混沌始動⑫
「さ、さすがに……前準備無しで5人の手練れは手間取ったな……」
自分で首を刎ねた最後のウフクスス家の方――ゼインさんの副官を務めていた人の死体を剣で突いて、本当に死んでいるかどうかを確認しています。
首が無いのだから死んでいるのは当然だと思いがちですが、ジンさん曰く、ごく稀に能力関係無しに首を刎ねても少しの間動いて襲い掛かって来る人も居るのだとか。
俄かには信じ難いですが、ジンさんがそう言うのでしたらそうなのでしょう。
「本来は戦闘に入る前からじっくりと仕込んで、いざ交戦した時に即座に決められるようにするのが鉄則だってのに、お陰で準備を終えるまでこいつらを俺1人で凌ぐとか、何の罰ゲームだよ」
「自分で言ったんでしょうが」
おお、アルトニアスさんが珍しく同意できる事を言ってますね。だから何だという話ですが。
そんな事よりも、
「どうか無事で居てください」
「待ちなさい」
何ですか、いざ行こうとしたのに。
「あんた、その状態でどこ行こうってのよ」
「ジンさんの下にです。その程度も分からないんですか」
「私が言ってるのは、立っているのもやっとな状態でって事よ」
「この程度、怪我のうちに入りません。邪魔しないでください」
「そうもいかないわ。手当てするからジッとしてなさい」
「要りません」
「黙りなさい」
「大人しく受けとけよ。急いては事を仕損じるって言うだろ?」
「死んでください」
「何で!?」
どちらかと言えば使うべきは急がば回れです。意味が似ているのは確かですが、使いどころが違います。
結局私の力ではアルトニアスさんには適わず、羽交い絞めにされて半ば強制的に治療を受ける羽目になりました。
この程度の傷で満足に動く事もできない自分が恨めしいですね。とにかく私は1秒でも早く、ジンさんの下に馳せ参じなければならないというのに。
主人の危機に駆けつけて身代わりとなる事もできなくて、何が奴隷ですか。
その程度の事もできない奴隷など、存在価値などありはしない。
「さすが貴族だな。結構持ってんじゃねえか」
「……何暢気に死体を漁って財布を盗んでやがるんですか。そんな暇と元気があるなら、貴方だけでもジンさんのところに行ってください!」
「そうカッカすんなよ。これは必要な行為だ……マジかよ、総額どころか1人頭の金額だけで俺の貯蓄超えてやがんな。随分な儲けだ」
「その台詞を言う前に自分の表情を鏡で見てください。欲望に塗れてるじゃないですか」
「マジか? まあ、心配する必要はねえよ」
「誰が貴方なんかを心配するもんですか」
「そっちじゃねえよ、ジンの事を心配する必要が無いって事だ」
「……どういう事?」
いや、その台詞は私が言うべきだと思うんですがね、アルトニアスさん?
どうして貴方があの人の心配をするんですか。どう考えても私がするべきポジションでしょう。
「言葉通りの意味だ。無事かどうかの保証はしないが……少なくとも、死ぬ事は無い。絶対にな」
無責任な発言……という訳でもなさそうですね。
まるでそう言い切れる明確な根拠を持っているような、そんな言葉です。それが何なのかまでは推測する材料すらありませんが。
そう言えばこの人は、随分前からジンさんとは顔を合わせているのでしたか。本人の言を解釈するに、同じ戦場に立った事も1度や2度ではない。
そこから進めて考えるに、私の知らない、この場においてこの人だけが知っているジンさんに関する何かがあるという事でしょうかね。
少しばかり……いえ、かなり妬ましいですね。
「おっ、これも換金したら結構な額になりそうだな」
この人は本当に……いえ、むしろこれが一般的な傭兵の姿でしたか。
