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死神は鎌を振り翳す

 



 空気をかき乱し、唸り声を上げながら砲丸以上の直径を誇る拳が迫り、地面を粉々に粉砕する。

 続く交差する拳も蹴って空中に躍り出て、擦れ違い様に逆手に握った剣による斬撃を見舞う。

 その斬撃によって刻まれた傷は、常人ならば頚動脈を裂かれて死が確定する代物。だがおれが着地して振り向く頃には跡形もなく癒着していて、変わりに振り向き様の鉄槌をお見舞いされ、バックステップで避けたところに砕かれた地面の散弾を喰らう。


「中々素早いね」


 余裕を感じさせる太く低い声が、地面に埋め込まれた拳を支点とした、足払いと呼ぶには少しばかり大きすぎる丸太並みの足による胴払いと共に繰り出される。

 剣の刃を向け、地面に対して水平に立てて押し込み、強靭な肉塊と鋼とが交錯。刃が肉の上を滑って轍を刻み、おれ自身はそれを土台に身を捻って足の上方を跳び越える。

 その瞬間、着地する間も与えずに相手の足が股関節の動きに従って伸ばされて、上方蹴りへ。刃を弾いて空中で身を畳み、回転して方向を整えたところに中段の突き。

 眼前に迫る事で余計に大きく感じるその拳に柄頭を叩き込んでさらに乗り越え、本命の爪先を剣が弾き、半瞬の静止の後に一層の猛々しさを増した膝蹴りを剣の切っ先を叩き込んで相殺する。


「躊躇いが皆無とは、実に非情な事だ。先ほどの斬撃はワタシの体内の【移転門】の能力者を斬っていたぞ?」

「残念ながらそんな手応えは無かったな。吐くならもっとマシな嘘を吐け。もっとも、それはそれで願ったり叶ったりだ。戦意を折るのが目的なら、もう少し言葉は選ぶべきだ」


 3メートルを超す巨体を手に入れたジェメインは、高さもさる事ながら厚みも相当なもので、それでいて持ち味であった身のこなしに陰りは見えない。

 さすがに小回り自体を利かせるような動きは不可能だが、それにしたって巨体に見合わない俊敏さと、巨体によって生み出される打撃力は脅威の一言に尽きる。

 さすがにザグバと比べれば圧倒的に見劣りするが、それでもさっき【促進剤アッパー】を使用していなければ、ここまで余裕を持った対応はできていなかっただろう。


「面白い事を言うねえ。しかし、今の型を防ぎ切るか。どうやら我が祖国の戦闘術を、相当深い度合いまで習熟しているようだねえ」

「死ぬほど叩き込まれたからな」


 それ以上の追撃を阻むためにも、ナイフを取り出して投擲。

 さっきので学習したのか、ジェメインは自分の持つ特性に物を言わせて受けて強引に進むような事はせず、自ら動いて軌道上から退避。ナイフは地面に刺さって停止する。


 一方で握る剣の亀裂はさらに全方位に広がり、同時に刃毀れはより酷く、目立つようになっていた。

 打ち合う対象が剣ではなく拳と蹴りに変わったとはいえ、元よりそれまでの打ち合いで刃毀れと亀裂が積み重なっている頼りない鋳造品。打ち合う相手の素材の変化など、寿命が僅かに伸びた程度でしかない。


「納得のいく話だ。では……」


 ジェメインの人間の範疇を凌駕する巨躯が、半身になって腰を落とす。

 その姿は構えこそ様になっているが、なまじその外見が既に人の範疇から外れているが故に、酷くちぐはぐなものに見えた。


「これは知っていたかね?」


 ジェメインの姿が掻き消え、代わりに視界には打ち出された正拳が飛び込み埋め尽くす。

 それを直前で屈んで回避し、さらに強引に身を後方に引くことで下段蹴りをギリギリで回避。直後に軌道が変更されて中段となった蹴りも同様に空を切る。

 引き戻された鉄槌とおれが翻した剣の腹が擦れ合って金属音が耳に届き、崩れかけた体勢を整えるために地面を踏み締めた瞬間に鉄拳。

 髪の毛数本が引き抜かれて宙を舞い、地面に落ちる前に新たに発生した気流によって複雑に散る。その髪の毛を運ぶ気流を巻き起こしたのは、物理的な唸り声すら上げる前蹴り。


 右眼と薬によって向上した身体能力ならば躱せる筈のその蹴りを、おれは躱せない。というよりも、その瞬間に限って下半身の一切の能動的行動が取れなかった。

 それでも必死に剣を手繰り寄せ、この瞬間に使い捨てる事を覚悟して盾とする――直前で蹴りは軌道を変化。結果、その爪先はおれの肩口を抉る。

 偶然か、それとも必然か、その蹴りが体を直撃する事だけはなかった。しかし重心がその蹴りによって反対側に偏った瞬間に、拳の追い突きが肝臓に突き刺さる。

 そして追い討ちの、十分な溜めのされた蹴り。

 その時になってようやく動きが思考に追いつくようになって、右腕を間に入れるも、蹴りはその見た目の大きさに見合わぬ柔軟性を発揮して腕だけを巧みに避けておれの体に突き刺さる。


「ゲッ、ハッ……!」


 一連の動作が終わって、視界の端に赤い飛沫が飛び込んでくる。言うまでもなく俺の血だ。


「ゲホッ、ゲホッ、ゲホッ……!」


 咳き込む度に痛みが走るが、それでもそれを押し留める事はできない。口から内臓が損傷した証である血塊が吐き出され、耐え切れずに蹲ったところで、自分の体の状態が視界に収まる。


「【ゾルバ式戦闘術】において、基本的に拳は本命である蹴り技を叩き込む為の牽制でしかない。勿論ダメージを与えられる事に越した事はないが、やはり本命なのはより強烈な一撃を放てる、蹴りによる致死的なダメージだ」


 左肩は蹴りが直撃せずに掠めたお陰で、返って肉が抉り飛ばされていた。

 そして本命らしき最後の蹴りを受けた腹部は、果たしてどれほどの勢いがあったのか、服が間にあった衣類と仕込まれていたナイフごと弾き飛ばされ、その下の肉も見るも無残なひき肉となっていた。

