怒涛の出し抜け
ティステア神国の領土内、だが王都ティステアからはやや外れた場所に、険しい丘の隙間を通るあまり人通りの多くない街道が存在する。
魔獣の数が多い訳ではないが、かと言って人通りも多くないが故に野盗の類も殆ど存在せず、加えて人にとって有益となるような植物が自生している訳でもない為に王都の近くとは思えない程に発展から取り残されて寂しい空気が充満している、そんな土地。
その土地に存在するとある丘の上には墓があった。
表面が黒い金属の光沢を持った素材でできたそれは、建てられてから多少の歳月は経っている筈なのに表面には小さな傷1つなく、人の気配が皆無なのを良いことに人目を憚る事無く存在していた。
「【死神エルンスト】ここに眠る。彼は何者よりも強く最強であり続けた……ね」
その墓の傍には、男が1人立っていた。
その男は墓を目の前にして何かをする訳でもなく、その傷1つない表面に反逆するかのように削り刻まれていた文字を読み上げる。
「笑えるな。何が最強だよ、死んでるくせによ」
男はその文面を口にして、心からおかしいと言わんばかりに笑う。
「いや、それとも皮肉なのか? 他人の手によって殺された奴を最強とあえて讃える、かなり高度な皮肉なのか? どっちにしろセンスは無いが」
スッと、男が背中に手を回す。
そこに背負われていた、剣身だけで身の丈ほどもある巨大な大剣の柄を素手で掴み、一閃する。
「くっだらねえ」
ただのその一振りによって、立てた者が壊されないようにと願いを込めて選ばれた材質によってできたその墓は、斜めの滑らかな断面を見せて半ばから切断される。
「全くもってくだらない。これを立てた奴は余程のアホかマヌケだな。でもって、こんな墓を立てられる方も度を越したアホだ。いや、アホだから死んだのか」
本来ならば本体の重さを叩き付ける事によって押し潰すのを目的に鍛えられている大剣で、相当な硬度を誇る素材でできた墓石を鮮やかに切断するその技量は卓越していたが、男はそれを誇る訳でもなく、成人男性よりも重いであろう剣を片手で軽々と扱い背負い直す。
そして自分の行った、人によっては罰当たりだと猛講義をして来そうな所業の起こした結果に対して一瞥さえもせず、別の方角を向く。
「さて、俺以外にも向かっている奴も居るみたいだし、俺もさっさと行くとするか。まさかリグの奴が殺されたりはしないだろうが、急ぐに越した事はない……いや、カイン曰く、急いたら事を仕損じるだったか? なら、のんびり行くとするか」
「【血防膜】」
新たに付けられた傷から零れた新鮮な血が、2人を包む薄い半球体の膜となる。
できる限り表面積を小さくする為に身を縮めた2人を包むその膜は、襲い掛かって来る獣が鋼糸の網に刻まれた際に引き起こる爆風とその衝撃に曝され、大きく形を変形させて弾けそうになるも、寸前で停止して元の形へと戻る。
その表面積に比例して薄い被膜はしかし、中に立て篭もる2人を爆発から完全に守っていた。
「あまり長くは持たないよ」
「分かってる。あとは任せてよ」
いくら最大限にその大きさを小さくしたとは言えど、それでもその膜を生成するのに費やしている血液量は尋常ではない。
既にそれまでに決して少なくない血を失っているユナは、さらなる出血を強いられた為に顔から血の気は失せ、低下した体温が原因の震えを両手で抱き締めて無理やり押さえ込む状況に陥る。
血の被膜には、互いに身を縮め合って表面積を小さくして尚も、それまでに消費した血液量と自分の体内に残っているであろう血液量を頭の中で算出し、絶対に安全だと言い切れるだけの出血量以上の血液が費やされていた。
それは確実に死に至る出血量でこそないものの、自分の能力を考慮した上で体外に出す血液量を自分の命に危険が及ばない量に抑える事を常としているユナからすれば、絶対にあり得ないであろう行動。
にも関わらずそうするのは、それだけ追い詰められているというのもあるが、もう1つシアが時間を稼げば打つ手があると宣言したが故の行動だった。