「はい、終わったわよ」
「遅いです」
「あんた、それはさすがに――」
生憎、話を最後まで聞いている余裕は私にはありません。
即座に立ち上がって、一目散に通路を進んで行きます。
ジンさんが突き破った壁は交戦中に元通りになっていましたが、元よりチェックポイントに戻されたことは分かっているので適当に進むだけで合流できる筈です。ジンさんが移動していなければという条件付きですが。
「――ン?」
「……ベル、ゼブブ、さん?」
思わず――ええ、思わずです。思わず私は、彼女の事を愛称ではなく本名で呼んでいました。
戻されたという感覚はありませんでしたが、視界の先にジンさんの姿が見えて駆け寄ろうとして、すぐにジンさんの状態に気付きました。
血塗れという言葉が、今まで私が見てきた光景のどれよりもこの上なく似合う姿でした。
まず眼に入るのは、左腕の欠損。ついで炭化し焼け爛れた断面を含む左半身。
反対の右腕も前腕部が半ば程まで千切れ掛けており、他にも掠り傷や切り傷は数え切れません。
腹部には鉄製の――おそらく元は杭か何かだったのでしょう、それが埋まっており、明らかに急所の1つである腎臓を貫いていますし、胸の辺りには鎖骨のすぐ下、心臓すれすれの位置を刺された跡まであります。
壁に凭れるように座っているので背面部の全貌は見えませんが、眼に入る肩口や首裏には途中で途切れた傷が見え隠れし、壁に接している部分がどうなっているか容易に想像できます。
何より、それらを抜きにしても全身持て余す事無く大量の刃物による傷が刻まれており、それは決して致命的な程に深くは無くとも浅くもありません。なのに、周囲にある血溜まりを除けば新たに血が流れている様子は無いのです。
意外と冷静に観察できるものですね。いえ、冷静になろうとあえてジンさんの様子を観察したというのが正確なところですか。
「ベルさん、何をしているんですか……?」
ある意味ではジンさんの生死以上に重要な、確認しなければならない事項。
先ほどからジンさんの対角線上に立っているベルさんが、一定のペースで実に美味しそうに噛り付いている、手に持っているそれ。
それはとても見覚えのあるものでした。この私が見間違う事など、絶対にある筈がありません。
「ああ、これカ? 身が締まっていて結構美味いゾ?」
「何をしているかって聞いてぶっ!?」
いきなり背後から押し倒されて地面に激突し、顔を強打しました。
「落ち着け、心臓は動いている。まだあいつは死んでない。だから無闇に飛び掛かったりするな」
やったのはカインさんでしたよ。私が駆け出した時はまだ死体漁りを続けていた筈ですが、もう追いついて来たようです。
カインさんの言う事を確認する術はありませんが、確かに注意深く観察してみれば、微かですが胸は上下しています。とりあえずは一安心です。
ですが後で覚えていてください。ジンさんにこうされるのは大歓迎ですが、それ以外の人にやられてもただ不愉快なだけですので。
「クソが、姿が見えないからってすっかり安心しきってたぜ。よりにもよって、こんな状況で出会うとはな」
「つれない事を言うなヨ、って言いたいところだガ、ひとまず安心しろと言っておク。少なくとも今はオマエごときにちょっかい出すつもりはねェヨ」
あの【レギオン】に属している筈のカインさんをごとき呼ばわりしながら、話している最中も手を休める事無くジンさんの腕を咀嚼していくその姿は、見ていておぞましさしか沸いてきませんね。
「そうかい、そりゃ良いニュースだ。もののついでに、もう1つ聞いていいか?」
「何ダ?」
