再開と急転
右手にはザグバの死体が収まった、腐敗防止の術式が施された黒い棺に繋がった鎖を握る。
そして反対の左手は、おれの意思を余所にアスモデウスによって半ば強引に掴まれては相手の肩に回されて、結果として肩を借りる形となっている。
とは言え、その事に対して文句はない。
左足の怪我は、見た目こそ地味だが中身はかなり酷い事になっているらしく、碌に動く気配がない。止血帯を巻いて血を止めてあるのにも関わらず、誰かの力を借りなければ自力で支え無しには立つ事も困難なレベルだ。
一体どれほどの膂力で、どんな風に力を込めて握ればこんな傷を刻めるのか不思議なくらいだ。
そんな具合に、いまのおれは客観的に分析すれば相当注目を浴びるであろう事は疑う余地がない状態にある。
右手で棺を引き摺り派手な音を立てている事もそうだが、何より肩を借りている相手は、少なくとも見た目だけに関して言えば周囲から視線を集めて止まない。
だがいまのところは、そんな事になっていたりはしない。当然だ、既にその視線を投げかけて来るであろう住民たちは避難を終えているのだから。
それに、仮に逃げ遅れた者が居たとしても、おれやアスモデウスに対して注意を払う事はないだろう。
まだ他にも周辺を徘徊しているであろう【レギオン】の団員と不幸にも鉢合わせた時の事を考えてか、いまのおれはアスモデウスの権能の庇護下にある。
と言っても、アスモデウスの権能の真骨頂である無敵の状態になっている訳ではない。あれはあくまでアスモデウス本人に対してのみ可能な権能の使い方だからだ。
代わりにいまのおれは、おれ自身と権能を使っているアスモデウス以外には認識されなく――正確には認識され難くなっている。
それでも鋭い者――【レギオン】の団員に代表されるような強者には気付かれる場合もあるが、それでもやらないよりは遥かにマシだった。
もっともそれも、過ぎた警戒だったが。
「見えて来たよ。目的地はあれさ」
「…………」
アスモデウスに促されて視線を向けると、その先にあったのは銀の十字架のオブジェを掲げた、豪華絢爛さと神聖さという2つの要素を併せ持った巨大な建造物。
ギリギリ破壊の範囲の外に建っていたというのもあるが、それを差し引いても施されている各種防御魔法は要塞のそれに引けを取らず、近辺では最も頑丈かつ安全なシェルターと言えた。
「何か言いたそうだね?」
「一般的観点から言えば、あんたがあれを利用するのは許されないと思っただけだ」
それは神国においては珍しくない筈の神殿でありながら、国内はおろか大陸でも最大規模を誇る為に内外を問わず高い注目を集めている大聖堂だった。
「それもやはり偏見だね。ボクは神を信じているさ」
「信じてるだけで信仰はしてないだろう」
「当然さ。ボクは基本的に争いは好まないが、それでも目の前に神族を残さず滅ぼせる手段がぶら下がったとするならば、迷いなくそれに飛びつく自信はあるからね」
アスモデウスに肩を貸されたまま、閑散とした通りを進む。
程なくして遠くに多数の人々が集まっているのが見えて来る。
全員が身着のまま来たと言うような格好で、少数の武装した神殿騎士と思わしき者たちに囲まれたそのグループが、避難区域から来た者たちであるという事は考えるまでもなくすぐ分かる。
それぞれが不安そうな表情を浮かべ、時々遠方から響いて来る破壊音に対して首を竦めたりしながら、先頭の者から順に審査を受けた上で大聖堂の中へと入っていく。
「さっき来た時も思ったのだけど、彼らは所謂力の無い守られる立場の者たちである筈なのに、随分と落ち着いているね」
「信頼しているからだろ、他でもない5大公爵家の連中を」
アスモデウスの言う通り、避難民たちは不安そうな表情を浮かべ、破壊音に怯える素振りこそ見せるが、パニックになっている様子など欠片も見受けられない。
それどころか、こんな事態であるのにも関わらず全員が規則正しく並んで審査の順番を待っている。現在進行形で王都が襲われているのにも関わらずだ。
