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無名墓標に捧ぐ  作者: ななしのきゅうべえ
2/3

渡廊下

 その女の自殺を知ったのは、警察の電話からだった。

「〇〇県警の山下と申します。河辺真一さんですね?」

 女性の声だ。何故、俺の携帯番号を知っているんだ?何の心当たりもないぞ・・・

 もしかして、妻や子供に何かあったのか?

「吉岡美沙恵さんをご存じですか?」

「はい、同じ会社に勤めていた方ですが」

 答えながら、河辺はドキッとしていた。彼女とは、三年前まで不倫関係にあった。

「一週間前に亡くなりました。少しお尋ねしたいのですが・・・」

 きっとLINEのやり取りで、俺の名前が浮かび上がったんだ。警察の山下という女は、俺が彼女と深い関係にあったことを知っている・・・

 彼女には夫がいた。俺と別れたのは、不倫がばれたからじゃない。誰だか知らないが、他に男ができたからだ。

 いずれにせよ、それ以来、彼女とは何のやり取りもない・・・


 通報があったのは一週間前の深夜、吉岡美沙恵の夫からだった。広い敷地にある、一軒家の離れの部屋で、彼女は首を吊っていた。

「中から鍵がかかっていたわけですね?」

 駆け付けた田島義男刑事は、夫の吉岡利男に尋ねた。

「はい、ずっと閉じこもったままで、様子が変でしたので、合鍵で開けたんです」

 その離れ部屋は、彼女が趣味の手芸に没頭するための空間だった。工具やミシンがきれいに配置され、自作のポーチ等が壁に掛かっている。仮眠用のベッドまであった。

 遺体は既に運び出されていた。検死の結果を待たねばならないが、死後硬直の状況からみて、発見時に死後10~15時間は経過していると思われた。

「奥さんはここで寝泊まりすることもあったんですか?」

「はい、私が出張で不在が多かったものですから・・・ここで寝る癖がついていたようです」

「奥さんを最後に見たのは?」

「三日前の朝だったと思います。その後、私は出張に出かけていまして・・・」

「帰宅されたのが22時頃、通報されたのが午前0時ですね?様子が変と感じたのは何故ですか?」

「LINEで帰ったことを告げました。返事もなく、電気が点いたままでしたので・・・」

「LINEですか・・・その前にやり取りされた事は?」

「本日帰る、と送りました。分かった、と返信がありました」

「本日、ですか?何時頃?」

「18時頃です」

「ちょっと待ってください、その画面を見せていただけますか?」

 吉岡利男はスマートフォンを操作して、田島刑事に示した。


 18:05 本日帰る

 18:10 分かった


「確かに・・・」

 計算が合わない。少なくとも、死体が発見される、六時間前には生きていたことになる。死亡推定時刻は、それよりも四時間以上も前だ。

 誤差の範囲内ともいえるが・・・検死結果を待つしかない・・・

 

