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王都襲撃⑭

 



「邪魔が絶対に入らないように、ね……」


 遠方で立て続けに引き起こっている、魔法と破壊の下手くそな多重演奏の余波が届かないギリギリのところで、中身の入っていない木樽の上に腰掛けたカインが感慨深そうに呟く。


「散々色々と根回ししたりと動いていたのに、巡り巡ってそれまでのとは正反対の事をやれってんだから無茶を言う。

 まあ、その事で1番苦労してんのはあの人なんだろうから、文句も言えないんだけどよ」


 腰に提げてある剣は、新調したばかりなのか使い込まれた感も無く、むしろ柄頭に括り付けられている傷の付いた鈴の方が似つかわしくないように見える。

 普段ならば自分の意思で引っ切り無しに鳴らしているそれを、カインはその時に限って鳴らしていない。

 代わりに両手の指先で重ねて挟み込んだ、金銀銅の3色の硬貨を擦り合わせる事で硬質な音を立てていた。


「二兎追う者は一兎も得ず、大人しく言う事を聞いて一兎を追えば良いんだろうけど、残念でならないな。

 少なくともウフクスス家の連中は相当な期待をしてたんだ。あのゼインって奴の前例があったんだからな。できる事ならばじっくりと観察して評価したかったんだが……」


 視線を、体が向いている方へと向ける。

 その視線の先には何もないが、カインの口調やその視線はまるでそこに誰かが居て、その者と視線を合わせて語り掛けているかのようだった。


「……確かに、こっちの方は今後も機会があり得る。急いては事を仕損じる、今回限りのこっちに集中するのが当然ではあるか」


 そこで視線を伏せ、同時に擦り合わせていた硬貨を引っ込める。


「それでも先入観とはおっそろしい限りだ。ゼインって奴や他の精神支配を受けてた奴らに遭遇する前だったら、出費はこの1割以下に抑えられたんだろうが……」


 戦果は師団員数名を含む20人弱と聞いて、満足な反応を返せる者は少ないだろう。

 理解し得る材料を持たぬ者は元より、理解し得るだけの材料を持っている者であっても、その言葉の異常さを理解し切れずに。


 だが、その異常な事を実現させられる者こそがカイン・イェンバーだ。

 真っ正面からぶつかれば何分持つかという賭けが成立する程だが、条件を整えて先手を打てばそれを可能とする。

 例え【レギオン】という集団では下から数えた方が遥かに早い実力しか持ち合わせておらずとも、例え自身の技術を始めとした様々な自分の優位性を確立させる要素が無ければ成す術を持たずとも、他の同じ団の者であっても決して成し得ないそれだけの事をやってのける。