「ユナちゃんさ、余力はもう殆ど残ってないよね」
「……それが?」
「いやぁ、別に? ただ私も、これが失敗したら魔力なんて殆ど残らなくなっちゃうからさ、お互いに絶体絶命になるよねって事。スリルがあって良いよね」
「……もう楽しむ分には何も言わないから、こっちまで一緒にしないで」
「もっちろん。それぐらいの分別は持ち合わせてるよ」
ユナの言葉を半分聞き流しているであろう事は疑いようもない、白々しい声音で返答をしながら、接近して来る少女セイレを見据える。
「まっ、結果が上手く転ぶかどうかに、私は直接関係していないんだけどね」
既に乾き始めている、鼻から流れた血を拭うように舌なめずりをする。
そして手をそっと、地面に添える。
「いいねえ、こういう状況。勝負の行方を追うのに自分の働きが必要不可欠で、それでいて左右する事ができないもどかしい立場に居るっていうの。中々味わえない立場だよ」
地面に添えられた手の指先から、眼には見えない細い糸状の魔力が放射される。
影に覆われた地面には触れず、しかしそれでいて道中の獣たちの隙間を巧みに掻い潜りながら地を這うように進むその糸は、すぐに少女の下へと到達して通り越す。
そしてその放射した糸の魔力が目的のものと上手く繋がったのを感じ取ったシアは会心の笑みを浮かべ、その糸を経路に自分の魔力をありったけ注ぎ込む。
「回帰!」
送り込んだ魔力の終着点を中心とした限定的範囲にて、逆行時よりもさらに纏まった時間が巻き戻される。
ただしその対象は地面を侵食する影ではなく、地面そのもの。
覆い遮る影を挟んで能力による干渉を受けた地面は、急速にその状態を巻き戻していく。
少し前までの、沈む前の陽の光を浴びていた時の状態へと。
必然、光あるところに影は存在できずに急速に塵と形を変えていく。
さすがのシアと言えども、それほどの大掛かりな干渉は事前に楔を打ち込んでいても狭い範囲内にしか行えない。
しかしその範囲内には、他でもない周りの影の支配者である少女も立っていた。
そしてもう1つ、地面の時が回帰する事によって異変が発生。
影に呑まれていたものが姿を現し、自由を得る。
「殺っちゃえディン君」
「えっ……!?」
自分の身を守る殻を生み出す為の影さえも足下に存在しない為に、背後から迫り来る刃を反応すらできずにその身に受ける。
鋼の切っ先が背中から心の臓を貫き、薄い胸を割って頭を出す。
「なんで、どうして……」
「悪く思わないでくれよ。先に殺しに掛かって来たのは、そっちの方なんだからよ」
少女の呆然とした言葉に対する明確な解答は戻らず、代わりにディンツィオは剣を捻り、少女の胸を残酷なまでに抉り傷を広げる。
「いたい、いたいよぉ! やだ、やだぁ、やめてよぉ!」
「うぉおおおおあああああああああああああッ!!」
子供とは思えぬ程の力を発揮し、駄々っ子のようにもがいてディンツィオを振り払おうとする少女の体を、ディンツィオの咆哮が叩く。
同時に剣に対してディンツィオの魔法が発動し、混ぜられていた不純物が構造を変化、体積を急膨張させて鋭利な結晶となり、少女の体を内側からズタズタに斬り裂き貫く。
影に呑まれた筈のディンツィオが、傷1つなく無事で居られる理由。それは単純明快で、ディンツィオの時をシアが止めていたが故だった。
時の止まったものに対しては、いかなるものも干渉する事はできない。
その場を動かす事も、傷を付ける事も絶対に不可能。
それは事前に取り決められていた段取りでもなく、策ですらなく、ただの保険がたまたまこの時この場面で発揮されたに過ぎないが、それがそれまでの戦況をひっくり返していた。
「くた、ばれぇッ!!」
しかしあくまで、ひっくり返っているだけであって決している訳ではない。
今この時においても、秒が刻まれるごとにシアの能力の継続時間は減っていっている。それが底を尽きた時、ディンツィオが今立っている場所は瞬く間に影に侵されて彼自身は呑み込まれて終わる。
