王都襲撃⑤
「兄上、貴方を殺しに来ました」
その言葉を述べ終えるよりも先にオーウェンさんは――いえ、ヴァイスさんは右手で手刀を作り、大きく振り被る。
「ミネア!」
その動作が完了するよりも前に、父が弾かれたように動いて私の下に駆け寄って来たかと思えば、なんの断りも無く抱え上げた挙句にそのまま身を投げ出しやがりました。
どうにもゆっくりと動く視界の中に映ったのは、一瞬遅れて振るわれたヴァイスさんの手刀の延長線上、およそ50メートルに渡って存在するもの全てが両断される光景でした。
そして両断されたものが地面に落下しきるよりも先に、私の背中に強い衝撃が襲い掛かって来ます。ついでに上に父が圧し掛かる状態となり、強制的にハムサンドのハムの気分に浸らされました。そして重いです。
「ミネア、怪我は無いかい?」
「……ええ、お父様のお陰でありません。ありがとうございます」
「そうか……良かった」
むしろ貴方のせいで背中とかお腹とかが痛いと罵倒しそうになりますが、ここはグッと堪えて呑み込むのが大人の対応ですね。
それにしても、父の対応がえらく淡白ですね。別に寂しくもなんともありませんし、むしろ大歓迎な対応ですが、同時に頭の痛い事実が1つ浮上するわけです。
要するに、私の言葉に舞い上がるほどの余裕も無いという、私にとっても都合の悪い事実がです。
「口上を述べもしないか……」
「何を愚かな事を。そんな暇があれば、敵を刻んだ方が合理的と言うものでしょう。戦場で一方的にそんな悠長な事をしていれば、すぐに殺されます」
「ウフクスス家としての最低限の矜恃すら失くしたか」
「元よりそのようなものは持ち合わせていませんでしたよ。だからこそ私は出奔する事になったのですから。
いまにして思えば、何故自分があそこまで無意味な秩序の維持に奔走していたのか、実に理解に苦しむ」
「…………」
ああ、完全にキレましたね、父が。
表面上は冷静ですが、内面では腸が煮えくり返って爆発する寸前の状態の、所謂静かな怒りというものを抱いている状態ですね。それも相当な度合いで。
ここまでキレてるのは、おそらく3年振りです。
「だから殺したのか。貴様を慕っていた部下たちを!」
「ああ、それは違いますよ。あの頃は少なくとも矜持を持ち合わせていないなりに、心の底から秩序を保とうと考え行動してましたよ。彼らに慕われ尊敬されるというのも、悪い気分じゃなかった」
「なら、何故!?」
「疑問に思ったんですよ」
「疑問……だと……?」
「ええ。任務を終えて、人払いの為された区画の中で最も高い建物の屋上に上がって、皆で夕日とそれに焼かれた街並みを眺めていた時の事です。
自分たちが秩序を保つ王都を、その美しい様を目にして気合を入れ直そうとか、そんな理由でやっていたのですけどね。その時ふと、思ったんです。こうして自分たちが毎日のように奔走しているのに、どうして次から次へと秩序を乱す存在が現れるのだろうか、とね。
続いてこうも思ったんですよ。もしかしてそれは、自分たちのような存在が居るせいなのではないか、ともね」
「どういう、意味だ……」
「言葉通りの意味ですよ。秩序という枠組み内において、それを乱す存在は異分子だ。それを排除する事は当然の事で、その異分子を排除する存在がウフクスス家。その異分子が排除されるまで、絶対にその活動は止まる事がない。
