灰色の過去
第5話 ──灰色の過去
その夜の会話は、そこで突然終わった。
リョウはそれ以上何も話さず、ただ「また近いうちに」とだけ言い残してE46で去っていった。
俺はセイジと並んで辰巳の端に立ち、去っていくテールランプを見ていた。
「……あいつは何者なんだ。」
問いかけると、セイジはしばらく黙っていた。そして低く言った。
「あいつは“あっち側”の人間だ。」
「裏の湾岸の、ってことか?」
「ああ。」
「お前も、だろ?」
「俺は——まだ中途半端だ。」
そう言って、セイジはポケットから潰れた煙草の箱を取り出した。一本抜こうとして、やめる。仕舞い直す。
「……やめたのか。」
「禁煙じゃない。ただ、吸う理由がなくなった。」
その言い方には引っかかりがあった。
俺より少し年上くらいに見えるが、その背中は妙に疲れて見えた。
「カイ。お前、人生に一回でも“二度とやり直せない瞬間”に出会ったことはあるか?」
「……どういう意味だ。」
「一度だけ間違って、二度と戻れなくなる。その後の人生が全部変わるような瞬間だ。」
俺は答えられなかった。
事故とか大失敗とか、そういう話じゃない気がした。
「俺は——ある。」
セイジは、まるで自分の胸の奥を吐き出すように話し始めた。
⸻
「昔、一緒に走ってた仲間がいた。
3人。俺を合わせて4人だった。」
「……首都高でか?」
「ああ。まだ18の頃から走ってた。馬鹿の集まりだったよ。けど楽しかった。誰にも言えねえけど、あの頃の夜が一番、生きてるって感じられた。」
セイジは続けた。
「だけど——一人、死んだ。」
その場の空気が変わった。
「事故か?」
「……いや。」
セイジは一度言葉を切った。表情は変わらないままだが、その奥が確実に揺れた。
「競走中に、追い詰められて、落ちた。
レインボーブリッジ手前の防音壁。その外へ。」
背筋に冷たいものが走った。
湾岸を走る者の間で、昔からある噂のひとつを思い出した。
——時々、柵の外に落ちた車の話。
——ニュースにも出ない、どこにも記録されない事故。
「そいつが落ちた時、誰も止めなかった。順位を争ってたからな。全員、アクセルを緩めなかった。……あの瞬間に気づいてた奴もいたはずなのに。」
「お前は……」
「俺も踏んだ。」
セイジは自分を嘲るように笑った。
「だから俺は“まだ中途半端”なんだ。
走る理由はある。だが、まだ答えに届いていない。」
静かに言葉が落ちた。
⸻
「カイ。」
セイジが俺を見る。その目に迷いはなかった。
「走るのは自由だ。だが、裏の湾岸は覚悟のない奴が入る場所じゃない。走る理由を持て。そうでなきゃ、あいつみたいに落ちるぞ。」
その言葉の意味は、単に事故のことだけじゃなかった。
生き方のことだ。
人生のことだ。
「俺は……」
言いかけたその時。
俺のスマホが震えた。
画面を見て、一瞬息が止まった。
そこに表示された名前は、俺の胸の奥を一気に乱した。
——ミナ。
過去から突然、引き戻されたような感覚。
セイジが俺を見た。
「誰だ。」
「……昔の知り合いだ。」
「答えるのか。」
迷った。だが俺は通話を拒否した。
着信は消える。だが胸のざわつきは消えない。
——走る理由。
それはもしかすると、すでに俺の中にあるのかもしれなかった。ただ、見ようとしていなかっただけで。
⸻
セイジは言った。
「次は新東名だ。」
「……新東名?」
「ああ。湾岸の裏は、そこから始まる。」
そう言ってディアマンテのドアが閉まり、セルモーターが唸った。
次のステージが、もう目前に来ていた。
⸻
第5話・終
次回──第6話「新東名 R35」
新たなライバル登場。物語が一気に動き出す。
ストリートレースなので死は付き物ですね。命を燃やして走ってるのですね。次は新東名高速道路!現実でも最高速レースで有名な場所ですね!




