道化の遊戯④
船内にありながら、一切の揺れさえも無く、静寂と闇とが混在した薄気味の悪い室内。
部屋は縦横高さの全ての値が等しい立方体の形をしており、その中心に木組みの椅子が置かれていた。
そしてその椅子の上に深く腰掛け、両手を肘掛けの上に乗せ、手で頭部を支えた楽な体勢で寛ぐ影が1つ。
「……と、いう感じかな」
「ふぅん……」
椅子に寛ぐ人物――アキリアは、正面の壁の向こう側に広がっていた事態を身終えたところに、タイミングを見計らってたように掛けられて来た声に曖昧に応じる。
「ふぅんって、それだけかい?」
「それだけ、って言うのは?」
「だからさ、他に何か感想は無いの?」
まるで悪戯が成功させた子供のような、してやったりという笑みを浮かべたカルネイラが、アキリアの周りをぐるぐると回りながら言う。
「感想、か。大体のものは前回抱き終えたから、改めて抱くほどのものでもないけど、強いて言うなら……」
「言うなら?」
「やっぱり強いね、かな」
「……それだけ?」
途端に、思い通りの解答が得られなかったのか、不貞腐れたものへと表情を変じる。
その表情の変化の早さもそうだが、とにかく全体的に、年齢に見合わない子供っぽさが介在していた。
「……私には、何がそっちの望みに沿った解答なのか、推測する材料の1つも無いのだけど」
「だからさぁ、僕が良いたいのは、そんな過去の比較じゃないんだよ。彼が強いのなんて大前提。その前提の上で、あれだけの強さを身につけている、その事に対する感想だよ」
「……別にそこまで驚くほどの事でもないんじゃないかな。だって彼の師は、あの【死神エルンスト】なんだよ?」
口ではそう言っていたが、アキリアが驚いていない本当の理由は、途中からとは言え【ヌェダ】でエルジンが戦った光景を既に目の当たりにしていたからだった。
だが、それをわざわざ他人に伝える必要性も感じない為に、その後日にミネア経由で知った、もっともらしい事実を述べる。
「へえ、それは知ってるんだ。普通は、知らない筈なんだけどもね……」
ただし、それでもカルネイラ自身は想定していなかった答えであるというのに変わりはなかったようで、少しばかり、その事を明言したのを後悔する。
「……まあいいや。確かに、表面的に見てみれば、それも当然の事なのかもしれない。でもさ、それは本質から目を背けているだけに過ぎないよね」
「高名な人物にただ師事しただけじゃ、力は身に付かない。そう言いたい訳だね」
「話が早くて助かるなぁ。世の中、そんな当たり前の事も理解できない人も多いのに」
だからこそ面白いのだけど、とまた笑う。
「所詮は世の中、良くて等価交換さ。大体の場合は不等価交換で、ある程度以上のものを手に入れようと思ったら、相応以上のものを差し出さなきゃいけない。
彼があれだけの力を、能力者と渡り合い、打ち勝てるだけの力を手にするのに、果たしてどれだけのものを捨てて、どれだけのものを諦めてきたんだろうね」
「それは、当人にしか分からない事だよ」
アキリア自身にも、そしてカルネイラにも、それを語る資格など無い。
そういう意味を含んだ、遠回しの警告をカルネイラは理解していないのか、それとも理解した上なのか、言葉を紡ぎ続ける。
「それもまた事実だ。だけど、想像を絶する程のものだった事は容易に想像できるよね。言葉はおかしいけど」
「結局さ、そっちの主張は何なのさ?」
いつまで経っても、人を食ったような態度と口調で本題へと遠回りをし続けるカルネイラに、若干の苛立ちを堪えながら突っ込む。
そのアキリアの態度に、カルネイラは嗤う。
人でありながら、人ならざる悪意を宿した笑みを浮かべる。
「彼がそんな痛苦に身を晒す羽目になったのは、果たして誰のせいだろうね?」
「私のせいだって、そう言いたい訳なんだ」
「おっと、自覚ありかい?」
「話の展開から、それぐらいは予想できるでしょ」
「ところがどっこい、似たような状況下であっても、中々言葉を先回りできるような人は居ないんだよね。何故なら……」
カルネイラの続けようとした言葉を、アキリアが自分の言葉で遮る。
「人は誰しもが自分の失態を認めたがらず、また失敗するなんて夢にも思わないから」
心の底からの、つまらなそうな声。
そんな声で作られた言葉に、カルネイラはさらに悪意を色濃くする。
