旦那様の美的センスはずれている~世間的に美人ではない私を可愛いと溺愛してきます~
伯爵令嬢アナマリア・ヴィレットは少し釣り目がちのきつめの顔立ちに豊かな胸元ときゅっと括れた腰を持っていた。
世が世なら絶世の美女と称されたはずの少女だが――この世界では美人に区分されることはない。
なぜならこの世界において、美人とは細くて儚げな思わず守りたくなるような女性を差す言葉だからだ。
美人とは正反対の特徴を持つアナマリアは結婚適齢期の十八歳になってなお、婚約者の一人もいなかった。
運よく縁談の打診が来ても、顔合わせで顔を見た途端縁談は白紙に戻る。
今日もまた「この縁談はなかったことに」と引きつった顔で言われてしまい、アナマリアは自室のベッドの上で枕を涙で濡らしていた。
「どうして、どうしてですの……!!」
ぽろぽろと涙を流すアナマリアを慰めてくれる者はいない。
完全に行き遅れている彼女を家族も持て余していて、二年ほど前から冷遇され始めていた。
世話係のメイドを外されて以来、部屋の掃除は慣れないなりに自分でやっているし、家族団らんの席に彼女の居場所はない。
両親と妹が楽しげに談笑しているときに口を挟もうものなら、冷たい眼差しで睥睨される。
愛らしくて婚約者のいる妹にはもうずっと見下されている。
両親も同調し始めて、屋敷には彼女の居場所はない。
心は軋む一方だ。他に居場所がないからしがみついているけれど、できることなら早く家を出たい。
けれど、家を出るためには結婚するしかなく、アナマリアの容姿が足を引っ張っている。
八方塞がりだった。枕をさらに涙で濡らして、気づいたら夢の世界に旅立っていた。
夢の中では両親はアナマリアに優しくて、妹も彼女を慕ってくれている。
夢の中で夢だと自覚できる、残酷な夢だった。
(わたしは、お嫁になどいけないんだわ)
煌びやかな夜会の会場の端で、アナマリアはそっと息を吐きだした。
二年前に仕立てたドレスは流行おくれの上、胸元が苦しくて仕方ないのだが、そんな自分が嫌になる。
(成長しなくていい場所ばっかり成長して……)
そっと視線を滑らせれば、夜会の華と呼ばれる可憐なヴェロニク侯爵令嬢が人々の注目を浴びていた。
すらりとした体躯、抱きしめれば折れてしまいそうな細い身体、人々の羨望を浴びる抜群のスタイルを持つ美少女だ。
一方で、アナマリアの胸元は存在を主張するばかり。控えめでなければはしたないと、娼婦のようだと罵られるが、肉付きが良いのはどうにもならない。
「……はぁ」
重い溜息を吐き出して視線を伏せる。
婚約者を探して来いと放り込まれた夜会だが、彼女を伴侶に望むものなど現れるはずもない。
無駄な時間だけが過ぎていく。
その上、ちらちらと好奇の視線を向けられては密やかに囁かれる悪意ある噂話に心がすり減っていく。
(帰りたいわ……)
しかし、中途半端なところで帰宅すれば両親から叱責される。
そもそも帰りの馬車は妹に同乗させてもらうことになるので、帰りの足もなかった。
バルコニーに逃げたいが、それも妹に見つかれば両親に報告がいって怒られる。
無為な時間が過ぎるのをじっと待つしかなかった。
そんな時、わっと令嬢たちの黄色い声が上がった。
何事だろうと視線を向ければ、精悍な顔立ちの凛々しい男性が入場してきたところだ。
年のころは二十代半ば程度だろう。キリっと吊り上がった眉と掘りの深い顔、薄い唇が魅力的だ。
(あの方は……?)
夜会でみたことのない人物だ。
どなただろうと軽く首を傾げると、周囲の噂話が耳に飛び込んでくる。
「ジェラール様が夜会に足を運ばれるとは珍しい」
「ブロシュレ公は大の女嫌いですからなぁ」
「本当にもったいない。令嬢方はみなあの方に夢中だというのに」
他にも耳に入った噂話を総合すると、先ほど入場してきた男性の名はジェラール・ブロシュレ公爵。
陛下の信の厚い五大公爵の一角ブロシュレ家の当主らしい。
(わたしには関係のない方ね)
雲の上どころか天上の相手だ。
関わることはないだろうと浅く息を吐き出し、興味本位で視線だけで動きを追う。
美しい令嬢たちに囲まれて険しい表情をしている姿から、本当に女性が得意ではないのだと察せられた。
大変そう、と他人事として考えていると、ふいにジェラールと視線があった。
偶然かと瞬きをするが、彼はじっとアナマリアを見つめている。その上、周囲を囲む令嬢たちを押しのけて彼女のほうへと向かってきた。
(え?)
