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道化の遊戯⑪

 



「何が……ッ!?」


 ギレデア――の姿を借りた男は、自分の感覚に違和感を抱くと同時に、いつの間にか眼前に迫っていたカインに驚愕する。

 咄嗟に後退して距離を取ろうにも、その遅れは致命的で、行動に移す間もなく顔を掴まれて地面に投げた押されて抑え付けられる。


「くっ――!?」


 その痛みに僅かに呻くも、即座にそれを噛み殺し、再び能力を行使――しようとして再び違和感に襲われる。


「何だ? 能力が……」


 そこから先の言葉を紡ぐ事はできない。自身でもその感覚を、どう形容すれば良いか分からなかった為だ。


「お前はマヌケ過ぎた」


 そんな混乱を露にする相手に、カインは淡々と語る。


「お前は自分の能力を【完全変態】――変異系統の能力だと称したが、もし本当にそうなら、自分が偽者だってバレた時点で、元の姿に戻って然るべきなんだよ。何せ、変異している以上はその体は他人のものだ。相手が戦う気満々なのに、慣れていないそのままの姿で戦うのはリスクがでかすぎる。

 にも関わらず、元の姿に戻らないっていう事は、詰まるところお前の能力が【完全変態】だっていう言葉自体がブラフだって事だ」


 チリンと、鈴の音を鳴らす。


「まあ、それ自体は悪くない手だ。相手が能力者であるという事が分かっている前提で、尚且つ能力が未知数ならば、警戒するのは当たり前――柳は緑花は紅、犬が西向きゃ尾は東ってやつだ」


 チリンチリンと、鈴の音が鳴る。


「そんな中で、不確定要素の能力が戦闘型で無いと分かれば、相手からすれば懸念事項が1つ減る事に繋がり、自身にとっては切り札になり得る手札を手に入れる事に繋がる。

 だが、その実行者がこうもマヌケじゃな。 兎に祭文、犬に論語だ。第一、戦う前から自ら能力を明かすアホが、身内以外にどこに居るってんだ」

「【風牙爪】!」


 ならばと、今度は能力ではなく術式を放ち、問題なく発動し無数の風による斬撃がカインを襲うも、直前で身を翻して距離を取ることでそれらを回避する。

 だが結果的に拘束を取り除く事に成功した男は、素早く立ち上がり身を構え、今度は視界が激しく歪み足下がぐらつく感覚に襲われ、堪え切れずに再び転倒する。


「何だ、今度は……!?」

「酔ったんだよ。もうまともに立てねえだろ?」

「酔う、だと……!?」


 男の驚愕の声に、カインは鈴を片手で鳴らしながら、もう片方の手で自身の耳を指差す。


「人間は耳の奥に、三半規管っていう器官を持ってる。こいつは主に体の回転を感知する機能を持ってる訳だが、回り過ぎたりする事でこいつに過度の負荷を掛けると、その機能が誤作動を起こして平衡感覚を一時的に失い、結果上下の判断がまともにつかなくなる。

 水中で上下感覚が無くなるのがこれで、地上で動揺のことが起きれば、今のお前みたく、まともに立つ事が困難になる」


 長々と解説している間にも、絶えず鈴は鳴っている。カインの意思の元に、鳴り続けている。


「でもって、そんな器官が耳の奥にあるって事は、耳を介することで間接的に干渉が可能だって事だ。音を通じてな。所謂音酔いってやつだな」


 長々とした解説が終わり、ようやく男はカインのした事と、自身を襲っている現象の原因を理解する。理解した上で立ち上がるという選択肢を放棄し、再三の能力の発動を試みる。

 だが、結果は先程と同じだった。


「因みに、音でできる事はそれだけじゃない。人間は得る情報の大半を視界に頼っているが、その次に多いのが聴覚だ。外界がどうなっているかを、視覚や聴覚に基づいて認識している。ならばやはり同様に、その認識に対しても音を通じて干渉が可能だ」