その反応の根底にあるのは、ティステア国内における5大公爵家の絶対的な権勢と積み上げられて来た実績。
彼らの膝下である王都での事変など、すぐに鎮圧されるという信頼から来るものだった。
「彼らか。確かに彼らは、このボクと言えども片手間という訳にはいかないね」
整列する避難民たちの横を堂々と進み大聖堂へと向かいながら、アスモデウスが記憶を掘り返すようにそんな事を言う。
その頭の中に果たして誰が思い浮かべられているかは分からないが、おそらくそれは5大公爵家の中でも上から数えた方が早い事は想像に難くない。
5大公爵家といっても宗家分家が入り乱れていて、その質はピンキリだ。そんな中で、最下位に位置するとはいえ現役の大罪王として君臨しているアスモデウスが片手間では相手できないほどの実力を持った者など、早々居ない。
「だけどボクが見た限りだと、その5大公爵家とやらは動いているようには見えないのだけど」
「…………」
アスモデウスが言った言葉は、おれも薄々と察していた事だった。
この襲撃がいつ頃から始まっているのかは不明だが、おれが落ちて来てから遭遇した5大公爵家の者はその時にその場に居合わせていた者たちぐらいで、それ以降は1人も遭遇どころか遠目に確認すらしていない。
勿論既に見ている以上は1人も動いていないという訳ではないのだろうが、どちらにしろ幾ら何でも動きが鈍すぎる。
まさか、動きあぐねているという訳でもないだろう。連中がそんな無能ではない事はよく知っている。
「まあ、ボクには比較的どうでも良い事なのだけれどもね」
神殿騎士が直立不動で眼を光らせ、1人1人を丁寧に審査した上で潜らせる扉を正面から堂々と開き、中へ身を入れる。
棺を引き摺る肩を組んだ2人組という、これが目立たないという世の中の方が恐ろしいような要素満載でありながら、誰にも気付かれずに済む。
直接危害を加えようとすればその限りではないらしいが、それでも強力すぎる。
戦闘にはまるで向かないのは事実だが、汎用性が極めて高く、それで利便さを併せ持った権能だった。
大聖堂の内部は、入り口付近こそ一般的な神殿や教会と変わらない礼拝堂ではあるが、少し外れればそこには駐在している神殿騎士や司祭や神父を始めとした教会関係者たちが暮らす生活空間、あるいは傷病者を治療する病院空間が広がっている。
そしてそれら全てが、いまは野戦病院か避難所のどちらかに変貌していた。
礼拝堂では自由に闊歩する事が困難な程度に人々が疎らに立ち、付近の者と言葉を交わしたり、あるいは不安を押し殺すように祈りを捧げている。
そこから少し進めば、そこには傷病者たちが地面に転がった状態で治療を受けたり、あるいは治療を受け終えて痛みに呻きながらも体を休める光景が広がる。
傷病者の数は齎されている街の被害と比べれば軽微なのかもしれないが、それでも100を超える数がホールを埋め尽くしている。
とは言え治癒士の数が足りていないという訳でもなく、特に慌ただしく動き回る事なく、順々に患者を回って行っている。
そうした人たちの側を抜けて奥に進み、階段を上った後もしばらく進んだり曲がったりを続けると、それまでの木造基の煌びやかな造りとは打って変わって石造基の無機質さの目立つ、通路よりも高い天井を持つ立方体の部屋に出る。
壁や床、天井には犯罪者を収容する牢獄以上ではないのかと思いたくなるほど厳重に各種の魔法が施されており、おれでは力ずくで突破する事はおろか、気付かれずに侵入する事すら不可能だろう。
そんな部屋の奥には周囲と同じかそれ以上に高位の魔法が何重にも施された木製ではなく鋼鉄製の扉が1つだけあり、その左右には当然のように完全武装の神殿騎士が2名、直立不動で立っている。
加えてその2人の他にも部屋の隅に各1人ずつ、計6名がその室内には居る。