そして今の能力を維持しているシアに支援できるだけの余力がない事は勿論、主君の危機を敏感に感じ取ったのか攻勢を強めている周囲の獣に対処しているユナの支援も同様に望めない。その為ディンツィオは、この場において確実に少女を仕留める必要があった。
故に今の彼に、年端も行かない少女に対する容赦など微塵も存在しない。
形状の変化した剣をそのままに、少女の小さな体躯を貫いたまま持ち上げて捻り上げる。
体内で枝分かれした刃が、それだけの動作で肉を激しく攪拌し、新たな傷口を生み出してはそこから新鮮な血液を外に供給する。
それはやらなければやられる、その単純にして絶対の理を頭で理解しているからこその行動だった。
少女にそんなディンツィオの焦りと決心が綯い交ぜになった内心を理解している訳でもなく、ある意味ではディンツィオよりも単純な理由で、少女は力の限りの抵抗を行う。
絶対的な急所である心臓は勿論の事、主要な動脈や周辺臓器まで徹底的に破壊されていて尚も、少女の動きの端々には強い生命力が宿っていた。
宙に釣るされながらも、生きようともがき苦しむ少女の全身から魔力が無作為に溢れ出し始める。
少女の扱う闇属性の魔法の象徴であるかのように黒い不定形な靄が、まるで大火災の現場であるかのように溢れ出しては重力に従って地面へと落ち、地を這うように周囲に急速に充満していく。
そして直後に、靄という不定形な形すら失って雲散霧消し、暴風が吹き荒れる。
明確な目的を持たずに垂れ流された魔力は、その量こそ膨大であるが故に中途半端に術式が組み立てられては事象に成り切れずに終わり、術式崩壊を引き起こす。
「のわっ!?」
その術式の崩壊に伴う事象の成り損ないが、物理的な破壊力を得て周囲に撒き散らされる。
当然、その魔力の大元である少女のすぐ傍に居たディンツィオはその圧力を正面から受ける形となり、踏ん張り切れずに本人の意思に反して宙を舞う。
不幸中の幸いな事に、その奔流の破壊力はあたかも台風であるかのように中心部よりも外周部に向かうに比例して増大しており、それ故に至近距離に居たディンツィオはただ吹っ飛ばされるだけで済んでいた。
だが少女よりも距離を取っていたもの――ユナやシアは勿論の事、少女自身が生み出した筈である獣たちさえもその破壊の奔流を浴び、その不定形な身を瞬時に塵芥に変えては風に乗ったかの如く彼方へと飛ばし去って行く。
それと比べれば被害が軽微だったユナとシアも、能力によって展開された時間を逆行させる力場など紙の城壁であるかのように簡単に突破され、その次に立ち塞がるシアの張った鋼糸の結界も、ユナの血の被膜も等しくあっさりと散らされる。
「【岩壁】――からの固定!」
慌てて生み出された、即興であるが故に薄く体積も小さい、壁というよりは板と呼ぶほうが相応しい防壁の時を固定し、絶対不壊の盾としその後ろに隠れる。
間髪入れずに破壊の奔流が盾と衝突し、衝撃を壁越しに感じながらもシアは平行して魔力の意図を伸ばし、ディンツィオに直接打ち込んであった標と連結させて能力を使用。獣こそ居なくなったものの、代わりに影に覆われた地に頭から落下しようとしていたディンツィオを空中で固定し、嵐が過ぎ去ると同時に鋼糸を伸ばして絡め取り、能力を解除して自分たちの下へと一気に手繰り寄せる。
「くそッ、失敗した!」
本人からすれば意識が跳んでは場面が移り変わるという、大よそ正常な者ならば体感する事のない出来事を立て続けに経験している筈なのだが、まるで慣れ切っているかのように泰然とした態度で苦々しく吐き捨てる。
その視線の先に居るのは、胸部を中心に人体の急所を惨たらしく斬り刻まれながらも、両足を地面にしっかりと付けたまま傷を抱えるように押さえて呻く少女の姿。
魔族特有の人間ではあり得ない生命力をついぞ突破し切る事ができずに終わったのを確認し、同時にそれが自分たちの窮状を決定的なものとなった事を理解したが故の言葉だった。
