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芽吹き始める種

 



 薄紫色の霧に覆われ、数メートル先の視界の確保すら困難な状態の、魔界にあるどこかの地。

 濃霧に紛れていて分かりにくいが、四方を見渡しても広範囲に渡って障害物は見当たらず、まるで意図的に整地されたかのように、何も無い平坦な地が広がるその場所には、奇妙な光景が広がっていた。


 前後左右上下の六方向、地面は空や果ては虚空にまで、見境無く広がる解読不能な文字や幾何学模様の群れ。

 どれほど芸術品の審美眼に優れた評論家であろうとも、見ていて評価が浮かび上がるどころか、むしろ眩暈すら感じかねない程に複雑に絡まり合ったそれらは、不定期に、だが徐々に強く明滅を繰り返していた。


 まるで何らかの儀式であるかのような光景の中心、至る所に文字や模様が広がる中で、不自然にぽっかりと空いている空白地帯に、細長い影があった。


 身長は控えめに見積もっても190はあり、それでいて横幅は高さに見合わぬ狭さの、まるで針金でできた人形のような造詣。

 一方で、全くの平坦な体付きという訳ではなく、体を覆う布の下には控えめながらも、そうと分かる丸みがあり、その者の性別が女であるという事が分かる。

 伸ばされた白に近い灰色の髪の下から覗く、赤い瞳は目まぐるしく動き、周囲に広がる文字や模様――顕在化した術式を視認しては次へと移って行く。そしてその瞳と同じか、それ以上に細長い両腕は縦横無尽に動き回り、指先が新たな術式を描き、動かして絡め合い、周囲へと押しやって行く。


 術式が次々と追加され、その量を増やして行くのに比例して、術式全体の明滅速度と強さは増して行く。


 程なくして直視すらできない程の光量となり、いよいよその発光が頂点に達するのだろうと思われたその瞬間に、その女の手と瞳の動きは止まる。

 それが意図したものではない事を示すかのように、指先には描き掛けの術式が頼りなく揺れており、他のものと比べて酷くか弱い発光をしていた。


「ダメねぇ……」


 妙に間延びしたその言葉が鍵だったかのように、離れた場所にあった術式の1つに亀裂が入り、音が響き渡る。

 異変はそれだけでは終わらず、次々にガラスの割れる音が発生し、合わせて亀裂が周囲へと広がっていき、連鎖的に術式が崩壊していく。


 崩壊の余波で発生する、術式に費やされていた膨大な魔力の奔流と暴風は、常人には到底耐え切れるものではなかったが、至近距離に居る筈の女は平然と立っており、精々が鬱陶しそうに眼を細めるのみ。

 その間にも風は周囲に吹き荒れ、薄紫色の霧を土砂と共に飛ばして行き、空に浮かんだ赤い月が顔を覗かせる。

 やがて静寂が訪れると、周囲には暴風による、痛々しく凄惨な傷跡が刻まれた大地が広がっているのみだった。


「また失敗ねぇ。今のでダメとなるとぉ、やっぱり相当遡ったところからぁ、術式を組み立てなおすしかないかしらぁ?」


 その凄惨な光景など目に映っていないかのように、間延びした言葉で構成された、崩壊の原因に対する推測が零れ出る。


「とは言え、これ以上に大きくなるとぉ、ワタシの魔力ではまるで足りないわぁ。やっぱりぃ、綻んだところだけを修正するべきかしらぁ? でもそうするとぉ、他の箇所に影響が出かねないしぃ……」