 なまじ消し飛んだのではないが故に内臓が零れ落ちず、それでいて激痛と出血があるのだから性質が悪い。


「時と場合によって一連の内約は微妙に変わるが、祖国においても一握りの者しか存在を知らず、そしてさらに一握りの者だけが習得できる型だ。どうやらさすがに知らなかったようだね」

「お、陰で、勉強に、なった……」

「好きなだけ学ぶと良い。対価は汝の命だ!」


 返り血を浴びて凶暴に笑うその姿は、もはや人ではなくトロールやオーガの類にしか見えない。

 その巨人が突進して来るのを、ナイフを抜いて投擲し牽制。痛みを堪えて立ち上がり、ふらつく暇も与えずに後退。


「遅いねえ。さすがにあれを喰らって、ただでは済んでいないようだ!」


 拳を躱す余裕がなく、刃で傷を刻みながら軌道をずらして回避。さらにそのまま腕の下を滑らせて、懐に入り込んで肋骨の隙間から心臓に掛けて斬撃を浴びせるも、リーチが足りずに心臓まで刃は届かない。

 そしてその傷さえもあっさりと快癒し、逆に鉤爪のように構えられた虎爪が迫り、剣で受けたところにとうとう限界が訪れる。


「これでついに得物が無くなったねえ」


 おれとジェメインとの間に発生した剣の破片が四方八方に舞い、そのうちのいくつかがおれの体を掠めて微々たる傷を刻む。

 その中でもとりわけ大きな破片を素早く選別し、宙にあるうちに蹴りを叩き込んで飛ぶ方角をジェメインへと修正。回転しながら飛ぶ刃片は、ジェメインの顔に。

 ほぼ反射的に自分の顔へと向かって来るものを素手で払い除けたところに、さらにおれが投擲したナイフが迫る。

 それを体ごと屈むごとで回避し、僅かに時間をロスしながら後退するおれの後を追う。


「ちょっ、ちょっと、な、何でこっちに、く、来るし……!」


 進行方向の先に居たキュール共が泡食って退避しようとするが、少し遅い。

 手近なキュールの襟首を掴み、動きを止める。

 それに対して暴れようとするキュールの耳元に姉の名前を囁いて抵抗を黙らせ、追跡して来たジェメインの拳の前に入れて盾とする。

 おれよりも遥かに小柄で、肉付きも良くないキュールの体は簡単に吹っ飛び、付近の建物の壁面に衝突。壁に赤い華を咲かせて落下する。

 さらにもう1人も、突進してくるジェメインに撥ね飛ばされて地面に頭から激突し、首が変な方向に曲がって転がる。


「フハハ、あ、安定の扱い……!」


 残る1人が退避するのをおれは止めない。代わりに迫り来るジェメインを正面から見据え、間合いに入られた瞬間に即応できるように重心を落として待ち構える。

 そして間合いにジェメインが足を踏み入れる直前、その巨躯が急制動。

 その動きをおれが見て理解する頃には、ジェメインは地面を蹴り割りながら明後日の方角へと跳躍。

 ちょうどその先にいた最後のキュールが、眼を剥いて引き攣った笑みを浮かべながら横転。ギリギリで範囲から脱する。

 しかしジェメインは、さらに退避を続けるキュールなど端から目にも入れず、その場で膝を曲げて体勢を低くしながら薄ら笑いを浮かべる。


「まだまだ読みが甘い」


 下げられた手の先にあるのは、一振りの長剣。


「汝の目的はこれだろう? 体積を増大させた今のワタシが相手ならば、左右を建物に挟まれたこの場に誘き寄せさえすれば、立体的移動を駆使した身のこなしで優位に立てると踏んだのだろう。

 そうしてまんまと、ワタシを躱してキュールが生成したこの剣を得ようとしていたのだろう」


 指先が鋼の剣身に触れた途端、まるで氷のようにその部位は急速に溶け始め、ジェメインの腕へと吸収されていく。


「ワタシとしては、あえて誘いに乗っても良かった。今の条件ならばワタシを上回れるという、汝のその思い込みを打ち砕ける自信があったのでね。

 しかし、そうはしない。いくら自信があったとしても、万が一という事があり得るからね。どんなささやかな可能性であろうとも、確実に芽を摘み潰すのがプロというものだ。

 遠くに投げ捨てた程度では拾われる可能性もあるが、ワタシの体内に取り込んだ上で完全に同化させてしまえば、汝ではもはやどうしようもあるまい」


 キュールが生成した剣を完全に吸収し終えて、ジェメインが立ち上がる。

 屈んだ状態でさえ目線がおれと同じ高さだったというのに、立ち上がれば必然的に見下ろされる形となり、さらに左右を建物に挟まれているという状況が相手の威圧感に一層の拍車を掛けていた。


「目論見が外れた気分はどうかね?」

「最高だな!」


 ナイフを投げつけ、それを相手が躱した瞬間に壁を蹴って上方へ。さらに追いかけて来ようとするジェメインへ、中身が空となり、ただのガラス玉に成り下がった癇癪玉を落として牽制。

 僅かながらも貴重な時間を稼ぎ、先ほどまで戦場としていた通りへと戻る。


「さて、頼みの綱である武器も手に入れ損ねた汝は、次にどう動くのかね? まさか素手で挑み掛かって来たりはするまい。それがどれほどの悪手であるかは、汝は良く知っている筈だ」

「ベラベラと良く回る舌だな……ゴホッ!」


 喉奥からこみ上げて来た血を口から零し、地面を赤く染めるのを見て、ジェメインがあからさまな挑発をして来る。

 さらには投擲したナイフも、回避するどころか相手の体を捉えられずに通り過ぎていくのを確認して、浮かべていた薄ら笑いをさらに深める。


「実に涙ぐましい努力だねえ。自分の負っている傷が、見た目ほど派手なものではないと見せかけたいが為だけに行った運動と軽業師の真似事は、汝自身の堪え性のなさで全て無為に帰る訳だ。

