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死神vs諧謔 後編

 



 周囲には分厚い氷に覆われた地面が広がり、視界の大部分を占めている。

 一方で、とある境界線を境に煮え滾る湯によって形成された湖が、あるいは溶解した地面によって生み出された溶岩が波打つ火口が点在し、上空より降り注ぐゲリラ豪雨を受け入れては耳障りな蒸発音を上げ、小規模な爆発を引き起こす。

 深く穿たれた奈落の底には、地上にまで火柱を上げる炎が燃え盛り、あるいは見上げるほどに隆起した土柱の上部には雷雲が纏わり付き、轟音と共に雷鳴を発生させている。


 そんな歪な環境の1つ1つを、常に視界の中央に【諧謔】を置きながら、併せて観察する。


「1つ、警告だ……」


 慎重に足を動かし、牛歩の如き速度で弧を描くように移動を始める。

 一歩踏み出しては氷に足を掬われぬように地面を踏み締め、同時に足下の氷原の大よその状態を密かに、可能な限り探っていく。


「おれ自身に、お前とこれ以上戦いを続ける理由は無い。今退くのならば、大人しく見逃してやる。だがこれ以上続けるなら、命の保証はしねえ」


 少し前まで打つ手が無く、一方的に追い詰められていた者の言葉としては大よそ相応しくない。

 逆を言えば、それまでと違い今のおれにはそう言えるだけの、何かしらの決定的な手札があると暗に言っているとも取れる。


「ハァ……」


 それに対して、戻って来たのはくぐもった呼気の音。


 眼前に剣を構えた瞬間、全身を打ち据える衝撃が襲い掛かり、踏ん張りが利かずに滑り転がる。

 ようやく剣を支えに停止し、立ち上がったところに、新たに生み出され跳び掛かって来た従魔を拳で迎え入れる。

 吹っ飛ばされた獅子は、表現の上を面白いように滑って行き、ようやく止まって立ち上がろうとしては、足を取られて再び転倒する。


「そう都合良くはいかないか」


 こちらの言葉に警戒心の1つでも抱き、攻め手が慎重になってくれれば御の字だったが、そんな事は知らんと言わんばかりに従魔を嗾けられる。

 とはいえ、少なくともこの氷原上に置いては、この従魔共は先ほどと比べればそこまでの脅威にはなり得ない。骨格だけで質量が人間の子供よりも軽い為に、摩擦力が非常に弱いのだ。それまでの俊敏で精密な動きは到底望めない。


「お前の言葉に対する返答だが……」


 従魔の無様な動きとはまるで違う、荒々しくも安定した動きで距離を詰められる。


「寝言は寝て言え……こういう状況下では、これが最も相応しいか?」

「知らねえよ!」


 剣を持つ両手が、そして全身が、相手の剣撃の重さと衝撃によって痺れそうになる。

 何より、足下の氷のせいで踏ん張るという行為が全くできない。つい先程と同じように足を取られ、受け止めた剣撃の勢いのままに吹っ飛ばされて転がる。


 一方【諧謔】の動きは、そんなおれとは対照的なもの。こっちが身を起こし、体勢を立て直そうとしている間も容赦なく追撃し、間合いを正確に支配して剣を振るう。

 上段からのその一撃は辛うじて受け止められるが、今度はその圧力によってその場に強制的に縫い留められ、そこに容赦なく二撃目が叩き込まれて肩口から右肺の半ばまでを割られ、間髪入れずに腹部に重い蹴りが叩き込まれ、アバラが折れる感覚と共に水平に吹っ飛ぶ。

 それらの傷も即座に修復が始まるも、代わりに苛立ちと驚愕が入り混じったものが湧き出す。


「まさか、もう適応しやがったのか!?」


 実際のところ、氷原上を自由自在に動き回る事は不可能ではない。極端に摩擦が効き辛いというだけで、全く効かないという訳ではないのだ。その小さな摩擦範囲内で動けば、足を取られる事も無い。