「それは、お前がやったのか?」
カインさんが言うのは、押し倒されている私でも良く見える血の海と、その上に浮かんでいるバラバラになった多数の人の体構造の事でしょう。
ベルさんもそれが分かっているのか、ニンマリとした笑みを浮かべて答えます。
「そうとも言えるシ、違うとも言えるナ」
「どういう意味だ?」
「ケケケ、何でも聞いたら答えて貰えると思ってんじゃねェヨ。ちったぁ自分で考えロ」
指に付いた血まで舌で舐め取ったベルさんが、続いて服の裾を持ち上げてその中に手を突っ込んだかと思うと、ズルリと何かを取り出しました。
「ほらヨ、ただ繋げるだけで大丈夫なようになってるかラ、早いとこ繋げておいてやれヨ」
「えっ!? う、うん……」
そう言って放り投げたのは、紛れも無いジンさんの左腕でした。
何故か謎の粘液に塗れていますが、ベルさんが手に持って咀嚼していたボロボロの状態にあったものではなく、まるで精巧にできた人形のパーツのように傷の無い状態のものです。
受け取ったアルトニアスさんが、何故か嫌そうな声で答えていますが、そんなに嫌がる要素はありましたでしょうか。
「だから言ったろ、飛び掛かるなって」
「理解しました。ですので早急にどいてください。でないと無事に脱出できた後にウフクスス家に貴方の事を強姦魔として報告します」
「無理だな、出たら俺の事を覚えてない」
「私の目の前で堂々と種を使うなんて、随分と迂闊でしたね。対策ぐらい立ててないとでも?」
「…………」
実際はこれといった妙案は浮かんでないのですが、カインさんは即座にどいてくれました。
これは一応私の勝ちという事で良いのでしょうかね。
「そうそウ、オマエの内臓も今だったら返してやれるゼ。どうするヨ?」
「要らねえよ。折角急所を1つ減らせているのに、誰が好き好んで元通りにするんだよ」
後ろでそんな会話が交わされていますが、私にとっては比較的どうでも良いですね。
そんな事よりもジンさんです。
「治りますか?」
「命に別状はないわ。腕は簡単にくっついたし、あとは少なくとも傷を塞ぐ事まではどうにかなりそう。ただ、それ以上となると……」
「短期間で治癒魔法を掛けすぎましたか」
「今日だけでも大掛かりなのは3回目よ」
治癒魔法は便利ではありますが、万能ではありません。
例え治療といえどそれが魔法である事に変わりは無く、それ故に魔力抵抗力の影響を強く受けます。
その為その抵抗力が高い人には利き難いですし、人によっては場合によっては欠損した部位を再生する事は不可能な事もあります。
その点で言えばジンさんは無能者ですので、そちらの心配はありません。ですがそうなると、逆にもう1つの問題が出てきます。
何事も過ぎれば毒となるように、余り治癒魔法によって他人の魔力を受けすぎれば、それは逆に自身の体を蝕んでしまいます。
それによって引き起こる悪影響は多種多様ですが、どれも極めて性質の悪いものが多く、間違っても引き起こす事はできません。
この問題は魔力抵抗力が低い人ほど起こりやすく、無能者であるジンさんが最も発症率が高い事は言うまでもありません。
治癒魔法は本当に最低限に留めて、後はできる限り本人の自然回復力に任せるという原則も、それが理由でできたものです。
ですが、とりあえず動ける程度には回復できるとの事でしたので、安堵の息を吐きます。
どうやらアルトニアスさんの腕は、下手なお抱えの治癒士よりも上なようですね。前は自分の籤運の悪さを呪ってやりたい気分でしたが、これは思っていたよりも拾いものだったかもしれません。
それにしても、いつまであの2人は言い争いをしているんでしょうかね?