個々の力量は見ただけの大よそのもので正確なところは不明だが、それでも1対1ならば勝てるが、2対1では勝ち目は薄く、3人同時に相手取れば確実に殺されるであろうという者。
能力の有無は不明だが、仮に能力者であった場合、さらに勝率は下がるだろう。加えて個々の連携度の高低次第では、さらにその数値は小さくなる。
それ程の実力者がその部屋を――おそらくはその奥にある鋼鉄の扉で遮られた部屋を守護していた。
そんな騎士たちの脇をアスモデウスとおれは堂々と闊歩し、扉に手を掛ける。
さすがにこのレベルを相手に察知されないというのは不可能だろうというおれの心配は、幸か不幸かあっさりと打ち砕かれていた。
2人が肩を組み、しかもガラガラと煩く棺を引き摺っているのにも関わらずだ。しかも後ろを見てみれば、きつく縛っても止め切れない左足から流れる血が、どうぞ後を追ってくださいと言わんばかりに点々と手掛かりを作っている。
おまけに触れれば発動するであろうタイプの魔法も、うんともすんとも言わない。
これはもはや、反則などという次元じゃないだろう。
「どなたですか?」
とは言え、さすがに重々しい音を立てて扉を開け閉めし室内に入ればその限りではないらしい。
その事実に少しだけ、内心の理不尽だろうという思いが小さくなる。
「ボクだ、シュマだ」
何故か当たり前のように受け答えをするアスモデウスに続いて中に入ると、そこにあったのは外の物々しさが嘘のような質素で落ち着いた作りの部屋だった。
置いてある家具は一目で安物と分かるベッドと机に戸棚。あとはこじんまりとした本棚ぐらい。
その家具の少なさ故に、相対的に数人がのんびりとできるようなスペースがあるものの、面積的には安宿と大差がない。
むしろこの部屋の至る所に施されている魔法の方が不釣り合いだった。
そんな質素な部屋の中には、3人分の人影。
1人は白を基とした、祭服と軽鎧が組み合わさったような特徴的な服を着た女。
服装からの先入観を差し引いても、穢れという概念を知らないのではないかという思いの浮かぶ純白の肌を持ち、見目好い瞳と髪は同色の赤。ただしユナのような鮮烈さやアスモデウスのような艶やかさは持った真紅とは違い、どちらかと言えば緋色に近い色。
「……お待ちしていました。そちらの方が、先ほど貴女が言っていた方ですね?」
元は棚に収まっていたであろう本を手に持った状態で椅子に腰掛けた女が、アスモデウスに対して粛々と頭を下げる。
先ほどの声の主は、もしかしなくてもこの女なのだろう。
何せ残る2名の顔は、とても見覚えのあるものだったからだ。
「なっ、あんた、一体いままでどこに行ってたのよ!」
驚愕を多分に含んだ声を上げて指差して来るのは、外の神殿騎士たちが身に着けているのと同じ装備を身に付けたアルトニアス。
その顔に懐かしさと、この場にある事に意外さを感じながらも違和感はない。所属を考えれば、少なくとも大聖堂内という括りで考えれば居るのは不自然ではない。
では何が問題かと言えば、もう1つの顔の方だった。
「ジンさん!」
「ぐふっ!?」
いきなり飛び込んで来たそいつ――ミネアに対して、両腕が塞がっているおれは抑える事もできずに腹部に突進を喰らい思わず呻く。
「ジンさんジンさんジンさん! すーはーすーはーすーはー……ジュルッ」
「おい」
鎖を離し、頭を掴んで無理やり引き剥がす。手に首から妙な音が鳴るのが手応えとして伝わって来たが、問題はないだろう。
そんな事よりも、服が謎の弱い粘性の液体で濡れているのが果てしなく不快だった。
「本物ですね、間違いなく」
「何でもって判断した」
「全てです」
「何を全てで括った」
「全部です」
「…………」
ひとまずそれ以上会話を成立させる事は諦める。でないと不毛なだけだ。
それよりも、アスモデウスが何とも言えない表情でおれを見ている事のほうが腹が立つ。
「……ジンさん、その足、誰にやられたんですか?」