 それこそが【天秤のカイン】であり、大陸最強の傭兵集団【レギオン】の第2副団長なのだ。


「……また、客か」


 耳に届く情報から適切な解を導き出し、腰を上げる。

 剣の柄に手を乗せ、鈴を鳴らす。


「手持ちが心許なさ過ぎる。あれだけの臨時収入が、もうスッカラカンだ。どっかで補給しないと不味いよな。まあ補給する事自体は、いまの状況なら簡単過ぎるが」


 無人となった街の景色を見渡し、目ぼしい場所をザッと見定める。

 そしていくつかに狙いを定めて、善は急げとばかりに物色――もとい火事場泥棒を始める。


「これで多少は補填できても、最終的な収支はとんでもない大赤字なんだよな」


 視線だけを、下手くそな合奏を続けるステージへと向ける。


「俺がこれだけの事をやってんだ。マジで頼むぜ、団長さんよぉ……」










 広大な敷地内にいくつも存在する、スペースを贅沢に使った一般人には到底手が届かず、また同じ貴族であっても同水準のものを複数も揃えるのは不可能な邸宅。

 それが鳴動と共に無残にも倒壊を始めるその光景は、価値の分かる者が目撃すれば目を剥き卒倒してもおかしくない。

 さらに後に調べる機会があったとして、原因が老朽化であると知れば憤慨するだろう。

 そして実に的外れな批判を並べ立てるだろう。


「【流奔水】」


 もっともそれは、建物の倒壊によって発生した瓦礫が鉄砲水によって押し流された事によってあり得ない仮定の話となり――


「【轟天墜雷霆ごうてんついらいてい】!」


 続く天から堕ちてきた、自然界では絶対にあり得ない放電量と放電時間を誇る超弩級の落雷によって残骸すら跡形もなく消失した事で、そもそも無かった話となったが。


 本来は大自然の神秘が生み出すオリジナルのそれよりも速度や規模、内包するエネルギー量などにおいて劣る筈のそれを、圧倒的な魔力の量という純粋なまでの要素に物を言わせ、オリジナルをも上回るものへと昇華させる。

 それだけのものを喰らい、無事で済む人間など居ない。

 それどころか、余波だけであっても大元が規格外な為に即死級の代物だ。

 それは即ち、それだけの魔法を発動させた人物――アキリアがどれほど常軌を逸しているかの証左でもあるが、同時に相対する者もまた並の者ではない。


「ふう……」

「【光撃槍こうげきそう】!」


 危機を回避した安堵の息というよりは、作業が一段落しての一息といった呼気が辛うじて残っていた瓦礫の下から響き、それらが独りでに持ち上がり出した瞬間には既にアキリアは次の行動を終えていた。

 柏手のように打ち合わされ、引き開かれた両手の間に生み出されたのは一抱えもあるような太さの眩い光を放つ槍。

 それを片手に乗せ、何の躊躇いも無しに投擲する。

 投擲された槍は真っ直ぐ瓦礫の元へ向かい、着弾して再び破壊を撒き散らす筈だった。

 だがそれよりも先に瓦礫の下から現れたリグネストが、逆手に握ったナイフを十字に振るう。

 結果光槍は4分割され、それぞれがリグネストを逸れて地面に落ちて粉塵を巻き上げる。


「ふむ……」


 砂煙の中から現れたリグネストは、何かを頭の中で整理するかのような相槌を打つ。

 そこに負荷に耐え切れなくなった、辛うじて原型を保っていた建物の残骸も倒壊を始める。

 縦長の形状をしていた建物の根元に亀裂が走り、どちらかと言えばへし折れたと形容するのが正しい壊れ方をしたその建物は、狙いすましたかのようにリグネストの頭上へ。

 それが激突する寸前で、微動だにしていなかったリグネストが右腕を持ち上げ、建物をナイフで突く。


 それ単体を抜き出して見れば、城壁を木切れで叩いてどうにかしようとしているような、愚かとしか言いようのない動作。

 しかし現実には結果として、ナイフの切っ先が突き立った場所から亀裂が蜘蛛の巣状に広がり、決壊する。

 勿論粉々に砕けた後も慣性に従い瓦礫が雨あられと降り注ぐが、リグネストはそれらをその場から殆ど移動せず、必要最小限の動作だけで全て回避する。


「【光槍こうそう】」


 そこに間髪入れず、アキリアが右手に生み出した光球を頭上に投げる。

 さほど勢いを入れたようには見えない動作で投げ上げられた光球は、謎の推進力でもって上空へと打ち上がり、拡散。

 無数の光の雨となって、全方位に地上目掛けて降り注ぐ。


「なるほど」


 1本1本は細いが、その1本が地面に容易く穴を穿つ代物。

 それが広範囲に渡り、無数に降り注ぐその光景は悪夢としか言いようがない。

 だが悪夢であっても夢は夢。

 決して現実に侵食などできはしないとでも言うかのように、当のリグネストは自然な歩みで光の雨のことごとくを回避する。


「【光天墜架柱こうてんついかちゅう】!」

「――おっと」


 そこで生み出されるのは、巨大な光の十字架。

 近くでは逆に柱としか認識できない程の大きさを誇るそれは、範囲内の者を問答無用で消滅させる。

 そんな凶悪極まりない光の柱の範囲から、リグネストは危なげない動きで逃れる。

 未だに降り止まない槍の雨の中で、間近に突き立ったその柱を横目で眺める余裕すらあった。


「――ッ!?」


 が、直後に足下の地面が突如として割けた事により、僅かに表情を動かす。

 元々地盤が緩んでいたのか、それとも度重なる負荷に耐え切れなくなった結果か、どちらにせよ魔法による直接的な原因を持たない偶然の災禍に呑み込まれかけ、寸前で踏み止まる。


