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不死者と番人⑤

 



「【増殖】……だと?」


 ミズキアの言葉を材料として手に入れたテオルードが、キーワードを口の中で転がし、即座に正答を導き出す。


「あの時の自爆か……」

「単純だが、警戒されていない限りはまず気付かれる事の無い手だ。と言っても、実戦でやったのはこれが初めてだがな」


 魔道具による自爆の本当の目的は、共倒れを狙う事でも距離を取る事でもなく、煙幕を張り増殖の瞬間を見られないようにする為の目眩ましだった。


「正気の沙汰じゃねえぞ」

「だが現実として、お前たちは気付けなかった訳だ。死んだオレにマヌケと言われなかったか? 気付けなかったお前たちの方がマヌケで、戦場じゃマヌケから死んでいく」

「そっちの意味じゃねえよ……」


 テオルードは恐々とし、ゼインもまた言葉に表さずとも同じような思いを抱き、また嫌悪感に表情を歪めていた。


 【還元】によって他者の命を自分のものとし、それを随時交換する事で成立する、死んでも蘇生する不死性に伴う自己の連続性の危うさと。

 【増殖】に伴う自身と意識の分裂に正負を問わない感覚の共有を行う事によって成立する、全体数の増加の不死性に伴う自己の同一性の危うさ。

 どちらか1つだけならば、まだ分からなくもない。普通はやらないのは事実だが、それでもまだ異常者ないし狂人で説明する事ができる。

 しかしその2つを、そのどちらの手法にも伴うデメリットを理解し肯定した上で受け入れ実行に移す。そんな事をやるような者は、異常者でも狂人でも、どちらの言葉でも言い表す事などできはしない。


 それはもはや、人間の範疇には収まらない。化物そのものだ。

 例え生物学的には人間という種であったとしても、誰もが口を揃えて、ミズキアを人間とは認めたがらないだろう。根本的に生物としての在り方が違う。


「この怪物が……」


 ミズキアは人間である事を自らの意思で辞めた、存在もさることながら、精神の怪物なのだ。


「ハッ、オレ程度を怪物と呼んでどうすんだよ。オレ程度の奴なんざ、身内には何人も居る。そして何より、本当の怪物は他に居る。オレごときを怪物呼ばわりするなんて、そいつに失礼だ」


 そうミズキアは居るが、ゼインとテオルードにとっては己の眼で確認していない言葉の中の人物よりも、ミズキアの方が遥かに恐ろしくおぞましい存在だった。

 そしてそれは、ミズキアの主観ではなく客観的に見れば間違いではない。

 【忌み数ナンバーズ】に挙げられる6人の中でもミズキアの異常度は随一であり、彼らにすら怪物と呼ばれているリグネストとはまた違うベクトルで怪物だった。


 それを2人はようやく理解する。

 今まで理解していたつもりになっていただけで、その片鱗に触れていた程度なのだと、自身を戒める。


「だからどうした」


 ゼインが一歩前に踏み出す。彼をそうさせるのは、ウフクスス家としての使命や矜持というものも多分にあったが、同時に内に燃え盛る義憤が彼を動かしていた。


「ウフクスス家としての使命という以前に、貴様は存在していてはならない」


 少し前に魔族に等しい相手だと評したのは、決して間違いではなかった。しかし正しくもなかった。

 ある意味では控え目に見ても魔族そのものであり、また同時に魔族すら超越した存在だった。

 人間や魔族として見るよりは、ミズキアという新たな固有種であると見た方が、遥かに的を射得ていた。


「貴様はここで殺す。どんな手を使ってでも!」

「よせ、ウフクススの! ここは退くべきだ!」


 それをテオルードが制止する。

 抱いた印象は同じであっても、抱いた意見は正反対だった。


「退くだと? 一体どこに退くと言う? 退路は元よりありはしない」

「無ければ作れ。このまま戦えばお前は……高確率で死ぬ」


 それは保身という以上に、相手の事を慮った言葉だった。

 例え僅かな間とはいえ、生死を共にした相手だからこそ湧いて出た情による、暗殺者には考えられない言葉だった。


「それは自慢の勘とやらか?」

「ああ」

「そうか……ならば問題ない」


 全てを理解した上で、ゼインは微笑み拒否する。


「高確率と言うのば絶対ではない。命を賭けるには十分!」


 ゼインが疾駆。それを嘲笑うようにミズキアが迎え撃つ。


「来い! 最終ラウンドを飾るのに、テメェらの死体こそが相応しい!」


 貫き手を放つゼインと受けるミズキアの影が交錯。必殺の手の脅威を誰よりも受けて理解しているミズキアは当然直には受けず、腕を左右より挟み込む事で強制停止。散々やられた受け方に、ゼインも今更驚かない。それをするものとして、既に反対の貫き手が放たれ終えていた。

 その貫き手が右の脇腹を抉るよりも先に、足元より透明の結晶が噴出。

 針山のような鋭利な形状と数、そして冷気を併せ持ったそれは、ミズキアが魔道具によって仕留めたゼインの部下であるブフェルの持っていた【氷結】の固有能力によって生み出されたもの。


 左腕を失う事と、即死には直結しない負傷を与える事。

 天秤に掛けて腕を失う損害の方が大きいと瞬時に判断したゼインは深追いせずに急停止。氷の結晶が咲き終えるのを待ち、跳び越えて距離を離そうとするミズキアを追い掛ける。

 だが両者の速さは概ね互角。ならば先に動き出したミズキアの方に追い付くのは不可能に近い。

 しかしミズキアの足は唐突に止まる。いや、ミズキア自身が止まらざる得なかった。彼の眼前を通過するのは投擲されたナイフ。そのまま動いていれば側頭部を貫かれて死亡していた。

 その隙に追い付いたゼインの、追走の勢いを殺さない跳び蹴り。それがミズキアの掲げた腕と衝突したところに、その腕を支点に身を翻して二段蹴りへと移行。咄嗟に仰け反ったミズキアの胸部を打ち据えて押し込む。

 体勢を崩したミズキアの懐へとゼインが接近。右の虎爪が顔面へと向かうよりも半瞬早く、軸足を後退させて持ち直したミズキアの拳が放たれて胸へ。虎爪を空振りさせる代わりに衝突の瞬間に身を僅かに引く事で被害を最小に抑えるも、尚も止まらないミズキアの拳は親指を押し込み肋骨を浮かすように圧迫。アバラが折られ痛みに硬直したところに、ミズキアはそのままゼインのジャケットを掴んで投げの体勢に入る。

 そのまま身体を持ち上げられて地面に叩き付けられる直前に、空中で身を捩り、器用に掴まれたジャケットを脱ぎ去ったゼインがミズキアの意図しないタイミングで着地。両者同時に踏み込み、ジャケットを間に挟んで互いの拳が激突。空中で一瞬だけ固定されたジャケットが重力に従って地面に落ちた直後に、互いに翻した手が連撃を紡ぎ、時には蹴りも交えた乱打戦へと移行。

 やはり能力故に素手主体での戦闘を経験して来て、また能力による優位性を持つゼインの方が優勢ではあるが、ミズキアは最後の一手を中々打たせない。

 そうして密着状態で2人が何度目かの小さな円を描いたところに、投剣の群れ。

 狙い澄ましたかのようにミズキアに集中するそれらを、ミズキアは蹴りを置き土産に身を強制的に離す事で回避。一歩早く次の手に移っていたゼインの手刀が腹部を穿ち、貫く前で停止。


