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道化の遊戯⑫

 



「なるほど、確かにそれは、個として非常に危険極まりない方ですね」


 レフィアの表面的・・・なプロフィールを聞き終えたミネアが、自身の認識の甘さを上塗りするように言う。


「ですが、それはあくまでそれだけに過ぎないでしょう」


 そして当初よりさらに肥大した疑念を押し返して来る。


「確かに警戒するに値する、強大な力を持った方なのでしょう。敵に回すのはあまり賢いとは言えず、回してしまえば厄介な事極まりない方なのでしょう。ですが、たかがそれだけでしょう?」

「ああ、たかがそれだけだ」


 高位魔族に匹敵する力を持つ、親世代の吸血鬼。なるほど、確かに脅威だ。

 吸血鬼の特性に物を言わせて手に入れた、全部で7種類の魔眼。なるほど、確かに脅威だ。


 だがそれだけだ。強いが、強いだけなのだ。

 世の中には、強い奴などいくらでも居る。その中にはレフィアよりも劣る者も居れば、レフィアよりもさらに強い者も居る。

 それら全てが等しく警戒するべき相手であり、レフィアだけを特別に取り上げる意味はどこにもない。

 事実、おれからすればレフィアも、他の強者も、おれよりも強いという点においては全く同じだ。


 ましてや、少なくとも現状においては、おれとレフィアは明確に争っている訳でもなければ、そうなる理由もないのだ。


「にも関わらず、貴方はレフィアさんを警戒している――いえ、むしろ恐れていると言っていい。それも、先程の態度を見る限りは過剰なまでに。一体何故ですか?」


 予想通りと言うべきか、もっともらしい言葉だけでは煙に巻く事は、やはりできなかったか。

 大抵の奴ならば、この説明で納得し、それ以上の追求は無い。そしてあたかも完全に理解したかのように、自分なりにそれらしい理由を作り、一定の警戒心を抱いて終わりだ。


 だがミネアは、それでは終わらずに踏み込んでくる。

 それは予想できた事だ。こいつは決して馬鹿ではない。

 しかしだからと言って、本当に警戒するに値する理由を述べたとして、それを受け入れられてくれるかどうかは別問題だ。


 受け入れてくれれば、納得できてくれば、文句はない。

 だがそうでない場合に、想定される最悪の事態。


 それらを天秤に掛けて、話す方に傾く。


「……あいつを、最も端的に言い表すのならば……究極の気分屋だ」

「気分屋……気紛れな方、という訳ですか」

「端的に言うならば、だがな」


 実際には、そんな言葉だけで言い表し切る事などできはしない。


「気紛れな事、それ自体には、何の問題も無い。そういう奴はざらに居る。問題なのは、あいつ自身が併せ持っている、その飛び抜けた享楽性だ」

「それの何が問題に? どれほど気紛れな方であっても、物事を楽しんだりするでしょう。いえ、むしろ楽しむ為に、その興味が移ろっていくというのは当然の事なのでは?」

「違う、違うんだよ。そういう事じゃない」


 案の定、今の説明だけでは到底納得してくれそうに無い。


「あいつは楽しむ為に、その対象を移ろわせていくんじゃない。移った対象を楽しむんだよ。いや、それも違うか」


 自分自身、あいつを言い表すだけの語彙力が無い事に気付き、そして自嘲する。

 そもそも、あいつの事を正確に言い表せる事のできる奴が、果たして大陸にどれ程居る事やら。


「あいつにとっては、この世の全てが楽しめる対象足り得るって事だ。この世を構成している全ての要素を、それぞれ分別したとして、あいつの場合は全て1つの区分に収まる。楽しめるものとしてな」


 言い悩んでいるおれを見てか、代わりにアベルがおれの言葉を引き継いでくれる。


「気紛れな奴が居たとして、そいつの気分が移る先は、どれほど偶然に生きているつもりであっても、無意識のうちに限定されている。つまり、そいつが楽しくやれる対象だけに絞られている。たまには辛いと思えるような事をやろうなんて考えて、それをやる奴も居るだろうが、それは自分が気紛れにやろうと思ったと思い込んでるだけで、実際はそんな事を考えている時点で、そいつはそれを楽しんでいる」

