035.「ブルースフィア」
小谷×叡智ベストカップル説。
にわかに校内を支配しはじめた風潮だ。
当初は”みんなが狙っていた叡智さんを入学早々かっさらっていったムカツク野郎”という空気が多かったものだが、ここ最近の野球部の快進撃を見て一斉に掌返しが進んでいる。
「チッ、おーもしろくねー」
机に肘をついた伽羅君がこぼす。
「なー佐藤!? おもしろくねーべ!?」
「えっ……はは……」
俺に振るな。
まぁ……複雑な心境ではある。
あの子のために結構頑張ってきたけど……ま、それは別に俺があの子とどーなりたいからってわけじゃねーし……チラッとも思わなかったかというと嘘になるけど……
まぁ、あの子がシアワセならOKです! ってやつだろう……
あの子がいなければ、俺は今ここでこうして伽羅君と談笑していなかったかもしれないんだ。
俺を“スペルマン”と嘲り笑う者たちは、いつのまにかいなくなった。
土丘――ヤなヤツ集団のボスがいなくなったから、ってのもあるけど……
チクリと胸が痛む。
「一緒に肩組んで帰れるような関係になれっといいのにネ」
かつて彼女が発した言葉が、胸に刺さったトゲのように鈍痛を発し続けている。
そんな未来は……あったのだろうか?
もっとうまいやりようがあったのだろうか?
バカいうな……やらなきゃやられてた。それどころか俺は小谷を助けてやったんだぞ……俺がいなきゃ、今頃アイツはこんな大スターになってなかった。
俺がいなきゃ、キミは土丘のヤツに力づくでどうにかされていたかもしれない。
なのに、あんたはいつまでそんな呪いの言葉で俺を苦しめるんだ……!!
「はぁ……」
ため息をつきながら漫研の部室へと行くと、こちらも野球部の試合に劣らず緊張感が高まりつつあった。
「こんちゃー……」
「シー……」
「!!」
部長が口元に指を立てる。
部屋の奥ではまさに賀地目先輩が追い込み作業にかかっているところだった。
「おじゃましゃーしたー……」
静かに扉を閉める。
クソッ……どこにいても居心地が悪い。
校内をさまよいながらやがて図書室に行きつくと、そこには先客――神宮時さんがいた。
「やぁ、神宮時さん……隣いい?」
「あ……はい……」
荒みかけた心が、普段言わない言葉を発させた。
発した後で自分ながらこんな自然に女の子の隣の席に座るものかと驚く。
「……」
「……」
無言。パラパラと本をめくる音だけが断続的に聞こえてくる。
心地いい空間だ。
ここ最近の俺は、ガラにもなく騒がしい空間に居すぎたかもしれない。
ここが本来の俺の居場所な気がする。
「あ……そういえば……あの本、どうだった……?」
ふと、彼女が持って帰ったブラックノートの行方が気になった。
「……」
しばし黙る少女。やがて、意を決したように口を開いた。
「あなたは……なぜ、ニグレド様の半生をご存じなのでしょうか?」
「……!!」
ついに――出た! 彼女の言葉が!!
「ニグレド様の半生……? どういうこと?」
「……」
「キミ……転生者かい?」
「!!」
スラッと伸びた睫毛――その奥にある少女の目が見開かれる。
間違いない。この反応――あっちの世界の住人、だ。
しかしこの子のこの言葉少なさ……これは、生来の性格によるものか……あるいは、警戒心によるものか。だとすれば、いったい何を警戒している?
あの日見た涙――あれは、魔王を憎む者の顔ではない。間違いなく、この子は魔王側の人間だ。だったら、牛島みたいにグイグイ来てもいいはずなのに――何が戸惑わせている?
「このままだと話が進まないからさ……キミもそれじゃ困るでしょ? 率直に話すよ。アレは、俺の頭の中の物語だ。想像したの。こんな男になりたい、こんな男がいたらカッコいい、こんな世界があると面白いだろうなって」
「想像……」
魔王スペルヴィアの悲しき生い立ちのお話。
彼は、もともとはあらゆる生命を尊ぶ男だった。人間も、獣も、魔物も、すべてを平等に愛した。しかし、人間は自分にとって都合のよい一部の家畜や愛玩動物だけを優遇し、それ以外は害悪であるとして虐げた――怒りに震える魔王は、すべての魔物たちのために立ち上がった。
――読み上げるのはちょっとこっぱずかしい、そういうストーリーだ。
「でも……この話は、あまりに……」
「あまりに、何……?」
「あまりに、ニグレド様に一致しすぎています……」
「ふーむ……」
可能性を一つ、考えてみた。
もしかして……異世界なんて、本当はないのではないか?
彼らは、彼女たちは。実は――俺が描いた漫画の中から飛び出してきた人物たちなのか……!?
「一つ、聞いてもいいかな」
「はい」
「キミたちの世界の名は――」
「ブルースフィア――それが私たちの世界の名前です」
やはり――
俺が描いた漫画の世界の名前も、同名だ。
そもそも、何もかも都合がよすぎた。俺が偶然教室で叫んだ魔王の名前が、偶然牛島が仕えていた魔王の名前と一致していて、偶然そいつらが俺の身の回りにいて。
そうか……こいつら、俺の漫画の中から……
いや。
いやいやいや。
ちょっと待て。ていうか――誰? こいつら。
俺は勇者も牛島も神宮時さんも、知らない。こんなキャラはいない。
スペルヴィアにニグレドなどという別名もない。
神宮時さんに渡したのは魔王の過去編。この過去編には、特段これといったネームドキャラは登場しない。魔王と、それ以外といった感じだ。
それ以降の編――世界征服編においても、魔王にはインヴィディアという妃がいるくらいで、ネームドキャラといえばそれくらいだ。あとはただひたすら圧倒的な武力をもって世界を蹂躙するだけ。魔王を追い詰めるほどの存在感を示す勇者も、それに破られる側近も存在しない。
「うーん……」
とりあえず、率直に思ったことを伝える。
「俺が思ったのは、キミたちってもしかして、俺が描いた漫画の中から出てきたキャラクターだったりする? ってことだけど……キミはどう思った?」
少女の目線が少し泳ぐ。
「わ……わかりません。この人はニグレド様の何を知っている方なのだろうと、それしか……」
うーむ、ずるいな。こっちは包み隠さず率直な感想を伝えたというのに、まるで警戒が解けていない。
いや――俺からすれば、彼女は脅威ではない。俺が魔王だから。彼女は魔王に敵対する者ではないだろうから。
逆にいうと、彼女からすれば俺がニグレドという者に敵対する者かどうか判断がつかない、ということだろう。
それはなぜ……? 俺がその人物の敵かもしれないという材料はどこにある?
例えば――彼女あるいは、ニグレドは、何者かに殺された。そして現世においても、依然その何者かに狙われ続け危機に瀕している。
俺がもしその”何者か”に与する者であれば、自らやニグレドの身に危険を及ぼす――ってコト……?
それにしちゃニグレドニグレドとやすやすとその名を口にしすぎではないか。
つまり、この子は単身であり、周囲にニグレドはいない。
だから、その名を口にしてもその男に危険はない――むしろ、探している。その手掛かりを知りたい――ということか。
「もうちょっと聞きたいんだけど、魔王スペルヴィア――この名前に心当たりはある? キミはいったいどこの誰――」
「ご、ごめんなさい!」
ガタッと椅子を立ちあがり、少女はパタパタと走って逃げてしまった。
うーん……これはなかなか……こじあけがいのある貝というかなんというか……