成長する芽
「この辺りで良いか……」
【レギオン】が王都に与えた被害は、おれが想像していたよりも遥かに甚大なようで、高所に登って見渡してみると、その傷跡がどれほど深いかがよく分かった。
とは言え、それでも王都の広大な面積から見てみれば、被害を受けているのはほんの一部だけに留まっている。それでも襲撃者の数を鑑みれば、あり得ない程の規模である事に変わりないが。
「さてと……」
振り向くと、ようやく追い付いたシアが壁をよじ登り終えるところだった。
「ジン兄、速過ぎるよ……」
「ここから――」
膝に手をつき、大げさに息を上げて見せて来るアピールを無視し、足元を指差してから、遠方を指差す。
「あっち側の時間を巻き戻せ」
「……え?」
それまで荒かった息を瞬時に止め、首を捻りながらこっちを見て来る。
「範囲は王都の端までで、対象は過去だ」
「じょ、冗談だよね、ジン兄? て言うか、過去を巻き戻せって、どういう事?」
首を傾げてみせるシアに習い、おれも首を傾ける。確かに今のは愚かしい表現だった。
「言い換えれば記憶だ。この王都そのものに刻まれている記憶を、過去に起きた出来事を、映像にして投影しろという事だ」
「で……できる訳ないよ!」
猛烈な勢いで首を左右に振り、要求を拒否する。
「ジン兄だって知ってるでしょ? 私の【時間支配】は、あくまで状態そのものに作用するんだよ。記憶なんて概念的なものを、それも現在に顕現させるなんて、不可能だよ!」
「さっきも言った通り、ただ映像として、虚像として投影するだけだ。現実のものとして顕現させる必要はどこにも無い」
「それでも無理なものは――」
「いいからやれ」
「そ、それにいくらなんでも、範囲が広すぎるよ! 仮に全方位じゃなくて、方角を絞ったとしても、私じゃ精々が数十メートルくらいしか――」
「やれと言ってる」
埒が開かないので、首根っこを掴んで持ち上げ、足場の外へと運ぶ。
もしこのまま手を離せば、もしくはシアがおれの手を振り払えば、運が悪ければ墜落して死ぬ。
「やる前からうだうだ言ってんじゃねえ。いいからやれ。やってできなかったんなら、文句は言わねえ。それともここで死ぬか?」
「や、やる……やります……!」
気道が圧迫され、もがきながらも辛うじて声を絞り出して成された返答に、無造作に放り投げる。
何とか受身を取って転がるも、直前の状態の為かすぐには起き上がらず、激しく咳き込み空気を取り込む。
「や、やるけどさ……できなくても、文句は言わないでよね!」
「くどい、さっさとやれ。投影する光景は3年前だ」
「やるってば!」
やけっぱちのように叫び返し、ようやくシアがやる気になる。
「逆行」
あまりやる気の感じられない――成功する筈が無いという諦念感の漂う言葉と共に、能力が発動。
シアの体から莫大な魔力が放射され、前方に広がる景観へと、半円状に広がって行く。放出された魔力の余波によって、その膨大さを示すかのような暴風が吹き荒れ、前進と鼓膜を叩く。
そして反動が来たかのように、静寂が訪れ沈黙が場を支配する。
「……ほらぁ、だから無理だって言ったじゃん!」
何秒待てども変化は一向に訪れず、ただ少なくない量の魔力を無意味に消費したシアが、軽い疲労を浮かべながら不満を述べて来る。
「ただの妄想に過ぎなかったか……」
落胆とも安堵とも付かない、奇妙な念を抱きながら、それを吐き出すかのように嘆息すると、その内心を都合良く表すかのように雨が降り始める。
この季節には珍しい、狐の嫁入りか――そう思った矢先に、奇妙な事に気付く。
「何これ、幻覚……?」
シアが訝しげに呟く。無理も無い。
