
「開花」
言葉と共に、怪物がこれまでに吸い込み、また傷口から侵入していた霧が液化し、形を変えて個体に変化。体内から氷の結晶が噴出。
怪物自身の体液を利用する事は抵抗力故に不可能だったが、シェヴァン自身の魔力によって予め制御下に置かれた霧ならば、体内に潜り込んでいようとも関係が無く、容赦無く怪物を内側から斬り刻む。
痛みに堪らず術式が維持できなくなり、動きが止まったところに飛燕が1つ。一瞬だけ晒された無防備な姿を逃さず迫ったデレクが、怪物の頭上に降り立ち、渾身の太刀を角に叩き込む。
「がぁッ……!?」
その一撃も角を粉砕する事は叶わず、逆に触れた剣を介してデレクを感電させ、内側から焼き尽くす。
それを事前に施していた各種対魔の術式とジャケットの効果により、歯を食い縛って耐え切ったデレクが、普段のそれと比べて牛歩のような遅さで頭上より退避。そのまま後退しようとするも、先に怪物の準備が終わる。
放たれた雷撃の束が、最も近くに居たデレクへと放たれ、そして寸前で周囲一帯の水分を凝縮して生み出された水塊に衝突。不純物を含まない純水によってその大部分が散らされるも、有り余るエネルギーは水塊を纏めて蒸発させ、威力を落としながらも直進。咄嗟に顕現した防壁に防がれ、分裂して四方八方に撒き散らされる。
「ご苦労さん。後1つだけ仕事をすれば、残りは俺の仕事だ」
「ああ……」
体が碌に動かず、倒れそうになったところで背後よりヴェスカルに支えられ、全身を支配する痛みと痺れを思い起こしながら意識を集中させる。
その間にも飛び交う雷光を、氷壁と水塊が防ぎ、また散らす。そうする中で準備を終えたのを示すかのように、デレクの全身から紫電が発生する。
「終わりだ、合わせろ」
「お前が合わせろ」
この後に及んで互いに減らず口を叩き、それぞれ利き手を掲げる。その手の先から、先ほど放たれた雷撃と同等のものが放たれる。
もっとも怪物も即座にそれに気付き、それが放たれる寸前に動き軌道上から身を逸らす。しかし雷撃は怪物が放った時とは違い、
途中で蛇行して追い掛け、眼球を貫き刺さったままの槍に命中。鋼の柄を伝導して行き、穂先から頭部の内側へ解放されて蹂躙する。
デレクの固有能力である【複製】は、実際に観察し、かつ触れた事のあるものを任意に記憶し、その規模に応じて魔力を割く事で手元に顕現させる事を可能とする。対象の構造や原理を完全に把握したものでなければ複製不可能な為、複雑で大きくなるほど観察の手間は掛かるものの、大抵のものは実体の有無を問わずに顕現可能という利点のある能力である。
もっとも、その能力によって再現された、怪物の放つ特大の雷撃は、デレクの保有する魔力量を持ってしても1度が限界だった。そしてその1度を確実に命中させ、かつ強靭な外装を突破させられる保証は無い。
しかしそれも、ヴェスカルの固有能力である【収束】によって解決できる。直に触れたものを対象に、任意の過程が望んだ結果となるように収束して行くその能力を使えば、先程突き刺した槍に雷撃が命中し脳まで伝導するよう収束させるのは容易な事だ。
「カァァ……」
頭部のあらゆる穴から黒煙と青い沸騰した血を垂らしながら、怪物が全身を焦がして力無く倒れ伏す。
大抵の生命体ならば、血液が沸騰するほどの熱量を脳に直接叩き込まれれば、生存する事は絶対に不可能だ。余程生命力が強いものであっても、即死を免れるだけであり、どんな治療を施そうとも程なくして死ぬ。
だが相手はただの生物の枠には収まらない魔族であり、そしてその中でも特に通常からは懸け離れた高位の個体である。それだけのダメージを負っても、しぶとく生き残る可能性は十分にあった。
「死んだと言える可能性は無きにしも在らず、ってところかもしれないね」
「普段に増して曖昧な言葉だ。こんな時ぐらい、断定系を使え」
「生憎、これが性分って言えるかもしれなくてね」
軽口を叩きながらも、3人の視線は油断無く怪物の巨躯に向けられ、一挙一動さえも見逃してなるものかと観察し続けていた。
「これ、もし殺せてなかったらどうする?」
「誰か1人を退かせた上で、可能な限りの抵抗をするしか無いだろう」
「なら、その役はデレク君だろうねえ。さすがに魔力も負傷も限界だろう?」
努めて明るい口調で述べ合うが、内心では、頼むから起き上がってくれるなという思いで一致していた。
3人の中で最も接近戦に秀でたデレクは、既に満身創痍であると同時に残存魔力も心許無く、最低限の負傷を治して死なない程度の状態に持って行くのが精一杯であり、継戦したところで満足な動きは到底望めない。
