1日目。
1.
「ぅあ・・・・」
…僕は今、背丈の高い、見事に制服を着崩したお兄さん達に囲まれていた。
此処は路地の端。背中には壁、前には彼ら。前方の虎、後方のなんたらってヤツ。
そんな危機的な状況においてしかし、僕は戦慄も恐怖も抱いてなかった。
ようはカツアゲ。強者が弱者を支配する最も動物本能的な理。
ボスッ、と、膝蹴りが僕の胸に衝撃を与える。
打たれた僕は咳き込み、
そこに容赦なく打撃が襲い掛かる。
「あ――――」
飛んでくる拳を、目が捕らえる。
スピードはスロー。だが僕は、ソレを避けることなく―――
―――ソレが当たる前に、気絶した。
2.
ふと、気がつくと夜が更けていた。
目の前には死々累々と折り重なって横たわる先ほどの若者達。
「…またか」
いつも、いつもそう。
気がつくと僕を残して、襲ってきた人々がすべて倒れている、ということがたびたびあった。
…僕を、陰で守ってくれる人がいるとでもいうのだろうか…?
なんにしろ――
と、時計を見る。 今は、
午後10時42分。
「―――って、えええぇぇえぇぇぇえええ!!??」
やばい。確か未成年は10時以降には補導の対象になるとか…じゃなくて!
なんでこんな時間まで寝てたんだ僕は?!
「急いで帰らないと―――」
ギチリ、と筋肉がきしむ。
動かしてない、というよりも激しく動かしたあとの疲労感。
重い足を引きずりやっとこさ路地から出て帰ろうとして、
「君。こんな時間になにをしてるんだ?」
見つかったー!!!
「げ」 「君。こんな遅くに―――」
ライトが向けられる。
「―――――ッ!」
…僕の制服には、べったりと、赤いものが、付着していた。
「…きみ、ちょっとこっちに来なさい」
…………。
…捕まった。
・・・・・・で。
一応身分証明をした後、一部始終を話したわけだが当然わかってもらえるはずもなく。
「…で、なんでこんな時間まであんなところにいたのかな?」
「だから、気がついたらあんな時間だったんです」
何度目になるかわからない問答。
「……あーもーまったくもういいんじゃないか?彼もわかんないって言ってることだし、おとなしく帰せばいいじゃないか。なぁ、神崎くん?」
どうやら話を聞くおまわりさん(その2)は職務怠慢がお好きなようだった。
「しかしっ…!」
「いいよ、なんかあったら責任は俺が全部取るからさ。ほらボウズ、帰るんなら今のうちに迎え呼びな」
「あ、はい…」
あっけにとられる。世の中には妙な人もいるものだ。
10分後。
「…ったく、アンタなにやってのよ!?」
怒鳴られた。
・・・あれ?
おかしい。僕は確かに自分の家に電話したはずだ。
しかし、迎えに来たのは・・・幼なじみの茜だった。
…そうか、あの電話口のやけに女っぽい声は茜だったのか…
家には叔父しかいないはず。その時点でおかしいことに気づくべきだった。
「…で、なんで茜が電話に出れるんだよ?茜ん家隣だろ?」
「夕食。」
「……は?」
「夕食、作りすぎちゃったから…持って行ったら誰もいないんだもの。電話は鳴ったからとっただけよ」
いや、そこで電話を取れるお前はある意味すごいぞ?
そんな言葉をやっとの思いで飲み込む。
「…ほら、なに呆けてんのよ?帰るわよ」
「ん、あぁ…」
昔から、そうだった。
自分が小さい頃、父母共に他界し、唯一の親類であった叔父にしぶしぶ引き取られて、友人もいないここ風見町にやってきたのが9年前。
そんな孤独な僕を容赦なく蹴っ飛ばした、元気のいい女の子。
(いつまでもウジウジしてんじゃないの!バッカじゃないの?!)
僕はただ教室で一人本を読んでいただけなのだが、天真爛漫な彼女にはそう見えたらしい。
その彼女が、鈴宮・茜である。
それ以来、僕らは親しい友人となった。
家が隣だったこともあって、幾日も一緒に遊んだ。
だから僕は、彼女を、自身の欠けてはいけないピースのように―――
「――――の?」唐突に、声。
「は?」
「だから、どうしたのよ、その…血」
「あ、 …うーん…」
どうしたもこうしたもない。何の血かすらわからないのだから。
「あんたは?」
「え?」
「あんたは、どうもないの?」
「…えっと、何が?」
彼女はじれったそうに、
「だから、あんたは怪我とかしてないの?って、聞いてんのよ」
「…。どーもないよ。まぁちょっと筋肉痛、みたいな」
はは、と笑いながら答える。その筋肉痛が結構キツイのだが。
「ん。ならよし」
なにがいいのかさっぱりわからないが、
「…心配、かけたな」
謝ってみた。
「え? あ、ぃや…そ、そうよ!もっと早く帰ってきなさいよね!」
ぷい、と顔を背けて早口でまくしあげる茜。
「・・・ごめん」
「い、いいわよ、別に謝らなくても…」
不自然な沈黙。
「……………。」
「……………。」
そうこうしているうちに、家についてしまった。
「…じゃ、ちゃんと洗っときなさいよね、服」
「ああ、 …じゃ、また明日」
「うん」
じゃあね、と手を上げながら隣の我が家へ帰っていく茜を見届けてから、静かに家に入る。
「ただいまー…」
誰も返してはくれない。答えるのは、静寂のみ。
そういう家だった。昔から。
僕は空気のような存在として、ここに住んできた。
血が飛び散ったシャツを洗濯機に放り込み、軽い夕食をとる。
誰も、いない。
この家の誰もが、自分を空気のように扱う。
そんなことは、もう慣れていた。
けれど――
風呂を炊きなおし、入る。
けれど――
ザプン、と一気に首までつかる。
…やっぱり、寂しさが身に染みた。
湯船に小さな波紋が2つ、広がっていった。
3.
