王都襲撃⑯
「自立思考を持ち、魔力の続く限り標的を追い続ける魔法……発想は悪くないが、無駄が多いな」
不死鳥の1羽が頭部をナイフで貫かれる。
本来ならば水でかき消されようが、剣で両断されようが槍で貫かれようが、構成に注ぎ込まれた魔力さえ残っていれば復活するという触れ込みの筈の不死鳥はそこで消滅し復活しない。
「蘇るという過程そのものも、元を正せば術式によって指示されたものだ。ならばその術式さえ破壊してしまえば簡単に封殺できる。
後に残るのは多大な魔力を無為に消費したという結果だ。人間相手にそれだけの魔力を注ぎ込むのは無意味に過ぎる」
「アドバイスをありがとう。今度開発者に伝えておくよ」
消滅して掻き消えた筈の不死鳥が、再び虚空より現れる。
しかも数は桁が1つ増えていた。
「ッ!?」
そしてリグネストが自分を囲むそれらに対処を始めるよりも先に、虚空に亀裂が走る。
その亀裂はあっさりと左右に開いて虚空に裂け目を創造し、そこから全てを呑み込むかのような吸い込む力が発生する。
それに対して地面に足を埋めて踏ん張るリグネストだが、周囲を取り囲んでいた不死鳥たちがそれを良しとしない。
リグネストがそうしなければ抗えない程の引力だというのに、まるで不死鳥たちはそんなものなど存在しないかのように優雅に羽ばたき、四方八方から襲い掛かる。
それに対して手に持ったナイフを振るい、1羽、2羽と対処したところで、今度は地面が消失する。
「マントルまで1名様ご案内……って言いたいところだけど、無理だよね」
重力が捕まえるよりも先にナイフを投げ、最も手近な木に巻き付けて体を引っ張り落下する事を防ぐ。
加えてナイフは体を引き上げた時点で既に回収しており、不死鳥の追撃にも難なく対処する。
続く虚空から発生した無数の投槍も、やはり傷を与える事は叶わないのか全て叩き落とされる。
その動作はアキリアの動体視力を持ってしてもナイフが何重にも見える程で、尚且つそれだけの動きをこなしているリグネストには慌ただしさや焦りといったものが一切介在していなかった。
だが物理法則を無視した攻撃はそれだけでは終わらない。
頭上に光が発生して見上げたリグネストの眼に映ったのは、眼が眩むほどの光を放つ光球。
それがいまにも爆発するかのように不気味に脈動しながら、高度を落としていた。
ギリギリで目を閉じる事に成功したリグネストだが、その一瞬にも満たない隙を狙いすましたかのようにその光球ごと、光を欠片たりとも漏らさぬかのような漆黒の密閉空間に閉じ込められる。
かと思えば、その空間に人が通れるほどの穴が空けられて中から転がるようにしてリグネストが脱出して来る。
直後に地響きが発生し、地形が独りでに変動し始める。
地盤がまるで束ねられた紙のように捲られ、間髪入れずに折り紙のように折り畳まれる。
危うくそれに押し潰されるところを、本人の言うところの砕点を突いて対処した後に襲い掛かるのは、流砂のごとく螺旋しながら沈んで行く周囲の地面。
即座にその範囲から脱しようと駆け抜けた彼を出迎えるのは、地上ではあり得ない地層による津波。
数億トンにも匹敵するであろう超巨大質量が滑らかに動くのは圧巻そのもので、さすがに規模が大き過ぎて範囲外に逃れきれずに呑み込まれる。
一方の周囲の地形と言えば、あれほどの変動があったのにも関わらず、まるで湖面での現象だったかのように誰の手も借りずに慣らされて元通りとなる。
その元通りとなった筈の地面に亀裂が走り、左右に割れて隙間からリグネストが跳び出して来る。
