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物語tips:半年前の襲撃事件
分離主義集団がオーゼンゼの工廠へ襲撃をした事件。襲撃は事前に察知され軍警察の都市防衛隊が武器庫周辺に配置された。しかし意表を突いて強化兵の培養プラントが襲撃された。もともと民間の警備会社しかなかったが、民間軍人数名の殉職者を出したものの100人近い襲撃者が撃退された。事件の詳細は明かされていないが、同じ第2師団で情報通の野生司マサシの耳によればオーランド3桁区を根城にするギャングの精鋭部隊が工場を襲ったものの124名ほぼ全員が現地で死亡を確認された。武器庫を守るのは順当な戦術ではあったものの都市防衛隊を指揮していた少佐は更迭された。
青い空に向かって荒野の赤茶けた大地が真っすぐ伸びて真っ直ぐな地平線で分けられている。青い空も地表に近づくに連れて薄く白い雲がかかり、地と空の境を曖昧にしていた。
地平線。子供の時学校で習った。ブレーメンの里は山がちなので地平線を見るにはヒトの住む街まで出なくてはいけない。そういう珍しい光景のはずだったのに。
文明から遠く離れた寂れた地の変わり映えのない日常。強い日差しがジリジリと照りつけるがまだ早い朝方のせいか風は冷たい。乾いた風が眼球から鼻腔へ容赦なく乾燥させる。今日も暑くなりそうだった。
ニケは砂埃の舞う塹壕の中を規定通り目を配りながら歩いた。電線、照明、鉄条網───こんなもので獣人の突撃を防げるとも思えないが、2重3重と敷かれた有刺鉄線にサビや断裂がないか見て回る。あったとしても地雷原の真ん中で修理できるはずもなく、報告書を書いて工兵の強化兵に任せるだけであるが。
一般兵の新兵たちはこの面倒な歩哨の当番が回ってくるとこっそりラジオを懐に忍ばせてだらだらと小隊長たちの目の届かぬところで散歩をしていた。辺境の地だけあって個別無線電波受信機の電波は入らない───ノイズだらけのラジオ放送だけが気の紛らわしになった。
「───それでね、あたし言ってやったのよ、曹長に。『そのカードでいいんですか』って」
ニケは天性の真面目さゆえにラジオなんて持ち歩かない。だが歩哨班の相方がラジオよりクリアなよく通る声で喋り続けていた。正確には、取ってつけたような敬語なんて必要ないとニケが彼女に言ってから彼女はずっと喋っていた。
ニケは後ろを歩く歩哨の相方に適当な相槌を入れながら砂埃にまみれた電線を指でなぞって被膜の劣化が無いか確かめながら歩いた。分隊長として日々の業務をこなす。
もっとも、そんな真面目に歩哨をする兵士なんてニケを除けば強化兵たちだけだった。一般兵はみな連邦の東の端の端の辺境に飽き飽きしていた。若い一般兵たち──といってもニケよりはだいぶ年上だが──ヒトにとって娯楽は必須らしい。駐屯地の後方、岩山の裾野に寂れたラーヤタイという小さな町があるがそれでは不満らしい。
ここ一五八〇高地は荒野と砂漠が続く唯一大陸の中央部において獣人の侵略経路でなるであろう大陸の北部回廊を睨む要衝だった。万が一に侵略でも起きようものなら砲撃地図をもとに長射程の滑空砲弾が一斉に飛び立つ算段になっていた。
正義感があふれる一般兵はこういう前線に憧れ志願するが大抵は1ヶ月後には退屈な日常に嫌気が差して精気を失う。一五八〇高地は獣人領域に隣接していて時折散発的な戦闘はあるが、大抵は強化兵たちがさっさと片付けてしまう。
「───それでね、あたしの決め台詞『狙撃手の目はごまかされないよ』って言ってからの五役1000点であがり」
本来なら軍曹のニケがわざわざ歩哨なんてしなくていいのだけれど、指揮下の強化兵の中で1人浮いていた彼女を不憫に思って一緒の班になったわけだが、その理由は大体わかった。
彼女───右耳のタグに“一二一三”と刻印のある彼女は、並の強化兵と違ってよく喋ったし表情も豊かだった。階級章は襟元に小さく刺繍されていた。小さな丸が2つの上等兵。そして武器はニケの持つ三三式自動ライフルではなく狙撃用の照準器のついた旧式の八二式ライフルだった。