仲裁する気も、ましてや聞いているつもりもありませんが、それでも喧しい事に変わりはありません。
と思っていたら、どちらからとも無く――いえ、カインさんが逃げ腰で下がった事で一応の決着が着いたようです。
まあジンさんに関係の無い以上、どうでも良い事ですが。
「しっかシ、思っていた以上に馴染んでいるようデ、嬉しい誤算って奴だナ。まさに無能者様々ダ、他の奴じゃあこうはいかなかっただろうヨ」
「よう、やっと起きたかよ、この勝ち組野郎」
「……チッ」
心なしか粘つく粘液が付着している気はするものの、切断した筈の左腕はある。勿論ぐちゃぐちゃになっていた筈の肉も骨も元通りで、ついでに腹の穴は一応ではあるが塞がっている。
全身の傷もパッと見た限りでは塞がっている。だが骨は接合の具合が甘いようで、鈍い痛みと違和感がある。
ついでに血は間違いなく足りていない。
だがそれらと、最初に視界に入ってきたのがムカつくカインの顔である事と、最初に耳に入って来たのがカインの耳障りな声である事と、ベルが人化して欠伸をしている事と、あと何故かおれがミネアに膝枕をされている事を除けば問題ない。
つまり問題だらけの現状だ。
「あっ、まだ起き上がっちゃ駄目です、私の為にも!」
「おれの為にも起き上がったほうが良さそうだな」
次に目に入ったのは、誰の目にも明らかなレベルで疲労しているアルトニアスの姿。
「傷を治してくれたのはお前か?」
「そうよ」
「礼を言う」
やはり血が足りておらず、立ち眩みを起こしたおれの視界に全滅した人形共の姿が飛び込んで来て、さらに立ち眩みを起こす。
ある意味前衛的な美すら感じるくらいにバラバラにされた人体の残骸の山は、文字通り人間業ではない。
つまりはベルがやった。
その事実が指し示す答えに眩暈がして来る。
「動けるか? 走れるか? 戦えるか?」
「前半2つは問題ない。ただ……」
この場において最も重要な3つの項目のうち、2つをこなす事は可能だろう。
だが最後のとなると、首を捻らざる得ない。
「おい、治療した側としてはこいつの今のコンディションはどんな感じだ?」
「即入院よ」
アルトニアスの視線に、おれを責めるような成分を含まれているのは気のせいではないだろう。
今のおれは、立て続けの大掛かりな治療が重なり合って、もはや治癒魔法が施せない状態にまで陥っていると見て間違いないだろう。
致命傷ではないものの、動くだけで骨が軋み全身が痛む。そして貧血の為に頭がグラグラとしていて、精密な動作を要求する戦闘は望めそうに無い。
死んでも酷使して2度死なすがモットーのエルンストでも、いまのおれを見れば問答無用でぶん殴って気絶させて休憩を取らせる可能性が高い。
あくまで高い止まりではあるのだが。
「マッ、オマエは指咥えてジッとしてろって事ダ」
ポンと、肩を叩かれる。
「安心しろヨ、オマエの代わりはオレが務めてやル。異論は認めネェ」
「……どういう風の吹き回しだ?」
「そんな気分なんだヨ」
傍から見てもそうと分かるぐらい上機嫌なのは理解している。
おれが分からないのは、何故そんなに機嫌が良いのかだ。
「まあジンさん、ここが未だ敵陣の真っ只中であるのは変わりありませんし、貴方のコンディションを考えてもここは戦闘は丸投げするが吉だと思いますよ?」
「別に異論がある訳じゃない」
むしろ歓迎するべき事態だと認識している。
現状を正確に把握するのは、傭兵として必須の行為だ。
ただ、同時に複雑な心境でもある。
「なら、さっさとこの迷路から出ようぜ。先頭は俺で良いよな? でもって、最後尾は任せた。進むべき方向は指示してくれ」
「ではとりあえず全力で前進してください。壁があってもそのままで。あの人以外の方たちは私の後に付いて来てください」
「……いや、良いんだけどな。現金も手に入ったし」
カインが先頭に立って歩き始める。ただし注意は前方にではなく、自分の背後に対して向けられているが。
何がそうさせるのかは、考えるまでも無いだろう。
「…………」
もう1度、自分の手足を確認する。
おれは間違いなく、いまを生きていた。
「無事とは言い難いですが、生きていて良かったです」
「死んだと、思ったんだがな……」
50もの高度に連携の取れた、高位の戦闘をこなす集団を相手に戦った。
