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色欲王

 



「近寄るな……か」


 端的で分かりやすいね。分かりやすくて、意図の曲解のしようのない、明確な拒絶の言葉だ。


 別に腹立たしいとは思わない。憎いとも思わない。そんなの、ただの逆恨みだ。

 彼のその意思は、気持ちは、紛れもない正当なものだ。

 最初に騙したのはボクの方で、騙し続けていたのはボクの方で、それを自らネタバラしした訳でも無くて、自ら告白して許しを乞うた訳でも無くて。

 彼が知らないのを良い事に、その事実の上に胡座をかき続けていたところに彼に真相を知られて、騙していた事を知られて暴かれただけだ。


 彼は何も悪くない。何1つとして悪くなんかないんだ。

 悪いのはボクだ。


 そうだ、全てボクが悪い。

 我が身可愛さに、自分勝手で酷く我儘な理由で臭いものに蓋をしていたボクの責任だ。

 自業自得で、身から出た錆だ。


「あは、あははははは……」


 そもそも、ボクは何に対してそんなに動揺しているのだろうか。

 客観的に分析してみれば、単に人間の1人との縁が切れた……ただそれだけの事じゃないか。


 ただそれだけの事だ。何ら感慨を抱くような事ではない。

 矮小な、ただの人間からの評価など、気にする価値さえもない些事だ。


「あははははははははははははははははははは、はははは、はは……」


 それだけの事の……筈だ。


 その筈なのに、何でこんなに辛いんだろう。

 何でこんなに虚しいんだろう。

 何でこんなに痛むんだろう。

 何でこんなに喉奥からこみ上げて来るんだろう。


 何で、何で、何で……。

 どうしてこんなに……。


「……分かってるさ」


 分かってなかったという事を、分かってる。

 自覚が足りなかったという事を、分かっている。


 所詮ボクなんて、そんなもの。

 彼女が言ったとおり、自分にしか真価を発揮できないその権能こそが、ボクの本質を物語っているんだろう。

 自分が可愛いから、何をするのも自分の為だから、自分以外のものを捨てざる得ないんだ。


「居たぞ!」

「人間、か……」


 ガチャガチャと、物々しい装備で身を固めた連中が、大量に駆けつけては取り囲んで行く。

 総数は優に数百……もしかしたら、1000にも届くかもしれない。


 それだけの数の人間が、あからさま過ぎる敵意と殺意を共通させて叩きつけて来る。


 あとは軽蔑や嫌悪感、中には憎悪といったものさえ宿していて、それをボクに対して隠そうともしていない。

 いずれにしろ、この人間たちがやろうとしている事は、理由が違うだけで変わらない。


「油断するな、相手は相当高位の魔族だ。確実に滅するぞ!」

「ボクはいま、最高に機嫌が悪いんだ……」


 彼らは何だったか……彼の知識によれば、確か神殿騎士、そんな存在だった筈だ。


 この場合はどうすれば良いんだろう。大人しく逃げるべきかな。余り事を荒立てたくない……いや、待てよ?

 何でボクが、そんな事に気を使わなきゃいけないんだ?