 翌日、警察署で検死結果が報告された。

死亡時刻は発見時刻から8~12時間前、つまり前日の12時~16時のあいだ、頸部圧迫による窒息死・・・

「まだ2~6時間の差がありますね」

 後輩の山下美貴は言った。田島刑事は彼女に指示していた事を尋ねた。

「吉岡美沙恵のスマートフォンは調べた?」

「解析できました。夫の通信記録と一致しています。それに、彼女の指紋以外の付着はみられません」

「その時間差は、あまり重視されないだろうな」

死亡推定時刻は様々な要素で変化するものだ。

 スマートフォンは、首を吊った遺体のそばの、ミシン台の上に置かれていた。LINEの記録がある以上、彼女は夫へ返信し、その直後に首を吊ったことになる。

「但し、吉岡利男の証言を信じれば、の話だ。彼は第一発見者であり、合鍵も持っていた。細工をしようと思えばできる立場だ」

田島刑事は、幾通りかの可能性を考えた。

「まず、事件性のない自殺の場合、死亡推定時刻とLINEの記録のズレが問題になるが、何らかの原因による、誤差の範囲内として、片づけられる」

 その場合、LINEの記録が証拠として検死より優位に立つことになるが、検死はあくまで推定値で、絶対的なものではない。

「第二の可能性として、夫が妻のスマートフォンを持ち、自ら返信したと考えられる。何故か?LINEの記録で死亡推定時刻をずらし、アリバイ作りをするためだ」

「自殺に見せかけて、夫が妻を殺したという意味ですか?」

「例えば、出張帰りの吉岡利男が、会社に戻る前に自宅に立ち寄ったとする。時刻にして12~16時の間に犯行が行われる。彼は会社に戻り、18時過ぎに自分と妻のスマートフォンでLINEでのやり取りを偽造する。会社にいることで、同僚たちによりアリバイが証言されるだろう。22時に帰宅し、0時に通報したのは証言通りだが、同時に彼女のスマートフォンを元に戻した、ということだ」

 無論、裏をとらなくてはならない。推理の上では成り立つが、立証するとなると別だ。動機もつかめていない。

「第三の可能性は、犯行が全く別の、第三者によって殺害された可能性だ。その場合、合鍵を持っている、親密な関係だったかもしれない。その犯人が彼女のスマートフォンでLINEの返信をしたと考えられる。理由は恐らく、単に発見を遅らせるだけだろう」

「その場合、吉岡美沙恵の交友関係を洗い出す必要がありますね?スマートフォンの解析が役立ちそうです」

「頼む、だがその前に、もう一度現場を見ておきたい」


 吉岡利男は不在だった。田島刑事は離れ部屋の鍵を預かっていた為、現場に出入りできた。

「広い敷地ですね・・・自分の土地でしょうか?」

 山下の質問に、田島は吉岡利男の聴取で聞いたことを答えた。

「兄の所有らしい。建設会社を経営していると聞いた。土地も建物も、その兄から借りているそうだ」

「あれが離れ部屋ですか?変わった造りですね」

 田島もあらためてまじまじと眺めた。事件に駆け付けたのが夜中だった為、当時気付かなかったことも多くあった

まず、離れ部屋は、母屋と渡り廊下で繋がっていた。五十センチ位の高さの廊下は距離にして5~6メートルあり、屋根までついている。

 渡り廊下は離れ部屋の入口に通じているが、外部から訪れる場合は廊下を渡る必要はない。横の階段から入ることができ、昨夜、田島刑事が現場に入った時はここを通った。

 周囲の草はきれいに刈り取られているが、渡り廊下の床下は雑草が生い茂っているのが隙間から見える。

 山下刑事は田島から鍵を受け取り、離れ部屋の入口へ通じる階段を上がった。田島は渡り廊下の床下を覗き込んだ。草の間から、お札のような板の一部が顔をのぞかせている。

「田島刑事!」

 ドアを開けた山下が大声を上げた。

「大変です!来てください!」

 田島は呆然とする山下を尻目に、離れ部屋へ入った。

 男が首を吊って、息絶えている。正に昨夜みた吉岡美沙恵の姿と同じだ。

 田島はその男の顔を知っていた。

夫の吉岡利男だ。


 現場検証が終わり、田島と山下は警察署へ戻っていた。

「死亡推定時刻は本日の正午です。私たちが現場に入った二時間前です」

「まるで妻の後を追ったような死に方だな・・・鑑識の見解は?」

「自殺という線で特に不自然な点はないみたいですが・・・」

 山下美貴は納得いかない顔だ。

「自殺する理由がない・・・君はそう思っている」

「ええ、吉岡夫妻の夫婦関係がよかったとは思えません。吉岡利男は妻に帰宅するメッセージを送っていましたが、そのようなやり取りは、それまで何年もやっていないんです。私はあのやり取りは夫の自作自演だと疑っています。田島刑事の言われた、第二の可能性です。それに・・・」

 山下は吉岡美沙恵のスマートフォンの解析で、確信していることがあった。

「吉岡美沙恵には、複数の不倫相手がいました」

「確かなのか?」

「はい」

「複数?」

「そうです。彼女は三十六の年で子供もなく、疎遠の夫婦関係、そして不倫です」

「それと保険金が掛けられていた・・・」

 田島が付け加えた。

「僕も初めはそう思った。吉岡美沙恵に自殺する理由が見当たらなかったからね。しかし、夫の方は妻を不自由なく、自由奔放に生活させていた。むしろ妻に無関心で、殺意を抱いていたとは思えない・・・」

