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理脱者②

 



 メネケア=ラル・エミティエスト。その名を国内で知らぬ者は居ないだろうとすら言われている、超が付く程の有名人である。

 それはティステアに君臨する守護家の一角、エミティエスト家の現当主であるからという理由も、勿論ある。だがそれだけが理由で、それだけの知名度を手にする事は簡単なものでは無い。なにせ平民にとって、自分たちが住む地を統治する者以外の貴族など、ましてやその当主が誰であるかなど、果てしなくどうでも良いからだ。

 そんな平民にまでその名が知れ渡っているのは、ひとえにメネケアが、それだけの偉業を成し遂げて来たからに他ならない。


 まだ隣国がゾルバでは無かった時代に、皇国の侵略を陣頭に立って再三に渡り退け、その後皇国がゾルバに吸収された後も、当時の【雷帝】アゼトナやシャヘルと共に多数の武勲を立てていった。

 長いゾルバとの交戦記録の中でも屈指の地獄と言われたマヌエリオル戦線で、唯一軽微の被害のみに留めて部隊を生存させ、さらには【レギオン】に並ぶ傭兵団と言われていた【ジオランテ】に追い詰められていた友軍を救出させており、周囲からは英雄と称賛されていた。


 なにより、半世紀前の当時のティステアを襲った一大災厄、親世代の吸血鬼であるムロニー・ウーピールによるパンデミックを鎮圧した中心人物として、その名は民衆にも広まっている。

 メネケアは同じ貴族側からしても、そして民衆側からしても、古の英雄に等しい存在として認知されていた。


「今の私は眼中に無いと、そういう事ですか……」


 そのメネケアに対して、真っ向から不遜極まりない言葉を吐き出したリグネストに対しても、メネケアはその温厚な口調を崩さない。

 それが形だけのものではなく、内容はどうであれ、中身の伴ったものである事は聞いて理解できた。


「相も変わらず、と言ったところでしょうな。貴方は変わらない」

「あんたは5年前と比べて、随分と老けたようだがな。そのペースならば、あと数年もすれば、実年齢に外見年齢が追い付く」


 対するリグネストも、態度は慇懃無礼であれこそすれ、口調には多少なりとも相手に対する敬意が見られた。


「この5年間で、何か心労を抱えるような出来事でもあったか?」

「貴方には関係の無いことでしょう」


 ジリジリと、双方共に爪先を動かしてミリ単位で間合いを詰めていく。

 両者の間の距離は、およそ10メートル。その気になれば、互いに一瞬で詰められる距離だった。


「確かに、オレには関係のない事だな。が、一般的な考えに沿ってみると、既知の敵対者と遭遇した場合、挑発を行うのが当然の――!」


 言葉の途中でリグネストが大きく後方に跳躍。着地した先で止まる事無く、さらに横に跳躍する。

 リグネストの唐突な跳躍以外に、その場に変化など無い。傍から見れば、リグネストが奇行に及んだようにしか見えない。だがその印象も、滞空中のリグネストが吹き飛ばされて建物に叩き付けられる事で一変する。

 空中で吹き飛ばされた瞬間にも、視覚以外に変化は無い。ただ無音でリグネストが吹き飛ばされて、代わりに壁に叩き付けられる音だけが響く。


 ダメージを負いながらも、ゆったりと経過していく世界の中で万全の受身を取って衝突したリグネストが、猫のような身のこなしで体勢を整えて地面に着地。ナイフを前面に構えるも、さらに背面からの衝撃に身を仰け反らせて揺らし、内臓出血による吐血をする。


「さす、がにやる……」


 悠然と歩を進めて距離を詰めてくるメネケアに、血に染まった口元を横に引き伸ばし、苦鳴を抑えて言葉を漏らす。


「空気の、砲弾でも、衝撃波の、類でも、ない……一体、何だこれ、は……?」


 正体不明の、不可視の攻撃に対する考察が纏まりきらないまま、纏める時間も与えてくれる気配の無いメネケアに眼光を向ける。


「さすがに、児戯とはいかないだろうが、当たらなければ問題ない」

「甘いですな」


 地を蹴り、ジグザグに距離を詰めるリグネストの姿をメネケアの視線が追い掛ける。

 落ち着いた体勢でその場に構えるメネケアとは対照的に、縦横無尽に動き回るリグネストは、途中で何かを回避するかのような、唐突な進路の変更や後退を行う。しかしそれでも追い付かないのか、時々自発的な行動ではあり得ない、外部からの衝撃を受けた事による動きをし、その都度地面に赤い斑点が零れ落ちる。