 彼らは人間で、ボクは魔族だ。彼らにとってボクら魔族は排斥対象で、同時にボクら魔族にとっては彼ら人間なんて取るに足らない存在だ。


 何だ、どこにも遠慮する必要なんて無いじゃないか。誰にも気を使う必要なんて無いじゃないか。


 なら、殺そう。1人も残さず皆殺しにしよう。

 自分たちが殺しに来ているのに、自分たちが殺されるのは許されないなんて勝手な理屈は通用しない。

 ちょうど機嫌が悪いし、色々と鬱憤が溜まっている。

 さぞかし丁度良い気晴らしになるだろう。










「油断するな、相手は相当高位の魔族だ。確実に滅するぞ!」


 派遣された神殿騎士団の団長を務める男が、声を張り上げて警戒を喚起させ、同時に味方を鼓舞する。

 男は今までに2桁に上る回数の魔族戦をこなし、高位魔族さえ打ち滅ぼした事のある、言うなれば対魔族戦のエキスパートだった。

 故に知っていた。高位の魔族が相手ともなれば、例え自分たちが精鋭のみで構成された1個大隊――1000人の騎士の集まりであろうとも、最悪全滅さえあり得るという事を。

 同時に、油断せずに堅実な手を積み重ねていけば、犠牲は伴うものの確実に打ち滅ぼせるという事も。


「ボクはいま、最高に機嫌が悪いんだ……」


 何故彼らがこの場に居るのかと問われれば、先程起きた、過去の映像の投影が原因に他ならない。

 その尋常ならざる出来事に不信感を抱いた神殿勢力は、即座に王都の精査を開始。

 魔族と人間は根本的に構造が異なっており、体構造の大半が魔力で構成されている。それ故に、その条件で探査魔法を使えば、吸血鬼のような元が人間であったという例外を除けば、高確率で網に引っ掛かる。

 もっとも、時たま保有する魔力量の多い人間も引っ掛かる為、反応があって現場に向かって実際に魔族が居たといつケースは稀だが、今回ばかりは正しかった。


 もっとも、アスモデウス自身は今回の事態の原因では無い為に、誤解と言えばそうとも言えるのだが。


「先頭から第3列まで構え! 第4、第5列、補助を! 以降は詠唱を始め!」


 声に呼応して、扇状に展開された部隊のうち、前衛の部隊が手に持ったタワーシールドを等間隔に構え、反対の手に握った突撃槍を戦列の隙間から突き出し腰を落とす。

 合わせて中衛部隊が術式を紡ぎ、前衛の武具に対魔の魔法を施し、また本体に身体強化の魔法を施す。

 さらには後衛の部隊が隣の者同士で連携し、幾つもの大規模魔法を準備していく。


「突撃!」


 号令に従い、前衛の騎士たちが雄叫びを上げながら突進する。

 全身を包む甲冑に生半可な魔法や物理攻撃は無意味で、勢いの乗った刺突は大抵の壁を穿ち、迎え討とうとする者たちをじゃりのように跳ね飛ばす。

 しかも一切の淀みもない、一列に揃った波状攻撃を前に、逃げ場は後方しかない。そして後方に逃げようとも、騎士たちは容赦無くその後を追い、穂先に捉えるまで追い続ける。


 基本的に高火力の魔法によるゴリ押しを戦法としてくる高位魔族にとって、その戦法は厄介極まりないものだった。

 強力な魔法を放とうとも、その威力の大半を減殺され、残る威力では仕留め切れない事が多い。そして一撃で殺し損ねれば、即座に中衛、後衛による治癒が入り、あっという間に健康体に引き戻される。

 かと言って、中衛や後衛を先に狙う事は前衛の部隊が許さない。しかも距離を取ろうとも、場合によっては前衛を巻き込む事すら厭わない後衛の魔法が襲い掛かって来る。それで死ぬ事は無いが手傷は負う。そして足を止めれば、即座に槍の穂先の餌食となる。


 単純であり、そしてそれ故に対処の難しい、堅実な対魔族戦術だった。


「…………」


 それを退屈そうな――否、取るに足らないものを見る目で胡乱気に見たアスモデウスは、手に赤い薔薇を持ち軍勢に差し向ける。

 それを見た騎士たちは一瞬呆気に取られるが、すぐに嘲笑する。


 薔薇を手に持つアスモデウスの姿は、本人の容姿も相まって確かに様になってたが、それだけだ。そんなチンケなものは愚か、まともな武装をしていたとしても、高度な連携と高い装備に身を包んだ彼らを止める事はできない。