「さっきも確認したが、接近戦じゃ、やっぱ勝てねえか……」


 痛みを感じるよりも先に書き換えを始めるゼインの腕を両手で掴み、ミズキアはそれ以上の侵攻を阻む。そのまま捻り挙げて関節を極めようとするも、それを嫌ったゼインが腕を引き戻して失敗。腹腔から手刀が抜けて自由を得たミズキアが足を動かすも、それよりも先にゼインの握り締められた反対の拳が炸裂。それは凄まじい轟音を生み、再開した時とは逆のようにゼインの拳が砕け、裂けた肉から折れた骨の先と鮮血が突き出て迸る。


「意外と知られていない事だが、氷の硬度は温度に反比例する」


 血の帯を描いて拳を引き戻したゼインが素早く状況を分析。眼前には拳の形を再現した血の跡が虚空に判で押されたかのように浮かんでいる。

 しかし良く眼を凝らせば、そこには極めて透明度が高いものの、壁のようなものが出現しているのが見て取れた。


「絶対値が大きくなるほど氷は硬度を増していき、絶対零度ともなれば、目には映らぬほどの薄さであっても、理論上は竜が衝突しても耐えられる程の硬度を兼ね備える事ができる。その頑丈さは鋼の比じゃねえよ」


 その正体は奪った【氷結】の能力によって生み出された、不純物の一切混じっていない透き通った純水だけを凍らせて壁としたもの。

 一瞬で生み出せる質量としては極々薄いものが限界だが、その分冷気に力が注がれているそれは、ミズキアが言うように超硬度を持った防壁と化していた。

 しかしどれほど硬かろうとも、ゼインの固有能力の前には意味をなさない。そこにあると分かってさえいれば、書き換えるのは容易だ。

 だがそれは次手以降の話であり、初手で見極め打ち破る事は叶わなかった。そして次手へと移るより先にミズキアは距離を稼ぎ、テオルードの牽制を片手間にいなす反対の手で術式を構築。


「だが魔法戦ならオレの方が上だ」


 完成した【暴刃旋風】が放たれ、ゼインの全力の拳すら易々と受け止めた氷壁をあっさりと呑み込み削り取る。


 今度は自分が後退する羽目となったゼインが、突き出た骨を無理やり拳の中に押し込み、傷口へと土を詰め込んで能力を発動して手を元通りに戻す。

 続いて何重にも土壁を生み出しては手で交互に触れて、素材を鋼鉄へと変換。迫る掘削機への餌として、喰らい付かれた瞬間に防壁の影から飛び出して疾駆。

 そこに追加された掘削機が迫り、同時にゼインが術式を構築して地面に干渉。直後にそれが失敗した事を悟る。


「それはもう見た。同じ手はオレには通じない。構造を変異させる対象である地面を覆ってやれば、干渉する事は不可能だ」


 非常に薄い、しかし相当な硬度を持った氷に覆われた地面に足を取られ、僅かにもたつく。

 そこに容赦なく掘削機が迫り、直前でゼインの足元に、回転しながら飛行するナイフが急行。ワイヤーの括り付けられたそれがゼインの足首に絡まり付いて張り詰め、彼の崩れた体勢を助長し転倒させる。ほぼ同時に至近距離に癇癪玉が地面を跳ねながら転がり炸裂。ワイヤーと爆発の2つの力によって強制的にその場を離脱させられたゼインは、辛くも掘削機から逃れる。


「さすがはオレ、良くあんなシビアなタイミングをクリアした。2回目は絶対無理だ」

「2回も経験したいものではないがな」


 テオルードの傍まで引き寄せられたゼインが、びっこを引きながら立ち上がる。至近距離での癇癪玉の炸裂は、主に右半身に火傷と裂傷を負わせていた。そこにテオルードの治癒魔法が発動し、足を含む負傷に応急的な治療を施し、戦闘の継続が可能な状態にまで引き戻す。

 火傷や裂傷、靭帯の損傷は重傷だろうが、掘削機に呑み込まれるよりは遥かにマシだった。


「安心しろ、2度もチャンスはやらない」


 掘削機が消滅して一瞬だけの静寂を取り戻した空間に、ミズキアが両腕を、まるで肩を竦めるかのように手のひらを上空へ向けて顔の左右に掲げる。その掲げられた両手の上には術式。

 シアですらそれぞれの術式を組み立て紡いだ上で合わせて、ようやく1度に1つだけ紡ぐ事のできる合成魔法を、ミズキアは片手に1つずつ、個別の術式を組み上げる前から1つに纏め上げて紡いでいた。その分演算能力を必要とするが、総合的な必要時間は短縮される。


「確かに1つだけじゃ躱すのは容易だし、2つでも難易度は跳ね上がれど、不可能ではない」


 そして完成した術式を放り出し、挙句さらにもう1つを紡ぎ出す。


「だが3つ同時ならばどうだ?」

「やらせるな!」


 テオルードの悲鳴に近い言葉に頷き、ゼインが疾駆。


 ミズキアのやっている事を傍から見れば、ただ同一の魔法を2つ同時に展開し、3つ目を追加しようとしているだけに見える。それはある程度の腕を要すれど、熟練の術者からすれば然程難しい事ではなく、取り立てて驚くような事ではない。

 だがその内約は、シアの開発した複数の術式を1つに纏め上げる合成魔法の同時展開だ。

 やってのけているのは【暴旋竜巻】と【刃片生成】の2つの魔法を基点に、さらに【物体加速】を追加するという、風に地に無というそれぞれの属性が異なる魔法を同時展開し、数分に渡って維持し続けるという離れ業。

 しかもそれが現時点で2つ同時に、さらに3つ目が追加されようとしているという現状。

 それは実質、属性の異なる魔法を9つ同時に展開しているに等しい。それを実行し、挙句長時間維持させる事ができる演算能力と魔力は異常に過ぎる。


 それだけの労力を対価に引き出せる成果は、ゼインとテオルードにとっては悪夢そのものだ。

 それが分かっているからこそ、全力で阻止に動く。


「ウフクススの! オレが援護する、立ち止まらず真っ直ぐ進め!」

「応ッ!」


 疾駆するゼインの進行方向に、2つの掘削機が立ち塞がる。

 ゼインはそれを躱さない。躱そうともしないし、躱せない事情もあった。

 それは彼の身体能力を引き上げている要因である増強薬ドラッグの継続時間が、正確な数字こそ不明であれど差し迫っているが為でもあり、そして何よりテオルードの言葉に全てを託したが為でもあった。


 そのゼインから一方的に託されたテオルードは、術式を超高速で紡ぎ上げ、地面に干渉。構造を変異させようとした瞬間、その地面が再び氷によって覆われる。

 テオルードが触れている地面こそ対象外ではあるものの、上部に蓋がしてあれば、その下の物体を持ち上げる事は容易な事ではない。ましてや薄くとも、超硬度を誇る氷を突き破るのは不可能だ。


「同じ手ばかりかァ!? 2度は通じないと言っただろうが!」


 氷の上を、今度は確かな足取りで走るゼインを挟み込むように掘削機が合流。ゼインを呑み込んだ後は衝突する直前で軌道を変更し、真っ直ぐテオルードへ。

 当然その掘削機が通過した後には何も残らず、抉られた地面が覗くのみ。視界のどこにもゼインの姿が見当たらない事を確認したミズキアが、掘削機によって遮られた視線の先に居る筈のテオルードに笑みを向ける。


「同じ手は通じないと言った」


 その場から飛び退き、背後からのゼインの奇襲を回避。


「上と来たら下だったよな。でもって、地中からの奇襲もさっき見て、喰らって死んだ。オレには通じねえ!」


 テオルードが地面に干渉して行ったのは、地面を盛り上げてゼインを上空へと逃がすのではなく、地中にゼインを逃がすと同時に、ミズキアの足下のすぐ傍まで通じる通路を掘る事だった。

