番人vs大罪王 前編
しんと静まり返った街中を、ウフクスス家のジャケットを羽織った、計6名の集団が闊歩する。
「クッソだりぃ……」
「文句を言うな」
6名の中でも先頭を歩く、赤銅色の髪と目を持った男が愚痴り、その隣を歩く青銅色の髪と目を持った男がそれを嗜める。
「いやでも、考えてもみろよ。ここ数日、残業どころか睡眠時間を削ってまでフル稼働だぞ。文句の1つでも出て来るっての」
「それでもだ。秩序を乱す原因を排除し、元通り正すのが俺たちの仕事であり、存在意義だ。それすら果たせないのなら、今すぐ自分の首を刎ねろ」
「だるいってだけで、やらねえとは言ってねえだろ。何でそんなにお前は極端なんだよ。怖過ぎんだろ」
残る面々を引率しているようにも見える2人組みの会話は、端から見れば談笑の類にも見え、後ろに続く者たちに咎められても文句は言えないであろうものだった。
しかし実際には、それを咎めるような者は居らず、それを良い事にという訳ではないだろうが、両者の会話は続いていた。
「つってもなぁ、哨戒の理由が、さっきの不可解な現象の原因調査ってのが頂けねえだろ」
当人たちは知る由も無いが、シアの手によって引き起こされた過去の映像の投影は、思っている以上の大事となっていた。
「いや、この手の奴は大方、能力を発現させたばかりの奴の暴発って相場が決まってんだろ。むしろ意図的に引き起こされたとしたら、その意図が不明だろうが。実害が無かったのは知ってんだろ?」
「実害が無かったのは事実だが、その内容が内容だ。加えて先日に襲撃があったばかりだ。用心するに越した事はない」
「真面目なこった。意図的なもんじゃねえ以上、どうせ下手人なんざ見付からないのがオチだってのによ」
両者のうち、赤銅髪の男のやる気の無さは言動以上に、体から発せられる雰囲気からもありありと感じられた。
曲がりなりにも秩序を保つ事を旨とする、ウフクスス家の、それも師団員のみに支給されるジャケットを羽織っている身の発言とは思えない言動。
しかし応じる青銅髪の男も、口でこそ咎めてはいるものの、本気で言っている訳ではない事ぐらいは、表情を見れば分かった。
だがそれも、ある意味では当然の事だった。
前者がウフクスス家分家、アンデール子爵家現当主兼、ウフクスス家第3師団師団長、ヴェスカル=レデ・アンデール。
後者がウフクスス家分家、クライシル男爵家現当主兼、第13師団師団長、デレク=ロニ・クライシル。
全体で10万を超えるウフクスス家の中でも20名にしか名乗る事が許されず、さらには3年前の動乱によって繰り上がった者ではなく、正規の手順によってその座に着いた師団長の肩書きこそが、両者の正体だった。
例え今この時はだらけているように見えていても、本当の有事の際には全身全霊を賭してその使命を果たすであろう事は、後ろに続く彼らの部下も含めて、その場の全員が知っている事だった。
「……どこの誰だか知らねえが、向こうでドンパチやってやがんな」
遠くから響いて来た音に、表情に僅かな真剣さを宿したヴェスカルが、その方角を見て剣呑な声音を発する。
「案外お前の言う通り、ただの笑い事じゃなかったかもな」
対してデレクは、その方角を見たのは一瞬の事で、すぐに頭の中に響いて来た声に耳を傾ける。
「たった今【風】の連中から連絡が入った。向こうは別の班が対応するそうだ。俺たちはこのまま哨戒を続けるぞ」
【聴覚共有】や【視覚共有】といった感覚系の能力を始めとした、後方支援に有用な能力者を集めて結成された、通称【風】と呼ばれるイゼルフォン家直轄の組織は、ティステアの連絡系統の一端を担い必要に応じて各方面と連携を取る集団である。
能力者が豊富なティステアだからこそ結成可能なその組織は、今回のウフクスス家の哨戒においても動員されており、各班の代表者との連絡を仲介していた。
「そうかい。先日の襲撃の延長線……って可能性もある訳だよな?」
「その可能性は低くはないだろう。襲撃者の大半は不覚にも逃したと聞いている。一端撤退し、再度仕掛けて来たという線も考えられなくはない」