「じゃあ果たして君は、失敗をしたのだろうか?」
「さあね。それこそ、決めるのは私じゃないから」
「なら、僕が決めようか。僕に言わせれば、君はどうしようもない失敗を犯した。罪を犯したと言っても良い」
「罪、ね……」
後半の言葉に、肘掛けに乗せられていた、頭部を支えている手とは反対の手が微かに痙攣する。
まるで咄嗟に動かそうとして、それを即座に押し留めたかのようなその反応を、カルネイラは目敏く視界の端に捉える。
「だって、そうだろ? 君には彼が、そうならずに済む為の手段を持っていた。持っていながらそれを行使せず、見て見ぬ振りをした」
「…………」
「君がその能力を使って、彼に能力を、そうでなくとも、魔力だけでも与えてあげれば、彼は痛苦に晒されずに済んだんだ」
パンッ、と何かが破裂する音が響く。
その音を立てたのは、鞭のように繰り出されたアキリアの腕であり、殴られたカルネイラの頭部は、まるでそれが彼女の堪忍袋であったかのように呆気なく破裂し四散する。
「あれあれ、もしかして図星? 本当の事を言われて、カッとなっちゃった?」
これ以上神経を逆撫でするものは無いというような声音で、小馬鹿にするように、暗がりから頭部を失ったカルネイラとは別のカルネイラが歩いて来る。
「そうしなかった事を後悔している? 見て見ぬ振りをしないで、あの時そうしておけば良かったって、悔やんでいる? それとも悔やんでいる振りをしているの?
ああ、それとも言い訳でもしているのかな? 当時の自分は自分の意思で動く事もままならなかったって、だから助けられなかったのも仕方が無いって、当時の自分に対して言い訳しちゃってるの?」
「…………」
「それとも安心している? それまで気にも掛けていなかったくせに、いざ目にして今更のように思い出して、その事を誤魔化すかのように安心しているの? 無事でよかったって、心配してた振りでもしてんの?」
「うるさいよ……」
アキリアが、ハッキリとした敵意を向けて不愉快そうに零す。
だが、その声量は呟くよりも少し大きいという程度のものであり、それでもカルネイラの耳には届いていたが、その声量が小さいのを良い事に当人は聞こえなかった振りをして畳み掛ける。
「そうじゃなかったら……喜んでいるのかな? 中途半端に意識の端に引っ掛けている彼が仮に死んでたとしたら、それは彼に力をあげなかった君の咎で、君は咎人としてそれを嫌でも背負わされるから。咎人にならずに済んだ事に喜んで――」
「うるさいって、言ったよ……!」
奈落の底から這い上がって来るかのような声で吐き捨てるのと同時に、カルネイラの上半身を包むように、半球の膜が発生する。
カルネイラがその膜に触れるよりも先に、半球の内部で爆光が生じ、上半身は光に飲まれて見えなくなる。
そんな見るだけでどれ程のものか想像できる程の光量でありながら、不思議と外部からは直視できる程度の明るさにしか感じない、奇妙な光景が広がる。
そして光と共に半球が消え去ると、そこには膜に包まれていた上半身を失ったカルネイラがあり、下半身が倒れるのと同時に、なだらかな断面から臓物の一部と血を零す。
「うわ、うっわ、さすがは神族の特権。卑怯過ぎるし、えげつなさ過ぎる」
そして予定調和であるかのように、やはり新たなカルネイラの個体が姿を現す。
「ていうかさぁ、何に対してそんなに怒ってるの?」
「…………」
それまでの神経を逆撫でする声音とは一転して、真剣な問い質す為の声音に対して、アキリアは黙して答えない。
「君も色々と動いているみたいだけどさ、色々とやってるみたいだけどさぁ、その結果がそれなら、全然面白くないよ」
「楽しませるつもりなんて、毛頭ない」
「確かにそうだ。全然間違ってないよ。でも、そういう事じゃない、そうじゃないんだよ……」
カルネイラが、上半身を失った自分の死体へと視線を向ける。
「一体どうして、君は神術なんて身につけたんだい? まさか、そうする事がどうなるかを知らずに身につけた訳じゃないだろうね? もしそうなんだとしたら、僕は君を軽蔑するよ」
「私からすれば、そっちに軽蔑されようがどう思われようが、どうだって良い事だよ」
「その言葉、直前の君自身の行動と矛盾するって、気が付いてるかい?」
「確かにしてるね。でも、そんなものだと思うよ、人間なんて」
