第七話「デイドリーム作戦」
それから五日後にディーラーン攻勢が連合軍内部に発布され、作戦が実質的に開始された。「デイドリーム」作戦の発動である。アタラクシア軍の南極大陸封鎖線を突破し、南極のへそと呼ばれる到達不能極にあるディーラーンに向かって進軍する。現在南半球は真夏で南極は白夜の状態であり気候も安定しているが、それでも酷寒であることは変わらない。寒冷地仕様の装備が必須である。またアデレードから一直線のラインにはおそらく対空地雷などの自動兵器の罠が張り巡らされていると考えられるため、回り込んでの進軍となる。戦力の移動の要はグランドルークをはじめとする空挺空母部隊である。南極は地球を一つの磁石として捉えた場合、S磁極となっているため、上空では宇宙から太陽風にのって運ばれた荷電粒子が集中して流れ込んでいる。そのため衛星軌道上からの攻撃に高い精度は期待できない。ビームは曲がり、誘導兵器も正確性を失う。また両軍の軌道パトロール艦隊がおいそれとお互いの攻撃を許すはずもなかった。そのため地上での戦いが主戦となる。
一ヶ月の攻防の末、ディーラーンへの攻略ルートが確保された。グランドルークは上部甲板にもパワードスーツが整備可能な仮設の格納ユニットを多数配置して、いつもの3倍以上のスーツを運搬して出撃した。前衛の部隊が最後の封鎖線を突破し、ディーラーンへの進攻線を維持しつつの行軍であった。高度300メートルほどで、他の空挺空母と共にディーラーンの第一警戒ラインとおぼしき地点まで進み、そこで機動兵器を下ろすのである。既に前衛の部隊は戦端をきっていた。地下にある基地への攻略として、既に確認済みの侵入経路からのパワードスーツで支援した陸戦隊の突入をもくろむのであるが、もちろんその地点までに敵の反撃がある。確かにノヴィレンの時とは異なり、敵の戦力は厚く、人が操縦するPSが相手であった。戦闘機は制空権確保が任務であったが、これも相当な数の敵戦闘機が上がってきており、激しい空戦が繰り広げられたのである。オルフィスももちろん参加していた。エドガー率いるグランドルークのパワードスーツ隊は右翼に属し、基地に突入せんとする中央部隊の援護を行っていた。今回ラインバードは参戦していなかったが、それでも拠点防衛を専門とする部隊に対し、連合のPS隊はその防御陣に楔を打ち込めずにいた。
一旦PS隊が引いたタイミングを見計らって、PS と同じように空挺空母で搬送されてきた地上戦艦からの主砲ビーム攻撃とミサイル攻撃で、敵の陣形にほころびができたことを確認した上で、再度中央部隊による攻勢が開始された。ヒュウたち右翼は敵の左翼が中央を支えるべく移動するのを防ぎ、集団戦で成果を上げていったのである。結局初日の攻防では決着がつかなかった。この時期南極には夜がなく、戦闘は切れ目なく継続されていった。誰もがこのような厳しい環境での戦闘は始めてであった。マイナス数十度の環境下では寒冷地仕様のパワードスーツも関節の動作不良が相次ぎ思うような動きがむずかしくなる。そのため安全マージンをとった小さな動きに限定するか、思い切って動き回ることで間接の凍結を防ぐかしかなかった。MBジェネレータや動力ラインの破損により電力供給が滞ると、数時間でインターフェーススーツのバッテリーが切れて凍死が待っている。動作を停止しているPSを救助する役目のPSが一番忙しいぐらいであった(救助担当のPSは両軍とも白と蛍光オレンジの縞模様で塗装されおり、攻撃は条約により禁止されている。しかし流れ弾に当たらないという保証はなかった)。
乱戦の中、ヒュウは僚機との連携の真の意味を理解した。これまで内心足手まといと思う時もあったチームパートナーたちが、この乱戦では心強い。お互いの死角を補い合って存分に目の前の敵に集中できる。視野を広く取ることを忘れてはいないが、それでもヒュウは始めて人に背中を任せたかもしれなかった。
