混沌始動⑩
「……もしかして、何か奥の手があったりするのかな? 死の確定したこの状況下で、随分と楽しそうだけど」
「ははっ。奥の手とはちょっと違うけど、もしかしなくともあるよ、楽しんでられる理由」
彼は――カルネイラは、確実に、早いペース死が近付いて来ているのを感じながらも楽しそうな笑みを決して崩さない。
「普通さぁ、折角手元に便利な能力があるのに、自分に使わない手はないよね?」
「……そっか。その髪も?」
「うん、そうだよ。何の理由もなく斑色に染める訳がないでしょ?」
「ところが、誰も疑問に思わなかったんだよね。あいつのやる事だからって」
「酷いなぁ、さすがに傷付くよ」
「……そうまでして、一体何が目的なのかな?」
そう問われた時に、はっきりと表情が変化する。
表面上は変わっていないが、確実にそれまでに浮かべていた笑顔とは違っていた。
「世界滅亡」
「…………」
「冗談だよ。だからそんな顔をしないで、地味に傷付くから。
そもそもさぁ、よくお伽話に出て来る魔王が世界を滅ぼす事を目的としているとか、馬鹿じゃないのかっていうのが僕の自論なんだよね。
滅んだ後には何もない。秩序も、混沌も。そんなのつまらないよ。いや、つまらないって思う事もできないよね。自分すら居なくなるんだから」
表情が元に戻る。
やはり表面上は変わっていないが、普段通りのおちゃらけ、ヘラヘラとした笑みに戻る。
「君はさ、最悪の能力って、何だと思う?」
「最悪の能力?」
「そう。数ある固有能力の中でも、最高と言えるものは断トツで【願望成就】の能力だ。願っただけで叶うなんて、理不尽過ぎるしね。
でも、僕が言っているのはそういうのじゃない。最も効果が凶悪なものと書いて最悪の固有能力、それの事さ」
「……その能力を、探しているのかな?」
「違うね。別に探してはいないよ。あったら良いなとは思うけど」
カルネイラが視線を上に向ける。まるで未だ見ぬものに思い馳せるように。
「その能力は、世界すら書き換える事ができるんだ。この世界にはあり得ない環境を現界させて定着させる事ができる、まさに災厄そのものと言える能力。そんな能力があったら、さぞかし世界は混沌するとは思わないかな?」
「……そんな能力、あったかな?」
カルネイラはその言葉を、笑いながら肯定する。
「勿論あるさ。何も記録に残っているとは限らないけど、この上無く明確な形で証拠が残っている。
聞くけど、君は魔界ってどうやってできたと思う?」
「…………」
「同じ大陸にありながら、境界線をほんの1歩超えるだけで激変するような凶悪な環境、どう考えても異常だよね?
人間はおろか、生物の全てが存在を許されないような熱暑に晒されたかと思えば、すぐにそれは活動を許されない極寒に変わる。
雨は地面を容易く穿ち、瞬く間に大海を作り上げる。かと思えば、たった1度の落雷でそれは跡形も無く蒸発する。
風は全てを薙ぎ倒すだけじゃ飽き足らず、細切れに切り刻むだけで無く病魔を運ぶ。仮に過酷なその環境を乗り越えても、その病魔に罹れば人は5分と生存できない。
同じ大陸にありながら、どうしてそんなに環境が違うんだろうね?」
「……それが、その能力によるものだって言いたいのかな?」
「半分正解かな。それは大きな要因の1つであれど、全部じゃない。だって分かっている限りでも、僕たち人間が住む大陸よりも広大なんだよ? そんな範囲をカバーするなんて、あの【願望成就】の能力でも難しい」
「…………」
そこで体を起こす。
自分を分割した相手の姿を視界に収める為に、両手を付いて体を持ち上げる。
「でも、それを【願望成就】無しでも可能にする方法がある。それがもう半分の要因さ。