負けるつもりもなければ、死ぬつもりも毛頭無かった。全員を殺して生き延びてやるつもりで、あの時における自分の全力を賭して戦った。
しかし、途中で力尽きた。
殺した数は20は超えただろう。もしかしたら、半分は殺せていたのかもしれない。
だがそれまでだった。
意識を失う直前に、おれを取り囲んだ人形たちが振り下ろした刃がおれの体を食い破り、冷気を持って侵入してきた時の痛みは、感覚は、鮮明に思い出せる。
その苦痛に耐え切れずに意識が落ちると分かった時に、死を覚悟した。
おそらくだが、いまおれが生きているのはベルの奴の気紛れによる部分が大きい。
「ちくしょうが……」
死ぬのは怖い。
隠す必要も誤魔化す必要も無い。おれは死ぬ事が、堪らなく怖い。
エルンストとの最後の約束を破る事が、この上なく恐ろしい。
その事を常に自覚し自分の中に置いていた筈だった。
今までの人生の中でも、死を覚悟するような場面は多々あった。
それでも、あそこまで鮮明に死が這い寄って来る感覚を味わったのは余り記憶にない。
今回のこれを除けば、最近のだと心臓に風穴が開いた【ヌェダ】の時以来か。
だがあの時のと今回のとでは、少しばかりではあるが中身は違っていた。
「……カイン」
「何だ?」
「おれの記憶が正しければ、お前はおれに1つ、貸しがあった筈だな?」
「…………」
背後からのおれの声に振り返らず――正確にはベルを視界に入れる事無く、沈黙で回答する。
覚えているのならば話は早い。
「その借りをいまここで返せ」
実に癪に障るが、仕方が無い。
全部おれが弱いのが悪い。
「お前の、音の技術をおれに教えて欲しい」
「…………」
カインの足が止まる。
必然的に、後続のおれたちの足も止まる。
「……なあジン、おれはお前の事を高く評価している。お前からすれば俺は親の敵と言っても過言ではないだろうが、俺からすればお前は理想像に近い。
だがな、さすがにそれは呑めない。貸し借りをきちんと清算するというのは傭兵の常だが、同時に清算は等価でなければならない。さすがにお前の要求はデカ過ぎる」
「承知の上だ」
「ついでに、仮に呑んだとしても意味が無い。教えたところで、どうせまた忘れるんだからな」
「それも踏まえた上でだ」
「……それらを無視した上で教えたとしても、使えはしない。お前も知っての通り、この技術はある種の先天的な要素を必要とする」
「お前が教えてくれれば、後はおれの問題だ」
別にお前と全く同じ領域まで使いこなそうという訳じゃない。
「……コツの助言1つ」
しばらくの間その場を沈黙が支配し、長考の末に搾り出された言葉がそれだった。
「それが限度だ。それで貸し借りはチャラ、それ以上は絶対にない。ついでに言えばそれ以外の便宜を図るつもりも無い。そういう形振り構わなさは嫌いじゃないが、俺としても譲れない条件だ。然るべき後に忘れて貰う」
「言質取った。後でなかった事にするなよ」
それだけで上出来だ。
後はさっきも言ったとおり、おれ自身の問題となる。
「神国でお祓いって……いや、そもそも神国自体が厄地みたいなもんだし、どっか良い所あったか?」
こいつのやった事は、例え逆恨みに近いと分かっていても水に流す事はできない。
だが合理的に考えて、流さずとも一時の間だけでも忘れるべきだ。
使えるものは何でも利用して、どんな手を使ってでも這い上がる。それすらもできないようであれば、話にもならないだろうから。
「オイ、何も出て来ねぇじゃねェカ」
「……俺に、言われても、なぁ」
表情は見えないが、おそらく引き攣らせた状態でこれでもかと言わんばかりに脂汗を浮かべているだろう。
それぐらいはおれでなくとも予想できる。
ミネアがその後何度か間違った上で正答を導き出してからは、驚くほどスムーズに進む事ができるようになった。
それ以降元の場所に戻されるなんて事も無く、順調に出口へと進んでいた。
敵がまるっきり出て来なくなった事を除けば。
「確かにおかしいわね。さっきまでひっきりなしに襲って来たくせに、もう1時間以上襲撃が無いなんて」
「考えられる可能性としては、先ほどの襲撃で駒が尽きたか……」
「あるいは、さっきの結果を見て散発的な襲撃は無意味と悟ったか」