だけどそれは、あくまでウフクスス家という立場における主観の話だ。世界という枠組みで見た時、もしかして私たちが異分子と呼んでいる存在こそが枠組みの形成に必要不可欠なもので、それを排除するウフクスス家こそが異分子と呼べる存在なのではないか、そう思ったんです。それなら、絶えず秩序を乱そうとする者が現れ続ける事にも説明が付くと」
「…………」
なるほど、中々興味深い話ですね。
全面的に賛同はしかねますが、共感できないところが無い訳でもありません。
「そしたらですね、一緒に隣で夕日に染められた風景を眺めていた仲間たちを、部下たちを排除する事が当たり前の事のように――しない事の方が不自然であるように思えてきたんですよ」
「だから、殺したのか」
「ええ、そうです」
「だから、また戻って来たのか」
「それは……違いますね」
馬鹿ですかあの人は。
ヴァイスさんが先ほど秩序をくだらないと言っていたのをもう忘れましたか。
それを踏まえれば、少なくともいまと当時では行動原理が違うことは簡単に思い至るでしょう。
「国を出てからしばらくは、その疑問の答えを出そうと色々とやっていたのは事実です。お陰で各国でも手配されたりと、兄上たちの立場からすれば秩序を乱す異分子と認定されたりしたのですが、決して悪い経験ではなかった。
そうやって過ごし始めて、大体2年くらい経った頃でしたかね。私は見たんですよ」
「疑問の答えとやらをか?」
「厳密には、出会ったとも言いますけどもね。出会って、見て、そして私は魅せられた。
自分が今まで抱いて答えを探し続けていた疑問が、酷くちっぽけなものにしか思えなくなった。どうしてあんなに簡単な事に、2年間もずっと悩み続けていたのか不思議でならなく、そんな自分が滑稽に思えてならなかった。
私がウフクスス家の役割について誇りなど持ち合わせていなかった事は、何も不思議な事ではなかった。それでも周囲に合わせて惰性で続けていた事の方が、不思議に思うべき事だった――!?」
ヴァイスさんが跳躍して退避し、その後ろにあった建物の壁が脆化します。
「【砂眼】でしたか。発動に掛かる時間は大分短縮されてますね」
そう述べるヴァイスさんの表情に、焦燥や驚きといった類のものは一切感じられませんね。
むしろ余裕さえ感じさせる言葉と、直前の行動を合わせて鑑みるに、これは相当に不味い。
「お父様、ここは一旦退くべきです!」
「ミネア、危ないから下がってなさい」
どんな耳をしているんですかこの人は。ちゃんと話を聞いてたんですか。
「聞いてください! ヴァイスさん――いえ、オーウェンさんの【無刃】とお父様の【砂眼】は相性が悪い。加えてあの人の属している【レギオン】には、最高位の魔眼系能力の保持者が居ます。おそらくオーウェンさんは魔眼系の能力に相当に慣れている筈です!」
「……フィオの事を知っているのかい? 彼女は【レギオン】の中でも、知名度はかなり低いほうだ。ましてや東側ではまず知っている者など居ない筈なのだが……一体どこで知ったのかな?」
ジンさん情報です。
「……まあ良い。後で聞くとしよう」
どうぞご勝手に。私にはそれを拒否する力も持ち合わせていませんので。
というか、何故父はいまの私の言葉を聞いて臨戦態勢に入っているんでしょうね。少しは私の事も考えてくださいよ。下がれって、私を1人だけ本当に放り出すつもりですか?
