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第七話 尊い光

―――リリカとは、もう一週間も顔を合わせていない。月城尚弥の助言通り灰原真由香は月城リリカに会ってくれるという。

本当にリリカを、この狭い檻のような空間から痛みも異能もない場所へ解き放つことができるのだろうか。


俺は震える手を強く握りしめる。リリカに会いに行く前に、灰原真由香と相馬一族に仕える代々の医者のもとを訪ねることにした。


部屋の奥で、啜り鉢に薬草を入れて研いでいる男。異能と薬理を研究する人物――

その名は、谷岡礼司。天薬を開発し、異能を制御する薬を構築してきた。


「悠斗さまお久しゅうございます。お隣はどなたでしょう?」

「灰原真由香と申す」

「谷岡のじじい。灰原はペンタゴン魔法が使える。この魔法をリリカに使ったらどうなる、できるならここで実験してくれ」

「ペンタゴン魔法ですか、正式には《第五位相生命再構成法だいごいそうせいめいさいこうせいほう》」


谷岡は研いでいた薬杵の手を止め、静かに続ける。


「人間・異物・精神・記憶・時間。――五つの位相を元の在り方へと戻すための術式です」

「じゃあ、リリカの異物化や痛みなく帰還させる力があるのか」


谷岡はまっすぐに目を細め俺を射抜く。

 

「はいですが、同時にどう発動するかわからない、非常に危険な魔術です」

「リリカに害は一切出すな。内面も外面も魂もだ。傷一つ禁ずる、研究を頼む」

「承知しました」

谷岡は深く一礼し、静かに答えるが何か企んでいるのか。

「少しお時間をいただいてもよろしいでしょうか」

谷岡のじじいは興奮したように、掠る啜り鉢を研ぐ手の勢いが重音になっていた。薬草が砕ける音が、やけに大きく響く。俺は近くにある畳にどさっと座り込む。


「……はあ。どうすりゃいいんだ、俺は」

「そろそろ仲直りの時間を作ったらどうですか。リリカ嬢はきっと待っていますよ」

「仲直り?月城リリカと喧嘩でもしたのか」

「1週間はリリカと顔を合わせていない。安全に外に出すためだ。ペンタゴン次第で全て決まるんだ。頼む、薬味じじい」

「はて薬味じじいとは?承知しました。ですが悠斗さま」

谷岡は、にやりと不気味に、不穏に笑いかける。

「その前に、悠斗さま吐真薬としんやくを飲んで下さい」

「吐真薬だと?俺の気持ちが、勝手に告白されるやつじゃないか」

「ええ、リリカ嬢の気持ちも大切にして差し上げないと」


……このじじい、やっぱり危険だ。

谷岡礼司は時々倫理を置き去りにして、研究を走らせる。下手をすれば永遠を奪うほどの毒が入った薬すら平然と作る男だ。

――もう、どうにでもなれ。

月城リリカを、月城リリカのまま救えるなら。


―――ついに、この時間が来てしまった。

そのために、谷岡から《吐真薬》をもらった。

心を鎮め、胆を静めるための異能医療用の処方薬だ。深く息を吸い、吐ききる。


「……リリカ、悠斗だ。起きてるか開けるぞ」


―――ガチャッ。

扉を開けた瞬間、そこにいたリリカは土下座していた。床に額がつくほど深く、まるで下女のようにいや罪人のように。部屋に張りつめた沈黙が走る。


「悠斗さま……開門いただき、ありがとうございます」


震える声だが逃げない。逃げる代わりに、すべてを差し出す姿勢だった。


「失礼で不躾で大変申し訳ございませんでした。私の無礼ばかりを、悠斗さまに押しつけてしまいました。私は相馬家の伴侶に値しない行動を。

あのようなことは、今後一切、口にいたしません。どうか、お許しいただけませんか」


……違うんだ、リリカ。

俺が見たかったのは、こんなふうに自分を壊して謝る姿じゃない。


リリカはひどく青白かった。頬はこけ、骨ばった輪郭が浮き出ている。


目頭は異常なほど赤く腫れ、まぶたは重く垂れ下がっている。なのに、目の奥はどこまでも暗くて何も映していなかった。首筋から腕にかけて、斑点のような赤い発疹が浮いている。この一週間どれほど神経をすり減らし、どれほど涙を流したのかそれだけで分かる。