ミネアとカインの推測のうち、ミネアのは考え辛い。
となれば、残るのは必然的に1つとなる。
「さっきのよりも遥かに多い数が、出口付近で準備万端で待ち伏せ、とかな」
ただし、考えられる推論が2つとは限らない。
「あるいは、駒はあれど動く事ができていないか」
「……ジンさん、申し訳ありませんが詳しい説明をお願いできませんか?」
おれの言葉を、揶揄するという訳でもなく、むしろ真剣に真意を汲み取ろうと聞いて来る。
「カイン、お前襲って来たウフクスス家の連中をどうした?」
「殺した」
「多分だが、それが原因だろう」
ここからはおれの推論になるがと前置きをした上で続ける。
「おそらく術者は、直接指令を送る対象は少数に留めている筈だ。全体の指揮は、その指令を受けた人形が執っている」
ウフクスス家の者たちは、領域干渉系の能力に捕らわれた後に支配化に置かれた筈だ。
だから途中から、人形たちの連携の練度が飛躍的に跳ね上がった。
だが少なくともミネアは、その事を知らない。
「……つまり貴方は、これが精神感応系の能力によるものではないと言いたいわけですか?」
だが情報さえ揃えば、ミネアは答えを即座に導き出せる。
「そういう事になる」
おれの言葉を前提とした時、どんな能力であれ精神感応系の能力でそれをやってのける事は不可能だ。
何故なら精神支配を受けた者は文字通り抜け殻同然となり、そんな指令を受けたとしても、自分が動くならばともかく他の人形まで動かす事はできないからだ。
いや、ただ動かすだけならば問題ない。だが、あれ程までに高度な連携をこなさせる事はまず不可能なのだ。
ましてや、今までに遭遇しただけでも人形の数は300前後に達する。
自我のないそれら全ての人形を、同じ自我のない人形が動せる筈が無い。
だからこそ、術者がリアルタイムで指令を送っていると、そう考えるのが自然だ。
しかしそこで浮上する問題が、先ほども述べた練度の落差だ。
もし術者がリアルタイムで指揮を執っているなら、途中からいきなり高度な連携を取らせる意味が無い。
となれば、必然的に指揮官が途中で変わったという考えに行き着く。
だが術者が変わるなんて事は、どう考えてもあり得ない。そこから発展させれば、直接の指揮を執っているのは術者ではないという答えに行き着くのはそう難しい事ではない。
「そもそも、これまでに遭遇しただけでも300近くて、全体で動いているのも含めればその数はさらに膨れ上がる。それらを同時に動かし、かつ高度な連携を執らせるのには並外れて優秀な演算能力が必要となる。まずはそこに疑念を持つべきでしたね」
「いや、それは別に不可能じゃないだろう」
「内容を理解できてない奴は黙ってろ。お前基準で考えるな」
カインの発言よりもミネアの発言のほうがずっと正しい。
そうそう【レギオン】の団員クラスの奴が、そこいらに転がっていてたまるか。
「……ジンさん、貴方の話が事実であると仮定すると、少しばかりまずい可能性が出て来るという結論に行き着くのですが」
「そこばかりは祈るしかないだろう。こっちからじゃどうにもできない。ましてや、この迷路内じゃ尚更だ」
術者が直接的に支配して指示を出しているのは、先ほど述べた事が事実であると仮定すると少数に留まるだろう。
そしてその少数が高度な指揮を執れるように、演算能力の大半を割く筈だ。
そもそも、精神感応系に限らず自分以外の何かを支配し動かす能力というのは、そう多くの数を支配できたりはしない。
多くても20から30が限界で、50近くにもなればどの国でも能力者の中でも相当な地位が約束される。
勿論、それ以上の数を支配できる者が居ない訳ではない。
カインがチラリと口にしたが、【レギオン】に属する奴の中には支配するものこそ違うが、数百もの数を動かせる奴も居る。
それ以外にも、ティステアの過去を遡れば3桁を支配できる程度の者は両手では足りぬほど居るし、中にはさらに桁を増やした数を支配した奴だって居る。
しかしそれでも、そういった者が極めて稀な存在であるというのは揺るぎない事実だ。
だが、もし術者がおれの仮定の通りの事をしているとするならば、例え支配できるのが20程度だったとしても、そいつらを間に挟んで1体ずつに相当数の人形を支配させる事ができる。