 最適解は何かと黙考する女は、途中で思い出したように、全身に重く圧し掛かって来る疲労を自覚する。


「……まあいいわぁ。次の機会までぇ、後5年程時間がある事だしぃ、じっくり考えるとしましょう」


 踵を返し、正確な方角すら曖昧になりかねない光景の中を、そうと確信を抱いているかのように一直線に歩き始める。

 その歩みが止まったのは、足下に刻まれている傷跡が、大分マシなものになった辺りの事だった。


「……あらあらぁ、これはぁ、随分と珍しいお客さんねぇ」


 進行方向に立ち塞がったのは、魔界という地においては明らかな異物である人間だった。


 ようやく青年期に差し掛かったかのような顔立ちに、女と比べれば大分低く見える身長。

 黒髪黒目、右目の下にピアスをした容貌を持ち、高さでこそ女よりも劣るものの、幅という点で言えば女よりも圧倒的に分がある。

 そして何よりも注目を引くのが、身に纏う雰囲気だった。


 それを一言で言い表すのならば、暴。

 まるでこの世の全ての暴力を凝縮して纏わせたかのような、そして一般人であろうとも、一目見ただけでそれを理解できるほどの圧倒的且つ強烈な雰囲気が、少年の存在をこれでもかと主張していた。

 地面に突き立てた状態で片手に持った、身の丈を上回る大剣さえも、その雰囲気によって少年が持っているという事に対する違和感を調和させていた。


「貴方はぁ、誰かしらぁ?」

「俺か? 俺はエルンスト、エルンスト・シュキガルだ」


 少年――エルンストはそう名乗り、続けて舌なめずりでもしだしそうな表情を浮かべる。


「そう。良い名前ねぇ。それにぃ、とぉっても綺麗な色」


 名前に対する所感はおざなりに、赤い瞳はエルンストの髪と目に向かう。


「ワタシと違ってぇ、とても映える色だわぁ。羨ましいわねぇ」

「そうかよ。褒められて悪い気はしねえぜ」


 称賛の言葉に対して、気恥ずかしさを感じる様子も無く、むしろ一層表情を深める。


「ははッ、こりゃ当たりか?」

「何を持ってして当たりとするのかでぇ、答えは変わって来ると思うわよぉ?」

「単純なこった」


 エルンストは剣を抜き、切っ先を女へと合わせる。


「テメェは強いんだろ?」

「……なるほどぉ。貴方はぁ、そういう人種なのねぇ」

「ああ、そういう人種だ。さっきのでかい術式を展開してたんだ。弱いとは言わせねえ」


 畳み掛けて来るエルンストに対して、女は虚空より扇子を取り出して広げ、まるで僅かに顔に浮かんでいる疲労の色を覆い隠すかのように、口元へとやる。


「確かにぃ、強いか弱いかで言えばぁ、ワタシは強いわぁ。でもぉ、戦うつもりは無いわぁ」

「関係ねえな。戦う気が無かろうが、俺がやる事は変わらねえ。抵抗しなきゃ死ぬだけだ」

「迷惑よぉ、そういうのはぁ」

「それこそ知った事かよ。俺は自分さえ良ければそれで良い」


 他者を省みない、極めて自己中心的な物言いに対して、女の眉が顰められる。


「……ワタシぃ、今とても疲れているのよぉ」

「だから戦いたくないってか? 関係ねえっつってんだろうが」

「違うわよぉ。ただぁ、今のワタシは万全のコンディションにはぁ、程遠いわぁ。貴方だってぇ、全力を発揮できる状態のワタシと戦った方が、良いと思わないかしらぁ?」

「知るかンなもん」


 女の提案も、やはり同様にバッサリと切り捨てられる。

 それどころか、それ以上の問答は無意味とでも言うかのように、エルンストは重心を落とした状態から一気に突貫する。


「常在戦場が常だ!」


 瞬きの間に一気に間合いにまで踏み込み、大剣が振るわれる。

 その踏み込みの速度にはさすがに驚いたのか、表情を一変させ、咄嗟に飛びずさる。

 その甲斐あってか、直接的な傷を負う事こそ避けられたものの、手に持っていた扇子が半ばから真一文に切断される。


「ははッ、今のを躱すか!」