君は知ってるかな? 【災厄の寵児】と呼ばれる――」
ぐちゃりと、室内に湿った音が響く。
頭部を踏み潰したブーツが持ち上げられ、赤い粘性の糸が引く。それを不愉快に思うように、汚れのない床に擦り付けられる。
『その反応、やっぱり知ってるんだね』
上半身と下半身を分かたれ、頭部を失った筈のカルネイラの声が響く。
『ああ、僕はそこには居ないよ。これはとある能力で声を届けているだけだから。君が今回やった事に関しては不問にしておくから、安心してよ』
「……怖いなぁ。私を泳がせるのが目的なんだ」
尋ねるというよりは、確認作業のように言う。
それに対する回答は哄笑だった。
『どう受け取って貰っても構わないよ。それで何かが変わる訳でもないしね』
「そう。なら勝手に解釈させて貰うよ」
それっきり、カルネイラの声はピタリと止む。
残されたのは、自我を失った人形たちと、明確な自我を持った人物が1人。
いや……
「……やられた。会話に付き合うんじゃなかった」
直前まで居た筈の人形たちは、1体も残らず消えていた。
つい衝動に駆られて動き、視野を狭窄してしまっていたが為に、完全に見逃してしまっていた。
「……失敗したなぁ。次は確実に仕留めないと」
「ジンさん!」
「ちょっとあんた、何をしようとしてんのよ!」
突き破られて穴の空いた壁を目掛けて駆け出そうとしたミネアの襟首を、アルトニアスが慌てて掴んで止める。
「離してください!」
「そういう訳にはいかないでしょ!」
「いくんですよ! でないとジンさんが!」
拘束を振り解こうともがくが、力も技術も勝るアルトニアスが相手では、常人よりも多少優れている程度のミネアでは分が悪い。
あっさりと羽交い締めにされ、身動きを封じられる。
「あー、クソっ。マジで無事に脱出できたらお祓いして貰おう。本当最近はツキに見放されてる」
その様子を見ていたカインが、次に壁に空けられた穴を見て、最後に上を向いて嘆息する。
「ジンの奴が1撃でやられただと……とか言った日にゃ、俺も咬ませ犬になりそうだな、展開的に。言わなくてもなりそうだが」
5人のウフクスス家の師団員を眺める。
結論としては、個々の元々のスペックが自分並みで、それが5人も居る。
加えて能力は使えず、技術も自我の無い相手には無意味。
つまりどう考えても絶望的だという事だ。
「おかしいだろ、俺って一騎討ちするような実力者でもないってのによ。ほんと【レギオン】からじゃ下から数えた方が圧倒的に早いんだし、勘弁してくれよ頼むから」
「こ、こここ、ことわ、る?」
「こ、殺し、殺さない、と……」
「あ、ああと、3人……」
「……喋れんのか?」
カインが表情を変えて、5人を観察する。
やはり共通して表情は無く、眼は虚ろで白濁としており、口は閉じられて居ないが為に涎が垂れている。
まともな状態ではなく、到底会話が望めるような相手ではない。事実、それまでの人形たちは全てが苦鳴の1つすら零さず、声帯を動かすという事もできていないように見えた。
だが間違いなく、眼前の者たちは言葉を発していた。
それさえも到底まともとは言えない、対話能力の欠如したものだったが。
「微かに自我が残ってるのか?」
カインはそう結論付ける。
そしてニイッ、と口の両端を釣り上げる。
「なら話は早い」
チリンと、鈴を鳴らす。
チリンチリンと、鈴を揺らす。
「どれだけ希薄だろうが、どれだけ脆弱だろうが所詮は大同小異、関係ねえ。おい、お前ら!」
鈴を鳴らしながら、未だ攻防を続ける2人を呼ぶ。
「優先順位を吐き違えるな、急いては事を仕損じるって事を知らねえのか!?