 それを知っていたが故の笑みだったが、反対に団長を勤めている男は、逃げ出しもせずにそんな行動を取った事に不信感を抱いていた。

 それは歴戦の経験から来る一種の警報でもあり、その勘に従って即座に突撃命令を撤回しようとしたが、既に遅かった。


 アスモデウスがフッと薔薇の花冠へと息を吹き掛ける。した事は、ただそれだけだった。

 その行為に何の意味があるのか――唯一警戒心を抱いていた団長の男が思考を巡らせるよりも、答えが先に現れる。


「あああァああああアアあああああぁああギィあッッ――!!」


 駆けていた戦列のうち、アスモデウスの正面に位置していた騎士が突然絶叫を上げて足を止め、盾と突撃槍を投げ捨てる。

 それだけでは留まらず、狂ったように鎧の上から自分の全身を掻き毟り始める。


 その突然の行為に、思わず周囲の騎士たちが足を止めてしまい、そしてそれが合図であったかのように、足を止めていた者たちも同様に、一斉に武器と盾を捨てて掻き毟り始める。


 精神干渉による恐慌状態に陥ったのか――そう周囲の者は判断し、足を止めなかった。

 限界まで引き上げられた抵抗力を突破したその干渉力は脅威だったが、術者を仕留めれば、自然とそれは解除される。また統計的に、その手の系統を扱う者は直接的戦闘力に乏しい為、討ち滅ぼすのにそこまでの労力は要さない。だからこそ、標的の撃滅を最優先に目指す。