「簡単に情報を与えてしまうほど、私は素直ではありませぬ」


 自分の感覚をフルに使い、メネケアの呼吸や視線、僅かな体の動きながら大よその攻撃のタイミングや方向を探り、導き出した応えに従って動くリグネストに対して、メネケアは意図的なそれらの動きを行い、虚実を織り交ぜる事で撹乱する。

 強大な力を持つものの、一方で攻撃手段は近距離攻撃ぐらいしか持たないリグネストにとって、近付く事すら許さないメネケアのその行動は厄介な事この上なかった。


「いいや……」


 あまりにも一方的な、ワンサイドゲームのままに終わるかに思えたその展開は、リグネストの口が描く不敵な笑みによって塗り替えられる。


「案外そうでもない」


 リグネストの無手の手が何も無いはずの空間に伸ばされ、何かをがっしりと掴む。


「いくら虚実を織り交ぜようとも、所詮は虚は虚であり、真にはなり得ない。どれほど似せようが、絶対に際は存在する。その差異を見極めるのには手間と時間が掛かりはするが、一度見極めてしまえば、何ということは無い」


 語ってみせたリグネストの視線は、自分の手が掴んだ物へと向けられる。

 そこには長球形の回転楕円体の石塊が握られていた。


「飛ばしていたのは、単純な石塊か。ただしそれを気取られないように、軌道上に真空の道を作って音を遮断し、尚且つ弾丸を不可視にする為に、空気の屈折率を変える魔法を併用していたか。それも全体の屈折率を同時に変えるのではなく、高速で射出される弾丸の位置に合わせて屈折率を変える位置を動かしていたか。相当に芸が細かいが、それだけではないな。

 ただ石塊を生み出して撃ち出すのならば、石塊は必ず手元に生み出す必要がある。だがそうなると、オレが攻撃を喰らった方角とあんたとが、直線で結ばれる筈。それができないとなると、射出そのものは別の要因が絡んでいる。地と風の魔法に、プラス何らかの能力だ」


 メネケアが発動させた魔法そのものは、迷彩化に石灰を生成するだけの、至極単純な魔法のみ。

 ただし運用のさせ方は非常に繊細で、一箇所に留まらずに動き続けるリグネストに感付かれないように、リグネストには触れず、それでいて僅かな空気の揺らぎも生み出す事を許さず、弾丸がリグネストの体に触れる直前までの間に空気が挟まれない真空の道を瞬時に生み出し、挙句高速で射出される弾丸を追い掛け常に覆うかのように、弾丸の位置の箇所だけの屈折率を変えるという芸当を可能にするその精密さと速さは、もはや常軌を逸していると言って良い。

 そしてそれを、何発も喰らいながらも短時間で対応し、さらに正解を導き出せるリグネストもまた常軌を逸していた。


「威力は中々高い方ではあるが、頭部に当てない限り、一撃で殺す事は難しい。そして今までに狙っていたのが胴体部に集中していた事を加味しても、必殺の切り札と言うよりは見抜かれる事が前提の、相手に手傷を負わせて戦いの展開を優位に持ち込むのが目的の小手先の技だ。たかが小細工1つに、大した手の込みようだ。

 そしてこれが小細工であるならば、切り札を含む、他の手札も何枚か持っているだろうな。末恐ろしい限りだ」

「洞察力もまた、昔から変わりませんな」


 見抜かれた以上はもう通用しないだろうと、メネケアはそれ以上の追撃を断念する。

 メネケアからすれば、彼に限らずとも、リグネストを相手に接近戦を挑むのは分が悪すぎる為にそれで決まればこの上なかったが、世の中そう甘くはなかった。


 メネケアが掌打の形を作り、腕を引いていく。

 メネケアにはまだ他の手札があり、尚且つ能力の正体も看破できていないリグネストからすれば、迂闊に動く事は愚策に等しい。だからこそ、リグネストも応じるように前進する。