「なくなっちゃえ……」
震える声で、だがその震えに紛れもない怨嗟の色を混ぜた声で、少女が言葉を紡ぐ。
「ものもひとも、せかいも、せいれをいじめるものなんか、ぜんぶなくなっちゃえ!」
眼に涙を浮かべて叫ばれた、子供特有の手に負えない癇癪。
ただの子供がそれをする分にはまだ可愛らしいが、今この時この場でそれをしているのは全身に継ぎ接ぎだらけの襤褸切れを纏った、重傷を負って血塗れの少女であり、絵面だけを切り取ってみても可愛らしさの欠片もなく、不気味さだけが漂っている。
その不気味さでもって行われた癇癪に合わせるかのように、さらに少女の全身から、傷口から流れ落ちる鮮血の如く魔力が溢れ出す。
「やばッ――伏せて!」
即興で生み出した盾を補強するかのように、今度は十分な量の魔力を費やして壁を生成して固定する。
直後にそれに強烈な圧力が掛かり、時が止まり不可侵となった筈の壁が小刻みに震えて軋みを上げる。
その圧力が術式の崩壊に伴うものである以上、少女の全身から溢れ出す魔力が持ち主自身の意図したものではない事は火を見るよりも明らかだった。
その意図しない、そして究極的にはただ単に垂れ流されただけの魔力が、シアの能力を打ち破るとまではいかないにしろ干渉できているという事実に、さすがのシアも戦慄を禁じえなかった。
「まだ上があるのかよ……」
ディンツィオがもはや恐怖すら帯びた言葉を、我知らず零すのも無理はないだろう。
周囲の地面は未だに影に侵食されており、少女によって発動された魔法の効果が顕在である事を示している。その範囲は眼に届く範囲はおろか、さらにその先にまで及んでいるであろう事は想像に難くなく、それほどの大規模な魔法を維持していて尚も、意図せずとも新たに魔力を外部に――それも勝手に術式を組んでは崩壊を起こせるだけの量を垂れ流せるのは、3人は知らない事だが並の魔族であっても不可能な芸当だった。
「……シアちゃん、あと余裕はどれくらい残ってる?」
「んと、絶好調の時の1割ぐらいかな」
「そっか、こっちもそんな感じ」
ディンツィオの奇襲が失敗に終わった時点で半ば分かっていた事だったが、改めて完全な窮地に立たされた事を自覚する。
状況を切り抜けるだけの術ならばいくつも思い浮かぶが、如何せんそれを実行するだけの余力が残っていない。
それどころか、取れる選択肢すらそう多くはない。
「フ、フハハハ。それは駄目だ、絶対に駄目だ。だから、失格な」
いよいよ腹を括るかという場面になって、突如として場に割って入ってきたのは、そんなイマイチ覇気に欠ける声。
対人会話能力に欠如した者が懸命に搾り出したかのようなその言葉は、耳が確かならば少女の影が侵食する地面より響いており、そしてそれが正しい事を示すように地表から影を割って何かが飛び出して来る。
「お、覚えておくと良い。ま、魔族を攻撃する時は、ぎ、銀か、できるならば真銀が望ましい。あ、生憎僕は真銀製の武器なんて高価なものは持っていないけど、銀メッキだけでも十分な効果を発揮してくれる」
「な……」
ディンツィオが開けた穴とはまた別の場所に、本人の言葉通りならば銀メッキの剣が少女の体を貫き穴を開ける。
少女は最初にその剣の切っ先を見て、次に首だけ背後に向けて、信じられないものを見たかのように眼を見開く。
「なんで、なんであなたが、せいれを……?」
「ちょい待ち、一体どういうこったよ?」
少女が、そしてある程度の内情を把握していたが故にディンツィオが疑問の声を上げる。
その言葉に、着古されて色褪せたボロボロの外套を頭からスッポリと被った線の細い人物が、ニコリという人当たりの良い笑みというよりはニタリという陰湿な笑みを、フードの下から覗かせる。
そしてそのまま、両手に握った銀メッキの長剣を一気に肩口へと引き上げ少女の体から抜けさせる。
