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道化の遊戯①

 



 世界のどこでもない、閉ざされた狭い空間内に、一隻の船が海上に浮かんでいた。

 数百人が居住できる広さを持ち、それに見合う3本のマストが船体より伸びていたが骨組みだけで、また全体的に傷んで腐り、ボロボロの様体を晒していた。まるでそれは、何年もの間無人のまま海域を彷徨い続けていたかのような、そんな雰囲気が滲み出ていた。


 そんな船の内部は、外見相応に薄暗く、気味の悪い空気を宿していた。

 元々光源の類は無く、加えて外では嵐なのか暴風雨が吹き荒れており、陽や月の光さえも無い。

 そしてただでさえ薄暗く、気味が悪いのにも関わらず、内部は外部以上に損傷具合が酷い有り様だった。床は埃が積もっていないところがない程で、カビが生えているのは当たり前で、所々の床が腐って抜け堕ちていた。

 天井からは旧式の、油を燃料としたランプが釣り下がっており、本来の役割を放棄したそれは上下の揺れに合わせて振り子のように揺れ、軋んだ耳障りな音を船内の各所で奏でる。その聴覚から得られる情報が、視覚から得られる情報と相乗効果を発揮し、一層その場の者の不安感を煽り立てる。


「どうみたって、スマーグライグの軍艦だよな……」


 明かりを持たずに手ぶらで廊下を歩くのは、黒髪黒目の長身の男。

 全身はくまなく鍛え込まれており、その歩き姿も合わせて見る者が見れば、暴力が日常茶飯事の世界に身を置く者であると一目で理解できる。

 加えて右手首に嵌められている、蒼穹の如き色合いの宝石の付いている腕輪も、素人が見れば装飾具としか判断しないだろうが、目の利く者ならば、それこそ殺してでも奪い取りたくなるような物であると分かる。

 もっともその男を相手に、殺して奪うなどという事は断じて不可能だろうが。


 いずれにせよ、少なくともこんな寂れた船に乗り合わせているとは考え辛い男が、まるで初めて都会を訪れた田舎者の如く周囲に忙しなく視線を送りながら船内を歩いている様は、違和感以外を抱く事は非常に難しかった。


「それも、数世代前の骨董品か。廃棄されずに放置された物が、たまたま海を彷徨い続けて、大陸の反対側まで辿り着いた……って可能性も皆無じゃなねえか」


 ただし、仮にそういう事があったのだとしても、自分がその船にいつの間にか乗せられているという事態の説明にはなり得ない。


「となれば、何かしらの能力か……」


 結局のところ、あり得る可能性としてはそれが最も高いものだった。

 加えて言うのならば、ある程度の系統に絞る事も十分にできた。自慢ではないが、彼の魔力抵抗力はかなり高い。それを潜り抜けるどころか、そもそもいつ仕掛けられたかも気付けない程、瞬時に能力に陥れられるようなものなど限られて来る。

 というよりも、ほぼ1つの系統に限られると言っても過言ではない。


「領域干渉系――それも規模や綿密さを踏まえると、間違いなくハル並みか、それ以上だな。どこかで条件でも知らないうちに満たしてたか? 確かに、ティステアの連中は化物揃いだ」