巻き込まれる分にはまだ良いですが、その余波で直接的被害を受けるのはご勘弁願います。
「……ミズキアも始めたようだね。ゼイン君は大丈夫かな? 才に溢れる子だったが、さすがに彼の相手はキツイだろうね」
「来ているのはお前だけではなかったか」
「当然でしょう。本来私は、このようなくだらない国に戻って来るつもりは無かったのですからね」
つもりが無かったのなら、そのままずっとその意思を貫き通して貰いたかったですね。
戻って来る分には構いませんが、どうしてよりにもよってこのタイミングなんでしょうか。
「……ウフクスス家第6師団長、テュード=ラル・ウフクススだ。元ウフクスス家第6師団長オーウェン=ラル・ウフクスス、貴様を粛清する!」
「ですから、口上を述べる暇があるなら……いや、兄上は芯から隅までウフクススという訳だ。ハッキリ言ってそれに付き合う義理などないのですが……良いでしょう」
完全に今の私は場違いですね。おそらくヴァイスさんの意識の中に、私という存在は殆どありはしないでしょう。生き残って話を聞ければ儲けものというぐらいですか。
だからこそ、今の私には多少の選択権がある。その権利をどう行使するべきでしょうかね。
この場に私が留まったとしても、できる事は限られる。そりゃ、少しは戦闘が父にとって優位に働くような嫌がらせや観察ぐらいはできるでしょうが、そんな大きな事ができるほど自惚れてはいません。
正直ここで父に死なれるのは大いに困りますが、おそらく王都にやって来ている【レギオン】のメンバーは1人や2人では無いでしょう。現状はあまりにも情報が少なく、また不確定要素が多すぎる。
仮に父がヴァイスさんに勝利を収めたとして、あとが続くかどうか。自分から戦場に突っ込んでいきそうですし。
それを踏まえた上で、この場に留まって父に加勢するか、それともこれから起こるであろう混乱に乗じて、ジンさんが戻って来た時の為にあの人にとって益になるように自主的に行動するか。
どっちを選択するべきかは……考えるまでもありませんでしたね。
「元ウフクスス家第6師団長オーウェン=ラル・ウフクスス……ヴァイスと名乗ろうかとも思いましたが、兄上に合わせてこう名乗りましょうか。貴兄に挑戦申し上げる」
勝手にやっててください。
お父様、もし貴方が敗れて死んだ時は、その地位はジンさんの為に有効に活用させていただきます。別に私が継ぐわけではありませんが。
さて、ベルさんはいまどちらに居るんでしょうか。
「ふぅん……」
1歩踏み出しては、同じ歩幅で1歩下がる。
アキリアはそんな事を繰り返し続け、やがて満足したように足を止めて、何かに納得したような声を出す。
そして再び足を動かし、後退せずに一定の歩幅で前進し始める。
「私の歩幅で150歩か。大体……100メートルちょっとかな、半径は」
農村で良く見かける、茅葺き屋根の納屋の側まで辿り付いて足を止める。
そして振り向き、自分が出発した位置に目印として突き立てておいた木材が見えない事を確認する。
それが視力的な問題ではない事は明らかだった。
彼女の視力ならば、裸眼でもそのくらいの距離にある木材など、最低でも朧げな輪郭程度は確認できる筈だった。
事実、1歩進むと唐突に、視界の先に突き立てておいた木材が現れる。
だが同じ歩幅で1歩下がると、その木材は視界から消え失せる。やはり現れた時と同様に、唐突に。
その木材よりも遥か後方にある風景は見えるのに、その木材だけとある地点から消失する。奇妙な事極まりない現象だった。
「つまり、私を中心に半径およそ100メートルで、この世界は完結している訳だね」
それが何の為かは分からないがと内心で付け加え、元の方向に向き直り、さらに歩を進める。
程なくして、先程の納屋と同じような茅葺き屋根の建物がいくつも点在した集落に辿り着く。
「……まいったね」
彼女が集落に足を踏み入れた瞬間、それを待っていたかのように建物の引き戸が開き、中から人が出て来る。
出て来る人物は大人から子供、そして性別も様々だが、共通して全員が手に包丁や鍬や鋤といった、武器ではないが武器となり得る道具を手にしていた。