 鈴が鳴る。鈴の音が鳴り響く。

 これを見よがしに鳴り続ける鈴に男は目を向け、ようやく今までも鳴り続けたのにも関わらず、その音を五月蝿いとも不愉快にも感じなかった事に気付く。


「例えば、特定の音域の音を特定の感覚で鳴らし続ける。それを続けて、耳にその音を十分に染み渡り、当たり前の段階になったところで、その感覚をほんの僅かだけずらす。

 するとどうだ、脳は聴覚を介して得ていたその当たり前の情報が僅かに歪んだ事を敏感に感じ取り、その歪みを正そうと、つじつま合わせを行おうとする。つまりは、その僅かにずれた一瞬の間と、本来の感覚との誤差の間、脳は一切の情報を遮断する。噛み砕いて言えば、その一瞬だけ意識を失うって事だ」


 カインの手が置かれている、腰に提げられている剣の柄頭には、おそらくはその特定の音域の音を発しているのであろう鈴が、話している最中でも鳴り続けていた。

 その音の感覚が、注意して聞いてみれば一定の――それも気持ちの悪いぐらい正確な間隔で鳴り続けている事に男は気付く。


「意識が飛んでる間は何もできねえ。能力を使う事もな。あくまで飛ばせる意識は一瞬だけな以上、使う瞬間を上手く飛ばす必要があるが……それぐらいは死神じゃなくとも、俺ぐらい魔力探知感覚を鍛えれいれば、能力を発動させる瞬間の魔力の揺らぎぐらいは察知できる。

 固有能力や魔法とは一切関係の無い、知っていて練習を重ねれば誰にでも実現する事のできる、簡単な技術だ」


 カインはそう嘯くが、そう簡単な事ではないのは、他でもないカイン自身が良く知っていた。


 語った音の鳴る感覚は、瞬きの間にも満たぬ一瞬のずれさえも許されず、語った特定音域は、鳴る音の間隔以上にほんの僅かなずれも許されない。

 そのずれは、その道に何十年もの研鑽と人生を捧げ、周囲から惜しみない喝采と絶賛を送られる、世間一般で言う天才と呼ばれるような人物でさえ見逃してしまうようなものであっても同様だ。


 それはカインの持つ天凜の才能に加え、先天的な要素――所謂絶対音感と呼ばれる、訓練によって手に入れられる後天的な相対音感とは一線を画する音感に、併せて生まれ持った、耳に届く全ての音を色として視覚化する事のできる共感覚――色聴と呼ばれるものに、さらにはその視覚化した音の色の、ほんの僅かな濃淡さえ数値化して差分を理解できる審色眼。

 そういった多数の要素を兼ね備えた上で、それらを持って生まれた事に満足してただ使うだけでなく、徹底的に鍛え上げて完全に己の物とした、積み重ねられた努力。

 どれ1つとして欠けずに合わさったからこそ生み出された、本来ならば芸術の分野に寄与される才能からは考えられないほどの、実戦向けの技術だった。


「あとはまあ、耳にした奴の戦意を煽ったり、逆に恐怖を煽ったり、ちょっと変則的な使い方として、演奏者に関する記憶を薄れさせるっていうやつもあるな。早い話が、演奏された曲を聴いて感想を抱く、それの究極版みたいなもんだ」


 鈴は鳴らしたまま、空いている手を振る。その手には、何枚かの銅貨が手品のように握られていた。


 それらを擦り合わせて、硬質の音を鳴り響かせながら、カインは男の下へと歩き寄って行く。


「色々と話している間に、お前の価値を計ってみたが……この舞台を作り上げた事自体は好評価だが、どうもお前1人だけの仕業じゃ無いみたいだし、加えてお前自身はマヌケの一言に尽きる。能力を封じられてから、碌な抵抗もできてないのも不評だな。結論から言えば――」


 立てないながらも何とか距離を取ろうともがく男の傍らに到達し、あたかも乞食に対して施すかのように、手のひらから銅貨を零れ落ちさせる。


「【銅貨7枚】――それがお前の価値だ。消えろ」


 落とされた7枚の銅貨が、全て男の背の上に落ち切った瞬間、言葉通りに男の姿が消え失せる。


 カインの固有能力――【同値相殺】によって、銅貨7枚分の価値と認識された為に、同価値である7枚の同かと引き換えに消失した結果だった。


「アホ臭え結末だ」


 一方的な戦いを繰り広げた男は、やる気の全てを失くしたと言わんばかりに、壁に背を預けて床に座り込む。


「急いては事を仕損じる、無理に自分で解決しようとしなくても、後は他の連中が上手くやるだろ。それを待つのが最善だ」










「40通り……まー頑張った方だな」


 尾を床に突き刺し、空中に留まったまま器用に胡座をかいたレフィアが、頬杖をついてつまらなさそうに告げる。


 そのレフィアの下には、傷だらけの状態で転がるユナの姿。

 出血自体は【血液支配】の能力によって止まってはいるものの、全身に刻まれている傷の数々は常人ならば致命傷のものばかりであり、死には到らぬものの、それらのダメージと苦痛がユナの体から力を奪っていた。