当然その軌道上にあった少女の体は容赦なく斬られる。
「あ、あああああああああああああああああああッ!!」
その傷に、少女はディンツィオに貫かれ刻まれた時ですら上げなかった絶叫を上げる。
比べてしまえば、先ほどのディンツィオの奇襲による傷のほうが深く惨たらしい。にも関わらず、今刻まれた傷のほうが遥かに重傷で苦痛であるかのように、少女は傷を抑えて地面に倒れ、手からぬいぐるみが転がり落ちるのも構わずに悶え苦しむ。
「ええっと、誰?」
「あ、ああ、ごめん、名乗ってなかったね」
知識を持たず、また状況を把握できていないが故に発せられたシアの問いに、突然現れた人物は姿勢を正して外套のフードを取っ払う。
現れたのは、病人の方がまだ健康なのではないかと思わされる程に悪い色をした、中性的な造形をした幼さの残る少年の顔。
髪の色は魔族の少女と同じように白く、その蒼白を通り越した顔色と合わさって酷く儚げな雰囲気を醸し出している。
そこだけを抜き出してみれば、ともすれば神秘的という感慨を抱くのかもしれないのだが、生憎その人物の顔色の悪さと生来のものであろう陰気な雰囲気を秘めた表情がそれを不意にしていた。
「ぼ、僕の名前はキュール、キュール=ゼキア・ロムルス・アゼスタ・ユーグリオン。な、長いのは自覚してるから、キュールで構わない。い、一応【レギオン】のナンバー21の団員をやってて、ま、周りからは【不絶群体】って呼ばれている」
「キュールさん、どうして……?」
キュールの口上が終わるのと同時に、辛うじて意味ある言葉を発せられる程度まで回復したのか、息も絶え絶えに少女は再度問い掛ける。
「どうして、あなたが、せいれを、こうげき、するの……?」
「い、言ったでしょ、失格だからってさ」
「仲間……なの?」
その会話から、決して見知らぬ間柄ではないと判断したユナが、疑問の答えを得ようと口を挟む。
その問いに対して、少女の問いに対しての冷たさを感じさせられる答えとは打って変わって、おそらくは本人からすれば人当たりを良くしているつもりなのであろうニタリとした笑みを浮かべて答える。
「そ、それは違う。こ、この子はセイレって言うんだけど、確かに【レギオン】のナンバー49の団員ではあるけど、仲間なんかじゃ、ないね」
「同じ集団に所属しているんでしょ?」
「そ、その通りではある。だ、だけどこの子に関しては、少しばかり事情が複雑なのさ」
キュールが少女を冷ややかに見下ろしながら、淡々と語り始める。
「そ、そもそもこの子が【レギオン】に加わったのは、そ、それが団が受けた依頼だったから。き、気付いていると思うけど、この子は魔族だ。よ、より正確には、所謂半人半魔っていう存在。そ、そしてこの子の親は、この子が人間として生きる事を望んだ。
だ、だけどそれは、か、簡単な事じゃない。何せこの子は、じ、自分の力を上手くコントロールできないからね。
だからこの子の親は、子供を団に預けた。ぶ、無事に成熟して力をコントロールできるようになれば、そ、それで良し。だ、だけど万が一それができるようになる前に、ぼ、暴走を起こした場合、それが人目にさらされる前に速やかに処断できるように、ってね。そ、そして僕が、その監督者として選ばれた」
少女自身は知らなかったであろう、残酷とも言える契約内容をキュールは語る。
「け、結果はご覧の通り、だ。怪我をしたとは言え、力を制御できずに暴走させてしまうなんて、いつどのタイミングで同じ事が起こるか、分かったものじゃ、ない。だから、失格。け、契約内容に従って、殺す事になった」
「そんな……」
呆然としたように、少女が呟く。
「それじゃあ、みんなは、さいしょから……」
「そ、その通り。最初から、君の家族ごっこに、付き合ってあげてた、だけ」
「それが依頼で、契約が守られている限り、依頼を遂行するのが傭兵、だからね」
キュールの言葉を受け継ぐように、新たに同じ声音で同じ口調の言葉が紡がれる。
「……双子?」
