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傲慢王①

 



「我ながらまったく持って、大した先見性だよな……!」


 【無拳】を決めれば勝機は見えて来る――そんな試行できる事が大前提の憶測を、よくもまあ真剣に立てられたものだった。

 相手の魔力の仲介地点に衝撃を加える事が必要な【無拳】は、言い換えれば接近する必要がある。

 その接近すらままならないのに、どうやって人外相手に【無拳】を決めると言うんだか。


「クソったれ……」


 周囲に乱立する木々や段差を利用して一時的に距離を離し、一息つく。

 もっともアスモデウスの言が正しければ、どれだけ姿を隠そうとも正確に追跡して来るそうなので、それこそ文字通り一時凌ぎにしかならないだろうが、その一時がいまは重要だった。

 その僅かな時間を使って、適当な樹に背中を預けて額に手をやる。


「少し、収まってきたな……」


 いざ接近した――いや、しようとした時の事だった。

 左眼が隠され右眼のみに広がる視界に移ったのは、ルシファーの成れの果ての胸部から腹部に掛けて走る大口から、薄く色付いた何かが吐き出される光景だった。

 それが何なのかは分からなかったが、通常の視界に切り替えても何も映らない事から、魔力を用いた不可視の気体であると判断し即座に呼吸を止めたまでは良かったが、直後に襲って来たのは急激な視野の狭窄と視界の暗転、そして突発的な頭痛と嘔吐感に加えて急激な眠気だった。


「大雑把に言えば、催眠性のガスか? 少ししか吸い込まなかったから、何とも言えないが……」


 事前に左眼を布で覆っていたのは幸運だった。

 視界に映らないだけでなく、少なくとも人間の嗅覚では何も捉えられない、無色無臭の気体。

 それが如何なる効果を齎すのかを完全に把握したいとは思わないが、魔力を視覚化できなければ大人しく餌食になっていた可能性が高い。

 何せそのガスが吐き出される際に用いられていた魔力は、おれの魔力探知能力では感じ取れないほどに、また右眼であっても注視した上でも薄っすらとしか見えないほどに少なかったからだ。

