第5話「声にならなかった“ありがとう”」
その日、全校生徒が体育館に集められていた。
春の新入生歓迎会。
各部活動が1〜2分で活動紹介をする、いわば「部活の営業タイム」だ。
ステージ袖には、野球部、吹奏楽部、茶道部……と、順番待ちの部員たち。
その中に、俺――一ノ瀬光も、いた。
「緊張してる?」
涼先輩が、優しい声で聞いてくる。
「……当たり前ですよ。見てください、あの人数」
「千人もいないよ。せいぜい七百」
「どっちでも無理です!」
俺の心臓は、ここ数年で一番元気に暴れていた。
舞台の向こうにいるのは、ほぼ見知らぬ人たち。
その前で話すなんて……無理だと思ってた。
思ってた、んだけど――
「光、任せたよ」
涼先輩が、ぽんと背中を押した。
「えっ、ちょ、まさか――」
「光、紹介の最後に“一言”よろしく」
「いやちょっと!そんなの聞いてない!」
「アドリブも部活のうち。な?」
そして、俺たちはステージに立った。
ライトが眩しい。足が震える。手のひらがじっとりしてる。
涼先輩が、いつもの落ち着いた口調で英語部の紹介を始めた。
「Hello everyone. We are the English Club.
We do speech, debate, and English drama. You don’t need perfect English.
You just need a voice.」
最後の言葉に、どこか俺のことを託された気がした。
「And now, here’s our new member, Hikari Ichinose.」
……え? あ、本当に振ったんですか? マジで?
袖の楓先輩が、口パクで「ガンバレ」って言った。
くそ、もうやるしかない。
俺は、マイクの前に立った。
体育館が、静かになる。
手が震えてる。足も動かない。頭は真っ白。
でも――
「…Hello. My name is Hikari Ichinose.」
声は、小さかった。でも、出た。
「I couldn’t speak well… before.
But I joined this club, and… I want to try.」
ゆっくり、ひとつひとつ、置いていくように話した。
「I like this club. Because… they listened to me. Even when I was silent.」
最後に、ほんの少し笑って。
「…Thank you.」
拍手が、起きた。まばらだったけど、はっきりと聞こえた。
俺は、泣きそうになるのをこらえて、マイクから下がった。
「……よく言ったね」
涼先輩が、ぽつりと呟く。
「光、あれがスピーチの“はじまり”だよ」
楓先輩も、袖で腕を組んでいたが、ぽつりとつぶやいた。
「ま、悪くはなかったかな。……ちょっと感動したし」
俺の中で、なにかが変わった気がした。
たぶんまだ、うまく喋れないままだけど――
それでも、「言えなかった言葉」が、ようやく声になった。
そんな気がしていた。
ありがとうって、こんなに難しくて、
それでいて、こんなにあったかい言葉なんだ。