情報屋①
ティステアは中心の王都を囲むように5大公爵家の領地が存在し、さらにその周囲にそれ以外の貴族の領地が固めるという地理をしている。
おれが居るのは、位置的には一応は王都ではあるものの南東の端に位置し、5大公爵家の1つであるエミティエスト家の影響を強く受ける区画だ。
端とは言え、元大陸統一を果たした一大国家の王都だ。その盛況具合は他国の比ではない。
あちこちで露天が開かれ、まだ早朝だというのに多数の人が行き来し大市場のような賑わいを見せている。
右を見ても左を見ても、明かるい表情を浮かべた人の顔が並ぶ。まさしく神国の名に相応しい希望に溢れた光景だった。
しかし、光があるところに必ず影ができるように、公の目に晒す事のできないものはここにも存在する。
たった1本道を折れるだけで、景色は一変して血と排泄物の臭いが空気中に混じるようになる。
脇には襤褸切れを着た痩せ細ったガキが座り込み、腕や足を欠損した大人が横たわる。
鼻を突く悪臭を堪えてさらに奥に進めば、今度は荒事を専門にする者たちを見かけるようになる。
薄汚れた姿なのは変わらないが、先程の連中は生気を失った眼をしているのに対して、この者たちはギラギラした捕食者の眼をしていた。
そんな連中の間をおれみたいに堂々と1人で歩けば、何が起こるかは相場が決まっている。
「おい兄ちゃん、こっから先は通行料が必要だぜ」
ニタニタと笑い道を塞ぐ2人組。背後にも同様に2人組の男が回り込んで退路を塞いでいた。
おそらくは今までにも同じ事を繰り返してきたのだろう。実に慣れた動きだった。
「通行料、ね。参考までに聞くけど、いくらだ?」
「銀貨10枚だ」
大金だ。知名度や戦果にもよるが、並の傭兵なら5回は出動し生還しなければ稼げない金額だ。
ただ、払えない金額ではない。
ここで無闇に騒ぎを起こすのと、金を大人しく払うのと、どちらがメリットが高いのか、それが問題だ。
「……良いよ、銀貨10枚だったね。払うよ」
「ハッ、物分かりの良い奴は嫌いじゃないぜ」
懐から取り出した袋を受け取ろうと、前方の男の片方が近づいて来る。
そしてあと1歩というところで、静止の声が飛んで来る。
「ま、待て!」
声を上げたのは、前方のもう1人の男だった。
「すまん、俺たちが悪かった。銀貨10枚はいらねえ。ただ、できれば少しばかり恵んで欲しい。2枚くらいでいいんだ。厚かましいのは分かってる。この通りだ、頼む」
いきなり大声を上げた仲間に驚きを覚えて硬直する他の男たちを他所に、そいつは早口でおれに対してまくし立てた。
その言葉を、おれはよく吟味した上で結論を出す。
「2枚だな。それぐらいなら構わない」
袋から銀貨を2枚取り出して、その男に投げ渡す。
銀貨2枚程度で騒動を避けられるなら、安いものだった。向こうも今度こそは、通行料とやらを受け取るだけで引き下がるだろうし。
「あんた、長生きするよ」
肩を叩いてそう言っておく。混じり気のない、おれの素直な感想だった。
「馬鹿かお前、折角のカモを何でみすみす行かせんだよ!」
「馬鹿はお前だ! いま俺が止めてなかったら、全員死んでたぞ!」
そんな会話が背後から聞こえてくる。連中の気が変わらないうちに、さっさと退散する。
もしあそこで最初の要求を呑んでいたら、要求はどんどんエスカレートしていったであろう事は容易に想定できる。
最終的には命をなんて事にまで発展しただろう。そうなれば必然、殴り倒すなり皆殺しにするなりしていた。
その時に問題となるのが、連中がどこかしらのグループに属していた場合だ。
もし仲間を殴り倒された事や殺された事を知れば、そのグループは血眼で犯人を捜すだろう。こういった連中はメンツを大事にするので、この想像はそう間違ってはいない筈だ。
それにあの男たちは不衛生な姿ではあったが、食うのに困っているようにも見えなかった。にも関わらず金を欲したという事は、ノルマといったものを課されているとも考えられる。つまりは、連中がグループに属していた可能性はかなり高い。
そして1番厄介なのが、そのグループがかなり大規模だったケースだ。
そうなれば必然騒ぎも大きくなり、最悪法の番人であるウフクスス家を呼び出しかねない。
そのリスクと銀貨2枚とを天秤に掛ければ、どっちに傾くかは明らかだ。
考え過ぎだと言われるかもしれないが、おれからすれば結果が杞憂だったとしても、銀貨2枚程度を失っただけなら笑い話で済む。
まだ今の段階では、万が一にでもウフクスス家に眼を付けられる訳にはいかない。
いずれ眼を付けられるであろう事は確定しているが、わざわざその期限を早めるメリットはない。
「ここか……」
入り組んだ路地をいくつも曲がって、やがて寂れた商店街に行き着く。
その中の1つに、錆びてガタガタとなった看板を提げている店があった。
表面の錆を落として見ると、その下にある『ホワイトバー』という文字が辛うじて読み取れた。
その店の地下への階段を降りて、腐っているのではと疑う程ボロボロの扉を開けると、外の寂れた光景が幻覚だったんじゃないかと疑うほど綺麗に整えられた内装が出迎える。
向かい側のカウンターでは、客が居ないのを良い事にノンビリと頬杖を付いていたバーテンダーが顔を上げ、気怠げな動作で手をヒラヒラと振って来る。
「いらっしゃい、死神の旦那さん。ホワイトバーにようこそ」