 十分な溜めをされた掌底と、ナイフの刃が衝突する。普通に考えれば結果は火を見るよりも明らかな筈だが、大方の予想を覆して、メネケアの手のひらはナイフを完全に受け止め、肌に傷をつける事すら許さない。

 双方共にその結果は織り込み済みであるかのように、次々と腕を引き戻しては繰り出していく。

 そしてその壮絶な鍔迫り合いは、徐々にリグネストが優位に立っていく。

 負傷のハンデがあろうとも、未だリグネストの能力は健在であり、彼のナイフが届き得る範囲内での戦いにおいて、彼の右に出る者は居なかった。それはティステア守護家当主の頂点に立つ者であっても、普遍の理だった。

 例え大陸中に名を轟かせるメネケアであっても、リグネストの土俵に挑んでは勝ち目など無い。それはメネケア自身も理解している事だった。


「無駄だ」

「――ッ!?」


 リグネストが短く吐き捨てると同時に、虚空をナイフで薙ぐ。

 特に何かをしたようにも見えない動作だったが、メネケアにとってはそうでもなかったかのように、動きに僅かな遅れが生じる。

 そしてそれがどれだけ短かろうとも、リグへストにとっては欠伸をする余裕がある程の時間に等しい。目敏くその間隙を突いて伸びたリグネストの手に対して、咄嗟に打ち払おうとメネケアが左の裏拳で弾く。それが誤りだと気付いたのは、リグネストが残虐な笑みを浮かべた時だった。


「例え不可視で、種の分からない攻撃であっても、それが存在するもの・・・・・・である事に変わりはない。ならば後は、タイミングさえ合わせられれば簡単に斬れる」


 蛇が獲物に対してそうするかのように、裏拳を放った腕に絡みつき、背後へと回り込む。

 同時に逆手に握られたナイフが、メネケアの胸部へと突き刺さる。急所は外れているものの、痛みは皆無ではなく、メネケアがその痛みに一瞬呻いて硬直。

 その隙を逃さずに背後に立ったリグネストが、メネケアの腕を外側へと引き伸ばしていき、間一髪でメネケアが右手で自分の左腕に組み付きそれ以上を阻む。


「やはり老いたな。あんたはもう、理脱者とは呼べない」


 その抵抗を嘲笑うかのように、リグネストがメネケアの腕を力任せに引き寄せる。

 それに対してメネケアは、慌てて各種筋力強化魔法を発動させて対抗しようとするも、その前にリグネストが突き刺していたナイフを横に引き、肉を斬り裂く。

 新たに襲って来た痛みに対して、呻き声を上げずに堪えたのはさすがだったが、代わりに抵抗の力は一瞬だけ緩む。その一瞬の間に、メネケアの左腕は右手の拘束を振り払って引き伸ばされていく。

筋繊維が皮膚の下で引き千切れる音がし、それに覆い被さるかのように、骨が砕ける音が鳴る。

肘の関節が粉砕され、尺骨と橈骨、上腕骨が複数箇所に渡って割れる。折れた骨の断面が、各所の強靭な筋肉と皮膚を突き破って外気に露出。傷口から赤い血潮が漏れ出す。


「ぐぅ……ッ!!」


 メネケアは左腕は完全に使い物にならなくなったと、即座に見切りをつけて掌打へと切り替える。

 だが背後に密着している相手に対して、不完全な体勢で放った苦し紛れの攻撃が当たる筈も無く、リグネストは悠々とメネケアの間合いの外へと逃れる。


「以前までのあんたが相手ならば、こうも簡単に極める事も、ましてや膂力で勝る事も不可能だっただろう」

「こ、の力の使い方は……」


 語り掛けて来るリグネストの言葉に対して、メネケアは答えず、別の言葉を吐き出す。


「時間が掛かる上に、とても疲れるので、あまり好まないのですが……」


 リグネストの訝しげな表情に掛かる影。上を見上げると同時に、周囲に甲高い耳鳴りのような音が発生する。

 その音が大きくなるに比例して、顔に掛かる影も濃さを増していき、すぐに限界に達して凄まじい轟音と地震が発生する。


 その場はおろか、王都全体にまで及んだその事象を引き起こしたものの正体は、巨大な氷塊だった。

 直径数十メートル以上はある、球形に近い形状のその氷塊は、衝突の瞬間に縦に亀裂が入って分割されるも、粉々になって周囲に飛び散るという事も無く、自身が形成した巨大なクレーターの奥底に転がっていた。