 テオルードが術式を紡ぐ代わりに能力の発動に集中できたゼインは、自身を支えていた氷を書き換えて地中へと落下すると、迷わず眼前に広がっていた空間を疾走。突き当たりに辿り着くと頭上の地面を書き換えてミズキアの背後へと移動していた。


 その2人の策を、ミズキアは読んでいた訳ではない。2人にとってもぶっつけ本番の、前準備も話し合いも無しの即興の連携であるが故に、ミズキアでなくとも読むには材料が足りなさ過ぎる。

 ただ、ミズキアは信じていた。自身をここまで追い込んだゼインが、あの程度で終わる筈がないと。

 だからこそ、掘削機が通り過ぎた後にゼインの姿が無いのを確認した後に、あり得るであろう手を自分の想像が及ぶ限りでいくつも想定した。

 その中で、ゼインが取るであろう可能性が最も高い選択肢を、自分の経験した事を材料に選び正解を引き当てた。それが故の結果だった。


「不死身の1番の利点は、死なない事じゃない。常人よりも遥かに多くの経験を蓄積できる事なんだよ」


 ゼインより遠ざかっていくミズキアの両手の上で、遂に術式が完成。ゼインもまた距離を詰めようと進み、そして速度で上回るが故に徐々に距離は縮まっていくが、間に合わない。

 完成した【暴刃旋風】の術式が、阻止せんと迫っていたが故に、ゼイン目掛けて近距離で放たれる。


 だがゼインの表情に諦めはなく、そしてテオルードの表情は会心の笑み。


「いいや、これで良い」


 迫る2つの掘削機から逃れつつ、新たに放たれた掘削機へとテオルードが握り込んだ物を投擲。

 彼の華奢とは言わずとも細身の見た目からは想像できない速度で投じられたそれは、一直線に宙を駆け抜け、掘削機に削られ呑み込まれる。

 そして大気を轟かす轟音と、それに併せて発生する巨大な橙色の火球。

 その爆発による炎の熱は内部の空気を膨張させて旋風を内側から押し広げ、衝撃は渦巻く風と、それに乗って回遊する数多の刃片を吹き飛ばす。


「何だとッ!?」

「いつだってそうだ、オレの勘は絶対に正しい。1つで本家の邸宅を建てられるような代物でも、惜しまず勘に従って持ち出した甲斐があった」


 投擲した瞬間の見てくれは1つの物体であっても、その実体は無数の粒子の集合体であり、その粒子の1つ1つが極小の爆弾だった。

 掘削機が生物無生物を問わずに塵に変えるものであっても、粒子をさらに細かく刻む事はできない。そうして削られながらも内部に機能を損なわずに潜り込んだそれは、そこで本来の役割を果たす。

 人では不可能な、物だからこそ可能な内部からの爆発は、気流や刃片を、旋風の勢いをそのままに全方位に吹き飛ばして撒き散らすが、総数は数億であろうとも、個人に対して飛来する刃片の数は多くても数百が限度。それらによって受ける傷は削られて塵になるよりも生存率は格段に高い。


 ミズキアの言ったとおり、3つを同時に受けるのは危険極まりない。だが、あくまで避けるべきなのは3つを同時に相手にする事であって、2つと1つをそれぞれ個別ずつに相手にするのならば十二分に対応できる。


「だが、それでも勝つのはこのオレだ!」


 驚愕に目を見開いたミズキアに、両腕で顔を庇って全身血塗れとなったゼインが、勢いを多少落としながらも止まらずに前進。対してミズキアは、余波によってゼインの進行方向とは反対側に吹き飛ばされて体勢を崩すも、即座に持ち直してさらに後退。次の手へと移行する。

 その移り変わりに淀みはなく、直前に驚愕して硬直していたにしては、あまりにも挙動が早過ぎる。

 それもまた、ミズキアも心のどこかで、ゼインをこれで殺し切る事はできないと思っていた為だった。


「削り殺すのが不可能だってんなら――」


 ミズキアの右手に風が渦巻き、その中心に金属盤と刃片が生成されて高速で回転を始める。

 あっという間に回転数が頂点に到達し、摩擦によって赤熱と刃片の融解が始まったそれを投じる。


「分割して殺すだけだ!」


 放たれたそれが、ゼインの元に到達するのに1秒は掛かっても2秒は掛からないだろう。そしてそれを、ゼインが能力で防ぐ事は熱と質量、そして何よりその速さ故に不可能だった。

 だがゼインは止まらない。それはあまりにも円盤の速度が速すぎて事態を把握できないのではなく、避けようのない死を眼前にして諦めた訳でもない。その証拠に、さすがのゼインも僅かではあれど速度を落とす。

 しかし直後に、両者の間に地面から土壁が出現し立ち塞がる。それも1枚や2枚ではなく、何枚も同時にだ。

 その防壁も、合成魔法による死の円盤を前には紙くず以下でしかない。精々がゼインの元に到達する時間を、半瞬ほど引き延ばすかどうかという程度。


「立ち止まるな、ウフクススの!」


 僅かに速度を落としたゼインの背を、テオルードの怒号が叩く。


オレたち・・・・が援護する! 絶対に立ち止まるな!」


 言葉の間にも防壁は次々と生成され、高さに見合った幅を兼ね備えた擬似的直方体へ変化する。それだけの数の壁を生み出しているのは、テオルード1人だけによるものではない。

 合流したテュードがヴァイスの相手を引き受け、身内の問題であるが故に援護は不要だと切り捨てた、ゼインの部下たちの中でも地の適性のある者たちも協力して成立した芸当だった。


 その複数人が全力で生み出した直方体の中に、円盤は潜り込む。いくら分厚かろうとも、原材料は土であり、そして1枚1枚では紙くず以下の強度にしかならないそれらが集まったところで、半瞬が一瞬に引き伸ばされる程度の成果しか挙げられない。

 だがその一瞬、まさしく針の穴に糸を通すほどのタイミングに合わせて、周囲の地面が割れて持ち上がり、その直方体を、その内部に潜り込んでいた円盤ごと左右から押し潰す。

 前面に立ち塞がろうとも紙くず以下にしかならない土壁であっても、その驚異的な斬れ味を持たない側面から挟み込めば話は別だ。その斬れ味を生み出している円盤の回転そのものを、左右から押し潰し、抑え込みに掛かる。


 そして失敗する。抑え込む事自体は。

 しかし軌道を僅かに逸らす事に成功し、円盤は疾走するゼインの肌を輻射熱で炙りながらも、掠る事もなくすぐ傍を通過する。


「無駄だ」


 通過した円盤はその回転角度を傾けていき、地面に対して水平に回転するようになって反転。後退するミズキアを追撃するゼインの背後を追い掛ける。当然その速度はゼインの疾走速度よりも段違いに速く、ゼインがミズキアに到達するよりも先にゼインに到達するだろう。


「どっちがだ!」


 しかしながら、それを黙ってやらせるウフクスス家の師団員たちではなく、またオーヴィレヌ家の当主ではなかった。

 いがみ合うような関係下にある両家に属している者たちは、共通の目的と利害の下で僅かな不満も抱かずに協力し合い、テオルードの指示の下に次々と手を積み重ねていく。


 今度はゼインの背後に次々と土壁を生み出して防壁とし、またシャゴベとマナスの炎と空気の組み合わせによって引き起こされた爆裂が円盤を土壁ごと正面から迎え撃ち、そこにエブロイの生み出した酸の波濤が呑み込む。

 高速度で走り回り、この世で考えられ得る限りでも最高峰の斬れ味を持ち、高熱を帯びた死の円盤も、何重にも積み重ねられた防壁を斬り裂いた際に落とす回転数は皆無ではない。爆裂を正面から受けて落とす速度は皆無ではない。