「───“まった”は無し。うん、無しだった。だって曹長がいい出したルールだもの」
ニケの指揮する分隊の10人の強化兵については本部から回された資料を読む限りは、“一二一三”の識別番号の横の備考欄には優秀な抜擢射手とあった。強化兵の特徴でもある色素が薄い髪に左右非対称の赤い髪が束になってパタパタ揺れている。
「───軍曹殿もいかがですか」
久しぶりの丁寧な言い回し。
「いや、やめとく。そういう賭け事はヒト同士でやればいい」つい癖が出て咳払いでごまかした。「賭けカードは軍規違反だから止めておけ。少なくとも今は首都から武官が査察に来ている最中だ。バレたら色々と面倒だ」
曹長───どの小隊長かわからないが、彼女が賭け事をしていたらもちろん分隊長たるニケにもペナルティがある。連帯責任というやつ。
「というか、どうしてお前が金を持ってるんだ? 賭けられる給金はもらっていないだろ」
「あれ、最初に言いませんでしたっけ。賭けたのはトゥインキーですよ」
ニケは思わず眉をひそめた。
「あのただただ甘ったるいケーキだろ」
常温でも保存できるケーキ、とあって荒野の前線基地によく配給で回ってくる。歯が溶けるくらい甘い。味覚はブレーメンもヒトも、ヒトを複製した強化兵であっても同じはずだがなぜか皆好き好んで食べている。
「へへへっ、トゥインキーを40本も勝ち取ったの! すごいでしょ、へへへへ。次の配給はいつかな。ね?」
「補給の巡空艦は先週来たばかりだ。来るなら2週間は先だろうな」
顔を見なくても分かる───背後を歩く彼女はどうせしょぼくれたふうにしている。
「記録、電話線の皮膜が劣化して剥がれてる。ここも補修申請に書いておいてくれ。というか先月も同じだったぞ。ずさんすぎる」
“一二一三”の彼女はバインダーに目を落とすと鉛筆でかりかりと記入していく。銃のメンテナンスオイルの染み込んだ細い指先がトナーの薄いコピーした報告書の上を泳ぐ。
「できました! へへへ。軍曹殿といっしょだとなんだか楽しいな」
「お前、変わってるな」
記憶=“変なやつ”と笑いながら肩を組んでくれた先輩。ニケがヒトの社会に馴染めない中で、彼だけが根気強く生き方を教えてくれた。
「よく言われるんです。あたし。変だお前、うるさい黙れ、あと何があったかな。声が獣人に聞こえて真っ先に撃たれるぞ、とか」
ニケは足を止めて台座──塹壕から頭一つだけ出して突撃してくる獣人を狙撃するための踏み台に腰掛けた。
まずい。同じ強化兵の輪から外れているのを見てフォローするつもりで歩哨に連れ出したのに。“一二一三”の彼女は明らかに肩を落として、ライフルの負革をギュッと握っている。
「俺が悪かった。すまなかった、言い過ぎたよ。変わってるだの変人だのと言われてのけものにされる気持ちは俺もよく分かる。そうだ。似た者同士これもなにかの縁だ。名前をつけよう」
「えっ、名前? あたしのですか」
「いつまでもその認識番号じゃ呼びにくいだろう。となりの分隊長も部下の強化兵にそれぞれ名前をつけている。彼女の場合、ぬいぐるみみたいに名前をつけてはいるが……そうだな、じゃあ赤2、はどうだ? 赤毛の強化兵が1人いて、お前は染めた赤髪だから赤2」
「もっと名前っぽいのがいい」
「じゃあ何か好きなものは? 名前っていうのはそういうのに由来することが多い」
「んーと、トゥインキー、2号糧食、カード、小枝ちゃん」
「“小枝ちゃん”?」
「あたしが持ってるこの八二式ライフル、強化兵の仲間内の呼び名なんだ。旧式でボルトアクションで心もとないって言う意味で。でもでもあたし、このまえの獣人との遭遇戦でクリップ3つ分、18発全部を命中させたんだ! へへん」
このまえ──2週間ほど前の遭遇戦だったか。回収された獣人の死体の中には狙撃の銃創のある死骸がいくつもあったらしいが、あくまで食堂で聞こえた噂話程度だった。
さらに続いて彼女の成果披露は続いた。訓練所での射撃訓練、アイアンサイトでの狙撃、2町もの距離で狙撃を成功させた話、抜擢射手として表彰されてたこと。どこまで本当かわからないが、逸話を披露する彼女はどこか誇らしげだった。