「気に病む事はねーぜ。あたしを相手に戦えば、大抵の奴は10か20通りで死ぬからな。40まで頑張れた奴は中々居ねー」

「…………」


 倒れるユナは何も言わない。既に言葉を発する体力すら、残っては居なかった。


 その反応をつまらなく思ったレフィアが床に降り、尾を掲げ、ユナの右手を床に縫い付ける。


「あぎッ、あぁ……!!」

「何だ、喋れんじゃん」


 手を刃で貫かれ、さらには抉り回される苦痛に耐え切れず、意識するよりも先にユナの体が苦鳴を漏らす。


「こッ、の……!」


 左手を持ち上げ、傷口から圧力を掛けて血液を放つ。

 【流血刃】とは違い、回収する事を考える余裕すら無く放たれたその血の刃を、レフィアは初めから来る事が分かっていたかのように、首を傾けるだけで回避する。


 結果、ただ血を無為に消費しただけという事実だけが残る。


「視えてたっての。つーか、視えてた中でも今のは悪手だろ。まだ周辺に散乱してる血を操作しての奇襲の方が厄介だったぜ?」


 余裕を見せ付けるように指摘までして来るレフィアを憎々しげに睨みながらも、言われた手を即座に実行――しようとして、その前に胸倉を掴まれて力任せに持ち上げられる。

 その際に縫い付けられていた手が乱雑に引き千切られ、半ばから2つに分かれるも、その痛みの悲鳴も無視したレフィアはユナと視線を合わせる。


「動くな」


 色の瞳に覗き込まれてそう言われた途端、ユナの全身から力が抜け落ち、四肢がだらりと垂れ下がる。

 それを見届けたレフィアは、無造作にユナを放り投げる。投げられたユナは床を受身も取れずに転がり、さらには起き上がろうとしても、やはり体は意思に反し、指先すら微動だにしない状態にあった。