「だがレフィアの奴にはそれが無い。あいつにはまず考えが無い。考える根拠を持ち合わせていない。考え始めるのは、その根拠となり得る、移ろった先での事だ。その考える内容も、大抵が碌でも無い事でしかない」


 アベルばかりに語らせるのも悪いので、適当なところで、語り手を再び引き継ぐ。


「あいつは何をしても楽しめる。だから何でもやる。常人じゃ思い付きもしない、おぞましい発想に基づいた行為であっても、常人では実現させられない、高尚な行為であっても、あいつにとっては等しい行為でしかない」

「……抽象的過ぎて、理解がする事が難解な事ではありますね」


 額に指を充て、ミネアが沈黙したのは数秒の間。

 数秒後に、どんな結論を自分の中で下したのかは分からないが、再び同じ疑問が投げ掛けられて来る。


「しかし、それは客観的、大衆的な事でしょう。貴方が直接的に恐れる理由とは、いささか違う気もしますが?」

「ああ、そりゃ簡単だ。元を正すと、レフィアを吸血鬼にしたのが、他でもないこいつの師なんだよ」


 答える前にアベルが答える。それも吐き捨てるかのように。


「……ええと、それとこれに、一体何の関係が? いえ、確かにエルンストさんとジンさんとの間には、師弟という関係があるんでしょうけど」

「それがあいつの厄介、もとい、面倒くさいところだ。さっきも言った通り、あいつにとってはこの世の全てが楽しめ得る対象だ。だが同時に、それだけで世界が完結している訳でもない」


 いつの間にか、会話をアベルが受け持っていた。いや、別に構わないのだが。


「あいつは快楽心を持っている。そして同じくらい、常に享楽と存在しているだけで、他の喜怒哀楽も持ち合わせている。

 むかつく事にはむかつくし、哀しい事には泣くし、殺したいと思う時には殺す。それ故に、その気分の矛先にも傾向が存在する」

「つまり、レフィアさんにとって、吸血鬼にされた事は恨みの対象足り得る事であると。そしてその当人は存在しないが故に、その近者であるジンさんに対して、矛先が向かっている訳ですか」

「そういう事だ」


 なんと理不尽な、とミネアが口の端を引き攣らせて呟くのが耳に届く。おれもその意見には全面的に同意する。

 もっとも、それこそ言っても仕方が無いが。

 そもそもあいつには、おれに矛先を向ける明確な理由すら存在しないだろう。


「あいつにとって吸血鬼になった事は、楽しい事ではあるが、同時に腹立たしい事でもあるんだよ。あくまで推測でしかねえから、本心はどうだか知らねえがな。ともかく、それのおかげで、比較的気分の矛先には、このガキが関わる事が多い……あくまで比較的だがな」

「こちとらその比較的を、ピンポイントで引き当てるから困ってんだよ」

「お前はあいつの矛先の全体数を知らねえだろ。お前に矛先が向かった事なんざ、全体数から見れば誤差の範囲内だ」


 アベルはそうは言うが、こっちはそんな誤差の範囲で済ませられる問題ではない。

 何せおれには、その誤差を確実に叩き出してくる【災厄の寵児】という特性がある。実際、これで引き寄せられて来た災禍のうち、数例にレフィアが関わっている。


「納得できる……かどうかで言えば、納得はします。それが賢明でしょうし、ジンさんにとっても好ましいでしょうから」


 険しい表情で黙考していたミネアが、ようやく搾り出した言葉がそれだった。

 その微妙なニュアンスの違いが意味するところを、理解できないほどおれはマヌケではなかった。


「なら、それで良い」


 だがそれ以上は言いようがない。むしろ納得してくれただけでも上等で、理解できたと言ったば、間違いなく嘘と判断する。


 理屈ではないのだ、レフィアは――【忌み数ナンバーズ】の連中は。

 いくら聞こうとも、実際に関わって見ない限りはどれ程優れた人物であっても理解し切れる事はなく、できない。

 連中はそういう存在だと、認識するより他は無いのだ。


「それにしても、エルンストさんは一体何をしているんでしょうか。決して悪く言うつもりではないのですが、結果的にジンさんが不利益を被っているのは、それこそ納得できませんね」