異能の反動か、精神の限界か――どちらにしても正常じゃない。それでもリリカは、途切れ途切れに吐露し続けていた。


「……私が……悪いんです。悠斗さまは……優しいのに」


言葉が途中で崩れると力が抜け、小さな身体がくたりと前に倒れる。谷岡がすぐに抱き留めた。

「……限界だな」


俺はその場から一歩も動けなかった。

――俺がここまで追い詰めたのか、月城リリカを。手を伸ばすことすら、できなくなっていた。


「……この発疹は、ただの症状じゃない」

谷岡のじじいは、リリカの腕をそっと持ち上げて告げた。

「容赦なく大黒だいこくが疼いている証拠だ。放っておけば、心と異能が食い合う。早く治癒しなきゃならん」


リリカを冷蔵庫から出した時以来だ。

――また、俺は傷つけてしまった。


「……じじい、頼む。俺は……大罪人だ」

谷岡が、珍しく強い声を出し揺さぶってくる。


「悠斗さま!悠斗さま!!どうか、お気をしっかり持ってください。リリカ嬢は、あなた様のことを大切に思っている。それでもなお、あなたを想い続けているのです」

「……あとは任せた。思考が、足りないみたいだ」


頭が、回らない。谷岡がまっすぐ俺を見る。

「悠斗さま、灰原真由香さま、《第五位相生命再構成法》ペンタゴンを、お使いください」

「……はあ?正気じゃないだろじじい!

こんな時に何を言ってるんだ!」

「正気です。この発疹はもう以前のように自然には治りません。だからもう一度言います」

「ペンタゴンとは、人間・異物・精神・記憶・時間。五つの位相を元に戻すための術式です」

「……本気なのか」

「真実です。月城家代々で使用されておりました」


息が、できない。俺だって……治せるなら最初からやってる。準備なんか、何もないじゃないか。

リリカのために安全を取った行動が、結果的にリリカを危険に晒した。

だが月城リリカを、月城リリカのまま救えるのは――俺しか、いない。


「……灰原真由香、一緒に貸してくれ、この正式な術式を」

「ペンタゴン、礼末だ」


灰原真由香は大きく息を吸い、吐くと同時に言葉を叩きつけた。


「――第五位相生命再構成法、ペンタゴン!!

礼末!!!!」


五角形の光が展開し、空間が軋む。

リリカの身体を覆っていた赤い発疹が、まるで逆再生されるように消えていく。


やつれていた頬に血色が戻り白すぎた唇に、ピンク色が差す。まるで赤子のような、柔らかな肌に。

リリカは、ゆっくりと目を開けた。視界いっぱいに涙を浮かべながらそこに映ったのは俺だった。


「リリカ!月城リリカ、分かるか?」

「……相馬、悠斗さま……」


声が、身体が、この世の中で一番尊い。

 

「私は、あなたさまのことが……大好き、で……」

「リリカ、冷蔵庫から出てるんだぞ。どうだ、身体の痛みは?しんどいところは?」

「ええ。大丈夫ですわ。むしろ、あの中にいた時よりずっと動けますわ」

「うおおおおおおおお!!」


灰原真由香と谷岡礼司が高揚して跳ねた。

「成功だ!今宵は相馬家・月城家、両名の祝宴の開幕だ!!!」

 

メイドたちが一斉に動き出す。

リリカは俺の腕の中に身体を預けてきた。

安心したようにぴったりと。リリカの体温が確かに暖かくここにあった。俺はそっと頭を撫でる。


「月城リリカ姫、相馬悠斗と婚約してくれるか」


リリカは涙を浮かべたまま急上昇し、

俺を花火みたいに見上げる。


「はい、もちろんでございます。相馬悠斗さま。私の旦那さま」

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