「まさ、か……」


 辛うじて動く口を動かして、自身を今襲っている状況と、それまでの戦闘の記憶から、レフィアの手札を推測し口にする。


「複、数の……魔眼?」

「せーかい。まー、あんだけこれ見よがしに使って見せたから、気付いてとーぜんっちゃとーぜんか」


 ユナの見ている前で、レフィアの瞳の色が緑、赤、青、黄、橙、藍、紫へと変化していく。


「でもよー、今更気付くなんざ、頭の回転鈍過ぎんじゃねーの?」


 身内の連中ならとっくに気付いてると、嘲笑う。

 それに対してユナの中には、怒りよりも、驚愕と疑念が渦巻いていた。


「あり、得ない……」


 ユナのその言葉は、事実を認めたくないが故に出て来た言葉ではなく、異常なものを前にしたが故に出て来た言葉だった。


 固有能力は1人につき1つだけ、それが大陸の常識であり、普遍の法則でもある。

 ミズキアのような常識破りの手法でもない限り、その法則を覆すのはまず不可能だ。


 そんなユナの反応に、レフィアは笑い、そして頃が湯ユナの腹部へと強烈な蹴りを叩き込む。


「ぐぅ……ッ!?」


 二転、三転し、うつ伏せになってようやく止まるも、直後に喉奥から競り上がって来るものを感じる。

 しかし相変わらず動く事ができない為に、それを吐き出すという動作すらできず、結果喉奥で止まっているものを吐き出す事も、さらには呼吸をする事もできずに苦しむ。

 だが直後に、傍まで寄って来たレフィアがその背中を思い切り踏んだ事で、新たな痛みと引き換えに、盛大に蹴りによって傷ついた内臓から流れ出た血を吐き出す。


「きたねーな」


 その飛沫が足に掛かるのが不快だと言わんばかりに、さらに容赦なく、足を持ち上げては振り下ろす。


「これだから温室育ちのガキは」


 やがて満足がいったのか、何度目かの振り下ろした足を止め、そのまま体重を掛けて吐き捨てる。


「どんだけあり得なかろーが、実際に目の前にあんだから、事実なのはとーぜんだろーが」 










「吸うか?」


 果報は寝て待て――という訳ではないだろうが、やる事が何も無くなったが為に、各々で適当にバラけては集団を形成している中で、おれは適当なテーブルに、カインとアスモデウス、そして微かに項垂れているミネアとで小グループを作って座っていた。


 とはいえ、そのグループは何かしらの意図があった上で形成されたものではなく、なし崩し的に形成されたという意味合いが強い。

 それ故に他の者たち同士で、自発的に会話が飛び交う筈も無く、重々しい沈黙が場を占拠していた。


 そんな沈黙をアベルが破り、煙草の入った金属ケースを、蓋を開けた状態で差し出して来る。


「……麻薬ドラッグか?」


 傭兵の中には、死の恐怖を紛らわす為に麻薬を常備している者も稀に居る。

 さすがにアベルはその類ではないとは思うが、死の恐怖とはまた別のものを紛らわす為に、常用している可能性はおれでも否定し切れない為、念の為に尋ねておく。


「何度か使って、現実から逃避したいと思った事があるのは否定しないが、生憎違う。さすがに廃人になんのは御免だからな。ある意味薬物ではあるが」


 その言葉に安心して1本拝借する。


 口に咥えて火を付けようとして、着火道具が消えているのに気付く。

 さすがにあれだけ派手に動き回って戦えば、どこかで落としていても仕方が無いかと納得したところで、横手から火が差し出される。


「どうぞ」


 そう言って向けてくるのは、火の灯った状態にある小さな銀筒。

 別段珍しくもない、ゼンディルに行けば銀貨数枚程度で買える、安価な量産品魔道具だ。

 だが表面の傷の付き方や色褪せ方には、非常に見覚えがあった。


 というか、早い話がおれの物だった。


「何故持ってる?」

「拾いました」

「…………」

「拾いました」


 繰り返し同じ言葉を紡ぐミネアに、それ以上の議論を諦める。ついでに火も無視する。


「アベル、火をくれ」

「…………」


 既に自分の分に火を着けて吸っているアベルに火を要求する。

 その要求に、アベルは明らかな呆れの視線を送るも、煙草を一瞥する。その動作だけで、煙草の先端に火が灯る。


「……ゼンディル産のか。あまり美味くはないな」


 別に普段吸っているやつが美味いという訳ではない。むしろ有体に言えば不味いとも言える。

 ただこれは、それに輪を掛けて不味かった。


「それが大陸で1番流通してるやつなんだよ。むしろ、碌に貿易もできる状況に無い、スマーグライグ産のやつを調達している方が異常だ。いや、確かに【移転門】の能力を使えば楽なんだろうけどよ」


 明らかに能力の無駄使いだろと、皮肉気に言う。


「……私、余計な事をしてしまいましたかね?」


 そこから再び降りた静寂を破る口火を切ったのは、今度はミネアだった。


「……まあ、思惑はどうであれ、結果的に余計な事になるのは間違いないな」


 アベルが盛大な溜め息と共に煙を吐き出すも、その煙はおれのものも含めて、自然のものではない気流に乗り、部屋の外へと排出されていく。同席者の事を慮った、大変マナーのなった行為だった。


「カインの奴なら、こういうのを何て言うだろうな……ありがた迷惑か、情けも過ぎれば仇となる、ってとこか?」

「後は、地獄への道は善意で舗装されている、だろうな」

「そんなところか。中々言い得て妙だよな」

「そう、ですか……」


 どの言葉にしろ、意味する事は共通しているが。

 要するに、ミネアが自覚している通りの現状だという事だ。


「……レフィアさんという方は、一体どういう方なのですか?」


 項垂れたのも僅かな間の事で、再び顔を上げたミネアは、同じ鉄は踏むまいという意志を浮かべた顔で問い掛けて来る。


「……レフィアは、吸血鬼だ。それは知ってるな?」

「ええ、他でもない貴方から聞きましたので」


 手持ち無沙汰なのも事実なので、暇潰しの意味合いも兼ねて、ミネアの問いかけに答えてやる。


 ちらりとアベルの顔色を伺うと、特に咎めるような色は無い。僅かであっても、身内の情報を流される事に対して危惧を抱いていないのか、それとも元々隠すつもりなど毛頭無いのか。