戦闘は泥仕合の様相を呈していた。夜がないため休みなく戦闘は継続され、両軍ともに部隊の交代のタイミングに苦慮した。敵が汐が引くように後退していったとしても、こちらも体力的にも武装的にも限界で突出することができず、後方の部隊と交代するしかない場面が多々あった。3時間ひたすら戦い続けてから交代し、3時間泥のように眠って、腹に冷たいレーションを詰め込んでからまた戦闘に復帰する、そのような状況が続き、両軍に疲弊が広がっていった。寒さも両軍をさいなみ続け、もはやなんのために戦っているのかを考える余裕も前線の兵士たちにはなかった。次々とPSが動作不良で使えなくなり、パイロットたちは機体を使い捨てて新しい機体を与えられ、また戦場に送り込まれるのである。ここが環境の厳しい南極中央でなければ脱走兵が相次いだはずであった。
ヒュウはグレイスの最後の攻撃時に愛機を失い、その後新たな機体を割り当てられていた。夜鳴き鴉にやられた戦友がかつて使っていた機体であるが、ついに背骨にあたるフレームが金属疲労で破損し、メンテナンス担当に乗り換えることを指示されたのである。グレインは用意できず、軽戦機であるスティンガーしかなかった。ヒュウは小柄であるから搭乗自体に問題はないが、グレインより一回り小さく、宇宙空間で様々なバックパックを付け替えて運用することを想定して開発されたスティンガーでは、地上戦、しかも今回のような混戦では当たり負けする可能性があった。それでもヒュウは睡眠時間を削ってまでスティンガーの慣熟訓練を実施し、戦場に戻ったのである。軽戦機であるため、これまでとは戦い方を変え、小回りのよさを生かして敵と正面から当たらず、関節やバックパックへの痛打を繰り返していった。その際に使用した武器は、レールガンで金属製の槍を打ち出すランチャー、そう、あの「夜鳴き鴉」が使用していた武器を応用したものであった。そのヒュウを援護するために、チームパートナーたちも奮戦した。何度目かの交代で、メンテスペースの脇にある仮設マットに倒れこむようにインターフェーススーツも脱がずに飛び込んだヒュウにすぐに睡魔が襲ってきた。
次に目が覚めた時に、周りの空気感の異常に気がついた。これまではメンテ要員に叩き起こされていたのに、この変な空気を察知して目覚めたのである。メンテ要員の一人がヒュウに告げた、グランドルーク隊のPS隊長であるエドガー・ポールのPSが帰還していない、識別信号も切れている。撃墜の可能性があるため、代理の隊長を立てて戦線に復帰せよ、と作戦本部からの通達があったのである。この戦いの前にエドガーは中尉に昇進し、グランドルーク隊と増強された戦力をまとめる中隊長に任命されていた。その役目を引き継ぐものを指名して戦闘を継続せよ、との命令である。実質エドガー・ポール中尉が戦死したとの通達であった。ヒュウには信じられなかった。ヒュウが後退する際に、エドガーも一緒に後退したはずである。帰還を確認したわけではないが、一緒に移動していたはずだ。同じ部隊なのだから。しかし実際にはエドガーの帰還は確認されていない。PSが擱座しているだけなら救出される可能性があるが、すでに未帰還となり数時間が経過している。識別信号が切れているということは、PS の電源が切れている可能性が高く、インターフェーススーツのバッテリーの容量を考えても凍死している状況である。絶望的といえた。
隊長代理はマエジマが勤めることになった。階級的にも順列どおりであるが、マエジマはすでにグランドルーク隊の信頼を勝ち得ている人物でもある。能力的にも問題ない。グランドルーク隊は戦場に戻った。エドガーの死は大きいが、ここは戦場である。想定外の出来事ではない。誰もがそう思いながらも喪失感を抱えての出撃であった。オルフィスは戻ってきているが睡眠中であり、部隊が違うため、まだこの事実をしらない。