姿は服こそ汚れているものの全くの無傷。
そのリグネストの頭上に、再度光源が発生する。
「……これは凄い」
リグネストの口から零れたのは賞賛の言葉。
それは先ほどのような直視に耐えないような強烈なものではなく、柔らかさと物理的な暖かなを伴った光源。
それは天を埋め尽くすほどの巨大な炎球であり、第2の太陽だと言えば納得できるような大きさがあった。
「堕ちろ」
そんなものが地面に衝突して破裂すればどれほどの被害となるかは想像も付かないが、どれほどの惨事となるかは容易に想像できる。
そんな代物にアキリアは、あっさりと命じる。
そして炎球は命令に従って高度を急速に落としていく。
既に人の気配など無い周囲や標的であるリグネストはともかく、中心地にいるアキリアもまたその炎球の範囲内に居る為、被害は免れない。
だがアキリアの足元の円より立ち昇る燐光は頭上の炎球に触れる度にその部分だけを綺麗に消し去り、結果的にアキリア1人ならば簡単に収まるような歪な穴が生まれる。
もっともそれにしたって直接触れないだけで、数千から数万度にも達しかねない輻射熱はモロに浴びる筈なのだが、アキリアは服こそ熱風ではためかせているものの熱によるダメージは一切負っているようには見受けられなかった。
その原理は不明だが、ただ1つ確かなのは、このままいけばアキリアはともかくリグネストはただでは済まないという事。
それを理解しているのか、それとも理解していないのか、リグネストの表情からは焦りは見受けられない。
ただただ、眼前で起きている光景をそのままに認識しているだけで何の感慨も抱いていないような、良く言えば平静そのものの表情があった。
そうしてついに、炎球がリグネストを呑み込み地面に衝突する――直前で縦に真っ二つに割れる。
本来は炎という形なきものである筈にも関わらず、初めからそういう形であったかのように綺麗に半球に割れた炎球は、上昇気流を引き起こしながらも唐突に崩壊し雲散霧消する。
「いまのは少し肝を冷やした。そして何より熱かったな」
「そう……」
デタラメな結果にデタラメな言動。それらを目の当たりにしても、アキリアの方にもいささかの動揺も変化も見受けられない。
代わりに変化が起きたのは遥か上空。急速に暗雲が立ち込め、拳大の大きさの水の滴が次々と落ちて来る。
それは瞬く間に地面を水浸しにし、水かさは2人の足首まで達する。
「それじゃあ、これなら対処も間に合わないかな」
天から落雷が炸裂。
それも1つではなく、複数の雷が同時に、広範囲に渡って墜落。
いくらなんでも、同時に落ちて来るそれら全てに同時に対応するのは不可能。アキリアの推測は間違いなく正しかった。
ただし、対応不可能なのはあくまで落雷そのものであったが。
「……何をしたのかって、聞いたら答えてくれるかな?」
「やっぱり児戯だ。落雷そのものはどうしようもなかったから、落ちてから水を伝って来る伝導雷の方を斬った」
「……化物」
「ふんっ……」
アキリアの揶揄の言葉には答えず、その足下の絶えず燐光を立ち昇らせる光魔法による円陣を見据える。
「物理的な攻撃も、先ほどの炎球のような魔力的な攻撃やそれに伴う副次的な熱や衝撃も、そして自然現象による感電も無為にするか。さすがは神族の特権だ」
視線は元に戻され、アキリアへ。
「神術を人の身でありながら使うなど、正気の沙汰ではないな。一体どっちが化物だ?」
「…………」
「それにしても、さっきの炎球は少しばかりやり過ぎだったんじゃないか?