「ああ、それな……」


 アベルが視線を気まずそうに逸らし、尚且つ現実に無い遠くを眺めながら続ける。


「要約すると、昔とある地方領主に刺客を差し向けられた事にブチ切れたエルンストが、その地方領主の下に乗り込んで、関係者諸共皆殺しにしたんだよ。

 ただ、その領主には2人の子供――姉弟が居て、そいつらは殺されずに済んだ。だが代わりにそいつら……つかレフィアとキュールなんだが、ともかく連れて行って、伝手を駆使して【転血法】の術式を姉の方に施した。それが事の顛末だ」

「何をやってるんですか、本当に」

「本当にな」


 ミネアの言葉に、アベルがこっちを見て同意する。その視線は極めて心外と言わざる得ない。


「刺客を差し向けるのがどう考えても悪いだろう」

「悪いよ、そりゃ悪いよ。だがどな、その後のレフィアの奴がやらかした事を考えると、いくらなんでもやり過ぎだろ」

「それこそ結果論だろう。言う方が無茶振りだ」


 敵対した相手を皆殺しにするのは、傭兵の中では珍しい話ではない。むしろ有り触れている。

 当然だろう。禍根を断たねば、いずれそれが自分の首を絞めるかもしれないのだ。むしろ徹底的にやるのが理論上では完璧な解答だ。


「……この際だから言うけどよ、お前の師さ、割と容赦が無さ過ぎてエゲつなさ過ぎたろ」

「むしろ傭兵としてあるべき姿を、誰よりも体現していた筈だけど?」


 そう答えると、何故か半眼で、疲れたように見て来る。


「肩が当たった程度の、ほんのちょっとした難癖を付けただけの傭兵を、そいつが所属している団の連中ごと皆殺しにしたよな。わざわざ絡んて来た張本人は公衆の面前で嬲り殺しにした上で」

「この業界、舐められたら終わりだからな。無能者なら尚更だし」

「依頼人に招かれた時に、手引きされた刺客を依頼人ごと返り討ちにした後、その邸宅に居た奴らを皆殺しにしたよな。たまたま来ていた一般人も含めて」

「誰が内通者で、だれがそうじゃないかなんて分からなかったからな」

「……ジジス砦で、虐殺したよな。わざわざ生き残りを捕虜にして、将官共を目の前で惨たらしく殺すのを見せた上でみっともない命乞いまでさせて、その上で皆殺しにしたよな」