「か、かもね」
先ほどとは違い、普通に歩いて姿を現したのは、キュールと全く同じ服装と外見をした人物。
顔色や眼の下の隈まで瓜二つのその姿は、むしろ双子でないと答えたら嘘だと即座に判断するであろうものだった。
「そ、そっちがキュールなら、さしづめ、僕はヤールって、ところかな」
「……最悪だ」
名乗りの口上に対して、そのまま受け取る以外のリアクションを返さないユナとシアとは正反対に、強張った表情でディンツィオは震えながらそう零す。
呼吸の仕方を忘れているかのように、小刻みに口から空気を吸っては吐き出すという行為を繰り返し、顔色もキュールに負けず劣らない蒼白へ急速に変化していく。
その様子からも、その震えが決して寒さから来るものではないのは明白だった。
「ち、ちなみに君に教えていた、君の父親の話も、真っ赤な嘘だ」
「さ、最初から彼は、君の事なんか、愛してなかった」
「単純に、厄介払いがしたかった、だけだ」
「も、勿論、団も同じだよ。多分だけど」
「ぜ、全員の内心を把握してる訳じゃないから、断言はできないけど、そう間違っては、ないと思う」
「ざ、残念だったね。同情は、しないけど」
「ど、どこにでも溢れてる、実に陳腐な、話だからな」
交互に連ねられる言葉を聞いて、転がる少女の表情に、見てそうと分かる絶望が浮かぶ。
その瓜二つの容姿で交互に言葉を発する光景は、見ていて薄気味悪さを感じるものだった。
「し、質問に対する答えは、こ、こんなもの、かな」
「な、何にせよ、この子を処断するのが、今の僕の役目」
「あ、あと、個人的には忍びないと思ってるけど、君たちを殺すのも加わった――」
シアがなけなしの魔力を振り絞り、周囲のときを止める。
その範囲内ギリギリに立っていた、後から現れた少年はその動きを完全に止める。
そこにすかさずユナが【流血刃】を放ち、タイミングを合わせてシアが能力を解除したところで圧縮された血液の奔流が胴体を薙いでいく。
「じゃあ、敵だね。容赦する必要がない」
「う、うわぁ。ヤールが、やられて、しまったよ」
状況こそ推移すれど、自分が消耗しきっているという事実は変わらないにも関わらず好戦的な笑みを浮かべたシアの言葉に対して、字面の割には対して驚きを覚えているようには見えないキュールが、胴体が分割されて即死した死体を見下ろす。
「フフ、じゅ、順当に考えれば、これで3対1。消耗していても、全員で掛かれば、あるいは勝機が見えて来る……そ、その考えは、間違いじゃない」
「な訳、あるかよ。無駄なんだよ……」
ディンツィオのその呻き声が聞こえたのか、キュールはさらに笑みを深める。
「だ、大正解。間違いじゃないのは、前提条件が、違う場合だ」
そう言うキュールの顔の輪郭がぶれる。
顔を含む頭部の左側部が外側に引っ張られるようにグロテスクに変形していき、程なくしてその変形した部分に新たに眼や鼻や口が現れ、すぐに元の部位とはまた別の新たな頭部となっていく。
それだけではなく、肩からは左手が指先から順に生えていき、手首まで外に出ていた。
腰からは胴体が、足からは足が、まるでそこに元々いたキュールは精巧な扉のアーチであったかのように、それぞれ新たに現れる。
ものの10秒も経てば、そこには全く同じ格好をしたキュールが2人立っていた。
勿論、2人のすぐ近くにはユナによって切断されて殺された死体が、そのまま残っている。
「や、やあヤール」
「ようキュール」
「フフ……」
「フハハ……」
何がおかしいのか、そんな短いやり取りの後に陰気に笑い会う。
そしてすぐに、また先ほどと同じように輪郭がぶれて体が変形し始めたかと思えば、彼らは数を倍の4人に増やす。
「な、ナールと、名乗ろうか」
「じゃ、じゃあ僕はムール、かな」
「だ、大体7人で良いかな」
「む、向こうは3人だし、ね」
「1人当たりに2人で」
「1人は保険として待機、だな」
「だ、妥当だな」
「ミールまで、出る訳だ」
「フハハハ……」