「そうそう、彼の足を治療して欲しいんだけれども、できるかな? できればそれ以外にも念入りな検査と必要に応じた治療もしてもらいたい」
「承りました。お任せください」
「私も手伝うわ」
「待て待て、待てったら待て」
状況がめまぐるしく推移する前に口を挟む。
とりあえず流れに身を任せる事がどんなに危険な事かはいままでの経験で幾度となく理解している為、事態が推移する前に状況を把握する事に務める。
「まず、あんたは誰だ?」
「その問いには私が答えましょう」
明らかに本人が答えた方が早いのに、何故かミネアがしゃしゃり出る。
まあ、答えが分かるなら誰でも良いのだが。
「彼女の名前はティエリア=メリア・ルートゥレア……ミドルネームから分かりますとおり、神殿より聖女認定されている方の1人です」
「そうか、理解した」
疑問の答えが手に入った筈なのに、急に頭が痛くなって来た。
「では今度は私から質問して良いですか? そちらの方は一体誰ですか? 女ですか? 貴方の恋人ですか? 愛人ですか?」
「お前ちょっと黙れ」
「キミはさっきは居なかったね。ボクの名前はシュマという。よろしく頼むよ」
「……女の臭いがしますね」
「物理的に喋れなくなりたいか?」
「貴方にそれをされるのならば本望です」
「……それでアスモデウス、そんな聖女認定されるような奴とどうやって知り合った」
「いきなりこの部屋に現れたかと思ったら、ティオに対して相当に不味い怪我人が居るから、どうにか手当てできないかって捲し立てて来たわ」
アスモデウスの代わりにアルトニアスが答える。その答えからも分かるぐらい、状況は十分に混沌していた。
「キミにピッタリな腕前を持つ者を探して行き着いたのが彼女でね、ちなみに傍に居る彼女の記憶にキミの姿があったものだから、それも選択に加味させてもらった。それとボクの名前はシュマだと言っているだろう?」
「本当に黙ってくれ」
頭痛がさらに増した。
そして話を信じるならば、そこの聖女はアスモデウスの頼みを――魔族の頼みを聞き遂げたという事になる。
「えっと……ティエリア、だったか? 話の中における怪我人の立場であるおれが言うのも何だが、あんたはそれで良いのかよ。こいつは魔族だぞ?」
「それは知っています。ですが問題はありません。その人の頼みには誠意と、何より怪我人――貴方の事を重んじる誠実さが感じられました。
それに例え魔族であったとしても、困っているのならば手を差し伸べ話を聞き、できる限り手を尽くすのが私の役目です」
随分と清廉潔白な事だったが、少なくともアスモデウスの事を知っているというのには少し語弊があるだろう。
魔族であるという事を知っていたというのは事実だろうが、おれがアスモデウスという単語を出した時、その表情を驚愕のものへと僅かに変化させていた。
頼んで来た相手が大罪王であると知っても、前言を撤回しない上にそれが本心らしいというその高潔さには脱帽ものだが。
「アスモデウス……伝説に謳われている、よりにもよって【色欲】を司る悪魔ですか。一体ジンさんにどんなくんずほぐれつな事を――」
「黙れって言っただろうが」
「こういう面倒な偏見を抱かれるから、ボクの事を本名で呼ぶのを辞めて欲しいと言っているんだよ」
「良く分かったよ」
「いつまで私の目の前でいちゃついてくれてやがるんですか。いますぐ離れてください」
「3度までって言葉知ってるか?」
仮にミネアの言葉をアスモデウスが不快に感じた場合、人生に別れを告げるのに1秒掛からない。
そんな相手によくもまあ不遜な事を言えたものだと、ある意味感心する。
と、そこで椅子に腰掛けていたティエリアが、椅子から立ち上がり頭を下げて来る。
「エルジン・シュキガル様ですね。その節はお世話になりました。貴方でしたら仮に頼まれずとも、誠意を持って治療をさせて頂きます」
「その節……?」
言われて記憶を探るが、該当するものはなかった。