「敵対した相手で、何よりその前に味方だった筈なのに裏切って殺そうとしたからな」

「…………」


 何故か疲れたように盛大な溜め息を吐かれる。一体何だと言うのか。


「お前、やっぱ強いわ。別の意味で。そのブレなさ加減は称賛ものだよ。もう何も言う事は無いわ」

「そいつはどうも」


 褒め言葉として素直に受け取っておくとしよう。もっとも、まるで意味が分からないが。


 まあ、それは置いといて。


「レフィアの奴は、当然ユナとおれとの間に、血の繋がりがある事を知ってるだろうからな。何かしらをしでかすのは間違いないだろう」

「ですが、その事を話した覚えはありませんよ?」

「話されてようがいまいが、あいつには関係無い。1つ確かなのは、あいつには聞いてない事を知る事のできる手段を持ち合わせて――ッ!?」


 いきなり首筋を襲って来た、焼かれたようは灼熱感に驚き、手で押さえる。


「……どうかしたか?」

「……いや、何でもない」


 訝しむようなアベルに、手を振って問題無いと答えておく。

 事実、既に強烈な痛みは形を潜めており、残るのはジリジリとした、日差しに焼かれているかのような些細なものだ。


「……災禍が起こる前兆かい?」


 この場のメンバーの中で、唯一事情を理解しているアスモデウスが、他の2人には聞こえないように配慮しながら聞いて来る。


「ああ、多分な……」


 そう答えるも、疑問が拭いきれない。


 何故今になって、そんなものが起こるのか。

 何故この状況下で、そんなものが起こるのか。


「魔界のあれじゃ、まるで足りなかったってか?」


 仮にそうであったとしても、僅か数日の間に、こうも連続して起こり得るものなのだろうか。

 そもそも、この外界とは隔絶されている筈の箱庭の中でさえ、起こり得るものなのだろうか。


 もし全てそうなのだとしたら、果たして何が起こるというのか。


「クソったれが」


 クソったれ、本当にクソったれ。

 一昨日来やがれってんだ、こんちくしょう。










「あひゃ、あひゃひゃ、ひゃひゃひゃ……」


 普段の底抜けのような陽気さなど、欠片たりとも見受けられない、力ない笑い声が響く。


 その笑い声を上げている張本人――レフィアは、床に力なく仰向けに転がっていた。半身を失った状態で。


 頭部から腹部に掛けてまでの、文字通り右半身が吹き飛んだ状態でレフィアは力の無い笑い声を上げ続ける。

 吸血鬼であり、血が本体である以上は、その状態は致命傷足り得ない。

 例え脳の半分が吹き飛ばされ、臓物が消失し、または零れ落ち、床に大きな血溜まりを作っている状態であっても、レフィアは死ぬ事は無い。


 その一方で、失われた半身の再生は、遅々として進んでいなかった。


 勿論、レフィアは免疫性吸血鬼であり、その再生能力は身体性吸血鬼と比べれば圧倒的に見劣りする。

 だがいくら免疫性吸血鬼であろうとも、まるで停止していると錯覚してしまうほど、再生速度は遅くは無い。


「とん、でもねー、なー。さす、がに、想定外、だぜ……」


 半分しかない口で弧を描き、そんな事を言う。


「つーか、100通りの、どれにも、あんな展開は、無かった、ぜ……?」


 彼女自身の持つ魔眼によって見通す事のできる、幾通りもの起こり得る可能性のある未来。

 見えている未来に行き着く可能性は、個々において均等ではない。さらに言えば、見える展開はダブる事もあり、それに加えて、例え起こり得る未来が100通り以上あろうとも、彼女が見る事のできる未来は100通りまででしかない。


 しかし、それで十分だ。

 100通りどころか、その半分の別々の展開を生み出せるだけの者など滅多に居らず、事実彼女は、今まで生き延びて来ていたのだから。


 その彼女も、この展開を見通す事はできていなかった。

 仮に起こった出来事が、101通り目の展開であったとしても、単純に考えて現実のものとなり得る可能性は僅か1%にも満たない。実際には、さらに小さな可能性だっただろう。

 そんな針先よりも小さな、それでいて最悪とも言える展開が、よりにもよってそのタイミングで引き起こるなど、誰が考えるだろうか。どう考えても、現実的にあり得ない事態だったのだ。


 だが誰が知っていただろうか。

 どれ程微小の可能性であっても、それが好ましくないのであれば、ピンポイントに引き当てて現実のものとする事のできる人間が居るという事を。


「……やっぱおもしれーなー」


 ようやく最低限の再生を終え、片足と片腕だけで器用にバランスをとって立ち上がったレフィアが、牙を剥き出しに笑う。


「何故かあのガキが関わると、気持ちわりーぐらいにおかしな方向に転がってくんだよなー。あっひゃひゃひゃひゃひゃ!」


 腕と足をそれぞれ失いながらも、レフィアの表情に鬱屈としたものは見受けられない。

 それが巧妙に隠されているからなのか、それとも本当に抱いていないのかは判然としなかったが、一方で彼女が心の底からその事態を楽しんでいるという事だけは、間違いなくそうだと言えた。