「冗談じゃないわぁ、本当」










 鼻腔に食欲をそそられる、香ばしい匂いが飛び込み、目が覚める。

 目を開けて見れば、眼前に、床に両手をついた状態で覗き込んで来ているミネアの顔があった。


「あっ、目を覚まし――」


 どこかで聞いた事のあるような言葉を最後まで言わさず、首を掴み、壁に全力で投擲する。

 そのまま衝突してくれれば良いものを、体勢ゆえに十分な力が入らなかった為か、それとも予想以上に高い身体能力故か、空中で器用に身を捻って壁に着地し、床に降り立つ。


「チッ……あと少しでしたのに」

「舌打ちはこっちの権利だろうが」


 よしんばおれにその権利が無かろうと、どう考えてもこいつがする権利も無い。


「目が覚めたか?」

「……見りゃ分かる事を、どうして誰も彼も、わざわざ口に出して聞いて来るかね?」


 良く見てみれば、おれが目を覚ましたのは非常に見覚えのある、シロの店の中だった。


「第一声としては無難だからだろ? 起き様に奇抜な言動を取られるのと比較して、どっちがマシだ?」

「比較対象が間違ってんだろ」


 店内をざっと見渡してみれば、たった今投げ飛ばしたミネアと店主のシロを除けば、ベスタにアスモデウス、そして何故かシアにディンツィオに膨大な魔力を保有した薄汚い少女の姿があった。


「幸運にも、この場所に解放された……訳ないか」

「ベスタが能力を使って集めた。礼を言っとけ。余計なものが混じってんのは、アタシを見付ける前に偶然見付けちまった結果の、言っちまえばハズレだ」

「ハズレ呼ばわりは酷いよ!」

「いやね、俺っちとしてはね、拾って保護した上に放り出さずに飯までくれてる時点で、感謝感激雨あられな訳なのよ。そんな意見も文句も一切抱いてないのよ。だから危険が去るまで放り出さないでください本当に」


 見ればテーブルの上には、店内に備蓄されている食料で作ったのであろう料理の数々が、湯気を上げた状態で載っていた。

 それらから漂ってくる匂いが、口内に唾を沸かせ、腹から音を呼び出して来る。


「まずは食べたまえ。話はそれからだ」


 シロと共に厨房で腕を振るっていたアスモデウスの言葉に甘え、適当な席に座り、料理にありつくとする。

 2日間まるで食べてなかったお陰で、咀嚼し飲み込む度に、生き返るような錯覚を覚える。


「美味しいね、ジン兄!」

「…………」


 言葉自体は否定しないが、会話をする必要性を感じないため黙殺する。


「……そう言えば【レギオン】の奴らは?」

「少なくとも、あの場にいた奴らなら王都かその付近に居るのを確認してる。あの場に居た奴ら以外にも、もしかしたら居るのかもしれねェがな。ただ……」

「ただ?」

「あの怪物の姿がどこにも見えねェ。もう王都を去ったのか、それともどっかに潜んでいるのかは分からねェがな」


 怪物――即ちリグネスト=クル・ギァーツの事だ。


 本音を言えば、王都を去った後である事を願う。ただ、そんな楽観的な見積もりが罷り通るほど世の中は甘くは無いだろう。


「結局、何が目的で奴らはこんな無謀な襲撃を仕掛けたんだ?」

「知りたいですか? 知りたいですか?」


 おれのボヤキを耳にしたのか、ミネアが非常に良い笑顔を浮かべ、同じ言葉を繰り返して寄って来る。


「……そう言えば、お前は【諧謔】の奴を雇ってた訳だな」


 色々あって忘れてたが、そこ繋がりで、今回のこれについて知ってる可能性は大いにある。


「何を企んでいる?」


 呑気に間合いに入ってきた瞬間に大剣を顕現させ、首筋に突き付ける。


「何も企んでいないと言えば嘘になりますが、内緒です」

「よし死ね」

「ああ、ちょっと待ってください! 落ち着いてくださいよ! 何度も申し上げました通り、私は貴方にとって不利益となるような事はしない……事もありませんが、少なくともそうするつもりでする事はないです」