 そう思っての行動だった。

 それが過ちだとは、すぐに気付かされる事となった。


「あギ――ッ!?」


 悲鳴を上げていた騎士の1人が、それを唐突に途切れさせる。そして途切れた悲鳴を引き継ぐかのように、湿った破裂音が響く。

 思わずそちらへと視線を向けた騎士たちは、そこで見た光景を前に、さすがに足を止めざる得なかった。


 絶叫を上げていた騎士の頭部が失われていて、その断面から、代わりと言わんばかりにイバラの束が伸びて蠢いているのを見て。


 変化はそれだけではなかった。


 最初に頭部を失った騎士が被っていた兜が、上空から落下して金属音を響き渡らせるのと同時に、別の絶叫していた騎士が胸を押さえて苦しみだす。

 直後には胸部装甲が内側から弾けて穴が開き、その穴からイバラが伸びて全身に絡み付いていく。

 また別の騎士は、鎧の僅かな隙間から伸びて来たイバラに巻き付かれて締め上げられていた。


 それらのイバラには無数の蕾があり、騎士たちが膝を付き、崩れ落ちるに従って肥大していく。


「――咲け」


 アスモデウスが小さく、ハッキリと聞こえる声音で呟く。


 そして蕾が開き、まるで苗床となった騎士たちの血を吸ったかのように真っ赤な花が開く。

 それと同時に、か細く続いていた悲鳴が完全に途絶する。


「狼狽えるな、隊列を整えろ!」


 すっかり足を止めていた他の騎士たちも、その光景に呆気に取られてはいたものの、団長の男の号令を聞き、あっという間に平静さを取り戻す。


 アスモデウスの作り出した光景は初めて見るもので、精神的動揺の大きなものだったが、所詮発生した死者は数人程度。全体の1%にも満たない。

 ならば、当初の作戦通りに数を頼りに畳み掛ければ押し切れる――そんな堅実な思考の元に導き出された判断だったが、それは誤りだった。

 男の勘は杞憂ではなく、むしろ始まってすらいなかった。


「あ、あああ……」


 切っ掛けは、日の光だった。

 日の出と共に、平時よりも大分障害物の少なくなった王都を照らし始めた陽光を浴びた騎士たちが、一斉に先程の騎士たちと同様に悲鳴を上げ始める。


 その悲鳴は前衛の騎士たちの殆どが上げ、さらには中衛、後衛の騎士の一部にまで及んでいた。

 しかも、そこからの変化の速度は劇的だった。

 悲鳴を上げ始めたかと思えば、次の瞬間には体の随所からイバラを噴出させて花を咲かせて死に至る。

 直前の犠牲になった騎士たちとは比べものにならない程の速度で変化は進行していき、まるで伝染するかのように、放射状に広がって行っていた。


「一体、何が……!」


 死者が瞬く間に100人を越え、団長の男は信じられないという声を上げる。


 アスモデウスが行った事は、それほど難しい事ではない。

 ただ自分の権能を行使し、手に持った薔薇の生殖活動を促しただけだ。


 吐息に薔薇の花粉を乗せて騎士たちへと飛ばし、同時に権能によって、騎士たちの肉体を薔薇の雌しべと存在の値を同値にした。

 吐息に乗った花粉は騎士たちの鎧の隙間を潜り抜けると、粘膜や毛穴から体内へと侵入。全身の細胞の1つ1つを卵細胞と見なして花粉官を伸ばし、精細胞を送り込む。

 本来ならば起こり得る筈のない受粉を終えた細胞は、尚も権能の支配下に置かれ続け、時間と過程をすっ飛ばして種子へと至ると、そのまま血流に乗って全身に行き渡り、アスモデウスの意思によって、あるいは日の光を浴びる事によって発芽し急成長。

 体内に収まり切らない体積にまで膨張したイバラは、人体を内側から容易く突き破り、苗床を死に至らしめる。


 そして苗床から存分に養分を吸い取った薔薇は華を咲かせ、花粉を周囲に大量に飛ばし、それが新たな人間の体内に入り込んでは受粉を行い、ねずみ算式に被害を増やしていく。


 アスモデウス自身が払う労力と言えば、花粉を飛ばし、後は権能を発動させて維持する事ぐらい。

 その権能も魔力抵抗力の影響を全く受けず、また完全に密閉された空間内に閉じ籠らない限り花粉から逃れる事は困難で、たった1粒でも吸い込むだけで死が確定する、恐ろしいまでに効率的で虐殺に特化した権能の用い方だった。


「これはまさか、ドゥーガの惨劇の……!」


 自分の持つ知識の中から、該当する事例のものを引き出した男が驚愕と恐怖を顔に貼り付ける。


 大陸中央北部の大国にある、一大商業都市ドゥーガを襲った惨劇。

 古代竜の襲撃という歴史上でも滅多に見ない災害に襲われたその惨劇では、ドゥーガの住人38万人の殆どが死亡する一方で、いくつもの不審な点が存在していた。

 そのうちの1つが、駐在していた守備隊の奇妙な死体の数々。

 男はそれを直接見た訳ではないが、報告書に書かれていた内容は、丁度目の前に広がっている光景を描写したかのようなものだった。


 だが、足りなかった。

 眼前の光景は纏められていた内容の一部に酷似していたが、同時にその一部以外の内容には似ている要素が無かった。


 それがドゥーガの惨劇と眼前の光景は無関係である為ならば、何の問題も無い。

 だが、もしそうでないとしたならば。

 眼前の魔族が、ドゥーガの惨劇と関係のある者なのだとすれば、次がある。


「総員、炎の魔法を構築しろ! 急げ!」


 団長の男が悲鳴に近い声を張り上げるのと同時に、低い唸り声のようなものが遠方から届けられる。

 だが、すぐ近くの異常で命に直結した問題が鎮座している騎士たちの中に、その指示に応えられる者たちは殆ど居なかった。


 何重にも重なりブレて聞こえるそれらが大きくなって行き、その正体を騎士たちの視界に現した時になってようやく、遅まきながらに騎士たちが術式の構築を始める。


 全てが手遅れだった。


 唸り声の正体は、億兆に達する、種類を問わずに集合した無数の蜂の群れが奏でる羽音の重奏だった。

 自然のものではあり得ない、魔界原産の薔薇が本来繁殖の為に放つ強烈な香りは、アスモデウスの補助を受けて瞬時に王都郊外にまで届き、蜂たちの嗅覚を刺激し、ある種の興奮状態へと陥らせる。

 そのまま香りに誘われるがままに薔薇の元へと飛んで来た蜂の群れは、凶暴さを剥き出しに、薔薇の付近に居た騎士たちに襲い掛かる。


 襲い掛かったのは、蜂たちだけではなかった。


 香りは土中深くにまで染み込み、その下に眠っていた蟲たちを地上へ呼び寄せ、手近な人間へとその牙を、針を剥く。


 鎧の上からその牙を突き立て、本来ならば傷1つ付けられない筈の表面を削り、穴を穿ち、中へと侵入する。

 鎧の隙間から入り込み、肉を齧って啄ばみ、針で刺して毒を注ぎ込む。

 あるいは産卵管を突き刺して卵を産み付け、苗床とする。産み付けられた卵は瞬く間に孵化し、僅かな間だけ幼虫として周囲の肉を食い荒らし、蛹の過程を駆け抜けて成虫となり、また新たに卵を産み付ける。