 そうして僅かでも勢いを落とせば、酸の波濤を突破するのに要する時間はそれだけ増大する。より長い間、酸に晒される事となる。

 結果、摩擦熱ですら溶かす事のできなかった円盤も表面を溶かされて形が歪となり、空気の抵抗をより強く受けるようになる。

 摩擦を生じさせる刃片は、摩擦熱によって全てが融解し切る前に酸によって溶かされて消え失せる。

 円盤の帯びていた熱はそれ以上蓄えられる事はなく、温度の低い液体の中に飛び込んだ事によって赤熱していた円盤は本来の色を取り戻し始める。

 そして何より、強い抵抗を受ける液体中に潜り込み、その後に空気抵抗をそれまでよりも遥かに強く受けるようになったその円盤は、最高時の速度と比べれば大幅に遅くなっていた。

 それでも速い事に変わりはない。だがそれらの小さな要素の積み重ねは、その円盤を防御不可能な対処のしようのないものから、対処が限りなく困難なものへと引き落としていた。


「おぉぉおおおおおおおおおおおおおおおッッ!!」


 ゼインが背後を見ない、抜き打ちの手刀を背後に向けて放つ。


 本来彼の能力である【改変】でその円盤の情報を書き換えるには質量が大き過ぎ、また素手を近付けるには輻射熱が邪魔で、全てを書き切るには円盤の速度が異常過ぎだった。

 しかしそれは、円盤が本来の状態であるという前提の場合だった。

 小さな要素の積み重ねによって引き落とされた性能は、それでも対処は困難極まりない。触れるタイミングが少しでも早ければ、少しでも遅ければ、情報を書き換え切る事ができずに自分が両断される。

 しかし、彼はゼイン=ルド・レスティレオ。

 ウフクスス家の第6師団の長であり、他の師団の長とは違い、上が居なくなった事による繰り上がりによって暫定的に師団長となった者ではなく、正規の手順でその座に君臨した者であり、また当時の師団長20名の中でも屈指の実力を誇っていた生粋の生え抜き。

 そんな者にとって、その程度の芸当はできて当たり前の児戯だった。


「馬鹿なッ!?」


 今度こそ本当に、ミズキアは驚愕に全身を支配されて動きが完全に停止する。

 正気に返るも、術式を新たに組み立てるには遅過ぎた。いや、仮に間に合うタイミングであったとしても、焼け石に水だっただろう。

 ミズキアの演算能力を持ってしても、複数の合成魔法を同時に展開し、間髪を入れずに一段階上の複雑な合成魔法を放ち、それを維持し軌道を制御するという芸当には限界があり、新たな術式を紡ぎ上げるゆとりはなかった。


 歯噛みし、新たに魔法を放つという選択肢を早々に放棄したミズキアは、それまで後退を重ねていた地震の進路方向を急転換。

 かと言ってゼインへと向かう訳でもなく、明後日の方角へと向かうミズキアに、僅かながらゼインは意表を突かれる。

 しかし、その進行方向の先に何があるかを確認した刹那、そうはさせないとさらにギアを1つ上げて追撃する。


「させるか!」


 ミズキアが脇目も振らず、一心不乱に進む先にあるのは、彼がキュールより還元して自信のものとした【増殖】の固有能力によって別れた、自分の片割れの死体。

 その死体が左手首に着けている、蒼穹の如く輝く宝石の嵌った腕輪へと。


 ゼインの脳裏に浮かぶのは、その宝石内部に収まっている術式を介して顕現した古代竜の生み出した悪夢。

 幼体でさえ、ただの1度の息吹が戦略級魔法に匹敵する威力と規模を誇っており、甚大な被害を齎した。

 さらにもう1度放たれれば、やはり今度も無傷では済まないだろう。誰かが死に、下手をすれば避難を終えた無辜の民にさえ被害は出る。何より、その被害者となる可能性が最も高いのが彼自身だ。


「クソッ……!」


 毒づく声と、宙を舞う腕。


 ミズキアの指先が件の宝石に触れる寸前で追い付いたゼインの手は、ミズキアの腕を肘の辺りから切断し、惨劇の再来を危ういところで防ぐ。

 尚も止まらないゼインの蹴りが、ミズキアの掲げた右腕と衝突し、ミズキアは上空へと飛ばされる。

 冗談みたいな吹っ飛び方は、ミズキア自身が蹴られる瞬間に跳躍して被害を最小限に抑えたが為。空中へと逃れたミズキアは、さらにすぐ傍に聳える自分の死体が張り付けられた柱の壁面を蹴って上へと移動。その後をゼインが追い掛けて柱を駆け上がる。


 互いの柱の壁面を走りながらの攻防はあっという間に数十手に及び、そしてその度にミズキアの体のどこかしらに傷が刻まれていく。

 元より接近戦にてゼインに分があったが、片腕を失った事により、完全に天秤はゼインの方へと傾く。


 そして両者が柱の頂きに達した時、苛立ったように舌打ちをしたミズキアがゼインの拳を持ち上げた右膝で受け止める。当然即座に情報の書き換えが始まり、あっけなく滑らかな断面を見せて足は切断されるが、代わりに得たのは一瞬の空白。

 その空白を塗り潰すかのようにミズキアの腕が振るわれ、咄嗟に瞬間的に上体を重力に預けたゼインの目のすぐ下を冷たいものが通り過ぎ、直後に熱が血と共に溢れ出す。そしてゼインの血を浴びて形を現した、極薄の氷の刃が反転し描いた軌道を遡るかのようにゼインへと戻る。しかしそれよりも先に、片足と片腕を失いガラ空きとなった右の脇腹に蹴りが再び入り、ミズキアは意図せぬ形で進路を水平方向へと変えられる。

 そして2度、3度と弾んで転がり勢いを殺して転落を防いだミズキアの上に影が覆い被さり、心臓を目掛けた貫き手が振り下ろされる。


 両者の影が交錯し動きが止まったのは、先ほどの空白よりもさらに短い半瞬の事。

 ゼインの貫き手がミズキアの胸を穿ち、心臓を貫く。そして残る命も書き換えてトドメを刺そうとした直後に、唐突な揺れと浮遊感に襲われて落下を始める。


「これは……!」


 突然の足場の崩落に視線を巡らせれば、粉砕されたと言うよりは分解されたと表現した方が近い、刻まれて直線的な無数のパーツへとバラバラにされた柱の光景。


「オーウェンの仕業か!」


 彼の【改変】によるものに勝るとも劣らない滑らかな断面は、そして一瞬の間にその巨大質量をこうもバラバラにするのは、通常の手段ではあり得ない。

 そして思い浮かぶのは、今も遠方で交戦を続けている、忌まわしき大逆人の能力。

 両者共に能力の及ぶ範囲が桁違いであるが為に、常に意識の隅に置き続けていた2人の戦闘の余波は、今も彼の感覚に引っ切り無しに届いていた。


「あっぶねえなオイ!」


 命を交換して復活し、また手足を再生させたミズキアが落下する瓦礫を蹴ってゼインの上へと躍り出る。

 振り向き、既に腕を振り被っていたミズキアが手に持っていた氷の刃を投じるのはほぼ同時。それはゼインの残る目へと一直線に進んで行き、そしてゼインが首を全力で捻った事によって、目尻からこめかみに掛けて赤い線を引いたところで終わる。

 同時に空中で互いに大勢を整え直した両者が、瓦礫を同時に蹴って再浮上し衝突。周囲の瓦礫の全てが彼らの足の下を落ちていくなかで、一時の間だけ両者の動きは空中で完全に固定され、そして手で触れられるのを嫌ったミズキアが再三の蹴りを受けて引き離される事によって落下を再開。