慌てて左右を見回す。勘違いをしていたら恥ずかしい。
慌てるアナマリアの周囲には人はまばらにしかいない。
周囲の人々もジェラールの行動に驚いているようだった。
そしてとうとう彼はアナマリアの正面に立った。
頭二つは身長が違うので、自然と見上げる形になる。
何か粗相をしただろうかと真っ青になっている彼女の前に、ジェラールが膝をついた。
「?!」
息を飲む声が周囲から響いた。アナマリアだって心底驚いている。
驚愕に目を見開く彼女の手を取って、ジェラールが先ほどまでの仏頂面が嘘のように甘やかに微笑んだ。
「美しいお嬢さん、貴女の名前を教えてほしい」
「わ、わたし、ですか……?」
声が震える。美しい、などお世辞でも言われたことがない。
そっとアナマリアの手を取ってジェラールが笑む。
「貴女以外に誰がいると?」
「わたし、は……」
こくん、と唾を飲み込んでからからに乾いた喉を潤す。
それでも声は擦れてしまったけれど、どうにか名前を音として喉から押し出した。
「アナマリア・ヴィエット、ですわ」
「アナマリア……! 名前まで美しい!」
ぱあ、と満面の笑みを浮かべたジェラールの顔面が眩しい。
思わず目を細めたアナマリアの手の甲にキスを落として、今日一番の爆弾発言をしてのけた。
「どうか、俺の妻になってほしい」
「!!」
固唾をのんで見守っていた令嬢たちから悲鳴が上がる。アナマリアも驚きすぎて言葉を失った。
唖然とする彼女に、ジェラールは静かに返事を待っている。
「あ、あの」
「なんだ?」
「わたし……ぶさいく、なの、です……が……」
幼い頃はそうでもなかったが、成長してからは散々に投げかけられた言葉だ。
豊満な体も釣り目がちのキツイ顔立ちも美人とは正反対で、可憐な妹を引き合いに出して数えきれないほど罵られてきた。
震える声音で告げたアナマリアに、ジェラールは僅かに目を見開く。すぐに蕩けるような笑みを浮かべる。
「君は俺の理想だ。誰より愛らしい」
「っ」
そんな風に言ってもらったのは初めてだ。妹も両親も、彼女を醜いと罵ったから。
極つぶしだと嫁にも行けないと。
最近では適当な修道院に押し込めてしまおうと話し合いが行われているのを知っていた。
だから。
(嬉しい……!)
求められることが、こんなに嬉しいなんて思わなかったのだ。
ぽろりと涙を流したアナマリアに、ジェラールが立ち上がる。凛々しい身体に端整な面立ち。
令嬢たちが放っておかない美貌を持ちながら、彼はアナマリアを美しいと告げる不思議な感性の持ち主だ。
「失礼する」
「っ」
掬いあげるように抱き上げられて息を飲む。咄嗟に胸元を掴むとジェラールは満足げに笑みを深める。
そのまま歩きだした彼に、慌てて声をかけた。
「ど、どちらに?!」
「君の屋敷に。ご両親に挨拶をしたら、そのまま俺の屋敷に移るといい」
「?!」
話があまりに飛躍している。
目を白黒させるアナマリアを抱えながら、迷いなく歩くジェラールに思考が追い付かない。
はくはくと唇を動かしていると、彼は痛ましげな眼差しを彼女に注ぐ。
「……大事にされていないだろう」
「え?」
「そのドレスは随分とくたびれているし、その型が流行ったのは三年前だ。そもそも、君の身体にはあっていない」
「……」
その通りなので何一つ反論できない。
馬車止めに着いたジェラールはフットマンの手を借りることもなく馬車に乗り込んで、そこでやっとアナマリアを降ろした。
とはいっても、自分の膝の上にだが。
「髪もパサついているし、手も荒れている。そんな環境に君を戻せない」
「ジェラール様……」
手を握られ、頭を撫でられる。
手入れが行き届いていないのは恥ずべきことだったが、環境が与えられてこなかったのだ。
唇を噛みしめ視線を伏せたアナマリアに、優しい声が降り注ぐ。
「これからは俺が守る。君は俺の運命の女神だ」
過剰な誉め言葉に頭がついていかない。
けれど、慰めるように背中を撫でる手が記憶にある何より優しかったから。
(信じて、いいのかしら)
この人を信じたい。そう願ってしまった。
