湾岸の誘い
第3話 ──湾岸の誘い
翌週の金曜、仕事を終え、工具を片付けているときだった。
ポケットの中でスマホが震えた。見知らぬ番号。出るかどうか一瞬迷ったが、画面に表示された地名で察した。
湾岸エリア発信。
迷う理由は、もうなかった。
「──カイか?」
低く落ち着いた声。聞き覚えがある。
「セイジ、か。」
「今夜、走る。来い。」
「どこへ?」
「辰巳。0時。」
プツッ、と通話は切れた。
用件だけを伝える電話。説明は一切なし。
意図は読めない。しかし、なぜか嫌な感じはしなかった。
──いや、違う。
この電話を待っていた自分がいた。
外に出ると、秋の冷たい風が夜へと変わりつつある空気を運んでいた。整備工場の裏に停めたW124が街灯の下で静かに佇んでいる。古いが、線の美しいクルマだ。
運転席に座り、エンジンをかける。
M104直列6気筒が深く低い音で目を覚ます。
街を抜け、高速の入り口へ向かう頃には、いつもの日常はバックミラーの奥へ遠ざかっていた。
⸻
辰巳第一PAに着くと、セイジの黒いF34Aディアマンテが既に停まっていた。
今日のPAは妙に静かだった。台数が少ない。ただのオフシーズンの夜というわけではない。不自然な静けさ。
俺が近づくと、セイジは煙草も吸わずにフードをかぶって立っていた。
「来たか。」
「呼んだだろ。」
「……後悔しないならいい。」
「何をだよ。」
セイジは俺を見た。その目には、前と同じ妙な覚悟が宿っていた。
「首都高の走りは、ただの遊びじゃない。あのE46に会って気づいたはずだ。」
──リョウ。
数日前、意味ありげに去っていった男。
**走る理由はあるか?**と聞いてきた男。
忘れるわけがない。
「関係してるのか、あいつが。」
「ああ。お前がもし“走る側”に来るなら、いずれ関わることになる。」
「言ってる意味が分からない。」
「そのうち分かるさ。まずは乗れ。」
セイジは顎で前方を指した。
PAの出口。その先には湾岸線。東京の夜を貫く長い直線。
「何をする気だ。」
セイジはサイドウインドウ越しに、こちらを見て静かに言った。
「走りで話す。それが一番早い。」
⸻
湾岸線・東行き。
2台は並んで流れに乗った。
80、100、120──W124のアナログメーターは、ゆっくりと針を右へ運ぶ。
セイジの加速は穏やかだった。煽るわけでも、挑発するわけでもない。ただ、自然と速度を上げ、俺を前へ誘うような走り。
140、160──この速度域が、この車の本領だ。
古いメルセデスのはずなのに、足は驚くほど落ち着いていた。
ステアリングは重いが、路面を柔らかく掴みながら凹凸を潰していく。剛性は古びない。W124は静かに加速を続けた。
だが。
180km/hを超えたあたりから、空気の圧力がフロントを叩き始めた。
ノーマルサス、ヘタったダンパー。
ここから先は、安心して踏めない領域だ。
セイジは速度を保ったまま隣へ並ぶ。
そして俺を一度だけ見た。
──判断しろ。
そう言われている気がした。
無理に張り合っても意味はない。
ここは引くのが正しい。
俺は軽くパッシングをし、スロットルを少し戻した。速度を落とし、車線をずらす。
セイジはそれを確認すると、一度ハザードを焚いた。
合図。
「分かってるな」という意思表示。
その瞬間、理解した。
これはただの走りじゃない。試されている。
⸻
しばらくしてPAに戻ると、セイジはW124を見ながら言った。
「無理をしなかった。それでいい。」
「勝負じゃなかったのか?」
「違う。これは“入場テスト”みたいなもんだ。」
「入場?」
セイジは言った。
「湾岸には──表に出ないもう一つのレースがある。」
その言葉が、夜の空気を少しだけ冷たくした。
続く。
スピードも何もまだまだ中古ですからね。
仕方ないといえば仕方ないですね。
表に出ないもうひとつのレース…気になりますねぇ!