そう語り合う間にも数は増えていき、宣言通りに7人の同じ外見の人物がその場には立っていた。
「ぼ、僕の固有能力は【増殖】」
「お、同じ変異系統の【分裂】の上位互換だ」
「【分裂】と違って、い、色々と半分になる事はないけどな」
「た、例えば僕の魔力が10だとして」
「1回能力を使うのに、1の魔力を消費するとしようか」
「す、するとその時点で、ほ、保有する魔力は9になる」
「だ、だけどそれは1人あたりの話であって、増えたもう1人も、同じように9の魔力を持っている」
「け、結果として1人当たりの保有する魔力は減るけど」
「総量は18になって、む、むしろ増える」
「他にも、全員の僕の感覚は共有されたりと」
「か、かなり使い勝手が良い能力なんだ」
「し、思考は共有されないけど、な」
「あと、死の感覚とか、い、痛みとかも共有、されるけどな」
「でも、本物と偽者なんてものも、ない」
「し、強いて言えば、全員が本物」
「む、無理やり、初めて能力を使う前の僕が、ほ、本物だと仮定したら、そいつはもう、死んでいるし」
「そ、そう考えたら」
「ぜ、全員が偽者だな。フハハ」
7人が全員同じ口調、同じ声音で、順番に言葉を連ねていくその光景は一種の醜悪ささえあり、シアはともかく、ユナと、そしてディンツィオは隠しようのない嫌悪感を表情に浮かべる。
「ち、ちなみに先に言っておくけど」
「き、君たちは、ぜ、絶対に勝てない」
「げ、厳密に言えば、絶対に僕を、殺せない」
「何故なら、こ、ここに居る以外にも、僕は居るから」
「た、大陸の西の方にな」
「だから、か、仮にここで僕を全滅させたとしても」
「僕は絶滅しない」
「ま、まあ、そんな事態になったりは、し、しないだろうけどな」
「か、数の暴力は、た、大抵の場合において、絶対だから、さ」
「い、言っておくけど」
「僕らは別に、か、数だけの存在じゃ、ないよ?」
「ちゃ、ちゃんと個人としても、そこそこ、強かったり、する」
「て、【鉄剣生成】」
キュールの1人が魔法で長剣を手に生み出したのを皮斬りに、他のキュールも次々と魔法を発動させる。
「【尖剣生成】」
「【鉄槍生成】」
「【弓弩生成】」
「【短剣生成】」
「【戦斧生成】」
「と、となると魔法担当が、僕か。ぜ、全然構わない、がな」
7人が7通りの装備を整えて、半円に展開して3人を囲む。
仮にキュールが1人であったとしても、消耗しきった彼女らが相手取るには相当厳しいだろう。
加えて、数の優位性も失った今、結末がどうなるかは子供でも簡単に想像できる。
「そ、それじゃあ」
「さような――!?」
「……あれま」
一斉に掛かろうとした瞬間、7人の中で長剣を手に持っていたキュールが、突如として頭上から降って来た何かの下敷きになって押し潰される。
それを見ていた他のキュールたちは、そして3人は、各々で表情を浮かべる。
「なっ、あいつ――!?」
「エルジンっち!?」
「そ、それと、ジェメインさんか」
「探したぞ、キュール」
キュールの1人を頭上から踏み潰したジェメインが、離れたところに着地したエルジンを尻目に優雅に微笑みながら、残るキュールたちに対して自分の所業などないかのように優雅に微笑みながらそう述べる。
「少々汝らを貰い受けるぞ」
「ちょ、ちょっと待っ――」
キュールの返答を聞かずに、ジェメインは最も近くに居たキュールに手を伸ばして頭を掴み、能力を発動。
【同化】によって手で触れられた部分から順にジェメインの体内に吸収されるかのように一体化していったキュールは、言葉を発する暇もなく、瞬く間にその姿を消す。
そしてそれを行ったジェメインは、あたかも吸収したキュールの分だけ巨大化したかのように全身を膨張させて唇の端を釣り上げる。
「さて、鬼ごっこはこの辺りで終わりだ。望みどおり戦ってやろうではないか」
「これは驚いたな……」
