「足で走らせろ –Suspension & Balance-」
第11話
「足で走らせろ –Suspension & Balance-」
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――夜明け前の工場。
コンクリートの床の匂いと、ジャッキで浮いたW124。
ホイールが外され、むき出しになった足回りが寒々しい。
「重い車はな、足で走らせる。エンジンじゃねぇ。」
綾瀬はそう言って、サスペンションを外し始めた。
その手つきは、
“壊している”ようで
“生まれ変わらせている”ようでもあった。
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◆ 純正という「限界」
ベンツ純正サス。
太くて、でも動き始めが鈍い。
街乗りには最高。高速巡航にも最適。
だが――“走る”には遅い。
「重い車はな、バネで踏ん張るんじゃない。
“動き出しの速さ”で曲がるんだよ。」
バネレートを上げるだけじゃ無意味。
硬さだけを求めれば、逆にタイヤが負ける。
だから綾瀬は“脚が正直に動くセット”を選んだ。
サスペンション:ビルシュタイン B12 ベース加工
スタビライザー:純正 → 太径社外へ変更
ブッシュ:純正ゴム → 強化ブッシュへ総交換
アライメント調整前提
俺は手伝いながら、綾瀬の言葉を聞いていた。
「軽い車は“軽さで曲がる”。
重い車は“動きで曲がる”。
だから重い車の足は、正直でないといけねぇ」
その言い方は整備士というより、
まるで“車を走らせる哲学”を教えているみたいだった。
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◆ ブッシュ交換の現実
「ブッシュってのはな……
走り屋が一番舐めてる部品だ。」
外された純正ブッシュは、
ひび割れ、硬化し、力を吸い取るただの“ゴムの残骸”。
「ブッシュが死んでると、サスもスタビも何もかも嘘つく。
だから足を触るなら、ブッシュから逃げるな。」
綾瀬の声に熱はない。
ただ“真実”だけを言っている。
……この人は本物だと思った。
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◆ すべて組み上がったあと
サス、スタビ、ブッシュ、締結、トルク管理。
最後はアライメントデータを見ながら、綾瀬が言った。
「……よし。これで“戦うための足”になった」
前より車高が少し落ちた。
タイヤハウスとの隙間が消え、正しい姿勢になった124。
それはもう、
“ただの古いベンツ”ではなくなっていた。
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◆ 試走 ――再び湾岸
加速。
コーナー。
舵を入れる。
――動きが違う。
動き出しが早い。
ロールはある。でも“芯”がある。
ステアリングを切った瞬間、車体が言う。
“わかった、そっちへ行く”
今までは「曲がってくれ」だった。
今は「曲がりたい」と言っている。
たったそれだけで、速さは変わる。
「まだまだだが、これで“土俵”には立てる」
綾瀬がそう言ったとき――
ミラーにまた見えた。
黒いスープラ。
9674。
今度は横を並走してきた。
ちらりともこっちを見ず、ただ、静かに。
運転席の男がサングラス越しに手を上げた。
“挨拶”でも“挑発”でもない。
ただ、存在を認めた。それだけ。
綾瀬が言った。
「あいつの名前は――霧島 遼
GTトップランカー。
2JZを手懐ける怪物だ。」
“苦労無し”じゃなく、“努力の必要が無い天才”。
でも――思った。
それでも、いつか追いつく。
それが無謀でも、走る以上、諦めねぇ。
湾岸の風が、少しだけ温かく感じた。
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