「【伽藍浄獄炎】!」


 そこに天壌の劫火が迸る。


「……大体把握した」


 地割れによって動きが止まったタイミングを完全に捉えた、広範囲に渡る炎の網。

 当然回避は不可能であり、それはリグネストであっても同様だった。

 だが――


「……いや、人間の芸当じゃないでしょ」


 逆手に握られたナイフが煌めいた次の瞬間には、アキリアの放った天壌の業火は幾通りにも斬り割かれて雲散霧消する。


「ひょっとしてそのナイフ、魔道具の類なのかな。魔力はまるで感じられないけど」

「いいや、違う。お前の感覚の方が正しい」


 自分のやった事を誇る訳でもなければ、それを目の当たりにして少なくない動揺を露わにするアキリアを笑う訳でもなく、表情を動かさずに淡々とリグネストは語る。


「これは魔界原産の代物ではあるが、何の魔法的効果もない。ただ普通のナイフと比べて多少斬れ味が良くて、中々刃毀れ1つしないくらいに頑丈な程度だ」

「それだけでも十分だと思うけどね……」


 内容を聞いてみれば、本当に魔道具じゃないのかと疑いたくなるようなもの。

 だがリグネストの言葉に偽りはなく、また事実としてナイフから魔道具ならばあって当然の魔力が感じられない。

 つまりは、先程のリグネストの芸当は他でもない技術によるものであるという事であった。


「それほど驚くような事でもない」


 アキリアの内心を読み取った訳ではなく、ただ普通ならばそう言うのだろうなという思考の上で、リグネストはさらに言葉を連ねる。


「斬線と呼ばれるものがある。剣を用いてその線に沿った太刀筋で斬り込めば、どんなものでも斬れるという剣術における用語らしいな。

 だが不思議な事に、他の武器における斬線と同義の類語は存在しない。これはかなり不公平な事ではないか?」

「そう、かな……」


 雨は降り止み、見る影も無くなった景色の中心で両者は微動だにせず対峙する。

 ただし、双方で身動きしない理由は違っていた。


「剣において斬線というものがあるのならば、例えば槍の類における貫点かんてんというものでも、あるいは鎚の類における砕点さいてんというものがあっても良いんじゃないかと思わないか?」

「さてね、生憎私は武器は使わない主義だから、何とも言えないけどね」

「それだって大差は無い。武器が拳に変わっただけだろう? 結局のところ、線が点に、あるいは面になったに過ぎない。オレはただそれらを斬り、突いているだけに過ぎない。

 そんなものは知っていれば誰にでもできる、ただの児戯に過ぎない。見つけ出して捉えるだけで良いんだからな」

「簡単に言ってくれるね」


 理屈通りにいけば、リグネストの言う通りだろう。

 だがその見つけ出す事が、そして仮に見つけ出したところでそれを正確に捉える事がどれほど困難なのかは、その道を歩んでいる訳でもない者にだって容易に想像できる。

 大量にある砂の中から1粒の砂を見つけ出し、尚且つそれを、離れたところから投げた針で貫くようなものだ。到底児戯と呼べるようなものではない。


 ただしそれは、他人の立場での話だ。

 リグネスト=クル・ギァーツにとってはまさしくその通り、嘯いている訳でもなく正真正銘の児戯なのだろう。

 それを可能にする【超感覚】の能力を彼は持ち、そしてそれができる域にまで昇華させている。


「実際簡単だからな!」

「【光撃そ――わッ!?」


 体勢を低くして突貫して来たリグネストを迎え撃つ為に手に生み出した光の槍は、発動しようと後退して術式を編み始めた時には既に投擲されていたナイフに貫かれ、構成が散り散りとなって消失する。

