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道化の遊戯⑤

 



「あ゛あ゛ん? おいおい、聞き間違いかい? 今ボクの事を何と呼んだ!?」

「何度も言わせんじゃねェヨ、このド貧乳」

「上等じゃないか、この○○○○ピーッが!」

「アア? テメェ、随分とデカイ口を叩くようになったじゃねェカ。どっちが上か忘れたのカ?」

「キミの頭の中じゃ、さっきの一連の結果が随分と都合の良いように改竄されているようだね。何ならここで、今すぐ続きをしてあげようか?」

「上等だコラ。今すぐ表に出やがレ!」

「良い度胸だね。お望み通り、今度こそ白黒付けてあげようじゃないか!」

「……一体何の騒ぎだこれは?」


 ヴァフルをもう1度殺して戻って来てみれば、話があると残ったベルとアスモデウスが、互いに売り言葉に買い言葉で罵り合っていた。

 一体どういう状況なのかさっぱり理解できず、また考えても分からないであろう事は想像に難くない為、思考を早々に放棄して手っ取り早くミネアに聞く。


 単純に、考えたくないというのもあったが。


「ああ、無事でしたかジンさん」

「質問の答え以外を口にするな。これは一体どういう状況だ?」

「簡単に言えば、交渉が拗れた結果と言ったところですね」


 ミネアの話を要約するところによれば、おれが出て行った後に、アスモデウスがベルに対して、停戦の申し出を行ったらしい。


「自分たちが争って無駄な消耗をしていなければ、貴方を危険な状態に陥らせる事も無かったのではないか。その事を踏まえた上で、少なくとも今後は無益な争いは控えよう……要約すると、こんな感じの話し合いでしたね」

「で、それがどうしてこうなってる?」


 正直なところ、仮にティステアに来てからどれほど消耗したかは知らないが、それが無かったとしてもリグネストを相手にどうにかできたとは思えないが、提案自体は至極まともなものだ。

 間違っても、こんな口論に発展する余地は無い筈だ。


 ところが実際には、おれが室内に入っても2人は気付く様子もなければ、罵倒を辞める気配も無い。

 身体的特徴から、重箱の隅を突つくようなものまで、実に多彩な罵詈雑言を投げ掛け合っている。

 ひたすら相手を貶める為の低レベルな罵倒のし合を続けている。


「平たく言いますと……」

「言うと?」

「一言多かった事と、責任の擦り付け合いの果てと言ったところでしょうか」

「ああ……」


 大体理解できた。


「つまり、どっちが先かは知らないが、争いの原因を作ったのが相手だと互いに擦り付け合いを始めて極まったのがこれだと?」

「まあ、そんなところですね」

「ガキかこいつらは……」


 少なくとも何千年、最悪何万年と生きている筈だが、精神年齢が幼児並みだ。

 余りにも醜過ぎて、見るに堪えず、聞くに堪えない。


「どうします?」

「ほっとけ」

「……良いんですか?」

「ならお前は、あれに割って入って止められんのか?」


 おれの言葉に、ミネアが視線を口論を続ける2人へと向ける。


「無理そうですね」

「だろ?」


 口論の内容こそ次元の低いものだが、それをしているのは、曲がりなりにも魔界の頂点に君臨している大罪王の2柱なのだ。

 下手に割って入れば、ちょっとした弾みで肉片になりかねない。


 触らぬ神に祟りなし、命あっての物種だ。


「おい、話があるついでにそいつら止めろ」

「空気読めよテメェ!」

「冗談だ」


 キシシと悪びれなく笑うシロを睨みつけて、不毛だと諦める。

 好意的に見れば、戦い直後の緊張を孕んでいたおれを和ませる為に、こいつなりに気遣ってくれたと捉えられなくもない。


「ヴァフルの件は……」

「アタシにも見えてた。少なくとも、おまえだけに見えてた幻覚の類じゃねェ」


 つまりあれは、実体のあるナニカという事だ。


「それとついでに、おまえが交戦する際に、周辺の景色が一変してたろ?」

「ああ、してたな。やっぱ条件式だったか?」


 半ばそうだろうと確信を持って投げ掛けた問いは、シロの首の動きによって否定される。


「確かに劇的に変わったのは、おまえが交戦を始めてからだったが、動きそのものは、その前からあった」


 苦々しい表情で、吐き捨てるように言う。


「それこそ、おまえがヴァフルと遭遇する前から、あの部屋自体はおまえから離れた場所で作られてた。

 そこであらかじめ部屋を作ってから、おまえが交戦を始めた瞬間に、移動先に割り込ませて繋げてた」


 それまでは何も無かった筈の場所に視点を飛ばせるようになったからこそ、簡単に把握できたらしい。

 それ自体は僥倖な事だったが、同時に、頭を悩ませる要因が1つ増える。


「つまり、この舞台そのものが術者の任意で作り変えられる、箱庭そのものって事か」

「そうなるな」


 それ単体では、何もおかしい事ではない。

 条件式とは違い、任意に都合の良いように作り変えられる分、汎用性が高くて厄介だが、不自然な事ではない。


 だが術者側にとっての手駒のようなナニカを生み出し送り込んで来れる上に、その生み出せる手駒は実体があり、尚且つこちら側の記憶にあるだけで、まず相手は知り得る事ができないものを、こちらの記憶に則った形で生み出せる。