確かに周囲にはオレたちしかいないが、あれほどの規模のものともなれば、齎される被害は甚大だ。それに巻き込まれる第3者は皆無じゃないだろうに」
「私の知った事じゃない」
吐き捨てる訳でもなく、淡々とそう述べるアキリアにリグネストの口が左右に引っ張られる。
「……合理的だな。確かにその通りだ、何も間違っていない。実に悪くない。
何でこんなところに居るのかが不思議なくらいだ。本来ならばお前のような奴こそが傭兵をやるべきなんだよ」
「それも私の知った事じゃない」
「道理だ。先ほどまでとは別人だな。感情を消した……いや、閉じ込めたか」
地面から縛鎖が出現し、雁字搦めに捉えようとして砕かれる。
間髪入れずに何も無い虚空で大規模な爆発が発生。地面に張っていた水を吹き飛ばし、擂り鉢状の穴を穿つも、爆炎と衝撃を斬り裂いて現れたリグネストは無傷。
さらに突如として発生した、黄ばんだ煙もナイフが振るわれるだけで斬り裂かれて消失する。
「合理的な選択だな。集中や演算の足を引っ張る煩わしいものが取っ払われれば、能力の行使もスムーズに行えるようになるのだから。
だが普通は分かっていてもやらないし、できない。正しい事であると理解していてもそうと割り切れる人間は、驚くほど少ないらしいからだ」
「…………」
「ますます惜しいな、間違いなく生まれる場所を間違えている。どうして世の中はこうも絶妙な加減で上手くいかな――」
リグネストを中心に、地面が円形に潰れる。
その縦横無尽の亀裂が走った地面は周囲に対して数十センチにも及ぶ段差を築き上げ、尚も押し潰されているかのような音は響き続けており、当然その不可解な現象は中心に立っていたリグネストをも襲っていた。
だがその音も、やはりナイフの一閃で途切れる。
「……舌を噛んだ」
血混じりの唾を吐き捨てる。
しかし裏返せばそれは、いまので受けた被害がそれだけであるという事でもあり、そしてそれ自体に何かを思っている様子もなくリグネストの表情は動かない。
「正の気圧じゃ駄目か。なら……」
付近に生えていた、1度はアキリアの手によって復元された樹木が突如としてバラバラになる。
いや、それは樹木だけでなく同様に付近に存在していた建造物を含む物質も同じで、巨人が引っ張って千切っているかのような不可解な現象と共に次から次へと姿を無惨なものへと変えていく。
「負圧に引き裂かれて死ね」
リグネストの服に覆われていない、露出した肌に細い切り傷がいくつも浮かび、そこから傷口の大きさには到底見合わない量の血が噴出しては、地面に落ちずに周囲のものと同じ方向へと飛んでいく。
「やはり無意味だ」
傷こそ刻めたものの、どれも擦り傷と言って差し支えない程度のものであり、それ以上の重傷を負わせる前にまたナイフが煌めく。
「発想は悪くない。無いものを斬る事はできないからな。
だがそれによって発生する引く力は別だ。どんなものであれ、現象である以上はオレには通じない」
「だったら挟まれて死ね」
左右の地面から一辺が数十メートルにもなる立方体に切り抜かれ、互いに面を合わせるように勢い良く綴じられリグネストを挟み込む。
「溶けて死ね」
その2つの立方体が綺麗なブロック状にバラバラになると、虚空から無色の、しかし水ではない液体が降り注ぎブロックを片っ端からグズグズに溶かす。
かと思えば、今度は真っ赤に煮え立った粘液が降り注ぎ酸を気化させ爆発を引き起こし、その前の酸とは別の理由で溶解させていく。
「さて、次は酸欠による窒息死を狙ってみるか? さすがのオレも触れもしない無いものをどうにかする事はできないからな、良手と言えるだろう。
だがいまからやったとしても、目論見を達成するには優に5分以上は掛かるだろうがな」
「余計なお世話だね、もうやってるからさ」
アキリアの言葉に、僅かだけリグネストは空気を吸い込もうとして失敗するのを確認する。
それ自体に、何の問題も無い。自分自身が先ほど述べた言葉に嘘は無く、既に肺の中にある空気だけで、戦闘をしながらでも優に5分は持つのだから。
それだけの時間があれば、正確な範囲こそ不明ではあるが、例え妨害を受けながらでも無酸素空間の外へ出ることは十分に可能だろう。
ただその結果に、またさらに口元が動く。