 のみならず、猛烈な勢いで戦場から離れていく筈のナイフは途中で弾性の見えない壁に衝突したかのように跳ね、即座に持ち主の手元へと回収されていく。


「【蛇牙だが鞭雷べんらい】!」


 相手の主要得物だと思っていたものを投擲されて不意を打たれるのは2度目だと苦いものを噛みながら魔法を発動。

 真空の通り道をなぞり、蛇行しながらも全方位から囲い込むように目標へと殺到する9匹の雷の蛇。

 その魔法が完成した時には既にナイフは元通り握られており、全方位から襲い掛かって来る雷蛇を、リグネストは表情1つ変えずにナイフを振るって迎え撃つ。

 そのただ1度だけ振るわれただけのナイフで、9匹の雷蛇は等しく斬り裂かれ、また間髪入れずにナイフが地面に突き立てられた事で持ち主を感電させるよりも先に地面に逃がされる。


 その一連の行動の間であっても、リグネストの移動速度はいささかも落ちる事無く距離を詰める。

 電流を地面に逃がすために突き立てられたナイフが地面に溝を作り、飛び跳ねて切っ先が反転。


「【炎々螺】!」


 組み立てられた術式は、しかしやはり発動まで漕ぎ着ける前にナイフが煌き崩壊させられる。

 ある程度の距離が離れているのならばともかく、近距離においては魔法主体のアキリアよりもリグネストのほうが優位性を確保していた。

 だが一瞬だけ、それが次の行動を遅らせる。


「【空壁】!」


 その隙を逃さずに並列して紡いでいた術式を発動させ、両者との間に不可視の壁を顕現させる。

 元大罪王の吐き出す魔力の奔流すら防ぐ程の強度を誇るその壁に求めるのは、あくまで時間稼ぎのみ。

 その壁が稼ぐ時間を有効に使い、距離を離そうとする。


「緩い」

「嘘ッ!?」


 鳴り響いたのは、パンッという軽い音。

 まるで限界まで膨張していた袋に穴を空けたかのようなその音は、実際それに近く、リグネストが空気の層を積み重ねた壁にナイフを突き込み消滅させた際に発生した音だった。

 そういう性質の武器を使っていた訳でもなければ、力のゴリ押しによって破った訳でもなく、本人の言の通りならば純粋な技術によってなされた芸当は本来稼ぎ出される時間と比べれば雀の涙ほどの時しか稼げず、僅かに勢いが衰えた程度のナイフが止まる事なく繰り出され、間に掲げられていた手のひらを貫く。


「――ッ!?」


 それによって生じた遅れは致命的で、リグネストは自分の間合いにアキリアを捉える最後の歩を踏む。

 その踏み出された足が、再度沈む。


「【光陣聖域】!」


 既に魔法による度重なる破壊と環境の変化こそあったものの、それによって発生した地盤の沈下や地割れは意図されたものではない。

 であるからこそリグネストも事前に察知する事こそできなかったものの、地面が沈み始めた瞬間には既に脳内で何が起きたかの情報を処理し終え、そのまま前へ進む為の勢いを効率良く交代する力へと変換して跳びずさり、直後にアキリアを中心とした仄かな燐光を放つ円が生じる。


