首都高リターン 前編
第7話・前編「首都高リターン」
新東名の夜から三日。
俺はまだ、あのR35のテールランプを忘れられずにいた。
あの加速。あのライン。あの“無表情な速さ”。
敗北の痛みよりも――あの走りの正体を知りたいという欲求の方が強かった。
だが現実は走り出す前に立ちはだかる。
古いベンツは、あの一晩で限界を晒した。
整備しなければ次は無い。そのことだけははっきりしていた。
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■ 神奈川湾岸の果て ― セイジのガレージ
夜。
工業地帯の海風は塩と鉄の匂いがする。
錆びたフェンスを越えた奥――人目のつかない倉庫のシャッターが上がっていく。
中には工業用の黄色い照明、油で黒く染まった床、無造作に並んだ工具。
そして――三菱F34Aディアマンテが無言で鎮座していた。
ここが、セイジのガレージ。
「入れろ。」
無骨な声に押し出されるように、W124をリフトへ進める。
その瞬間、今まで以上に車が“裸”にされる空気を感じた。
セイジは言った。
「まずは走る資格を整備で証明しろ。」
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■ 初めての“真剣な”整備
リフトが上がる。W124の腹が露わになる。
セイジは無言のまま点検を始め、次々と突きつける。
「オイル滲み。ATフルード黒い、焼けてる。
サブフレームブッシュ終わってる。
タイロッドガタ有り。
ブレーキジャダーの原因はローター歪み、パッドもガラス化。
あと――センター支持ベアリング死んでる。」
最後に一言。
「このまま走り続けるのは自殺だ。」
言い訳はできなかった。
俺は静かに頷くしかない。
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■ 整備が始まる
軍手を投げられる。
「遊びじゃねえ。自分の車は自分で触れ。」
俺とセイジの整備が始まった。
・フロント足回り分解
・エンジンマウント & ミッションマウント交換
・ブレーキローター&パッド前後交換
・ATクーラー追加に向けたホース取り出し
・各部の増し締め、グリスアップ
・ブッシュの劣化チェック、トルクロッド交換
・エンジンヘッドからのにじみ修正とガスケット
手はすぐに油と血で汚れた。
スパナで手の皮が削れて痛む。でも、不思議と嫌じゃなかった。
セイジは言う。
「整備は“安全の確保”だなんて嘘だ。
本当は――速くなるための手段だ。」
その言葉が、心に刺さる。
「走りは積み上げだ。走るたびに見えた課題を整備で潰す。
それを繰り返して、ようやく“ステージ”が一つ上がる。」
俺の胸の奥で何かが目覚め始めていた。
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■ 夜、もうひとつのメッセージ
工具を置いた真夜中、コンビニコーヒーで一息つく。
そこでスマホが震いた。
――Mina。
Mina: 昨日、電話しようか迷ったけど、やめといた。
理由は書かれていない。
でも、なんとなく伝わった。
俺の生活が変わり始めていることを、彼女は感じている――そんな気がした。
返信しようとして、指が止まる。
このまま彼女を巻き込むべきじゃないかもしれない。
でも、離れる気もなかった。
悩んで出した答えは、短い一文だった。
俺: 落ち着いたらまた会おう。
メッセージを送ると、横でセイジが言った。
「お前、何かを得ようとしたら何かを失う覚悟がいる。
だが一つだけ覚えとけ――走りは孤独なようで、実は人を繋ぐ。
切るべき縁はある。でも、切っちゃいけねぇ縁もある。」
走りを知る人間の重い言葉だった。
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■ 首都高へ
整備は終わらない。
だけど――走りは待ってくれない。
その夜、W124はまだ両手両膝に傷を抱えたまま、静かにガレージを出た。
向かう先は――首都高速湾岸線。
新東名で見失ったR35の影。
その影を追うには、まず“あの場所”へ戻る必要がある。
湾岸線――路面の上に刻まれた物語の始まりへ。
アクセルを踏む。
エンジンが低く吠える。
戻るんじゃない――ここから始める。
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第7話・前編 終
次回
第7話・中編「湾岸連合」
・首都高の“階級”というルール
・新たな存在――湾岸の支配者たち
・初めて“チーム”という壁にぶつかる
今回は整備回でしたねぇ!W124…羊の皮を被った狼として頑張って欲しいです!ディアマンテも!




