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不始末と後始末

 



 【死神】という通り名は、決して嫌いじゃない。エルンストを言い表していた名詞と同じだったから。

 だが同時に理解している。名称こそ同じでも、そう呼ばれている理由は正反対であると。


 遭遇する敵の全てを皆殺しにして屍を積み上げ、どれほど過酷な仕事でも生還してのける【死神】は、言えば自分で災厄を作り出す。

 一方で同様に生還こそすれども、自分の手ではなく偶発的に発生する災害によって屍を積み上げる【死神】は、自分で災厄を引き寄せる。

 前者は敬意と畏怖を持って、後者は侮蔑と厭悪を持って。


 どうして同じ名称でも、内包する意味がこんなにも違うのだろうかと考えた事はある。

 そしてすぐに、簡単すぎる結論を導き出して完結する。


 根幹に存在するのは格の違いであり、そして存在の違いだ。

 災厄を自ら作り出せるほどの力もなければ、一方で引き寄せる災禍を防ぐだけの手立ても持たない。

 呼ばれる理由が違って当然だ。


 その事は悔しくも思えるし、同時に嬉しくも思える。

 別に被虐趣味がある訳じゃない。憧れの存在の事を、他者もまた遥か高みに存在している事を認知しているという事の客観的な証明であると分かるからだ。

 でも、やっぱり悔しい事は悔しい。

 憧れているだけじゃ、絶対に越える事はおろか、エルンストの見ていた遥か高みから見下ろす視界の足元にも到達できない。

 それは分かっているし、それを打破するための手段も理解している。

 差し詰め、まずは自分の引き寄せる災厄を自力で打破する事から始める必要があるだろうか。


 もっとも、言うは易く行うは難し。口ではいくらでも言える。

 だが、そればっか並べ立てて足踏みしていても何も変わりはしない。いつかはどこかで1歩を踏み出す必要がある。


「やあ、眼を覚ましたかい?」

「…………」


 アスモデウスの声が聞こえて、自分が寝ていた事を理解する。

 同時に寝ていた原因も、後頭部の疼痛が教えてくれる。起き上がって手を当ててみると、乾き始めた血が付着していた。


「すまないねえ。守ると言った矢先にこれでは、言い訳のしようも無い」


 見ると、煤に塗れて全身に決して浅くない傷を負って血を流したアスモデウスが居た。

 さらに周囲を見渡してみれば、意識を失う直前に居た筈の場所には到底見えないくらいに変動し、至るところから濛々と煙の上がっている変わり果てた地が広がっていた。

 唯一、おれを中心とした周辺が円形に綺麗に形を保っている理由は、想像するまでも無いだろう。


「いや、助かった」

「そう言ってくれると救われるよ」


 埃を叩いて落とし、続いて傷ついた肌や破れた服などをサッと手で撫でると、傷も汚れも1つも無い真新しいものへと変わる。

 だがそれが表面上だけの事なのは、おれの感覚に引っ掛かるアスモデウスの保有する魔力が教えてくれる。

 元は膨大で上限すら測り知る事のできなかったそれは、そうと分かるぐらいに消耗している。


「礼を言う」

「約束を果たしたまでさ。ボクは約束は違えない主義でね、結果的に破る事になるのはともかく、自分から破り捨てる事はない、我ながら義理堅い性格をしていると認識しているのだよ」


 無敵の権能を持つ筈のアスモデウスがそこまで傷を負って消耗している理由は、おれを守って交戦していたからに他ならない。

 何者からも干渉されなくなる代わりに、何者に対しても干渉する事もできない。それでは自分の安全はともかく、他人の安全を確保する事は叶わない。

 だからこそ、自分の安全を捨ててまで戦ったのだろうという事は、簡単に想像がつく。


「……あれは」

「ああ、予想以上に追い付かれるのが早くてね。咄嗟に接近して来るのが捉えられたから良かったけども、もし気付くのがあと少しでも遅ければ、キミを守れないところだったかもしれないね。ボクが言って良い事でもないが、気絶で済んだのは運が良かったよ」