 自分に襲い掛かって来た事象が領域干渉系の能力であり、尚且つその術者がティステアに所属している者であると仮定し、その仮定が事実であった時の事を考えて戦慄する。

 そしてその推定は、あながち間違いでない可能性が高い。現状において術者の候補に挙がる勢力の筆頭が、他でもない彼が潜入し襲撃を仕掛けていたティステアだった。


「……ん?」


 そのまま穴を避けながら進んで行くと、やがて遠くから、小さくぼんやりとした、だがハッキリと目立つ明かりが現れるのが確認できた。

 淡く、また不規則に揺らめくその明かりが原始的な火によるものであると分かる程度の距離まで近付いた時、同時に彼の耳に、おどろおどろしく陰鬱な声が届き始める。


「最初は気のせいだと思ったんですよねぇ。だから、もう1度数え直してみる事にしたんです。1本、2本、3本、4本……」


 ゆらゆらと揺れる火の光に照らされて、その火の収まっている旧式のランプの姿が、そしてそのランプを手に持って提げた分厚い生地を纏った手が、順に彼の視界に入っていく。

 そしてそれに比例するように、その声も明瞭になっていく。


「202本、203本、204本、205本……そこでボクの手は止まって、やっぱりおかしい事に気付くんですよ。だって……」

「ッ……!」


 男は思わず、半歩下がって臨戦態勢に移行する。彼の警報は段階をすっ飛ばして最高レベルに達しており、知らないうちに冷や汗が溢れ出す。

 その視線の先の闇から、次々とその人物の姿が現れていき、とうとうその近付いて来る人物の顔が手に持っていたランプの光によって照らされる。

 そこに現れたのは、不安定で光量のやや足りない光によって、明暗のハッキリとした状態で空中に浮かぶ不気味な顔。


「なんとその人、全身の骨が1本足りてなかったんですよ!」

「って、テメェかよギレデア!」

「26番さん、ちーっす!」


 その小柄で中性的な顔立ちと特徴的な髪留めをした者――ギレデアが、ミズキアにランプを持つ手とは反対の手で、周囲に充満している空気を完全に無視した陽気な態度で手を振る。

 一方ミズキアと言えば、口調こそ荒げているものの内心は激しく鼓動を刻んでおり、ギレデアの挨拶に対して反応を返す余裕も無かった。


「ところでさっきの話、未だに原因が分からないんですけど、一体なんでっすかね?」

「ンなの知るかよ! つか、こんなところで何やってんだよテメェは!」

「何って、ボクが実際に体験した怖い話っすよぉ。他にも色々とありますよぉ?」

「心底興味ねえ!」


 少なくとも本人からすれば朗らかな雰囲気で笑うギレデアとは対照的に、ミズキアは剣呑な雰囲気のまま、さりげなく後退して距離を取る。

 近付いて来る相手がギレデアであると分かる前とはまた別の理由で、今の彼の内心は穏やかとは程遠かった。さらに注意深く観察してみれば、心なしか手足が微かに震えているのが見て取れた。


 ミズキアにとって、ギレデアは非常に苦手な相手だった。

 単純な実力で言えば、ミズキアの方が圧倒的に勝る。【レギオン】最古参のメンバーであり、尚且つ【忌み数ナンバーズ】に数え上げられているのは伊達ではない。

 しかしミズキアにとって――厳密にはミズキアに限らずとも、彼のような不死性を持つ者にとってギレデアの戦法は極めて相性が悪いのだ。

 そして何より、かつてミズキアはギレデアに家具の材料にされかけた事があった。それも寝ている間に。

 目が覚めたら下半身が家具に加工されていた時は、本気で死にたかったというのが本人の談だ。彼がギレデアを苦手とする理由に相性云々は殆ど関係がなく、むしろそれが全てと言っても良い。


「ですがぁ、これで無事に26番さんも見つかった訳っすねぇ。まあ、誰も余り心配してませんでしたが」

「何だ? その台詞からして、オレとテメェ以外にも居んのか?」

「居ますよぉ。不幸にも死んでしまった方を除けば、【レギオン】所属の方々の殆どがいらっしゃいますねぇ。それとティステアの……オーヴィレヌ家でしたっけ? あそこのご兄妹らしき方々と、他何人かですね」

「オーヴィレヌの兄妹って、あいつらか? つか、何でティステアの連中まで居るんだよ」


 頭の中にテオルードとオリアナの顔を順に思い浮かべ、続いて彼らが、術者がティステアの者であるという事の反証となる矛盾に首を傾げる。


「さてさて、そこはボクには分かりかねますっすねぇ。どうも本人たちにも心当たりはないそうっすから。ただ……」

「ただ?」

「巻き込まれたと言いますか、捕らわれたのは、ボクたちだけじゃないみたいっす。仮にティステアの方々がそうであると仮定して、他にも例の情報屋の方とその護衛に、あとはどちらにも属して無いらしい無力な少女が1人の、最大で4つの勢力が居ますねぇ」

「何だその無力な少女ってのは?」


 明らかに場違いな、周りの面子に対して違和感しか感じない呼称に突っ込む。


「言葉通りの意味っすよ。誰がどう観察しても、一般人未満にしかなれないような非力でか弱い少女の事です。ボクたちは勿論、情報屋の方々にも、ティステアの方々にも見覚えはないようでして」