負傷という点で言えば、残る2人は然したるダメージこそ無いが、ヴェスカルは演算能力こそ高いものの保有魔力量で言えばデレクよりもやや劣り、残存量で言えば全快とは言い難い。それに加えて前衛を失えば、相手の脅威に直接的に晒される事となる。そうなれば敗北は確定する。
両者と比べれば圧倒的に余裕のあるシェヴァンではあるが、そもそもの根本的な問題である火力不足を単身で解決する事は困難であり、また打開策を巡らせようにも圧倒的に手が足りていない。それでも善戦は可能だろうが、緩やかに敗北に進む事に変わりは無い。
故に事情は各々で違えど、起き上がって欲しくないという願いは共通していた。
「クソッ……」
そんな願いを裏切るかのように、怪物の外殻に音を経てて亀裂が入る。
再び脱皮するのかと身構える番人たちの前で亀裂は徐々に広がって行き、そして巨躯に比べれば余りにも小さい状態で拡大は停止し、内側から亀裂に沿って外殻を押し広げて何かが出て来る。
「……は?」
「何だ、あれは……」
緊張はそのままに、だが想定していないものを見たと言わんばかりに、デレクとヴェスカルが中から出て来たものを見て呆気に取られたように声を漏らす。
「げっ、あれは、まさか……!」
そしてその2人とは対照的に、普段の表情を知っていれば誰もが驚くような引き攣った表情と声を出し、シェヴァンが無意識のうちに後ずさる。
番人たちが最初に目にしたのは、亀裂を押し広げて外界に出て来た両腕。と言えども、その腕は怪物のものと比べて余りにも懸け離れた、言い換えれば人のそれとなんら変わりのないものだった。
その腕がさらに亀裂の隙間を押し広げ、頭部が、それに続いて上半身が這い出し、最後に下半身が抜け出し、粘液に塗れながらも完全に人の形をしたそれは両足で怪物の上に立つ。
「着ぐるみだったとでも、言いたい、訳か……?」
這い出てきた男は鬱陶しげに頭を振って粘液を払い落とし、面を上げる。
大陸中を探せば簡単に見付かるであろう黒い髪に、同色の瞳。そのうちの右の目の下にはピアス。全身は隈なく鍛えこまれており、立ち姿とも相まり、相応の力ある者であれば相手の実力が相当なものであると一目で分かる。
そんな人物が怪物の中から現れれば、呆気に取られはすれども、警戒心がさらに高まるのも当然とも言えた。そのさらに高まった警戒心を向けられた男は、ただ何かを握るかのように片手を動かし、虚ろな瞳で番人たちを睥睨する。
「なッ……アッ……!?」
「がッ……!?」
そして次の瞬間にはそれなりにあった筈の距離を零にし、いつの間にか手に身の丈ほどもある大剣を携えて、反応する隙も与えずに2人にそれを一閃していた。
唯一、無意識に後退していたが故に距離が最も離れていたシェヴァンだけが、辛うじてその動きを目で追う事ができ、それぞれが心臓を両断する軌跡で斬撃を身に受け、倒れるまでの僅かな間に、咄嗟に行動する事を許された。
しかし許されたのは、互いの間に氷壁を生み出す事のみ。さらに次の手を打つ前に氷壁は呆気なく両断され、その向こう側に居たシェヴァンもまた巻き添えを喰らい胴体を真っ二つにされる。
「君、さ……死んだ、筈じゃ、無かった、っけ……?」
肩から反対側の脇腹まで袈裟懸けに分断され、地面に転がった状態で、息も絶え絶えに声を振り絞って掛ける。
だがその言葉に返答すること無く、男は剣に付着した血を振って払い落とし、一瞥さえもくれる事無く、虚ろな瞳を周囲に巡らせてとある一点で固定し、その方角へと立ち去って行った。
「……いや、いや、びっくりびっくり」
そのままたっぷりと数分の間を置き、戻って来る気配が無い事を念入りに確認した後に、シェヴァンが擦れた声で呟く。直後に分断された体が、両方同時に霧となって消失し、互いに合わさりあって元通りの人の姿となる。
「実にびっくりしたかもしれないね。多分偽者だと思いたいけど、そう断言できる材料も持ち合わせていない訳だし、第一偽者なら、どうして魔族がそんな姿を取れるのかって話にもなるかもしれないしねえ」
久しぶりに肝が冷えたと、うるさいぐらいに鼓動を刻んでいる心臓の上に手を当てて、安堵の息を吐き出す。
「ほらほら、いつまでも寝ていないで、早く起きて起きて」
続けて手を打ち鳴らし、地面に倒れ伏す2人へと声を掛ける。
しかし一向に返事が無いのに焦れたのか、嘆息と共に水塊を両者の頭上に生み出し、一切の躊躇い無しにそれを勢い良く落とす。
「うっ……」
「やあやあ、やっと起きたのかい? 寝ぼすけさんと呼べなくもないよ」
意識を取り戻して身を起こし、頭を振り、着られた筈の胸に手を当ててある筈の傷が無い事に首を傾げる。
「一体、どうなって、んだ?」