 既に彼らの居る高さに瓦礫は無く、また有用な能力であった【空間支配】をミズキアは失っている以上はミズキアもそれ以外に選択肢が無いだろうと、魔法戦に移行しようと術式を組み立て始めたゼインは、それを見て途中で止める。

 ミズキアのその、喜悦と邪悪に染まった、何かを確信した笑みを見て。


「オレの、勝ちだ」


 絶対的な自信を感じさせるその言葉と共に、ミズキアが視線を下方に向ける。

 つられてゼインがそちらに視線を巡らせて、表情を強張らせる。


「テメェはさっきの氷を、目を失おうが回避するべきじゃ無かったんだよ」


 ミズキアにとっては、先ほどにゼインが自分にトドメを刺し損ねた時点で殆ど勝ちが決まっていた。

 ゼインが投擲した氷の刃を躱そうが躱すまいが、どちらに転んでも良かった。


 結果としてはゼインは刃を回避し全盲となるのを防いだが、代わりに投じられたナイフは、彼らの真下に転がっていたもう1人のミズキアの死体へと落ちていく事となった。

 その死体が左手首に嵌めていた腕輪の、蒼い宝石を貫く事となった。


「さあ来い、スカールス! 自由が欲しけりゃ、拘束を振り払って出て来い! そして捕らえられた憎悪を、親を殺された怨恨を、周囲の全てにぶつけて晴らせ!」

「貴ッ様ァ!!」


 刃の切っ先を中心として走る網目状のヒビはミズキアが猛り、ゼインが吼える間も拡がっていき、遂に限界を迎えて決壊する。

 そして溢れ出す爆光と、それを切り裂いて飛び出す術式の群れ。

 それらの術式は尚も独りでに動いては交差して絡まり合い、複雑怪奇な1つの巨大な術式へと変化。虚空に走る亀裂と、その隙間より姿を現すもの。

 縦長の6つの瞳孔と曇りのない宝石のような鱗を持ち、その宝石の隙間に多数の角柱が刺さった古代竜の頭部。

 その姿を現した頭部が、大顎を開いて鋭利な牙の並ぶ口腔を覗かせて咆哮を上げるのは前回と同じ。

 しかし今度は前回と違い、泳ぐようにのたうつ古代竜が、何かが埋まっていたかのような窪みが鱗の隙間に存在する頭部の下の首を、そして3本の等間隔の角度で並んだ鉤爪を持った小さな鉤爪の生えた胴体を外界へと引き摺り出す。


「ゴァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッ!!」


 一際大きな、それだけで大気を揺るがし轟かすその咆哮が表すのは、紛れもない歓喜の感情。

 だがその感情は、直後に亀裂より噴出した赤く発光する術式の縛鎖に雁字搦めに拘束される事によって憤怒のそれへと変わる。


 それは万が一意図せぬ形で宝石が破壊された際に、完全解放される事を防ぐ為にミズキアがあらかじめ組み込んでいた指示式によるもの。

 それに捕らえられた事で、およそ5メートルほど体を外界に出したところでそれ以上の自由を得る事を阻まれたスカールスは、それでもそもそもの元凶を探し視界に捉える。

 新たに湧いた怒りを、そして溜まりに溜まった長年の鬱憤を晴らすように口腔に魔力を集めていく。

 そうはさせまいと、赤い縛鎖は次々とスカールスの口腔を強制的に閉ざす為に伸びていくが、どれもこれも口腔内に集められた魔力の余波に当てられただけで術式を維持できずに自壊していく。

 前回スカールスが顕現した際に、ミズキアが生み出し伸ばした縛鎖では引き起こらなかった現象。穿った見方をすれば、その保険として組み込まれた術式による縛鎖よりもミズキアが直接紡ぎ生み出した縛鎖の方が強力であるかのように思えるが、それは大きな間違いだ。

 ミズキアだけの手で組み立てられた訳ではない赤い縛鎖は、瞬間的に紡げる縛鎖の術式よりも遥かに綿密であり、専門的な知識を持つ者からすればその構成の完成度と拘束力の高さは称賛に値するものだ。

 にも関わらずそんな結果が引き起こるのは、スカールスの発揮している力が、前回とは比べものにもならぬほどに強大であるが故だった。


 竜は元よりそうであるが、古代竜はそれ以上に、全身が財の宝庫である。

 血肉は子供が考えたかのように欠点の存在しない、それでいて空前の効力の得られる妙薬の原材料となり、爪や牙は聖剣や魔剣、神剣と言える性能を持った武器や伝説に謳われる防具の優秀な素材となる。そして古代竜全てが喉に1つだけ持つ竜玉と呼ばれる宝石は、魔法に携わる者にとっては国を天秤に掛けても釣り合わないとさえ思える垂涎の品だ。

 そして全身を覆う鱗は魔法の優秀な触媒となり、また同時に極めて都合の良い増幅機ともなる。そしてそれは古代竜自身にも適用される。

 全身を覆う鱗の大きさが大きいほど、数が多いほど、古代竜自身が紡ぐ術式によって得られる効果は増大し、また古代竜自身の保有する魔力も跳ね上がる。古代竜が意識せずとも恒常的に展開されている【反魔相殺陣】の結界の効果はより高められるだけではなく、何重にも、さらには元より強固な物理的楯ともなる鱗の下にまで展開され、しかも吐き出される息吹はより強大なものとなる。

 一般的な竜の例に漏れず、古代竜が年を経るごとに強くなっていくのは、加齢に伴う地の魔力の上限の引き上げというのもあるが、それ以上に体躯の成長に合わせて鱗の大きさや数が増していくが故の事なのだ。


 幼体であるのにも関わらず、前回顕現した時はその優秀な補助具である鱗の殆どが現れていなかった為に全力には程遠かった。

 それでさえ、その時の息吹は戦略級魔法に比肩するようなものだった。ならば全身と言わずとも、前回の何倍もの体躯が顕現した今の状態で放たれる息吹がどれほどのものなのかは、想像するにあまりある。


 吐き出されるであろう息吹の射線上には当然ミズキアが、そして巻き込まれる形でゼインも居る。

 ゼインの表情が強張っているのも、スカールスという悪夢が再来したという事もあるが、その事を知っているが為でもあった。

 その徹底し過ぎて逆に晴れやかさすら感じるデタラメさは、人智の及ぶものではない。古代竜は人類にとって、絶対に手を出してはいけない存在なのだ。


「共倒れ狙いか!」


 下方ではテオルードやウフクスス家の者たちによって紡がれた魔法が、次から次へとスカールスを目掛けて飛来しては、片っ端から恒常的に展開されている【反魔相殺陣】の結界に阻まれ消えていく。しかもスカールスは、彼らの方を見向きもしない。

 大陸最強の種たる古代竜にとって、彼らは煩わしく思って払う価値もない羽虫も同然なのだ。


「まさか!」


 そんな中で、空中にて叩きつけられたゼインの忌々しそうな言葉をミズキアは否定する。


「言った筈だぞ。戦場じゃマヌケから死んで、そしてマヌケはお前らだってなァ! つまりは、マヌケであるテメェだけが死ね!」


 ミズキアの姿が霞であったかのように唐突に消え失せる。自由の利かない空中を落下していた最中に起きたあり得ない光景にゼインは視線を巡らせるも、どこにもその姿を捉える事は叶わなかった。