 さらにそこに、術に巻き込める人数に舞台の規模といった要素を加味して考えてみると、途端に事態は面倒なものへと発展していく。


「いくら事前に譲歩してると言っても、限度があるだろうが」


 おまけに、ゲーム開始直後から、参加者が全員揃っている中で誰にも気付かれずにヴァイスを攫っているという事実まである。

 【レギオン】の団員で、尚且つ【忌み数ナンバーズ】の1人にまで数え上げられている奴を、おそらくは抵抗する間も与えずに攫い、その事を誰にも気付かせない。

 どんな手段かは不明だが、それができる何かを術者側は有しているという事になる。


 確かに領域干渉系の能力は、条件や制約といった負の面が厳しい反面、発動すれば無類の凶悪さを発揮する。

 だが、それでも限度はある。

 どれだけ術者側に優位を約束しようが、所詮は個人で発動し扱うものだ。余程その能力を理解し使いこなしていない限り……いや、仮にその域に到っていたのだとしても、できる事とできない事は最初から決まっている。

 どれだけ習熟しようとも、人間が自力では飛べないように、能力にもできるものとできないものがあるのだ。


 それなのに、この舞台を生み出した能力はあまりにもできる事の範囲が広く、術者にとって都合が良すぎる。

 分かりやすく例えるならば、個として無茶苦茶強く、常に相手の裏をかける程に頭が切れ、大多数の様々な者たちから慕われ信頼され、誰もが目を奪われるような容姿と富と地位を持ち、それでいて当人は聖人君子と見紛う程にできた人間性を持っているようなものだ。


 居て堪るか、そんな人間が。


「何かしらの種があるとは思う。固有能力は絶大だが、絶対じゃない。どっかで詐欺をやられているのは間違いない」

「問題なのは、それがどんなものなのか、という事だがな。それが分かったら苦労しねェ」


 シロの言う通りであり、そしてどんなものかを特定するのが、現状において何においても優先するべき事柄だ。

 だが、ただ目的意識だけを片手に動いたところで、どうしようもない事は往々にある。


「アベルに流すか?」


 少なくとも、今までの推測で得られた情報を持っているのは、現状ではおれたちだけだ。そして時間が経過すれば、こっちから流さずとも同様の情報を得る可能性は高まっていく。

 だが、その得るまでの時間を短縮させる事は可能だ。そしてその短縮された時間が、どれだけ貴重なのかは考えるまでも無い。


「おまえさんがそう言うなら、アタシは構わないけどな。ただ、流したら高確率でティステアの連中にも渡る事は留意しておけよ」

「この状況下でそんな事に頓着していても、仕方ないだろうが。おれにとっての最優先事項はおれが生存する事で、他は二の次だ」

「おまえ個人だけかよ」

「何を今更。そんなの当然だろうが。仮におれかお前のどちらかが死ななきゃ助からない状況になったら、おれはお前を切り捨てんぞ?」

「キシシ、それこそ当然ってもんだな」


 今に限った話ではなく、前々から双方共に認識し共有し合っていた価値観だ。

 義理や人情といったものも不必要とは言わないが、かと言って、自分の命を軽んじて良い訳でもない。

 そういう世界に、お互いに生きている。


「それに、個人的感情を抜きに考えちまえば、ティステア側に情報が渡ったところで、万が一にも不利益は発生しねえんだよ」

「それはアベルが居るから、か?」

「ああ」


 おれからすれば、灰色の髪を持った男など、ティステア側にはどんな人物か不明な者が何名か居る。シロにとっても、おれよりも遥かに多くの情報こそ得ているだろうが、やはり未知数のところは多々あるだろう。普通に考えれば、そんな不確定要素を抱えた状況で安易な判断を下して良い訳が無い。

 だがそれも、アベルが居るというだけで、いとも簡単に物事は単純なものとなる。


「万が一何かしらの行動に出たとしても、最終的にはアベルに力ずくで制圧されて終わる」


 少なくとも、余程の事がない限りアベルは能動的には動かない。そしてアベルが能動的に動かないのであれば、アキリアについては考える必要が無い。持っている力を鑑みて、最も約束を反故にした時のメリットが無いのが彼女なのだから。

 例外があるとすれば、この領域干渉系の能力を展開している術者なのだろうが、それは端から敵なので考慮する必要は無い。


「そこまで強いのか?」

「知ってんじゃないのか?」

「基本【レギオン】の連中が謎に包まれているのは、おまえも知ってんだろうが。情報を得ようにも、情報源が無けりゃどうしようもねェ。特にあのアベルって奴は、名前こそ有名だが滅多に表に出ねえから、知名度と詳細の反比例の具合が半端じゃねェんだよ」