「じゃあ田島さんは他に犯人がいると思ってるんですか?」

「そうだな、厄介なことになったけど・・・」

 田島は山下が作成したスマートフォン解析資料を眺めていた。

「第三の可能性か・・・先ずはこの不倫相手とやらを当たってみようじゃないか」


河辺真一は、警察署に訪れるのは初めてのことだった。田島刑事は彼を応接室へ丁寧に迎え入れた。

「お呼びだてして申し訳ありません。自宅を訪ねるより、こちらの方が話しやすいと思ったものですから」

 何だ、脅しのつもりか・・・いや、落ち着け、彼女とは何年も会っていない・・・自殺と俺は全く無関係だ・・・

男性の刑事はテーブルの上の書類と俺の顔を交互に眺めている。年は三十位か・・・女の方も同じくらい・・・いや、少し若いか。女刑事というと、ガタイのいい女レスラーみたいと思っていたが、細身の結構奇麗な子じゃないか・・・いや、そんなことを考えている場合じゃない、うかつなことは喋れないぞ・・・

 まず山下の方が質問した。

「あなたと吉岡美沙恵のLINEのやり取りを確認させて頂きました。かなり親密なご関係のようですね?」

 ぶしつけに何だ、この女は・・・

「何か誤解されているようです。職場で良き友人として接したことは事実ですが・・・」

「明らかに、あなたと吉岡美沙恵の、性行為を描写した文言のやり取りがあります」

 山下は、プリントアウトしたその記録を河辺に示した。問題の個所にアンダーラインが引かれている。それも一か所や二か所ではない・・・

 ・・・そんな真顔で、下ネタ会話を指摘されても・・・どう反応すりゃいいんだ?