「まあでも、生憎私は窒息死するのを待つなんて悠長な事をするつもりは毛頭ないよ」
ゴゥッと、唐突に周囲で炎の演舞が始まる。
魔法ではあり得ないほどに優雅なその舞は、事実魔法によるものではない。魔法による炎を生み出すには、その場には決定的に条件が足りていなかった。
「ハハッ、燃焼に必要な酸素が無い空間に炎を生み出すか。物理法則など無いに等しいな」
いくつもの纏まった炎が、まるで海中を優雅に泳ぐ魚のように飛び回り、退路を塞ぐように少しずつタイミングをずらして全方位から襲い掛かる。
しかしリグネストは、その炎の演舞と同じかそれ以上に優雅で滑らかな動きでことごとく回避し、あるいは斬り裂き雲散霧消させる。
途中に織り交ぜられていた不可視の刃すらも、眼に見える物的攻撃も均等に炎と同じ末路を辿らせたリグネストが、僅かな間に気持ちだけ息を吐き、表情を豹変させる。
ヒビ割れた、おおよそ普通の人間が意図的であっても浮かべる事はできないであろう笑みを浮かべる。
「素晴らしいな……」
それまでの淡々とした言葉とは違う、僅かなりとも陶酔、あるいは賞賛といったものが感じられる声音。
その声音を引き出したアキリアの頭上およそ3メートル、その虚空に霞み掛かった揺らぎが生じたかと思えば、形無いものであるはずのその揺らぎが集まり形を成していく。
黒く暗い、しかし一目見れば不思議と真紅であると理解できる色の鱗に覆われた皮膚。
鼻腔は頭部の大きさに反して小さく、また頭部の大きさに対して細く長い鰐のような顎は大きく、その中には規則性に溢れた並びの真珠色の見るも美しい牙。
瞳は左右に各2つずつ存在しており、金色の縦長の瞳孔がリグネストを見据える。
その眼球よりやや後方上部に存在するのは、滑らかな曲線を描く巻角。
それは魔族という括りの中でも、人型を除けば最強の個体として君臨する竜種の上位種として君臨する、人型の魔族では足元にも及ばず、大罪王ですら舐めて掛かることは許されない古代竜の頭部だった。
本来ならばそれに続く蛇のそれに良く似た、しかしそれよりも遥かに強靭で雄々しい胴体が繋がっている筈なのだが、そこに生じているのはどういう訳か頭部だけだった。
しかし頭部だけであってもその存在感や威圧感は、紛れも無い本物だった。
「消し飛べ」
顎が開かれ、橙色の火球が喉奥に発生する。
そして限界まで膨張したそれが射出。少し前に襲って来ていたナーガの吐き出すそれなど児戯にしか思えなくなるような、生み出された火球の直径の数倍にもなる直径の熱線が放たれ、一直線にリグネストへと向かう。
「フ……ッ!!」
その輻射熱でさえ凶器となる熱線に対して、リグネストが選んだ選択は迎撃。
ナイフを順手に握り、空いた手は反対の手首へ。
腰を落として重心を据え、踏み込みと共に熱線の中心へと切っ先を突き込む。
蟻と巨人、あるいはそのまんま人間と古代竜という、誰がどうみても無謀な相対図の齎すであろう結果は予想するまでも無く人間側の敗北だ。
だが立ち向かう人間もまた、常人ではない。
ただの無謀な抵抗も、彼の【超感覚】によって見出された針の穴にも劣る微小な核を捉えれば、結果は覆る。
「ハハハハハハハハハハハハッ!!」
リグネストが初めて、その戦いの中において心の底からの哄笑を上げる。
ナイフに真っ先に当たった熱線は、そのナイフの切っ先によって四方に逸れてそれぞれの進行方向に甚大な被害を齎す。
しかし代わりに、当のリグネストは直撃を避けて無傷で済んでいた。
「素晴らしい、全く持って素晴らしいな」
否、無傷ではない。
ナイフを握る右手は熱線の輻射熱によって焼け爛れており、かなり酷い火傷となっていた。
しかし言い換えれば、負傷らしき負傷はそれぐらいなものだった。
「かつて仕留めた個体よりも遥かに強大だ。それを頭部だけとは言え、無から命を吹き込んで生み出すか。その能力はそれほどのものか!」
「…………」
熱線を吐き出すという役目を終えた古代竜の頭部は、元通り揺らぎ霞となって消え失せる。
「ますます期待が持てて来た。希望が持てて来た。きっと、オレの願いも成就する」
最初の平坦さと平静さが嘘のように、しかし言葉では形容し難い、確かに何かが篭った声音でリグネストが語る。
その言葉の意図するところは、願いを叶えるというもの。