「怪しすぎんだろうが。単純に考えて術者側の人間だ」

「それか、そう思わせる為のスケープゴートか、そうでなければ純粋に不幸にも巻き込まれた子になりますねぇ」

「最後のは絶対にあり得ねえ。領域干渉系の能力である以上、巻き込まれるのには相応の理由がある」

「まあ、そこら辺について考えるのはボクの役目ではないので、どうでも良い事っすけどねぇ。ボクの役目は他の方と共に、この船内の探索を含む、他に人が居ないか探す事ですから」


 何がおかしいのか陰湿に笑い、それに合わせて手に提げられたランプがカチャカチャと音を立てて揺れる。


「まあ、成果なんて皆無に等しいですけどねぇ。この船内、使えそうな物資はおろか、日用品の類もありませんよ。廃棄されていると仮定しても、ちょっと物が無さ過ぎなくらいに。それが成果と言えば成果ですけれどもねぇ」

「少なくとも、現実にあるものが舞台として利用されている可能性は低いって訳か」


 そこでミズキアの視線は、ギレデアの持つランプへと向けられる。

 頼りない明かりを放つ火を宿すそのランプは、周辺の天井から吊り下げられている旧型のランプと同一型の物だった。

 ただ、中身はミズキアが確認した限りでは入っていなかった為、それだけはギレデアが外部から調達して追加したのだという予測が立った。


「でもまあ、ある備品については自由に使えるみたいだな。油は持ってたのか?」

「いえいえ、持ってなんかいませんでしたよ」

「なら、一応予備の油はここに置いてあったという事か。ちゃんと燃えているところを見ると、放置されてからそれ程……」


 そこまで言って、ふとミズキアの脳裏に、猛烈に嫌な考えが過ぎる。

 そしてその考えを、優しく否定するかのような良い笑顔で首を振る。


「いえいえ、これは先程、自前で作り出したものですよぉ。生憎油も探してはみたんですが、やっぱり置いてなかったものでして。

 そこでとある方にですね、用途を伝えずに土鍋を作って頂きまして、そこに魔法で水を入れて沸騰させたんですよ。沸騰が確認できましたら、その方を解体しまして、肉を放り込むんです。それで浮いてきた油を掬い取って利用してます」

「へ、へぇ……」


 脳裏に過ぎった考えが的中した事にげんなりしつつ、その時その場に居合わせていなかった幸運を何かに対して感謝する。

 同時にとある方の顔を頭に思い浮かべ、雀の涙ほどの同情心を送る。


「ですが、今26番さんが言ったように、ある物は利用できるって分かっただけでも僥倖っすねぇ。元々あまり期待はしていませんでしたし、メインは構造の把握っすからねぇ。この舞台が誰かの記憶準拠であるという可能性が高いって判明しただけでも十分過ぎる成果ですよぉ」


 この廃船が誰かの記憶準拠であるならば、その記憶を持つ者も、必ず領域内に居る必要がある。

 そして同時に、その記憶の持ち主が術者ないしそれに近しい者であった場合、その者を殺せば能力は解除される可能性が高い。

 あくまで可能性が高い止まりであるのは、領域干渉系の能力にて設定されるルールは絶対であるものの、全ての同系統の能力間で共通している訳では無い為だ。

 ただ統計的にそういう能力ならばそういうルールが存在しているというだけで、無い場合だって当然ある。


「……で、他の奴らはどこに居るんだ?」

「あっちですねぇ。少なくとも今は」


 ギレデアが指し示したのは、当然のように彼が歩いて来た通路の方角だった。

 だが最後についでのように付け加えられた言葉が気になり、ミズキアは掘り下げるように促す。


「少なくとも今は、ってのはどういう意味だ?」

「簡単な事ですよ。どうもここ、構造が一定でないようでして」


 一定ではない――つまりは、まるで生き物のごとく構造が変化していくのだと、ギレデアは述べる。


「アベルさんがですねぇ、ボクや他の方々から、ここに来てから集合するまでの大よそのルートを口頭で聞いて、それを元に簡単な図を作成したんですけど、どうも各々で通って来たルートに大きな違いがあるみたいでして。しかも全部が同時に存在していると仮定すると、船の構造的にあり得ないような形になるそうです」