「もしそうだったら、悪いが個人的には好都合だ」
デレクの返答を受けて、ヴェスカルが凶暴な表情を浮かべる。
「テュードの旦那と、ゼインの野郎の弔い合戦と洒落込ませて貰う」
「その考えは否定はしないが、冷静さは見失うなよ」
危険さを滲み出させるヴェスカルを、デレクは一応は嗜めるも、一見冷静そうに見える表層の下には、付き合いの長い者にはそうと分かる激情を潜ませていた。本心を曝け出してしまえば、デレクもヴェスカルと同意見なのだ。
彼らにとって、先ほど名前の挙がった2人はただ同じウフクスス家に属する同胞というだけではなく、同じ主義主張を共にする同志であり、また同じ戦場で背中を預け合った戦友であり、そして恩師であり、親友でもあった。
自らに近しいものが死に、更にその死が突発的なものではなく、意図的なものであり、挙句その当事者が近くに存在し得るという状況に遭遇すれば、それは当然の反応だった。
例え双方共に、他のウフクスス家の者たちと同様に狂信的なまでの秩序に対する執着心を持った万人であっても、それ以前に1人の人間である以上は当たり前の事だった。
「……何だ、どうした?」
故に、平常時ならば即時反応できた筈の、唐突に頭の中に響いて来た声に対して、デレクの反応と認識は少しばかり遅れる。
併せて両者の周囲に対する注意力も、僅かに散漫になっていた。
「おい、何があっ――!?」
本来ならば、来る前に気付けたであろうそれに気付けたのは、凄まじい振動が地鳴りが彼らを襲い掛かった時になってから。
直感に従い前に身を投げ出し、またその場に伏せる事ができたのは、師団長である2人だけ。もう少し早く気付き、注意喚起をしていれば助かったであろう残る4人は反応を許されず、首が、胴体が、あるいは上半身丸ごとが消失し、遥か遠くまで飛び跳ねる。
「【炸撃弾】!」
身を投げ出して転がったヴェスカルが、反転様に両手に赤い光球を生み出し放つ。
咄嗟の行動故に、碌に狙いも定められずに放たれたそれは、だがしっかりと突如として現れたそれに命中し、爆発を起こす。
「んだよ、こいつは……!?」
四足獣が通常持つ手足に加え、肩から背部に掛けて、さらに左右2本ずつの、長さに対して頼りない細さの腕を持っており、腕の先にある手には腕と同様に細長く、それでいて人間のそれに酷似した形状の指が3本。更にその先端には鋭利な爪が伸びていた。
全身には毛皮ではなく、硬質で分厚い表皮で覆われており、随所を鈍色の甲殻が包んでいる。背中からは甲虫が持つような形状の翅が3対ずつ、計6枚生えていた。
人体では尻に当たる部位には、当然のように尻尾が存在し、二又に裂けている先端部は、槍の穂先のように鋭利な角となっている。
歪んだ角錐のような形をした頭部は赤い眼を4つ持ち、額には頭部よりも長い一本角があり、耳の辺りまで裂けた口腔内には肉食獣のものではなく、どちらかと言えば草食獣が持つのに相応しい歯が並んでいた。
「見れば分かるだろう。魔族だ」
「……納得だ。今のを喰らって無傷な辺り、結構高位の個体だろうな」
質量を持つ光球を、分厚い鋼板を貫通する程の速さで放ち、衝突した瞬間に小規模な爆発も引き起こす二段構えのその魔法は、見た目の派手さにこそ掛けるものの、無と火の2つの適性を備えて初めて構築する事のできる、ヴェスカルが考案した合成魔法であり、完全装甲の人体すら一撃で粉砕する事のできる威力を誇る。
その魔法が2発同時に炸裂した筈の相手には、表皮が多少焦げついているのを除けば、無傷と言って差し支えなかった。
「目的はこいつではなかったが……」
いつの間にか、手に長大な槍を携えたデレクが、厳しい目で現れた、人間の数倍もの巨軀を持った怪物を見上げる。
「野放しにしておけば、どうなるかは考えるまでもない。退く事はできないな」
「ついでに、殺された部下の仇も討つ必要がある」
指の関節を鳴らして、ヴェスカルがデレクの隣に並ぶ。
その2人を4つの目でねめつけていた怪物は、口を開き、2つに裂けた舌を曝け出す。
「ケヒヒヒ……」