 そのくせ人体に齎す影響は、ほんの少量であってもまともに戦闘を継続する事が困難なほどに重度なのだから、相当にコストパフォーマンスは良さそうだった。


「……まずはあれを封じる必要があるな」


 極端な話、吸い込まなければ良いのだから呼吸をせずに攻撃を加えるという手も無くはない。

 だが、既に【無拳】の順序が分かっているのならばともかく、まず模索から始めなければいけない段階で呼吸にまで制限を掛けられるのは、実質敵に詰まれているようなものだ。

 アスモデウスが跳んでくれた場所が樹海地帯だったのは幸運だった。

 周囲に利用できる物はたくさんある。これが何もない平地だったならば、打つ手なしと早々に詰んでいただろう。


「天候が雨にならない事を願おう……か!」


 背中を預けていた樹木が粉砕され、他の木々を巻き込んで倒壊する。

 それを引き起こしたのは、異様に発達したルシファーの右腕だった。


 即座に距離を取って、また新たに衣服を破いて口周りに巻き付ける。これも無いよりはマシだろう。

 それをやっている間にも飛んで来る、先端に刃の付いた蔦を疾駆して回避する。どういう原理か伸縮が自在で、また動きも柔軟かつ立体的で数も多いその蔦は非常に厄介だった。

 幸運なのは、その蔦の伸張には限界がある事か。そのお陰で、ある程度の距離を取っていれば然したる脅威にはならない。反面、益々近付き辛くなるという欠点もあるが。


「しっかり付いて来い」


 言葉など伝わってはいないだろうが、距離を取れば案の定その後を追いかけて来る。

 ただしおれが立体的に移動しているのに対して、あくまでルシファーは障害物をその右腕で排除しながら直進するだけの、2次元的な動きだった。

 お陰で移動速度は限られる為、簡単には追い付かれる事はない――そんな風に甘い考えをした矢先の事だった。


 ルシファーが組んでいる腕を解き、10本の指先をこちらに向けて来たのを見た瞬間に身を投げ出す。

 半瞬遅れて、指先から放たれた10本の熱線が虚空を貫き、続けて横薙ぎに薙ぎ払われて周辺の木々を全て焼き切り燃焼させる。


「チッ……!」


 辛うじて回避できた事に安堵する間もなく、転がって焼き切られて倒れて来た木々の下から脱する。

 束の間の安全を獲得し、それを奪おうとする再びの熱線を即座に起き上がって回避する。


 射程の広さもさることながら、それが発射される速度と、何より内包している熱量が脅威的だった。

 直撃こそしてないものの、近くを熱線が通過するだけで、その輻射熱で皮膚が炙られ火ぶくれができる有様だ。直撃すれば、それこそ骨すら残らない。


「ハハッ、ますます厄介になって来たな」


 状況はより悪化したが、一方で好転した事もある。

 少なくとも、火を付ける手間は省けた。


「もう少し待てよ」


 障害物がなくなり、ここぞとばかりに距離を詰めて来たルシファーの豪腕を、間にまだ無事な木を挟む事でやり過ごす。

 おれの代わりに豪腕を受けた大樹は、やはり耐え切る事ができずに根元から粉砕され、熱線によって燃え燻っていた木の上に重なるように倒れ、勢いよく燃焼し始める。

 静かな焚き火のような火から一転して、魔法によって生み出される猛火並みの勢いを得た炎はそれだけに留まらず、まだ無事だった周囲の木々にも次々と燃え移っては先ほどのように勢いよく延焼させていく。


 おれが魔界にて目を覚ました初日に怪鳥に対して用いた、魔界にのみ自生するとある木の種子は多量の油分を含み、火花が掛かるだけで燃え上がる程の強い引火性を持つ。

 また、たった1粒の種子が10年もあれば周囲の植物を呑み込んでその種のみの森を築く事もあるぐらいに繁殖力も強い為に、1本でも見付ければ周囲の木々は調べずとも全て同種と断言する事すらできる。

 そんな植物に火が付けば、どうなるかは考えるまでもない。


 通常、ただ適当な木に火を放ったところで、そこまで大きな規模になる前に鎮火する事が多い。それは生木が、想像する以上に多分の水分を含んでいる為だ。

 だがそこに、優秀な燃料となる油分を多分に含んだ数百万にも上る種子を加えれば、たかが生木に含まれている程度の水分ではどうしようもないほど、むしろそれさえも優秀な燃料となる程の炎に簡単になってしまう。

 極めて強い繁殖力を持ちながら中々見つける事ができないのは、そのあまりにも強い引火性を持つが故に、落雷を受けてしまえばあっという間に全滅してしまう為だ。


 その際に起こる火災は凄まじいもので、ある程度の大きさの森ならば簡単に全焼させてしまう。

 いまおれが居る樹海であっても、全焼させる事は無理でも広範囲に渡って猛威を振り撒くだろう。

 当然ながら、その火災の渦中はその猛威を最も強く受ける。

 燃料を得て燃え盛る業火は1000度近い熱量を誇り、空気を熱して膨張させて簡単に霧散させてしまう。

 それは魔力によって生み出された毒性の気体であっても、例外では無い。


「全ての生物は、呼吸という動作によって酸素を取り入れる事を必要とする。それは人間だろうが、魔族だろうが神族だろうが関係ない。

 ましてやその巨体だ、人間と比べても多くの酸素を必要とするだろうな?」


 口周りの布を一層きつく縛る。

 多少の息苦しさはあるが、口や鼻孔から呼吸器系を焼かれるよりは遥かにマシだ。


「制限時間はどれくらいだ? 生憎そんな計算ができる程おれは頭が良い訳じゃないが、存在する事だけは確かだ。

 10分か、それとも1時間か、正確な時間なんか知った事じゃないが、それまでにお前に【無拳】を決められればおれの勝ちだ。例え元大罪王だろうが、喰らえば権能も使う事はできなくなるんだからな。

