1/2
うなぎ
「飼いたいんだ」
「何? いきなり」
早苗は目を細めて、夫である小林一郎の方を見た。
「飼いたくてしょうがないんだ」
「飼いたいって、何を」
「ウナギ」
早苗はさらに目を細める。近視の人間が焦点を合わせるために努力するときの視線。早苗は両目とも裸眼1・5のはずだが。
「ウナギって何よ」
「ウナギはウナギだよ」
「ウナギ飼いたいって、急に、頭おかしいんじゃないの」
早苗の目は、粘土の表面にヘラでつけたひっかき傷のように無表情になった。
「だから、ウナギ飼いたいって言ってんだろうがあああ。このメスブタが! オレはおまえなんかよりウナギを百倍も愛してんだあああ」
善良なる夫を10年間演じ続けてきた小林一郎は、いまだかつて使ったことのない言葉で妻を罵った。
早苗は、こん棒で打ち付けられたように体を硬直させる。
目に涙をためて、ソファから立ち上がる。どすどすと足音を立ててリビングから出ていく。叩きつけるようにしてドアを閉めた。
すべてが終わった、早苗とは。
すべてが始まった、ウナギとは。