誰が考えても私的なものであり、そしてリグネスト=クル・ギァーツを知る者からすれば、彼に近しい者であればあるほどに絶対にあり得ないと否定するような言葉。
それが彼を動かしていた。
対するアキリアはそんなリグネストとは対照的に、静けさを保っていた。
まるで両者の中身が入れ替わったかのような、そう言われても納得できてしまうほどに両者の変わり様は顕著だった。
「……死ね」
そんな彼女の口から零れたのは、オブラートも何もあったものではない端的かつ理不尽な要求。
しかし言葉とは裏腹に、その声に憎悪や殺意といった者は一切含まれていない。
先ほどのリグネストの推測どおり、感情がしまわれているが故の淡々とした、抑揚といったものが皆無な声音だった。
その声音を用いて言葉が紡がれる。
「死ね死ね死ね死ね死ね、全員死ね。この能力を利用しようとする人は皆残らず死ねば良い」
「物騒な言葉だな。感情を閉じ込めたが故に、普段は理性という蓋をしてある本音が出て来たか」
冷静かつ的確に、唐突な怨嗟に溢れる、しかし声には一切の抑揚も感情も乗っていない言葉を分析する。
アキリアによって紡がれた言葉は、本来ならば能力によって結果に変わる。
しかし過程を指定しない、ただ直接的な死という結果のみを生み出すにはリグネストという相手が悪過ぎた。
状態を生から死へと直接書き換えるには、リグネストの抵抗力はあまりにも高過ぎる。
保有する魔力の量もさる事ながら、その魔力を運用する為の魔法の才能を持たないからこそ、リグネストの魔力抵抗力は群を抜いていた。
純粋な人間の範疇内に限れば、間違いなく大陸でも最高のものを持ち合わせている。
だからこそ、アキリアも過程を指定した現象を引き起こさせていた。
「誰にもこの能力を利用する権利なんて無い。その権利を持っていて、好きなように使って良いのは1人だけだ」
「正しいな。お前のその言葉は何も間違っていない。至極当然の、考えるまでも無い事だ。だがそれではオレが困る」
アキリアの何も宿さない瞳がリグネストを見据える。いや、射抜く。
その視線を真っ向から受け止めて、リグネストは嘘くさい笑みを浮かべる。
「なら死んで」
再び揺らぎが生じる。
ただし、今度の数は先ほどよりも遥かに多い6つ。
何も存在しない筈の虚空に突如として6頭分の、だが気味の悪い事に僅かな個体差も見られない古代竜の頭部が出現する。
「末恐ろしいな。そして確信を持てると訂正した方が良さそうだ」
現れた古代竜の全てが息吹を吐き出そうとするのを見て、リグネストは焼け爛れた手からナイフを手放す。
重心がそう調整されているのか、手放されたナイフは切っ先が下を向いた状態で地面に落ち、自重によって根元まで埋まる。
「だがそろそろ宣告した残り時間は1分ほどになる。終わりにするとしよう」
熱線が吐き出される寸前で、地面に刺さったナイフの柄頭をリグネストが踏み付ける。
成人男性分の重みが加わった事もあり、ナイフはさらに地中深くまで沈む。そして唐突に地面が、強烈な地響きと上下震動と共に横一文字に割れる。
ちょうどナイフが埋まった部分を境界として、刺さったナイフを梃子代わりに押し開いたかのように滑らかな断面を見せながら地面が開かれていく。
それもただ開かれていくだけでなく、リグネストが立っていた片方は急速に沈んでいく。
その余りにも唐突な事態に、古代竜の頭部たちは追いつけずに熱線を吐き出し、まるで関係ないところに被害を齎す。
それでも尚揺れは収まる事無く、むしろ返って強くなったかのように続く。
アキリアはその光景を、ただ静かに観察していた。
生み出した竜の頭部が掻き消えた後もジッとしたまま動かないのは、彼女が動くことができないが故だった。
正確には、その場から1歩でも動けば彼女の足元に展開している円陣の効果が消失する為だった。
だからこそ、先ほどからアキリアはその場を動かずに魔法と能力のみで戦闘を続けていた。
「…………」
アキリアは、自身の鋭敏な魔力探知の感覚でリグネストの所在を探ろうとして辞める。
既に周囲には自分が放った魔力の残滓が充満しており、彼女の感覚は殆ど意味をなさなかったが為だ。
リグネストの魔力の隠蔽はアキリアと比べれば完璧には程遠いものだったが、それでもその膨大な魔力量を、周囲に充満する魔力に紛れさせる程度に抑え込む事はできていた。