「まあ、他の団員があれだからな……」


 既に戦闘員の需要は過剰と言っても良いレベルに達している。となれば、それ以外の技能を持つ者がそっち以外に割り振られるのは当然の事で。

 なまじ処世術の類も人並み以上に持ち合わせていて、尚且つ責任感やらも人並み程度には持ち合わせている為、裏方の仕事で忙殺されるのは当然の帰結と言える。

 必然的に、出ようにも表舞台に出る事が根本的に不可能となり、それでも【レギオン】の副団長という立派な肩書きを持っている為に、噂だけが一人歩きしている状態だった。

 【レギオン】の副団長を務めているのは、むしろその能力を買われての事では無いかと、一部ではまことしやかに囁かれる程に。


 しかし、現実には全く違う。

 アベルが副団長を担っている理由は幾つかあるが、いずれにしろ、その裏方の能力を買われての事では断じて無い。


「多分、現時点において大陸で最も理脱者に近いのがアベルだ」

「そこまで言うかよ」


 シロはおれの言葉を聞いても、半信半疑のままだった。

 当然だ。おれだって、実際にこの目で見ていなければ信じられない。


 だが、少し視線をずらせば、嫌でも視界に映る。右眼に映る。

 アキリアのそれと比べて、勝らずとも劣らない、その膨大な保有する魔力量が。

 それだけの量の魔力を、アキリア程でないにしろ、いつか見たメネケア並の精度で押さえ込んでおくびにも出さない制御能力が。


 そして何よりも――


「アベルは根っからの善人で、真っ当な精神構造をした人格者で、同時にリアリストで……それでも尚、誰よりもその在り方は【忌み数ナンバーズ】に近い」

「何だそりゃ?」

「つまり、それだけ異常だって事なんだよ」


 人として異常という訳では、断じてない。

 むしろ誰よりも正常で、どこまでも正常で、正しくありながらその方向が捻れている。

 少なくともおれにとっては、その正常さこそが異常に思えて仕方が無かった。


 今でも鮮明に思い出せる。

 意図的に参加して引き寄せ悪化させた、マヌエリオル戦線で垣間見たアベル=アプス・ステュルクスという男の本質を。

 そして、その実力を。


「運が良けりゃ、近いうちに見れるんじゃねえのか? その事自体が幸運かどうかは、判断に苦しむがな」

「そうかい。んじゃ、なるべく見ずに済むよう願っておく」

「その方が良いだろうな」


 おれにとっても、そして他の連中にとっても。

 下手をすれば、巻き添えを喰らって死にかねない。


「話は終わったかい?」

「そりゃこっちの台詞だ。何を白々しく、おれたちの話が終わるのを待っていたかのように振舞ってんだ」


 いつの間にか、口論を中断したらしいアスモデウスが傍に居て、それまでの事など無かったかのように話し掛けて来る。その図太い神経は驚嘆に値した。

 少し視線を外して見れば、見るからに不機嫌であるという空気を纏ったベルゼブブが、テーブルの上に乗って踏ん反り返っていた。


「それはすまないね。そんなつもりは毛頭無かったのだけれども、そっちが不愉快に思えてしまったのならば、それはボクに非がある。謝罪しよう」


 あくまで自分に非があると認められてしまえば、こちらとしてもそれ以上踏み込む事はできない。

 それを読んだ上での事なのかどうかは知らないが、魔界に引き篭っていた筈なのにも関わらず、アベル並に処世術に長けていた。


「まあ良い。終わったんなら、さっさと次に確認したい事が……いや待て、その前に聞いておかなければいけない事がある」

「何だい?」

「そっちが繰り広げていた、不毛な言い争いの結論は出たのか?」


 こちらとしても、できれば知りたくもないが、聞いておかなければ後で手痛いしっぺ返しを喰らいかねないので、嫌々ながら聞いておく。


「いや、別段不毛でもなければ、争ってたりもしてなかったのだけれどもね」


 黙れ。誰がどう見ても、不毛で低次元な争いを繰り広げていただろうが。


「結論から言うと……」

「言うと?」

「もう少し話し合おう、だ」

「…………」


 一体あの争いのどこらへんに、話し合いの要素があったと言うのか。

 ちょっと誰か、教えて欲しい。


「……良い機会だから、今のうちに言っておこう。彼女に感謝しておく事だ」

「……何がだ?」

「彼女に、だよ」


 唐突な話題の転換について行けず、間抜けな返答をしてしまう。

 そこにアスモデウスが視線で指し示したのは、退屈だと主張するかのように暇を持て余している、シアの姿があった。


「彼女のお陰で、キミは危ういところで死なずに済んでいた」

「治療でもされたか」


 リグネストに与えられた傷は、自分でも生きているのが不思議なレベルだった。それだけの負傷を健康体にまで引き上げるのには、相当な技術と労力を要した筈だった。

 目が覚めた時には既に完治していた為、誰が治療したのかは不明だったが、その施術者がようやく判明する。


「いいや、そうじゃない。治療を行ったのは彼だ」

「……ギレデアが?」


 軽く不愉快な気分になったところで、それをアスモデウスが否定し、代わりに苦鳴を発しているキュールに馬乗りになっているギレデアを指し示した。

 確かにギレデアの腕ならば、余程の状態で無い限り、簡単に完治させられるだろう。


「……あれは一体、何をやっているんだい?」

「見て分からないか?」

「仲間を解体しているように見えるね」


 もがいていたキュールの動きが弱々しくなっていき、やがて力なく四肢を力なく投げ出す。その下には血溜まりが広がっていき、衣服を汚していく。

 大方、船内に物資が無いのを鑑みて、腹を満たすために非常食キュールを調理して食べるつもりなのだろう。

 おれからすれば、別段驚くような事でもない。良くある【レギオン】の日常的光景だ。


「……なら、何に対して?」


 相手の疑問が氷解したところで、改めて問い質す。

 アスモデウスの言葉が事実ならば、ますます感謝する理由など思い当たらない。


「理脱者の彼と戦っていた時、彼女がキミを死ぬ寸前の状態で繋ぎ止めて、それ以上進む事を押し止めていた。だからキミは、あれ程の傷を負いながら死に瀕するだけで済んでいたんだよ」