 まあ、後者だろう。もっともその理由は、隠す労力が馬鹿らしいというものなのだろうが。


「基本的な事だが、吸血鬼は世代によって分けられる」

「親に子、孫に曾孫、それと吸血鬼とは別種の、寄生種ダンピールとして認識されている玄孫やしゃごですね。そして世代が古いほど、その力は強大になって行くと」

「概ねそれで正解だ」


 親の吸血鬼が転化させた個体を子、その子の吸血鬼が転化させた個体を孫、といった具合に、吸血鬼は世代ごとに分けられる。

 そしてありがちな事ではあるが、世代を追って行くごとに個体としての力は低下していく。逆を言えば、世代が古ければ古いほど、個としても強くなる。

 親世代の吸血鬼ともなれば、その力は高位魔族にも匹敵する。殺そうと思えば、完全特化武装の1個騎士団が必要になる程だ。


「でもって、その吸血鬼共も、さらにその特性によって分けられるのも知ってるな」

「ええ。所謂身体性吸血鬼と、免疫性吸血鬼の2種類ですね」


 前者は読んで字の如し、極めて高い身体能力を誇り、さらにはずば抜けた再生能力を兼ね備えた吸血鬼の事を指す。

 一方で後者の免疫性吸血鬼は、身体能力や再生能力では前者に劣るものの、代わりに前者には無い厄介な特性を持っていた。


 当たり前の事だが、吸血鬼は人間よりも強い。その為、吸血鬼を狩る際には少しでも被害を抑えられるよう、毒の類が多用された。

 人間ならば即死するような猛毒であっても、吸血鬼に対しては劇的な効果は無い。だがその長所である身体能力をある程度封じることは可能で、毒によって機動力を封じてから狩るという手法が吸血鬼狩りでは一般的だった。


 だが免疫性吸血鬼には、毒の類が一切通用しない。

 その為、相対的に身体性吸血鬼よりも厄介な個体として認識されていた。


「ただ厳密に言えば、世代は親世代のさらに上があって、ついでに言えばもう1種の吸血鬼も存在するとされている」

「それは、初耳だな」

「だろうな」


 ミネアに対して答えていた筈だが、自身の知らない情報に興味を引かれたのか、アベルも会話に加わって来る。

 今の情報は本筋には関係の無い蛇足のつもりだったのだが、想定外の反応に、少しだけ話を発展させる。


「そもそも、吸血鬼ってのは魔族の一種だ。人間が転化して魔族になるという、特異な増え方をしている為に人の形をしてはいるが、あくまでそれは外殻に過ぎず、本体は血だ。吸血鬼が不死身なのも、血を与える事で相手を転化させられるのもそれが理由だな。

 ただ、その増え方だと大本はどうやって誕生したかって言う話になる。ゼンディルの変態共が度々議論する謎でもあるな」

「その大本が、親のさらに上の世代であるという事ですね?」

「半分正解だ」


 過去にマモンやベルを介して得た知識を掘り起こしていく。


「吸血鬼の大本――こいつは魔界じゃ真祖と呼ばれているが、これは話によれば、魔界で偶発的に構築された術式がとある魔族の胎児に作用して、胎児の段階で存在が変異した双子の兄妹の魔族らしい。

 で、その双子の兄妹が突然変異の個体の魔族で終われば万々歳だった訳だが、人間にとっては運の悪い事に、自然に淘汰される事もなく生き延びたらしいな」

「概ねその通りだけど、実際はもう少し複雑だね」


 おれの説明に、それまで黙って虚空を眺めていたアスモデウスが会話に加わり、補足する。


「その双子の真祖については、魔界の実力者たちはちゃんと認知していて、当然のように介入しようとしたのさ。思惑はそれぞれあったけどね。

 だけど、それらが動き出すよりも先に、当時まだ生きていた【憤怒王サタン】が配下を動員して、自然に淘汰されるのを待たずに始末しようとしたのさ」

「ところが、返り討ちになった訳だ」


 アベルの言葉にアスモデウスは頷く。


「生憎ボクは直接見た訳ではないから、その力は推測のものでしかないけれども、確実に大罪王並みか、それ以上の力を有していたのは間違いないだろうね。その後にその予測を裏付ける存在も出て来た事だし」