そうしている間にも、雨は急速に強くなって行く。視界の端では、急に降り始めた雨に濡れないよう、頭上を庇いながら道を急ぐ住民の姿。
普通ならば、おれもそれに習うべきだろう。この雨が、普通の雨だと言うのならば。
だが先程から落ちてくる雨粒は、どれ1つとして、体を打っていない。まるでおれが虚構の存在であるかのように、体を擦り抜けては地面へと落ちて行く。
足下を見てみれば、これまたいつの間にか水が張っており、その上に雨粒が落下しては、偽りの波紋を生じさせている。
感触も、冷気も、ましてや水気も一切存在しないこの世のものではない雨が、ちょうどおれが立っている場所付近を境界線上として、王都の半分を覆って降り始めていた。
「嘘……本当に、できた。でも何で?」
これが何なのかは、少し考えてみればすぐに分かる。シアの能力によって投影された、過去の光景だ。
視線を下ろしてみれば、ちょうど視界の先に、集団で規律的に動く影があった。
先頭に立つ、後方に続く者たちに何事かを伝えながら走るのは、胸の辺りにエンブレムが縫い付けてあるジャケットを羽織った人物。それだけで、その集団がウフクスス家に属する者たちであると一目で理解できる。
その集団を目にした、たまたま進行方向の先に居た一般人が、驚き慌てて道を譲ろうとしてバランスを崩して転倒し、思わず目を瞑る。
そのみっともなく転がる人物へ、ウフクスス家の者たちは一瞥すらせず突進し、そして素通りする。
別に避けて通ったわけではなく、文字通り、そいつの体を擦り抜けて向こう側へと走り去ったのだ。
さらに視線を動かしてみれば、遠方の至る所に、同じように規律的な動きで蠢く無数の影があった。
服装も、武装もまばらなそれらは、一見すると何者かを判別する事は不可能だ。だが唯一、おれだけがその集団が何なのかを、確信を持って正確に理解できる。
「あれって、エミティエスト家の分家の人たちだよね。それにあっちは、うちの分家の、死んだ筈の人たちだ。ていう事は、この映像って、あの時の……」
投影された者たちは、その全てが5大公爵家のいずれかに名を連ねる者たち。
そして投影されている光景は、3年前に守護家が互いの家の垣根を越えて手を組み、大体的に動いた史上最大の作戦。
即ち、エルンストの討伐作戦の光景。
ならば……。
「あっ、待ってよジン兄!」
即座に手近な建物へと跳び移り、移動する。
目指すのは視界の遥か先にある、引っ切り無しに戦闘音が閃光と爆発と共に響いて来ている場所。
周囲には戦闘音や爆音に混じり、本物の悲鳴と怒号が響いている。
実際に触れる事も、ましてや巻き添えを食らう事も無いとはいえ、明らかな異常事態に動揺しない方がおかしい。特につい先日には、歴史上でも中々見ない大規模な襲撃を受けたばかりだ。その矢先にこれでは、パニックになるのも当然と言えるだろう。
そういった者たちを避ける為に高所から高所を移動し、程なくして目的地に辿り付いた時に、それを目にする。
「エルンスト……」
何重にも敷かれている包囲網に、それらから雨に混じって放たれる魔法の重合奏。
抜き身の武器を携え、さながら狩りの如く、統率された動きで敵を仕留めんとばかりに距離を詰めて襲い掛かる猟犬の群れ。
そうした者たちの中心で荒れ狂う、個の暴力の嵐。
身の丈ほどの大剣を片手に、降り注ぐ矢弾の一切を見に受ける事無く、襲い掛かって来る猟犬を一刀の元に斬り伏せる。
忘れる筈も、見間違える筈も無い。かつては同業者はおろか、大陸全土を見渡しても間違いなく最強であると言われ恐れられた、おれの師である【死神エルンスト】その人の姿だ。
接近した剣士は、自分の身に何が起きたのかも理解できずに前進を続けようとして、全身が左右に分割されて死ぬ。