「開き直るには前提条件が足りてないよ」
カルネイラがアキリアを見る目を変える。
それまでの相手を覗き込み嘲弄するものとは打って変わった、この世にあまねく満ち満ちた悲劇の全てに嘆き悲しむ、詩人の目だった。
「でも、今ので分かった。君は全て分かっていたんだ。知っていた上で、それがどうなるかを理解した上で、尚の事それを選択した訳だ」
憂いを湛えた瞳を、まるで零れ落ちる涙を見せないようにするかのように伏せる。
「それは哀しい事だ。それはとても哀しくて、そして同時に、とても寂しい事だ」
「さっきも言った通りだよ。私にとってはそうは思わないし、そっちがどう思おうが知った事じゃない」
「その考えこそが、何よりもそうであると分からないかい? それに気付けない限り、君は永遠に変われない。悠久に等しい歳月が掛かったとしてもね」
「生憎、何かに変わりたいと思った事は無いよ」
何かを変えたいと思った事はあるけど、という独白は、聞かせるつもりはなかったのだろうがカルネイラの耳にはしっかりと届いていた。
「何かを変えようとするのであれば、まずは自分が変わらなきゃいけない。枠組みの中をいくら変更したところで、同じ枠内の作品であるという事実は変えられない。久遠から遡って、爾今に到るまで見たとしても、絶対に変えられない」
「それは経験談?」
「さあ、どうだろうね。ただ、1つだけ言える確かな事は、君がやっている事はとてもつまらないという事だけさ。何1つとして面白く思えない」
先程述べた言葉を、重要であるかのようにさらに力強く繰り返す。
「自身が変わらなきゃいけないとは言ったけど、何も種族を変えろって意味で言ったんじゃない。それはとても的外れて、退屈な愚行だ。
君がやった事は枠組みを変える事じゃなくて、別の枠組みを持って来る事だ。絵画の展覧会に、彫刻品を持って来るようなものだ。芸術品という枠組みでは同じであっても、本質的には全くの別物だ」
「言っている事が理解できないからこそ、理解できないなりに言わせて貰うよ。それの何が悪いの?」
力の込められたカルネイラの言葉に対抗するかのように、熱を込めて反駁する。
「私には何も悪いとは思えない。そもそも、誰かを楽しませるつもりでやっている事じゃない。収束地を見据えれば決して遠い事ではないけれども、少なくとも私にそんなつもりは毛頭無いし、それを求めて介入されるのも不愉快すぎるよ」
「愉快不愉快も、所詮は個人の感情さ。当人以外には、比較的どうでも良いで済ませられる事柄だ」
言外の、お前の言う事など知った事ではないという、自分勝手な言葉。
「君の言葉を借りれば、君に対して取り立てて注意を払う必要が無いなりに言わせて貰うよ。僕からすれば、君のやっている事の全てが悪いよ。問題大有りだ。
何故君は、自分の意思でもって人である事を辞めようとする? 知らないで行っていたならば、まだ救いようがあった。気付いた時点で引き返せる余地があった。なのに君は、その選択肢さえ自分で切り捨てて進む」
語るうちに、カルネイラの手が握り拳となり、そこに力が込められて行く。
「もっと躊躇えよ、もっと躊躇しろよ! どうして人間である事を簡単に捨てられる!? どうしてそんなにあっさりと、自分が生まれ持った素晴らしいものを棄てられる!?」
捨てるという単語に対して、アキリアは明確な意図しない反応を見せる。
だが幸か不幸か、話す事に意識を注いでいたカルネイラにそれが届くことは無かった。
「自分が人間であったという事をもっと誇りに思おう! もっと人間である事を謳歌しようぜ! 人間であるという事が幸運であるという事を、理解して猛れよ!」
怒りさえ感じられる言葉。握り締められた拳は力が込められ過ぎて、漂白されたかのように肌の質感を失っていた。
一方で、それまでのどこかおちゃらけた、真剣味の足りていない声とはまるで違い、真摯で切実な想いの感じさせられるものとなっていた。
「それを見失っている君に、意味なんか無い。せめてそれさえあれば救いようがあったけど、それを抜きにしたとしても、元より君のやっている事に何の意味も無いんだ」
そしてそれまでの反動が襲い掛かって来たかのように、静かな口調へと転調する。
「断言するよ。このまま続ければ、君のやっている事の全ては無駄になる。無為になって、無意味になる。だからさっさと辞めちまえよ」
