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婚約破棄されたので、もう王子のダンスには付き合いません

作者: 黒色鮎
掲載日:2026/10/29


「アデリーナ! お前との婚約を破棄する!」


 王都の冬至祭。大広間に響き渡った婚約者の声に、私は思わず瞬きをした。

 第三王子エドガーの隣には、淡い桃色のドレスを着た男爵令嬢、リリアが立っている。


「私はリリアを愛している! お前のような冷たい女と夫婦になるつもりはない!」

「まあ。承知いたしました」


 私は素直に頭を下げた。

 すると、エドガーは拍子抜けしたような顔をした。


「……泣いて縋らないのか?」

「なぜです?」

「なぜって、お前は私の婚約者だろう!」

「今、破棄なさったではありませんか」


 周囲から忍び笑いが漏れた。

 エドガーの頬が赤くなる。


「ふん! どうせ強がりだ。お前には私以外に相手などいないのだからな!」

「ええ。そうかもしれませんね」


 私は微笑んだ。

 そこでふと、次の曲が始まることに気がついた。

 

 ……リリアと婚約破棄するのよね。

 なら。

 あなたの短所も知ってもらった方がいいのでは?


 そう思った私はエドガーに一つ提案する。


「ところで殿下。ひとつお願いがございます」

「なんだ?」

「リリア様と、ぜひ次の一曲を踊ってくださいませ」


 エドガーは怪訝そうな顔をしたものの、すぐに得意げな笑みを浮かべた。


「いいだろう! 私たちの愛を見せつけてやる!」


 曲が始まると同時に、二人は広間の中央へ進んだ。

 私は壁際に下がり、その様子を眺める。


 やがて、曲が始まった。

 ところが。


「きゃっ!」


 リリアの悲鳴が響いた。

 エドガーが彼女の足を踏んだのだ。


「も、申し訳ありません、殿下! 私、こういった踊りは初めてで……」

「何をしている! もっと優雅に踊れ!」


 再び足を踏み、今度はリリアのドレスの裾を踏みつけた。

 布が裂ける音がした。


 広間が静まり返る。


 私は口元を扇子で隠した。


 エドガーはダンスが苦手だった。

 それも、壊滅的に。


 幼い頃から何度も練習に付き合ったが、彼は失敗するたびに私を責めた。

 私が下手なのだと。

 私が合わせないからだと。

 だから私は、彼と踊るときには、いつも彼の歩幅に合わせ、失敗を目立たせないようにしていた。


 婚約者として、それくらいは当然だと思っていたのだ。

 けれど、もうその必要はない。


「アデリーナ! 見ていないで助けろ!」


 エドガーが怒鳴った。


「お前ならうまく踊れるだろう!」

「……遠慮させていただきます。

 わたくし、もう殿下の婚約者ではございませんので」

「それくらい融通を利かせろ!」

「融通、ですか?」


 私は首を傾げた。


「婚約を破棄なさったのは殿下です。わたくしが再びお相手をすれば、リリア様に失礼ではございませんか?」


 リリアが、はっと顔を上げた。


「そうですわ! 殿下、私と踊ってくださるのでしょう?」

「だ、だが……!」

「アデリーナ様に踊っていただく必要などございませんわよね?」


 リリアの声には、先ほどまでの甘さがなかった。


 彼女は私の代わりになりたかったのだろう。

 公爵令嬢という立場も、王子の隣という席も。


 その思いを汲んで、私は黙って彼らを見守った。

 彼らの酷い姿を。


 曲は終わった。

 拍手は一つも無かった。

 小さい嘲笑だけがこの場に満ちていた。


 リリアは破れた裾を押さえ、涙目で広間を出ていく。

 残されたエドガーは、怒りに震えていた。


「お前のせいだ、アデリーナ!」

「まあ。身に覚えがありませんわ」

「覚えていろ!」


 彼は捨て台詞を吐いて去っていった。

 その背中を見送りながら、私は小さく息を吐いた。


 翌日、エドガーはリリアとの婚約を発表しようとしたらしい。

 しかし、彼女は断ったそうだ。


 理由は簡単だった。


「足を踏まれるのは、もうこりごりです」


 そう言って、彼女は実家へ帰ったという。

 社交界は貴族として切っても切り離せないもの。

 特に王族の一員となったら、他国や身分の高い人たちとのパーティーも頻繁に開催される。

 その度に足を踏まれ、ドレスを破かれ、嘲笑を浴びるのは彼女としても我慢できないのだろう。


 その後、エドガーは社交界でダンスを申し込むたびに、女性たちから丁重に断られるようになった。


 誰もが、足を踏まれるのを恐れたのだ。

 踏まれてもお前のせいだ!と怒鳴られるだけだから。


 私はといえば、春になってから、幼い頃からの知人である子爵令息と婚約した。


 彼はダンスが上手ではなかった。

 けれど。

 彼は誤って私の足を踏んだら、しっかりと謝って、すぐに反省する努力家であった。


 その姿に私は好感を覚える。

 ……対照的な人物と婚約していたものですからね。


「お互い様だわ。ゆっくり覚えましょう」


 その言葉で破顔して頷いてくれるのが何より嬉しかった。


 かつての婚約者は、私が彼に合わせることを愛情だと思っていた。

 けれど、本当の愛情とは、どちらか一方が我慢し続けることではないのだろう。

 私は新しい婚約者の手を取り、音楽に合わせて一歩を踏み出した。


 今度は、誰かの顔色をうかがうためではなく。

 自分自身が楽しむために。

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