その後ろから、分かたれた体の隙間を掻い潜るようにして滑空して来た双頭のカラスが、振り抜かれた裏拳によって2つの頭部を押し潰されながら吹き飛び、壁に激突して赤い花を咲かせる。
直後の両手が封じられた瞬間を好機と判断し、周囲から一斉に襲い掛かって来た前衛の1人に、翻った足が襲い掛かる。そのまま薙ぎ払われるかと思いきや、寸前で停止して肩口に引っ掛かり、それを足場にエルンストの体が持ち上がる。突如として頭上に現れた影に動揺せず、冷静に足場にされた男ごと攻撃しようとするも、エルンストの方が遥かに早く、伸ばされた手が手近な男の頭部を鷲掴みにし、そのまま引き千切る。
断面から滝のように血を流す頭部は、間髪入れずに投擲され、その背後に居た男の顔面に命中し、中身を弾かせて飛ぶ。
その結果が出る頃には、無造作に横薙ぎにされた大剣が、抵抗というものを感じさせない勢いで2人の前衛を両断し、死に至らしめる――かと思えば、そのうちの片方の死体が陽炎のように揺らいで掻き消え、エルンストの足が持ち上げられて振り下ろされ、同じ容姿をした男の頭部が踏み潰されて中身が飛び散る。
その全てが一瞬にうちに行われた、右眼でなければ認識する事さえ不可能な早業だった。
「凄い……!」
傍らを見れば、ようやく追いついたシアが、食い入るように眼前の光景を見つめていた。
その視線の先には、巨漢と見紛わんばかりの巨躯と逞しい肉体を持った猛犬が襲い掛かり、それを無造作に掴み持ち上げるエルンストの姿。
苦しそうにもがく猛犬を、エルンストは侮蔑するように眺める。口が動き、言葉を紡ぐ。距離が離れている為に声は聞こえなかったが、動きからすると「俺は猫派だ駄犬」と言っていた。
そのまま腕が振り抜かれ、猛烈な勢いで猛犬が飛び、その先にいた術式を紡いでいた後衛を、護衛と構えていた盾ごと吹き飛ばし、纏めて衝突死させる。
飛来した鉄杭を剣で弾いたかと思えば、10メートル以上あった距離を、瞬きした後にはいつの間にか詰めており、胸部を剣で両断し、さらに空いた手で文字通り片手間に、傍にいた女の喉笛を頚椎ごと抉り取る。
崩された包囲網を修復しようと動くも、それよりもエルンストの方が先に動き、距離を取ろうとする者たちの命を次々と刈り取り、逆に詰めてくる者たちを迎え入れ、斬殺し、殴殺し、圧殺する。
四肢の全てが使われた、攻撃直後の隙を突くというセオリーを守った、頭上からの転移奇襲も、直前に踏み潰した死体を蹴り上げて当てて体勢を崩させ、失敗して着地した直後の隙を仕返しのように突いて殺す。
さらに上方直後の下方からの背後を突いた奇襲も、反転様に首が振られ、開かれた顎によって頭部の半分が食い千切られて失敗に終わる。
四肢どころか全身を使い、老若男女容赦無しに敵を殺す、鬼神のような荒々しい強さだった。
「凄い!」
シアが同じ言葉を、今度はハッキリと上げる。同感だった。
記憶にある中で、あれほど凄まじい強さを発揮したエルンストの姿は無かった。戦場で一緒に立つ時は基本的におれの動きに合わせて動いていた。言い換えれば、常に足手纏いを抱えていた状態だった。
そして個の光景が広がっていた当時は、その足手纏いは居なかった。即ち、動きを遮る枷が一切無い、全力で動ける状態にあったという事だ。
エルンストの死から3年以上の歳月が経って、ようやくおれは、エルンストの全力の一端を目にしていた。
周辺の敵を、撤退すら許さずに全滅させたエルンストが、移動を再開。進路はおれがこの場に来るまでに通った道の延長線上――王都の果てだった。
当然、その動きに完全に着いて行ける訳も無く、視界からあっという間に消えたかと思えば、離れた場所で戦闘音が発生し、それによって居場所が判明して追いかけるという形になる。
