王都襲撃④
「考えろ、何かしらの種がある筈だ……!」
足元の建物を蹴って倒壊させ、ザグバは別の建物に跳び移る。
周囲に素早く視線を巡らせるが、離れたところで交戦している仲間のミズキアとその交戦相手を除き、人影は見当たらない。
そもそも、2つの災害が同時発生しているような地に好んで留まるような酔狂者など普通に考えれば居ないので、当然といえば当然の事ではあるが、やはりそれはおかしな事だった。
「…………」
ザグバは視覚に頼ることを諦め、目を閉じて呼吸を落ち着かせ、周囲の気配を感じ取る事に全力を尽くす。
身体能力こそ圧倒的であるものの、魔法に関する能力を一切持たないザグバは、その手の能力を伸ばす事に余念は無い。
カインの言を借りればふんぞり返っていない故に、ザグバにとっては例え視覚に頼らずとも周囲の様子を把握する事などは、逆立ちをするよりも容易い。
その筈だった。
「チィッ!」
裏拳を振り抜き衝撃波を放つが、その方角にはそれによって倒壊した家屋の残骸が転がるのみ。
だが、自分のわき腹にそれまでは無かった筈のナイフが埋まっている事を見て、ザグバは歯噛みする。
「考えろ、普通に考えれば人が消える訳がねえ。絶対に何かしらの力が働いている筈だ」
もう1度、自分が把握しなければならない事を口にする。
「その通りだな。人は消えない。魔法を使って姿を消しても、絶対に何かしらの痕跡というものが現れる。それが当たり前の事だもんな」
「ッ……!?」
背後から息が掛かる程の距離で声を掛けられ、また至近距離に突然人の気配が生まれた事により、考えるよりも先に肘鉄を繰り出す。
だがそれも空を切るばかりで、代わりに首筋に決して浅くは無い切り傷が刻まれる。
もう少し深ければ、頚動脈を掻き切られていたところだった。
「そして次に、こう考える訳だ。なら、何らかの固有能力かってな」
反転すると、自分の立つ屋上の反対側に飄々とした姿で立つテオルードの姿があった。
「なら固有能力なのか?」
「言う訳ないだろう」
肩を竦めてそう言うテオルードだったが、ザグバは固有能力であると半ば結論を出していた。というよりも、そう考えるのが自然な事だからだ。
そんなザグバの内心を理解しているのか、飄々とした笑みで、屋上の縁に沿ってゆっくりと歩を進める。
ザグバもまた、テオルードの種の正体について推測をしながらも、その姿を常に視界の中心に納めるように後を追いながら少しずつ拳に力を込めていく。
一方で、視界はそのままに周囲に気を配るのを忘れない。
それはこの場のどこかに居る筈の、テオルードの妹の姿をどこにも見ていない為だ。
自分を襲っている不可思議な現象、その正体がテオルードの能力によるものではなく、その妹の能力によるものであるという可能性もある為だった。
「と思ったが、やっぱり気が変わった」
ちょうどザグバの体の右側まで移動したところで立ち止まり、そんな事を口にする。
それとほぼ同時に、弾かれたようにザグバが疾駆。
全身のバネを利かせたスタートダッシュを受けた建物は、蹴られた部位を中心に半分ほどが倒壊する。そしてそれ程の力による疾駆を行ったザグバの姿は、テオルードの動体視力を持ってしても消えたようにしか見えなかった。
「ダメだっての、そんなんじゃな」
それでも、半身になると同時に半歩横に移動してすれすれのところで轟風をやり過ごす。
その行動に焦燥と怯えを露わにしていた態度など微塵も存在せず、それまでからは考えられないほどに落ち着いた態度で、冷や汗も掻かずに囁きかける。
「右足、見てみろよ」
ザグバはテオルードの言葉に耳を貸さず、さらに拳を引き戻して裏拳を放ち、反対の手による拳打を放つ。
それはテオルードが今まで2度に渡って、唐突に姿を消したという事は無く、何かの拍子に視界から外れて結果的に姿を見失っているという結果から来る行動だった。
勿論それを偶然と片付けるのは容易いが、仮に間違っていても推測材料にはなる。
だからこそザグバは、テオルードが攻撃を建物を次から次へと跳び移ってまで回避しながらも、追撃の手を緩めずに視界から逃すことを良しとしなかった。
「なッ……!?」
しかし、次の技に右足による蹴りを入れた瞬間、眼を見開いて動きを止めてしまう。
視界に入ったのは、右の足首の関節に差し込むように刺さっている、平たい刀身のナイフ。
それもやはり、どのタイミングでやられた事なのかは分からず、ただいつの間にかそこにナイフが刺さり、またそれを自覚するまで痛みもまるで感じずにいたという事実に驚きを覚えて動きが止まる。
そして、テオルードを視界から一瞬とはいえ逃してしまう。
「また……なぁッ!?」
テオルードの姿を見失った事に舌打ちしそうになった瞬間、足場が突然に倒壊して浮遊感を味わった事に驚愕を覚える。
「ミズキアぁ! テメェ、周りを良く見て戦えよ!」
「そりゃこっちの台詞だ!」