 事実エルンストは、過去に魔界の氷原の上を平然と動き回っていた。その時にどうすれば良いのかを掻い摘んで教わったが、早い話が慣れだ。


 おれとて、エルンストのように瞬時にとは言わないが、時間を掛けて足場の大よその状態を把握できれば、どうやって重心を動かせば平地と同様に動き回る事ができるのか、それを理解するのは十分可能だ。よしんば完全に理解できなくとも、時間を掛けて確認すればするほど、動き易くなる。

 完全にとは言わないが、少しでもフットワークで優位に立てればという目論見だったのだが、即座に崩れ去る。


 質量が大きければ摩擦力もそれに比例する。例え原材料が骨であったとしても、全身装甲の【諧謔】の総重量は少なくともおれの倍はあると見積もっていた。その点においておれがこの足場上で不利だというのは自覚していたが、こうも早々に圧倒的差を見せ付けられるのは想定以上だった。

 いくら重いと言えど、あんな碌に足場の確認もできていない状態でここまで適応できたのだとしたら、センスが高いなんてレベルではない。


「いや、違う……」


 再三の接近を許し、それを剣で迎撃したところで、種に気が付く。


 剣と剣とがぶつかり合い、その衝撃にまた転倒する事を覚悟するも、良そうに半して【諧謔】はビクともせずその場に踏み留まり、結果としてそれを支え代わりにする事となったおれもまた、その場に留まる事となる。


「ザグバと同じ移動法か」


 氷を力任せに踏み抜く事で穴を空け、安定した足場を作ると同時に、その反発力で突進する。直線的な移動しかできなくなるが、足を取られる事も無くなる、忌々しいぐらいに理に適った移動法だった。


 かと言って、同じ手をおれが取るのは愚策だ。元々の動きに差がある上に、質量でも劣っている。移動を直線に限定してしまえば、その差は如実に現れる。


「台本に……こんな展開は無かった」

「そりゃそうだろうよ!」


 直線の動きで来ると分かっていれば十全に対処は可能。右眼を駆使して進路を見切り、最小の動きで回避し、擦れ違い様に剣撃を叩き込む。僅かに自分の体も流れるが、許容範囲内だ。


「ド三流の書いた脚本なんかじゃ、役者も納得しねえだろうからな!」

「役者か……ハァ……」


 骨剣が地面を抉り、無数の氷片が礫となって飛来する。

 的確に目に入り込んで来ようとする軌道を描くそれらを、間に手を翳して阻む。直後に鋭い痛みが走り、体が持ち上げられる。


 あっさりと放り投げられ宙を舞ったおれが見たのは、おそらく直前におれの手に刺さり、そして抜け落ちた、骨を原材料としたナイフ。

 嫌らしい事に返しの付いたそれの末端には、同様に骨によって作られた鎖が繋がっており、その端は振り抜かれた【諧謔】の手に握られていた。芸が細かすぎる。


「役者など最初から居なければ、ありもしない」


 落下して立ち上がると、左腕に畳み掛けるように痛み。見るよりも先に【諧謔】が動き出し、回避しようとして腕だけがその場に留まろうとし、結果的に動けず切断された左腕が飛ぶ。

 【諧謔】が行った事は単純。少し前に蛇を用いた土中からの奇襲を、骨鎖を代わりに用いて仕掛けただけ。それが腕を貫き、おれを一瞬だけ固定した。


「あるのは駒だけだ」


 追撃を跳躍して回避したところを、振られた剣は更なる円弧を描いて追尾。併せて急伸張し、剣腹の盾が殴られ、片手だけで受け切れる道理も無く吹き飛ばされる。

 咄嗟に打点をずらす事で、辛うじて吹っ飛ばされる方角だけはコントロールし、上手い事転がった腕の傍に降り立ち、拾い上げて切断面を合わせる。再生は即座に始まり、耐え難い痛みと熱と引き換えに癒着。切断前と比べ遜色なく動く左手も合わせて両腕で剣を握り、【諧謔】の三の太刀を受け止める。