「あれ? あの人って、あの時のあの場所に居た人だよね……?」
「カイン――!」
周囲に死体が転がり、返り血を浴びて真っ赤に染まったエルンストと、雨の中で立ち話をしているのは、当時から【レギオン】の第2副団長を務めていたカインの姿だった。
本人曰く、運悪くたまたま巻き込まれたらしいが、その最中にエルンストと会っていた事も知っている。角度的にカインの口元は見えないが、エルンストの口は「あのガキに遅くなると伝えとけ」と語っていた。
それを受けたカインは、首を凄まじい勢いで上下に振り、踵を返し、エルンストとは反対方向へと走って行く。エルンストもそれを見送り、移動を再開する。
「…………」
「……ジン兄?」
震えそうになる体を、握り拳を作り、歯を食い縛る事で耐える。
分かっている。おれがカインに対して抱いているのは、根拠も正当性も無い逆恨みでしかないと。
だがそれでも、思わずにはいられない。もしこの時、カインがエルンストと行動を共にしていたらばと。
そうすれば、エルンストが死ぬ事は無かった。それどころか、これ以上の戦闘さえ行う事無く脱せた可能性だってある。少なくとも、無事に脱出する事は間違いなく可能だった。
それが分かっているからこそ、納得できない。自分勝手な言い分だという事は百も承知だが、理性では納得できても、感情で納得できるかどうかは別問題なのだ。
まあそれが無くとも、あいつのその後の行動の数々を鑑みれば、どの道殺意を抱くのは不可避だが。
「ジン兄! あの人、行っちゃうよ! 追いかけなくていいの!?」
「……勝手にしろ。このまま能力を維持していれば、文句は無い」
息を吸い込んで吐き、冷静さを取り戻す。
もう十分だ。仮説は当たってた。だがまだ半分だ。
確かめなければならない。そして確かめる内容は、エルンストをこのまま追いかけていたとしても、達成する事はできない。
目指すのは、エルンストが進む方角の、さらに先。王都の外壁の外れの位置。
おれがエルンストの今際に立ち会う際に、潜った門がある場所だ。
「凄い!」
もう何度目かになる、同じ言葉をシアは紡ぐ。
彼女の視線の先にあるのは、最強を体現した【死神エルンスト】の姿。
拳を振るえば、全身装甲の重甲冑兵の腹部を貫通して穴が開く。蹴りが炸裂すれば、穴という穴から血飛沫を噴出させて即死させる。剣を振るえば、馬鹿の一つ覚えの如く滑らかな断面と共に両断される。
手が何かを掴めば、目にも見えぬ速度で投じられ、複数人を纏めて吹き飛ばす。四肢が使えずとも、迫る武器を顎が掴み、首の力だけで振り回し、持ち手を壁に叩きつけて花を咲かせる。
飛び交う無数の魔法も状態を動かし、半歩動くだけで回避する。どれ程速い魔法であっても、まるで初めからそこに来ると分かっているかのように回避する。動きは本当に最小限で、衣類を掠めるギリギリの距離を魔法が通っても、顔色1つ変える事は無い。
さらには、回避するだけならまだしも、剣撃だけで魔法を掻き消し打ち落とす。エルジンのようにそういう魔剣を使っているのならばともかく、エルンストの剣はそういうものではなく、無能者である以上は何らかの魔法や能力を使っているわけでもない。
それはリグネストのと比べれば遥かに荒いが、術式そのものを破壊する、道理を外れた手だった。
剣術も、体術も、さらには身体能力も、全てが道理を外れていた。この世の理から逸脱していた。
相対しているのはティステアの守護家と呼ばれる、5大公爵家のいずれかに名を連ねる者たちであり、決して弱くない。むしろ強い。