 直近の自身の失態を思い出したのか、途中で言葉を訂正するも、一切の淀みも無く言い切る。

 ハッキリ言って、全く信用が置けない。


「拷問は余り得意じゃないんだがな……」

「どうか落ち着いてください。貴方にならば何をされようとも構いませんが、絶対に話す事はできません。話した場合の貴方の行動の予測が絞れないからです。

 ですが断言します。こればかりは、絶対に貴方にとって好ましい事です。それを約束します。もし破られたと感じたならば、好きなだけ痛め付けた上で殺して頂いて結構です」

「ジン兄、女の子にここまで言わせているんだから――」

「黙れ」

「はい、黙ります!」


 大仰なポーズと共に、両手で口を塞ぐ。馬鹿なのか、アホの類なのか。


「……アスモデウス」

「喋らせる事は可能さ。ボクの権能を使えばね」


 おれの意図を明確に汲み取って、期待通りの回答を返してくれる。

 完全に信用した訳ではないが、少なくとも心強く、頼れるところがある点は認める。


「なら……」


 おれのやらんとしている事を、知らずとも察したのか、微かに緊張した面持ちで口を開く。


「喋る前に自らこの命を断ちます。絶対に喋る訳にはいきませんから。いずれ貴方は知る事になるでしょうが、まだ早いんです。なるようになるまで待つのが最善だと、私は判断しましたから」


 微かに声が震えているのは、死に対する恐怖心の為か。

 だがおれと交差している視線に、動揺は一切無い。こいつは本気で、喋るぐらいならば死ぬと言っている。そしてそれを実行できるだけの意思がある。


「アスモデウス……」

「ボクの権能は、魔力抵抗力には左右されない反面、精神面に強く左右される。勿論、ボクの手に掛かれば並大抵どころか強固な精神を持ってても、僅かな抵抗も許さない。だけど、彼女は意志が強過ぎるね」


 弱ったかのように、眉を顰めて続ける。


「それでも喋らせる事は可能だけど、そうなるまでに数秒から、最大で数分は掛かる。その前に彼女は命を断つだろうね。それもキミに対する忠誠心故に。一体どうやったらここまでの忠誠心を植え付けられるか、凄く気になるよ」

「おれが聞きたい」


 少なくともおれには、まるで心当たりは無いのだ。


「…………」


 剣を離す。


 少なくとも、アスモデウスがこの状況で嘘を吐くメリットが無い事だけは確かだ。

 ならば無理やりにでも聞きだそうとすれば、こいつは本当に自殺するだろう。そうなるくらいならば、生かしておいて利用するほうが得られるメリットは多いだろう。


「…………」


 それ以上は思考を割く必要は無いと判断して、連中の目的については、ひとまず意識から切り離す。

 代わりに考えるのは、あの箱庭の中で、オーヴィレヌ家の当主を名乗る男から聞かされた事。


 あまり真剣に考える必要性はないのかもしれない。少なくとも向こうにとって、おれと敵対する理由は本当に無いのかもしれないが、だからと言って仲良くする理由も欠片も無い。

 ならば、あの言葉は戯言として片付けるのが合理的だ。


 だが、引っ掛かるものがあるのも確かだ。

 直後に現れた、カルネイラという男の言葉と、テオルードという男の言葉。

 偶然の一致とするのには、あまりにもでき過ぎている。ならば両者はグルだったのかと言えば、それもおそらくは違う。


「んー!」

「…………」

「んーんー!」

「何なんだお前は……」


 口を開かずに奇声を発し、さらにはテーブルを叩いて思考を妨害して来るシアに、殺意を抱きながら剣と共に言葉を差し向ける。

 取り敢えずこの場なら、殺しても証拠の隠滅は十分可能だろう。あの場にはアキリアが居た為に実行できなかったが、ここでそれを気にする事は無い。


「その言葉は喋って良いって事だよね! だから喋るね!」


 口から手を放し、水を得た魚の如く捲くし立てる。


「あのね、ジン兄は確か私に、借りが2つも――」

「死ね」


 テーブルに足を乗せて踏み込み、首を狙って剣を振る。

 もっとも、それぐらいは予想していたのか、感覚が一瞬だけ跳び、シアの姿は一気に壁際まで移動する。考えるまでも無く、おれの時を止めてその間に退避をした。


「待って待って! そんな無茶な要求しないから! たった1つだけ、簡単なお願いをするだけだから!」

「黙って死ね!」


 上段からの振り下ろしで頭から両断できると思ったが、剣との間に、微細な糸が挟まれて剣が受け止められる。さらにはその糸は剣に巻きつき、おまけにご丁寧にも糸の時が止めてあり、切断するのに僅かに手間取る。


