第三話 霧と鎖の遭遇戦
【森中での遭遇戦】
霧を裂いて現れたのは、年若き少年であった。銀白の髪が風に翻り、金の瞳には静かな炎が宿る。胸元には星型のペンダントが揺れ、背に負った大剣は、霧の海をまるで帆のごとく切り裂く。
ラディクス・ブライトモア・スペンサー――武門の名家スペンサーに生まれながら、祖国の伝統とは別の剣の流れを身に宿していた。示現流ーーその精神を継ぐ異邦の来訪者。その名は、ヴェスタズの山野に再び誇りを蘇らせようとしていた。
「罠が作動したとあって訪れてみれば、まさかスペルビアの犬どもとはな。聖なる鉱脈を穢すとは、愚かにも程がある。――我が大剣にて、その鎖も影も断ち切ってくれよう」
その声音は森全体に共鳴し、黒き貴族軍服の襟には、忘れられた誇りが確かに刻まれていた。星のごとき光を宿す大剣は、かつて獣人王を一閃せし光刃の残響を今なお静かに湛えている。
彼の傍らに佇む少女の姿が、月明かりに浮かび上がった。黒髪には花飾り、紅玉のようなコタルディが風を弾く。瞳は星の輝きを湛え、唇には勝気な笑みが宿る。
「ラディクス! こいつら敵ね? いいわ、今ここで地べたに頭を擦りつけて赦しを乞いなさい! そうでなければ――ぶっ飛ばしてやるから!」
その声音には若さと情熱が溢れ、気高き騎士爵の娘、フレイダ・セントクレア・ペンブルックの存在がそこにあった。だが、蔦が蛇のごとく揺れるや否や、彼女は一歩身を引く。
「ひっ……蛇!? ――ちょ、ちょっと待って、それだけはマジで無理! 超ムカつくんだけど!」
気丈な叫びは霧に溶けるが、すぐに気を引き締める。
「でも……負けるわけないでしょ! 私を誰だと思っているの?騎士爵の娘なんだから!」
続いて姿を現したのは、ラディクスの姉――聖騎士団に名を連ねる、マーレ・ブライトモア・スペンサーであった。白銀の髪が月光を受けて柔らかく輝き、星型のペンダントが静かに胸元で揺れる。彼女の蒼き瞳には、慈しみと、語られざる秘密が宿っていた。
「帝国の影よ、ここで終焉を迎えなさい。降伏すれば、命までは取らぬと約束しましょう」
短剣を静かに抜き放つその姿には、聖騎士の威厳と覚悟がにじんでいた。彼女は怒りに囚われず、あくまで正義の名のもとに刃を構える。
一方、ゲヴァは唸るように言葉を漏らし、腰の刃を引き抜いた。
「ほう……公国の飼い犬かと思えば、さしずめ女神様の猟犬ってとこか。……だが、その牙、錆びついてはいねぇらしいな」
彼の腰に吊るされた牙の飾りが、鎖と擦れ合い、かすかな軋みを上げた。その音は、彼の中に眠っていた誇り――獣人の、狼の誇りを目覚めさせる。
リーフは薄く笑みを浮かべた。だが、その双眸だけは冴えた刃のごとく鋭く、霧の奥を穿つ。
「女神の犬とは、皮肉の利いた呼び名だ。名乗っておくとしよう――リーフ。スペルビアの落とし胤にして、かつて《刃》と恐れられた男だ」
霧は舞台装置のように彼らを包み、その中心に立つリーフの声が静かに響く。
「……この霞んだ森こそ、俺が過去に牙を剥くために用意された、最高の舞台さ」
【戦場の霧】
霧が森を飲み込み、黒鉄の指輪から滲む妖光が闇を戦場に叩きつける。
二十余りの斥候部隊が、殺意を剥き出しに鬨の声を上げる。
短剣が月光を切り裂き、弓弦が唸り、鎖付き手斧が空気を裂く。
「帝国の名のもとに! 叩き潰せ!」
ラディクスは一歩も退かず、グレートソードを握りしめ、黄金の瞳に炎を宿す。
「愚か者ども、まとめて地に這わせてやる!」
示現流の剣閃が雷鳴のごとく炸裂し、霧を真っ二つに斬り裂く。
「チェストー!」