蛇のように、百足のように、毒を含んだ言葉を這い寄らせて行く。
「何をしようとも無駄だ。無駄な事をするのは無駄な行為でしかない。無駄なのに続けるのも無駄だ。全部無駄だ。無駄無駄無駄無駄無駄……君には、彼をどうにもする事はできない」
「……話は終わった?」
盛大な欠伸と共に、椅子に座したまま体を伸ばして体を解していく。
次に体を起こさないまま両足を椅子の上に乗せていき、その体勢から椅子を蹴って後方へと身を転じ、立ち上がる。
意味のあるようには思えない、唐突な大道芸にカルネイラが眉を顰めるのも一瞬の事。
次の瞬間には椅子は何の前触れもなく爆ぜ、破片が傍に立っていたカルネイラの、咄嗟に庇われた顔を除いた全身に突き立って血を溢れさせていく。
「折角招待されたから聞くだけ聞いてみたけど、何の実りも無い、終始退屈極まりなく、つまらない話だったね」
「……無関心過ぎるね。無頓着と言い換えても良い。何に対してかは、言うまでもないけどさ」
「だろうね。私にとってはどうだって良い事だから。気に掛ける必要性も無ければ、考慮する価値さえも量る必要性を感じないからね」
「駄目だなぁ、ちっとも理解してくれてない。それじゃ君は駄目なんだよ。そんな力を持っていながら、そんな意識を持って動いてちゃ駄目だ」
「それを決めるのは他の誰でもなくて、私だよ」
アキリアが歩を進める。全身に傷を負ったまま天井を向いた、カルネイラの傍へと歩み寄る。
そして有無を言わさずに足を持ち上げて顔に乗せる。
「いやいや、僕にそんな趣味は無いんだけれどもね」
「それもやっぱり、私の知った事じゃないよ」
「ははっ、冷たいねえ。まあ、新しい扉を開拓するっていうのも、悪くは無いかもしれないけどね」
予定調和のように足へと圧力が掛けられていき、その下にあるカルネイラの顔が苦痛に歪む。
だがそれでも、カルネイラの舌は止まる事を知らなかった。
「でもね、君のやっている事は、いずれ行き詰るよ。そして最後には破綻する。有史以前から続く絶対の理に、逆らう術は無いんだ」
「何度も言うよ、関係ないってね」
ぐちゃりと、室内に生々しい嫌な音が響き渡る。
カルネイラの頭部を構成していた血肉が、頭蓋骨が、その中に納まっていた脳と脳漿が、踏み潰したブーツの下に広がり飛び散る。勢い余って飛び跳ねて、顔に付着したものもあった。
それらをアキリアは、意に介さない。
まるでそこには何も無いかのように、拭い取る事も、擦り付けて汚れを取る事もせず、目を閉じたまま独白する。
「何も変わらない。変える必要さえも無い。ずっと、前に進むだけだよ」
「……あーあ」
明かりが無い為に、視界の確保すら困難な密閉された空間の中で、そんな声だけが気持ち悪いぐらいに反響する。
「やっぱ駄目だったか。元からそんなに期待してはいなかったけど、分かってても失敗するのは、あまり気分が良い事じゃないよね。それもまた醍醐味だと言えるのは事実だけどさ」
奇妙な体勢で、椅子というのには貧相すぎる木製の台の上に乗ったカルネイラが、嘆息し独白する。
彼の背後には、暗い為に分かりづらいが、数人の人影が確認できた。その中には、いつかのオーヴィレヌ家の兄妹の姿もあった。
彼らは絶対の主君に仕える騎士の如く、両手を背後で組んだまま直立して微動だにせず、言葉の1つも発しない。
それこそが、主人に対する最適な行動であると理解していた為に。
「まあ良いや。次に、本命の方に行くとしよう」
カルネイラの傍らには、成人男性の腰ほどの高さに積み上げられた、雑多なガラクタの山。
ほんの弾みで崩れ落ちそうな気配の漂うそれは、自然に積み重なったのではあり得ない、絶妙な配置で互いを支えていた。
その中からいくつも突き出る、無骨な形の釘を掴んで引き抜く。
「折角蒔くんだから、こっちは芽吹いて欲しいねえ。じゃないとつまらないしねえ。まあ水も肥料もやらない訳だけどさ、雑草ほど強い植物は無いって言うもんね」
そう言って、カルネイラは無邪気に、同時に邪悪に笑った。
次回予告
死神と暗殺者の対談が見落としていた事実への道標となる中で、両者へと偽りの凶者が這い寄って行く……みたいな。
続きは多分明日辺りに。
もう単位の為に(点数を)稼ぐ必要も(再試験料を)貢ぐ必要も無いんや!
ただし確約はしない(逃)。