米寿の祝福の中で
桜の花びらが舞う中、暁とさくらの米寿のお祝いの席が、とある市民会館の一室で開かれていた。
八十八年の歳月は、二人の髪を白く染め上げ、肌に深い皺を刻んでいた。しかし、その表情には若かりし日の面影が色濃く残っていた。暁の凛々しい眉は、今も男性としての威厳を保ち、さくらの柔らかな微笑みからは、変わらぬ女性らしい優しさが溢れていた。
「パパ、ママ、おめでとう!」
六十五歳になった麗華が、車椅子に座る二人に寄り添って声をかけた。その後ろには、麗華の娘である美咲と、その娘の小夜子。そして小夜子の双子の子供たち、七歳になる葵と蓮が立っていた。
さくらは、車椅子に座りながらも背筋を伸ばし、集まった家族一人一人に優しい視線を向けた。
「みんな来てくれて、ありがとう……」
その声は細く掠れていたが、確かな愛情に満ちていた。
「ひいおばあちゃん! これ、私たちが作ったの!」
葵が、色とりどりの折り鶴に彩られた大きな花束を差し出した。八十八羽の鶴が、虹色の花のように咲いている。
「まあ、なんて綺麗なの……」
さくらは目を潤ませながら、その花束を受け取った。
「ひいおじいちゃんにも見せてあげて!」
蓮が元気よく声を上げる。暁は、深いしわの刻まれた顔に、優しい笑みを浮かべた。
会場には、二人の人生を記録した写真が飾られていた。若かりし日の二人の姿。麗華の誕生。麗華の入学式、運動会、卒業式。美咲の誕生から成長の記録。小夜子の結婚式。そして双子の誕生……。写真の一枚一枚が、二人の歩んできた道のりを物語っていた。
「ねえ、ひいおばあちゃん。昔の写真の中のひいおじいちゃん、なんか違うね?」
葵が首を傾げながら、若い頃の暁の写真を指さした。
場の空気が、一瞬止まった。
「そうね」
さくらは静かに微笑んだ。
「でもね、人は誰でも、自分らしく生きる権利があるのよ。私たちは、ずっとそう信じてきたの。今もね」
暁は、そっとさくらの手を握った。その手の感触に、これまでの半世紀以上の時が凝縮されていた。
「あのね」
麗華が、双子に優しく語りかけた。
「パパとママは、世界で一番素敵な夫婦なのよ。二人が教えてくれたのは、愛には形がないってこと。大切なのは、心と心が通じ合うことだってこと」
麗華の言葉に、暁とさくらの目に涙が浮かんだ。
日が暮れ始めた頃、さくらは窓の外を見つめていた。夕陽に照らされた空が、かつて二人が出会った日のように、美しいグラデーションを描いている。
「覚えてる? あの日の銀座の夕暮れ」
さくらの問いかけに、暁は静かに頷いた。
「ああ。あの日から、僕たちの人生は変わった」
「私たち、本当に遠くまで来たわね」
「でも、微塵も後悔はないよ」
二人の会話を、集まった家族たちが温かく見守っていた。
「パパ、ママ」
麗華が、二人の前に膝をつく。
「私、小さい頃は、色々と反抗したり、迷惑をかけたりして、ごめんなさい。でも今は、パパとママの娘に生まれてきて、本当に幸せです」
麗華の声が震えた。
「いいえ。あなたがいてくれたから、私たち、強くなれたのよ」
さくらは、娘の頭を優しく撫でた。その仕草は、幼い頃と変わらなかった。
やがて、祝宴も終わりに近づいた。参加者たちが一人、また一人と帰り支度を始める。
「じゃあ、来月また来るからね!」
最後に手を振る双子たち。その後ろ姿に、未来への希望が込められているようだった。
部屋に残された暁とさくらは、今一度窓の外を見つめた。夕暮れの空が、深い茜色に染まっている。
「さくら」
「なに?」
「僕たちの人生は、境界線の向こう側にあったんだね」
「ええ。でも、その境界線を越えたからこそ、こんなにも豊かで、幸せな愛に出会えた」
さくらは、暁の肩に頭を寄せた。
「ねえ、暁さん。私たちの物語は、これからも続いていくのね」
「ああ。麗華たちの中に、美咲たちの中に、そして葵と蓮の中に」
二人は静かに寄り添い、夕暮れの空を見つめ続けた。その姿は、まるで若かりし日のままのようだった。
窓の外で、一匹の蝶が夕陽に照らされて舞っていた。その姿は、かつてさくらが見た蝶のように、美しく、そして力強かった。
(了)