「……は?」


 再び間抜けた声が零れる。

 それはアスモデウスの言葉が、予想外のものだったからではない。

 アスモデウスの言葉が、それだけあり得ない言葉だったからだ。


「一体、どうやって……?」

「どうやってって、キミたちが固有能力と呼んでいるものを使ってだよ」


 予想通りの回答。だからこそ、尚の事理解できなかった。


「あり得ない。おれは動けてた・・・・ぞ?」

「だから、キミの状態の時間を固定したんだよ。キミ自身を固定したんじゃなく、キミに付随した状態のみを固定してた訳だから、キミは自由に動けたんだ」

「だからこそあり得ないんだよ……」


 シアの固有能力は【時間支配】。それは間違いない。あの選別の儀にはおれも立ち会っていたし、万が一にも誤認が起こる事は無い。

 元来数の少ない、時系統の固有能力の中でも最高位のもの。言ってしまえば、他の時系統の能力を統合した能力であり、時系統の能力で実現可能な事象は全て実行できる一方で、それ以上の事はできない。


 そして時系統の能力には総じて、生物はその個体で1つのものと見做して作用するという共通点が存在する。


 つまり、適当な人物の時を止める際に、その個人の腕や足だけの時を止めるという行為は不可能という事だ。

 それ以外にも、時を巻き戻す場合にもその個人の体全体に能力は作用し、特定部位の時間のみを引き戻すというのは不可能で、どんな事をするにせよ、能力が作用するのはその個人全体に等しく作用する。

 間違っても、個人の負傷のみに対して能力を及ぼす等という事はできない。


「だが事実だ」

「だろうよ……」


 アスモデウスが自分のお陰で助かったのだと、恩を着せる為に主張したのならばともかく、シアに対して恩を着せるように働きかける行為に何の意味もメリットもない。

 加えて、自分でも何で生きていられたのかが疑問を抱かされる状況下で、その要素は抱いていた疑問をすんなりと解消してくれる。

 精神論や意思で生き延びられるほど人体は可能性に満ちていなく、またそんな甘い理論がまかり通るほど簡単な世の中でもない。あの状態下で生存を続けられたのは、決定的な要因があってからこそだという方が、遥かに納得のいく話だ。


 問題があるとするならば、それが事実だとしたらまた別の意味で不愉快であるという個人的感情と、どう考えてもあり得ない事が実現されていたという疑問が残る事の2点か。


「きちんと礼を言っておきたまえ。それが人として当然の事なのだろう?」

「……考えておく」

「考えた上で言わない事を決めた、というのは無しだ」

「…………」


 ハッキリ言って、要らない世話、お節介にも程があった。

 だが反駁したところで話が進まないのは目に見えていたので、不承不承ながら頷いておく。


「シロ、取り合えずこっちの中での得た情報を共有して、その上でアベルに流すかどうか話し合って決めてくれ」

「いいのかよ、おまえは参加しなくて?」

「任せる……ベル、手伝え」

「ああン?」


 随分と柄が悪い……いや、いつもの事か。

 しばらくやり取りをしていなかったお陰で、少しばかり感覚を掴みかねる。


「出て来るナニカを、お前が喰えるかどうか確認する」

「何の話ダ?」

「知る必要は無い。良いから黙って付いて来い」

「人使いの荒い奴だゼ。いヤ、悪魔使いカ?」

「どっちでも良いから来い」


 愚痴愚痴と文句を言うベルを引き連れて、広間から出ようとする。


「外に出るのか? なら、少し話がしたいが良いか?」


 扉に手を掛けたところで、予想だにしない方角から声が掛けられる。

 声を掛けられる直前まで、相手が近くに居るどころか、近付いて来る過程にすら気付けなかったという事実に対して十分な警戒心を抱いて振り向くと、そこには灰色の髪を持ったティステア側の男が立っていた。


「……おれは特に話をするつもりはない」

「まあ、そう言うな。聞いて損をさせない事を約束しよう」


 話を聞いているのか聞いていないのか、いまいち判断しかねる、有無を言わせない口調で扉を開けて先に出る。

 別に付いて行く必要性も感じなかったが、こちらとしてはいつ来るか分からない襲撃を待たなければならない身である為、有事の際に身代わりには使えるだろうと判断して付いて行く事にした。










「ここら辺でいいか」


 両手をポケットに入れたまま、気だるげな態度で反転してこちらを見る。

 一見すれば、両手をすぐに行動に持っていけない為に、打ち込む隙はいくらでもあるように見える。だが同時に、重心を立ち位置よりも後方に置いてあり、何かあればすぐさま後退して距離を取れるようにしてある体勢でもあった。


「まず名乗ろうか。オレの名前はテオルード……テオルード=ラル・オーヴィレヌ。オーヴィレヌ家の現当主だ……っと!?」


 名乗りの口上を聞き遂げるのと同時に、利き手を傍らに差し出しながら疾駆。

 さすがに慣れたもので、差し出した手をベルが握る感触が伝わった直後には、手にはすっかりと馴染んだ重みが圧し掛かる。

 想定通り、おれが一歩を踏み出すのと同時に、体の位置を重心の位置へと運ぶ。だが、おれの方が動き出したのは速い。


 その重みの原因である大剣を、寸分の迷いも無く振り抜いた。


「とんでもなく速いな、おい。とても無能者とは思えねえ。さすがは【死神エルンスト】の弟子と言ったところか……」


 いつの間にか、テオルードと名乗った男の両手は自由になっていた。

 いつ抜き取ったのかまるで気付けず、気が付いたら自由になっていたその手はナイフを逆手に握っておれの斬撃を防いでおり、それでも質量の差か完全には抑え込めず、空いていたもう片方の手を充てる事で衝撃を受け止め切っていた。