「実際の真偽は?」

「さあ、どうでしょう? 少なくともボクは今のところ、探索中に構造が変化して迷うなんて現象には見舞われてませんけど、他の方の中の何人かは行きと帰りで道が変化していたって言ってたっすねぇ」

「つまり、変化するのは確定だが、その理由や切っ掛けは不明って訳か」

「そうなりますねぇ」

「なら、さっさと合流した方が得策か」


 必要な事は聞き終えたと、ミズキアがギレデアと共に移動を再開する。何故か両者の間には微妙に距離が開いていたが。


「そう言えば、アベルの奴が見取り図を書いているって言ってたな」


 程なくして互いの間に存在する沈黙と、妙に重々しい空気に耐え切れなくなり、ミズキアが話題を探しながら口を開く。


「ええ、言いましたねぇ。それがどうかしました?」

「いや、紙はあったのかと思ってな。それとも何か、代替品でも……」


 そこまで言って言葉を切り、それを話題にチョイスした事を早くも後悔し始める。

 案の定ギレデアは、とても良い笑顔で、できれば土下座してでも遠慮願いたい説明を始める。


「それはですねぇ、油を調達する時に余った生皮をですねぇ……」










 数百人単位が一度に入っても、十分なスペースを確保できるような広い空間を持った、通常ならば立食形式の食事と社交の場となる広い室内には、本来あるべき華やかさも明るさも存在せず、代わりに妙に重苦しい雰囲気と薄暗さに満ちていた。


 室内には特徴も年齢もまばらな男女が多数。


 何も敷かれていない剥き身のテーブルの上に作成途中の見取り図を広げ、片手で頭を抱え、もう片方の手で胃の辺りを服の上から強く掴んでいるアベルを筆頭に、その周囲にカインにヴァイス、レフィアにキュール、そして白髪の気弱そうな少年と羽ペンを片手にノートに熱心に何かを書き込んでいる女性の7人が一箇所に固まっている。

 そしてそこからやや離れた場所にある、アベルたちが利用している円形のテーブルとは対照的に直線的な長方形のテーブルに備え付けられている椅子に座すアキリアにテオルードとオリアナの兄妹、顔面蒼白のディンツィオと彼に体を預けたまま意識を失っている半人半魔のセエレ、そして何かに怯えているかのようにびくびくとしている少女の6人が。

 さらにその両集団を、意識せずとも同時に視界に納められるような位置に、シロとその護衛のベスタが、そして何故かミネアが椅子だけをその場に移動させて座っていた。


 合計3つの集団の間に会話などない。アベルたち【レギオン】にとってティステア所属の者は現在進行形で敵対している相手であったし、逆にアキリアたちにとって【レギオン】は、自分たちの居た王都に一方的に襲撃を仕掛けて来た明確な敵だ。

 そしてシロやベスタにとっては、【レギオン】側からは先程ジェメインから、そしてティステア側からはその場に居る彼女らではないが、間接的に被害を被らされた相手である。

 そういった関柄の集団の間で会話が弾む筈もなく、かと言って相手に対する隠しようもない敵意といったものが場の空気を不穏なものへとしており、それがただでさえ薄暗く重苦しい空気に拍車を掛ける。

 そんな空気に満ちた場で、例え仲間同士であってもそう簡単に会話が弾む訳もなく、少し前にそれぞれの集団内で事務的な対話が行われた事を除けば、死にそうな顔色と表情でしきりに「もう駄目だ、お終いだ……」と呟いているアベルの声を除けば、酷く静かなものだった。


「あっ……」


 そんな静寂を破ったのは、キュールの唐突な声。


「……どうした?」

「か、帰れなくなった。こ、構造が、変化し、してる」

「どの辺りだ?」

「2つ前の、曲がり角、のところ。そ、そこが二股路に、変わってる」


 この世の終わりを嘆いているようでいて、自分の世界に閉じこもっている訳ではないらしいアベルが、キュールの言葉を元にテーブルの上の見取り図に付け足す。

 完成した図をキュールに見せ、実際の光景通りの図かどうかを確認し、溜め息をつく。


「変化した瞬間が、この曲がり角を曲がってから気付くまでの間のいずれかだったとしても、いずれにしろ等間隔にはなり得ないな。少なくとも、周期的に構造が変化するわけじゃねえのか」