「こちらが描いた筋書きと、それを現実に表す駒さえあれば良い」


 白濁した鎧の下から、循環させようと注ぎ込まれ、流れに乗り切れずにはみ出た魔力が色濃く漏れ出し、力任せに押し込まれ後方へと滑る。させるかと抗い、地面を割り砕いて踏み止まるも、背面からは足下からの冷気と相反する熱気。これ以上押し込まれれば火傷を負う事は必至だ。


「それ以外、今は何も必要ない」


 圧力に抵抗し、無理やり剣を振り抜く行為に相手は抗わない。代わりに鈍重そうな見た目に反した身軽な動きで地から離れて宙に一瞬留まり、縦方向に回転。

 上段からの遠心力を乗せたその凶悪な一撃を、剣身に手を添えて掲げ受け止める。直後に凄まじい衝撃が襲い、左腕の半ばから折れた骨の先端が飛び出し、また全身から嫌な音と感触が伝わり、喉奥から血が溢れ出る。


 重圧で強制的に縫い止められたところに、容赦なく拳が叩き込まれる。

 少しでも気を緩めれば、即座に上方からの刃で体が両断される状態で対応できる筈もなく、されるがままに拳が体に埋まり、嫌な感触が激痛と共に刻まれる。かと思えばすぐに拳は引かれ、再び叩き込まれる。


「ぐッ、ごぱッ、ぎッ、がぎッ、ごぁッ!?」


 一撃ごとに襲い掛かって来る衝撃と苦痛に意識が飛び掛け、そして実際に一瞬だけ飛び、次の一撃で引き戻される。

 それを何度か繰り返した後、拳が体に叩き込まれる瞬間を狙って後ろに跳び、吹き飛ばされる代わりにギロチンから脱する。


 だが一息つく間も無い。それどころか再生を待つ余裕さえも無く、追いかけて来た刃を斬り受け、返す刃で相打ちの形になりながら鎧の肩口に傷を刻む。一方相手の剣はこちらの胴を、途中の心臓を裂いて肩口から抜け出る。再生能力を手に入れた事を差し引いても致命傷の一撃。歯を食い縛って耐える。


 ほんの少しでも守勢に回れば死ぬ。だからこそ後退せず、さらに前進する。

 血を新たに造られる片っ端から体外に撒き散らし、その飛沫を破りながら剣を振り、円弧を描く相手の剣を叩き落とす。瞬間にできた僅かな空白を埋め、渾身の刺突を叩き込む。鎧に亀裂を入れ、尚も余る勢いのままに相手を後方へと追いやるが、その全力の一撃であっても相手の鎧は砕けない。


 吹き飛ばされた【諧謔】は氷原に轍を刻み、停止。半瞬後にすぐに距離を詰め、お返しとばかりに強烈な一撃を見舞って来る。

 負傷したおれにそれを受け切れるだけの余力はなく、体勢を大きく崩される。だが辛うじて、続く追撃の剣は他所に逸らす事に成功する。直後に視界の隅に動く影を捉える。


 竜を象った従魔が来襲。大顎が脇腹に喰らい付き、明後日の方向へと投げ飛ばされるついでに、腹部半ばまで食い千切られる。

 見上げた空が急激な勢いで流れて行くのも一瞬で、すぐ後には視界が不自然に固定され、背後から幾本もの骨鎖が胴体を貫き、おれを空中で磔刑にする。


「がッ、んのッ、容赦、なくなって、来たな、オイ……」


 息も絶え絶えになりながら、視界の隅にある【諧謔】の姿を睨む。


「何、か、癇に障りでも、した、か……?」


 それまでは喰らえば死に掛けるような攻撃こそして来たものの、確実に殺しに来てはいなかった。

 だがそれが、打って変わって攻撃に重い殺意が乗って来ていた。心臓を両断して来たのはその好例だ。再生する事を差し引いても、それでおれが死なない保障など、相手の中には無かった筈だ。