「何で――」

「何で知っているか、か? それこそ愚問だ。少しイゼルフォン家の情報収集能力を舐め過ぎだぞ?」

「…………」


 確かに言われてみれば、時期的にもそろそろその辺りの事情について感付いてもおかしくは無い。

 いくら大陸の反対側であろうとも、取り立てて隠しているつもりも無い以上、いつかは気付いて然るべき事項だ。


「まあ落ち着けよ。オレはお前の師の……【死神エルンスト】の死とは無関係だぜ。後で確認して貰っても構わねえ。別段隠す事でもねえから、ちょっと調べればすぐに出て来る。あの作戦に参加するのは超が付くぐらい怖過ぎて、尻尾を巻いて逃げ出したんでね。

 当てずっぽうだが、お前の目的がオレの考えている通りなら、オレはその対象外の筈だろ?」


 恥も外聞もかなぐり捨てた言葉を紡ぐその顔は、おれの知るものと同じだった。

 自分の利益の為ならば、約束や義理と言ったものから、誇りさえも欠片たりとも惜しくない者が浮かべられるもの。

 自分とそれ以外で世界が完結していて、自分の為ならば血を分けた肉親であろうと迷わず切り捨てられる者が浮かべられる表情だった。


 生き残る為ならば何でもありが常の傭兵たちの間にも、最低限の不文律というものは存在する。

 信用や仲間意識といったものはその最たるもので、それさえも守らぬ者は、同業者の間では傭兵にも劣る畜生として忌み嫌われ唾棄される。


 一方で、それらを捨てられるからこそ、得られる選択肢というものもある。

 禁忌とされる魔法を扱う者を筆頭に、その手段を恥も誇りも厭わず実行できる者は、何物にも勝る力を手に入れられる。

 そういった連中と同じ類の顔だった。


「こっちで後で確認を取って、それが偽りだったとしても、その時は既にその場に居ないだろうが」

「ハハッ、道理だな……っと!」


 足下を刈り取り、回避されるのと同時に翻した剣で薙ぐ。

 それも空中で器用に体勢を捻って躱し、直後に振り下ろしに変化させて狙うが、間髪入れずに交差して構えられたナイフに受け止められ、一瞬動きの止まった剣を足場代わりにされて距離を取られる。


「でもまあ、それはどうだって良いんだよ。オレは嘘を言っていないし、結果がどうこうっていうのはそっちの都合だからな。それに、反対にそうでないという事に対する反証をこの場で上げるのも不可能だ。それぐらいは分かるだろ?」

「確かに、それには同意できる」


 爪先で間合いを詰めて行き、剣を握る手に力を込めていく。

 次の太刀で仕留められる確率を、少しでも上げていく。

 相手の手の内が不明な以上、本気を出していないうちに殺すのが、最も合理的な選択肢だった。


「だがそれを抜きにしたところで、こっちがそっちに牙を剥かない理由は無い。そっちの家の連中がおれに仕掛けて来た事を、忘れたとは言わせない」


 イースとウェスリアと名乗る、オーヴィレヌ家に属する兄妹に関してはどうもきな臭いが、それを除けば全員がオーヴィレヌとして襲撃を仕掛けて来ていた。


「……ああ、そう言えばそんな事もあったな」


 本当に今の今まで忘れてたかのように、あっけらかんと言う。


「お陰で、使えない連中を体良く処分できた。遅くなったが礼を言う」

「…………」


 冷徹……とは少し違うだろう。

 忘れていたのは事実であっても、それはどうでも良いからではない。単純にこの男の中では、優先順位が低かったからだ。

 ただ徹底して、合理的だっただけだ。


「まあ、そんな事は置いとくとしよう。この場では関係ない。わざわざお前をここに呼び出したのは、取引がしたいからだ」

「なら決裂だ!」


 一足で懐に飛び込み、剣を振り抜く。

 弧を描いて空を走る剣の射程から、体を傾けて逃れたテオルードの視線は、切っ先から離れない。

 直後に反転し、さらにもう一歩踏み込んで間合いに完全に捉えたテオルードの首筋を目掛けて剣が迫り、同時に密かに話して懐に潜り込ませた手がナイフを掴み、剣の影からテオルードの死角へと、気付かれぬように最小限の動作で投じる。