「な、なら、やっぱり術者の、任意で?」

「その可能性が高いな。そうじゃなけりゃ、特定の条件が満たされると自動的に変化するのかもしれないが」

「た、確かめようは?」

「実質的に無いな。客観的に変化の瞬間が見れれば簡単で、それを可能にする手段はある。あるんだが……」


 アベルの視線は、他の集団に対して明確な警戒を露にしているシロへと向けられる。


「……まあ、まず間違いなく協力してくれないだろうな」

「か、カインさんの、せいだね」

「あながち間違いじゃねえ。本当にどいつもこいつも、余計な事ばっかしやがって……うあッ」


 唐突に呻き出し、両手で自分の体を――ちょうど胃がある辺りを抱えるように抱き締めてテーブルに突っ伏す。

 そのまましばらく動かなかったが、やがて体を持ち上げて懐に手を突っ込み、錠剤が半分ほど入った瓶を取り出すと、乱暴に蓋を開けて中身を手のひらに出して口の中に放り込み噛み砕く。


「だ、大丈夫?」

「大丈夫だ……まだ、血は吐いてない」


 果たしてそれは大丈夫と言えるのかどうか曖昧な基準を元に自己診断を済ませ、身を起こす。

 唐突のアベルの奇行に対して、周囲の【レギオン】のメンバーは特に注意も払わない。反応をしているとしても、またかというような、そんな慣れ切ったかのような表情を浮かべるのみだった。


「さっさと出て医者に行きたいところだが、それも難しいか」


 領域干渉系の能力である事は確定したが、それ以外の進展は皆無と言っても良かった。

 そもそも、術者の所属からしても不明だ。ティステアの者であるというのならば分かる。彼らは他でもない襲撃を仕掛けた側なのだから、術に嵌められて当然だ。

 だがそこに、同じティステアの者たちも巻き込む理由が分からない。それも本人たちにも心当たりは無さそうで、それがますます不可解さを際立たせる。

 仮に本当に術者がティステアの者だったとして、自分たち側の駒として彼女たちを利用するというのならば、まだ分かる。だが、目的も伝えずに巻き込んだとしたのならば、それは不合理の一言に尽きる。


「ああ、クソっ!」


 バンッ、とアベルの拳がテーブルを叩く。

 静寂に包まれた空間内において、その音は過剰なまでに響き渡り、さすがに所属する集団を問わずに周囲の視線を集める結果となる。

 その騒音を立てた当の本人の表情に浮かぶのは、苛立ちとそれに混じる微かな焦燥感。


「やばい、やばいぞ。このままだとマジでやばい」


 周りの視線など気にならないかのように、あるいは無いかのように、次々とアベルが口走るのに比例して表情の焦燥感は濃くなっていく。


「このままだと、マジで全員、あいつ・・・に殺され――」


 そんなアベルの言葉を遮ったのは、同じ【レギオン】のメンバーでもなければ、ましてやアキリアたちやシロたちでもなく、その場の者たちが関与しないところで発生した、先程アベルが立てたものよりもさらに派手な音だった。


「あだッ!?」


 重いものが高いところから落下し、テーブルに激突してそれを粉砕し、床に落ちる二重の音が響き渡る。

 全員の視線が一斉にその音源に集中すれば、そこには落下の衝撃で舞い上がった粉塵に紛れて、身を起こす人影。


「へぶッ!?」


 直後に、新たに天井から何かが落下してその人影に衝突し、先程のと比べればいくらかマシな音を立てて再度埃を舞い上がらせる。


「あったたたたたぁ……」

「シアちゃんと……ユナちゃん!?」


 その人影の正体が判別できるようになるレベルにまで視界が明瞭になるのと同時、素っ頓狂な声を上げたのはアキリアだった。

 彼女の視線の先で、埃塗れになったシアが、意識の無いユナを抱えた状態でフラつきながら立ち上がる。

 そして視線を周囲に巡らせて、驚きを覚えるよりも先に疑問符で頭を占める。


「アベルさーん、戻りまし――!?」


 だが、その疑問を形にして吐き出すよりも先に、広間の扉を開けてギレデアが顔を覗かせる。

 ほぼ同時に、シアとそれ以外の者たちの間に天井からさらなる乱入者が落下し、響き渡った派手な音にギレデアが言葉を切って首を竦ませる。


「なッ、ジ――」

「ジン君!?」

「ジンさん!?」


 それが全身に持て余す事無く傷を負い、瀕死の状態にあるエルジンであると判明した瞬間に、それまで我関せずを貫いていた筈のシロが椅子を蹴って立ち上がろうとし、それよりも先にアキリアとミネアが同時に驚愕の声を上げて立ち上がる。