「うわわ、わわわわわっ!?」


 それでもベルに喰わせて切断し、脇を擦り抜けて逃亡しようとしたシアを追う。

 即座に切断されるのは想定外だったのか、追撃の斬撃を回避するも、僅かに体勢を崩す。


 その隙を逃さずに容赦なく剣を振り下ろす。シアも慌てて時を止めようとするが、おれの方が僅かに速い上に、万が一間に合わずともベルに腕を貸して殺させる。


「…………」

「……あれ? 生きてる?」


 刹那、頭の中にとある考えが浮かび、寸前で剣を止める。

 いつまで経っても来ない衝撃に、目を閉じて腕で庇っていたシアが状況を確認し、腰を抜かしたようにへたり込む。


「ふあー、本当に死ぬかと思ったよ。ジン兄、ジョークにしてもちょっとやり過ぎ――」

「おい、ちょっと黙れ」


 剣を旋回させ、シアの脚の間に突き立て、柄頭に両手を置く。


「お前の話とやらを聞いてやる。さらに借りを3つにしてやる。ついでに借りを数分、返してやる。だからちょっと付き合え」

「えっ、えっ!? ちょっ、駄目だよジン兄! ジン兄にはミネアちゃんが――」

「黙れ」


 頭に浮かんだのは、あまりにも突拍子な考え。まともに検証するのも馬鹿らしいとすら思える、考えておきながら、鼻で笑い飛ばしてやりたい程の物。


 だが少なくとも根拠はある。突拍子ではあるものの、荒唐無稽ではない。万が一、万が一その考えが当たっていたとしたら。

 

「シロ、ちょっと外に出て来る。それと何もるな」

「……ああ」


 長年の付き合い故か、おれの言葉を一切の反論や疑問も無く、素直に呑んでくれる。余計な時間が掛からずに済む。


「さっさと来い」

「えっ、あ、うん。待ってよジン兄!」










「ようやく解放されたか。嫌な具合に足止めを喰らったな……」


 王都近郊にある、偶然にも開拓を免れたお陰で残っているといった風の雑木林の中で、仰向けに寝転がっていたアベルが目を覚ます。


「……日は変わらず沈んでるな。ただ月の状態から言って……丸々2日前後、まあ能力に捕らわれていた日数とほぼ同じか。ここまで来たら、もう手遅れか。いや、もう大分前の段階で手遅れだった気もするが」


 手を組んで伸びをして体を曲げ、全身を間接の音を鳴らして解す。

 数回に渡って運動を行い、程よく体が解れたところで肩を回し、背後を振り向く。


「どうかしたか、ウェイン?」

「いえ、別に」


 背後には、少なくとも目を覚ました段階では居なかった筈の、白髪の少年の姿が、木に背を凭れた状態であった。


「そうか? 随分と機嫌が良さそうに見えるがな」

「…………」


 アベルの探るような言葉にも、ウェインはただ浮かべていた笑みを深めるのみ。

 その意味深な行為に対して、アベルもまた似たような笑みを浮かべて、鼻を鳴らす。


「まあ、別に構わねえがな。それより、他の奴らは見たか?」

「いえ、誰も。僕が最初に見付けたのは、貴方が最初ですよ。というか、僕はここからそこそこ離れた場所に気付いたら立ってましたし、多分各々が、別々の場所に解放されているんじゃないですか?」