 にも関わらず、そんな行動を、それもそれまでとは比較にならないほど苛烈且つ容赦なく、畳み掛けて来ていた。


 まるで何かが琴線に触れたかのように。


「黙ってろ」

「がぎッ!?」


 さらに数本の骨鎖が、再生の始まった心臓を貫き、より固定を強固なものにすると共に内側から掻き回される。


「ご、んな、もの……」


 【諧謔】が突進し、距離を詰めて来る。手には当然のように、能力で作られた大剣を携え構えている。

 おれが身動きが取れないのを幸いに、両断でもするつもりか。さすがに真っ二つにされれば、再生以前に生き残れる気はしない。


 だが冷静さを失っているのか、それとも単に忘れているのか、いずれにせよ無用心過ぎる。

 纏っている分厚い装甲ならばともかく、たかが鎖程度が何本揃っていようと、切断するのは、


「児戯だ」


 手首の動きだけで剣を旋回させ、磔の釘代わりとなっていた骨鎖の全てを切断し、着地。体勢を整え終えたところで都合よく間合いに入った【諧謔】へと、仕返しの一撃を見舞う。


「ッ!?」

「ハハッ!」


 怪我とそれらの再生に伴う苦痛を堪え、腹の底から笑う。


 狙いは寸分違わず、右肘の関節部分に当たり、確かな手応えと共に刃が半ばまで埋まり抜け、景色におれのもの以外の赤が久しぶりに混じる。

 体を動かす都合上、どれ程装甲が厚かろうとも、どうしても関節部の強度には限界がある。今のベルならば、その程度の装甲を斬る一瞬の間に喰らう事は十分可能だ。


「どうしたぁ!?」


 氷原を踏み締めて反転。擦れ違いとなり、未だ背を向けている【諧謔】へと追撃を掛ける。


「動きにさっきまでの精細さがねえぞ!」


 見ずとも気配で察知したか、間に従魔が入り込み斬撃を阻む。だが代わりに、体節半ばから従魔を切断して排除し、その隙に反転した【諧謔】へと返す剣を叩き込む。


「まあ、それだけの荷物抱えて、あれだけ派手に動き回れば当然かもな」


 鋼と比べれば圧倒的に軽いと言えども、重騎士と比較しても圧倒的な重装備に身を包んでいれば、その総重量は馬鹿にならない。当然、行動に伴う負担も、高機動戦闘を主眼に置いたおれと比べれば激増する。

 ましてや、一連の戦闘で【諧謔】が負ったダメージは決して軽いものでは無い。特にザグバを真似た、地脈の解放による一撃は、咄嗟に能力で傷を塞いだと言えど、出血量も少なくない筈。

 そこに加えて、この氷原という足場に適応させた、ザグバのそれと同じ膂力にものを言わせた強引な移動法も、一役買っている。


 それだけの要素がありながら、疲労の1つも感じない筈が無かった。


 忌々しい話だが、単純な剣士としての技量だけでみても、こいつはおれと比肩する。

 さらには、おれが純粋剣士であるのに対して、こいつは全身装甲に加えて高練度の能力も併用して戦う。戦闘において大きく比重を占める重要な要素のそれぞれを抜き出し比較した場合、その殆どにおいてこいつに劣っている。