「……嘲笑のつもりってか? ざけんな!」
掲げられた両手を中心に、先ほどと同じ、赤い光球が生み出される。
先ほどと比べて違うのはその数で、優に数十を超える数が、一瞬にして生み出されていた。
「【炸撃連弾】!」
そして生成された光球が一斉に、相手へと放たれる。
怪物はそれを躱す素振りも見せず、全て正面から受け止め、連続で発生した爆発が1つの大きな爆裂となり、周囲に衝撃が迸る。
「ゲギヒヒヒャ!!」
奇怪な鳴き声と共に怪物が爆煙から抜け出し、合わせて8本ある手足を巧みに動かし、その巨体でもってヴェスカルを押し潰そうとする。
その怪物の頭上から、いつの間にか移動していたデレクが、槍を構えて強襲。落下の勢いが乗った一撃を、怪物は直前で気付き、身を捩って頭部に直撃する事を回避。代わりに、背中を覆っている甲殻がその一撃を喰らい、強烈な金属音を上げる。
「硬いな」
槍の穂先が半ばまで粉々に砕け散り、その破片が頬を掠める結果に眉を顰め、甲殻を蹴って即座に離脱。一瞬遅れて真下を薙いで行った腕を回避する。
「【爆雷轟撃砲】」
直後に、同じく退避したヴェスカルによる特大の爆撃が命中し、先ほどの比では無い爆発を引き起こす。
「ケヒ、ケヒ……」
「確かに硬えな。が……【螺旋穿孔】」
爆煙を纏いながらも無傷の怪物に対して、捻れた槍が回転しながら高速射出され、甲殻に覆われていない胴体に命中。苦痛の声と共に青い血が飛び散る。
「こいつなら効くみたいだな!」
早速弱点を見付けたと笑い、同じ術式を構築して放つのと同時に、デレクが襟首を掴んで強制的に移動する。
遅れて放たれた槍が、直前まで2人が立っていた場所も含め周囲の建物ごと薙ぎ払われ破壊される。
「伸びんのかよ、あれ。何でもありだな」
石造りの建物を容易く斬り裂いた腕が、音を立てながら元通りの形となるのを眺め、再三の同様の術式を構築し放つ。
だが今度は弾かれる事もなく、肩に生える手によって受け止められる。
「あっさり受け止めんなよ。最初に喰らったのは、接待だったからってか?」
「自分の装甲に自信があったのだろう。だがそれを貫かれて、喰らうと不味い攻撃だと理解した」
「学習能力はあるって訳ね。どうする?」
「簡単だ」
デレクは両手に、虚空より顕現した剣をそれぞれ握り締める。
素人が見ても両手で運用する事を前提にして作られたと分かるその剣を、片手ずつで持つ行為は端から見れば滑稽にも見えたが、不思議と構えて佇むその姿は様になっていた。
「立体攻撃の畳み掛けで押し切るのが最も簡単かつ、確実だ。仕込みは手伝ってやる」
「後衛を前線に立たせんなっての!」
両者が足場を蹴って突貫するのと同時に、相手の腕が伸ばされ迎え撃つ。
個々へと伸長した腕のうち、デレクを捕らえんとするかのように広げられて迫る手の指を、彼が左に握る剣が切断し、間髪入れずに横薙ぎに振るわれ腕の軌道を逸らす。
同時にヴェスカルへと伸ばされた腕の前に、デレクが右手に持った剣を突き出し、衝突。
人の身でありながら、どれほどの怪力を発揮しているのか定かではないが、その一瞬、相手の腕の肉を貫通して埋まった剣を握るデレクの膂力は、伸ばされた腕を撓ませその場に押し留めていた。
もっとも、拮抗したのはその一瞬だけの事。受け止められたと認識した相手が更なる力を加える事であっさりと均衡は崩れ、デレクはあっさりと剣を手放して退避する。
しかし、その一瞬の隙に駆け抜けたヴェスカルが、停止した腕の上へと跳び乗り疾駆。腕が動き出すまでの間に距離を詰め、更に跳躍。
滞空するヴェスカルを怪物の瞳が追いかけ、空いた腕を動かして捉えようとして、すかさずデレクが投じた剣がその眼を穿たんと飛来し、そちらを受け止めるのに使わざる得なくなる。
「【破爆掌】!」
デレクの作り出した隙を無駄にせず、側まで降り立ったヴェスカルの掌打が胴体へと打ち込まれる。併せて、触れたを箇所から魔力が浸透して行き、相手の体内に術式を構築。発動して爆発する筈が不発。
人間相手ならば文字通り爆散させられる魔法も、怪物が備える異常な抵抗力に阻まれ、術式の構築すらままならずに失敗に終わる。