「よく覚えていませんが・・・面白いやり取りですね・・・」

 苦笑いする河辺を、山下は睨みつけた。

「笑い事じゃありません。あなたは奥さんと子供がいますよね?これは許されない行為です」

 河辺は唖然とした。

 何だ?俺は何の容疑だ・・・

 田島刑事が話に割り込んだ。

「別にそこは犯罪でもありませんし、ご家族に話すつもりはありません」

 河辺はほっとした。まだこいつの方が、話が分かりそうだ…

「ご協力頂けたら、それは保証します」

 何だ・・・やっぱり脅しか・・・

「三年前から記録が途切れていますが、別れたということですか?」

「はい、そういうことです」

「その理由は?」

「他に相手ができたと聞いています」

「その相手の事はご存じですか?」

「分かりませんが、以前からの知り合いだったようです」

「その後、吉岡美沙恵と連絡を取ったり、会ったりしたことは?」

「一切ありません。正直なところ、ずっと続く関係と思っていませんでしたし・・・頃合いだと思っていましたから」

 話はそれで終わりだったが、その後現場の立ち合いに付き合わされることになった。


 無人となった吉岡家は、夕暮れ時にもの悲しさを漂わせていた。車から降りた三人は離れ部屋の前に立った。

 田島刑事は河辺に尋ねた。

「ここを訪ねたことは?」

「二~三度訪ねたと思います」

「あの離れ部屋ですね?」

「はい、手芸作品を見せてもらいました」

「夫の吉岡利男は不在でしたか?」

「はい、出張中と聞いていました」

「母屋に入ったとか、あの渡り廊下を通ったことは?」

「それはなかったと思います。直接あの階段から入りました」

「離れ部屋の合鍵を持っていましたか?」

「いえ、鍵など受け取っていませんよ」

 山下が鍵を開け、三人は離れ部屋に入った。

「吉岡美沙恵はあなたと別れ、別の男性と関係を持ったと言われましたが、その男性もここを訪れたのでしょうか?」

「それは僕にはわかりませんよ。その方に直接尋ねたらいいんじゃないですか?」

「それが、相手がまだ分からないのですよ」

「通話記録とかあるでしょう?僕みたいに・・・」

「SNSを使わなかったようです。無論、多くの着信はありましたが、あなたのように明確な証拠がないのです。そういえば・・・」

 田島はふと思い出したように山下に尋ねた。

「君は初めから、吉岡美沙恵が複数の男性と関係があったと言ったね?河辺さん以外に記録があったんじゃないか?」

「はい、河辺さんの前のお方です?」

「え?」

 河辺と田島が同時に声をあげた。

「ですがその方は五年前に亡くなっていました」

 河辺は少々驚いた。

「知らなかった・・・」

 何とまあ・・・でも俺と二股かけてた訳じゃないんだ・・・

 考えているうちに、河辺はふと思い出した。

「そういえば、僕の後の男ですが・・・ここの鍵を持っていたかもしれません」

「何故分かるんです?」

「この部屋を建ててくれた人、と聞いたことがあります」

 田島は納得したようにうなずいた。

「なるほど。それならば持っていた可能性があります。これは重要な手がかりです。


 三日後、田島刑事の申し出に基づき、離れ部屋に通じる渡り廊下が解体され、撤去された。その下を掘り起こすと、白骨化した三体の遺体が現れた。

 十~十五年近く経過しているものと思われ、年齢はいずれも二十~三十才と推定された。


 死体遺棄容疑で、吉岡利男の兄が逮捕された。彼の自供により、事件の全貌が明らかになりつつあった。

 発見された白骨遺体は、彼の猟奇殺人の被害者たちだった。身元の確認には時間がかかりそうだ・・・彼は殺害した女性の名前も知らなかった。

 彼は自分の土地を重機で掘り起こし、知り合った若い女性を次々とその場で絞殺しては埋めていた。何も知らない弟にその土地を譲り、夫婦のための家を建ててやった。

 そして弟の妻の要望で、離れ部屋を建てた。渡り廊下はずっと後になって、兄の提案で設置された。地表の変色に気付いた彼が、その隠滅を図ったものだった。


 田島と山下は、掘り起こされたままになっている大きな穴を見つめていた。住んでいた夫婦を含め、少なくとも五人の命が、この土地で失われたことになる。

「もう一人いました。河辺真一の前に、吉岡美沙恵が付き合っていた男性です。この男性も首吊り自殺でした」

「何だって?まさかこの場所じゃあ・・・」

「そのまさかです。私もびっくりしましたが・・・彼女が母屋に行っている間に、発作的に首を吊ったとあります。あの離れ部屋で・・・」

「そりゃあ・・・騒ぎになったろう。当然、夫にも知られたわけだ」

「自殺という点では事件性なしで収まったようです。吉岡利男がどう思ったかは、今となってはわかりませんが・・・」

 まさに呪われた土地だ・・・田島は本気でそう思った。

「田島刑事、渡り廊下の床下で、お札を見つけて不審に思ったそうですね?」

「確かにそう見えたんだが・・・結局見つからなかった」

「吉岡利男の兄ですが・・・吉岡夫妻の自殺との関連はどうなのでしょう?」

「自殺とは何の関係もないと言っている・・・ただ、吉岡美沙恵とは親密な関係だったようだ」

「じゃあ、本当に自殺だったということですか?」

 

 川辺真一は車を飛ばしていた。大急ぎで向かうべきところがあった。

 俺は何を急いでるんだ・・・ああそうだ、あのお札に彼女たちの名前を書いてやらなくては・・・・無名の位牌ではかわいそうじゃないか。

「念のためお聞きしますが、あの渡り廊下を歩いたことはないのですね?」

「何故そんなことを聞くんですか?」

「いえ・・・偶然かもしれませんが、あの廊下を歩いた方は皆、自ら命を絶っているようです・・・変なことを言いますが」

 本当に変なことだ、どうでもいい・・・うっとおしい刑事からの電話を切った時、彼は目的地に着いていた。

 渡り廊下・・・俺は思い違いをしていた・・・あそこは何度も歩いたじゃないか・・・・

 そんなことはどうでもいい、あの中に女たちが待っているんだ・・・


 離れ部屋のドアは開いていた・・・


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