日が沈んで間もない街中の、周辺一体で最も高い建物の屋上にしゃがみ込んだアスモデウスが、眼下に広がる街並みのとある区画を視界に収めながら興味深そうに呟く。
「まさか人界に、あれほどの原石が眠っているとはね」
視線の先にあるのは、広範囲に渡って魔法を展開する半人半魔の少女セイレの姿。
それを視界の中心に納めて、アスモデウスは原石と形容する。
「現状は取るに足らないけど、素質だけならばアモンやサタナキアと同等か、それ以上か。あるいは次世代の大罪王に足り得るかもしれない。これは望外の収穫といったところかな」
魔族の視点からすれば赤子と言っても問題がない程度にしか生きていないが故に、現時点の実力はそう高いものでもない。
しかしそれでも、磨きさえすればあるいは自分にも届き得るという評価を下す。
「その辺り、キミはどう思う?」
「オレの知った事じゃねェヨ」
立ち上がり、首だけを曲げて視線を背後に向ける。
そこにはまるで忌々しそうに――実際アスモデウスの事を忌々しいと思っているのであろう、ベルゼブブがポケットに手を突っ込んだ状態で立っており、唾を吐くジェスチャーをしながらそう答える。
「やっぱり来ていやがったカ。アイツを連れて行った挙句、ここにノコニコ戻って来るとハ、一体どういう了見ダ?」
「キミ如きに答える義理はない……と言いたいところだけど、ボクと彼の名誉の為にもい1つだけ言うならば、ここに戻って来たのは彼がそう望んだからだ。それ以上の他意はない」
対するアスモデウスも、ベルゼブブに対する嫌悪感を隠そうともせずにぶっきらぼうな口調で応対する。
「本音を言えば、ここにはできれば近付きたくは無かった。何せキミが居るからね。ハッキリ言って、顔を見たくも無い」
「そうかヨ。生憎コッチは会いたくって仕方がなかったゼ?」
「食べる為にかい? 見縊らないで貰いたいな」
反転してベルゼブブを正面から見据え、目を細める。
「まさかとは思うけど、往来の力を失った今の状態で、このボクに勝てると思っているんじゃないだろうね?」
「そりゃこっちの台詞だヨ。そんな随分と弱った状態デ、オレに勝てると思っているのカ?」
「言った筈だよ。見縊らないで貰いたいとね」
双方共に、相手が万全の状態ではないという事を把握した上で挑発し合う。
「端から見縊ってなんかいねェヨ。見縊るに値するような相手でもねぇからナ。
その上デ、身の程を知れっていう話をしてんだヨ。最下位の分際デ、人のモンにちょっかいを出すって事がどういう事なのカ、その身に刻んでやろうカ?」
「言ってくれるじゃないか。ただ喰らうしか能が無いクセに、よりにもよってこのボクを分際扱いとはね」
もはや相手に対する嫌悪感も戦意も隠そうともせずに、静かでいながら、同時に苛烈なまでに威嚇し合う。
「それと1つ、それとは別に訂正したまえ。彼は物じゃない、1人の人間だ。ましてや、キミの所有物などでは断じてない。
加えて、心臓を埋め込んで命を握った挙句に都合の良い駒にして良い存在じゃない」
「始まりも過程も知らないデ、結果を目にしただけのくせに訳知り顔で語ってんじゃねェヨ。何も知らねぇのに、しゃしゃり出るナ。つうカ――」
ベルゼブブが、両手をポケットから抜き取る。
そのまま鉤爪を作るかのように力を込められた手のひらに、横一文字に亀裂が走る。
そのまま亀裂は上下に開き、手のひらに子供の落書きのような、しかし生え揃った鋭利な牙と飢えを訴える呻き声だけではリアルな口が現れる。
「まだるっこいのは抜きダ。アイツの事を抜きにしてモ、前からテメェの事は気に喰わなかっタ。良い加減喰い散らしてやるヨ!」
「その言葉、そっくりそのまんま返そう。前からキミの事が目障りで仕方が無かった。堕天しようが、元神族であったというだけで反吐が出る!」
キュールは出すと会話の文が連続してしまうのがめんどくさいですね。読み辛かったら申し訳ないです。
因みに激突する双方が共に健在であったなら、未曾有の災害が発生してました。誰と誰がとは言いませんが。