その後、有言実行とばかりにアナマリアの両親に婚約と結婚を承諾させ、その日のうちに彼女の居住はブロシュレ公爵家に移された。
戸惑うアナマリアにジェラールは絶え間なく愛を囁く。本人曰く「一目惚れ」なのだという。
公爵家の使用人たちはよく躾けられていて、誰一人アナマリアを粗雑に扱うことはない。
むしろ、やっと旦那様のお眼鏡に叶う女性が現れたともろ手を挙げて歓迎された。
真綿でくるむように大切にされていると、心に負った傷が少しずつ癒えていくのが分かった。
毎日丁寧にメイドたちが手入れをしてくれるおかげで、長い髪は艶を取り戻し、肌の荒れも治って張りが戻った。
ことあるごとに贈られるドレスやアクセサリーには困惑したが、楽しげに「アナマリアに似合うと思って」と言いながら渡されると強く拒絶もできない。
そうこうしているうちにあっという間に挙式を上げた。
公爵の結婚式だけあって、驚くほど豪華な式が終わり、夢見心地のままアナマリアは公爵夫人に収まった。
結婚式から一週間後、公爵夫人としてのお披露目をするとジェラールに告げられ、やっと現実に戻ったのだった。
ジェラールは「美しい」と褒めてくれる外見が、決して世間一般では美しくないという、残酷な現実に。
アナマリアのお披露目を兼ねた夜会が開かれた。
結婚式では挨拶回りはほとんどできなかったため、公爵夫人として顔を広げる意味も持った夜会にはジェラールの伝手で様々な貴族が招かれている。
その中の一人、ヴェロニク侯爵令嬢にアナマリアは庭園に呼び出されていた。
「なんの御用でしょうか?」
綺麗に整えられた公爵家の庭園をヴェロニクは勝手知ったる他人の庭とばかりに奥へと進んでいった。
放置するわけにもいかずついてきてしまったが、夜会の会場の光が遠ざかるにつれて心細くなっていく。
やっと立ち止まったヴェロニクが振り返ったので、眉を寄せて問いかけると彼女は苛立ちも露わに口調を荒げた。
「貴女、一体ジェラールに何をしたの?!」
「なに、とは」
ヒステリックに叫ぶ姿は夜会の華と呼ばれる姿とは程遠い。
ゆっくりと首を傾げると、さらりと艶を取りもどした髪が流れる。
「貴女みたいな不細工をジェラールが選ぶなんておかしいわ! 何かしたんでしょう!!」
「なにもしていませんが……」
「嘘を言わないでちょうだい!!」
そういえば結婚式のとき参列者の一人が「美しい幼馴染の求婚を断って選んだのがアレとは、ずいぶんと特殊な趣味をしている」などといってジェラールの怒りを買っていた。
(ヴェロニク様がその幼馴染なのでしょうね)
だからこそ彼女はここまで怒り狂っているのだ。そっと息を吐き、落ち着かせようと言葉を重ねる。
「ヴェロニク様、確かにわたしは世間一般の美人ではないかもしれません。けれど、ジェラール様は――」
「うるさいわね! 貴女の話なんて聞いてないわ!!」
アナマリアの言葉を遮って叫ばれる。
次の瞬間嫌な笑みを浮かべたヴェロニクに背筋に冷たいものが駆け下りた。
「結婚したとはいってもどうせ白い結婚でしょう! 傷物になって離縁されればいいんだわ!!」
「っ!」
その言葉の意味するところを察して、逃げようと踵を返した瞬間。
ヴェロニクの背後から飛び出してきた男に腕を掴まれ、口を塞がれた。
「!!」
「本当に娼婦みたいな女だな。こいつが本当に公爵夫人なのか?」
「ええ、そうよ。早く汚してしまって!」
夜闇に慣れた視界に、警備の騎士の服装を身に纏った男が移りこむ。だが、顔に覚えがない。
公爵夫人として公爵家に仕える人間の顔は全員覚えたのに、該当しないのは彼らがヴェロニクの手先だからだろう。
「どうぞ楽しんで。そういうの、好きなんでしょう?」
下世話な噂が流れていることは知っていた。
娼婦のような身体付きだからとそういう目で見られることも間々あった。
だが、こんなのはあんまりだ。恐怖に身をすくめたアナマリアの背後で荒い鼻息がする。
気持ち悪い。ジェラールに触れられてもそんなことは思わないのに、ただただ気色が悪かった。
(助けて、ジェラール様……!!)
