第3話「喋れない言葉、伝わらない想い」
――音が、怖い。
いや、正確には「沈黙」が怖い。
口を開いて、言葉が出てこなかったときの、あの空気の止まり方。
自己紹介でしくじったあの日の記憶が、まだ頭にこびりついていた。
英語部の活動が本格的に始まって、一週間。
正直、楽しくないわけじゃない。けど、楽しいとも言いきれない。
「光、今日のテーマスピーチは『私の好きなこと』。英語で1分くらい」
月曜の部活。涼先輩の淡々とした声が、じんわりプレッシャーになってのしかかる。
「もちろん、まだカンペありでもいいよ。けど、自分の言葉で話す練習だからね」
配られた“発表順くじ”で、俺はしっかり一番を引いた。
「いやマジか……」
「ほらほら、運命に愛されてる新人。華々しくトップバッター、いっちゃえ」
楓先輩の皮肉が、今日も容赦ない。
でもその奥で、ちょっとだけ期待してる顔をしているのがわかってしまって、余計に緊張する。
ノートを睨みながら、ぶつぶつと英文を繰り返す。
テーマは「映画」。好きだけど、うまく説明できるほど語彙もない。
でも――少しだけ、話したいことがある。
(……よし)
覚悟を決めて、俺は立ち上がる。
「M-My favorite thing is… uh… movie. I like watching movie… because…」
口が乾く。
頭の中ではちゃんと文を組み立ててきたはずなのに、ひとつも出てこない。
「Umm… story… feeling… I…」
足が震える。
視線が合うのが怖くて、手元の紙ばかり見ていた。
沈黙。10秒が1分にも感じた。
どうにか搾り出した。
「Movie… show feeling… without word… like… actor’s… eye. That’s… I like it.」
言い終えたあと、膝がちょっとだけ笑った。
スピーチじゃない。ただの単語の羅列かもしれない。
けど俺は、なんとか言いきった。
そのとき。
「……いいね」
涼先輩が静かに言った。
「目の話、面白かったよ。映画は“言葉じゃない気持ち”を伝えるってとこ」
「……でも、全然喋れなかったです」
「喋れてたよ。言葉に詰まってるとき、顔に感情が出てた。伝えようとしてるの、伝わった」
伝わる、って。そんな言葉、初めて言われた。
「へえ。わりとよかったんじゃない?」
楓先輩がぽつりと呟いた。
「ん?」
「いや別に。最初にしては悪くないってだけ。あくまで“最初にしては”ね」
それはきっと、楓なりのエールだったんだと思う。
結局その日は3人ともスピーチを終え、録音して、振り返りの時間になった。
「光くんのスピーチ、言葉が崩れても伝えたいって気持ちは感じたよ」
涼先輩は、そう言いながら自分の録音ファイルを操作する。
「言葉ってのは、正しさだけじゃない。
むしろ“伝えたい”って気持ちが先にあって、言葉があとからついてくるもの」
「……でも、間違ったら恥ずかしいです」
「間違えてもいい。伝えたい気持ちがあるなら、聞いてる人はちゃんと待ってくれるよ」
俺はその言葉を、ノートにそっと書き写した。
――“伝えたい気持ちがあるなら、聞いてる人はちゃんと待ってくれる。”
まだうまく喋れない。
言葉も拙い。構文もむちゃくちゃだ。
けど、それでも――
ちょっとだけ、「次も話してみよう」と思えた。
それは小さな一歩だけど、きっと、俺にとっては大きな意味のある一歩だった。