「とんでもねえな、オイ……」


 その力についてはマモンから聞かされていたが、実際に殺そうとした者が居たというのは初耳だ。

 可能ならばサタンには、リスクを負ってでも当時の段階で殺して欲しかったのが本音だ。そうすれば今の状況はあり得なかった訳なのだから。

 今更言っても詮無き事だが。


「そんな感じで生き延びた真祖共は、それに懲りて大人しくしとけばいいものを、よりにもよって近親相姦によって眷属まで作りやがった。それが今の吸血鬼の元である、始祖と呼ばれる存在だな。

 始祖は全部で3体居たらしく、個々でそれぞれ僅かな特性の差異があったらしい。その特性の差異が――」

「今の吸血鬼の、身体性と免疫性の系譜に繋がっている訳ですか」

「そういう事だ」

「その始祖とやらは、今はどうなってる? 何故人間界には、2種類の系譜しか確認されていないんだ?」


 アベルのさらに踏み込んだ問い掛けに対して、おれは十分な解答の材料を持ち合わせておらず、視線をアスモデウスへと投げ掛ける。

 おれの意図を正確に汲み取ったアスモデウスは、おれの代わりに解答を述べてくれる。


「ボクも詳しくは知らず、顛末を知っているだけだけれども、真祖はとある時期を境にその姿を晦ましている。もう何千年も前の話さ。

 そして始祖についてだけど、免疫性吸血鬼と呼ぶ始祖は、遥か前に神族共の手によって討ち滅ぼされていて、身体性吸血鬼と呼ばれている始祖については、その後魔界で眷族を増やして一大勢力を築いたばかりか、挙句の果てに当時の【暴食王】にまで上り詰めたけれども――」

「喰われたか」

「その通りだ」


 現在の【暴食】の大罪王の席次が空席で、その前まではベルの奴が座っていた事を考えれば、自ずと答えは出て来る。

 どうりでやたらと、身体性吸血鬼に詳しいと思った。


 同時に今の話で、さっきのアスモデウスの予測を裏付ける存在というのも理解した。

 始祖ですら大罪王となれるだけの力があったのならば、そのさらに古い世代である真祖は、果たしてどれだけの力を持っていたのか、想像もつかない。


「残るキミたちが確認していない、3体目の始祖についてだけど、残念ながらボクも――というよりも、魔界の誰も良く分かっていない。噂だけは度々聞いていたけれども、とある時期を境に、やっぱり親の後を追うように姿を晦ましたからね。それも他の2体が、人界に干渉し出すよりも前の話だ。人界で3種目の吸血鬼が確認されていないのは、それが理由なのだろうね」


 個人的には、姿を晦ました顛末として死んでくれている事を願う。その方が世の中の為になる。


「そんな訳で、今じゃ親世代の吸血鬼を魔界で見掛けるのは、とても珍しい事だよ。何せ魔界に居た個体の殆どはベルゼブブに喰われたし、辛うじて生き延びた個体も、それまで幅を利かせて恨みを買っていた事が災いして、ここぞとばかりに徹底的に狩られたからね。本当に少数が、ひっそりと暮らしているのみだよ」

「人界でも似たようなものですね。かつてまだティステア大陸を統一していた頃に、大体的に吸血鬼狩りを行いましたから。

 その後長らく出てはいませんでしたけど、半世紀ぐらい前にひょっこり出て来た個体が現れて災厄を振りまいてからは、改めて探索が行われてやはり狩られて絶滅宣言までされましたし。もう人界じゃ見かける事は寄生種ダンピールを除いて無いんじゃないんですか?」


