第二章・第1話「ディベートって、言い争いですか?」
ゴールデンウィーク明けの月曜。
五月晴れというにはやや曇りがかった空の下、俺――一ノ瀬光は、いつものように英語部の部室へ向かった。
あの歓迎スピーチからちょうど一週間。
多少の照れと達成感、そしてやっぱりまだ残る自信のなさを引きずりながら。
部室の扉を開けると、先に来ていた楓先輩がノートパソコンを開いていた。
「お、来たな新人。ちょうど今、議題決めてるとこ」
「議題……って、何のですか?」
「ディベートの練習始めるの。今月は“話して戦う月間”だから」
「ディベート……」
その単語に、思わず眉をひそめた。
ディベート。中学の英語の授業で少しやった記憶がある。
班に分かれて「賛成派・反対派」に分かれて話すやつだ。
でも正直、あれが“面白い”と思えたことはなかった。
「言い争い、みたいなやつですよね……?」
「はい、ストーップ。誤解です、それ」
横から割って入ってきたのは、東雲涼先輩だった。
いつもの淡々とした声。でもどこか楽しそうだった。
「ディベートは“争い”じゃない。“考えのやり取り”だよ。意見と意見をぶつけて、磨くためのもの」
「でも、負けたくないからって相手の粗探ししたり、論破しようとするんじゃ……?」
「もちろん“勝ち負け”はある。でも、それ以上に大事なのは“自分の考えを深めること”。それが、ディベートの本質」
なんだか哲学みたいだ。
でも、確かに少し惹かれるものもあった。
言葉を使って、人とぶつかって、でも否定するんじゃなくて、理解を広げる。
それができたら、すごく格好いい。
「で、今テーマ出し中なの」
楓先輩が、白紙の模造紙をぺらりとめくった。
《ディベート案メモ》
スマホの学校持ち込みOK?
朝学習は必要か?
学校に制服は必要か?
授業にAIを導入するべき?
昼寝の義務化はあり?
「……最後、ふざけてません?」
「いや、私は本気だけど?」
「うちの学校、体育館にマット敷いて昼寝タイム導入とかしたら絶対話題になると思うけどな」
真顔で言う涼先輩にツッコむべきか迷った。
「というわけで、多数決」
数分の挙手投票の結果――選ばれたのは、
『Should students wear school uniforms?』
制服。毎日着てる、当たり前のようでいて、実は一番“意見の分かれる”テーマかもしれない。
「意外と王道きたな……」
「王道こそ、議論の幅があるの。意見のぶつかり合いにはぴったりよ」
涼先輩が手帳をめくりながら言った。
「じゃあ次回、賛成派と反対派に分かれて、準備しよう。1年生同士で組む? それとも……先輩と混ぜる?」
楓先輩がニヤリと笑った。
「ふふ、やっと本気で戦えるわけね」
ちょっと怖いんですけどこの人。
俺の中で、何かが始まりそうな予感がした。
言葉を使って、真正面から人と向き合う――
“喋れない自分”にとって、それは怖いことだ。
でも、もう少しだけ踏み込んでみたいとも思った。
ディベートって、言い争いじゃない。
きっと、それを“確かめるための一か月”が、ここから始まる。