「その可能性は高いだろうな。そもそも、オレは捕まった時には、こんな場所には居なかった訳だからな。両方に整合性が無いなら、ランダムと見るのが妥当だ」


 確認したかったのはそれだけだと、アベルはあっさりとウェインから視線を外し、遠くに見える王都の外壁へと視線を移す。


「……これから、どうするつもりですか?」

「どうもしねえよ。もうなるようになっちまってる。なら、オレはオレのやるべき事を果たすだけだ」

「どうぞご勝手に。死ぬのも含めて。僕も好きに動かせて貰いますね」

「それこそ勝手にしてろ。あと生きて戻ったら覚えてろ」

「僕が死ぬ訳無いじゃないですか。貴方が死ぬんですよ。むしろここで今すぐ死んでください」

「オレが生きて戻ったらの話だ!」


 振り向き様に振るわれた裏拳を、ウェインは頭を下げて回避。さらに警戒するように跳躍して距離を取る。

 その様子を少しの間だけ睨むも、すぐに嘆息と共に視線を戻す。


「分かってんだよ。進む先に特大の危険が待ち構えてるって事はな」

「誰もそんな話してませんよ。何神妙な顔で格好付けてるんですか」

「やっぱテメェ覚えてろ」


 そう吐き捨て、今度こそ振り返る事無く、歩を進める。

 ただ歩いているのにも関わらず、声を掛けるのを躊躇わせるような何かを内包したその足取りが止まったのは、目的地まで後半分といった辺りの事だった。


「行くのか?」

「そっちは?」


 白濁した色の、歪な形をした椅子に腰掛けた、外套を目深に被った人影。

 座っている為にイマイチ判別し辛いが、その背丈はアベルよりも低く、一方で性別を一目で見分けるのが困難な、そんな外観だった。


「行く。もう少しで、何かが分かるかもしれないから」

「そうかよ。いつも通り、骨折り損で済みそうな気もするがな」


 外套のフードの下から返って来るのは、男とも女とも判別の付かない、奇妙な声音。

 だがその声音に対して疑問を抱く様子も無く、まるで古くからの知り合いであるかのように、アベルは平然と会話を繰り広げる。


「まあ良いがな。一緒に行くか?」

「いや、ここで時間を潰している。タイミング的には、もう少し後が最善だろうから。あるいは、行く必要が無くなるかもしれない」

「分かってると思うが、程々にしとけよ……【諧謔】」










「ここは……王都の中か?」

「た、多分……」


 襲撃から日が経っていない為か、殆ど破壊の痕跡がそのままになっている中で、幸運にも被害に遭っていない区画内に解放されたミズキアと3人のキュールが、互いに周囲を見渡しながら言葉を交わす。


「……にしても、えらい目に遭ったな」

「そ、即効で片付けるとか、い、言っておき、ながら、逆に即効で、片付けられた……」

「うるせえ。オレの不死性は搦め手に弱いんだよ」

「た、大抵の不死者は、搦め手に、よ、弱いと、思う」

「ま、まあ、ぼ、僕も、他人の事は、言えない、けど」

「あ、相手の姿も、ろ、碌に見えずに、捕まった、もんな」


 直接的な被害が無かったとはいえ、さすがに破壊の規模が甚大な事に加え、日が沈んでから大分経っている為か、周囲に出歩いている人影は皆無であり、それ故に4人の会話を遮るものもなかった。


 それは、油断と言えた。


 解放された直後であり、言い換えれば山場を乗り越えたばかりであるが故に、ほんの僅かであるが、その場の全員に共通して気の緩みが生じていた。

 さらには、その全員が性質こそ違えど、極めて高い不死性の持ち主であった事も、その要因に一役を買っていた。


 最初はミズキアだった。

 あまりにも唐突に、何の前触れも無く、ミズキアの首が飛ぶ。

 それは一切の誇張も無く、ましてや比喩表現でもなく、鮮やかな断面を見せて、ミズキアの頭部は首から切断されていた。


「なッ――!?」


 検分するまでも無く、疑う余地の無い即死の一撃。


 例え本人が油断していたとしても、例え不意を打つ事ができたのだとしても、本人を含むその場の誰にも気付かれずに、たった一撃で【死なず】と呼ばれ、【忌み数ナンバーズ】に名前を連ねているミズキアは葬られていた。


 だが、襲撃者の接近に気付けなかったとはいえ、残るキュールもまた歴戦の傭兵だった。

 ミズキアが死んだ事に対して、驚きを示して硬直する事は無い。自身もまた不死であり、またミズキアの不死性の異常さを正確に理解しているが故の反応であり、襲撃を受けてミズキアが死んだという事実だけを瞬時に把握して戦いに備える。