一撃で三人の斥候が吹き飛ばされ、石畳が砕ける。
衝撃波が木々を震わせ、鎖の軋む音が森に響く。
斥候部隊が即座に反撃、六人が扇形に展開し、投擲ナイフと手斧でラディクスを包囲。
一人が霧を突き、短剣で背後を狙うが、ラディクスの大剣が空気を引き裂き、奇襲者を地面に叩きつける。
「この刃、スペルビアの野望を粉砕する! 示現流の魂、貴様らの薄汚れた野心に屈しねえ!」
剣圧が炸裂し、斥候四人が意識を失って倒れる。
ラディクスの姿は、まるで戦場の神そのもの。
外套が血と霧に染まり、黄金の瞳が敵を焼き尽くす。
フレイダは冷たく弓を構え、矢を三連射で放つ。
「魂の穢れ、貫いてやる! くらえ!」
矢が二人の斥候の肩と腕を正確に射抜き、武器を落とさせる。
花飾りが戦場の風に揺れ、騎士爵の怒りが迸る。
だが、蔦が蛇のようにうねると、彼女の瞳に一瞬の怯えが走る。
「何!? 蔦が動いてる!? ふざけんな!」
恐怖を気迫でねじ伏せ、フレイダはさらに矢を放つ。
斥候二人が鎖を振り回し、彼女を牽制するが、矢が鎖を弾き、一人の足を縫い止める。
「負けるかよ! あたしの気合い、味わえ!」
マーレは静かに短剣を抜き、リーフの魔法陣に踏み込む。
彼女の動きは舞のように滑らか、貴族の矜持が光る。
「降伏を拒むのは残念ね。スペルビアの野望、ここで断ち切るわ。フレイダの情熱は、夜を照らす星よ!」
足元に聖なる魔法陣が浮かび、呪文が空気を震わせる。
「聖光撃!」
光の刃が宙を切り、飛来する投擲ナイフを粉砕。
斥候三人の戦意を一瞬で奪う。
彼らが短剣を手に突進するが、マーレは身を翻し、短剣で足元を崩す。
光の鎖が三人を縛り、動きを封じる。
「騎士の刃は、闇を跪かせる!」
ゲヴァは牙の飾りを握り、咆哮を上げて突撃する。
「俺の牙、忘れねえ! 帝国の鎖より、てめえの目が重いぜ!」
ショートソードが火花を散らし、部下五人を率いてラディクスに襲いかかる。
斥候たちは鎖と短剣で連携し、左右から波状攻撃。
ゲヴァの剣がラディクスの外套を掠めるが、示現流の剣閃が炸裂。
一撃でゲヴァと部下を石畳に叩きつける。
衝撃波が霧を裂き、木々が軋む。
「ちっ……なんて化け物だ!」
リーフは黒鉄の指輪を握り、闇を呼び込む。
「鎖を断つ! 女神の狗ども、俺の野心で霧ごと焼き払うぜ!」
黒い霧が渦巻き、戦場を覆う。
斥候部隊がその中で動き、投擲ナイフと手斧でラディクスを牽制。
一人が木々の影から跳躍し、短剣で急襲するが、ラディクスの大剣が一閃。
敵を吹き飛ばし、黒い霧を切り裂く。
「こんな小細工、示現流の前じゃ無力だ! チェストー!」
フレイダの矢がリーフの指輪を掠め、魔法を寸断。
彼女の青い瞳が怒りに燃える。
「ヘボ魔法、あたしがぶっ壊す! ラディクスは絶対負けねえ!」
リーフは嘲笑を浮かべ、蔦に潜む大蛇を掴み、フレイダに投げつける。
「蛇嫌いの姫さん、これで遊べよ!」
「やだっ!? 蛇!? ふざけんな、取れって!」
フレイダは弓を振り回し、蛇を跳ね除ける。
花飾りが激しく揺れ、怒りと恐怖が混じる。
「このクソ狐! 次会ったら蛇ごと八つ裂きだ!」
斥候部隊の最後の一人が弓を放つが、マーレの短剣が矢を弾き、静かにその意識を奪う。
リーフは負傷したゲヴァを支え、冷笑を残して霧に消える。
「撤退だ、ゲヴァ。姫さんのパニック、いい土産になったぜ。」
フレイダは叫び続ける。
「待てよ、クソ狐! 次は跡形もなくぶっ飛ばす!」
ラディクスは蛇を静かに地面に置き、穏やかに笑う。
「蛇が苦手とは、愛らしい弱点だな、フレイダ。」
彼女の頬が紅く染まる。