 完全に決まったタイミング。テオルードの実力は相当なもので間違いなく、そして剣で仕留める事はできないだろう。

 だが、回避するには後退するか、もしくはおれの右手側へと抜け出るしかない。どちらにせよ、死角から迫るナイフを回避する事はできない。


 その筈だった。


「おおっ!? いつの間に投げやがった」


 さらに強く床を蹴る事で、剣の軌道から逃れたテオルードが、着地するのと同時に剣の影から飛来したナイフを、見る事もなく指で挟んで受け止める。

 そこでようやく視線はナイフに行き着き、大仰に驚いてみせる。


 そしてすぐさま、手首の動きだけで投げ返して来る。

 それを弾き落とし、さらに畳み掛けようとして、直前まで目の前に居た筈のテオルードの姿を見失い止まる。


 相手の姿を見失ったという事実によって生じる焦りを抑え込み、即座にその場から離れて、右眼と自分の感覚を駆使して、相手の居場所を探る。

 だが、一向に見付からず、脳内が疑問で満たされる。


「隙だらけだぞ?」


 反射的に、声の聞こえた方向とは反対側に飛び退く。

 ほぼ同時に、腕を掴まれる感覚と共に、意図に反して体が持ち上がり、一瞬の浮遊感と共に壁に叩き付けられる。


「なっ、ん……ッ!?」


 床に転がって傾いた視界に映ったのは、飄々とした態度のテオルードの立ち姿。


「別段、お前の目的を否定する訳でもないんだがな、ちょいとばかし、お前は5大公爵家というものを舐め過ぎだ。ティステアの守護家と呼ばれてるのは、伊達でもハッタリでも無く、相応の理由があってこそなんだぜ?

 確かにオレは、妹を除けばオーヴィレヌの姓を持つ奴が居なくなって当主に就いたがな、ただそれだけで当主に居続けられる程、ティステアは甘い環境じゃない。実力が無ければ、早々に妹や他の連中に当主の座から引き摺り下ろされている」


 起き上がろうと膝を立てた瞬間、足下にナイフが突き立ち、身動きを封じられる。


「因みに投げたのはわざとだ。投げずにナイフを刺しときゃ、その時点でお前は死んでいた。それをあえてやらなかったのは、オレにお前と敵対する理由は無いっていう間接的な理由足り得ると思うんだが、どうだ?」

「それを読んだ上での行動、とも言えるだろう」

「それもそうだな。だけども、穿った見方をすりゃきりが無い。良いからそのままの状態で聞け」


 手には新たなナイフが握られ、その切っ先から不気味な液体が滴り落ちている。それをわざわざ見せ付けるように掲げて見せる行為の意味が分からないほど、おれは鈍感にはなり切れなかった。


「まず大前提として、オレはもうじき、やっこさんにとっ捕まる」


 そして冒頭から飛び出して来たのは、相手の正気を疑うのには十分過ぎる言葉。


「お前さんに頼みたいのは、その後の事だ。オレと同じ髪の女の子が居たろ? あいつがオレの妹なんだが……あいつの事をそれとなく見守っといて欲しい」

「何を……言っている?」


 何故そんな事を断言できるのか、何故自分でやらないのか、どうしてそんな事をおれに言うのか。

 様々な疑念が入り混じって咄嗟に出て来た言葉だったが、相手はおれの言葉の意図を正確に見抜いたらしく、笑って平然と答える。


「そうするのが、オレと妹の両方が生存する選択肢だからだ」

「…………」

「オレは簡単に言えば、先に起こる事が何となく分かる。そしてそれに対処する方法も、何となく分かる」


 言葉の意図を掴みあぐねているところに、さらに言葉を畳み掛けられる。

 その言葉を咀嚼して、ようやく今までの言葉の意図が読めるようになった。


「未来視か……」

「そんなものだ。で、オレは妹を生き延びさせたい。そしてそれと同じくらい、死にたくない。どちらか片方だけを成立させるのは簡単だが、両立させるのには他人の手を借りるのが必要不可欠という訳だ」


 そしてその他人が、おれという訳だった。


「対価は情報だ」

「……その要求を、おれが呑む理由は無い」

「いいや、もう遅い」


 してやったりという笑みを浮かべられる。


「既にこの話を聞いた時点で、あとは転がるようになるだけだ。お前さんが特別に動く理由は必要ない。全てなるようになる筈だ」

「……それが仮に事実だったとして、対価を差し出す意味は無いだろう」

「確かにな。だが、一方的に借りを作るってのも気持ち悪いだろ? だから、今のうちにさっさと清算しちまおうって訳だ」


 清算も何も、こちらとしては借りを作られたという自覚も無ければ、ましてや借りを返されるという実感も無い。加えて、借りに対する返礼物の内容に対して了承もしていない。

 つまりは、この男にとってはおれに対する返礼の内容など、吟味する必要性も見出せないという事なのだろう。

 おそらくは発言の通り、この男にとっては自分の命と、あとは本当かどうかは知らないが、妹の命以外はどうでも良いと片付けられる程度のものでしかないのだ。


「で、情報の内容……というよりも、予言と言い換えた方が良いか。お前は近いうちに、探し物をする必要に駆られる」

「探し物……?」

「ああ、そうだ。それが何なのかは聞くなよ? オレにも分からねえから」


 その言動は別段、ふざけている訳ではないのだろう。

 未来視に分類できる能力は数あれど、いずれにせよ、完全に未来を予知し見通せる能力というのは1つたりとも存在しない。それどころか、大半が精度の低いものばかりだ。

 レフィアのような詐欺紛いの方法でも使わない限り、どうしたって欠落する箇所は発生するのだ。


「んでもって、肝心なのはその先からだ。その探し物をしなきゃいけなくなった時に、お前が取るべき行動についてだ……っと!」


 ぐらりと、大きく船内が揺れる。

 それが高波に乗り上げた為のものではない事は、感覚の隅に引っ掛かる、不自然で大規模な魔力の動きが教えてくれる。

 それは同時に、元々のおれの外出の目的が到来した事の証左でもあったが、テオルードが思わず視線を外したのを幸いに動き出す。


「もう来たかッ!」


 そのままの体勢から一気に死角へと飛び込み、身を起こし様の一閃を叩き込むが、まるでそれは最初から予期していたかのように、こちらを見る事無く屈んで回避する。

 反転して追撃を行おうとするも、こちらが剣を翻すよりも先に、背後を見ないままにテオルードは手を伸ばしてそれを阻み、振り向き様に丹田に掌打を叩き込まれて再び壁に衝突する。

