婚約破棄されたので、もう王子のダンスには付き合いません
「アデリーナ! お前との婚約を破棄する!」
王都の冬至祭。大広間に響き渡った婚約者の声に、私は思わず瞬きをした。
第三王子エドガーの隣には、淡い桃色のドレスを着た男爵令嬢、リリアが立っている。
「私はリリアを愛している! お前のような冷たい女と夫婦になるつもりはない!」
「まあ。承知いたしました」
私は素直に頭を下げた。
すると、エドガーは拍子抜けしたような顔をした。
「……泣いて縋らないのか?」
「なぜです?」
「なぜって、お前は私の婚約者だろう!」
「今、破棄なさったではありませんか」
周囲から忍び笑いが漏れた。
エドガーの頬が赤くなる。
「ふん! どうせ強がりだ。お前には私以外に相手などいないのだからな!」
「ええ。そうかもしれませんね」
私は微笑んだ。
そこでふと、次の曲が始まることに気がついた。
……リリアと婚約破棄するのよね。
なら。
あなたの短所も知ってもらった方がいいのでは?
そう思った私はエドガーに一つ提案する。
「ところで殿下。ひとつお願いがございます」
「なんだ?」
「リリア様と、ぜひ次の一曲を踊ってくださいませ」
エドガーは怪訝そうな顔をしたものの、すぐに得意げな笑みを浮かべた。
「いいだろう! 私たちの愛を見せつけてやる!」
曲が始まると同時に、二人は広間の中央へ進んだ。
私は壁際に下がり、その様子を眺める。
やがて、曲が始まった。
ところが。
「きゃっ!」
リリアの悲鳴が響いた。
エドガーが彼女の足を踏んだのだ。
「も、申し訳ありません、殿下! 私、こういった踊りは初めてで……」
「何をしている! もっと優雅に踊れ!」
再び足を踏み、今度はリリアのドレスの裾を踏みつけた。
布が裂ける音がした。
広間が静まり返る。
私は口元を扇子で隠した。
エドガーはダンスが苦手だった。
それも、壊滅的に。
幼い頃から何度も練習に付き合ったが、彼は失敗するたびに私を責めた。
私が下手なのだと。
私が合わせないからだと。
だから私は、彼と踊るときには、いつも彼の歩幅に合わせ、失敗を目立たせないようにしていた。
婚約者として、それくらいは当然だと思っていたのだ。
けれど、もうその必要はない。
「アデリーナ! 見ていないで助けろ!」
エドガーが怒鳴った。
「お前ならうまく踊れるだろう!」
「……遠慮させていただきます。
わたくし、もう殿下の婚約者ではございませんので」
「それくらい融通を利かせろ!」
「融通、ですか?」
私は首を傾げた。
「婚約を破棄なさったのは殿下です。わたくしが再びお相手をすれば、リリア様に失礼ではございませんか?」
リリアが、はっと顔を上げた。
「そうですわ! 殿下、私と踊ってくださるのでしょう?」
「だ、だが……!」
「アデリーナ様に踊っていただく必要などございませんわよね?」
リリアの声には、先ほどまでの甘さがなかった。
彼女は私の代わりになりたかったのだろう。
公爵令嬢という立場も、王子の隣という席も。
その思いを汲んで、私は黙って彼らを見守った。
彼らの酷い姿を。
曲は終わった。
拍手は一つも無かった。
小さい嘲笑だけがこの場に満ちていた。
リリアは破れた裾を押さえ、涙目で広間を出ていく。
残されたエドガーは、怒りに震えていた。
「お前のせいだ、アデリーナ!」
「まあ。身に覚えがありませんわ」
「覚えていろ!」
彼は捨て台詞を吐いて去っていった。
その背中を見送りながら、私は小さく息を吐いた。
翌日、エドガーはリリアとの婚約を発表しようとしたらしい。
しかし、彼女は断ったそうだ。
理由は簡単だった。
「足を踏まれるのは、もうこりごりです」
そう言って、彼女は実家へ帰ったという。
社交界は貴族として切っても切り離せないもの。
特に王族の一員となったら、他国や身分の高い人たちとのパーティーも頻繁に開催される。
その度に足を踏まれ、ドレスを破かれ、嘲笑を浴びるのは彼女としても我慢できないのだろう。
その後、エドガーは社交界でダンスを申し込むたびに、女性たちから丁重に断られるようになった。
誰もが、足を踏まれるのを恐れたのだ。
踏まれてもお前のせいだ!と怒鳴られるだけだから。
私はといえば、春になってから、幼い頃からの知人である子爵令息と婚約した。
彼はダンスが上手ではなかった。
けれど。
彼は誤って私の足を踏んだら、しっかりと謝って、すぐに反省する努力家であった。
その姿に私は好感を覚える。
……対照的な人物と婚約していたものですからね。
「お互い様だわ。ゆっくり覚えましょう」
その言葉で破顔して頷いてくれるのが何より嬉しかった。
かつての婚約者は、私が彼に合わせることを愛情だと思っていた。
けれど、本当の愛情とは、どちらか一方が我慢し続けることではないのだろう。
私は新しい婚約者の手を取り、音楽に合わせて一歩を踏み出した。
今度は、誰かの顔色をうかがうためではなく。
自分自身が楽しむために。