「いまのは危なかったな」

「どこらへんが」


 どこからか落ちてきた礫が、円から立ち昇る燐光に当てられた瞬間に弾け飛ぶのを見てそう言うリグネストに、アキリアは白い眼を向ける。


「むしろ危なかったのはこっちの方でしょ。偶然地割れが起きなかったら刺されてた」

「間接的にとは言え、自分で引き寄せた偶然だろう」

「その偶然の出来事に完全に対応できてる方がおかしい」


 傷が修復されて濛々と蒸気を上げている右手を振るアキリアに向けて、リグネストは側に転がっていた石を蹴り飛ばす。

 そして円から立ち昇る燐光に触れた瞬間に、やはり粉々に砕けるのを眺める。


「迂闊に近付くのは遠慮した方が良さそうだな。臆したか?」

「仕方ないでしょ。近接戦闘は絶対に挑んじゃいけない気がするんだから」

「正しい判断だ。観察眼も判断力も中々悪くはな――」

「【灼焔抱球】!」


 言葉の途中でリグネストをスッポリと包む炎球が生成。

 内部に捉えられた者が熱に犯される暇すら惜しむように、術者の意思に従って即座に収縮を始めようとして閃光が走り、球が直径に沿って縦に分割されて空気に溶けていく。


「本当、化物だね……」

「化物、か。良く言われる事だが――」


 苦々しく零すアキリアに対する返答は、呼吸の間を読んでの踏み込み。


「理解できるものを理解する事を放棄し、ただその言葉だけで纏めて片付けるのは怠慢以外の何物でもないな!」


 そしてナイフが一閃。

 寝かせられた刃は円から立ち昇る燐光を横切り、その軌道上の燐光を途切れさせる。

 だがそれもその一部の、一瞬の事であり、すぐに何事も無かったかのように穏やかに燐光は放たれ続けていた。


「それ単体ではなく、無数の粒子の集合による魔法か。普通の人間じゃ到底使いこなせるものじゃない。破るのは骨が折れそうだな!」


 詰めた距離を惜しげも無く手放して後退。直後に飛来して来た瓦礫の塊を回避する。

 そして地に足を着ける直前で、その足元が突如として盛り上がり破裂。その下から出て来たものがリグネストを丸呑みにする。


「ヒシュィィィィィィィィィィィィィィッ!」


 現れたのは歪なまでに巨大な老婆の上半身と太く長い蛇の下半身を持つ、ミズキアのペットの1体であるダスクーリュ。

 いや、厳密には額に角柱が無い為、正確にはそのダスクーリュが産んで成体までに成長したナーガだった。


「うわっ、何か出て来た」


 それに驚いたのは他でもないアキリアだったが、その表情はさらに別のベクトルの、より大きな驚愕に染められる。


「ギィィィィィィィィィィィィィッ!!」


 苦鳴と共に血を吐き出し、ナーガの人の上半身と蛇の下半身の境目が内側から綺麗に分割される。


「いやいや、いくら何でもおかしいでしょ。デタラメ過ぎる」

「これもやっぱり児戯だ。斬線さえ捉えられれば、この程度は造作も無い」


 上半身と下半身を生き別れにされ、2本の両腕で這って体を持ち上げたナーガが、憎悪に染まった瞳でリグネストを見る。

 いや、見ようとした。


「ガゲェ――ッ!」


 両眼はリグネストの姿を捉える前にナイフを叩き込まれて潰され、その痛みに悲鳴を上げるよりも先に喉を抉られて悲鳴も潰される。

 それでも痛みのあまりにのた打ち回ろうとするが、それが行動に現れるよりも先にナイフを煌かせたリグネストが胸部に切っ先を叩き込み、そのまま手首まで埋め込む。

 真っ赤に染まった手に握られた、同様に血に塗れたナイフが引き抜かれるとナーガは大きく上半身を跳ねさせた後に不気味に痙攣し、ピクリとも動かなくなる。


「ミズキアもいい加減自分のペットの手綱ぐらいはちゃんと握って貰わなければ困るが――今回限りは願われた事によってここに引き寄せられた訳だからな、大目に見て眼を瞑るのが普通か」


 付着した血を払う事もなく、視線をナーガにはもう興味がないとでも言うように外す。


「デタラメと言うが、ただ願うだけでこうして都合の良い偶然を何度も引き寄せるお前の方が、普通に考えればデタラメだ」

「その偶然をことごとく潜り抜けてるくせに、よく言うよ」


 呆れとも畏怖とも付かない言葉を吐き出す。


「そんな事はオレでなくとも、身内の連中にだってできる。加えて、お前には気概が足りない」


 アキリアの言葉をバッサリと切り捨て、非難がましい言葉を浴びせる。


「いままで何度と無く願うチャンスがあり、尚且つ実行して来たのにも関わらず、願いの実現自体はともかく内容は大した事が無い。内容次第であれば、あるいはオレをいまごろ殺せていただろうにな」