「腐っても元理脱者、と言ったところか」

「やはり、そう簡単には当たってはくれませんか」


 間一髪で爆心地から逃れたリグネストだったが、直撃せずとも衝突の瞬間の衝撃をもろに浴び、全身に裂傷を作った状態で新たに発生した瓦礫を掻き分ける。

 そのリグネストに、さらに覆い被さる影。

 さすがに表情を一変させて見上げてみれば、そこには自由落下運動だけではあり得ない速度で墜落してくる氷塊が、徐々に視界を埋め尽くして来ていた。


「ならばもう1発」


 先ほどのものよりも大きな、直径にして100メートルにも届こうかというその氷塊を頭上に置いて、リグネストは回避の選択肢を捨てる。

 その時点で動き出したところで、爆心地から逃れ切れるかどうかは半々であったし、仮に逃れられたとしても、その余波は先ほどの比ではないのが分かっていた為に。

 代わりにリグネストが選んだ選択肢は、迎撃。

 握り締めたナイフの切っ先を突き上げ、地面に落下する寸前の氷塊に当てる。瞬間、ナイフが突き立った箇所を起点に放射状に亀裂が氷塊に広がっていき、粉々に砕け散る。


「相も変わらず、人間離れした芸当を成し遂げる御仁だ」

「あんたがそれを言うか?」


 人間大ほどの大きさとなった無数の氷塊が、光を乱反射して煌きながら次々と落下する光景の中で、メネケアは緊張の面持ちで、そしてリグネストが嘘臭い笑みを浮かべた表情で会話を交わす。

 その両者の世界の中に、唐突に入り込む異物。


「にひっ♪」

「ッ!?」


 無数の氷塊の影から影を縫うように、飛燕の如き動きでリグネストの間合いへと入り込んだシアが、歪んだ笑みと同時に蹴りを放つ。

 咄嗟に無手の左腕を掲げてそれを防ぐも、リグネストの頭の中を占めるのは、決して小さくない驚き。

 リグネストにとって驚くべき点は、それこそシアが視界の端に姿を現すその時まで、その存在にまるで気が付けなかった事。

 それは普通ならば、あり得ない筈だった。【超感覚】の能力を持つ彼を相手に、同じ理脱者か、それに準ずる実力を有しているのならばまだしも、そうでない者が気付かれずに接近するなどあり得ない。

 しかし現実として、その事態は起こっていた。ならば手段はどうであれ、それをシアは実現させるという快挙を成し遂げたという事に他ならなかった。


 もっとも、接近できたからと言って、どうにかなる事に繋がる訳でもない。

 事実、折角接近に成功したシアのその蹴りも、驚きこそ与えたものの危なげなく受け止められていた。


「やっぱりね」


 だがシアは、その蹴りが受け止められた事に対して落胆する訳でもなく、得心がいったという反応を返すと、即座にそのまま腕を蹴って距離を取り、間髪入れずに頭上から降ってきた氷塊に押し潰される事を回避する。

 そしてシアの姿が氷塊に遮られて、リグネストの視界から一瞬だけ消えた直後に、今度はリグネストの背後より強襲。気絶させて無力化しよう等という意図など微塵も介在しない、問答無用で頚骨を圧し折る事を目的とした蹴りを放ち、再度リグネストに受け止められる。


「どれだけ過程がゆっくり捉えられても、時間を切って繋ぎ合わせて、過程が結果の後に来るようにしちゃえば反応できないみたいだね!」


 腕に遮られた足を起点に空中で体勢を整え、そのまま器用にリグネストの腕へと絡み付いていく。

 それが腕と足の違いこそあれど、直前にリグネストがメネケアの腕を破壊する為にとった行動と同じものであると、他でもない本人はすぐに気付く。

 同時にそうはさせまいと、反対の手に握ったナイフを振り上げ、そして切っ先を反転させて反対側から高速で飛来して来た黒色の矢を弾き散らす。


 視線だけを矢が飛来して来た方角へと向ければ、そこには苦しげに膝を付きながらも、戦いの被害の及ばぬ場所へとエルジンを移動させ、指先をリグネストへと向けたアスモデウスの姿。


