予兆
「創立記念行事の真っ最中に……ですか?」
呼び出しを受けて登庁した私は、聞かされた大佐の話をつい聞き返してしまう。軍において怪異の絡む事件は数多あれど……いずれの場合も、ひっそり事が成されるのが、そのほとんどであったから。昨年末頃に退治した魔魅の件……多くの将兵の目の前で行われた怪異の悪業、なんていうのも、本当に珍しいものだったのに。
「申し訳ないね相馬クン、休みだったのに出てきてもらっちゃって……結構特異な感じだったからさ。少しでも早目に伝えて、ちょっとでも今日、進めておこうかと思ってね。」
大佐はそう言いながら、自ら淹れたであろうコーヒーの入った共用マグカップを、事務所に入ってきたばかりの私に差し出した。それを受け取って、大佐の後に着いて歩き出した私は、もはやこのマグの中身については予想も諦めもついている。歩きながら啜る……甘い。砂糖を溶かしたような代物で、到底自分の好みとは言えなかったが……今から業務である事を考えれば、ましてこの後の一仕事を考えれば……ちょうど良い燃料でもあった。応接セットのソファに座った大佐に倣って三人掛けの方にマグを持ったまま座ると、細部情報について共有される。
「や、地方じゃなくてよかったよ。覗き見れた未来の来賓席に、夕霧市長がふんぞり返っていたからね……という事は、ギリギリ中央だ、泊まりの準備も要らない。残念ながら、それ以外は最悪だけどね。よりによって本番中に、観客の目の前で人死にが出てしまうんだから……」
その市長がいる、という事は中央最大である件の駐屯地が事件の舞台で間違いないようだ。ここからでも飛ばせば、道路状況次第では一時間程度で到着することが出来るだろう。
「それで、大佐のご覧になられた被害は一体……どのようなものでしたか?」
そう尋ねた時にちょうど、大佐は自分のカップを口元へと運んでいた。あぁ、タイミングを誤ったな、と思いつつも……ここはあの家ではないのだから、そんな些細な事を気にする必要などまるで無かった事にも気付く。事実、大佐は全く表情を変えてもいなければ、慌てる様子もなく……悠然と甘ったるいコーヒーを飲み、喉を十分に潤してから、
「隊列を組んでいない車両が会場を走り回っていたから……きっと、模擬戦闘訓練の場面だな。その内の、跳躍台に向かって加速したオートバイが転倒して……その操縦手が、亡くなる。」
そう言った。事もなげに言うのは別に、大佐が冷たいだとかそういう話ではない。こうして語る未来を、私たち——特務二班の手で変えることが出来るからに他ならなかった。大佐だけが持つ、極めて限定的な予言に基づき、軍に係る怪異の絡んだ死亡事故を防ぐ……それがこの、国防省の一角にルームプレートの無い部署を構える我々の任務だった。
「それでは、今現在で解っているところは……そこまでですか?」
対峙する対象を絞り込んでいき、対処要領を決定するには明らかに情報量として少ない……だが、大佐はこういう時にわざわざ勿体ぶる性質でもない。要はまだ、細部を見れていないのであって……その為に私が呼ばれたのだった。大佐はふぅ、と溜息をついて天を仰ぎ、
「ボクはね、本当に……いつも、君に申し訳ないと思っているよ……」
そう言いながらゆっくりとソファから立ち上がった大佐は、制服の上衣の釦に手を掛けながら歩き出す。私はその反対側へと向かって歩きつつ、同じように上衣の釦を外しながら、
「そんなの、いいですよ……私は別に、モバイルバッテリーくらいに思っていただいても。」
励ましか、あるいは慰めのつもりでそうやって、冗談めいて言ったら、
「そんな事は冗談でも言ってくれるな。確かに、君はボクのだよって常々《つねづね》言ってはいるけどね……君の事を消耗品かのように思った事なんか、一度だってないんだから……」
存外に、そう真面目な調子で返される。ハハハと笑って流されるだろうと思っていたのに、何とも調子の狂う返し方をされてしまった……いや、ここは無理にでも話の流れを変えよう。事務所の入り口を施錠して……残った衣服を脱ぎつつ、大佐の方へと歩きつつ問いかけた。
「それで、今日は……どの方法にしましょうか。大佐、今日は結構消耗されていませんか?」
大きな事務所を区切る仕切りの向こうに居るであろう大佐にそう問いかけると、少しばかり驚いた様子の声が返ってきた。
「えっ、相馬クン……もしかして、そういうの解るようになったのかい?」
「あっ、すいません適当です。ちょっと肌荒れしてたから、そうかなって……」
そう応えながら、仕切りの向こうに足を踏み入れると……一糸纏わぬ姿の大佐がそこに居た。少し不満げに頬を膨らませた美麗な怪異が、自身が使用している簡素なベッドに腰掛けている。