 ミネアが大陸中に知れ渡っている、親世代のムロニー・ウーピールによるパンデミック事件を槍玉に上げるも、アベルとおれが揃って否定する。


「確かに東の方じゃ絶滅したってのが一般認識だが、実際のところ、大陸の西じゃ今でも度々見掛けはするんだけどな。ただ、あいつら繁殖力がゴキブリかネズミ並みだから、確認され次第近隣の諸国が同盟を組んで、諸手を上げて討伐するから、絶滅しているっていう東側の認識もあながち間違いじゃねえんだが」

寄生種ダンピール――玄孫にもなると、その血にもう人間を転化させる力は無い上に、アホみたく弱点も多くなってるから大して問題視されないが、その1個上の曾孫なんかは、存在が確認されて傭兵に討伐依頼がされるぐらいだしな」


 おれ自身、過去に何度か曾孫世代の吸血鬼の討伐依頼を請け負った事はある。


「まあそれでも、親や子世代なんかの強力な世代はここ数十年、人間界じゃ確認されて無いけどな。確認できて、孫世代がここ100年間で十数例の遭遇の報告があるぐらいか。オレらも過去に1度、依頼外で遭遇した事があるぐらいで、しかもハルの奴に即効で嬲り殺しにされたがな」


 もっとも、実際は報告されていないだけで、運悪く遭遇しても逃げ切れずに殺されている例が多数あるというのが傭兵間での共通見解だが。


「そんな具合に、今じゃ絶滅危惧種になってる吸血鬼だが、現在においても意図的に生み出すことは可能だ」

「【転血法】ですね。かつてティステアの、教会の方々が作り出した」

「……そこまで知ってたか」


 大分ずれた軌道を修正したところで、予想だにしない言葉が返って来る。

 情報を司るイゼルフォン家ならばともかく、ウフクススの、それも何の立場も持たないミネアが知っているのは完全に予想外だった。


「まあ、本来ならば知らなくて当然なんですが、父があれでしたから、割と偶然かつ簡単に知る事ができましたよ。ましてや、その外法を生み出した教会の方々を、一族郎党はおろか、友人知人に掛けてまで大体的に粛清したのは、他でもないウフクスス家ですからね」

「それだけやっても、元凶の術式は流出したんだから、笑える話だがな」


 いや、それで被害を食らっているのだから、おれからすれば笑えないか。


「レフィアの奴は、その【転血法】によって転化した吸血鬼だ。術式を生み出す際に研究された個体が親世代の免疫性吸血鬼だった為に、その術式を使った奴は例外なく同じ親世代の免疫性吸血鬼になる訳で、必然的にレフィアも免疫性の親世代の吸血鬼って事になる」

「つまり、高位魔族並みのポテンシャルに加えて、魔眼系統の中でも最高位に位置している【即死の魔眼】の能力を持っている、災厄並みの存在であると」

「……厳密に言うと、違う。むしろその言葉よりも、遥かに最悪の存在だ」


 大分短くなった煙草を揉み消し、捨てる。マナー違反ではあるが、戦場ではそれが当たり前だし、こんな箱庭の中では大して気にする意味も無い。


「魔眼の移植については?」

「……魔眼系統の能力者の目を、近親者が移植する事で、後天的に魔眼の能力を得る事のできる裏技でしたね」


 何故か迷う素振りを見せながらも、完全解答を口にする。


「レフィアがそれだ」

「……つまり、元々レフィアさんは無能力者で、近親者から【即死の魔眼】を移植されたと?」

「それも違う。その魔眼は元からレフィアのものだ」


 おれの返答にさらに考え込む素振りを見せ、やがて、何かに気付いたかのように顔を上げる。


「……まさか、複数の魔眼を?」

「その通りだ」


 頷いて肯定してやる。


 実際のところ、かなり珍しい事例ではあるものの、複数の魔眼を持つという事はあり得ない事ではない。自身が魔眼の能力者であり、尚且つ近親者に同系統の能力者が居るか、そうでなければ複数の魔眼系統の能力者が近親者に居る上で、施術に耐えて生還するという条件が必要ではあるが。