「魔族の抵抗力ってのは噂以上だな!」
「人間を相手にしたつもりで戦ったところで無意味だ。対人戦法に拘れば死ぬぞ」
鉤爪の格子を掻い潜り、何とか自分の元まで退がったヴェスカルに対して、厳しく警告する。
直接掌打を打ち込んだヴェスカルは勿論だが、片手で怪物の攻撃を受け流した彼の腕も、小さくない痛みを発していた。
「一撃でもまともに喰らえば、前衛の俺でも戦闘の継続は困難になるだろう。つまり相手の攻撃を回避しつつ、向こうの装甲を突破して削る必要がある」
「分かってるさ。つまり、後衛が主役って事だろ?」
「そうだ。やれるか?」
「当然。俺を誰だと思ってやがる」
相棒が患部の痛みを治癒魔法で取り除きながら発した言葉に、得意気に応じる。
「【炸撃連弾】!」
膨大な魔力を費やされ、術式が瞬間的に構築される。
構えられた両手はおろか、術者であるヴェスカルの周囲、挙句はその隣に立っていたデレクまで覆い隠す程の光球が顕現。
十重や二十重では利かない数の、同時多重展開された術式が火を噴く。
直立している事も困難な震動が、常人ならばすぐに鼓膜が破れ意識を失うような爆音が、その場に踏み留まる事さえも許さない衝撃が、王都の一画を容赦なく蹂躙する。
しかもそれは一瞬だけの事ではなく、効果を発揮し終えて術式が霧散する側から新たな術式が間髪入れずに展開され、一瞬を繋ぎ合わせて永遠へと変えて行く。
術式の数は同時に展開されている分だけで数十以上、累計で既に数百にも達しており、しかも尚も増え続けている。
怪物にとり、一発の威力など大したものではない。分厚く強靭な表皮や頑健な甲殻を持ってすれば、寝ていても一切の支障はない。
だが塵も積もれば山となるように、数の暴力をこの上なく正しく体現したその絨毯爆撃はさすがに堪えるようで、爆煙を切り裂いて爆破地点から急速に遠ざかろうとする。
「逃すわきゃねえだろうがボケ!」
放たれた光球が急転換し、動き回る怪物の跡を追い掛け、追いつき爆発し、怪物の苦鳴が響き渡る。
直線だけではなく曲線で、鞭のように複雑な軌道を描いて魔法は飛び、怪物の前後左右上下の全方位から襲い掛かる。
目を凝らして見れば、爆風によって飛び散る砂塵と礫の群れの中に微かに混じる青い飛沫。
終わりの見えない連撃によって、甲殻は焦げ付き歪むも破れる気配を見せない。だが甲殻に覆われていない、他所と比べて薄い表皮はその連撃に耐え切れずに弾き破れ、僅かな手傷を負っていた。
「クフッ、ヌフッ、グプ……」
しかしその爆撃も、途中から怪物の巨躯を包み込んだ正六角形の集合体の殻によって、その全てが炸裂する前に淡い光となって消え失せる。
「ああ、そういや魔族にゃこいつがあったな」
高位の魔法であってもその殆どの威力を消失させられ、それ以下の魔法は問答無用で掻き消される【反魔相殺陣】の魔法は、人間にとっては準戦略級魔法だが、古代龍や一部の高位魔族にとっては鼻歌交じりの児戯でしかない。
ヴェスカルの展開する魔法が、重なり合ってどれほどの破壊力を発揮しようとも、一発は所詮は低位の魔法を組み合わせただけのもの。それがいくら集まろうとも、怪物の展開する結界を突破する事は不可能だった。
ただしそれは、魔法による事象だけに限られるのだが。
「デレク!」
相棒の呼び声に応じるように、無効化された魔法の残滓である燐光が撒き散らされ辺りを照らす中で、光を遮り影ができる。
その不穏な影に怪物が視線を上げ、素早くその場から動き出す。
「ゲヒャッ!?」
上空から切っ先を下に向けて怪物へと降り注ぐ、無数の鋼の武器の雨から逃れたと思った矢先に、ヴェスカルの魔弾と同様にそれらは不自然な軌道を描き、その後を追う。
自然落下はおろか、投擲したとしてもあり得ない道筋を刻んだ鋼の群れは、結界に一切反応する事なくすり抜け、打ち合わせでもしていたかのように、その全てが怪物の甲殻に覆われていない首の付け根に突き刺さる。
「アカッ、アキャッ、イテタ……!」