 そしてエルジンの状態が、一刻の予断も許さない状態にあると把握した両者が駆け出し、身体能力の問題から先行していたアキリアの眼前に、唐突に立ち塞がる影。


「ほらな、オレは言ったろ? 不可避だってよ。まあ、オレもこんな状況で再開するとは思って――」


 アキリアの進行を強制的に阻んだミズキアが、口上を述べ終えるよりも先に上半身を吹き飛ばされて床に下半身が倒れて血溜まりを作る。

 それをやったのはアベルだった。

 瞬時に椅子に座した状態からミズキアの傍まで移動したアベルは、たった腕の一振りだけでミズキアの上半身を吹き飛ばし、反対の手でいつの間にか抱えていたギレデアを床に乱暴に投げ捨ててがなり立てる。


「全速力で治療しろ!」

「了解しました」


 普段はアベルに対し、意識の有無を問わずに軽口を叩くギレデアも、今回ばかりはアベルの言葉に対して一言で引き受けて全力で術式を紡ぎ上げ、複数の魔法を並列展開。青い燐光と共に穴が塞がり、断たれた血管が継ぎ合わされ、骨が伸びて肉と皮膚が覆っていき、血が造られていく。

 高位魔法の1つでそれら全ての魔法と同様の効果が得られるのにも関わらず、魔力というコストを度外視して複数の魔法で代替するのは、被術者の負担を可能な限り減らす為の行為であり、そしてギレデアの治癒師としての非凡さの証でもあった。