戦場ではその魔力を振るって敵に被害を与え、統率された連携で格上の強者であろうとも葬る、大陸最強の集団だ。
だがその時に限っては、敵があまりにも強過ぎた。
その強さは、この世の理の範疇に収まり切らないものだった。
「凄い凄い凄い!」
シアの口からは同じ言葉しか紡がれず、またそれ以外の言葉を紡ぐ余裕が無かった。
視線は夢見る少年の如く爛々と輝き、常人ならば忌避して眼を背け、実力があればあるほど恐怖で身を竦ませて怯える程の光景を、食い入るように見つめ続けていた。
さながら、憧れの英雄の姿を間近で見るかのような姿だった。
本来、彼女に本気の動きをするエルンストを捉えられるだけの眼は無い。だが彼女は、自身の能力を使い、自分自身を現実と比べて遥かに遅く流れる時の中に置く事によって、辛うじてその動きを追っていた。
「雑魚がいくら集まったところで無駄だ」
いつの間にか、本人さえ意図せずして、エルンストの声が耳に届く程の距離まで近付いていた。
「俺を殺したきゃ、リグの奴を連れて来い」
そう宣言したエルンストは、余波で倒壊した手近な建物に手を突っ込む。
五指が外壁に埋まり、続けて腕の筋肉が膨張し、地響きと共に建物が根元から持ち上がる。
「あはっ♪」
シアの口が喜悦で歪む。一方で過去の映像である、相対者たちの口は引き攣っていた。
例え大部分が倒壊していたとはいえ、建物を根元から引っこ抜き、持ち上げる。しかもどのように力を込めているのか、持ち上げている部分だけが千切れないよう、掴んだ部位だけでなく全体に力が行き渡るように加えている。
仮に常人の5倍の筋力を発揮できるのだとしても、果たして実現が可能なのか怪しい、あり得ない光景だった。
その持ち上げられた建物が投じられ、退避し損ねた者たちが纏めて押し潰され、圧死する。それをエルンストは笑いながら眺めていた。
シアもまた同様に、笑いながら眺めていた。
押し潰された者たちの中に、彼女にとって親族に当たる者が居ても、気にせず笑っていた。
彼女にとってその者たちは、既に死んだ自分にとっては関係の無いものであり、注意を払う価値など無かった。むしろ眼前の暴を振るう男のほうが、遥かに意識を裂く価値があった。
質量爆撃によって殲滅したエルンストは、さらに歩を進める。既にエルンストにとっては、敵と遭遇したら軽く殲滅し、それが終わったら移動を再開して王都の外を目指すという、流れ作業となっていた。
だがその流れ作業であっても、シアが追い掛けるのは困難極まりない。
遅く流れる時の世界の中であっても、目で追うのがやっとの速さで戦線を離脱するエルンストを、必死に追い掛ける。
それこそ、戦闘姿を僅かでも見逃して堪るかとでも言うように。
「あれは……お父さんに、叔父さん?」
ようやく追いついた時に、まだ戦闘が始まっていない事に安堵を覚えながらも、相対している相手の姿を見て首を傾げる。
シアから見て背中を見せているエルンストの先に、並んで立つ中年期に入った2人の男の姿。
見比べてみれば類似点の多く見られる事から、赤の他人であっても兄弟かその類であろうと、容易に想像できる容姿。
紛れも無くそれは、ごく最近死んだ、彼女の父親であるシャヘル=ラル・アルフォリアとその弟であり、エルジンとユナの実父であるアゼトナ=ラル・アルフォリアだった。
「何話しているんだろう?」
それまでとは違い、遭遇して即戦闘ではなく、何やら双方共に言葉を交わしている事に好奇心を刺激され、今度は意図的に距離を詰める。
「正気かよ。まさかお前ら程度が俺を殺すってか?」
「図に乗るなよ、地を這う虫風情が」
アゼトナが吐き捨て、能力を行使するべく、魔力を練り上げる。