「ッ!?」
直後に、足元の地面が爆ぜて足に浅くない傷を負う。
「この円陣を正面から破るのは、魔法の技能を持たないオレには不可能だが――」
地中を土竜のごとく掘り進んで移動したリグネストに傷を負わされ、強制的にその場から足を動かされる。
結果、展開していた円陣は露となって消え失せる。
「地の下から向かうものは対象外だったな」
さらにリグネストの行動はそれでは終わらず、素早く地面より這い出ると、立ち上がりざまの刺突を放つ。
しかし地中から体を出すという余分な動作を要する為に、その動作に移行する前にリグネストの姿を捉え、尚且つ円陣の放棄を即座に決断していたアキリアは余裕を持ってその刺突を回避する。
いや、回避しようとした。
「な――ッ!?」
後退するだけで回避できる筈が、その後退の1歩を刻む事ができなかった。
右足を軸足にナイフによる傷を負った左足を後ろに下げようとして、その前にリグネストに右の人差し指を膝の関節の間を縫うように突き入れられて左足の動きが完全に停止。
その隙を逃さずに這い出たリグネストの左手に持ち替えられていたナイフの刺突が、右腕の第2関節を捉える。
そのままいけば腱を立たれるという事を理解する前に、反射で左腕を動かそうとして、それよりも先にナイフが引き抜かれて翻り左手の甲を通過し中手骨を切断。
それらをリグネストに対して半瞬遅れて認識し、距離を取ろうとして既に軸足としていた右足を踏まれて固定されている事に気付いた時には、鼻骨目掛けて頭突きが叩き込まれる。
喉奥に生暖かい鉄の味が流れ込むのを自覚しながら、右の拳を握り振るおうとして一瞬早く腕をリグネストの左手が掴んで押さえ、右の逆手に持ち替えられたナイフが喉に突き込まれる。
「――!?」
声帯が断裂しているが為に声にならない空気が漏れる。
だが常人ならば致命傷となっている筈のその傷も、アキリアにとっては致命傷足り得ない。
しかしそれはリグネストも百も承知か、その刺突が決まっても満足しないと言わんばかりにナイフを引き戻して大腿筋を切断したかと思えば反転し、下腹部に向けて一閃される。
互いの呼気が相手の鼻先に掛かりそうなほどに狭い距離において、あまりにも一方的な流れだった。
アキリアとて何もしていない訳ではなく、しようとはしている。しかしそれが行動に移る前にリグネストのナイフないし手が翻り、先手を打ってその行動を事前に封殺する。
結果残るのは、傍から見れば一方的にしか見えないないリグネストの猛攻。
【超感覚】の本分である、五感をフルに活用して相手の動作の起こりが発生するのを捉えて制圧する。それはかつてその能力を借り受けていたミズキアでも不可能な芸当であり、またその間合いはそれを可能とするリグネストの絶対の間合いだった。
その事に思い至り、また自身の近付かれてはならないという勘が正しかったという事を確認したアキリアはすぐにどうするべきかを冷静に推測して決断する。
右腕を動かそうとして、その前に既にナイフが上腕を貫く。だがそれは想定していた事であり、その痛みを無視した上で腕の無事に構わずに無理やり腕を捻り上げる。
既に腕に刺さっているナイフの斬れ味は凄まじく、ただ動かすだけで簡単に肉を斬り裂いていき、上腕から手首に掛けて一直線の傷が刻まれる。常人ならば2度と使い物にはならない。
だがそれだけの代償を払った甲斐があり、リグネストの手からナイフがもぎ取られて地面に落ちて転がる。
しかしそれを成し遂げたアキリアの脳裏を過ぎるのは、自分のしようとした事以上の結果が齎された事に対する微かな不信感。
「まあ、そうするだろうな」
元々は右腕を捨てて、相手のナイフを振るう手を一瞬だけ遅れさせてそれを足掛かりとする事が目的だったが、それどころか相手の武器を奪うという結果に転ぶ。
それが相手の思惑通りであるという事は、他でもない本人の言葉で証明される。
「合理的な奴の思考は読み易くて良い」
右腕ないし左腕のどちらかを捨てて一瞬の時の猶予を得る。
合理的に考えればそれが最小の被害で最大の成果を得られる最も賢い選択であり、故にリグネストにとっては相手と同じ立場に立って考えてみれば簡単に推測できる事柄だった。
「お陰で胴ががら空きだ」