 もっとも、ワタシが自分で与えた傷がどれほどのものか分からない訳がないが故に、初めから汝の努力は無駄でしかなかったのだがね」

「本当に、口だけは達者だよ」


 口から零れた血を受け止めた為に赤く汚れた右手を掲げて、握り拳へと変えて手元へと引き寄せる。

 瞬間、ジェメインの浮かべていた笑みは崩れ去り、今度はおれが笑みを浮かべる。


「言ったよな、最高だってよ。思い通りに事が運ぶ事ほど楽しい事はない」

 

 限りなく肉眼では捉えにくくなっている、ナイフの柄に括り付けて放り投げられ、撓めた状態で張り巡らされていたワイヤーが引っ張られる事によってピンと張り詰める。

 ちょうど中心にジェメインを置き、幾本もが交差し合うように。


「何も取り込んでいない、平常時の体躯だったなら体の端を切り捨てれば脱出できたんだろうがな……」


 付着した血が重力に従ってワイヤーを伝う事によって、一部が肉眼でも容易に捉えられるようになっている鋼糸の群れを見渡しているジェメインに宣告してやる。


「その無駄に馬鹿でかい図体で、脱出できるもんならしてみろよ」


 おれの使用するナイフが鋳造された大量生産品ではなく、一本ずつ丁寧に鍛造された特注品であるように、このワイヤーもまた特注品だ。

 一般的な鋼糸と比べて数倍もの引っ張り強度と、それでいて半分以下の直径を誇っており、半端な手段では切断どころか物理的に撓める事さえもできない。

 あるいは、ジェメインの持つ剣とそれによる剣技ならば容易に切断できるかもしれないが、生憎巨大化した際に体内に取り込まれていて、おそらくは先ほどの言葉の通り、万が一にでも奪われる事を恐れて完全に同化されている筈だ。


「おのれ、何と小癪な事を……なんて言う訳が無かろう」


 怒りを貼り付けたかと思えば、すぐに余裕で上塗りするという百面相を見せて来る。


「これしきの罠では、このワタシを拘束する事などできはしない!」


 そう高らかに宣言するが早いか、自ら凶悪な鋼糸の海へと身を沈めて行く。

 鋭利な鋼糸が服に、その下の肉に食い込んでいき、その強烈な圧力に耐え切れずに皮膚が、筋肉が破け分断されていく。

 そうして腕が、足が、全身の各体構造が時間に比例して地面に落ちていき、鋼糸の海から抜け出した頃には大小様々な大きさの幾つものパーツに分かれて転がっていた。


 だが、ジェメインはこれでは死なない。

 例え体がバラバラになっても、持て余す事無く細切れになった訳ではない。

 ならばいくつもある、一定以上の質量を持つ体のパーツが周囲のパーツを能力を駆使して取り込んでいけば、すぐにでも元通りの体を取り戻す事ができる。


「さて、汝の代わりにワタシが汝のプランを解説してみせようか。

 ワタシの全身を一度に吹き飛ばせば勝てると踏んだ汝だが、さすがに体積を増大させたワタシを纏めて吹き飛ばすのは困難だと理解した。そして何より、ワタシの体術はそのままに質量が上乗せされるのは厄介極まる。であればこそ、僅かでも削ぎ落としたいと考える。

 そこでこうして、ワイヤーを駆使したトラップを仕掛けてきた訳だ。一時的にワタシの体を分割し、その中からワタシの意思の宿っていない、最も大きなパーツを選別する。

 あとは、汝が持っている爆裂玉でドカン、という訳だね」


 頭部だけとなり、声を発する為の空気を供給できない筈なのに長広舌を述べ、あまつさえ声には侮りが見て取れる。

 その声音に対して反感を覚える事は後回しに、癇癪玉を包んだ左拳を胴体部のパーツの1つに突き込んだ瞬間、悪寒が走り抜ける。


「確かに脳を全身に同化させたとは言え、ワタシ自身の意識は1つだ。しかしだね、その意識の宿る部位の近くならば、ある程度は自由に能力による干渉を行えるのだよ」

「うっ、うおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!」


 右眼で見なくとも感覚に簡単に引っ掛かる、肉の中に埋められた左腕の皮膚の上を何かが這いずり回り、あまつさえ侵食して来ようとする不気味な感覚。

 抵抗できないが故により生々しく感じるそのおぞましさに耐え切れず、腕を引き抜き、深いな感覚を齎している部位をナイフで纏めてこそぎ落とす。


「ほんの警告程度だったが、随分な怯えようだ。まだ幼子の方が忍耐があるのではないかね?」


 分割された体構造同士を寄り添い合わせ、能力を発動させては融合し、着々と元通りの体へと戻り始める。

 一方のおれは、肉を削ぎ落とした腕に布を巻き付けて強引に止血。ジェメインが身動きが取れないうちに全力でその場から退避する。


「さて、そろそろ終わらせようか。あまりのんびりしていると、守護家の連中に感付かれかねないのでね」

「くっ――」


 幾つものパーツを全て掻き集めて融合し終えたジェメインが立ち上がり、上からおれを見下ろして首を回し、派手な音を鳴らしながらそう告げて来る。

 表情のみならず、全身から溢れ出ている余裕。それは度々引っ込む事はあっても潰えることはなく、そしてそれは、おれが相手よりも不利な状況に立たされ続けている事の証左でもあった。


