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【LGBTQ恋愛結婚育児小説】境界線上の私たちー揺れる体、寄り添う心ー  作者: 霧崎薫
帰郷 ―家族の絆―

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幸せのかたち(さくらの場合)

 春の陽射しが車窓を柔らかく照らしていた。電車の揺れに身を任せながら、さくらは遠くに見える山並みを眺めていた。久しぶりの帰省。胸の中に、懐かしさと少しの緊張が入り混じっている。


「ねえ、おじいちゃんの家まであとどれくらい?」


 隣の席で麗華が身を乗り出すように窓の外を見つめている。


「もうすぐよ。次の駅で降りるんだから」


 さくらは微笑みながら答えた。


 向かいの席では暁が静かに本を読んでいた。時折チラリと視線を上げては、妻と娘の会話に優しい眼差しを向ける。


 駅に着くと、プラットフォームには懐かしい風景が広がっていた。相変わらずの小さな駅。でも、さくらの目には全てが愛おしく映る。


 改札を出ると、両親が待っていた。


「さくら!」


 母が手を振る。その隣で父は少し照れくさそうに立っている。


「おばあちゃん! おじいちゃん!」


 麗華が駆け出していく。


「まあまあ、麗華ちゃん。大きくなったねえ」


 祖父は孫の姿を見るなり、普段の威厳を忘れたかのように顔をほころばせる。


「おじいちゃん、この前教えてもらったゲーム、すっごく上手くなったんだよ!」


「おや、そいつは楽しみだなあ。今日は新しいソフトもいっぱい買っておいたんだ」


 祖父と孫の会話を、母は優しく見守っている。かつて娘のカミングアウトに戸惑い、苦悩した日々が嘘のようだ。今ここにあるのは、ただ純粋な家族の光景。


 実家に着くと、懐かしい匂いが鼻をくすぐった。母の作る味噌汁の香り。廊下を歩く足音の響き。全てが記憶の中の音を重ねていく。


 リビングでは、祖父と麗華がさっそくテレビゲームを始めていた。画面に映る戦闘シーンに、二人で一喜一憂している。


「まったく、お父さんったら」


 台所で夕食の準備をしながら、母が苦笑する。


「昔はゲームなんて子供のやるもんだ、って言ってたのにねえ」


「孫の前では別人ね」


 さくらも笑いながら野菜を切る。


「さくら……」

「ん?」


 母の声のトーンが変わる。さくらは包丁を置いて、母の方を向いた。


「あなた、本当に偉いわね」


 母の目に、うっすらと涙が光る。


「そんなことないわ。……今、こうしていられるのは暁さんと麗華があたしを支えてくれるからよ」


 姉が台所に入ってきて、さくらの肩を優しく叩く。


「あたしもさくらのこと、誇りに思うわ」

「……ありがとう、お姉ちゃん」


 台所に立つ三人の手が、それぞれのリズムで動いている。母は長年の経験で包丁を軽やかに走らせ、姉は慣れた手つきで味付けを整え、さくらは丁寧に野菜を刻んでいく。


「ねえ、覚えてる? さくらが小学生の時、お料理の手伝いって言って大根を細かくすりすぎて、ほとんど水みたいになっちゃったこと」


 姉が懐かしそうに笑う。


「あら、そうだったわね。でも、さくらったら必死な顔して『もっとする!』って言って」


 母も声を上げて笑う。さくらは少し頬を赤らめながら、自分も笑みを漏らした。


「だって、おろし大根作るの、初めてで楽しかったんだもの」


 その言葉に、一瞬、三人の手が止まる。「初めて」という言葉の裏には、様々な意味が込められていた。さくらが自分らしく生きることを決意してから、台所に立つことを避けていた時期があったことを、三人は黙って思い返す。


「でも今じゃ、麗華ちゃんのお弁当も上手に作れるようになって」


 母の声には深い愛情が滲んでいた。


「ええ。暁さんも『さくらの味噌汁が一番』って言ってくれるのよ」


 さくらは誇らしげに答えた。


 三人でキャベツの千切りをしながら、高校時代の文化祭の思い出話に花が咲く。さくらが演劇部で女役を演じた時のこと。その頃はまだ、自分の本当の姿を家族に打ち明けられずにいた。


「あの時のさくら、とても綺麗だったわ」


 姉の言葉に、さくらは包丁を持つ手を少し震わせた。


「でも、今のさくらの方が、ずっと輝いているわね」


 母がそっと付け加えた。三人の間に温かな沈黙が流れる。


 鍋の湯気が立ち上る音、まな板を叩く音、調味料を計る音。それらが織りなすハーモニーの中で、さくらは自分の歩んできた道を静かに振り返っていた。


 カミングアウトの時の家族の動揺。それでも徐々に理解を示してくれた日々。性別適合手術を決意した時の両親の心配と支え。そして暁との出会い、麗華の誕生……。


 確かに普通とは違う道のりだった。でも、その道を選んだからこそ、今の幸せがある。今の自分がある。調理台に並ぶ三人の影が、夕陽に長く伸びていく。


「あら、もうこんな時間」


 母の声に、さくらは我に返った。台所の窓からは、茜色の光が差し込んでいる。


「麗華のお気に入りの煮物、もう少しね」


 さくらは鍋を覗き込みながら、静かに微笑んだ。この何気ない幸せを、自分は本当に手に入れることができたのだと。胸の奥に、確かな温もりが広がっていく。


 夕暮れの台所に、三人の女性たちの笑い声が響いていた。



「ご飯ができたわよー!」


「「はーい!」」


 リビングからは三つの声が返ってくる。暁と麗華、そして父。テレビゲームに夢中になっていた三人が、急いで手を洗って食卓に集まってくる。


「いただきます」


 七人の声が、ダイニングに響く。


 さくらは食卓を見渡す。このなんでもない日常の風景の中に、かけがえのない幸せが詰まっている。


 ふと暁と視線が合う。暁は微笑みながら頷く。二人の間で交わされる無言の会話。


 この幸せは、永遠に続くのだ、と。


 春の柔らかな夕暮れが、家族の笑顔を優しく包んでいた。


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