 そして床に落ちて体勢を整えるよりも先に、胸倉を掴まれて持ち上げられ、同時に剣を握った腕を掴まれ壁に押し付けられる。


「覚えておけ、答えを直接得る事は絶対に不可能だ。だが、それを得る為の方法は、ごく身近に転がっている。それだけ留意しておけば良い」


 半ば宙吊りの息苦しい体勢に置かれた状態で、目を覗き込まれて理解のできない事を言われる。


「訳分かんねえか? まあそうだろ、訳分かんねえように言ってるからよ。オレは必要な事しかしない。過剰にやる事も、不足を補う羽目になるような事もしない」


 引っ張られ、廊下へと投げ飛ばされて床を転がる。何とか片膝をついて身を起こすも、直前まで気道が圧迫されていた為に空気を貪り咳き込む。


「この妙なゲームとやらは、そのうち終わって解放される。そのすぐ後でにも必要になって来るから、それまでは絶対に忘れずに刻んでおけ」

「へえ、それは朗報だなぁ」


 テオルードの背後から唐突に響く、聞き覚えのある声。

 先程の原理の分からないテオルードの消失と出現時ほど不自然ではなく、直前に魔力の大きな動きという前兆こそあったが、それでもそれまでに居なかった筈の人物が現れるという点では、やはり唐突と言える。


 このふざけたゲームの開催を宣言した、カルネイラという男がテオルードの背後に現れ、肩に手を置いていた。


「テオルード君捕まえた」


 軽い調子の言葉と共に、肩に手を乗せられていたテオルードの姿が、まるで霞であったかのように掻き消える。

 これがおそらく、この舞台における、鬼に捕まった結果によるものなのだろう。


「さぁさぁ、邪魔者が居なくなったところで、ちょっと僕とお話でもしてみ――」


 呼吸を整え終え、一足で距離を詰めて胴体を分断する。

 心臓を両断され、肉体も分割されて生きていられる人間など普通は居ない。間違いなく、そのカルネイラの命は消える。


「いやいや、さすがだよ。お師匠様と同じで、殺す事にまるで躊躇いが無くて、しかも速い。物凄く痛いよ」


 代わりに、視界の奥の暗がりの中から、同じ服装と容姿をしたカルネイラが悠々と歩を進めて来る。


「……【寄期介壊ききかいかい】」

「あれあれ、良く僕の能力を知ってるねえ。普通は知らないし、分からないと思うんだけど……まあ、さすがは【死神】君のお弟子さんかな?

 おおっと、剣を振るのは後回しだ。そろそろ替えが無くなって来ているんだからさ。テオルード君とも話をしたんだろう? なら、僕とも話をするべきだ。平等な価値観を持とうぜ?」

「生憎、不平等主義者だ!」


 今度は首を刎ね飛ばし、機能を停止させる。

 次はどこから現れるか――そう素早く視線を巡らせ、背後に気配を感じて振り向く。


「【死神エルンスト】は、本来あの場で死ぬ筈じゃ無かった」

「ッ!?」


 そして放たれた言葉に、動きが一瞬鈍る。


「あははっ、やっぱ興味ある? 僕はこれでもイゼルフォンの当主だからね、能力も手伝って、色々と他の連中が知らない事も知っているんだ」


 一瞬だけこちらの動きが鈍ったのを良い事に、悠々とカルネイラはこちらの間合いから逃れる。

 それでも追撃を掛ければ、殺すのは簡単だった。そして実際、そうしようとした。

 だがこちらの意思に反して、体は思うようには動かなかった。


「エルンストが、死ぬ筈が、無かった……だと?」

「興味を示してくれたところで、ご期待に沿えて先に進むよ。でも、僕からすれば別に驚くような事でもないと思うけどね。

 君は1度も不思議に思わなかったのかい? あの圧倒的な強さを誇った【死神エルンスト】が、どうして死んだのか。どうして、死ぬほどの傷をその身に受けざる得なかったのか」

「それ、は……」


 わざわざ考えるまでもない。物量差という、至極単純で覆しようの無い要因によってだ。

 ましてや、動員されたのはティステアの5大公爵家に名を連ねている者たちばかりだ。ただ数が多いだけでなく、質という面でも他の隋を許さない。

 それが数千、万にも届こうかという数が集ったのだ。例え古代竜であっても敗北は必至だ。


「まさか、物量差に押し負けたなんて、くだらない事を考えていないよね?」

「…………」


 まるで心の中を呼んだかのような言葉に、言葉を紡ぐ事ができなくなる。

 そんなおれの様子から、おれの考えている事について予測がついたのか、これを見よがしに嘆息して来る。


「……図星か、呆れたよ。それでよく弟子を名乗れたね。普通に考えて、たかがその程度の要因であの男が殺される訳が無いじゃないか。他者を寄せ付けない、圧倒的な個としての暴に、無尽蔵の体力まで兼ね備えている。それは無敵であるという事に等しい。