「貴様のような虫ケラが、人目のつかぬ場所で縮こまっているならばまだしも、当然のように人の世の中を闊歩するな」
「虫、ねえ。見る目が無いな。分かってた事だが」
アゼトナの侮蔑の言葉を、そよ風としか感じてないかのように目を細め、逆に揶揄するように返す。
「手元の石ころが宝石の原石だと見抜けずに、適当に放り投げて捨てるんだから、審人眼も高が知れてる。人とそれ以外の見分けが付くかどうかも怪しいな」
「何だと!?」
激昂する寸前のアゼトナを前に、いささかの気負いも無く、エルンストは続ける。
「つか、お前ら揃いも揃って弱過ぎる。アルフォリアっつったな? 本当に血が繋がってるのか疑わしいレベルだ。さっきの女のガキの方が、よっぽど強いだろうよ」
「アキリアの事か……!? あいつに何をした!」
アゼトナに続き、シャヘルもまた感情を高ぶらせて一歩前に出る。その姿からは、返答次第ではただでは済ませないという主張が、ありありと感じられた。
それに対してエルンストは、凶暴な笑みを浮かべ、剣を持ち上げる。
「何もしてねえよ。こちとら何の用も無ければ、向こうも自分の分を弁えてたからな!」
「空間移転!」
血の尾を引きながら、肘の辺りで切断された右腕が宙を回転する。
右腕を切断されたアゼトナは、直前よりやや横にずれた位置に立っており、代わりに元居た位置にはエルンストが剣を振り抜いた体勢で立っていた。
ギリギリでシャヘルが能力を発動させてアゼトナを移動させたから良かったものの、間に合わなければヨリ深い傷を負い、戦線離脱は必至だった。
「貴ッ様ァ!!」
遅れて雷化したアゼトナが、追撃の太刀を回避し、敷き詰めたレールに乗ってエルンストの頭上へと移動。連続して雷撃を放つ。
さらに挟撃する形で、シャヘルが手首を捻り、周囲の空間ごとエルンストを斬り刻もうとする。
その全てを、エルンストは剣で斬り裂き、または動いて回避する。
散らされた雷の残滓が周囲に漂う中、腰を落としたエルンストがアゼトナへと動くと見せかけ、振り向かずに後方跳躍してシャヘルへと距離を詰め、振り向き様の一閃を叩き込む。
それを辛うじて転移して回避したシャヘルは、直後に顔を強張らせる。
「馬鹿な――!?」
見れば足には、深々と小振りな短剣が突き刺さっている。言うまでもなく、エルンストが投じたものだ。
問題なのは、それを喰らったのが転移した後での事だという事。
まるで転移する先が分かっていたかのように、予め投擲された短剣に、シャヘルは転移を終えたところで見事喰らったのだ。
「塵芥となって消えろ!」
業を煮やしたアゼトナが、自身の能力を行使し、巨大な落雷をエルンストへと降り注がせる。
「さすがに直撃したら死ぬな」
嘯くエルンストは、回避すらせず、剣を再び振り雷を斬り裂く。
両断されて左右に分かたれた雷は、そのまま地面に落ち、張っていた水を通じて四方八方へとそのエネルギーを伝導させる。しかしその頃には既にエルンストの姿はその場にはなく、真っ直ぐにアゼトナへと向かっていた。
「おのれッ……!?」
レールを張り直して身を委ねたアゼトナが、エルンストから距離を取らんと雷速での移動を再開するも、そのすぐ後をエルンストはピッタリと張り付いてはなれない。
さすがに雷の速度に追いつける訳ではない為に、予め張られているレールの位置関係を感覚で捉えて脳内に浮かべ、曲線のコースを直線で先回りする事によって実現させている張り付きだったが、いずれにせよ、アゼトナの雷速に付いて行けているという事実に変わりは無い。それがアゼトナの内心に、微かな焦りを生じさせる。
「固有能力は絶大だが、絶対じゃねえ」