「まー、いーや。過程は予想とはちょっと……いや大分ちげーけど、最終的には予想通りだってなー。予想通り、おもしろくなるだろーなー。あひゃひゃひゃひゃひゃひゃ!」


 計画通りに行かなかったとしても――ユナを眷属にし損ねた・・・・・・・・・・としても、レフィア自身はそれを問題とは捉えていなかった。

 結局のところ、そうなる事を前提に考えていたとしても、どう転ぼうとも彼女にとってはどうでも良かったのだ。

 どう転んだとしても、彼女にとっては同じ事でしかない、ただそれだけの事だった。


「あー、にしても……」


 次の瞬間には、それまでの事など何も無かったかのように、あるいは忘れたかのように、意識から完全に追いやった表情で、虚空を見上げてぼやく。


「何か喉が渇いたなー。キュールの奴は最近飽きてるし、どーすっかなー」










「ハァ、ハァ、ハァ……ッ!?」


 船内に存在する薄暗い光を、随所に使用されている銀糸や銀細工が反射し光り輝いている、胸にエンブレムが縫い付けられているジャケット。

 ティステアの民ならば、一目見れば、ウフクスス家の師団員にのみ着用を許されているものであると看破できる、白銀色のジャケットを血で染めたまま、男は息も荒く走り続ける。