「クッ、クハッ、ハハハハハハハハハッ!」


 ちゃんちゃらおかしくて、笑いが堪え切れない。


「何がおかしいのだね? それとも、とうとう精神が耐え切れなくなったのかね?」


 訝しむ訳でもなく、激昂する訳でもなく、あくまで余裕から来る言葉。

 それに対しておれは、服の影に隠していたものを見せてやる。


「おかしいに決まっているだろうが。お前のマヌケさ加減を目の当たりにして、おかしく思わない筈が無い。

 言った筈だよな、思い通りに事が運ぶ事ほど楽しい事はないってな。それをもう忘れたのか?」

「なッ、馬鹿なッ!!」


 ジェメインが表情を、何度目かの驚きに染め上げる。実に表情豊かで、むしろ羨ましくすらある。

 おれが小脇に抱え、服の下に隠していたのは、頭部から上半身に掛けて顔を隠すように布でぐるぐる巻きにした小柄な人間。

 ジェメインがおれに対する優位性として認識していた、そして同時にいつでも脱出できるという余裕の元となっていた【移転門】の能力者であるベスタだ。


「なら、これは一体――!?」


 自分の下腹部に鉤爪を突き入れ、引き剥がすように開いていく。

 未だに混乱と疑惑に満ちた眼が捉えたのは、ベスタと比べて多少大柄ではあるものの、やはり一般的な視点から見れば小柄に部類される体躯の持ち主。


「フハッ!? ぼ、僕の死体、いつの間に!?」


 大陸中を探せば両手に余るほど現存しているであろう、キュールの先ほど撥ね飛ばされた死体。それがベスタが納まっていた空間内に、多少窮屈そうに代わりに収まっていた。

 勿論、その体中にはありったけの癇癪玉が巻き付けてある。


「しまっ――!!」


 完全に余裕が吹っ飛んだ顔で、慌てて同化を始めようとするがもう遅い。

 あわせておれも、ベスタを抱え込むようにしながら反転し、地面へと身を投げる。


 そして爆煙と衝撃波と閃光が無差別にブチまけられる。

 注意深く聞き取れば、最初はちっぽけで尻切れ感のある破裂音が生まれ、直後にそれが文字通り爆発的に巨大化し、連続した振動が空気を振るわせる。

 揺れるのは空気だけではなく、おれの視界、そして世界そのものが激しく揺り動かされる。


 そして暗転した。










「フ、フヒヒ、フヒハハハ、ハ、ハハ……な、何たる扱い、何たる、扱われ方……」


 キュールが心から痛そうに顔を歪めながら、ふらつきながらも立ち上がり、外套の汚れを簡単に手で叩いて払い落とす。 


「い、いきなり足蹴にされた、挙句、間接的に殺され、て、しかもその死体を、爆弾に利用される、なんて、酷すぎるよな。さ、さすがに怒っても良いと、思う。

 だ、だけど、駄目だ。それは絶対に、駄目なんだよな。が、我慢しなきゃ。もし怒って何かしたら、ね、姉さんに殺される。こ、殺されるならまだ良いけど、どっちにしろ、姉さんを敵に回す事だけは絶対に駄目だ。と、とっくの昔から敵だけど」


 うわ言のように呟きながら、その身を震わせる。

 その様子は客観的に見れば、その顔色も相まって寒さで震えているようにしか見えないだろう。しかしながら彼のその顔色は生来のものであり、同時に震えもまた原因は似ても似つかないものだった。


「ま、まあ酷い扱いは、いつもの事と言えば、いつもの事だけ、ど……?」


 そして直後に、上半身が縦方向に宙を舞い、空中で一回転をしようとして途中で落下し跳ねる。


「お、おお。す、すっかり意識から、外してたぜ。か、完全に不意を、打たれたよ」


 赤い奔流が唸り声を上げながら引き戻されるのを見ながら、キュールは両断された事を意に介した様子もなく、純粋に驚きを露に賞賛の言葉を口にしていた。

 それをやってのけたユナは、さすがに疲労を隠せない表情で、それでも術式を構築して小さな不死鳥を生み出す。


「た、タイミングも良い。ち、近場の僕がどんなに急いでも、ここに来るまでに、優に5分以上は、掛かる。それだけあれば、き、君たちも十分に逃げ切れる」

「勘違いしないで」


 キュールに対しては然したる興味を抱いていないという事がありありと感じられる声音で、ユナは短く言い捨てる。


「逃げるつもりなんて、毛頭ないから」


 炎鳥が短く嘶き、上半身だけとなったキュール目掛けて飛翔。

 嘴が胸部に突き刺さると同時に内包するエネルギーを爆発させ、跡形もなく消失させる。


「待ってよユナちゃん」

「…………」


 熱風によって髪が掻き乱されるのを鬱陶しそうにしながら歩を進めようとしたところで、従姉妹の言葉が耳に届いて足を止め、上体だけを捻って振り向く。


「シアちゃんはジッとしていて良いよ。これはわたしの問題だから」

「にゅっふふふ、残念だけど……いや残念でもないけど、それは違うね。仲間外れは酷いよ?」


 あくまで真剣なユナに対して、シアは軽薄さの目立つ、相手している側がキレても責められはしないであろう程に聞き手には似つかわしくない態度。

 しかしそれでもユナが眉を顰めるどころか、苛立ちの欠片さえも覚える気配がないのは、長い間行動を共にして来た信頼ないしそれに準ずるものがあるが故か。


「ねえユナちゃん、ちょっと提案があるんだけど良いかな?」


 もしその場に彼女の実姉であるアキリアが居て目撃したならば、顔色を即座に変化させてすっ飛んで行き、首根っこを引っ掴んで頬を何度も叩いていたであろう程に邪悪な――しかし他人が見れば無邪気にしか見えない笑顔を浮かべてシアが言った。










「ほんとッ、冗談じゃッ、ねえっての……ッ!!」


 息を切らせながら、ディンツィオは背後を一瞥すらせずに走り続ける。

 その呼吸は間隔が酷く短い上に、きちんと酸素を取り込めているのかどうか疑いたくなる位に浅いものだったが、それは決して疲労から来るものではなかった。


「百歩譲って、ただの【レギオン】の構成員だったら、まだ良い! いや、良くはねえけども、それでも【忌み数ナンバーズ】よかマシだ! 連中だけは、絶対にあり得ねえ……ッ!」


 その震えを齎すのは、内心の萎縮だ。

 圧倒的なまでの格の差を目の当たりにし、尚且つそれを暴圧的に刷り込まれた事から来る、全ての生物が持ち、同時に人間が徐々に退化させていった本能が活発に動き回る事から生まれる、根源的欲求だ。