「ティオ、覚えてないらしいわ」
「……そのようですね。ですが関係はありません。仮に覚えてなくとも、私たちが受けた恩は変わりませんので」
どうやら、アルトニアスがおれの事を知っているのも同じ理由らしい。
だが、やはり記憶を探ってもちっとも該当するものがない。
別に不都合は無いだろうが、喉の奥に小骨が刺さっているような、何とも言えない不快感がある。
「それは置いといて、そっちは良いのかよ? おれは無能者だぞ?」
自分が無能者であると卑下するつもりは無い。おれは自分が無能者であるという事を、何ら恥だとは思っていない。
故にその言葉は、ただ淡々と事実を告げる為だけのものだ。
「関係ありません」
そして神殿関係者であるという事を鑑みれば、ましてや神殿内における立場を鑑みればそれこそが絶対にあり得ないような言葉を吐く。
「貴方の身の上は存じております。ですが、その程度の事が何だと言うのですか」
そうあっさりと言い放つが、その程度の事だけで、足を踏み入れるだけで完全武装の1個騎士団を派遣されるのが現実な訳だが。
「教義の下では、誰もが平等です。それをたかが魔力の有無程度で下に扱い、あまつさえ虐げるなど、それこそが言語道断です。
人は誰しもが生きる権利を持ち、またその為に助けを受ける権利を持ちます。その教義を曲げる事は私が許しません。
仮に貴方に対して恩が無くとも、私は貴方の事を助けます」
眼を見てそう言い切る。驚くべき事にそれは、紛れもない本心らしい。
随分と甘い事だった。
特に人が平等など笑止ものだったが、それでも神殿内でも共通した見解を知っていて尚も自分の主義を貫く程となると、逆に清々しくさえ思えて来る。
「本当に、私には良くも悪くも籤運があったという事ですね」
何かミネアが不穏な表情で呟いていたが、とりあえずスルーする。
「ミネア、お前、眼が……」
とそこで、違和感に気付く。
何かと言われれば答えられないが、何かしらの違和感をミネアを見て抱いていた。
「どうかしましたか、ジンさん?」
「……いや、何でもない」
気のせいではないだろうが、その違和感の肝心な正体が分からなかったので、ひとまず置いておく。
おそらくだが、その違和感の正体自体に害は無いとは思う。
「では、そろそろ怪我の治療に移りたいのですが、良いでしょうか?」
「それとジンさん、いままで貴方がどこで何をしていて、そこの人と一体どうやって知り合ってどこまでいったのか仔細までえええええええええええッ!?」
とりあえずミネアにはアイアンクローを噛まして黙らしておいた。
ミネアの追及を躱しながら受けた治療のお陰で足や腕の負傷を含む全身の怪我の全てが全快し、頭痛を除けば痛みも倦怠感も一切無く、ここ最近で一番調子が良い。
特にティエリアの治療の腕は能力がその手のものだった事もあり、アルトニアスのそれよりも遥かに上だった。アルトニアスだって腕は悪くは無く、むしろおれの経験上から言えば相当に良い方だが、その辺りはさすがは聖女と言ったところだろう。
「聖女、ね……」
ティステアにて建国当時より存在する、建国を始め民に対して尽力した初代の【願望成就】の能力者を聖女と崇め、また神族の連中を崇拝し信仰する、表向きはその聖女の願いを組んで弱き者に救いの手を差し伸べる大規模な慈善団体。
もっとも建国当初はどうだかは知らないが、いまでは長く続く組織には付き物の腐敗が重なり、肥大した武力を持ったティステアの5大公爵家側にとっての癌そのものと化しているだが。
ともあれ、その神殿に対して初代の聖女と同じように民に対して多くの幸を齎せる女性にのみ送られる称号のようなものが聖女だ。
その基準はティエリアのように治癒系統の能力持ちだったり、あるいは災いを事前に視て回避する策を提示する未来視の能力持ちだったり、その他様々な能力者が聖女として認定されている。