 そんな戦力差の中でようやく見出した、一筋の光明。それに付け入るのは至極当然の事であり、卑怯とも恥とも思わない。


 だが足りない。

 例えその一点だけで優位に立とうとも、それ以外の要素にて付けられている差を覆せるほどのものではない。


 だから更なる一手を打つ。積み重ねてる。

 怒りや憎悪を押し殺し、合理的判断の元に割り切り、利用する。


「ッ……!?」


 相手からすぐに戸惑いの気配が伝わって来る。即座に気付けたのはさすがとしか言いようが無い。

 しかし一瞬だけとはいえ、唐突に安定した足場・・・・・・・・・に対して【諧謔】は適応できず、動きがハッキリと乱れる。

 対しておれは、その一瞬も無く、完全にその瞬間から適応できていた。当然だ。そうしたのはおれの仕業なのだから。


 【諧謔】の全身装甲を前に、おれの扱う右眼の権能は全く意味を為さない。だが【諧謔】ではなく、周囲の環境ならば話は別だ。

 互いの動きに制限を掛けながらも、同時に【諧謔】に優位性を齎していた表現の足場。その根本的な原因である摩擦力を入れ替えれば、条件は互角となる。


 だが足場の条件が互角になると事前に分かっていたおれと、それを知らなかった【諧謔】との条件は互角ではない。

 おれに対してそれが優位性を齎すのは、その事に相手が気付くまでの一瞬のみ。その一瞬があれば十分だった。


 それまでと比べて、明らかに動きの乱れた【諧謔】の突貫をいなし、それとは対照的に安定した動きで回り込み、これまでで初めて相手の背後を完全に捉える。


「落ちろ!」


 背後からの刺突を受け、同時に入れ替えた摩擦力を再び元通りにした事で、相手が思っていた以上に【諧謔】の体は地を滑り、そして踏ん張り切れずに落ちる。

 先ほどまでおれが背にしていた、喉奥より烈火の手を伸ばしていた、奈落の大口へ。


 この環境そのものは、あくまでアベルの能力を用いた戦闘による余波で生み出されたものであり、例え【操骨】による鎧であろうとも、無効化する事などできる筈もない。

 それでも【諧謔】自身の保有する魔力と、分厚い装甲の性能はこの業火の中での生存はおろか、活動さえも可能にするだろう。相当な深さを誇るこの穴であっても、能力を駆使すれば這い上がるのは然して手間も掛からない。


 それを考慮すれば、溶岩で満たされた穴の中に落とす方が効果的だっただろうが、そちらに対する【諧謔】の警戒心を鑑みれば狙うのは悪手だ。

 さらに付け加えるならば、ここに存在する水場は前回落とした渓流のように激しい流れもなく、例え浮かぶ事ができずとも、やはり簡単に這い上がる事ができただろう。


 故に、これで問題がない。これでも目的は十分に果たせる。


「火加減はどうだ?」

「…………」


 思っていたよりも体力の消耗が激しいのか、あるいは元々の体力が推定よりも少ないのか、想定していたよりもやや遅く這い上がってきた【諧謔】を迎え入れる。

 どうやら穴の底は思っていた以上の高温だったようで、対峙しているだけで皮膚を炙られる熱気に晒される。鎧の内側は、さぞかし熱い事だろう。


「ところで、これは何の関係もない、純粋な疑問なんだがよ……」


 無言で剣を構える【諧謔】に対して、おれも剣を構えて応じる。


「お前、傭兵になってからどれくらい経つ?」


 言葉通りの、純粋な、だが重要な疑問だった。


「推測だが、案外お前は、傭兵として生き始めたのはごく最近の事なんじゃないのか? おそらく懸賞金を掛けられ始めてから数年は後、下手したらここ1、2年以内だ」


 長くても5年か、6年か。間違っても10年は超えないだろう。


 返答は瞬間的な踏み込みからの斬撃。それを迎撃したかと思えば、表現に動きを制限されない、竜を模した従魔の顎が迫り、翻った剣による追撃。

 何度目かの想定以上か、灼熱の穴底に落ちた事は少なくない体力を削ったようで、息をつかせる間も与える気はないという意図が感じられる、短期決戦を主眼に置いた怒涛の攻めを重ねて来る。