「名前は、リンだ」
「リン? それがあたしの名前」
「ああ。その赤く染めた髪とあと……朗らかなところが──ところに名前がぴったりだと思って。気に入った?」
「うんうん、気に入った。リン。はじめまして!」
小躍りするように踊っている。リン──南部の山岳地帯に住んでいる小鳥の名前だった。ブレーメンの里の外に住んでいて、赤い尾羽根と甲高い声で鳴く鳥だった。目立つ色と声で新人狩人の練習の的だが、彼女を見た第一印象とうり二つだった。
「あはっ、リン。あたしはリンです!」
リンはクルクルと両手を広げながら回った。左右非対称の赤い髪がパタパタと揺れた。
「ま、喜んでくれたならよかったよ」
「これからもずっとついてくね、軍曹殿」
「“ニケ”だけでいい。俺はヒトと違って肩書はあまりこだわらない」
あらためまして、とリンの細い指を握って握手した。
肩書にこだわらない──自分自身の生き方じゃない。捨てたはずのブレーメンとしての生き方だった。里に上下関係は無い。たしかに剣技を学ぶ上での師匠と弟子、上級者と未熟者という区分はあるがあくまでそれは剣技の技量の差にすぎない。皆平等に助け合っている。だからこそヒトの社会に出てきて、階級や富者と貧者、常識者と傾奇者、そういう区分にはずいぶんと苦労させられた。
歩哨再開。担当地区を1里ほど歩いて帰らなければならない。だらだら歩いていたら夕暮れまでに帰れない。ニケはコンクリート製の重厚な掩体壕に入ると低い天井を指でなぞった。
「破損報告だ。ここも電線が劣化している。掩体壕も鉄骨が錆びているしそこの木の板も腐って穴が空きそうだ。いっそのこと基地司令の管理能力の低さを上に直談判してやろうか。ちょうどオーランドから武官が来てる。噂じゃ軍務省勤めの大尉だとか」
リンは鉛筆を持った手を走らせながら、
「ニケもたいがい変よね。一般兵なのに仕事熱心」
「熱心に仕事をするのが、ヒトの社会のルールだからだ。ルールっていうのはバラバラなヒトがひとつの方向に一緒に歩いていくための手段だ。ルールを守ること自体が目的ではない」
自分の言葉じゃない──初配属後によくしてくれた先輩の言葉。そして思い浮かぶ記憶=自身の血に溺れるようにして息を引き取った先輩。
ふと、バインダーから顔を上げたリンと目が合った。
「変わってるといえばその目の色」リンが狙撃手らしい眼力で「2号糧食と同じ色の目」
しかしニケは眉を細めた。
「目の色が戦闘糧食と同じって……緑色の栄養ゼリーのことか?」
「そうそうそれそれ!」
リンがニケに急接近した。わずか1尺の距離でニケの瞳を覗き込んだ。鼻と鼻がぶつかりそうだ。
「もしかして、ブレーメンなの? ねぇねぇ、すごい。どうして言わなかったの?」
ニケはわざとらしく瞼を閉じて踵を返した。そして狭い塹壕を早足で歩いた。
「さ、行くぞ。次の掩体壕まで距離がある」
「ねぇねぇ、隠すことないじゃん。緑の目」
「若草色だ。そう思ってる」
「で、ブレーメンは? どうして隠してたの?」
「言う意味が無いから、だ。どうしてブレーメンのことを知ってる? 会ったことがあるのか」
「うん。訓練所でね。すっごいお年寄りなブレーメンが来て格闘術の指南をしてくれたの。で、あたしはずっと何度も何度も組手を挑んで。で『ガッツがある。お前は良い兵士になる』ってほめられちゃったんだ。えへへ。ニケはその人、知ってる?」
「知らない。何百人もヒトの軍に志願している。顔見知りばかりじゃないからな」つとニケは横目でリンを見た。「他にブレーメンについては? 外見はヒトとそう変わらないだろ」
「うん、変わらない。でもすっごく強い。そうそう、本気を出したら若草色の瞳が黄色に輝くんだよ! あとは、うーん? どうだろ。派手な入れ墨があって、それと──」
「剣を持っている」
「そう。そのおじいさん、すっごい幅広な剣を持ってたよ。振るうところは見せてもらえなかったけど。ブレーメンってみんな──」