「【空間支配】か……!」


 だがゼインは、ミズキアが何をしたのかをすぐに理解する。そして何をされたのかを、完全に理解する。

 ミズキアが王手を掛けていたのは、自分がトドメを刺し損ねた時ではなかった。もっと前、それこそ自分たちがミズキアの増殖体を殺した時から掛けられていたのだ。


 そう、増殖体だ。

 死んだミズキアは、増殖の元となった数多の能力を還元していた個体ではなく、能力や適性と言った還元して来た要素を引き継ぐ事のできない増殖体の方だった。

 まさか増殖した方が命や能力、適性までを共有できないという事までは嘘では無いだろう。だからこそ気付けなかった。


 ここまでの戦いの展開全てが、ミズキアの思い通り、読み通りであったという訳ではない。むしろ、思い通りに進まなかった事の方が多いと言っても良いだろう。

 ただ、ミズキアは戦いの最中に種を無数にバラ撒いていた。

 それら全てが芽吹くとは、ミズキアも端から思ってなどいない。むしろ芽吹けば儲けものという程度の期待しか掛けていなかった。

 しかし数の多い種の全てが芽吹かないという事は極低の確率であり、巻かれた種のうちのいくつかが芽吹く事によってミズキアに対して優位に働き、またミズキアもその芽吹いた種を存分に活用できるようにその都度戦術の組み立てを修正していった。


 ゼインの脳裏に過ぎるのは敗北の2文字。

 能力の相性などを加味して双方を比較した場合、ゼインの方が間違いなく優位に立つ。だがミズキアは、戦闘中に優位性を生み出しそれを利用するという点において、ゼインよりも何枚も上手だった。


 限界まで開かれたスカールスの口腔より、ゼインを目掛けて轟雷が波濤の如く放たれる。

 余波だけで周囲の瓦礫を吹き飛ばし、建造物を破壊するその威力と規模たるや先ほどの比ではなく、上空へと放たれたのは不幸中の幸いとしか言いようがない。

 そして向けられたゼインにとっては、最悪としか言いようがなかった。


「クソ、がぁぁあああああああああああああああああッ!!」


 ゼインもただ殺されるのを待つだけではない。

 落下しながら身を捩り、腕を下方へと差し向け迫り来る息吹に備える。

 その圧倒的な雷撃を書き換えようとする。


 できる保証などない。むしろできない可能性のほうが圧倒的に高いだろう。だがゼインに座して死を待つような心持ちなどなく、それはできるできないではなく、絶対に成功させなければならない事だった。


 だがその試みは、挑戦する機会すら与えられる事は無かった。


「さすがにできるとは思わないが、何が起こるか分からないのが戦場だ。でもって、生憎オレに未来を見通す力はない」


 差し出した腕が半ばから切断される。その断面は先ほどバラバラになった瓦礫のそれと同じくらい滑らかであり、加えて状況も踏まえれば、必然的に誰がそれをやったのかも理解できる。


「だったら、念の為に腕を落としておくのは当たり前の事だろう?」

「ミズキアぁぁぁああああああああああああああああッ!!」


 ゼインのその怒りの咆哮も、スカールスの息吹が響かせる轟音に呑まれて消える。

 そしてゼイン自身もまた息吹に呑まれようとする寸前に、雷撃の放つ爆光を遮る小さな影が彼の元へと飛来。脇腹を貫き、空中にてゼインの体が揺れる。

 脇腹に刺さったのは、テオルードが咄嗟に投擲した不死殺しのナイフ。そのナイフが突き刺さった衝撃はゼインの全身を揺らし、その衝撃で彼の位置を息吹の直撃コースから僅かにずらす。

 直後に息吹が通過してゼインの半身が呑み込まれる。

 元より外的要因に対しては効果の薄い人間の魔力抵抗能力など、慰めにもならない。さらに何重にも防護魔法の術式が織り込まれ、素材の耐火性絶縁性も優秀なウフクスス家の師団員にのみ支給されるジャケットを羽織っていたとしても、やはり焼け石に水だっただろう。

 スカールスの圧倒的な死の息吹は、ゼインの左の鎖骨のすぐ下から緩やかな曲線を描いて左足の全てを呑み込んでおり、その下にあった臓器をもれなく消失させ、挙句右半身にも一部被害が及んでいる有様だった。


 そんな状態で地面を転がり、仰向けの状態で止まったゼインの眼からは、光は完全に失われてはいなかった。

 息吹によって焼かれた断面から出血する事がない事と、本人の有する膨大な魔力、そして恒常的に体内の臓器の位置を書き換えている事が、即死する事を回避させていた。

 もっともそれが、幸運であるとは一概には言えない。もっても僅かな間の命であり、その僅かな間に本人が受ける苦痛は想像を絶するものであろう事は想像に難くないが故に。


「師団長!」


 そんな状態にあるゼインを目掛けて走り寄って来る影があった。

 ベストラを先頭に走るその面々は、全てが彼の部下であり、背後から襲われるというものを一切考えていないような疾走だった。

 彼らの目的はただ1つだけ。彼らの長であるゼインを死なせない事。それだけの為に命を顧みずに、それどころかそんな事を考えもせずに走っていた。


 そしてゼインまでの距離が射程距離以内となった瞬間に、ベストラは自分の能力を全力で行使し、ゼインへとその柔らかな光を放つ。

 尾を引いて空中をジグザグに泳ぐその光は、治癒系統の固有能力の中でも指折りのものであり、欠損した体構造の再生すら妨げるゼインの魔力抵抗力すら凌駕し、本来のものと比べれば大分劣りはするが効果を発揮するほどのもの。

 その全力の行使であってもゼインの命を現世に引き止められるかどうかは半々だったが、失敗する事をベストラは、そして他の者たちも一切考えていなかった。

 

 唯一、それが徒労に終わると分かっていたのは、他でもないゼイン本人だけだった。


「クソ……」


 左肺はもはや存在せず、また右肺も欠損しているために空気を溜める事ができず、僅かに残っていた抜ける前の空気を用いる事で辛うじてそれだけを紡ぎ出す事に成功する。

 文字通り最後の言葉として毒づいた彼の視界に移ったのは、彼の頭上へと身を躍らせたミズキアの姿。

 振り上げられた両腕が振り下ろされるのと同時に、圧縮されて固められた空間が地面に叩きつけられ、その下敷きとなったゼインの体が押し潰される。

 辛うじて魔力によって引き止められていた命も、脳まで破壊されてはどうする事もできない。そのまま唖然とするウフクスス家の者たちの目の前に降り立ったミズキアの能力によって、能力と魔力が還元される。


「ご機嫌だな、スカールス」


 満足気な笑みを浮かべながら、眼前に立っていたウフクスス家の者たちには目もくれず、体の向きを変えて余熱を吐息と一緒に吐き出していたスカールスへと呼び掛ける。

 個体によっては人語を理解する場合もある古代竜だが、幼体であるスカールスはそれには含まれず、だが自分を捕らえた憎い人間の声を聞き間違える事はなく、声の響いて来た方角へと頭を下ろして向ける。

 途端に古代竜の瞳に宿るのは困惑の色。

 それはそこに立つミズキアと、そのミズキアと全く同じ外見をした彼の増殖体の姿を同時に見たが故の反応であり、その隙を突いてゼインの姿は掻き消え、スカールスの頭上へと移動。手に角柱を携えて落下と同時に古代竜の額に突き立てる。


「残念だったなスカールス。お前の竜玉はここだ」


 苦鳴を発して頭を振ったスカールスの動きは、唐突な姿勢のまま停止し、次の瞬間には古代竜の全身に巻きついていた赤い縛鎖の端が、地に降り立ったミズキアの元へと――彼の手の中に握り込まれていた蒼く丸い宝石へと吸い込まれていき、それに合わせて古代竜の全身も亀裂の中へと引き摺り込まれて行く。