「もう、ラディクス! 子供扱いすんな! ちゃんと戦ったんだから!」
マーレは二人を温かく見守る。
森に静寂が戻り、戦火の余韻とフレイダの叫びだけが響く。
ラディクスは大剣を背に収め、星型ペンダントに手を添える。
「スペルビアの影、女神の鍵……この剣で運命を斬り開く。示現流は過去を断ち、未来を切り開く!」
フレイダは胸を張る。
「ラディクス! あたしの弓、見たろ!? あの狐、ムカつくけど次は絶対仕返しだ!」
マーレが微笑む。
「情熱の光は夜空を裂く星……でも、ラディクス、試練はまだ始まったばかり。運命は気まぐれな仕立て屋よ。」
ペンダントが微かに震え、試練の予感を宿す。
【シグルズ男爵の書斎にて】
夜は更け、静寂が書斎を包んでいた。
ペンブルック家の書斎に灯る燭台の柔らかな光が、マーレの白い頬をほのかに照らし、彼女の金色の髪に繊細な影を落としていた。気品あるその姿は、まるで古の肖像画のように荘厳で、しかしどこか憂いを帯びていた。
彼女の手には、封蝋の解かれた一通の文書があった。公国王の花押と帝国皇太子の印章が並ぶ、異端とも呼ぶべき書面である。内容を読み終えたマーレは、長いため息を吐き、瞳を閉じた。
「……この期に及んで、なお鉱山を諦めないというの」
細い指先がわずかに震えていた。火を灯すためのマッチを握りしめたまま、彼女はそれを点けることができずにいた。書面を炎に委ねる勇気が、彼女の心を躊躇わせていた。 扉の外に気配がした。執事クローヴァンが音もなく現れ、恭しく頭を下げた。
「ご指示を、お嬢様。」
「……この書状は、決してラディクスに示さぬように。いかなる時も、決して。」
クローヴァンは短く頷き、静かに退室した。 再び訪れた沈黙の中、マーレは机に向かい、身をかがめた。
まるでその文書に魂を吸い取られるかのように、彼女の瞳は羊皮紙に釘付けだった。
「スペルビア帝国に弟を差し出すと? この国の剣、王の誇りが、帝国の足元にひれ伏すかもしれないというのに……なぜ父上はラディクスにさえ、それを……教えてくださらないの。」
彼女の心は千々に乱れた。
父シグルズが命を賭して守り抜いた誇り。弟ラディクスが胸に抱く、星々の彼方へと至る理想。それらが、この一枚の羊皮紙によって、薄氷の上に晒されている。彼女には、それを弟に告げる言葉が見つからなかった。
「弟には……夢を見ていてほしい。せめて、今はこのままで。」
誰にも届かぬ囁きを、書斎の灯火が静かに照らしていた。その光は、マーレの心に秘めた決意と、愛ゆえの苦悩を、そっと映し出していた。
【あとがき】
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
この物語は、霧深い戦場に立つ若者たちの矜持と葛藤、そして理想と過去が交錯する「静かな熱」を描くことを目指しました。ラディクスの剣はただ鋼鉄の象徴ではなく、彼の内に宿る贖罪と信念の表れです。フレイダの叫びには、若さゆえの不器用な気高さと愛が、マーレの一閃には、聖騎士としての覚悟と姉としての祈りが込められています。
そして彼らに対峙する者たち――リーフやゲヴァもまた、過去と誇りを背負い、自らの正義を掲げて立ち上がる存在として描きました。善悪の単純な図式ではなく、それぞれの「戦う理由」に焦点を当てることが、この章の本質だったと思っています。
今後もこの世界の深淵と光明を描き続けていく予定です。
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それでは、次の物語でまたお会いしましょう。