エドガーの戦死すら飲み込み戦いは続いていく。連合の作戦本部はアタラクシアの戦術が理解できなかった。拠点攻略戦において、連合はアデレードから戦力を補給できる。兵站は短いとはいえないが、空挺空母の活用で、無理なく補給が続けられる。ディーラーンの司令部は連合の攻勢を単独でしのぎきることができると判断しているのだろうか。アタラクシア側には、地上でも宇宙でも増援部隊が動いているという情報は確認できない。しかし一度発動した作戦、しかも大規模な作戦を成果も上げずに明確な理由もなしに終わりにはできない。現状は一見激しい戦いが続いているように見えるが、厳しい気象条件に加え、地下の拠点の攻略であることから戦線の展開は限定されている。損耗状態は当初の予想を下回っている。数字でしか損耗の意味を理解していない連合軍首脳部はこの作戦を継続することを決定した。前線で何らかの結果がでるまで待つという消極的な理由で。その判断が一秒長引くことで、どれだけの命が消耗されていくのか理解せずに。
その頃、ギィ・グランは火星の向こう、アステロイドベルトにある小惑星セレスにいた。火星と木星の間にあるアステロイドベルトは、一般的に考えられているほど小惑星が密集しているわけではない。メインベルトと呼ばれる宙域のほとんどは虚空である。その中でも最大のサイズで準惑星に分類されるセレスはアステロイド開拓団の基幹基地として、また住居として重力工学を駆使して改造されていた。アステロイド開拓団はかつて地球連邦時代にアタラクシアが計画して送り出したのであるが、その後の地球圏の混乱振りから、巻き込まれることを恐れ逼塞していたのである。地球から遠く離れた隔絶されたコミューンとして独自の勢力を拡大していったこの組織は、セレス上の4つの都市の代表4名と労働者組合の代表1名の合議制で取り仕切られていた。またMBジェネレータがまだ秘匿されている時期に旅立ったため、それ以前の核融合炉が主機関であり、これも独自に発達し、より小型化高出力化が進んでいた。最大出力ではMBジェネレータより優れた部分もあるほどであった。人口は当時の開拓団で一万人。その後過酷な開拓時代には五千人を割ったときもあったが、現在では30万人に増えている。そして子供以外のほとんどが宇宙開発のベテランなのである。一大勢力といえた。
ギィは、かつて自分がアタラクシアの艦隊構築の隠れ蓑として計画したアステロイド開拓団がこれほどまでに発展しているとは考えていなかった。第三次重力戦争の和平交渉終了後、最初に接触した時は、地球でしかとれなかったレアメタルの採掘に成功していることを喜んだものだが、その後実情を知っていくうちに、彼らこそがグランの理想を体現している存在であると考えるようになった。完全に宇宙生活に適合した人々。ギィはいずれこのアステロイド開発圏を拡充して、月のツィオルコフスキーから遷都しようと考えていた。そのための交渉をいましているのであった。開拓団の長老とでもいうべき数名の人々はギィとは旧知の人物である。かつて開拓団のリーダーを指名した人物はすでに亡くなっていたが、開拓団の中心メンバーであった人たちである。かれらは数十年ぶりに再会したギィが変わらず若々しく、精力的であることに喜び、アタラクシアとの共同宇宙開発を喜んで受け入れてくれたのである。現在のトップ5人もほとんどがギィの魅力に引き込まれていた。ただ一人、労組代表のエルヴィン・ハートマンはギィの提案に慎重であった。彼はジョンとジェイクのハートマン兄弟のいとこの孫であった。