腕を動かし、突き刺さった鋼の武器を引き抜き、憎悪の目で下手人であるデレクを睨み、投げ返そうとする。
しかし、苦痛に妨害されて結界が揺らいだ一瞬の隙を狙い、再びヴェスカルの連弾が襲い掛かる。
爆煙に巻かれる中で、忌々しそうに結界を張り直せば、今度はデレクの投擲が追尾性を持って襲い掛かる。
「グルグル、エグエグ……」
4つの眼が個別にめまぐるしく蠢き、大口が引き伸ばされる。
人の身には不可能な気色の悪い動きを、不思議と堪忍袋の緒が切れた事を表していると番人達が理解できたと思いきや、弾ける音と共に青白い閃光が撒き散らされる。
怪物の額に当たるであろう部位から伸びる、一本角の先端部。
そこには異音と閃光の元凶である帯電した光球が現れ、紫電を放っていた。
「やっべえ!」
一目で危険性を理解した2人が各々の方角へと跳び去るのと同時に、限界まで溜められたそれが放たれる。
軌道上にあったヴェスカルの魔弾をその余波で消し飛ばし、デレクの鋼の武器を瞬時に溶解させたそれの先には、全力で退避を続けるデレクの姿。
標的にされた事を理解したデレクは、瞬時に自分の前に巨大な壁を顕現させる。
魔法で生成したにしては余りにも精巧で、かつ分厚く、大き過ぎるその壁の表面には、十字架の前に跪いて祈りを捧げる聖母を模した金細工が刻まれていた。その聖母に雷撃が直撃し、弾ける。
自分が生み出した防壁を過信せずに退避を続けていたデレクが目にしたのは、壁の7割以上を消失させて爆ぜた雷撃が、数十の鎖となって周辺を駆け巡る光景。
石畳みを削りながら蛇行し、空を焦がしながら橋を架けるそれらは、進路を遮る物を容赦なく破壊し暴れ回った。
「グフッ、ヌフフッ……」
その一発の反撃が齎したのは、夥しい破壊の惨状と、誰にでも理解できる形勢の逆転。
それを理解しているかのように、怪物は追撃は行わず、哄笑を上げる。
「とん、でもねえな……」
左腕を押さえたヴェスカルが、その光景を目に呆然と呟く。
たった一条の雷鎖が掠めただけで、その腕は血液が気化して内側から弾け、随所が炭化していた。
それでもウフクスス家の師団員以上に支給されるジャケットを着ていたからこそ、その程度で済んでいた。それが無ければ、腕は跡形も無く消し飛んでいただろう。
「初撃だけならば、防壁を使い捨てるのを前提で防げるだろうが、二段構えだったとはな」
腕の痛みが徐々に引いて行くのを感じ取り、ようやく近くにデレクが来て、治癒魔法を施している事に気がつく。
吹き飛んだ骨と肉が再生され、その上を皮膚が覆って行き、失った血が補充される。余裕のつもりか動かない怪物を尻目に治療は進み、腕は完全に元通りとなり、僅かな痺れを残すのみとなる。
「お前って神殿の信者だったっけ?」
腕を振って具合を確かめながら、先ほどデレクが生み出した、王都内に建てられている神殿の外壁の一部を思い起こし口にする。
「まさか。ただ、並みの要塞よりも遥かに頑丈で便利だから再現しているだけだ。ああもあっさりと突破されたのは予想外だったが」
青い粒子となって消えて行く防壁を眺め、分析を重ねる。
「範囲自体は大したものではない。発動前に全力退避ができれば、範囲外に逃れるのはそう難しい事ではない」
「問題なのは威力って訳ね」
「ああ」
デレクが言った、発動前に退避をするという案自体が困難である為、実質的に範囲外に逃れるのは不可能だろう。
その為対応するのが前提となるが、それもまた困難を極める事を、両者はよく理解していた。
「費やされている魔力量から推察するに、初撃の威力は戦略級魔法か、それ以上。二撃目は個人でも十分に再現は可能だろうが、数が多過ぎる」
「んなもんを気軽に使いやがんなよ、クソったれが。デレク、さっきの防壁、あとどれくらい複製できる?」
「……先ほどのと同じものであれば、4回ほど。少し規模を小さくしたのであれば5回くらいか」
「思ったよりもキャパ喰うのな。まあ、それなら何とかやってけない事もない。確実にやるには一手足りないがな」
「やるしかないだろう」
その低い勝率は、あくまで現状の時点における数値であり、相手の手の内はまだ残されている可能性が高い。