付いていくのに精一杯どころか、途中に放たれるシャヘルの援護さえも悠々と回避する余裕すら見せつけながら、何かを待っているかのようにのんびりと語り掛ける。
「連続でその状態で居られるのは、どれくらいだ? 1分か、1時間か? いくらでも追い掛け続けてやるよ」
「ッ!?」
正面からエルンストの強大な殺気を叩き付けられ、微かに動揺したアゼトナが、判断を誤る。
それまでジグザグに、縦横無尽に移動していたのを、その僅かな時だけ本能的に、少しでも早くエルンストから遠ざかろうと、一直線に移動して行く。
それを見たエルンストが笑みを浮かべるのを見た時には既に遅く、移動先に赤いガラス玉が投じられたかと思うと、すぐ後に飛んで来た短剣がガラス玉を貫き、至近距離での爆発による熱に晒される。
「ぐあッ――!?」
爆発熱に晒され、僅かに揺らいだその隙を逃すほどエルンストは甘くはなく、即座に接近し空中で強烈な蹴りを見舞う。
「がはッ!?」
骨が折れる音が何重にも響き、口から血霧を吐きながら吹き飛び、壁に激突して地面に落下する。
ただのその一撃によって、アゼトナは瞬時に戦闘不能に追い込まれていた。
「アゼトナ!」
それを見たシャヘルの判断は早く、アゼトナの傍に転移したかと思うと彼を担ぎ上げ、再び転移し、エルンストから数十メートルは離れた場所へと移動する。
そして転移した先で、僅かに体勢を崩して動きを止める。肩口には、エルンストが山なりに投げたナイフが刺さっていた。
「惜しい。風で少し軌道がずれたか」
「なッ!?」
その隙を当然のように突いたエルンストが、距離を詰めて剣を振るい、身を捻ったシャヘルの片足を切断する。
「怪物め……!」
これほど距離を取っていても、安全圏とは言えないという事実。さらには近距離、中距離、遠距離と全てにおいて隙が無いという事実に戦慄するシャヘルが、再度転移。その転移した先でもさらに転移を繰り返し、急速に戦闘圏外へと退却して行く。
それをエルンストは追わない。
「俺はできた師だからな、弟子の獲物を横取りするほど野暮じゃねえ」
「あははっ♪ 凄い凄い! お父さんも叔父さんも、ちっとも手も足も出てない!」
一連の戦闘を見終えたシアが、実父と叔父を嘲笑っているかのような言葉と共に、エルンストを称賛する。
そして直後に、微かに表情を顰める。
「何だろ、今の。何かが見えた気がするんだけど……」
エルンストのすぐ後ろ、肩口の辺りにある虚空を眺めながら、シアが首を傾げる。
気のせいだったのか、それとも本当に何かが見えたのか、どちらなのか自信が持てずに居たシアの耳に、遠方からの声が届く。
「ジン兄!?」
その声を耳にしたシアは、弾かれたように顔をその方角へと向ける。
それまでの興奮など、どこかに飛んで行ったかのように消え失せていた。当然だ。彼女にとってその声は、聞き間違える筈のないものだからだ。
何を言っているのか理解する事はできない。いや、できなくて当然だ。それは言葉というよりは、叫びという方が正しい。悲鳴と言い換えても良いものだった。
怒りが、嘆きが、絶望が、これでもかと言わんばかりに詰め込まれて掻き混ぜられた、人が出しているとは信じたくないようなもの。
それがエルジンの声によって紡がれ、響いて来ていた。
「ジン兄!」
逡巡すら許さず、シアはその場から駆け出す。目指すのは発声源――即ち、王都の外郭へ。
故に気付く事はできなかった。立ち去る直前に、エルンストの表情が微かに強張っていたのを。
そして再び――いや、一層凶暴な笑みが作られ、口が「面白え」という言葉を紡ぐのを。
次回予告
穢れた真相を糧とし、芽吹いた種は花を咲かせ、人と魔の間に奈落を生み出す……みたいな。
長くなったので分割。自分の事ながら相変わらず進歩が無い。