必死に心の中で助けを求める。それが届いたというのか。次の瞬間、アナマリアを押さえつけていた男が殴り飛ばされた。
「誰?!」
「なにをしている……!」
「ジェラール様……っ」
荒い呼吸をしているのはアナマリアの夫であるジェラールだ。
男を殴り飛ばして昏倒させた彼の姿に、ヴェロニクが目を見開いている。
「じぇ、ジェラール?!」
「ヴェロニク、貴様……!!」
「やだ、勘違いよ! わたくしは脅されてっ」
必死に言い訳を並べるヴェロニクをぼんやりと眺める。
人を襲わせようとしておいて、保身に走る姿が滑稽だった。
ぺたんとその場に座り込んだアナマリアを守るように立ったジェラールが眼光鋭く彼女を睨み据える。
「ひっ」
「失せろ。次に顔を見せれば女と言えど容赦しない」
「じぇら」
「失せろ!!」
深窓の令嬢である彼女は、怒鳴りつけられた経験自体がないのだろう。
怯えて逃げ出した後ろ姿を眺めていると、振り返ったジェラールが膝をついてアナマリアを抱きしめた。
「すまない……! 怖い思いをさせてしまった……っ!!」
「ジェラールさ、ま」
怖かった。本当に、怖かったのだ。
見知らぬ男の体温は気持ち悪くて、ジェラールの助けが間に合わなければと思うとぞっとする。
痛いほど抱きしめてくる彼の背中に手を回して、アナマリアはぽろぽろと涙を零す。
「こ、こわ、こわかった、です……っ!」
「ああ、当然だ」
「こわかったのぉ……!!」
ひっくひっくとしゃくりあげるアナマリアが落ち着くまで抱きしめてくれていたジェラールは、彼女の嗚咽が少しだけ収まるといつかのように抱き上げた。
「じぇらーる、さま?」
「後のことは俺に任せて、休んでくれ」
「で、でも」
今日の主役はアナマリアだ。心に負った傷があっても、公爵夫人の責務は果たさねばならない。
強い責任感を見せた彼女に、ジェラールが眉を寄せる。迷子の子供のような頼りない表情。
「俺のために、今日は休んでくれ」
「……はい」
首に手を回す。甘えるようにすり寄ると、ジェラールは歩き出した。
騒ぎに気付いた騎士たちが駆けよってきたので、気絶している下手人を捕らえるように指示を出し、再び歩を進める。
そのまま客を置き去りに夫婦の寝室に連れて行かれた。
そっとベッドに降ろされ、頭を撫でられる。
「アナマリア、私の運命の人。君は誰より美しい。だからこそ、不安なんだ」
「……なにが、でしょうか」
「君がいつか、俺以外のものになるのでは、と」
本当に心細そうに言われてしまって、アナマリアはぱちりと瞬きをした。
彼女を「美しい」と評するのは世界中探してもジェラールだけだと思うのだが、彼はそうは思っていないらしい。
「……ジェラール様は、わたしのどこがそんなにお好きなんですか?」
思わず口を突いて出た問いはずっと抱えていた疑問だった。
世間的な美人に当てはまらない彼女を「運命の人」や「私の女神」と呼ぶジェラールにいつか聞いてみたいと思っていたこと。
彼女の問いかけに、ジェラールは笑み崩れる。愛おしものを見つめる優しい眼差しで、アナマリアの前に膝をついた。
「豊満な体は抱き心地がいいし、顔も愛嬌があって愛らしい。機嫌が悪いときに睨まれるとぞくりとしてたまらないし、それに」
「も、もういいです!!」
慌てて遮る。思った以上の羞恥に襲われて顔が真っ赤だ。先ほどまでの恐怖も薄れてしまう。
聞きなれない言葉の連続で、軽いパニックを起こしているアナマリアにジェラールは小さく笑った。
そして出会った日と同じように彼女の手を取って、手の甲にキスを落とす。
「君の美しさは私だけが理解していればいい」
「……はい」
心底愛おしそうにそういわれると、確かにその通りだな、などと思えるから不思議だ。
家族から受けた数々の冷遇も忘れて、アナマリアは幸せな『今』に酔いしれた。
読んでいただき、ありがとうございます!
『旦那様の美的センスはずれている~世間的に美人ではない私を可愛いと溺愛してきます~』のほうは楽しんでいただけたでしょうか?
面白い! 続きが読みたい!! と思っていただけた方は、ぜひとも
ブックマーク、評価、リアクションを頂けると、大変励みになります!