「つか、あっさりと切り捨てんなよ。仮初めだったとしても、曲がりなりにも身内だろうが。俺みたいな軍属が切り捨てられるのとは、訳が違えぞ。

 いや、そもそもそんな、傭兵があんな依頼を請け負う事自体が異常だ。でもって、そうと知っていて役を全うするあいつもイカレてやがる」


 ようやく安心できる距離を稼ぎ、一息ついて脳裏に直前の映像を回想させる。

 背後から急所を、しかも魔族にとっては猛毒に等しい銀の剣で貫かれ斬り裂かれ、弱々しく四肢を投げ出したところに言葉によるトドメを刺された少女。

 そして直後に、新手の乱入。その混乱に乗じて、とにかく生き延びようと僅かたりとも躊躇する事無くまんまと逃げ出した自分。


「……ありゃあ長くないな」


 仮に話の通り少女が本当に半人半魔であったとしても、そして純銀製でもないメッキ程度であっても、やはりあれは致命的だ。口を突いて出て来た言葉に偽りはなく、おそらく長くは持たないだろう。


 その事に対して、同情を覚えたりはしない。最初に殺しに掛かって来たのは相手のほうだし、だからこそ自分も、相手を殺すつもりで抵抗した。

 結果から言えばそれは失敗して、思わぬ形で命を拾う事になりはしたが、概ね理想的な結末に落ち着いたとも言える。


 では全く何も感じないと言えばそうでもなく、内心で一抹の憐れみは覚えていた。


「まっ、可哀想だって思えるのは、生き延びられたからこその上からの高慢な視点だってね」


 わざと自分に言い聞かせるかのように、あるいは戒めるかのようにそう呟く。

 そして視線は、自分がたった今、後にして来た方角へと向けられる。


「まあ、運が良ければ生き残れんでしょ。エルジンっち次第だろうけど。

 大体、結果的に失敗したとは言え、さっき後ろから突き刺してガチで殺そうとした分際で、どの面下げていけってのよね」


 唐突に胸中に生まれた、寂寥にも近い謎の感覚を吐き出すように息を吐き、視線を再び戻す。


「っていうか、そもそも立ち返れば俺っちにはまるで関係がない」


 吐き捨て、遁走を再開しようとしたところで、頭の中に今度は別の光景が過ぎる。


「……いやいや、本当に俺には関係ない。つか、関わり合いたくない。命がいくつあっても足りないっての。第一、そんなの俺のキャラじゃないっしょ」


 困ったような、弱ったような、曖昧な表情を浮かべて誰に聞かせる訳でもなく言う。

 その表情のまま、だが即座に動けるような体勢は解いて立ち尽くし、無言のまま思考を巡らせる。


「……キャラじゃないけど、このままじゃネティアに顔向けできなくなるよなぁ」


 ハァ、と盛大な溜め息を吐き出し、一転して何かを覚悟したような、しかし実に悲壮感が溢れる表情に変える。


「ホンッと、俺はここまで何しに来たんだよって話だよ」


 そしてその悲壮感溢れる表情を決死のものへと変えて、全身を反転させ、勢い良く駆け出す。

 いや、駆け出そうとした。


「――ッ!?」


 全力の疾駆を行おうと踏み出された最初の一歩で足を止め、そのまま足を痛める事も厭わずに全身のバネの力をその足で押し留めて殺し切る。

 それを行ったディンツィオの顔色は、思い出したかのように蒼白に戻っていた。


「何ッ、だよ今度は……ッ!?」


 疑問の答えを得ようと視線を左右に巡らせる暇すら惜しみ、だが僅かに逡巡して動きを止める。

 直前で決めた、自分が進むべき進行方向。だがその進行方向は、自分が今立っている場所も含めて、超特大の警戒区域へと瞬時に変貌していた。

 その危険度は、明らかに先ほどの少女の時のそれ以上だった。


「ちく、しょう……!」


 逡巡の後に出した答えは、自分の目的を翻してでもその場から背後に向けて離れる事。

 その選択が正しいという事は、そのすぐ後に判明する。


 唐突に、本当に何の前触れもなく、ディンツィオが立っていた場所も含む地面が大きく抉り取られて何も残らないという結果が生じた事によって。










「【壱咬イッコウ】」


 白銀の悪魔ベルゼブブの手のひらの口が、あたかも火花を散らすのが目的であるかのように歯を打ち鳴らして閉じたかと思えば、おもむろに何かご口の中に入っているかのように咀嚼を始める。

 ほぼ同時に、その口の動きが連動していたかのように手のひらの先にあった建物の一部が巨大な生物に食い千切られたかのように消失し、歯型の断面から亀裂が徐々に広がり倒壊を始める。


「相変わらず、悪食な事だよ」


 大小様々な瓦礫が降り注ぐ中それらを巧みに掻い潜るアスモデウスが、呆れたように、もしくは唾棄するように呟く。

 その姿をベルゼブブも捉え、同時に自分の今の攻撃が目標に掠りもしていない事を確認し、両手を上下から勢い良く叩き付けるように組み合わせて音を鳴らす。


「【弐咬ジコウ】」

「【断骸だんがい】」


 未だ地面を落ち切らない数多の瓦礫の大半が突如として消え失せ、残る瓦礫も大部分が粉微塵へと姿を変える。

 しかしその正体不明の攻撃はまたしてもアスモデウスを捉える事は叶わず、今度はお返しとアスモデウスが術式を構築し、腕を高く掲げては振り下ろす。

 誕生したのは歯並びが均一からは程遠く、分厚い身とそれに見合う長さを持ち合わせた、凶悪な黒一色のギロチンの刃。

 柱も無しに落下して来るそれを、ベルゼブブは特に何かをする訳でもなく、そのままむしろ迎え入れるかのように受ける。

 そして刃は霞のように消え失せ、代わりに首の辺りに手のひらにあるものと同様の口が出現し、飢えと怨嗟の呻き声を上げ始める。


「無駄だナ。オレにそんなものが通じない事ぐらイ、知ってんだロ?」


 首に現れた口を消し、本来の口から鋭い犬歯をギラつかせて鉤爪状に構えた腕を引き、軋む音が響くほどに力を込めて一気に振り抜く。


「【舌食ゼッショク】」 

「ッ!?」


 まるでザグバがそうして、軌道上に衝撃波が発生したかのように、その軌道の延長線上に破壊の跡が生まれる。

 だがザグバのそれと決定的に違うのは、それがただ爆砕したのではなく、あたかもスプーンで、そうでなければ砂場を素手でそうしたかのように、発生したのが抉り取られたかのような跡であるという点だ。