 ウフクスス家の使命である、秩序の維持――それさえも、男が主君と仰ぐ人物に対する忠誠心の前では、些細なものだと断言できるほどに霞む。

 その人物の為ならば命すら惜しくなく、必要とあらば即座に投げ出せる。そんな覚悟が、確かに男の中にはあった。ほんの少し前までは。


 そして今では、そんな覚悟など、塵芥となって消え失せていた。


「何、なのだ……」


 直前まであった忠誠心と入れ替わるかのように、男の内部に鎮座していたものの正体は、恐怖。

 理解の及ばぬ未知なるものに対する、そしてそれが、自身の命を脅かしているという事実に対する、原始的な恐怖が全身を支配し、一心不乱に足を動かしていた。


「一体、何だと、言うのだ……!」


 自身の仮初の姿――ベスタの姿が解け、元の姿に戻ったのは良い。それは即ち、彼の仲間の男の持つ【完全変態】の能力の効果が、男の死によって切れたという事を指していた。

 好ましくない事態ではあったが、容易に推測のできる、理解可能な事態だった。


 しかし、それ以降に起こった全ての事態は、彼の理解能力を遥かに超えていた。


 そしてその結果、彼は逃げている。

 体の随所に決して浅くは無い傷を負い、そこから流れる血がジャケットを染め上げる中、痛みすら意識の外に置いた状態で逃げ続けている。


 それは本来、考えられない事だった。

 彼の持つ固有能力は、意思1つで改変可能な箱庭を作り出す。

 その中にある限りにおいて、彼が走って逃げる行為は無駄な労力でしかない。少し構造を変化させれば、簡単に追っ手を振り切れるのだから。

 あるいは、敵対者に対して直接的に対処する事とて十分に可能な筈なのだ。


 だが彼はそれをしなかった。できなかった。

 それが一層の恐怖を煽り、その恐怖が足を動かし体力を削り、疲労が思考能力を低下させる。

 最終的に辿り着くのは、冷静に考えれば簡単に無意味だと分かるような、無意味な叫びにも近い問い。


「貴様は、一体、何者なのだッ!」


 常に背後に張り付き、一定以上の距離を話す事のできない影。

 恐怖によって研ぎ澄まされた感覚は、その影の息遣いさえも捉えているような錯覚すら抱かせる。


 床を、壁を、そして天井を。

 狭い船内の空間を立体的に使い、紫煙を纏い、縦横無尽に移動しながら迫り来るその姿は、そして何より、浮かべている嘲弄の笑みは、人外の捕食者と表現するのに相応しい。


 強いて当て嵌めるとするのならば、鬼。

 本来ならば簡単に追いつけるものを、立体的に移動する事でわざと進行速度に制限を掛け、それでいて狩る事を前提にじわじわと迫るその様は、鬼畜の所業と言える。


「何なのだ、貴様は!」


 角を曲がろうとし、船の揺れに足を取られて転倒した男が、立ち上がる事もできずに腰を落としたまま背後を振り返る。

 口を突いて出るのは、同じ意味の言葉を、僅かに変えただけの言葉。

 ただ知りたいのはそれだけで、だが本当に知りたいと思っているのかどうかも曖昧な、現実逃避に近い言葉だった。


「一体何だというのだ、貴様は!」

「……知りませんよ、そんな事」


 その言葉が、男の耳が捉える事のできた、最後の言葉だった。










「見ぃつけた」


 密閉され、明かりも存在しない閉ざされた空間内で、カルネイラがそう呟く。

 その呟きは、誰が聞いても明らかな気色で染まっていて、事実その顔は、満面の、しかし邪悪な笑みを象っていた。


「思わぬ……そう、本当に望外の発見だ。まさかこんなところで見付かるなんてさぁ。いや、当然なのかな? 彼なら保護していて当然なのかな? 何せ、大衆にとってそうするのが当然とする事を行動原理とするんだから。なら、納得のいく話かな」


 暗く密閉されていた空間内に、空気の出入り口と共に明かりが入り込むのは、カルネイラがそう独白した直後の事だった。


「カルネイラ様……」

「何だい? 僕は今機嫌がすこぶる良いからね、楽しい気分に水を差された事については、それこそ水に流そうじゃないか」

「も、申し訳ありません……」


 カルネイラの言葉を受けて、扉を開けて室内へと足を踏み入れた少年――イースが、膝を付いて謝罪する。

 それをカルネイラは、笑いながら手を振り、受け入れる。


「だから構わないって。とても機嫌が良い上に、君に非は無い。何も気にする必要は無いさ」

「……ありがとうございます」

「それで、何の用かな?」


 言葉通り、上機嫌な笑顔のままに用件を促す主人に対して、イースは険しい表情を浮かべて、端的に述べる。


「彼らが失敗しました」

「うん、知ってるよ」


 そして予想に反した主人の言葉に、一転して呆気に取られた表情となる。


「成功してくれたら御の字だったけど、まあ、無理だったねえ。事を急ぎ過ぎていたから、そうなるだろうとは思ってたんだけどね。焦らずじっくり、時間を掛けていれば勝ててたのに。僕もそう忠告して、わざわざ時間稼ぎまで手伝ってあげた筈なのに、それを突っ撥ね除けて走るから……」


 失敗して当然だと、少しばかり不機嫌そうに、そう結論付ける。

 だが依然としてその機嫌は上々であると判断したイースは、心した表情で伺いを立てる。


「恐れながら、1つお尋ねしてもよろしいでしょうか?」

「ん、何だい?」

「今回のこれに、一体どのような意味があったのでしょうか?」

「特に何も無いよ?」

「…………」

「あはははははは、嘘々、冗談だよ。面白いねえ、その顔」


 指を指されて笑われるも、イースは文句を言わない。自身の主がそういう人物であると、当の昔に悟り切っていた為だ。


「理由の1つは、時間を稼ぐ為、かな。これから起こるであろう、今世紀最大級の大舞台。それを最大限に楽しむ為には、どうしたって引き立てる必要があった。

 そしてこれは、もう現時点で達成されている。その点だけを見れば、彼らは実に良くやってくれたよ。全滅したのは、少しばかり惜しいけどね。役目を果たしてくれた訳さ」


 立てていた人差し指に続けて、今度は中指も立てられ、合わせて2本の指が立てられる。


「もう1つが、前も言った通り、種を撒くためさ」

「種、ですか?」

「そうさ。作物でも、雑草でも、何の種でも良いけど、撒いた以上は芽を出して花を咲かせる訳だね。どんな花かは分からないけど……」


 立てていた指を下ろし、頬杖へと変化させて、虚空に視線を投じる。口元には、終始変わらぬ笑み。


「僕的には、1つ目と同じくらい、こっちにも期待している。願わくば、芽吹いてくれる事を願うね。そして花を咲かせてくれる事を」











次回予告

遊戯を終え、軍団の要は最凶と邂逅し、不死者は恐哮し、死神は真相に至る為の切符を手にする……みたいな。


道化の遊戯はこれで終了ですね。次話が後日談的な何かになります。

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