「あー、なるほど。1つ勘違いをしているね」


 指を1本立てて、リグネストの言葉の間違いを指摘する。


「私はいままでの戦闘で、能力を使って願ったのは最初の1回だけだよ。だって、戦闘中に願うほどの余裕は無いからね。

 これって、いまの私じゃ発動させるのには少し集中と時間を要するんだよね。こんな具合にね」


 眼を閉じ、意識を集中させる。

 その姿は隙だらけだったが、リグネストはあえて静観する。

 その直後に、リグネストであってもハッキリと感じ取れる程の莫大な魔力の放出が行われ、写真を交換したかのように周囲の景色は激変していた。

 具体的には、それまでの戦闘の余波で滅茶苦茶となっていた周囲の地形が、2人が戦闘を始める前の光景に逆戻りしていた。


「これは……」

「この【願望成就】の能力は、言わば結果を生み出す能力。私が戦闘が始まる前に願ったものの内容は敵の排除だけど、手段とか過程とかは一切願っていない。

 となると。あとは能力のほうが勝手に随時魔力を使って私の願った内容を実現させようと色々な事象を引き起こそうとする。当然その中に私の意志は介在していないから、どんなタイミングでそれが起こるのかも、どんな事象が引き起こるのかも私にも分からない。

 ただ、具体的な事象をこっちが指定していない以上は、あくまであり得るべき事象にのみ限られるけどね」


 つまりは、あくまでアキリアが最初に願った事によって引き起こるのは、先ほどの周辺の地形が元通りになった事とは違い、あくまで物理法則に則ったものであるという事だった。