「…………」
全員が無言で、加えて頭部に麻袋や仮面を被っている為に何を考えているのかはさっぱり読み取れない。
しかしながら、手に持った道具を構えながらゆっくりと詰め寄って来るその姿から、何を目的としているかは簡単に想像できた。
「……日が昇っていて良かった。これで夜だったら、恐怖も倍増だよ」
反転し、元来た道を全力で走る。
それを追い掛けるように、現れた村人たちもまた一斉に走り始める。
両者の距離は徐々に開いていくものの、中々引き離す事はできなかった。
彼らが速いのではなく、アキリアが遅いのだ。
「ほんと、もっと早くから体を鍛えておくんだった。いや、一応だけど最近になって鍛え始めたのを、幸運と思うべきなのかな?」
アキリアが目覚めてから最初に気付いたのは、能力だけでなく魔法はおろか、魔力を利用する事ができないという事だった。
過去に何度か似たような経験はしていたが故に焦る事こそなかったが、同時に襲撃をされれば不味いという事も理解していた。
彼女の持つ実力の根幹にあるのは、その能力ではなく、全属性持ちという適性とそれを支える膨大な魔力であるからだ。
運動神経は決して悪くないし、技術だって高いが、それでも魔力が使えるのと使えないのとではまるで違う。
不幸中の幸いなのは、どうやら相手も――使えないのか使わないのかは不明だが、条件は同じであるという事だが、それでも多勢に無勢だった。
「さっきは居なかった筈なんだけどなぁ……」
前方に小柄な人影が立ち塞がるのを見て愚痴る。
やはり麻袋を被っている為に顔は見えないが、体つきから推察するに性別は女で、手には剥き身の包丁。
アキリアが近付いて来るのを見たからか、その包丁を腰だめに構えて走り出す。
突き出される包丁を手首を掴んで止め、引き寄せて相手の体勢を崩したところに、もう片方の手で掌打を水月に打ち込む。
打ち込まれた相手は麻袋の下でくぐもった呻き声を漏らしながら崩れ落ちる。
「声が出ない訳じゃないんだね。それに攻撃を受ければダメージを負うと」
腹部を押さえて蹲る相手を尻目に通り過ぎようとしたところで、弾かれたように跳ね上がった相手の脇に肘を叩き込む。
「シィッ!」
たたらを踏んだところに、間髪入れずに足刀を無防備な首に放つ。
頚椎が折れる確かな手応えが足から伝わって来るのを感じ取るのと、相手の被っていた麻袋が脱げて素顔が晒されるのを確認したのは同時だった。
「……えっ?」
麻袋が取れて零れ落ちたのは、真っ赤な髪。
激しく見覚えのあるそれに、強張った表情で向こう側を向いた顔をそっと起こして見る。
「ユナ……ちゃん?」
その人物が、間違いなく自分の従妹であると確認し、体を震わせる。
何故、どうして、そんな疑問が頭の中を駆け巡る中で背後から多数の足音が響き、それが自分の後を追い掛けて来ていた村人たちのものだという事も忘れて、ほぼ反射的に振り向く。
そして視界に心なしか数の増えている相手たちを視界に収めた瞬間、脇腹を刺される。
「……ああ、そういう、能力ね」
ぐるりと折れた筈の首を回して頭部を元通りにしたユナが、包丁をアキリアの右の腎臓に根元まで刺し込む。
その痛みと混乱から硬直している隙に走り寄って来た集団の先頭が、手に持っていた頭を目掛けて鍬を思い切り振り下ろす。
続く者が鋤を肩に、さらに続く者が鎌を胸に、さらに続く者が大バサミを腹部に。
各々が手に持つ農具や調理器具を、群がる側から突き刺し、斬り裂き、打ち据える。
当然、何故か魔力を使えない状態にあるアキリアがそれに耐え切れる筈もなく、全ての者が行動を終える前に意識を失う。
そして目覚めると、霧の掛かった薄暗い山中に居た。
「……痛い、よね」
頬を抓り、痛みがあるのを確認する。
ユナや顔を隠した集団にリンチされるという生々しい直前の記憶を、痛みまで鮮明に思い出せる。
あれが夢では無いという事は、自信を持って言えた。
にも関わらず、彼女の体のどこにもそんな傷もない。ただ白磁のように白い肌があるだけだった。
「んー、悪趣味だねぇ。やな能力」