 所謂数の暴力が成立するのは、疲弊という概念があるからだ。戦い続けて、体に疲労が蓄積し、力を発揮できなくなっていく。すると本来ならば歯牙に掛ける事も無い雑魚であっても、相対的に自分の実力に匹敵する強敵となっていく。そういった敵に傷を負わされて、さらに力は下がっていく。究極的にはその繰り返しだ」


 言われるまでもない、当たり前過ぎる理屈だ。

 明確な実力差がある相手に対して、余程の事が起きない限り勝利する事は不可能だ。おれがリグネストに完敗した事など、その好例だろう。

 意思さえあれば負けないなどという、都合の良い甘い世界など存在しない。

 実力に差があるのならば、その差を、他の手段で埋める必要がある。


「だけど、君の師にその理屈は通用しない。底が見えないんじゃなく、文字通り底無しの体力を持っていて、いくら戦おうが疲れる事が無い。

 しかも、一対一じゃあまず負ける事が無い。それどころか、戦いが成立する事さえ滅多に無い。

 それだけの強さと体力の要素が合わされば、数の暴力なんて成立しなくなる。なら、死ぬ訳が無い。子供でも分かる当然の事だろ?」

「……欺瞞だ」


 事実として、エルンストは死んでいるのだ。

 それこそが覆しようのない事実で、目を逸らす事のできない現実だ。


「そう思いたければそう思えば良いけど、もっと納得のいく単純な考えがあるだろ?

 つまり、彼の実力の要素である、強さと体力のどちらかが成立しなくなっていたのなら、簡単に納得できると思わないかい?」

「…………」


 動悸が早くなる。知らずのうちに、息が上がっていく。さっきから喘ぐような自分の呼吸音が五月蝿くて仕方が無い。

 聞くつもりなど毛頭なかったのに、気が付いたら話の深みに嵌っていた。


「なら、成立しなくなったのは果たしてどちらなのか? 強さは違うよね。だって結果として、相応の死者が出ているんだから。

 後は消去法だ。成立しなくなったのは、その無尽蔵の体力だ。それが成立しなくなったから、物量差が活きて数の暴力が成立してしまった。数の暴力に彼は屈さざる得なくなった。

 さらに踏み込んで考えてみようか。一体どうして、その体力は成立しなくなったのかな? そもそも、その底無しの体力は、何を持ってして成立していたのかな?」


 それが相手の思う壺だというのは、こちらを見て浮かべている笑みで分かる。分かっているのに、抜け出す事ができなかった。耳を塞ぎたくして仕方が無いのに、体はまるで反応してくれなかった。


「何かを持ってして成立していたのであれば、その何かを取り除いてしまえば、それは成立しなくなる。そうだろう?」

「……ッ!」


 黙れと、声高らかに言いたかった。だが、言えなかった。


 ぴったりと繋がる。

 こいつの言っている事は、どこにも矛盾がなく、またおれの中にある記憶と直近に得た知識と綺麗に結びつく。符合する。


「その何かを取り除いたのは、果たして――ッ!?」


 視界の端を横切った影があったと認識した時には、既に湿った音が響いていた。


「……あれ?」


 カルネイラの視線が、下へと向かう。

 そこには右肩を挟んで、胸部と背面部から深々と牙を突き立てる竜の顎があった。


 ただし、骨格だけだ。

 眼球の収まっている筈の眼窩の内側は空洞で、牙も、その牙を生やした上下の顎も全てが白い骨のみで、そこから伸びる長い首も、剥き出しの分節が連なる事で構成されていた。

 当然、肉も鱗も無い為に動けない筈のそれは、どういう理屈か独りでに確固たる目的を持って自律行動していた。


「ああ、もうそうなるのか。もうちょっと待ってくれても良いのに……」


 言葉の途中で、今度は四足獣の獅子が襲来する。

 当たり前のように肉も体毛も持たない、骨格だけのその獅子は、壁をブチ破ってカルネイラへと襲い掛かり頭部を挟み込んで圧搾し喰いちぎる。

 だが臓器も存在しないために、喉元から咀嚼した傍から血肉が零れ落ちて床を汚す。


『オイオイ、コイツは確カ……』


 もし、初めてそれを見た者が居たのならば、死霊術と決め付けただろう。だが違う。死霊術にしてはどちらの骨格も綺麗過ぎ、また動きも俊敏すぎる。

 そして何より、おれはこの光景を知っていた。

 この光景を生み出す事のできる能力を知っていて、その使い手を知っていた。


「次は我が出番だな……」


 縦にも横にも、おれよりも大きな巨躯を構成する、純白の色と凶悪なデザインの全身鎧。

 発せられた声は兜の下でくぐもっている為に声質の判別が困難で、手には白濁した、おれの持つそれと同程度の大きさの、だが若干曲線的なデザインの大剣。

 カルネイラの胴体を噛み砕いた骨のみの竜の首は、そいつの鎧の背面部に連結しており、さらに同様の骨格のみの竜がもう1体、対称となるように背面部から生えていた。


 可能性を考えていなかった訳ではない。

 ザグバを始め、ミズキアにヴァイス、レフィアとキュールが居るのだから、むしろ居ないほうが違和感がある。

 だが、それでもその可能性を、姿が見えないのを良い事に無意識のうちに考えないようにしていた。


 可能ならば、2度と出会いたくない相手であったが為に。


「【諧謔】……!」











次回予告

死神が望まぬ再戦へと身を投じる他方で、軍団の柱と狂愛の少女は、遊戯からの脱出を目的に歩み始める……みたいな。



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