「【吐絶トゼツ】」


 その一撃から退避したアスモデウスを追って距離を詰めたベルゼブブが、手を伸ばして襟首を捉え、そのまま手のひらの口から先ほどの魔法から取り込んだ分の魔力を至近距離で放出する。

 術式を構築する訳でもない、ただ単純に放出されただけの魔力は、それでも事前に取り込んだ魔法に込められていた魔力が膨大であったが故に、その場に自然現象では決してありえない火柱を打ち立てる。


「上手く躱したナァ」


 爆炎を裂いて後退し、いくつかの建物の屋上を経由して火柱を眺めていたベルゼブブは、笑みは変わらずに振り返りながら腕を振るい、いつの間にか背後に移動していたアスモデウスが投擲したドス黒い小さな刃片を口で受け止め咀嚼する。


「けどナァ、完全に躱せてはいないだロ? 隠しても誤魔化せねェヨ。味だけは中々悪くないからナ」

「……反吐が出るね」


 体の陰に隠すようにしていた左手は、中指から小指の指先が荒々しく千切れ、断面から血が流れていた。

 それもアスモデウスが一振りするだけで元通りとなるが、攻撃を喰らったという事は紛れもない事実だった。


「何度も言うガ、無駄なんだヨ。オマエはオレには絶対に勝てねぇんダ。魔法だろうが権能だろうガ、オマエが何をしようがオレには一切通じなイ。それはオレにも言える事だガ、それはオマエがそういう風に権能を使っている場合に限ル。

 だけド、そういう風に権能を使えばオマエはオレに対しても何もできなくなル。そうなってもやっぱりオマエはオレに勝てなイ。端から出来レースなんだヨ、この戦いはナ。結末はオレが勝つか、決着が付かずに終わるカ。どっちにしろオマエが勝てないという点は同じダ」


 クツクツと、喉を鳴らす。

 その喉の音が表すのは、相手に対する嘲り。


「所詮オマエの権能なんてのはそんなもんダ。カバーできるのは自分だケ。実にオマエらしイ、自己中心的な権能だよナ?」

「……口を謹みたまえ。そして……見縊るな!」


 人差し指と中指を合わせ、背面を向けるように突き立てる。


ゼロ!」

「オッ!?」


 そのアスモデウスの行動の後に、目立った変化はない。

 何かが起きたわけでもなければ、何かが現れたわけでもなく、そして大きな音が発生したわけでもない。

 だがそれでもベルゼブブは少しばかり驚いたかのように眼を見開き、その場から大きく跳躍して距離を離す。

 そして見開いた眼を元に戻し、さらに薄く細め、アスモデウスを見据える。


「……なるほどナァ。随分とおっかない使い方ダ。だが確かニ、それならオレに対してダメージを与えられるナ」

「この権能の使い方は、正直疲れるからあまり好まないのだけれどもね」

「馬鹿を言えヨ。オマエが労を厭うようなタマかヨ?」


 手を下ろしたアスモデウスのその呟きを耳ざとく捉えたベルゼブブが、からかうように鼻で笑う。


「マァ、疲れるってのは嘘じゃないみたいだがナ。何で随分と消耗しているのか多少気になってはいたガ、合点がいったゼ。この戦いの中デ、あと何発使えるんダ?」

「……答えると思うかい?」

「答えねぇだろうナ。マァ、それならそれで構わねェヨ。オマエが答えなかろうガ、オレが答えを知ろうガ、上限数が変わる訳でもねぇからヨ」


 アスモデウスがベルゼブブを倒し得る手段を持っているという事実を知っても尚、ベルゼブブの表情に焦りはなく、態度には余裕を併せ持っていた。


「しっかし解せねェナ。何でソイツを最初から使って来なかったんダ? それも今回に限った話じゃネェ。今までも使う機会はあっただろうガ。それなのニ、何で使わなかッタ? まさかとは思うガ、オレの事を舐めているのカ?」

「……【降星群】」


 ベルゼブブの疑問に対する解は、黒く染まった天から降り注ぐ、数多の闇色の結晶。

 個々ではただ小さな結晶に過ぎないが、それが高々度から地表へと落下する間に加速し、本体の硬度も相まって十分過ぎる殺傷能力を兼ね備えている。

 しかしあくまで魔力によって生み出された産物であるが故に、ベルゼブブにとっては飴玉が降って来ているのと大差がない。


「キミには分からないだろうね」


 腕の一振りで降り注いでくる結晶の大部分を消失させたベルゼブブに、残る結晶が地面に衝突して上げる轟音に掻き消されぬ声で、アスモデウスが厳かに告げる。


「自ら進んで身を堕としたキミなんかには、絶対に分からないだろう。生まれた時から【色欲】という大罪を背負わされるという事を、その為だけに生み出されたという事の苦痛を!」


 アスモデウスの吐き出す言葉には悲痛さがあった。


「自分から身を堕として手に入れた、自ら望んで手に入れた権能を振るうキミには分からないだろうね。生まれた時から無理やり押し付けられて、尚且つ捨てる事もできないこの権能を抱えて生きていくという事の苦痛が!」

「ハッ、だから神族が憎いってカ? アホだろオマエ」


 アスモデウスの言葉を、ベルゼブブは笑って切り捨てる。


「オマエの苦痛なんざ知った事じゃねェシ、ましてやオレからすれば理解不能でさえあるガ、それでも1つだけ確かなのハ、オマエのその言葉は欺瞞に塗れてるって事ダ。

 そのくだらない憎悪をオレや神族に向けるのは、お門違いって奴ダ。オマエたちを生み出したのはあくまデ、オレたちの誕生によって傾いたバランスを正す為ノ、このクソッタレな世界の法則とやらダ。そしてオレたちを生み出したのハ、遥か昔に現れた【願望成就】のニンゲンの能力者ダ」