「……ふふふっ」
言い過ぎたかな……と思っていたところで、大佐が笑い声を漏らした。その、抜けるように白いショートボブの毛先を僅かに揺らして。髪と同じか、それ以上に美しい白磁のような肌の上には、怖いぐらいに完璧な均衡で麗しい目鼻が乗せられている。その切れ長の目は閉じられているが故に、長い睫毛の輪郭を露わにしていて……そこから繋がる鼻の稜線と、唇から顎に至るまでの完全無欠の美しい流れに、私は思わず見惚れてしまっていた。すると、
「や、すまないね……相馬クンも本当に、明るくなったなぁって思ってさ……ふふ……」
そんな事を言いながら身体を捩って、その肢体をベッドの上へと自然な動作で横たえた……一般の兵卒が生活隊舎で使用する物と同じ、簡素なベッドの上に横たわる裸身。何度見ても、毎回のように勿体無いな、という感想がまず初めに浮かぶ……趣向を凝らした極上の料理が、紙皿に乗せられているような悲しさが、いつもここにあった。そんな情景を眺めながら、自身に残された最後の衣類を剥いでいって……ようやく私も、生まれたままの姿になる。
「だとしたら……それはきっと、大佐のおかげですね。」
そう言って、手元の操作機で部屋中の明かりを落とす。操作機をベッド側のキャビネットに静かに置いて、ベッドに腰掛けると……程なくして、薄いマットレスに置いた私の手の上に、私以上に冷えた手がそっと重ねられる。そうすると後はもう、小難しい思慮や一般社会の常識、あるいは倫理も何も必要とせず……すべてを流れに任せるだけだった。
◇ ◇ ◇
「あの駐屯地の創立記念行事……その真っ最中に死亡事故、ですか?」
昨夜の私と同じように大佐に聞き返しているのは、まさに今日から……特務二班で勤務を共にする事になった鮫上君——鮫上丈だった。かつての新兵教育隊における同期であり、昨年末頃に魔魅を退治した時には斥候狙撃手の観測手として支援を受けた。
「そうだよ、鮫上クン……派手なやり方だなって思うだろう? わざわざ人が大勢いる前で、悪さを仕掛けるなんてどうかしてるよね。いやはや、ボクも同感だよ……」
「それって、また狙撃の出番ある? オレの気持ち的にはいつでも大丈夫だけど……狙撃銃が変わるから、出番があるなら慣熟訓練はさせて欲しいな……」
そう食い気味に大佐に聞いているのは、同じく今日から特務二班で勤務する兎川君……いや、兎川君改め、鮫上君だ。養子縁組という形で、鮫上雪になった……鮫上君と相棒を組んでいた、斥候狙撃手の狙撃手。彼らは昨年の支援の後、二人して陸軍を除隊し……晴れてこの特務二班の所属となったのであった。同じ苗字なので便宜上……鮫上君、ユキ君、と私は呼んでいる。
「いいや、見えた未来の感じだとね……今回は事前調整で被害を回避出来そうだから、ボクと相馬クンで今週中にでも処理しようと考えているよ。まぁ勿論、調整した後で被害の出る未来が変わらなかったら……その時は遠慮なく、呼ばせて貰うからさ。」
大佐はそう言うと、私に目配せを送った……ありがたい、やっと始められる。
「そういう訳で、本件は大佐と私で処理に当たります。よし、鮫上君とユキ君は今から着いてきて。まず支給物品の受領に行って、その後は書類を山ほど書いて貰う。変な誓約書も多いけど、納得して署名してね。納得しなくても署名して貰うけど。それからその後は……」
そう、新しく入った人員の受け入れ作業……今日でやっと大佐以下四名の小所帯では、全ての主務も雑務も、先任者である私に掛かっていた。先ずはこの週の前半を使って、最低限度の彼らの受け入れを終わらせ……週の後半に、創立記念行事絡みの事件の調査に入る。可能であればそのまま処理して、後は然るべき部署に報告して完了。早ければ今週中に全ての片を付けられるし、そうするつもりだった。何故? 何故かって、私……私は……
「な、ユキ……やっぱり週末で全部、部屋を片しておいて良かったろう? この数日はきっと、バタバタするぞ……相馬に迷惑を掛けないよう、しっかり着いていこうな。」
「んん、オレが甘かったね……よし、早く行こっ! ねぇ相馬さん、台車とか要る?」
今は一番、彼ら二人の事情が気になってしょうがないのだ。そんな模様を、この狭い部署の最前列で眺められるのであれば……多少の激務は目を瞑ろう。何せ、以前はこんな楽しみさえ一切無かったのだから。今はこの楽しみの為に、業務をどんどん処理していこう……
「台車ならもう、現地に用意してる。二人とも、身体だけ持ってきて!」
新年度初日は、そうして過ぎていって……大した事のない案件だと、私はまだ思っていた。