 無残に荒れ果てた地に、陰惨なまでに徹底的に破壊されて倒れ伏している残骸が1つ。


「なら、何で――」

「おっと、話は後にしてくれたまえ。正直に言って、いまはそれどころじゃない」


 アスモデウスがおれの言葉をそう言って遮り、腕を掴んで来る。

 途端に、周囲の景色が激変する。それが先ほどのように跳んだのだと気付くのに、少し時間が掛かった。


「やはりこれが限界か。というか、さっきよりも跳んだ距離が短くなってるね。さすがに疲れてるようだよ」

「何故跳ぶ必要が?」

「まだあれが死んでないからさ」


 当然だろう、とアスモデウスが言う。


「似たような事は言ったけれども、あの程度でどうにかなるようだったら、とっくにボクは自分から問題解決に勤しんでいたさ。あれは一時的に動きを止めているだけに過ぎない」

「……どういう事だ?」


 四肢も首も分離された状態で、全てのパーツが原型を留めていないぐらいに徹底的に破壊されていた。それでも生きていると言われても、そうかと納得はできない。


「キミはルシファーの権能を知らないのかい?」

「それは知っている」


 ミネアから受け取ったエルンストの手記に記されていたので、知ったのはつい最近の事ではあるが、それでも概要とその脅威は理解しているつもりだ。


「なら話は簡単だ。あれは確かに大罪王としての往来の力は失っているし、権能の大半も使えなくなっている。でも、ごく一部であり、そして最も厄介な権能は未だ健在なんだよ。いや、外付けされているのがある分、それだけを抜き出せばむしろ全盛期の頃よりも厄介かもしれない」

「……成長、か?」

「それさ。いや、厳密には適応ないし対応なんだけれどもね」


 アスモデウスの返事に、頭を抱えたい思いで一杯になる。


 おれも実際に見た訳でもなければ、聞いた訳でもない。ただつい最近、エルンストの遺した手記からざっと知っただけの知識しか持ち合わせていない。

 だがそれでも、ルシファーの成れの果てに残った権能がどれほど厄介かは想像するに余りある。


 高慢な態度を愉快に思う者は、当然だが居ないだろう。しかし、高慢に振る舞う側もまた振る舞う為の資格というものが必要となる。

 高慢な態度を取れるのは、その者が他者よりも優れているからこそだ。明らかに劣っているのに他人を見下した態度を取るのは高慢ですらなく、ただの身の程知らずでしかない。

 自分の身を知っているからこそ、高慢という態度は初めて成り立つのだ。


 では、もし自分よりも優れた者と遭遇し、それを理解しながらも尚も高慢であろうとするにはどうしたら良いのか。

 答えは単純明快、そいつよりも更に上に行けば良いのだ。

 ルシファーの司る【高慢】の大罪の権能は、そういうものだ。

 自分よりも強い相手と相対した時に、そいつに勝てるよう、そいつよりも強くなるように自分の体構造を、そして存在を変化させる。

 エルンストはそれを成長と形容していたし、アスモデウスは適応ないし対応と形容していた。どれも正しいだろう。


 敵対した相手に合わせて、そいつに勝てるように強くなれるというその権能は、戦いの最中に置いてどんな奴が相手だろうと上回れる。

 だからこそ、ルシファーは大罪王の中でも最強として君臨していた。

 実質的な力は現在のマモンはもとより、全盛期の頃のベルよりも劣るらしい。

 だがそれでも、まずどんな相手でも相性で優位に立てる。その相手が同族だろうが神族だろうが、権能は等しく効果を発揮する。


 強いが故に高慢なのではなく、高慢であるが故に強いのだ。


 成れの果てとなった事で、往来の力の大半を失い、権能もまた例外ではないと言う。

 だがそれでも、高慢の本質たる権能は健在どころか、むしろそれだけならば全盛期以上かもしれないとアスモデウスは評する。

 そんな奴に延々と追い掛けられる事が決定したのは、最悪という言葉では言い表せないくらいにヤバイだろう。

 今までいくつもの災禍を引き寄せて来たが、今回のこれはその中でも断トツに最悪と言っても過言ではないかもしれない。


「あの権能が残っている限り、例えボクでも消耗戦に持ち込まれて敗北するだろうね。そして、殺されて取り込まれておわりさ。できればそんなのは遠慮したいところなんだけど……」