「全員じゃない。剣技を継承していればそれに合った剣を。一般的なブレーメンならナイフを受け継ぐ。青く輝く神剣。神より与えられし聖剣。成人の儀を迎えると両親から剣が渡されて入れ墨を彫る。それがブレーメンの大人であり、軍に志願してるのはそういう剣を持ち剣技を極め、獣人相手に試し切りをしたいという血の気の濃い連中だ」
「ニケは、うーん、入れ墨がない! 軍規を守るため?」
「違う。両親が死んだからだ。両親がいなければ成人の儀を迎えられず、里では大人として認められない。だからヒトの社会に出てきたんだ」
両親の滑落死。ヒトならまだしもふつうブレーメンがそんな死に方をしない。そのせいで里ではさまざまな噂が飛び交った。悪霊のせいだの神の御意志など──ばかばかしい。運が悪かった。それだけだ。ブレーメンは強靭だが死なないわけじゃない。
「そっか。ごめんね、ニケ。辛いこと言っちゃったかな」
「ふん。もう6年も前のことだ。もう吹っ切れてる。剣がなきゃブレーメン本来の力を発揮できないが、それでも強化兵より強いし獣人とも戦える。それで十分だ。それよりもお前──リン、お前がそういう気遣いができるのは意外だ」
「この前の慰安会で見た映画がきっかけ。家庭とか親とかそういうのはわかんないけど、訓練所で育ったみんなは姉妹兄弟だと思ってるよ」
映画を見たくらいで感情を理解できるわけがないだろうに。大抵の強化兵と違ってリンは柔軟性がある。
「お互い、変わり者同士か」
ニケとリンは小石を蹴飛ばしながら乾燥した荒野を切り取るようにして掘られた塹壕を更に進んだ。途中、掩体壕で眠たそうにしている強化兵の分隊と出会った。彼らは交代が来た、と一瞬目を上げたがただの歩哨とわかると興味がなさそうに瞼を半分閉じた。
「じゃあ、ニケは獣人を倒したことがあるの?」
リンは掩体壕からしっかり離れたのを確かめてから言った。
「いや、ない。獣人は時々攻めてくるが中隊長の方針で一般兵は会敵させないんだと」
「あたしはね、へへへ。ほら。10匹」
リンは肩に掛けていた負革をぐるりと回すとライフルの銃床を掲げてみせた。ナイフで刻まれた小さな傷がトロフィーの数を示していた。
「実際に倒したかどうかなんてわからないだろ」
「あたし、見たもん! 照準器越しに緑の鮮血がプシャーって飛び散って、で動かなくなるの。バイタルポイントを狙えばそんなもんだよ。今までで10匹」
リンは誇らしげだった。多分嘘じゃない。彼女の優秀さはうすうすわかっていた。変わった強化兵なら戦闘技術も上々だった。
「俺は、そうだな。ヒトを100人は殺めた」記憶=軽口のつもりだったのに、血の暖かさとヒトの死臭が脳裏に蘇った。「冗談だ」
「もう、目付きが悪いのにその上、意地悪だなぁ」
「初めて言われたよ。そんなこと」
いや初めてじゃない。幼い頃一緒に野山を駆け回った幼なじみがいた。まったく流派の違う剣技をお互いに習いことあるごとに力比べをしていた。その彼女の言葉──いかないで。ぜったいさがすから。
腰に下げたホルスターに収まっている古びた私物の拳銃を撫でた。6年も経っているのにまだ過去に囚われている。
「ま、ブレーメンにとってみたら獣人なんてカカシ同然だよ。軍の認識タグをもらうだろ。首からかけるやつ。従軍するブレーメンはそのタグの裏に、リンと同じように数を記入していくんだ。里に帰ってきた大人に見せてもらったことがある。50か60は印が入ってた」
「うわぁ、すごい。60匹も」
「匹じゃない。壊滅させた敵の小隊の数だ。1匹ずつ数えるのが面倒だから死体の一山ごとに1と戦果を数えるんだと」
「うへ、ブレーメンが味方で良かった」
「だろうな。ま、正式なブレーメンじゃない俺はそこまでは戦えないからヒトの軍隊の戦術を学んだってわけだよ」
最後まできちんと学んでいれば、何事もなければ。荒野の前線で変わらない日々を過ごすことはなかったのに。運命という言葉は嫌いだが偶然がいつも悪い方向へ転がる。
長老たちの言う宿命、神の意思というやつか。だとしたらその神の眉間に銃弾を食らわせてやりたい。