 その場に顕現するのは、阿鼻叫喚の地獄。

 運悪く即死し損ねた騎士たちが、情けなく泣き叫びながら、殺してくれと誰かに懇願する醜悪な光景。

 人類が昆虫に蹂躙される、この世の常識に反逆する景色が広がっていた。


 地獄の中で果敢に上げられる咆哮。

 騎士団の者たちが成す術無く倒れていく中で、団長の男とその側近を務めていた騎士たちが、全身から濛々と蒸気を上げながら上げた雄叫びだった。


「退路は無し! 生き残りたくば、敵を滅ぼすしか無い! お前たち、構えろ!」


 虫の被害を受けぬ為に選んだ選択肢は、鎧を高温に熱する事だった。

 それにより、周囲に群がる蟲たちに張り付かれる事を防ぐ事に成功するが、代償は安くはない。

 全身を隈なく覆う高温の鎧に包まれた状態では、中の人物も無事では済まない。鎧の隙間から上がる蒸気は、その熱によって肉が焼ける事によって生まれたものだった。

 長くても、数分も持たない。文字通り命を賭けた、起死回生の一手だった。


「突撃!」


 号令に従い、突撃槍を構えて半円状の包囲網を築き、全力で疾駆する。

 生憎全方位からとはいかないが、それでも多方向からの同時攻撃。その速度は命が掛かっている為か、彼らの生涯の中でも最高のものだった。


 その決死の覚悟が身を結んだのか、突撃槍の切っ先は、アスモデウスの逃走を許さず、その身に触れる。

 かと思った直後に全ての穂先が素通りし、勢い余った騎士たちが互いに衝突し合い、転倒する。


「何が起きた?」


 結果が信じられないように、茫然として呟く騎士を余所に、団長の男だけは素早く身を起こして次の行動へ。

 そして今度は刺突ではなく、薙ぎ払われた槍が、やはりアスモデウスの体を素通りする。


「キミたち如きに、ボクに触れる資格は無い」

「魔法に切り替えろ!」


 素早い状況判断力を発揮し、側近たちに命令を与え、自らは再度武器を構えて突撃を敢行する。それが無駄に終わる事は理解していたが、それでも術式を紡ぐ部下たちの邪魔させない為の行動だった。