 いや、備えようとした。


 ほんの僅かな、それこそ瞬きする暇も無い半瞬の間。

 その間に、その場に居た3人のキュールたちは、全身を何分割にも切断されて死ぬ。

 あまりにも速過ぎた為か、切断されたという結果が生じた後に、刃が空気を斬り裂く風切り音が聞こえて来る程だった。


「何、者だ!?」


 キュールが殺された隙に復活したミズキアに、再びの斬撃が襲い掛かる。

 それに先程と同様、回避する事こそできなかったものの、辛うじて反応する事だけはでき、肩口から入った刃が心臓を破壊し腹部まで両断したところで、手が斬り裂かれるのも構わずに素手で刃を掴んで止める事で、ようやく相手の姿を認識する。


 おそらくは闇夜に紛れる事を目的とした、黒単色で構成された外套。

 例に漏れず目深に被ったフードの為に、顔も見ることはできないが、ミズキアの体に埋まった身の丈ほどもある大剣とそれを握っている街頭の外に出ている腕から、その者が男であるという事の推測は立つ。


 だがそれだけだった。

 その人物が何者か。その事はおろか、その人物に関する確定的な事は何1つとして分からなかった。


「当然のように死なないか。【死なず】なのは変わらず、と言ったところか」

「お前は……!」


 ミズキアの問いには答えず、首を刎ねられても復活し、そして今間違いなく心臓を破壊されているのにも関わらず生きている事に対する感想を、想定通りとでも言うように述べる。

 そして同時に、ミズキアの顔色が豹変する。


 襲撃者の手が伸ばされ、動けないミズキアの首に添えられ、そして骨が圧し折られる。

 訪れた死によって全身から力が抜けたミズキアの体が崩れ落ちるのも一瞬の事、膝を付いた次の瞬間には命の交換が終わり、跳ね起き後方跳躍する。


「あり得ねえ!」


 跳びながら腕を振り、地面が隆起し何枚もの土壁が出現する。

 それをわざわざ避けるなどという面倒な事はせず、襲撃者は当たり前のように、その壁を紙細工か何かのように斬り裂き、退がるミズキアを追う。


「何でお前がここに居る!」


 ミズキア自身、それは織り込み済みであるかのように、最後の壁が突破された瞬間を狙って、大体的に地形を変動させて圧倒的質量の津波によって襲撃者を呑み込もうとする。

 さらにミズキアは、その津波が相手を呑み込むのを確認せずに後退。合わせて両手に、キュールの分体を通して知ったシアの合成魔法を紡ぎ始める。

 そして次の瞬間、土砂の波が内側から爆ぜて四方に飛び散り、その影を縫うように接近した刃に斬られて死ぬ。


「お前は、死んだ筈だ!」


 怒鳴るというよりは、叫びに近い声。

 その表情には、そして発せられた声には、間違えようの無い恐怖が確かに存在していた。

 ティステアの精鋭であった、ウフクスス家の師団長さえも下し、単身で国を滅ぼした事もある、歩く災厄と呼ぶに相応しい不死身の怪物が、紛れも無く恐怖を抱いて露にしていた。


「お前は死んだ! 死んだんだ!」


 認識と乖離した現実に対する言葉というよりは、もはや自分に言い聞かせ、無理やり納得しようとしているかのような言葉。

 その言葉に対する返答として伸ばされた手が、ミズキアの頭部を鷲掴みにし、そのまま地面に押し倒し抑え付ける。

 間髪入れずに振り下ろされた刃がミズキアの命を奪い、そして再び復活するも、拘束された状態である事に変わりは無く、完全に身動きを封じられる。


 それでも尚も、ミズキアは叫ぶ。

 正気を失った事さえも疑える、恐慌に染まった表情のまま、唯一自由に動く口を動かし続ける。


「蘇って堪るか、お前みたいな怪物が!」











次回予告

芽吹いた種は過去と今を結ぶ橋を渡し、標となる……みたいな。


ようやくあいつが登場。本格的な出番まであと少し。

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