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物語tips:強化兵
詳細な製造過程は一般に伏せられているが知識層は都合のいいクローン兵と思っている。
培養液内で15歳程度まで成長させながら電子的な圧縮知育を行い、2年ほど訓練を施した後、戦地に送り出す。現在の戦線の大半は使い捨ての強化兵によって担われており一般兵はその小隊長など指揮官に就く。強化兵の普及で民衆の兵役負担がなくなった一方で戦争への関心を失わせる原因にもなった。
自我が乏しくや自己保存の意識が低い(命を投げ捨てやすい)割に精神力が強く筋力や骨格はヒト以上に強化されている。現在ロールアウトされているのは第3世代型。右耳の黄色い識別タグと、色素が薄い髪や瞳が特徴。
基地の日常は訓練に次ぐ訓練だったし、戦場ではじっと地平線を見るか戦うか。1か零みたいな毎日だった。
3つ目の新しい毎日──事務仕事。
軍務省のオフィスビルの群れの中の、とあるオフィスのさらに一角、というより隅っこ。パーテーションで区切られた一室が野生司マサシ大尉の城だった。次々に届く書類を片付けて、電話に応対し、サインを記入して書類を積み上げる。
それを眺めているのがリンだった。まっ平らなデスクと古びた椅子に着いて特にやることもないまま今日も昼を迎えようとしていた。
銃は撃てる。大得意だ。目隠しをしてライフルの分解組み立てもできる。誰にも負けないくらい速く走れるし、狙撃に使う三角関数だってわかる。
でも、稟議書とか決算書とか装備目録とか。紙とペンと文字ばっかり。
昨日覚えたのは、お茶とコーヒーの淹れ方。隣の給湯室で作る。でも野生司大尉はさっきお茶を飲んだばかりだ。まだ淹れなくてもいい。
野生司大尉は、ときどき目を見てニコリとしてくれるけど、ずっと電話の受話器を離さない。どこかの軍人や学者に電話しているのは、聞こえてくる言葉から分かるが話の全体は理解できない。
そうなってくるとあとはぐるりと周囲を見渡して働く役人を観察することくらい。
肩をもみながらタイプライターを打ち続ける女性。
電卓と書類を交互に見比べている男性。
エアシューターから届いた文書をそれぞれの宛先のデスクへ届ける新人君。
あたしたち軍人が前線にいる裏で、こんなにたくさんの人達が動いているなんて知らなかった。
みんなそれぞれ、役割を果たそうとしている。たとえ銃を持たなくても。
ライフルしか取り柄のないあたしに、ここで働く資格なんてあるのかな。
「リン君」
「はいっ!」
ひさしぶりに野生司大尉が電話の受話器を置いた。リンの左右非対称の赤い髪がパタパタと揺れた。
「そろそろお昼だが、ワシは午後からの会議の資料を用意せねばならない。昼食を買ってきてくれないかね」
「はい、了解しました」
「はは、ただのお願いさ。敬礼なんてしなくていい。これがお金だ。余った分で君の昼食を買うといい。そうだな、豚のベーコンサンドを頼むよ」
「しかし、大尉。奥様から油ものは控えるようにと言われていますので、ツナサンドはいかがでしょう」
「はは、厳しいね。それじゃあツナでいいよ。購買の場所はわかるね? となりのビルの1階だ」
リンは野生司大尉から紙幣を1枚受け取ると「先進技術認証委員会」の札が掲げられた事務室を後にした。
廊下は同じく昼食に向かおうという役人たちが連れ立って歩いていた。その流れはエレベーターホールでとどまり、各々が談笑をしている。
野生司大尉は制服を着こなしいかにも中央の軍人、という風だった。おなじフロアの役人たちも制服姿は見られるがほとんどはネクタイを締めたスーツや小綺麗なワンピースだった。
そんな服装の一団の後ろで、リンはカーキ色の戦闘服を着ていた。ちゃんと帽子だって被っている。以前持っていたものは擦り切れたり色落ちしたりしていたので野生司大尉がサインをした書類と交換で持ってきてくれた服だった。階級に見合った服装なのだがどうも目立つらしい。時折視線を感じる。
まただ。
ちらりと横目で見られる。こちらが気づくと「何も見ませんでした」というふうにそっぽを向かれる。もしかして──左耳にぶら下がるタグを指でなぞってみた。
名もなき強化兵に与えられた唯一の個性の4桁の番号。黄色い札に黒いインクで数字が書かれ、詳細な個人番号はバーコードで読み取るようになっていた。
耳のタグなんて気にしたことがない。生産されたときからそこにあるものだ。射撃の時少しジャマ、というだけのもの。
そんなにジロジロみなくたっていいのに。確かにオーランドの軍務省にいる強化兵はどれも警備に当っている兵士ばかりだけれど、どこで働いたっていいじゃない。あたしは優秀な狙撃兵なんだしあのラーヤタイの戦いを生き抜いたんだ。
エレベーターを待っていても埒が明かないので、リンはその隣の階段を軽快に駆け下りた。テンポよく足を動かして、階段の踊り場でほかの役人を追い抜く。キュキュっと床のタイルとブーツのゴム底が擦れて音が鳴る。