衣類は間違いなく斬られているのにも関わらず、その下の肉体には一切損傷が無い事に、半笑いを浮かべてヴェスカルは首を傾げる。
確かにあの一瞬、自身は刃をその身に受け、心臓を両断された筈だった。その感覚が嘘で無い事を証明するように自分が倒れていた場所には血溜まりができていた。
一方で、心臓を両断されたにしてはその血溜まりが随分と小さいようにも感じられた。
「おそらくだが、シェヴァンの能力だろう」
「能力?」
同じ立場にあったデレクが、興味深いものを見る目でシェヴァンの僅かな反応も見逃すものかと見ていた。
「推測するに、奴の能力は【状態変化】。物質の状態を自在に操作するのが奴の能力の正体だ」
その能力故に対象の観察眼に秀でているデレクは、その観察能力を遺憾なく発揮し、シェヴァンの能力を確信を持って述べる。
戦闘中に使用した氷や水を用いた攻撃も防御も濃霧も、全てが大気中の水分を凝縮して固体、液体、気体のそれぞれに変化させて利用したものであると分析していた。
決定的だったのは戦闘中に怪物を溶岩に落とした時の事で、戦闘中故にその事を口に出したりはしなかったが、その時に初めてデレクは、シェヴァンが石畳の状態を液体にしたのではないかという疑問を持った。
「なるほどね。通常は物体に作用させる能力だが、あいつはそれを人体にまで作用させてるって訳か」
「付け加えるのならば、年齢から察するに、操作できるのは物質の三態だけではないのだろうな」
デレクの説明に、ヴェスカルも納得が行ったように頷く。彼の頭の中では、度々シェヴァンが攻撃を喰らった筈なのにも関わらず、別の場所に無傷で姿を表していた光景が思い浮かんでいた。あれも喰らう寸前に、あるいは喰らった直後に自身の体を霧に変え、適当な場所に移動してから固体の状態に戻したが故の結果だった。
その応用で、あくまで質量を増減させない範囲内で、人体の状態もある程度自由に変えられる為に、シェヴァンは数百年という歳月を生きていた。
「だが、術者自身だけじゃなく、俺たち……それも同意もない相手の体にまで、咄嗟の一瞬で能力を作用させるだと? どんな干渉力だ」
「伊達に長生きしていない、という訳だ」
斬撃を受ける前にとまでは行かなかったが、それでも斬撃を受けた直後には両者の該当部位を液化させ、即座に固体に変化させることで、傷を元通りにしていた。
それを可能にしたのは、エルンストと相対して同様の手法で切り抜けた経験があったからこその事だった。
「まあ、そんな事は比較的どうでも良いかもしれないでしょう?」
デレクの分析を、表情を一切変えずにどこ吹く風でやり過ごし、重要な話題へと移る。
「問題なのは、あれをどうするかって事だと思うんだけどさ」
「……忌々しい話だが、戦力が足りない」
シェヴァンに対する追求は棚に上げ、デレクもそれに参加し、即座にそう結論付ける。シェヴァンも否定する事はなく、頷いて肯定する。
「残念だけど、そうなるね。詳しい事情は省くけど、あれが本物か偽者かで、どれだけ足りないかは変わって来る」
「具体的にはどう変わる?」
「そうだね、偽者だった場合は正確な量は不明だけど、本物だった場合、確実に粛清しようと思えば桁が3つは足りないだろうね」
「万単位、だと……?」
質問に対して返って来た答えに、さすがに冗談だろうと、ヴェスカルは表情を引き攣らせる。だがシェヴァンは大真面目な表情で続ける。
「気持ちは分からなくもないけど、事実だよ。半端な数を揃えたところで、返り討ちに遭って全滅するのがオチだ。しかもこれは、あくまで本物だと仮定した場合の事。偽者で、尚且つ最悪の場合、それ以上の数が必要かもね」
もっともその可能性は限りなく低いだろうけどと、気休め程度に付け加える。
「……なら、どうする? 情けない話だが、俺にはどうするべきか案が思い浮かばねえ」
「それはここで話す事じゃないだろうね。そして、僕たちだけで話し合う事でもない。他の4家も交えた話し合いが必要さ」
シェヴァンとしても、それ以上の事は言えなかった。なまじその脅威を身を持って体験しているが故に、下手な手を打ったところで徒労に終わるだけだと理解していた為だ。
「取り敢えず戻ろうか。デレク君も本格的な治療が必要だし、焦っても良い事は何もないよ。急いては事を仕損じるって言うだろう? 誰の言葉だったか忘れたけどさ」
次回予告
贋作により憤怒が臨界に達し、大罪は混じり合う……みたいな。
次話から一話辺りの文字数が少なくなる予定です。具体的には5000文字前後を目安に投稿して行き、更新速度の向上を目指すつもりです。前にも似たような宣告をしておきながら1万文字を平然と超えてる気がしますが今度こそ本気だと思いますのでよろしくお願いします。