 そして悲しげな咆哮を最後に古代竜の姿は完全に消失し、亀裂もまた閉じては術式として分解されていき、同様にミズキアの手の中にある宝石の中へと回収されていく。


「これで完全に仕切り直しだが、損害がでかいな。本来なら稀少な稀少な竜玉をこんなところで消費するつもりもなければ、入れ替わりの種を晒すつもりも無かったんだぜ? 晒さずにゼインを殺して、その種を切り札にテメェを殺すつもりだったんだがな」


 凝りをほぐすかのように首を回して睨むミズキアの左右の地面が割れ、勢い良く閉じられる。

 その閉じられた音が周囲に響き渡るよりも先に、構造を変えられた地面はさらにブロック状にバラバラに分解されて地面を転がり、中からミズキアが腕を振るった体勢で姿を現す。

 それは先ほど奪って自分のものとしたゼインの能力である【改変】によるものであり、それを理解したテオルードが、微かに眉を潜める。


「ビビってんじゃねえ!」


 テオルードの張り上げられた声が、ウフクスス家の者たちへと叩き付けられる。


「秩序を乱す奴に死を与えんのがお前らの仕事だろうが! 畳み掛けろ! そいつが消耗している事に変わりはねえ、力ずくで押し込め!」

「なるほど、悪くない着眼点だが……」


 テオルードの鼓舞に呼応するように、また1人、また1人と立ち直り、次々と術式を紡ぎ始める。

 そして完成したそれらを片っ端から撃ち込んでいき、そのうちのいくつかが被弾したミズキアが、哄笑と絶叫を上げながら下がっていく。


「その選択は悪手だ」


 痛みによる押し殺した声と鮮血を上げながらも、両手を掲げ、その間に術式を構築していく。

 その紡がれる術式が、先ほど放たれた合成魔法である【熱風円転刃】の術式に似ていながら違うものであると気付けた者は、その場には居なかった。

 しかしミズキアの手の間に、赤熱した高速回転する円盤が4枚生み出される事で、何を紡いでいたのかを嫌でも理解させられる事となる。


「あの魔法は強力だが、人間に向けるのにはオーバーキル過ぎるな。だからサイズを落とす代わりに、数を増やしてみた」


 風に乗った刃片と共に回転する円盤を頭上へと持って行き、腕を振り下ろして一斉に放つ。


「マヌケがそう名付けるみたく、【多斬円熱刃たざんえんねつじん】とでも名付けようか!」


 放たれた円盤の1つ1つは、サイズが違うだけでシアのオリジナルである【熱風円転刃】の速度や殺傷力と遜色が無い。

 それが数を増やした事によって発揮する殺傷能力は、オリジナルと比べるまでもなく高く、戦場を縦横無尽に駆け回り、次々とその斬れ味の餌食とする。

 シャゴベもエブロイもマナスも、ベストラも師団員ではない末端の構成員たちも、その円盤から逃れる事はできない。そもそもの速さの次元が違う為に、治療する隙すら与えられずに命を刈り取られていく。

 唯一対応できたのは、テオルードだけ。それとてその勘と、何より他の者たちが犠牲になったお陰の結果だった。


「テメェの口車に乗せられて、あいつらは死んでオレの糧となる羽目になった。憐れな事だな」

「とことん怪物じゃねえか……」


 元となる術式があったとは言え、実戦に十分に耐えられる術式を即興で生み出す。それがどれだけ規格外な事なのかは、少しでも魔法の知識のある者ならばすぐに理解できる。

 とてつもない才能に恵まれた者であっても、オリジナルの魔法を、それも実戦でも十分に通用するようなものを生み出すのには、多大な時間と労力、そして場合によっては資金といった者が必要となる。

 それを僅かな時間でやってのけるには、それ相応の膨大な量となる知識は勿論の事、それを運用させる為の柔軟な発想力の両方を人並み外れて必要となる。

 ミズキアはその両方を兼ね備えたからこそ、それを実現させられたのだ。


「これでも傭兵になる前は、英才教育を受けていてな」


 才能があっても、知識を得られる環境を持たなければ、それが発揮される事はない。

 曲がりなりにも王族として生を受けた事が、そのミズキアの能力の形成に大きく寄与していた。


「さっきは枚数が4枚で、尚且つ回りに肉の壁があったから、辛うじてテメェは無傷で済んだ」


 左手は手のひらを下に向けて、右手は手のひらを上に向けて、それぞれを顔の左右に並べる。


「なら枚数を増やして、さらに元の術式を追加したらどうなる?」


 限界を超えた演算に鼻の毛細血管が破れて血を流すも、左手の下には【多斬円熱刃】による5枚の小さな円盤が、右手の上には【熱風円転刃】による巨大な円盤が2枚、それぞれ既に生成されていた。


「死ね、暗殺者」

「死ぬのはお前だ、不死身野郎」


 ミズキアに対して有効打となり得る不死殺しのナイフを失い、徒手空拳となった絶体絶命の筈であるテオルードが浮かべた不適な笑み。

 その笑みに警戒心を喚起されたミズキアが一瞬動きを止める。


「お前は1つ致命的な勘違いをした。オレにとっての勝利条件はお前を倒す事じゃなく、オレが生き残る事だ。あいつらを口車に乗せて動かして捨石にしたのも、それを達成する為だ」

「何を――ッ!?」


 テオルードの言葉の意味が理解できなかったミズキアが、いつでも両手の魔法を放てるようにしながらも問い返そうとした瞬間、胸腔に穴が開く。


「おまッ、えぇッ!!」


 血管から漏れ出し逆流した血を口から吐き出しながら、胸から突き出て来た手の持ち主を見ようと振り向いたミズキアが、痛みと共に驚愕の咆哮を上げる。


「アキリア=ラル・アルフォリアぁぁぁああああああああああああああッ!!」

「やあ、久しぶり。さすがの私も殺した相手をもう1度殺すのは初めての経験だよ」


 感情の一切篭っていない、業務的に淡々と作業をこなす冷たい表情を浮かべたアキリアが、心臓を潰されても死なないミズキアを正面から見据えて平坦な声で言葉を並べ立てる。


「前に1度殺したのに、こうしてしっかりと生きているところを見ると、どうやら君は死なないみたいだね。原理としては、君の固有能力である【還元】で得た、これまでに殺したり、あるいは君の近くで死んでいった人たちの命を自分のものとして還元して膨大な数をストックしておいて、自分が死んだらその都度ストックしていた命を交換する事で蘇生する、そんなところかな。

 自分が自分じゃなくなるっていう致命的な欠点と引き換えに得られる、あまりにも都合が良すぎる酷い不死性だけど、私の不死性と違って・・・・・・・・・それが固有能力によるものである以上、行使するには絶対に魔力が必要となる」


 状況を理解したミズキアが、アキリアの腕を抜こうと動き出そうとして、眼を見開いて動きを止める。


「覚えているかな、私の能力。あの時の魔力の動きを固定するだけで、しかもすぐに解除しちゃったから君を殺しきれなかったけど、今度は君の保有する魔力を漏れなく吸い取るように願ってみたんだ。

 君の不死性を固有能力が齎している事から考えると、いくらストックがあっても、こうされると生き返れずに死ぬしかないでしょ?」

「カハ、クヒヒ、ヒハハハハ……」


 アキリアの正しい対処法による、逃れようの無い本当の意味での死が確定したミズキアが上げたのは、怒りでも苦痛でも、ましてや哀願でもなく、楽しそうな笑い声だ。


「何て、奴だよ、テメェは……ほんと、最高だ。最高で、最悪だ。テメェみたいな奴こそが、怪物、なんだよ……。

 それに、今日は何て、日だ……【増殖】による死の苦痛の共有を、初めてに続いて、もう1度経験できて、しかも、あれだけあったストックも枯渇する羽目に、なった……極めつけが、完全な、死だ……有用な能力をいくつも、失うとはな……」