外は冷たい風が吹いていた。室内は温かいけれど乾燥しているから外のほうが空気はおいしい。
リンは兵士らしい早歩きで隣のビルの1階へ向かった。食堂はあるけれど忙しい役人たちは昼食のサンドイッチをここで買うために並んでいた。リンもその1列に加わった。
さて何を食べようか。ここからでも今日のラインナップが見える。
オーランドに来て、大尉の家でたくさんの食べ物を知った。以前はニケがヒトの食べ物を教えてくれていたけど基地や駐屯地では基本的に栄養価重視のスープやレーションばかりだった。
美味しい食べ物、なんて強化兵には不要だと思っていた。エネルギーを素早く摂り入れることが重要だと思っていた。しかし本当はこの世界はどれもこれも美味しいものばかりだった。基地で食べていた燕麦粥は簡易的な粗食であり本当の食事とは柔らかいパンに、豚や牛の脂身肉と豆のスープだと知った。ニケは味が薄い上に脂っこいなんて言ってたけどあたしは好き。たぶんヒトとブレーメンで味覚が違うんだと思う。
価格を計算してみたら大尉のサンドイッチを買ってもずいぶん余ってしまう。それならスープと雑穀パンと柑橘もひとつ付けられる。大尉にも果物を買っていこう。そうすれば奥さんにも褒めてもらえる。
リンは買い物の列の中ほどまで来た。購買の小さなカウンターの向こう側では初老の女性が手際よく客をさばいている。それぞれの商品の位置は確認することなく的確に手を伸ばして、反対側の手で紙袋を広げている。商品を渡しながら、お釣りの小銭が入ったザルに指をくぐらせて瞬時に正しい金額を集めていた。
リンが一歩前へ進もうとした時、ドンッと大きな背中にぶつかった。前に立っていたヒトじゃない。横から割り込んできた若い尉官の3人だった。どれもリンより頭1つ背が高かった。
「あの! あたしが並んでいたんですけど」
抗議してみたが3人は聞く耳を持たなかった。
これはルール違反だ。ニケが言っていた。ヒトはルールに則って動いている。それは暗黙の了解で全員が守らなくてはならない。
「ルール違反なんだけど!」
リンはひときわ大きい声を張り上げてみた。すると今度は3人のうちの1人がくるりと振り返った。かなり人相が悪い。ニケもたいがい目付きが悪いのだけれど、ニケ以上に威圧を振りまく目付きだった。
「上等兵がなんだってこんなところにいるんだ、あっ? こまけーことガタガタぬかしてっとぶっ飛ばすぞコラ」
「おい、こいつ、一般兵じゃない。強化兵だぞ」
「なんだって強化兵が軍務省に?」
「さてな。どこかのオッサンのペットなんじゃねーの? そういう趣味で強化兵を召し抱える佐官もいるって噂だし」
「かぁー俺もさっさと出世してバインバインの美女に囲まれてぇ」
「おいおい強化兵にバインバインはいねぇーだろ。戦いにジャマなものは付いてねぇからよ」
ゲスな三人衆はリンをそっちのけでお下劣な話に夢中だった。リンはぐっと力を込めたが男たちの脛を蹴飛ばさず殴りもしなかった。一般兵なんて体格がどんだけ大きくても体力は強化兵にはかなわない。しかしここで暴力沙汰を起こしたら野生司大尉に迷惑がかかってしまう。
「ほほん、いいねぇ。その目。ま、せいぜい我慢しなよ。どのみち圧縮知育で上官には手が出せんよーに刷り込まれているだろーし。俺たちゃ強化兵の生産部門担当だからおめーたちの習性は全部わかってんだよ。たかだか培養液から出て4,5年のガキが一端な自我を持つんじゃねーっての」
悔しい。こいつらは本物のテウヘルさえ見たことがない兵士なのに肩書だけで威張り散らしている。赤い血と緑の血の臭いや飛び散った臓物の形さえ知らないだろうに。
リンは目を伏せ拳を固めうつむいたままだった。そのうち3人衆はリンに興味を失い、買うものだけを買うとさっさと歩き去ってしまった。
やっとリンに順番が回ってきた。カウンターのトレイに紙幣を置いた。
「ツナサンドと、パンと、豆スープと、柑橘を2つ、ください」
購買の店員は手際よく紙袋に商品を詰めた。そしてお釣りを渡しながら、
「よくがんばったねぇ。“おのぼりさん”なんて気にしちゃダメよ」
「えっ?」
リンが顔を上げると店員は皺の深い笑顔を浮かべた。
「おのぼりさん。ただの田舎者よ。話し方とか訛りですぐ分かるから。オーランドはいろいろな人がいるの。いい人も悪い人も。イラッとして手を出したら、ああいう人達と同じ水準に堕ちてしまうの。あなたは立派な兵隊さん。私はずっとここにいるから分かるけど、連邦のために働く人とそうでない人はぜんぜん違うわ」
そしてシッーと指を唇に当てて、紙袋にトウィンキーを入れた。
列の後ろがつかえていたのでリンはさっと後ろに下がった。ちょっとだけ店員のおばさんと目が合ったが、すぐに彼女のいつもの仕事に戻っていた。
「立派な兵隊さん、か。えへへへへ。またニケに話したいことが増えちゃった」
リンは紙袋を両手で抱えると、駆け足で野生司大尉の事務所へ戻った。