 逆を言えば、物理法則を無視した現象はそう願わない限りは引き起こらず、そう願えば物理法則など遥か彼方に置き去りにした現象だって引き起こせる。

 そういう事だった。


「それで、何でわざわざ私が解説をしたか分かるかな?」

「なるほどな」


 アキリアの言葉が何を意味しているのか、逡巡する事も必要せずに即座に答えを出す。


「1度願った以上はお前の意思に関係なくその結果が生み出されるまで事象は引き起こり続け、またそれを止めたくば殺すしかないと、そう言いたい訳か」

「そういう事。でも、私に対して用がある貴方に殺せるかな?」

「…………」


 アキリアの言葉に、リグネストは瞑目して答えない。

 そして再び眼が開かれると、次に空いている手が持ち上げられて口元に運ばれる。

 その手の指が、自分の口を――僅かに左右に引っ張られて釣り上げられた唇の輪郭をなぞる。


「意図せず笑っている、か。こういうのは2度目だ」


 自分が浮かべているものを確認して、手を下ろす。


「気概が足りていないというのは訂正しよう。そして――無粋だ」


 下ろした手の代わりに、ナイフを持った手を持ち上げる。

 逆手に握っていたそれを手元で反転させて順手に握り、何気ない動作で投擲する。

 狙いはアキリア――ではなく、自分の右側のやや離れた位置にあった、アキリアの願いによって瓦礫から元通りになった邸宅の壁。

 10メートル以上は離れた場所に存在していたそれに投擲されたナイフは、その何気ない動作によるものとは思えないほどの速度で飛来して壁を穿つ。

 その壁に穿たれた穴も、ナイフによるものだとは思えないほど綺麗な円形で、尚且つそれほどの勢いで貫通したとは思えないほど穴の縁には傷が無かった。

 まるで最初から、そこにはそういう穴があるかのように設計されたかのような跡だった。


「悪くない。実に悪くない。かと言って良い訳でもないと最初は思っていたが、それも訂正だ。

 そして実に惜しいな。お前がもっと早く生まれていれば、あるいは今回のような事にはならなかったかもしれないのにな」

「それは叶わない願いだね。仮に私がもっと速く生まれていたら、いまの私は存在し得ない訳だからさ」


 本人にしか分からないであろう言葉を、リグネストは追求しない。

 代わりに投擲したナイフに括り付けてあった不可視のワイヤーを引き、投擲したナイフを手元に引っ張り寄せる。


「足りないのは気概ではなくて、真剣さだったな」

「それこそ言われたくないね。お互い様っていうものだよ」


 双方共に、それまでの戦闘に真剣に取り組んでいた訳ではなかった。

 能力も使っていれば、慢心していた訳でもない。

 だがそれでも、全力でなければ本気でさえなかった。


「……【鳳凰不死炎舞】」


 紡がれた術式が顕現させるのは、3体の巨大な不死鳥。

 それは彼女の従妹が作り出したオリジナルの魔法。それをあっさりと使いこなすばかりか、同時に3つを並列発動させ、あまつさえ製作者の生み出すそれよりも一回り大きなものを生み出せるのは、彼女の非凡さの証だ。

 その3体の不死鳥の輻射熱を浴びて目を細めるリグネストは、静かに全身に循環させる魔力の量を増やす。


「正直に言ってこういう能力の使い方はしたくないんだ。でも、手加減はもう辞めるよ」


 リグネストには属性の適性が無ければ、魔法の才も殆ど持たない。加えて魔力探知能力に関しても絶望的という彼だが、それを補って有り余るのが生まれ持った膨大な魔力。

 それはアキリアと比べれば見劣りするものの、ティステアの者であっても追従を許さない。

 それほどの莫大な魔力を、リグネストが強化に回すことは滅多に無い。

 もっぱら常時発動させている【超感覚】の固有能力の原動力に回され、循環による自分自身の強化は本当に最小限に留める。

 それでも能力を用いれば、同業者の間からは最強であると言われるほどに本人の技量も能力の習熟度も卓越していた。

 そしてそれまで通りでは対応しきれないと、アキリアを認めていた。


「何の問題も無い」


 相手を殺す事はできず、だが殺さねば自分に襲い掛かって来る災厄を止める事はできないという二律背反に陥っていながらも、そう簡単に言って片付ける。


「5分以内に決着を付けるとしよう」










「何だあいつ、何だあいつ、何なんだよあいつは! あの化物め……!」


 遥か後方に不死鳥の熱を感じながら、つい先ほどまで荒廃しきっていた筈の街中を走る影が2つ。


「あり得ない、あり得ない! どうしてあの距離でただ投げただけのナイフがあんな威力が出せる! どうして僕たちに気付ける! どうしてウェスリアの能力を突破できる!」

「だ、大丈夫、イース兄様?」


 肩を抉られて血を流し、それを手で押さえて留めようとする兄を妹が心配する。


「それに渡り合えている【願望成就】の女のほうも化物だ。あれは人間が関わって良い次元の存在じゃない」


 子供とは思えないほどの速度で疾駆し、戦場から急速に遠のいて行った2人は手頃な場所で足を止める。

 荒い息を無理やり落ち着け、腰のポーチから手当ての為の道具を取り出して応急処置を始める。

 当然妹も、ぎこちないながらもそれを手伝う。


「絶対に無理だ。あんなのを殺せる奴なんかいない。あんな物理法則を無視したデタラメな現象を広範囲に渡って引き起こせる女も、それに簡単に対応できる男も、どっちも異常だ」

「い、イース兄様、どうするの?」

「……決まっている。戻ってカルネイラ様に報告だ」


 布を当ててその上から固定用に巻かれた包帯が見る見るうちに赤く染まっていくのを忌々しそうに眺めながら、イースは吐き捨てる。


「アキリア=ラル・アルフォリアは【絶体強者】と互角に戦える。それだけわかっただけでも収穫だ。これ以上は無理だ」











大分空きが空きました。申し訳ありません。

とりあえず王都襲撃はこれで中間地点を折り返した辺りですね。早めにゴールできるように頑張ります。


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