 ただし、レフィアはそういうものではない。

 その事をミネアも、どうやら思い至ったらしい。


「免疫性吸血鬼は、毒物は勿論、疫病の類に犯される事も無い。さらに言えば、拒絶反応が起こる事も無い」

「その特性に物を言わせて、赤の他人の魔眼を移植して、本来起こるはずの拒絶反応を抑え込んで、複数の魔眼を手に入れたという事ですか」

「それも6種類もな」

「6種ッ……!?」


 さすがにその補足は想定外だったのか、息を呑んで驚愕を露にする。


「それは疑わせて頂きます。人間に存在する眼は2つで、仮に左右別々の魔眼を移植したとしても、2種類が限界のはずです。それをどうやって6種類も?」

「だから言ったろうが、吸血鬼だってよ。吸血鬼は魔族で、血が本体なんだよ。肉体はただの入れ物、器でしかない」


 器がどう変化しようが、中身には一切関係が無い。

 例え肉体が多数の眼を持っていたとしても、入れ物としては十分に機能する。


「【漆魔眼】とか、当人は名付けてたな。自身の魔眼に、他人から奪った6種の魔眼、合わせて7種類の魔眼を持った親世代の吸血鬼、それが【凶星レフィア】だ」










「カインの奴の言い草じゃねーけどよー、お前自体にはあんまし価値はねー訳なんだよなー」

「…………」


 動けない状態から、さらに徹底的な暴行を加えたが為に意識が朦朧としているユナは、例え刃で突き刺し抉り回そうとも、今度こそ本当に声を出す体力すら残っていない状態にあった。

 そんな状態にまで追い込んだレフィアは、そんな事は気にする価値も無いと言わんばかりに語る。


「だけど、お前とあいつとの間に血の繋がりがあるのは事実だろ? 認めたくなかろーが、その事実は覆せねー。でもって、その事実には、血自体には価値がある。吸血鬼の話じゃねーけどな、あっひゃひゃひゃひゃひゃひゃ!」


 何が可笑しかったのか、ひとしきり笑い終えたレフィアが、実験動物モルモットを見る目でユナを見下ろす。


「さてさて、ここで問題です。これからあたしは、お前をどーするつもりでしょー? チクタクチクタク、はいしゅーりょー。解答時間はここまで、正解はー、これ!」


 幾度となくユナを貫き、斬り刻んだ尾が持ち上がり、構えられたレフィアの手首へと添えられ、横へと引かれる。

 まるでリストカットのように、手首に真一文に刻まれた傷口から、鮮血が湧水のように溢れ出して細流となり床に零れ落ちる。


「知ってるかー? 吸血鬼の血を、吸血鬼以外の中に入ると、そいつも吸血鬼になるんだよ」

「……ッ!?」


 レフィアのその発言の意図を察し、次に移るであろう行動から遠ざかろうとするも、魔眼によって縛られた上に徹底的に痛めつけられた体は微動だにしない。

 ならばせめてと、床に倒れたまま、レフィアの顔を殺意と憎悪を込めた視線で睨み上げる。


 その視線を受けたレフィアは、苛立ちを覚えるどころかむしろ心地良さそうに眼を細め、再度笑う。


「あひゃひゃひゃひゃ、元気がいーみたいで結構ってなー。そーいう強気で生意気な眼を、圧し折って絶望に染め上げんのって、滅茶苦茶楽しーらしーぜ? せーぜーあたしを楽しませてくれよなー」


 そのまま腕を動かし、頬に刻まれた傷口へと血を垂らす。


「あぎッ、あぐぁ、がァ……!?」


 変化は劇的で、喉奥からは限界を超えて苦痛を訴える声が絞り出され、2重に拘束されている筈の肉体も拘束を振り払い、僅かではあるが苦痛によって捩れていく。

 その様子を、ただ楽しそうに、だが人間ではなくあくまで実験動物を見る目でレフィアは眺める。


「あたしってば眷属作るの初めてー、なんてな。まー転化してすぐに殺す事が確定している、実験目的以外で作るのは初めてだけどな。何事も初めてはきんちょーするってなー」











次回予告

新たな血の奴隷は産声を上げ、白髪鬼は獲物を追い詰め、道化は歓喜に咽ぶ……みたいな。


長くなったので分割、もとい想定通り。何、前回で宣告したとおり、あと2話以内に纏めれば良いだけの事さ。

そんな言い訳です。


やっとカインの実力の一端を開かせました。しかしこいつの描写がめんどくさい。全体の一部でしかないくせに、作業時間の大半はこいつに割かれました。ほんとマジで何なんだこいつ。

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