「これ、やったの明らかに団長さんっすよねぇ。この人、まさか団長さんと戦ったんですか? 馬鹿なんですかねぇ?」


 ギレデアが喋る間にも治療は続き、少なくとも肉体的損傷に関しては概ね完治する。

 また内側に関しても、吹き飛んだ臓器も元通りとなり、断たれた筋肉や骨も元通りに繋ぎ合わさり、また血が造られていく事によって陶器のようだった顔色に青みが戻っていく。


「……動きませんねぇ」


 だが、そこまで傷が治っても、エルジンは動かないままだった。

 思わずといった感じで零れたギレデアの言葉は、そのエルジンの状態が彼の想定に無いものだという事を端的に表していた。


「どれだけ死に瀕していても、ここまで一気に引き上げたのならば、余程の事がない限りは自然と眼を覚ます筈ですが――」


 治癒魔法の展開を終えて、疑問の眼でエルジンを検分するギレデアの背中を通り過ぎる影。

 ギレデアが振り返るよりも先に、ようやく傍に駆け寄ったミネアが、問答無用でエルジンの胸部へと拳を振り下ろす。


「ジンさん、眼を覚ましてください!」


 何度も何度も拳は振り下ろされ、その下にある心臓へと振動を伝える。

 併せてミネアは手を後頭部に回して気道を確保し、迷わず自分の口を重ねて息を吹き込む。

 人工呼吸と呼ぶのには多少乱暴なその行為は数度に渡って繰り返され、ようやくエルジンの口から血塊が吐き零される。


「ああ、心臓が停まってたんですか。道理で眼を覚まさない訳っすねぇ」


 普段は心臓が停まった状態で治療を施す事がない為に、それは想定外だったとギレデアが納得の声を上げて手を打つ。

 一方のミネアは、覚醒こそしていないものの、とりあえずは無事が確認できた事で安堵の息を吐いて床にへたり込む。


「な、何でオレ、殺され――」

「ミズキアぁ!」


 そこから数歩離れた場所で、上半身を再生させたミズキアが納得のいかない声を上げながら立ち上がろうとし、アベルに睨まれて動きを止める。


「ど、どうしたよアベル。何でお前、そんなにキレてぶッ!?」


 その顔面に容赦なく蹴りが叩き込まれ、後方に頭が吹っ飛び床に後頭部を打ちつける。

 その痛みに呻きながら再び起きるミズキアへと、アベルが言い放つ。


「お前が居ながら、なんつう様だオイッ!」

「ハァ!? 訳分かんねえよ! いきなり何だってんだよ!?」

「あのガキ死に掛けてんだろうが! お前死にてえのか!?」

「いや、お前に既に殺されてんだけど!? つか、それオレ関係なくね!?」


 視線でエルジンを指し示され、アベルの言わんとする事を理解した上でミズキアは反論する。


「むしろオレ、かなり頑張ってた方だろ! オレなんかよりもザグバの方が大概だろ!?」

「お前さいてーだな。死人に鞭打つとかよ」

「死人に口無しとは、よく言ったものですね。何せ本人は死んでるんですから、どれだけ酷い事実を捏造されようが、反論のしようがない」

「えっ、あいつ死んだの!? って、タンマタンマ!」


 同じ【忌み数ナンバーズ】であるレフィアとヴァイスから衝撃の事実を聞かされながらも、それに驚く間も無く、アベルににじり寄られる。

 何も発する事なく、無言で歩を詰めるアベルはミズキアからすれば不気味な事極まりなかったが、その全身から立ち上り向けられる隠しようもない殺気を前に、相手の意図に気付けない振りができるほどミズキアは器用ではなかった。


「れ、冷静になれ! 気持ちは分かる! 分かるけどそれ、ただの八つ当たりだから! オレからすればただ理不尽なだけだから!」

「…………」

「よしんばオレの責任だったとしても、そのオレとここのオレは別人だから! 今のオレに責はないから!」

「キュール、お前の能力で増えた場合、どっちが本物だ?」

「ぜ、全員が、本物。どっちも同じで、全員が、ど、同一人物」

「なんだそうだ」

「キュールテんメェ!」


 キュールはしれっとミズキアの背を押し、絞首刑台に続く階段の最後の一段を上がらせる。その事に当然憤慨するミズキアだったが、キュールに構ってる暇はすぐになくなる。

 黙々と歩を進めるアベルに対して、ミズキアは立ち上がる事も忘れて、腰を落としたまま後退を重ねる。


「ちょっ、ほんと待って! オレかなり頑張ってたから! 相手の主力抑えたりとか大活躍だったから!」

「…………」

「マジで落ち着け! 今のオレそんなにストックないから! 下手したらガチで死ぬから!」

「…………」

「百歩譲ってオレにも責があったとしてだよ? 十分功罪相殺になるって! むしろお釣りが来るレベルだから! 他の奴らと比べても絶対に貢献してるから! それを一切考慮しないで一方的に処罰するとか、上に立つ奴として絶対にやっちゃいけない事だから!」


 とうとう後ずさるのも限界で、ミズキアの背が壁に触れる。だがアベルの歩は止まらない。


「さっきも言ったとおり、お前の気持ちは痛いほど分かる! 分かるけど、だからこそ冷静になるべきだ! ここでオレを殺しても不毛なだけだから! むしろ不利益しか生まないから! 合理的に考えれば、殺さないのが当然だろ!?」

「……確かに、そうだな。お前の言うとおりではあるか」


 ピタリと、アベルの足が止まる。

 そのまま自分の髪を手で掻き上げ、深呼吸をする。ひとまずは冷静さを取り戻す事に成功したようで、ミズキアも安堵の息を吐く。


「でも死ね」

「あぼッ……」


 でも殺した。


 頭部を熟れた果実のように弾き飛ばした死体が、壁に跡を付けながら横に倒れる。

 それが倒れる音がするのと同時、アベルもまたその場に崩れ落ちる。


「終わった、もう全部終わった。確実に死んだな、これ……」


 まるでこの世の全てに絶望したかのような、そんなアベルの独白だけが、室内に虚しく響いた。











次回予告

孤立した監獄の中で行われる遊戯の前に、参加者が次々と脱落する中で、死神は過去の因縁に再会する……みたいな。


ミズキアが死ぬ事に何の意味もない。でも殺した。後悔はしていない。

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