 視線を自分の胸を貫くアキリアの腕から、背後の彼女の顔へと戻す。

 そこにあった、ミズキアの話を興味無さそうに聞き流す彼女の顔へと、ニヤリと笑みを向ける。


「……また会おうぜ。今度は別のオレとな」

「断固拒否するよ」

「ハッ、残念、だったな……」


 ミズキアの体が、手足の先から砂へと変わっていく。

 

「そいつは、不可避だ……」


 変異は瞬く間に全身に及んでいき、完全に砂となる寸前に、最後の力を振り絞ってそう言い残して地面に崩れ落ちる。

 その地面に崩れ落ちた大量の砂も、風に乗ってどこかへと飛んで行った。










「ハァ、ハァ、ハァ……」


 テュードとヴァイス――オーウェンの兄弟同士による争いは、ヴァイスの優勢で進んでいた。


 テュードの固有能力である【砂眼】と、ヴァイスの固有能力である【無刃】。双方共に視界の及ぶ限りの広大な範囲を誇っており、また当たり所に多少左右こそされども、喰らえば一溜まりもないのはどちらも同じだった。

 しかしテュードの【砂眼】は相手に視線を向けて発動させる必要がある以上、物越しに発動させる事ができないのに対して、ヴァイスの能力は物越しであってもその凶悪さを遺憾なく発揮する。

 しかも魔眼系統の能力である【砂眼】が、相手の魔力抵抗力の影響を受けるのに対して、ヴァイスの【無刃】にはそれがない。

 そういった小さな要素はしかし、ヴァイスの魔法と組み合わさった戦法によって、じわじわと確実にテュードを追い詰めていっていた。


 だが、押し切る事はできないでいた。

 初回の戦闘時に、ヴァイスが私からオレへと変わらざる得なかったほどにテュードの戦闘能力は高い。

 能力ではヴァイスの方が優位に傾くかもしれないが、それ以外のスペックで言えば、僅かではあれどテュードの方が優位性を保っていた。

 繰り上がりではない、正規の手順を踏んでその座に君臨している師団長の肩書きは伊達ではないのだ。


「……オイオイ、マジかよ」


 それでもそのまま行けば、確実にヴァイスの勝利という結果に落ち着く――そういう結論を双方共に出していた戦いの最中に、ヴァイスが唐突に動きを止めてそんな事を呟く。


「ミズキアの奴、やられやがったか。一体どこの誰だ、ンな事をやりやがったのは……!」


 その声に含まれていたのは、信じられないような気持ちと、信じるが故に生まれる焦りが半々程度。

 ミズキアが殺されたのが事実だとして、その者がこちらに来ない道理など無い。そして相手に加勢されれば、逆に追い詰められるのは自分の方だった。

 それは逆に言えば、悠長に時間を掛けていられなくなった事を示す。


「……しょうがねえな。多少強引でも、無理やり終わらせるしかねえか」


 ヴァイスが両手の間に、無数の刃を生み出しては束ねていく。

 程なくして完成したその巨大な刃を、今度は振り下ろすのではなく、水平に振りぬくように構える。そうすれば万が一先ほどのように指を失っても、対象全てを無傷で逃すなんて結果になる可能性は低くなる為に。


 防壁越しにそれを把握したテュードも、身の危機を、そして同時に千載一遇のチャンスを感じ取って身を防壁の影から表す。

 そして両眼の魔眼の能力を行使し、ヴァイスが隙の大きなそれを振り抜き切るよりも先に相手を仕留めようという、イチかバチかの賭けにである。


「崩末霧げ――!?」


 そしてヴァイスの動きは中途半端な体勢で無理やり止められ、そんな事はお構い無しに行使されたテュードの能力もまた遮られる。

 両者の間に唐突に現れた、奇妙な人影によって。


「なっ――!?」


 全身を丸みが殆ど無い、直線的でいて鋭利な棘や歯車のような部品が要所に取り付けられている外観をした真っ白い鎧で覆い、面頬まで下ろしている為に、その者の素肌は素顔を含めて一切見えない。

 ただ、鎧を纏っている事を踏まえても大柄な体躯から、辛うじてその中の者の性別が男であると推測できる程度。

 その人物が現れてから、次に声を出したのはテュードの方。

 それは唐突に現れた奇妙な装いの相手に対する疑念の声であり、そして能力の不発に対する疑問の声でもあった。


 両者の間に割ってはいる以上は、当然ながらテュードの視線の前に立たねばならない。

 そして既に能力を行使しているテュードの視線は、晒されればその部位が砂と変わる、危険な代物だ。

 それに晒された筈なのに、そして今も尚ずっと晒され続けているはずなのに、その人物の纏う鎧には何の変化も現れない。

 通常ならばその鎧の視線に晒された部位が砂となるのに1秒と掛からず、すぐ後にはその下の肉体まで変化が及んでいる筈なのにも関わらずだ。


「……お前、【諧謔】か?」

「…………」


 2人揃って驚愕に支配される中で、ようやくヴァイスの方が、その人物の固有名詞らしきものを口にするも、当の呼ばれた本人は無言のまま。

 その沈黙が反応であるのか、それとも違う固有名詞で呼ばれた為なのかは、その場の当人意外には誰にも分からない事だった。

 それなのに、当人は何かしらの反応はおろか、ピクリとも動く事無く、面頬の下の視線を2人のどちらでもない明後日の方向に飛ばすだけだった。


「お父様!」

「ミネア!?」


 そんな緊張と困惑が入り乱れる空間内において、場違いなまでの声と言葉が1つ。

 だがいくら場違いであろうとも、テュードがそれを無視する事はあり得なかった。

 その声は紛れもない、彼にとって最愛の娘のものであったから。


「どうしてここに!?」

「至急、お父様に伝えなければならない事がございまして!」

「すまないが、後にしてくれ。生憎、今はそれどころじゃない。ここは危ないから早く逃げなさい!」


 ただし、彼にとって彼女がいくら最愛の対象であったとしても、その逆も然りであるとは限らないのが世の中の常である。


「いえ、今でないと困るんです。だって――」

「ッ……!?」


 抱き付いて来るかのように飛び込んできた娘を受け止めたテュードが、直後に鳩尾の辺りに走った冷気と熱に、間髪入れずに襲い掛かって来た痛みに、言葉にならない、そして状況を把握できていない声を漏らす。

 それでも視線を鳩尾に向けてみれば、そこには娘が両手で握り締めるナイフの柄が見えていた。

 そして柄の先にある筈の刃が見えないという事は、必然的に自分の体の中に潜り込んでいるという事でもあり、それが自分の鳩尾に熱と冷気、そして痛みを齎しているという事になる。


 そこまで理解できても、何が起きているのか彼にはまるで理解できていなかった。

 理解できていないまま、ミネアの口から、彼の知る彼女から発せられたとはとても思えない冷淡な声が飛び出して来る。


「貴方にはここで、退場して貰いたいので」











次回予告

狂愛を宿した少女は愛ゆえに最大の禁忌に手を染める一方で、死神を下し、また大罪を司る悪魔さえも一蹴する理の体現者を前に老将が立つ時、道化師の愉快で邪悪な遊戯が開幕する……みたいな。


やっとここまで来た。書き上げるのにお盆で予定がごたついていたのを差し引いても二週間以上。全部ミズキアのせいだ。

その分文字数も凄まじい事に。空白などを含めないで、実に2万と3181文字。これって最高記録いったんじゃないかと思う。検証はしてないけど。


次回からようやくスポットは主人公へ。もっともその前にハイパーミネアタイムがありますけど。

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