 ベルゼブブが検体に対して刃物を振るう学者のように、冷徹に言葉を連ねて行く。


「だが前者はオレたちは勿論の事、オマエたちでも手出しはおろか介入すらできなイ。後者は後者でとっくに死んでいル。

 つまるところハ、オマエはただ単にやり場の無いソレを最も近い神族に対してぶつけようとしているだけダ。とんでもなく卑劣な奴だナ。イヤ、悪魔なんだから当然か?」


 アスモデウスがその言葉に唇を噛み締める。

 欺瞞というのならば、あるいはベルゼブブの言葉こそ欺瞞とも言える。ベルゼブブは事情を正確に把握し、客観的に分析した上で導き出した結論を述べている訳ではない。噛み砕いて言ってしまえばいちゃもん、究極的にはこじ付けでしかない。

 それをさも正論であるかのように述べているのは、そうする事によるアスモデウスの反応を楽しもうという、自己快楽に基づいた意図があるが故だ。

 それでもアスモデウスが反論しないのは、その言葉に対して何か思うところがあったのか、それとも自分でも薄っすらと理解しているところがあったのか、定かではない。


ゼロ


 しかしそれでも、戦闘を継続する意思は微塵も潰えていない。

 その対応をベルゼブブは、目論見が外れて落胆したような、それでいて同時に楽しそうな、正反対の感情が成立した表情で半円の口を描く。


「それでも、ここでキミを逃すつもりは毛頭ない。ここでキミを無視すれば、キミは彼の元に向かうだろう。今のタイミングでそれは不都合極まる」

「ジンに対する義理立てのつもりなのカ、それともオマエ個人の勝手な思惑なのカ、どっちかは知らねぇけどヨ、力を欲しているアイツに力を疎んでいるらしいオマエが介入するってのハ、アイツが言うところの三文役者の壮大な茶番ってやつだろうヨ」

「かもしれないね。だけどボクは翻すつもりも、ましてや折れるつもりも毛頭ない。そして加えて言えば、キミだけには言われたくないね!」


 再度アスモデウスが動き、ベルゼブブが回避する。

 アスモデウスのその攻撃に対して権能が通じないのか、途端に防戦一方に回り始めるが、それでもベルゼブブに焦りや苛立ちは無い。


「そうカ。なら1ツ、遊びをしようゼ」

「乗るわけが無いだろう」

「いいヤ、生憎オマエは乗らざる得なイ」


 ベルゼブブが指を伸ばし、自分の右手側を指し示す。


「ソッチに居ル、オマエが大罪王の素質があると評したガキ。アレも随分と美味そうだよナァ?」

「ッ、まさか食べるつもりかい?」

「そう聞こえなかったカ? アレを喰えれバ、さらにもう1割くらいは復調できそうだしナ」

「キミはどこまで――」

「おット、話はそこまでダ」


 顔色を変えて激昂しかけるアスモデウスに待ったを掛け、ベルゼブブが建物を蹴ってスタートダッシュを切る。


「それ以上何かを言いたかったら力ずくで止めてみろヨ」



 







 戦いの結末というものは、必ずしも劇的なものであるとは限らない。

 むしろ策を弄し、互いの戦術と戦術をぶつけ合い、それらを乗り越えた上で勝利を掴むなどという運びなど、余程双方の実力が高い水準にあり、同時に限りなく拮抗し合っている場合でなければ滅多な事が無い限りあり得ない。

 大抵の場合はどちらか、あるいはどれかの実力が勝っていて、下馬評通りの実力に勝る者が上手く試合運びをコントロールし、勝利を掴む。


「馬鹿、な……」


 アスヴィズがレフィアの外套の裾より伸びる、鋭利な刃の一本に貫かれて宙に吊るされながらも、息も絶え絶えながらに呟く。


「何を、した……?」


 負傷こそないものの、ルヴァクもまた眼前で起きた光景が信じられないかのように呆然としたように言葉を漏らす。


「べっつに、何も?」

「何を、した!」


 せせら笑うレフィアに対して、ルヴァクは今度は空虚なものではなく、しっかりとした激情が込められた言葉を叩き付ける。


 脳裏に描くのは、そうなった経緯。


 レフィアの用いだした魔道具は、言葉の通り思考を読んだ程度では完全に見切る事は難しかった。

 しかし、あくまで使用するのには意思が介在する事が必要である以上、完全に読む事が無駄な訳ではなかった。

 それを正確に把握した上で、多少仕留めるのが面倒になったぐらいで、大勢に支障は無いと判断した。

 そしてそれは実際にその通りで、着実な連携で少しずつだが一手を積み重ねて確実に、真綿で首を絞めるかのように詰めていった。


 問題なのは、その後。

 2人で万が一の相手の逃走も許さない為に、前後から挟んで構えていた時に、唐突にレフィアは反転した。

 そしてそのまま、まるで近場の店に買い物に行くかの如き気軽な足取りで悠々と背後に立っていたアスヴィズに近付くと、自分の魔道具を使いアスヴィズを貫いたのだ。


 一連の流れを述べるとそれだけの事だが、前提条件を付け加えれば、それが如何に異常な事かが良く分かる。


 何者も、行動する時には大抵の場合は何かしらの意図を持って行うだろう。

 そしてその意図は、頭の中に思考として浮かび上がる。

 思考してから動くのは生物として当然の事で、行動してからその意図を頭に思い浮かべる者など居ないだろう。

 そしてルヴァクは、相手の思考を読み取る事ができる。

 本人の言曰く魔眼系統に属するその能力は、レフィアの頭に、あるいは心の中に浮かぶ思考を次から次へと丸裸にし、その都度ルヴァクへと口頭によって、あるいは長年の経験による無言の行動によってメッセージとして伝えられ、その先回りをしてレフィアを追い詰めていっていた。