 そうでなくとも、時間まで持ち堪えられればやっぱりおれの勝ちだ」


 改めて口にしてから気付く。


「何だ、勝率は絶望的かと思っていたが、案外簡単だな」


 ついでに言えば、業火の獲物は周囲に乱立する木々だけでは無い。

 ルシファーの肩から伸びる、無数の蔦であっても例外では無く、既に半数近い数が燃え散っていた。

 地面に散らばる、その燃え散った蔦の先端についていた刃を拾ってベルトに挟む。これで刃物も手に入った。


 できる限り浅く、そして限界まで空気を吸い込んで駆け出そうとした瞬間に胸部の大口が開く。

 放たれたのは咆哮。

 炎をはためかせ全身を叩く空気の振動に、堪らず両耳を塞いで硬直する。

 右眼に魔力の動きが見えなかった為に油断した結果で、その隙を逃さずにルシファーは残る蔦の刃を飛ばして来る。

 放たれては引き戻されて再度射出されるその投槍の群れの間隙を縫い、さらに10本の熱線が射出。

 奇妙な事に、そのうち照準がおれに合っていたのは僅か2本だけ。残りは明後日の方角に飛んで行く――かと思えば、突如として反転して四方八方からおれを貫こうとして来る。


「なっ、ああ――ッ!?」


 直線ではなく、曲線を描くあり得ない熱線の動き。

 右眼では、辛うじて高速にまで落速したその熱線の軌道は見えていた。だが、体は追い付いていなかった。

 回避できたのは、偶然にも間に燃える木の腕が落下してきて、障害物となってくれたお陰だった。

 それが一瞬にも満たない間だけ時間を稼いでくれたお陰で、辛うじて回避行動が間に合った。


「ハッ、ハハッ――」


 文字通り降って来た幸運を噛み締めている余裕は無い。直前の出来事に硬直してロスした時間を取り戻すように、前進を重ねる。

 左右から飛来する槍を、右に移動して片方を素通りさせて、もう片方を拾った刃で弾いて進む。

 熱線を放とうと向けてくる指先の延長線上から逃れる為に身を沈める。熱線が曲がる事は理解したが、一方で上下の変化はできないらしく、ただ熱線の下に潜り込めば対処は十分に可能だと見切ってさらに這い寄る。

 翻されて突き出されるだけでなく、斬撃も組み込んできた刃物に対抗する為にもう片方の手にも刃物を握りこみ、右眼で視て優先順位を決めてそれに沿って弾き踏み込む。


 限界まで見開かれた右眼が酷く痛むが、休息を入れる暇はない。

 それどころか、瞬きをする間もない。瞬きに費やされる半瞬でも視界が塞がれば、すぐに相手の攻撃を見切れずに直撃するだろう。

 お陰で常に開きっぱなしの右眼からは、絶えず涙が滲んで来る。しかしそれすらも、周囲の熱気で即座に蒸発する。

 そろそろ血の涙が出て来る頃じゃないのか。


「ハハハッ、ハハハハハハハハッ!!」


 笑え、笑え、笑え。

 肺の中身については考えるな。後で補給できる。


 右腕振り被られた。構えからして薙ぎ払うように振るわれるのだろうが、この位置からでは回避は無理だ。左右に動けば刃が、交代すれば熱線が飛んで来る。

 なら、マシな方に切り替えようか。


「返すよ」


 左右に持った刃物を投じる。どっちにしろ、持ったままでは拳は握れない。

 投じた刃物は、近距離であったのにも関わらず蔦にあっさりと絡め取られる。どうにもこの蔦は、こいつを構成する体構造の中で1番反応と柔軟性が高く、それ故に近づいて来る危機に対して優先的に反応いている節がある。