 その攻めを剣で受け、回避し、あるいは心臓が齎す再生力にものを言わせて凌ぐ。


「おれがそんな疑問を抱いたのには、理由があってな」


 顎が肩口の肉を抉り、再生し切る前に傷口から胴を凪ごうと迫る剣の側面を捉え、剣を叩き付ける。


「ッ!?」

「突発的な事態に対する反応が遅えんだよ!」


 それまでの応酬よりも格段に力を込めた斬撃を受けて、骨剣は粉々に砕け散る。

 自らの、それも今のおれの状態を考慮して通常時よりも格段に強度を上げた筈の得物が原形すら留めずに粉砕されるという事態に、再度【諧謔】の反応が遅れる。


 すかさず剣を返し、防御の為に間に入ってきた背部より伸びる2体の従魔も漏れなく粉砕し、得物を引き戻す手間も惜しんで離した左の貫き手を、がら空きの腹部へと突き込む。


「ゼンディルの研究成果には、一般公開されている最低限の分でも目を通しとけ」


 それまでならば、こちらの拳が砕け、最悪腕全体の骨にまで異常をきたしていたであろうその行為の結果は、装甲とは思えないぐらいにあっさりとした手応えと共に鎧を粉砕し、その下にあった肉を穿ち背面へと抜け出る。


「ごッ――!?」

「骨ってのは、主に硬度を齎す成分と、柔軟性を齎す成分の2種からなるらしいな」


 腕を貫通させる事こそできたものの、そのまま相手を持ち上げる事は重量的に困難な為、代わりに引き戻した剣撃でもって腕の装甲を粉砕、肩から切断し、ついでに【諧謔】自身を吹き飛ばして血に塗れた腕を引き抜く。


「このうち後者は、熱に極めて弱いらしく、熱に晒されるとその性質を失うんだそうだ。すると硬くとも柔軟性を持たないだけの、張りぼてが完成する」


 あくまで【操骨】の能力は、既存の術者の骨格を増大、操作するのみであり、無から骨を生み出す訳ではない。ならばいくら変幻自在のものになろうとも、根本的な性質は変わらない。

 それ故の厄介な装甲と数的優位を齎す従魔の存在が両立できた訳だが、後者はこの足場によって封じられ、そして前者もまた、たった今完全に無意味と化し、決して浅くはない損害を与える事ができた。


「ごほッ……」


 くぐもった咳が聞こえ、頭部と胴体の装甲の隙間から、開いた穴からのものとは別に血が溺れ落ちる。

 重要な臓器を傷付けたのか、膝をついた状態であっても、その姿勢は安定していない。

 仮に傷を塞いで出血を抑えたとしても、戦力の大幅な低下は免れない。そうでなくとも、腕を無くしている。


 少なくとも他の【レギオン】の団員並みの歴戦の傭兵だったら、各々が積み重ねて来た経験を元に、似たような事態に陥っても被害は最小限に抑えられた筈だ。

 だがこいつは、おそらくは実戦において、今までに装甲を完全に破られた事は無かったのだろう。能力とその練度を考慮すれば無理からぬ事かもしれないが、それ故に初めて遭遇した事態に対して、手探りで対応するしかなく、結果一瞬にして圧倒的優位から劣勢にまで陥る事となった。


 そうしてようやく掴んだ勝機を、引き寄せる為に畳み掛ける。


 距離を詰められた瞬間に、新たに剣を生み出して対応したのはさすがだ。

 だがその選択はハズレだ。接近した目的は別にあった。


「か……ッ!?」


 接近した際に、腕を抜き取る時に鎧の断面に引っ掛けておいた、近付かなければ視認も困難な極細のワイヤーを右眼で視る。

 その瞬間から小規模な爆弾と化したワイヤーは、鎧が帯びていた熱で自動的に炸裂し、修復の始まっていた鎧を再度粉砕し、傷を残酷に搔き回す。


 堪らず崩れ落ち、放っておいても意識を失って倒れる公算は高いだろうが、禍根を残しかねない。やるからには徹底的に、且つ、確実に滅する。


「ベル!」

『ようやく出番カ』


 上段に剣を掲げ、振り下ろすのと同時に吐き出させる。


 存分に魂を喰わせて力を大きく取り戻し、【諧謔】の装甲を散々削り取り、更に少し前には地脈の一部を喰らった状態からのありったけの一撃は凄まじく、地脈の解放の一撃に勝るとも劣らない衝撃と震動を爆光と共に撒き散らし、僅かな間、視覚と聴覚を奪い去る。