「打つ手が無い、か?」

「恥ずかしい話だがその通りだ。戦わずにやり過ごすのは簡単なのさ。ボクの権能はそうやって使うものだからね。

 でも、それだとキミを守れない。キミを守るには、あれをどうにかするしか無いのさ」

「それも魔界に居る間の話だろう?」

「確かにそういう約束なのだけれどもね、そもそもキミを無事な状態のまま魔界から連れ出すという事が無理難題に近いよ。

 一体キミの師は、あれよりも強い力を持っていた全盛期のルシファーを相手に、どうやって勝利を収めたんだい?」

「…………」


 事の顛末を、当然だがおれは見ても聞いてもいない。

 だが答えられないかと言えば、答えは否だ。その辺りの事は、きちんと手記に書かれていた。


「……エルンスト曰く」

「曰く?」


 アスモデウスが期待するように身を乗り出して来る。

 だが、残念な事にその期待には応えられない。


「相手が成長するよりも、自分が更に速く成長して捻じ伏せれば良い……らしい」

「…………」


 アスモデウスが閉口する。当然の反応だ。


「こう言っては失礼かもしれないが、まるで役に立たないね」

「いや、おれもそう思うから気にしなくて良い」


 エルンストは、何でもかんでも自分基準で物事を考える傾向があった。

 当然ながら誰も真似できない場合が殆どなのだが、いくら言っても聞く耳は持たなかった。


「……アスモデウス」

「何だい?」

「時間さえあれば、1度の跳躍で魔界を出る事は可能なんだよな?」

「……ボク個人としては、キミの考えには余り賛同できない。例えそれが合理的であっても、それを呑む事はキミを危険に晒し、引いてはキミに対して交わした約束を反故にする事だからね」


 さすがに話が早い。要らない手間が省ける。


「こう言うのもあれだが、もう危険に晒されている」

「……実にすまなく思うよ。一体何度目の謝罪だろうね」

「なら、もう謝らなくても済むように判断して貰いたいところだな」

「…………」


 現状は誰がどう見ても逆境の真っ只中だ。

 だが逆境と順境は表裏一体、窮地の中にあってこそ見えて来るものだってある。

 アスモデウスもそれが分かっているのか、それ以上の反論を行わず、顎に手を当てて思考の海に没頭する。


「……相当な時間が掛かるのは間違い無いけれども、その時間を短縮する方法ならある」

「それは?」

「媒体として対象者の――この場合はキミの血を少し貰いたい。あまりやった事の無い方法だけれども、何しろ無能者の血だ。抵抗が無い分、媒体物としてはこの上ないだろうね」

「それで時間が短縮できるなら構わない。それともう1つ聞きたい事がある」

「……正直あまり聞きたいとは思わないけど、聞かなきゃいけないんだろうね」

「そんな難しい事じゃない。ただ、跳ぶ先は自由に選べるのかどうか聞きたいだけだ」


 おれの言葉に、微かに眉を顰める。


「当然可能だよ。でなければ、そもそもキミを魔界から連れ出す事もままならないだろう?」


 確かにその通りだ。愚問でしかなかったな。

 そしてとても好都合だ。


「わざわざそんな事を聞くという事は、行き先を指定したいんだろう? どこに跳びたいんだい」

「ティステアの王都……あんたがおれを拉致した場所に、寸分違わず跳んで欲しい」

「……結局それで危険の矢面に立たされるのはキミだから、究極的にはボクには関係がないとも言える。

 だから、キミの要求を呑む事自体にはボク自身の感情を除けば問題ない。そして、合理的に判断すれば呑む事が正しいだろうね」


 瞑目していたアスモデウスが目を開けて、神妙な声で告げる。


「だけどそれでも、ただ跳ぶよりも時間が掛かる事は留意しておいて欲しい。言葉を翻すのなら、いまのうちだよ」

「何の問題もない。そもそも、これはおれがやるべき事だ」


 アスモデウスの話を聞いてから、おれが勝手に、だが筋は通っているであろう考えを口にする。


「半分は言い掛かりに近いが、今回のこれのそもそもの発端は、エルンストの不始末とも言える。

 なら、その不始末の尻拭いをするのは、弟子であるおれの役目だろう?」

「……これは勘なのだけれども、キミはそうと自覚して嘘を吐いているね」

「ははっ……」


 正解だ。

 そう思っているのは事実だが、そうする理由ではなく、ただのこじつけだ。

 ただ、今回のこれを自分の行動の上でやり過ごせれば少しは近付ける――そう思っただけだ。

 それに、エルンストの目の前で同じ事を言えば間違いなくぶん殴られるだろう。

 勝手に俺の不始末にするなとか、多分そんな理由で。だから、本心の全てじゃない。


「……正直に言えば、ドキドキしてるよ。怖いけれども、それ以上にな。

 だからさ……頼むよ」

「……頼まれたよ」










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