ミズキアの呼び出した、ずんぐりとした体型の怪物が足場の建物に突進して倒壊させた事に文句を言うと、逆に苛立ったような声が戻って来る。
「そっちが勝手にこっちに近付いて来たんだろうが!」
「はぁ!? そんな筈が……!?」
そこでサッと顔色を変え、叫ぶ。
「ミズキア、横ぉ!」
「ッ!?」
その声にミズキアが、弾かれたように右を向く。
直後に背中に衝撃を感じて、続いて熱が襲って来た事から刺された事を理解する。
「逆だ、馬鹿」
背後に暗い笑みを浮かべたテオルードが立っているのが見えた瞬間、さらに背中を足で押されてミズキアは怪鳥から真っ逆さまに落下する。
「まず1人だな」
怪鳥の上から降りたテオルードと向かい合う。
そこでようやく、ザグバは自分が当初の戦場からは大分離れた場所に立っている事に気が付く。
「自分がいつの間にか大きく移動していた事が、そんなに不思議か?」
ザグバにしろ、そして彼だけに限らず同じ【レギオン】の団員にしろ、殆どの者が歴戦の傭兵たちだ。
戦いに熱中する事はあっても――いや、戦いに熱中するからこそ、常に状況の把握は怠らない。
間違っても、近くで別の戦いを繰り広げている仲間と戦場が重なり合ったりしないように細心の注意を払いながら戦う。
それは単純に仲間の邪魔をしないようにという理由だけでなく、それが結果的に自分の首を絞め得る事を頭で理解しているからだ。
「そんなに驚く事じゃあない。オレがそうなるように誘導したんだからな」
ザグバの疑問を正確に把握したテオルードが、笑いながらそう言う。
「人は誰しも、死角を持っている。この場合の死角というのは視界の死角ではなく、言えば意識の死角というものだ。
人ごみの喧騒の中で特定個人との会話が成り立つのは、そいつの声以外の自分にとっては関係の無い音を無意識のうちに遮断しているからだ。視界に膨大な情報が広がる中、特定の情報のみを取得できるのはそれ以外の情報を無意識に捨てているからだ。
そうやって、存在しているのに存在していないのと同義のものとなるもの――それはまさしく、意識の死角そのものだ」
腰のベルトから、新たに2本のナイフを引き抜く。
それを予備動作無しで投擲。自分に向かって飛来してくるナイフに対して、ザグバは拳を振り抜き、正面から打ち砕く。
間髪入れずに距離を詰めて来たテオルードに対して、拳を引いて迎撃の意思を示す――と見せ掛けて、引いた拳をそのまま横手に向けて打ち出す。
「そう上手くはいかないか」
「邪魔だ!」
気配を消して接近して来ていたゼインが、暴風に煽られて体勢を崩したところに追撃。顔面を狙った正拳に対して、ザグバは手のひらを間に入れて受け止めようとする。
「……チッ!」
普通ならば、そのガードごとザグバの拳は打ち抜き頭部を粉砕できる。だが直前でザグバは拳を引き、勢いを宙に躍り出て殺し、回転してからの踵落としへと移行する。
ザグバの本能が、そのまま打つなと警鐘を鳴らしたが故の行動だった。
「惜しいな」
大振りのその攻撃はあっさりと回避され、代わりに何軒目かの建物を倒壊させて地面まで一気に墜落に近い速度で降り立つ。
上方から降って来る瓦礫を両手を駆使していなし、自分とその周辺の安全を確保したゼインが残念がる訳でもなくそう呟く。
「話の続きだが……」
ミズキアの交戦相手という新手に、そして再び姿を晦ましたテオルードに対して警戒をしながら構えていたところに、そんな声と共にゼインの姿が遮られる。
「この意識の死角という範囲内においては、何が起ころうとも人は何も気にしない。気にしないというよりも、そもそも何も認識しない。当然だな、その認識に必要な情報を自ら遮断しているのだから。
だがそれは、オレのような暗殺者からすれば好都合な事極まりない。仮の話、その意識の死角を利用できれば、自分の存在を感知される心配が無くなる訳なのだからな」
胸に走る灼熱感と激痛は、紛れも無い刺し傷から来るものだった。
視界に映るのは姿を晦まし、そしてどこから襲い掛かって来ても素早く対応できるように警戒していたテオルードだった。
そのテオルードが、真正面から水平に寝かせたナイフを自分の胸に――心臓に突き立てているのをザグバは理解する。
「確か言ったよな、暗殺者の本当の戦い方を教えてやると。
本当の暗殺者は、こういった間を読む。間を読んで意識の死角に入り込めば、こんな風に正面から堂々と近付いても、相手はそれを認識しない。だから簡単に接近して殺す事ができる訳だな」
ナイフが捻り上げられ、傷口を大きくしてから引き抜かれる。
「お前らは戦いに勝つ事が目的で戦うのだろうが、オレたち暗殺者は敵を殺す事を目的で戦う。
それによって齎される結末は同じでも、その内容は大きく違う。お前たちは戦闘のプロなのだろうが、オレたちは人殺しのプロだ。相手が悪かったな。
お前らはオレたちを――ティステアを舐め過ぎだ」