そして対象を聖女として認定するのは教皇のすぐ下の立場である枢機卿たちであり、認定された側は認定した側の枢機卿の権力争いの手札として用いられる事が多々ある。
おれの知っている聖女に関する情報はこれくらいだろう。正直言って自分にはあまり関係が無いと割り切っていたので、そこまで詳しい事は知らない。
「つうか、いまの状況は一体どうなってるんだ? 何で【レギオン】の連中が攻めて来ている?」
むしろおれにとって重要なのは、そっちの方だ。
「理由は私にも分かりません。というか、こと【レギオン】に関してなら貴方の方が詳しいのでは?」
「襲撃始まってからのこのこと到着したおれに、状況が把握できている訳が無いだろうが」
ミネアが使い物にならないとなると、やはりシロに聞くのが一番手っ取り早いか。
「ってかミネア、何でお前がここに居る?」
どう考えてもここにこいつが居るのはおかしい。
仮におれが魔界に行っていた間にアルトニアスと仲が良くなったと仮定しても、聖女と顔を合わせられる理由にはならないだろう。
「いえ、少々の根回しの成果だったのですが――まあ、先ほど無意味だと発覚したのでいまのところ理由は特にないという事になりますね。
それとジンさん、少しばかり話題はずれますが、貴方に報告しなければ――」
「聖女様」
話の途中で扉の向こう側から、警護をしていた騎士の1人の声が室内に響いて来る。
防音のしっかりした作りと魔法が施しがされているとはいえ、その施された魔法によってその防音性を一時的に無くしている中で喋れば、さすがに外の者に不審に思われる。
「どうかなさいましたか?」
「枢機卿猊下からの使いの者が来ています」
「……どうぞ、お入りください」
こちらにティエリアが目配せをするのと同時に、アスモデウスがおれの手を握り権能を使う。
そのすぐ後に扉を開けて入って来たのは、女性用の祭服を着て頭からフードを被って顔を隠した人物。
その入って来た人物が振り向き、扉が完全に閉まるのを確認してからフードを取る。
「……おい」
「おや、貴女は……」
「何でお前がここに居るんだよ」
アスモデウスの手を振り払い、権能の恩恵から外れる。
布の下から現れたのは、左目の周囲に痛々しい火傷の跡がある、乱雑に切られた黒髪の女。
つまるところは、情報屋のシロだった。
「ここは曲がりなりにも、教会が認定した聖女の個室らしいんだが? どうやって入った」
「書類一式と紋章を偽造した。あとは服装さえ繕えば簡単に入れる」
そうあっけらかんと言い放つが、それがどれだけ困難な事かは考えるまでもない。
改めてこいつだけは敵に回したくないと、再認識する。
それにしても、話をする必要があると実感した矢先に遭遇する事に、猛烈に嫌な予感を覚える。
「失礼ですが、どちらさまでしょうか?」
「後にしてくれ。それよりもジン、お前に言わなきゃいけない事がある」
この部屋の主であるティエリアが当然の困惑の声を上げるが、少なくともおれやミネアと顔見知りだと分かった為か外の騎士たちを呼ばずに声を声を掛けるが、シロはそれを後に回しておれに向き直る。
そこでようやく、シロが珍しく表情に焦りを露にしている事に気付く。
手に入れた情報を冷静に仕分けて分析する必要がある為に、ある意味では傭兵以上に常に冷静さを保つように心がけているシロにしては、それは極めて異例な事だった。
その事に驚きと疑問を覚える間もなく、シロが捲くし立てる。
「ベスタが攫われた」
「ッ!?」
動けたのは、右眼があったお陰だった。
最初に最も近かったシロを蹴り飛ばし、その反動を利用して聖女のすぐ傍まで移動。
そのままティエリアを突き飛ばしてアルトニアスへと預けたところで、左腕が肘から切断されて床を転がった。
エルジンが何年にも渡って判別できなかったアスモデウスの性別をミネアは一瞬で看破する。それがミネアの【並列演算】の能力(嘘です)。
投稿ペースが落ちてますが、その分1話当たりの文字数が随分増えているのでそれで何とか。