そしてその数は、20や30どころか、50でも少ないくらいだろう。
何せ物言わぬ人形で、究極的には他者だ。そいつの演算能力の限界を超えて酷使して脳神経が焼き切れようが、術者にとっては痛くも痒くもない。
結果、間接的にではあれど1000人単位の軍団を支配しているのと同じ事になる。
そいつらは痛みも恐怖も感じず、頭部を潰すまで止まる事無く、ただ目的を達するまで驚異的な連携の下で獲物を追い詰める狩人の群れだ。
考えただけで背筋が凍る。
「あながち、悪い事ばかりでもない。その頭を抑えれば、他は無視できるんだからな」
「それは、そうですが……」
あくまで術者が支配しているのは、少数の者たちのみ。そして情報の共有がされるのも、その直接的に支配されている者たちの間でのみだろう。
より厳密には、そいつらは自分たちが支配している人形たちから情報を得る事はできるが、その逆は不可能なのだ。
そいつらを叩けば、そいつらが支配している人形は指示を待った状態のまま停止する。
つまるところ、ワンマンの集団なのだ。
「おそらくだが、支配下に置かれたウフクスス家はもう居ない筈だ。だからあれ以上に高度な連携はもうしてこないだろう」
おれの言葉は無根拠なものではない。
思い返せば、先ほど交戦中に人形たちの動きが鈍くなったのは人数が少なくなったからではなく、カインたちがウフクスス家の者たちを撃破したからだ。
他にも指揮官は居るであろうから動きが止まる事こそ無かったが、連携は目に見えて粗末なものに成り下がった。だからこそ、おれもあそこまで奮戦できた。
もしカインたちの撃破がもう少し遅ければ、あの半分も倒せずに嬲り殺しにされていただろう。
そう考えると間接的にではあるが、おれはこいつらに助けられたという事になる。
不満はないが軽く不愉快だった。
「あそこまで高度な連携は、5大公爵家でも抜きん出た団体行動能力のあるウフクスス家が支配下に置かれていたからこそだ。他のどんな奴が指揮官になろうが、ウフクスス家の奴と比べれば見劣りするだろう」
「だと良いのですが……確かに、考えても仕方がないですね」
だからカイン、全部とは言わないが要所だけでも理解しろ。
ベル、不満を抱くのは構わないがそれを態度に表すのをやめろ。
「それでジンさん、一体その能力は何なんですか? 無知を晒すようで恥ずかしい限りですが、私はそのような芸当のできる、精神感応系でない能力など知りません」
「……まあ、知らないのも無理はない。恐ろしく希少な能力だからな」
マイナーもマイナー、レア中のレアな能力だ。歴史を遡っても、その能力を行使できたものは1人しか居ない。
より正確には、正しい使い方をできた者が1人しか居ない。
そしてまた同時に、自然の能力ではない。
自然に人間に発現した能力ではない。
「一体それは何ですか?」
「それは……」
服をクイッと引っ張られて、途中で言葉を切って振り返る。
それまでカイン同様に話についていけずに沈黙を保っていたアルトニアスかと思ったが、それは違うとすぐに見て気付く。
何も無い筈の眼前の空間。そこに縦に亀裂が走り、そこからほっそりとした腕が出ていて、その先の手がおれの服の端を摘まんでいた。
それを認識した瞬間に動いて振り払おうとしたが、既に遅かった。
「――ッ!?」
もう1本腕が出てきて、おれの首に絡みつく。そして凄まじい力で引き摺り込もうと引っ張って来る。
勿論おれも渾身の力で抵抗したが、そんな抵抗など端から無いかのようにあっさりとおれの体を持ち上げ、亀裂の向こう側へと引き摺り込む。
「――テメェ、この売女ガッ!!」
最初に動いたのは意外にもベルだった。
普段からは想像もできないような血相を変えた声で、そんな罵声を放ちながらおれに向けて手を伸ばしてくる。
その手を掴むようにおれも手を伸ばし、指先が引っ掛かった瞬間に引っ張られる力が強くなり、一気に引き摺り込まれる。
同時に周りから黒い靄がおれの顔を覆って来て、急速に意識が遠くなっていった。
書いてから能力の設定に致命的な矛盾があるのに気付きました。
かなり気をつけて手直ししましたが、まだ矛盾がありましたら是非ご指摘お願いします。
やはり設定は綿密に練らないと駄目ですね。