風呂からあがる。 パタパタッと水滴を落としながらタオルを取る。
ひたり。
ひたり。
夜の闇に呑まれた廊下は、暗く、静かに来るものを拒絶する。
僕は一人。一人独りひとりヒトりヒとりヒトリ―――
「…っ」
感傷にひたっている暇はない。湯冷めをしないうちに布団をしく。
いやな感情を振り払うように―――
僕は、床についた。
…はずだった。
目がさめると、―――僕は、人通りのない路地にいた。
「ここは、」
どこだ?
夢…じゃないな…寒い…って、ちょっとまて。
ここは?なんでこんなところに?まさか寝ぼけて―――
ドスッ
何かが、足にあたった。ソレは――
――――…人?
ごろり、と。横たわったソレは、まさしく人だった。
「ぅ、うわぁっ!!」
ただ、…腹から下が、なかった。
あわてて飛びのき、しかし足は地をつかみきれずに転ぶ。
ビシャッ…
「…え…?」
なにか、水たまりのようなところに尻餅をつく。
手にぬるり、とした感触。
キモチワルイ。
生理的な嫌悪感。
その手についた赤い液体は―――
―――――血だ。
「嘘だ…」
愕然として、絶句。
・・・・・・・・・・。
放心していてもらちが明かないことに気づき、立ち上がる。
と。
シャツが、異様に重い。
月明かりに照らされて見たシャツは―――
真っ赤に、染まっていた。
「嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ…ぅわああああああっ!!」
半ば錯乱状態で絶叫しながら路地を飛び出す。
……冷えた外気にさらされて身体が冷え、少し思考がクリアになった。
…とりあえず、誰かに…げ、そうだ。今回も自分のシャツは血まみれだ。
悪くするとまた警察に捕まっちゃうな…現行犯で。
それは避けたい。 けれど…
何故? なんで僕はここにいた? ここは、どこだ?
僕は、 ――――何を、していた?
そうだ。考えてみると変だ。誰かがいつも助けてくれるのならば、返り血は僕にはつかないはず。
僕にわざとつけた?バカな、そんなことをする意味は…皆無だ。
…と、いうことは…
――――僕が?
それならすべて合点がいく。意識がない、という一点を除いて。
恐ろしいほど、頭が冴えている。
意識がない―――無意識に?ウソだろ…?
僕は―――いや、ここで思考に耽っていても仕方がない。
問題は、…どうやって家に帰るか、だ。
とりあえず、シャツは脱ごう…
「…あ」
どしゃっ、と重い水音をたててシャツは地面に落ちた。
…搾ったらかなり出てきそうだよな…
などと末恐ろしいことを考えながら、誰かに道を聞こうと―――
―――あ。
まだ夜明けだった。 道には誰もいない。
…結局。交番に駆け込む羽目になった。
なんとか家にたどり着くことができた午前4時。
もうそろそろ夜明けだ。二度寝は…する気も起きない。
またも血のついたシャツを洗濯機に投げ込み(2枚目)作動させる。
乾くかなぁ…
…今日着る分がないし、乾かなかったら学校に行ったふりをしてどこかで暇つぶそう…
4.
午前7時30分。
なんかまだじめっとしているシャツを着つつ、朝食用に焼いたトーストを口に引っかけていると、
「おはよー!!!」
バーンと。ドアが壊れるギリギリの力で開け放たれた。
・・・・・・・・・・・・・。
下半身、パンツ1丁。上半身、羽織っただけのしめったシャツ。
ドアを開け放った張本人、茜は、真っ赤な顔をしつつ、ゆっくりドアを閉めた。
沈黙。まるでベタな漫画のような。
僕はいそいそとズボンをはき、鏡の前でもう2度チェック。顔は赤くないか?よし。
「…おはよ」 チャッ、とドアを静かに開ける。
久しぶりだった。昔からこういうことは何度かあったが、1年ぶりくらいだ。
・・・・・・無言。
珍しい、沈黙。
登校している間、お互い一言も言葉を交わさなかった。
茜は気恥ずかしさから。
僕は気まずさから。
・・・・・・・・・。
ぼんやりとしたまま、いつの間にか4限目が終わっていた。
どこかで、ケラケラと笑う声が聞こえた、ような気がした。