 その能力が、今回に限り役目を果たさなかったのだ。

 魔道具を使用するには、ただ念じるだけで良いのだから能力が役目を果たさない事に問題は無い。

 だがそれでも、反転して近付くという行動を頭の中に微塵も思い描かない事はあり得ない。

 そのあり得ない事が、目の前で起きていた。


「やっぱ思ったとーりだったか」

「何が、だ?」

「分かんないの? 【読心】の能力を持っているくせに?」


 ルヴァクは奥歯を噛み締める。

 揶揄するようなレフィアの言葉は神経を逆撫でするが、それでも言葉の通り、急にレフィアの内心が読めなくなったのは事実だった。


「でも不思議だよなー。頭の中が読めなくなってお前が動揺するのは分かるけど、なんでこいつまで動揺するんだろうな?」

「ぐッ……」


 尻尾のように外套の裾から出る刃が蠢き、串刺しにされたアスヴィズが苦鳴を漏らす。

 刃は左下腹部から胴体に入り、右の鎖骨下から切っ先を覗かせている。間違いなく重傷で致命傷だった。


「感覚……じゃねーな、視覚だ。お前の能力は【視覚共有】だ。それでこのじーさんと視覚を共有して、じーさんが読んだあたしの頭の中を、さも自分が読んだみたいに言葉を連ねていた」


 藍色の瞳を爛々と輝かせて、これ見よがしに刃を動かしてアスヴィズを甚振る。


「とんだ詐欺師だよな。ふつーにやってれば、真っ先に頭の中を読んで来る奴をつぶそーとする。でも躍起になって倒そうとしている相手は偽者で、本物はノーマークで読心にしゅーちゅーできる。

 中々上手い手だけど、それをじっこーするお前らがヘボ過ぎ。そもそも序盤でこのじーさんがあたしの攻撃をお前の警告無しに躱した時点で、既にボロが出てた」

「そう、かもしれねえけどな……」


 自分の相棒が痛め付けられている光景を見せ付けられ、内心で腸を煮えくり返してはいるものの、ルヴァクは鋼の精神力で持ってそれを押し殺し、迂闊には動かない。


「それと【読心】が通じなくなったのは、全く別の要素だろうが! 一体どうやって、未来視しかできないお前がそれをやってのけた!」

「馬鹿かよお前。頭の中が読めなくなったんなら、それまで読んでいた中身も偽物だとかいう結論に行き着かないの?」

「お前、何を言って――」

「つーかそもそも、たかが【読心】程度の低位の魔眼で、もっと上位に位置しているあたしに対して干渉できる訳ないだろ」

「なん、だと……?」


 驚きを露にしながらも、一方で冷静にレフィアの発言を脳内で検分しようとする。

 だがその結論が導き出されるよりも先に、再びその思考を停止せざる得ない光景が眼前で繰り広げられる。


「こいつ全然苦しまないし、もう飽きた」


 余っていたもう一振りの刃が風を裂き、アスヴィズの首を切断。

 緩やかに回転しながら頭部は地面に落下し、断面からは傾けられた水差しのように鮮血が溢れ出す。

 その溢れ出て地面へと零れる大量の血を、レフィアは尾を動かして自分の真上に落ちるように死体を移動させ、口を開いてその血を受け止めて美味そうに喉を鳴らして嚥下する。


「味はまーまーだな」


 満足したのか死体を放り捨てたレフィアが、血塗れの顔で凄惨に笑う。

 その歪められた口からは、人のものとは思えない大きさと鋭利さを持った犬歯が2本覗かせていた。


寄生種ダンピールか!?」

「あッ? あたしをあんな劣化版と一緒にすんなよ」


 レフィアの言葉の意味する事に、ルヴァクが再三驚愕を露にする。


「……あり得ない。吸血鬼ヴァンパイアは絶滅した筈だ! ティステアが遥か昔に絶滅させた!」

「吸血鬼って呼ばれる事の方が多いんだけど、まーそのとーり。絶滅はしてねーけどな」


 あり得ないという言葉が頭の中をグルグルと回り続けるも、一方でレフィアのその正体には信憑性もあった。

 病的という言葉ですら生温いほどの肌の白さに、同様に白い髪。

 瞳は今でこそ藍色だが、その前は鮮烈なほどに赤い色で、加えて全身をすっぽりと覆い隠すほどのサイズの外套を頭から被っているその姿。

 その全てが、彼女がヴァンパイアだからという理由で説明が付く。


「知らないのか? 作ろうと思えば、今でも吸血鬼なんて作れんだろうが」

「……【転血法】の外法を自分に使ったのか! この外道が!」

「外道、ねえ。こっちが好きでなったと思ってんの?」


 口周りの血を舌で舐め取ったレフィアが、据わった目でルヴァクを見据える。


「あたしがこうなったのは、元を正せば全部【死神】のせいであって、あたしは完全な被害者だっつーの。つーか、その魔法を生み出したの、他でもないティステアだろうが」

「なッ、戯言を言うな!」

「あーあ、お前知らないのな。つーかこの分だと、件の守護家の連中すら知らないのか? まっ、どーでもいーし、ましてやここで死ぬお前にはかんけーない話だけどな」


 急に醒めた表情となり、詰まらなさそうにルヴァクを見て吐き捨てる。


「心配しなくても、お前は眷属なんかにいらねーし、そもそも眷属自体があたしにはいらねーよ。だから……安心して死ねよ」











次回予告

死神が帝国を嘲笑し、姉妹が利を得ようと動く。そして煉獄の扉が開いた時、絶対の理が姿を現す……みたいな。


ディンツィオは作品の良心です。多分。


想定していたよりも文字数が倍近く多くなりました。大体1万と8000字あります。

しかしながら前回予告した手前、予告詐欺にしょっぱなからなるのはまずいだろうと思って分割せずに詰め込んだ結果、こんな事に。

とりあえず筆者は自分の構成力のなさを自覚して、次回予告は控えめにしようかなと思います。


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