「これで文字通り、一矢報えたという訳だ」

「腕一本、もーらいッ♪」


 アスモデウスがそう吐露すると同時に、無邪気な宣告と共にシアが両手足に力を込め、捻り上げる。

 リグネストがメネケアに対して行ったものに比べれば圧倒的に劣るものの、腕の下で骨が折れて砕ける音と手応えが確かに伝わり、外形が見るも無残な形へと変えられる。


「おおっと!?」


 だが、確実に腕を破壊されたにも関わらず、リグネストは顔色を微塵も変えずに腕を持ち上げる。

 釣られて持ち上げられたシアが、不安定な体勢をさらに崩した瞬間を狙って地面に叩きつけようとした瞬間に、再びアスモデウスの声が朗々と響く。


「美味しいところはキミに譲るさ」


 その言葉が言い終えられるよりも先に、リグネストがシアへの対処を中断して身を捻り、またシアがリグネストの腕から飛び退いたのと同時に、ナイフを握っていたリグネストの前腕から上腕にかけてが足元の地面ごと唐突に消失し、一瞬遅れて血が噴き出す。


「ベルゼブブ」


 アスモデウスの囁きを掻き消すかのような、ド派手な着地音と共に地面を踏み割って、白銀の堕天使ベルゼブブが降り立つ。

 右手に顕現している、飢えと怨嗟の声を漏らす口は一定のペースで咀嚼を繰り返す。それが何を喰らったのかは、考えるまでも無い。


「……確実に殺したと思ったが」

「あア、お陰で死に掛けたゼ。だが残念だったナ。生憎オレハ、あれぐらいじゃ死なネェ」


 前と同じか、それ以上の激情を剥き出しにしたベルゼブブが明確な敵意を差し向ける。

 さらには元々交戦していたアスモデウスにメネケア、そしてシアも加わった4名に取り囲まれながらも、リグネストの顔には焦りは見えない。

 それどころか、新たに登場したベルゼブブにさえ興味は無いかのように視線を外し、破壊された左腕を口元まで持っていき、ちょうど折れた部位を口に挟む。


「うっへぇ……」


 耳を塞ぎたくなるような生々しい音が響き、元凶を作ったシアが、思わず声を漏らす。

 そんなシアの反応すら他所に、リグネストは自身の顎の力で折れた骨を力任せに矯正していく。

 程なくして腕にいくつかの歯形を付ける事と引き換えに、無残に変形していたリグネストの腕では、少なくとも見かけは元通りとなる。


 続けて元通りとなった腕を持ち上げ、今度はベルゼブブに喰われた腕の断面へ。

 その大量の血を零し続ける腕の断面を包み込むように握り、一気に手に力を込めて圧迫。肉と骨がつぶれる音が響き、腕の断面を圧搾。血の出口を強制的に塞ぐ事で出血を抑える。


「次から次へと、実にご苦労な事だ」


 常軌を逸したその応急処置に誰もが唖然とする中、当の本人だけは悠然と歩み、地面に転がった自分の右手首の先からナイフを回収する。

 それを逆手に握り、自分を取り囲む面々を順に見渡していく。


「いい加減飽きて来たな」


 腕と大量の血を失い、そして数でも優位に立たれていても尚、リグネストから余裕が消える事は無い。むしろ表情にはその宣告通り、退屈ささえ浮かんでいるようにも見えた。

 理脱者たる彼はその状況下においても、尚も怪物であり続けていた。


「失敗だったナ……」


 そこでベルゼブブは、自身の失態に気付く。

 リグネストはその気になれば、もっと負傷の度合いを抑える事ができた。無傷という訳にはいかなかったにしろ、実質的に片腕全てではなく、手首から先、あるいは指の数本程度に抑え込む事は十分に可能だった。