 同時に全身を虚脱感が襲い、暗闇の中で剣を支えに膝をつき、感覚が元通りになるのを待つ。


 失った感覚を取り戻して目撃したのは、視界の果てまで続く巨大な地割れ。

 幅は数メートルにも及ぶ一方で、その深さは覗き込んでも底が見えない程に深く、仮に自分が落ちれば、生存は絶望的であろう事は容易に想像がついた。


「…………」


 目を閉ざして感覚を研ぎ澄ませるも、魔力の奔流は余程大規模だったのか、地割れの感覚の届く限りの深度はその残滓で満ちており、魔力探知がうまく行かない。

 だが、いくら驚異的な抵抗力を誇る装甲であっても、限度がある。事実、万全の状態であってさえ、地脈を解放した一撃には耐え切れず、大きなダメージを負う事となった。


「ひはッ……」


 しかも要の装甲は熱によって著しく脆化しており、さらには腹部には大きな風穴まで開いていた。そこに地脈の解放の一撃に勝るとまではいかないにしろ、それに近い奔流に呑み込まれたのだ。仮に脆化した装甲が役割を果たせたとしても、開いている風穴まではどうしようもない。

 普通に考えれば、まず助からない。そして、もしおれの知らない要素が重なって命を繋げたとしても、やはりこの底の見えない深さを落ちれば墜落死は免れない。


「ひははははははははははッ! ザマァ見やがれ!」


 燻っていたものが一気に燃え上がり、塵となって行くその感覚に胸がスッとする。

 忌々しい奴が視界から消え失せた事。そしてそれがこの世からの消失と同一であるという確信に、堪え切れない爽快感に満たされる。


「でもまあ仕方ねえよな、おれの邪魔をしたんだからよ! 当然の報いだ!」


 自分でも驚くぐらいに、感情の制御ができていない。

 その事が奇妙に思えなくもないが、まあどうでも良いだろう。少なくとも現状が爽快な事に間違いはない。


「ああ、そう言えば素顔を見ておくのを忘れたな」


 ようやく感情が落ち着き、内側に留められるようになって思い出す。

 同じ傭兵団内においてすら知る者は居ないとまで言われていた奴の素顔は、さぞかし希少だっただろう。どれほどの美貌だったのか、あるいは醜貌だったのか、興味が無かったと言えば嘘になる。


 だがそれもどうでも良い事だろう。死んだ奴に思考を割く価値など無い。割くだけ無意味だ。


「これでやっと……」


 本来の目的に戻れると、さっさと踵を返して、止まる。

 ちょうど振り向いた瞬間に、目の前に新たな影が落ちて来る。


 地面に降り立った速度に反して、着地音は酷く軽やかであり、落下して来たというよりは舞い落ちて来たと形容するのが相応しい。

 だが、見ればそんな身軽な動作は矛盾していると疑いを持たざる得なくなる持ち物が1つ。

 おれの身の丈以上もあるであろう鈍重な大剣が、片手で軽々と担がれていた。


 そしてその得物には、見覚えがあった。

 忘れる筈も無い、この世にただ1つしかない筈のそれが、目の前にあった。


「エルン――」


 衝撃的な光景をたっぷりと時間を掛けて認識し、気が付いたら言葉が口を突いていた。

 そしてその言葉を紡ぎ終えるよりも先に、体の中へと、鈍色の刃が埋まって行くのが分かった。










次回予告

番人たちは束の間の静寂を闊歩し、狂宴の序曲を展覧する……みたいな。

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