一気に不利な状況に追い込まれた事を自覚していて尚、2人の士気には些かの衰えも無かった。
「作戦ハ、立テ終ワッタ?」
「ッ!?」
ニチャリと舌を出して笑った怪物が、片言の言葉を紡ぎ、2人の動きが止まる。
「……野郎、化物の外見のくせに、人語まで解するかよ」
「面倒ごとが増えたのは事実だが、関係ないだろう」
しかしそれも文字通り一瞬の事で、すぐに気を取り直す。
「ああ。秩序を乱すクソ野郎は……」
「死をもって贖わせる!」
術式を紡ぎながら走り、身体強化に反射速度の向上、魔力抵抗力上昇等の魔法を全身に施して行く。その通常時と比べて大幅に強化された動きでもって距離を詰め、怪物の伸ばされる腕を掻い潜り、その体に鋼の一撃を見舞う。
装甲の隙間に潜り込み、肉を斬り裂き、青い血が噴出する。深追いはせずに一端退がり、ヴェスカルの連弾が牽制する隙に距離を取り、結界が張られる瞬間を見極めて再び接近する。
「イタイ、ダロ……!」
体を傾けて頭部すれすれを薙いで行く腕を躱し、更なる一撃を加える。決して畳み掛けようとはせずに、一撃を加えたら離脱を繰り返し、小さくとも着実にダメージを重ねていく。
「ググ、グググ……!」
何度目かの攻撃を加えた直後に、怪物が呻き声を上げ、翅を広げる。
何かが来ると、番人たちが距離を取って見極めようと距離を取り始めた瞬間、耳障りな甲高い悲鳴のような音が鳴り響く。
「ぐあッ……!?」
「ぐうッ……!?」
翅同士を震わせ擦り合わせる事で発生させる高音に、2人は堪らず耳を覆い硬直する。そんな2人を他所に、怪物は笑いながら打つ手を重ねる。
「【闇縛】」
怪物が作る影が持ち上がり、花弁のように開いたかと思うと、一気に伸びる。
数百、下手をすればそれ以上の数にも上る帯の束が高速で空を駆け、動きの止まる2人を捕らえんとする。
それを見た両者の判断は早く、デレクは手に細長い釘を生み出して耳に突っ込み、鼓膜を破って退がる。その後を追う帯も、新たに生み出した剣で持って斬り裂き払う。
一方都合の良い物を持ち合わせていないヴェスカルは、至近距離で爆発を引き起こし、その勢いでもってその場から緊急離脱。さらにその際の衝撃波でもって鼓膜を破き、体勢を立て直す。
「【伽藍浄獄炎】」
さらに追いすがろうとする影の群れを、天壌の業火で焼き払い、距離を取る。
だがその全てを躱し切るには数が多すぎ、またデレクと比較して身体能力が低いヴェスカルは抵抗を続けるも、一本の帯に足を絡め取られたのを契機に全身を捕縛され、持ち上げられる。
「ザ~ンネン」
四肢に力を込めて脱しようとするも、どれほど強靭なのか、一向に引き千切れる気配も無い。そんな抵抗を無駄と嘲笑い、怪物が角に電撃を溜め始める。
その狙いが何なのかは、誰が見ても明らかだった。
「ヴェスカル!」
「来るな!」
剣を手に救援に駆けつけようとするデレクを制し、覚悟の決まった表情で言い放つ。
「あのクソを殺すには戦力が足りねえ! お前は一端退いて、応援を呼べ!」
その言葉が終わるのと同時に雷撃が放たれ、ヴェスカルを呑み込む寸前に虚空に発生した大量の水塊と衝突。水を蒸発させて爆発を引き起こし、その衝撃で身動きの取れないヴェスカルの全身に裂傷を刻む。
「その必要は無いかもしれないね」
続けて水蒸気を裂いて躍り出た乱入者が、腕を振り、圧縮された水流を放ち拘束を斬り裂く。
拘束を解かれて自由を得たヴェスカルが落下。その途中で持ち上げられ、適当な建物の上まで移動させられる。
「僕が助力してあげるかもしれないからね」
乱暴に投げ出されたヴェスカルが顔を持ち上げ、自分の命を救った相手を見て、動きを止める。
色の濃い藍色の髪と碧眼。見る者になぜか氷のような印象を抱かせる美貌を持ち、ウフクスス家の師団員に支給されるジャケットを身に纏っている。
そしてその胸にあるエンブレムの裏には、所属を示す2の数字が刻まれている。
「シェヴァン……!」
次回予告
前座が幕引きへと歩を進めた時、覚めた筈の悪夢が再び姿を表す……みたいな。