 だがリグネストはそうしなかった。そうした場合、肉体の欠損の度合いは抑えられる代わりに、自分の唯一無二の得物をベルゼブブに喰われて失っていたであろう為に。


「お前たちには分からない。この世が如何なる意思を持って、どんな理を紡いでいるかなど、誰にも分かりはしない」


 客観的に見積もって、圧倒的優位に立っている筈の4人が圧倒される。そんなちぐはぐな状況の中で、リグネストの声だけが響く。


「分からないからこそ、納得できない。それは理解できる事だ。だが理解できなければ覆せず、理解できたとしても覆せはしない。絶対は……このオレだ」


 言外に、お前たちでは勝てないというその言葉に激昂しかかり、その激情を各々で飲み下す。その場の全員が、その言葉が真であると身を持って知っていた。


「不合理な戦いを避けるのは、もうやめだ。全員此岸から彼岸へと送ってやろう」


 リグネストが宣言と共に動き出そうとした瞬間、その動きを唐突に止める。

 それは彼に限った話ではなく、彼の動きに応じて動き出そうとしたその場の全員の動きが、唐突に止まる。


「これは……!」


 原因は、どこからともなく漂って来た赤い術式の縄。

 それが各々の手足や体に絡み付こうとし、真っ先にリグネストがナイフを振るってそれを消失させる。

 しかし、他の者はそうもいかなかった。


「へ……?」


 最初にシアが、手首をその術式に縛られた直後に光に包まれ、その場から跡形も無く消える。


「なッ――!?」


 続けて意識の無いエルジンに術式は絡み付き、シアと同様に彼を光で飲み込み何処へとやる。それに驚きの声を上げたアスモデウスが、自身にも向かってくる術式に抵抗しようとして、やめる。

 ベルゼブブもまた、その気になれば術式を喰らって抵抗できた筈だったが、それをせずにアスモデウス共々光に包まれてその場から消え失せる。

 最後にメネケアだけは、自分へと向かって来た術式に触れる事無く、その方向をリグネストへと転換。最初の術式と同様に掻き消される。


「……とんだ茶番だ」


 リグネストが短く吐き捨てる。


「いや、あるいはあいつらにとっては、望み通りの結果でもある訳か。稼いだ時間は決して無駄ではなかった訳だからな」

「……これは果たして、どういう事なのでしょうな」


 メネケアが状況を理解しながらも、把握しきれない言葉を吐き出す。

 その言葉に対して一瞬だけ視線を向けたリグネストが、すぐに視線を外し、踵を返す。


「行かれるのですか?」

「当然だ。ここに留まる理由が無くなった。それともそっちに、これ以上オレと戦う理由があるのか?」

「ありませぬな。そちらがどうかまでは、把握しかねますが」

「こっちこそ無い。最初に言った通り、今のあんたに用は無い」


 話はそれで終わりだと、以降その場に立ち尽くすメネケアに対しては微塵も注意を払わず、無防備な後ろ姿を晒したままリグネストはその場から離れていく。


「どうしたものかな……」


 結局背後からの襲撃も無いまま、メネケアの姿が見えなくなる場所まで移動したリグネストがようやく口を開く。


「戦闘音も唐突に消えた。酷く静かだな。ギレデアを頼りたいところだが、この分だとあいつも巻き込まれたか。魔法が使えないと、こういう時に難儀をする」


 リグネストの視線は、彼の無残に破壊されて折れている左腕と、腕ごと消失した右腕の断面を順に眺め、そして明後日の方角へと向けられる。

 その視線の先には、ティステアを象徴する大聖堂の姿があった。


「幸いにして、まだ多少の時間はありそうだ。折角だ、その称号に偽りが無いかどうか、確かめてみるのも一興と言ったところだろう」












次回予告

招待された者たちの各々の事情が錯綜する中で、道化の遊戯が幕を上げる……みたいな。


ようやく王都襲撃編終わり……というか、一端小休止。

ただ大体書かなきゃいけない事は書いたし、次からは別の章題がふさわしい話になって来るので、実質的に終わりでも良いんじゃないかと。


文字数を減らして更新ペースを上げてみよう……と思った矢先に、この文字数。

もうちょっと頑張って減らせないか試行錯誤。

せめてもう1話くらいは今月中に更新したい。

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