 だからこそ、この時も真っ先に反応して受け止めた。受け止めたそれを、投げ返して来た。


 全部想定通り。


 本体に直接的に繋がっている蔦のある刃物と違って、ただ投じられただけの刃物に前者ほどの貫通力はない。

 なら、受けてもそこまで酷い傷は負わない。

 豪腕をその身に受けるよりも、刃物に貫かれて刻まれるよりも、熱線で穿たれるよりも、遥かに軽傷だ。


 投擲された刃物が体に刺さる。刺さったのは左の肩と、右の太もも。どっちも重要な血管などは避けている――と思う。

 痛みがない。いい感じにハイになっている。

 上手い具合に暗示が効いている。


 胸部の口がまた開く。来るのは咆哮か、それとも別の何かか。

 関係がない。この距離なら対処ができる。


「忘れ物だ……」


 別の刃物を抜いて、そのまま構える間ももどかしく大口の中に突っ込む。

 口があれば、当然その中には舌がある。そして舌はうっかり噛んでしまえば悶えてしまうほどに多くの痛点の存在する、命には直結しない急所だ。

 似たような事を過去にベルに対してやった時も、その痛みに叫んで動きが停止した。

 今回も同じように、舌を刻まれて絶叫をするルシファーの成れの果ての姿があった。


 至近距離でのその絶叫は鼓膜を震わせるが、それでも咆哮よりもマシだ。


「ラァッ!」


 まずは1撃。狙うは肝臓。

 まあ本当にその下に肝臓があるかどうかは知らないが、間違いなく打ち抜いた。


「ぎッ……!!」


 外見からして硬さは覚悟していたが、想像以上の硬さと打ち抜いた拳に返って来た衝撃に対して歯を食い縛る。

 砕けたか、最低でも骨に罅が入ったか、どっちにしろ一本拳で打ったお陰で衝撃はきちんと浸透している。


 見て、視て、診て、観て、見極める。

 たったいま打ち込んだ衝撃によって発生した、停滞した魔力の栓によって道を遮られた後続の魔力がどこに向かうかを、限界ギリギリまで見極める。


「フッ――!」


 右拳を、人体で言えばちょうど胃がある辺りに打ち込む。

 そして打ち込んだ瞬間に理解する。失敗だと。

 それが正しいと証明するように、後続の魔力はいくつにも枝分かれしてそれぞれの別の経路を通って全身を巡って行く。

 こうではなく、後続の魔力が枝分かれせずに一纏めに動き続けるように栓をする場所を模索しなければならない。


「ッ……!?」


 大口が開かれ、ピンク色の肉塊が飛び出しおれの腹部に埋まり打ち抜かれる。

 それが舌であると認識できたのは、背中から焼けた地面に落ちて肉塊の全容を視界に納められてからだった。

 続けてその下が口内に巻き戻されて、そこに膨大な魔力が収束していくのが見えた瞬間には立ち上がって全力でその場から退避する。


 伝わって来る筈の轟音も振動も、一切が周囲から消え失せる。

 それはほんの一瞬の事だった筈だが、おれにはそれが何十分にも何時間の事のようにも思えた。

 ただ結果から言えば、おれが直前まで立っていた位置を含むルシファーの成れの果ての体面上に存在する一切合財のものが消失していた。

 地面も、燃え盛る炎も、火に塗れた木々も、全てが綺麗に刳り貫かれたかのように消失していた。


「隙がでけえよ」


 抱けた感想はそれぐらいか。

 どっちにしろ、大半の攻撃が喰らえば即死級のものばかりだ。いまさらそれが1つ増えたところで、何の変わりもない。

 むしろ、得た収穫に対する対価の方がおれにとっては問題だ。


 結局数あるパターンの1つを潰したのに対して、おれが支払ったのは左の指の骨とアバラの何本か。

 ただ、拳に関しては最初の1撃で加減を掴めたので、あと何度かは骨を支払わずに打てるだろう。

 最悪、折れてもそれまでよりも一層力を込めて殴れば良いだけの話だ。

 究極的には、形さえあれば殴れる。


「次だ」


 体に刺さっている刃物を抜いて回収して、同じように繰り返す。

 いなして、弾いて、躱して、進む。


 初撃はさっきと同様に、肝臓のある辺り。おそらくだが、これが最初だというのは間違いじゃない。

 何故なら、全ての仲介地点を全体から俯瞰するように見て、ちょうど中心地に位置している仲介地点がそこだからだ。

 だから多分、合っている。というよりも、これが間違えていたらお手上げだろう。


 次に打つのは、先ほどの胃を除いて3つまでに絞り込む。

 1つ目は人間と同じ丹田。

 そして2つ目と3つ目は、人間には存在しないはずの右の豪腕の第2関節と、同様に存在しない筈の胸部の大口の上部に存在する人中。

 根拠のない勘だが、その3つが可能性として高いと踏んだ。

 そして丹田を選ぶ。

 そして失敗する。


「時間が来るよりも、おれのアバラが無くなるのが、先か……?」


 痛みはないが、息苦しい。おれたアバラが肺に刺さってない事だけを願う。


「もう1度だ……!」


 2回目よりもさらに踏み込む距離は短く、到達する時間は多くなりながらも、1歩1歩を確実に刻んで進む。

 ただ、刃物が2回目で手元から消えた。

 だから飛来してくる蔦のうち、適当なのを1本掴んで僅かな間力比べをする。

 勿論その隙を逃す筈もなく別の刃を突き出して来る瞬間を見極めて掴んでいた蔦を離し、ほんの僅かに体勢が崩れた瞬間を捉えて新たに蔦を掴んで引き寄せ、そのまま残る刃で相手自身に切断させる。