まずはこいつらを片付けるぞ。隙ができるから、お前らはその隙を突いてこいつらを殺すだけで良い。俺の手間が省ければそれだけ早く終わる」
「……私に命令しないでください」
それでも頭は冷えたのか、すぐに脳を回転させて合理的な解を導き出し、暴れるのを辞める。
「今回だけは貴方の言に乗って差し上げます。その代わり、ジンさんに何かあった場合は貴方を殺します」
「……団長、居るんだったら早急にこっちに来てくれ。頼むから」
先ほど逃げ出した事を棚上げした発言だったが、その事を責める者は居なかった。
ある者は、彼を最高のリーダーであると評する。
別の者は、彼を最悪のリーダーであると評する。
全く真逆なその評価はしかし、見る者の立ち位置や見方が違うだけで容易に変わるものであると彼らはよく理解していた。
そしてそんな彼らは、彼の事を口を揃えてこう評する。
化物、あるいは怪物と。
そして約1名はこう言う。
色んな意味で最低最悪の腐れ縁であると。
「不覚……」
少し前までは交通規制により人口密度の跳ね上がっていた大通りだったが、混乱も程なくして落ち着き、いまではいつも通りの賑やかながらも往来の激しい通りに元通りとなっていた。
その大通りを歩く人々の隙間を縫って、フランネルは歩く。
「ミズキアに付いて行くべきだったか。だがそうした場合、もっと酷いとばっちりを受けていた可能性も……いや、いまさら考えても詮無き事か」
つい先ほど自分が遭遇した事態を思い返し、やるせない溜め息を吐く。
傍から見れば、仕事に疲れた労働者と言ったところか。
少なくとも就職難といった問題を抱えていないティステアでは、そんな者など珍しくも無い。故に悪目立ちする事もなく、誰の気にも留められずにフランネルは歩を進めていた。
ただ1人を除いて。
「――ッ!?」
どこにでも居るような服装に身を包んだ、一般的な青年に見える灰褐色の髪を持った男が眼前に立ち塞がったのを見て、フランネルは驚きと寒気を覚えながらも全力で後退する。
それは自分の存在を気に留められたからというような理由ではなく、直前まで彼が相手の存在に気付けなかった事が理由だった。
そのあまりにも強大かつあからさまな殺気を向けられているのに、目の前に立たれるまで気付けなかった。
その事に対する驚きであり、そして自分に対して向けられている殺気の大きさと奇妙な性質に対する恐怖から来る悪寒だった。
「テオルード=ラル・オーヴィレヌ。一応ではあるが、オーヴィレヌ家の現当主……不本意ながらな」
突然バックステップを踏んだフランネルを、しかし道を行き交う人々は気にも留めない。
同時に開かれた距離をあっさりと詰めたその男にも、欠片たりとも注意を払わない。
「覚える必要は無い、ただの儀式みたいなものだからな。それに、覚えたところですぐに無意味になる」
フランネルの視線が自分の胸元へと下がる。
そこには側面に複雑な模様が彫り込まれたナイフが、半分ほど突き刺さっていた。
だが、彼の能力は【液体化】。この程度の傷はその部分だけを液体に変えて元に戻せばすぐに塞がる――そう思った矢先に呼吸が途絶し、目の前が真っ赤に染まる。
「水溶性の猛毒だ。そのままにしておけば、全身に回るのにいくらか時間が掛かったのにな」
口から血塊を吐き出し、またナイフが胸から引き抜かれてそこからも血が溢れ出す。
両足で自分の体重を支える事ができずに横に倒れ、苦しいのに手足に力が入らず、もがき苦しむ事もできずに息絶える。
人が倒れて死んだ筈なのに、近くを通る多数の人々の誰1人として気に留める素振りを見せない。
まるでそこには、何も無いかのような素振りだった。
「任務完了。残るもう1人は……物凄く嫌な予感がするな。ばっくれるが吉か?」
「そんな訳がある筈がないでしょう、お兄様」
「……ハァ」
男が視線を動かすと、制服を着た灰褐色の髪をした少女が居た。
「もう少しお兄様は当主としての自覚を持って頂きたいですわ」
「そう言うなよ。お前だってオレの勘が良く当たるの知ってるだろ? 今回のこれはこれ以上の介入はするべきじゃないって、オレの勘が言ってんだよ」
「では、同じ事をウフクスス家の当主の方に言ってくださいまし。それで納得して頂けるかどうかは、いささか疑問ですが」
「……あの老害が」
心底嫌そうに、顔を顰める。
「……やっぱりばっくれるとするか。もう知らん」
「よろしいのですか?」
「一応婚約者の機嫌を取るのも、当主の仕事だろ?」
「……まあ、当主というよりは世の中の殿方の共通の仕事だと思いますが」
「ならオレの仕事でもあるな。じゃあ切り上げるぞ」
男の方が死体を担ぎ上げ、2人は立ち去る。
当然のように、道中ですれ違う人たちの誰1人として、男が肩に死体を担いでいる事などに少しも気付かずに。