終始その隙を見出す事だけに集中していたリグネストが、ナイフを捨て去り無手となった状態で両手の拳を握り込む。
そしてアキリアが体勢を立て直す暇も与えずに、左の拳を肝臓に叩き込む。
さらに間髪入れずに右の拳が丹田を貫く。
左右の拳が交互に、さらに続けて右腎臓、水月、人中、左腎臓、眉間の順番に打ち込まれていく。
そして最後に、右の拳が心臓を打ち据える。
「あっ……!」
それまでのどこか抜け落ちた表情に色が戻り、同時に体勢が揺らぎ腰が落ちる。
本来ならば再生が始まる筈の傷はそのままで、おびただしい量の血が流れる。
「最初に願われたオレの死も、それを実現させる現象を引き起こす為の魔力が引き出せなければ引き起こらない。そして引き起こす事ができなければ、誰の手にもよらず自然と解除される」
尻餅をついたアキリアを余所に、悠々とした足取りで奪われ地面に落ちたナイフを拾い上げる。
その後ろ姿は隙だらけだったが、アキリアはその隙を突く事はおろか、魔力を動かす事もできなかった。
それはかつて最強と称えられ、同時に【死神】の呼び名で恐れられた無能者の傭兵が完成させた、無能者の為の無能者にのみ使用できる筈の技。
それをリグネストは使っていた。
「【無拳】というらしいな、この技は。喰らえば魔力を用いた行動の一切合財ができなくなる」
「……知っているよ」
「おや、そうだったか。なら詰みだという事も分かるな」
アキリアの回答の声に宿るのは、確かな抑揚。
眼に見える現象の起こりがなくとも、リグネストの言葉通り【無拳】が決まったという事を、能力によって閉じ込められていた感情が戻っている事が裏付ける。
「実に悪くなく、実に惜しくはあったが、それは裏返せば足りていないという事だ。言った筈だ、真剣さが足りないと。
多少はマシにはなったが、それでもまだ足りない。オレを殺したくば周辺一帯を纏めて吹き飛ばすような事象を起こせば良かった。そうすればオレには抗う術は無く、お前の勝ちで終わっていた筈だ。古代竜をも創造できたのに、それができない訳が無い。加えてそうするチャンスなど何度もあった筈だ」
「冗談、言わないでよ。一体どれだけの人が巻き込まれると思っているの」
「だから真剣さが足りないと言っている」
リグネストの言葉は異常で、アキリアの言葉こそが正しい。大抵の者ならばそう思うだろうし、決して間違ってはいない。
「目的を達成するのに手段を選んでどうする。その結果がこれだ」
「…………」
「本当にお前は生まれる場所を間違えた。むしろ読み易くあるほどに徹底した合理的な思考に、生まれ持った能力と魔力にそれらの運用。どれも間違いなく最高峰のものだ。
あとは10回ほど――せめて数回戦場を経験していれば、何の躊躇いもなく思考に従って行動する非情さを持ち合わせて、願ってオレを殺していただろうな」
向けられる視線には何も宿っていない。
ただ単純なまでに客観的に分析した結果を淡々と述べているのみであり、それは本心で思っている事ではあっても、それ以上に含む対人的な情の類は一切宿っていなかった。
「だからこそお前相手ならばこうなると考えた訳だが……まあ、そんな事はどうだって良い。大事なのはこういう結果になったという事実だ」
ナイフをアキリアの首筋に突き付ける。
魔力を扱える者と扱えぬ者、その2人の間には絶対的な格差が存在し、決して覆す事のできない次元の差が鎮座していた。
「それじゃあ、勝者による弱者の搾取に移るとしよう。ミズキア曰く、勝者にはその権利があるらしいからな」
Back Spaceキーを押す→何故かPCが強制シャットダウンされる→数秒後に押したのがPowerキーである事に気付く→慌てて再起動してもやっぱり苦労して作業した分は消えている→涙目になりながらも何とか記憶を辿って文面を再現するも曖昧で何か違う気がする(今ココ!)
もし思い出したら後日書き直すかもしれないです。皆さんも気を付けましょう。
とりあえず自分は近日中にキーボードを買い換える事にします。Powerキーなぞ要らん。
それはさておき、アキリアvsリグネスト戦決着。
当初よりも倍以上の分量になりまして、最初の方に書いていたユナシアコンビvsセイレとシェヴァンvsアベルは分割して次回以降に回す事にしました。