 やはりアスモデウスの体に触れられる事はできなかったが、その間に他の騎士たちは術式の展開を終える。そして巻き込まれぬよう、男が大きく下がるのと同時に起動。


 炎が、雷撃が、水流が、鉄杭が、風刃が、一斉に放たれ飛び交い、騎士たちの体に命中し、倒れ伏す。


「……は?」

「魔法だろうと、無駄な事に変わりはない。だから有効活用させて貰ったよ」


 騎士たちの互いの人間関係を、それこそ殺してやりたくて堪らない程険悪に、アスモデウスが瞬時に変えたが故の結果だった。

 その事を団長の男には把握できなかった。把握はできなかったが、アスモデウス自身の言葉で、彼女の仕業であるという事だけは理解できた。


「眼前に明確な脅威がありながら、自分の都合を優先して、団結する事もできないなんて、やはり人間は愚かだね」

「貴ッ様ァ!!」


 槍を投げ捨て、純銀製の剣を引き抜き斬り掛かる。

 当然のようにその斬撃も素通りして終わるが、そんな事は関係ないとばかりに、男は畳み掛ける。


「殺す! 貴様だけは、絶対に殺す! 殺してやる!」

「できない事を言うもんじゃない」


 何度目かの斬撃も素通りするかと思われた瞬間、アスモデウスの姿が霞のように消え失せる。

 瞬時に距離を取り、周囲を警戒するが、そんな男を嘲笑うように気配は背後に唐突に現れる。


「ここだよ」


 反転しようとして、男の目が視界を横切る物体を捉える。

 その物体の行方を追い、地面の上を転がって動きを止めたところで、それの正体が籠手に覆われた人間の腕である事に気付く。


 ちょうど肘の辺りから千切れたらしいその腕は、籠手や腕の断面が濃淡に溢れた緑色の何かに覆われており、強烈な腐臭を発しているのが嗅覚に捉えられた。


 その千切れた腕に見覚えがある事に気付き、それを裏付けるように自分の右腕を見て、肘から先が存在しない事に気付くまで、優に数秒を要した。


「高熱を帯びれば、ボクの権能から逃れられると思ったのかい? 甘い考えだ」

「――!?」


 アスモデウスの言葉に返答しようとして、男は失敗する。

 口を開いても肺から空気が吐き出される事はなく、また逆に空気が取り込まれる事もなく、呼吸の一切ができなくなって苦しみに襲われる。

 その苦しみに堪えかねて喉を掻き毟ろうとするも、残る左腕を持ち上げ、それが濃淡の激しい緑色の物体に覆われているのを見て動きを止める。


 そうしている間にも、甲冑の僅かな隙間から、まるで水が漏れ出すかのようにその緑色の物体は溢れ出し、鎧を覆って行く。

 被害は鎧だけに限らず、その甲冑の下にある男の肉体自体にも及び、皮膚を覆い腐らせ溶かして行く。


「どうやらその鎧の下は、さぞかし居心地が良いみたいだね」


 アスモデウスの行った事は、花粉の代わりにカビを用いただけで、他は薔薇の時と全く同じ事だった。

 カビ類の中でも特に熱の強い、やはり魔界原産の耐熱真菌類を、高温の熱によって蒸し焼き状態となり多湿の環境となった鎧内にて繁殖させる。

 アスモデウスの補助を受けて爆発的な繁殖力を得たカビたちは、人間だろうと鎧だろうと関係無しに猛威を振るい、腐食させ、毒素を無作為にばら撒いていく。

 その猛威は体内にまで及び、胞子を吸い込んだ鼻腔や口腔から喉奥や頭蓋の中、肺にまで繁殖の場を移し、やがては全身に及び苗床となった者を腐らせて死に至らしめる。


 ようやく自分が陥っている状況を男は理解するも、その時には手遅れだった。

 既に内臓にまでカビの猛威は及んでおり、生命維持に必要な活動を行う事もできずに、急速に命が失われていく。


 もはや自分の体を支える事もできずに膝を付くが、その際の衝撃だけで脆化した肉体が砕け、倒れ伏した瞬間に全身の破片を周囲にブチ撒ける。

 後には男を手に掛けるその瞬間を除けば、その場から一歩も動かずに居たアスモデウスだけが残る。


「……こんなものか」


 蹂躙と呼ぶ他ない戦闘を終えたアスモデウスが、両手を持ち上げ、視界の中心に据える。


「これだけ殺せば、何か感じ入るものがあるかもしれないと思ったのだけど……何も感じないな。人間に対して、人に対して、何の感慨も抱けない」


 誰かに、あるいは自分自身に言い聞かせるように独白する。


 降ろされた手は、今度は自身の胸へ。

 衣服の上から胸を掴み、シワができる事も構わず、強く握り締める。あたかも、そこに目に見えない穴が空いていて、その痛みを堪えるかのように。


「虚しいなぁ……」


 言葉に反して、何も含むもののない平坦な声音。

 そしてその前の言葉の通り、何も感じていないかのように、異常な光景に構わず佇み続ける。


 まさしく惨劇と呼ぶのに相応しい凄惨な光景の中で、朝焼けの光を浴びて佇むその姿は、蠱惑的でありながら、見ていて胸を締め付けられ悲嘆に暮れたくなるような、奇妙な寂寞感に満ち満ちていた。











次回予告

死神は身を削り悪魔が喰らい、凶王の舞台で踊る……みたいな。



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