 これでまた新しく刃物が手に入った。


 最初の猛火で半分ほどに蔦の数が減っていたのも幸運だ。お陰で反撃の隙を得る事ができたし、戦闘が進むほどに蔦の数はより減っていく。

 その分、おれの負担は減っていく。


 そうして似たような事を繰り返して、間合いに踏み込む。

 相手の間合いはおれの致死圏と同義だが、襲って来る事象に対してそれぞれ的確に対処すれば問題ない。

 今度は肝臓に打ち込んで、次に人中を選ぶ。

 そしてまた失敗――では終わらない。


「それはさっきも見たっての!」


 右手を伸ばして、大口の牙を懇親の力で掴んで踏ん張る。

 射出される舌が腹部に埋まり、そのままおれを吹っ飛ばそうとするのに全力で抗う。

 逃げ場をなくした衝撃がさらに全身を内部から蹂躙するが、喉奥からせり上がって来る物と同様に堪える。

 右腕に力を込めて全身を引っ張り寄せ、両足に力を込めて地面を抉る。


「ぎッ、あああああああああああああッ――!!」


 拮抗状態が数瞬続き、ほんの僅かだけ余った力で前進する。

 それを確信した瞬間に、左手で再び肝臓を打ち抜く。


「あああああああああああああああッ!!」


 勘があっているという根拠のない事を大前提に、次は確実に正解を引き当てられる筈だった。

 選んだのは当然、豪腕の第2関節。

 おれの勘も捨てたものじゃない。

 そしてその次も正解だ。選んだのは、また人間には存在しない筈の咽頭部。

 戻って、左腎臓――失敗する。

 そしてそこで限界が来て、豪腕が頭上を薙いでいくのを冷や汗を掻きながら感じ取り、次いで爪先が鳩尾に埋め込まれる。

 しかも舌と違い、外見に相応しい鉤爪が皮膚と肉を貫く。致命傷ではなけれど、十分に重傷だ。


 おまけに悪いことは重なるもので、さっきので右手の中指は左のと同様に完全に砕けた。これで殴るのが少し面倒になる。

 まったく、笑えて来る。


「何が1番笑えるか、教えてやろうか?」


 また魔力が収束していく。もう回避する気も起きない。

 ただ変わりに、体を寝かせたまま最大限に息を吸い込み、来るであろう衝撃に備える。


「さあこれからだってところで、無理やりに一息をつかされる事だよ」


 想定外な事は多々あれど、その中で1番マシなのは制限時間が考えていた以上に短かった事か。


 山火事に限らず、大規模な火災においては当然ながらその炎の量に比例するように、大量の空気が消費される。

 だがそれは当然ながら無限ではないので、やがて炎は自分の近くにある空気を全て消費し切る。そうなれば、密閉空間ならば必要なものが欠けた炎はただ鎮火を待つしかないが、生憎密閉空間とは正反対の吹き曝しの外ならば、足りなければさらに離れた火の手の及んでいない空間から引き出す事が可能だ。

 これによって空気を引き出す際に生じる上昇気流は、やがて中心部分で燃焼している高温の空気をも巻き込んで上層へと向かって行く。その空気を貪る炎も一緒に。

 それは炎をともなった旋風になり、巻き上げられた炎は一緒に巻き上げられた空気を即座に貪りつくして次の獲物を得ようと空気のある方へと捕食者としての意思があるように動いていく。


 俗に火災旋風と呼ばれるその現象は、秒速にして100メートルを超える暴風と過剰な空気を供給されて1000度以上の熱量を得た災害であり、シアのオリジナルの魔法である【炎刃暴速旋風】の倍近い熱量と数十倍もの範囲と数百倍ものエネルギー量を誇る戦略級の魔法と同等だ。

 だが一方で、これに巻き込まれた場合の死因の多くは呼吸器系を傷つけた事による窒息死が殆どであり、火傷が原因である事は少ない。

 それは焼け死ぬ前に窒息死するという事もあるが、旋風の中心は台風の目と同様に外見に反して穏やかであるという事が大きい。

 つまり、呼吸器系を保護して尚且つ旋風の中心地でジッとしたまま身を任せていれば、賭けるのには悪くない確率で生存が可能という訳だ。


 とは言え、それでも戦略級魔法と同等の破壊力は健在で、いくら確率があると言えども、同じくらいの確率で死亡する可能性がある。

 加えて呼吸器系の保護をしていないであろう敵は、おれ以上にその可能性は高いだろう。


「まっ、なるようになれだ」











忙しすぎて病院生活が懐かしい。

というか入院していたから忙しいんですけどね。

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