親類であるジェイク・ハートマンが歴史上有名な粛清裁判の裁判長として実質的に30万人を断罪した歴史を知っており、それを容認どころか推進したギィに不信感をもっていた。また現在進行中の戦争に巻き込まれる可能性を憂慮していた。地球圏を直接視察したのは彼であり、ギィに接触したのも彼であったが、それ故に責任があると感じていた。しかし多数決で合議するため、組織の決定事項には従うこととなった。ギィが地球の南極で大きな会戦を起こしたのは、このアステロイド開拓団との交渉を公に知られたくなかったためである。そのために彼は数万人の兵士たちを危険に晒しているのであった。しかしギィにしてみれば、自国の戦力といえど地球にしがみつくように存在している彼らを大地から引き剥がすよい機会と考えていた。
ザイザ・ルドマックはそのようなギィの内心など知らず、直接声をかけてもらった時の言葉を信じて、ここ南極で戦っていた。彼は自分の基地を実質上放棄してその戦力をここディーラーンに集中させ、自身は指揮戦闘車で前線に出てPS左翼部隊を指揮していた。正面の敵の中にグランドルーク隊がいることなど知りようもなかったが、一部厚みを持った手ごわい敵がいると感じていた。ザイザはその部隊、つまりグランドルーク隊が引く時を狙って左翼の一部のPSを突入力重視の槍騎兵に仕立てて、敵右翼のグランドルーク隊が引いてできたわずかな隙間に紡錘形で突入させた。十分な休養を取らせた隊に準備させて、グランドルーク隊が出撃してきた3時間前からこのチャンスを狙っていたのである。交代のために引いていたグランドルーク隊の殿を務めていたエドガーは、グランドルーク隊が抜けた穴を埋める部隊の動きが鈍い上に航空隊の援護爆撃もない状況を見て取り、転進して穴埋め部隊の指揮をとり敵の突撃を食い止めようとした。それはギリギリで成功し、グランドルーク隊は無事撤退できたのであるが、エドガー自身は撤退のタイミングを失ってしまった。武器弾薬も底を突き、体力も限界の状態で、引くタイミングを計りながら戦うことさらに数時間、グレインの両腕は動かなくなり、固定武装で戦うことさらに数分、ついに敵PSに包囲された状態で、一瞬空を垣間見た。空には長い三角錐の形をした戦闘機が飛び交っていたが、どれがオルフィスの機体かは判別がつかなかった。次の瞬間MBジェネレータを暴走させ、マイクロブラックホールの蒸発による電磁波と衝撃波を意図的に発生させて包囲している敵PSを弾き飛ばして隊列を乱し、見方のPSの反撃の機会を作った。エドガー自身は一瞬前に緊急脱出プロトコルで自機から飛び出し、エアバルーンで保護された状態で氷原に転がり出ていた。自機の発する衝撃波に弾き飛ばされた時も守ってくれたバルーンを外して起き上がり、徒歩での脱出を試みていた。極寒の中で鉄の巨人が入り乱れて戦っている中、身一つで突破する。それは絶望的な状況であった。しかしエドガーは最後の最後まで生き抜くことを諦めなかった。インターフェーススーツのバッテリーが限界に到達する前に、外部から破損が見えないが倒れこんでいる味方のPSを発見した。ハッチを開き、パイロットが死亡していることを確認してから引きずり出した。どうやら疲労からくる心臓発作が死亡の原因のようであった。PS自体は動力は生きていたが、手足が稼動せず、動くことができなかった。重力制御で浮上することはできそうだが、それでは格好の的になってしまう。エドガーは一か八か、救難信号を発してじっとしていることを選択した。いつ攻撃されてもおかしくない状況でじっと待つのはとてつもないストレスであるが、彼はそれに耐える決心をした。それが数時間前の出来事であった。
ついに中央部隊がディーラーンのメイン出入口に取り付き、PSと装甲車に乗った陸戦隊がディーラーン内部になだれ込んだ。連合右翼とアタラクシア左翼の戦いも、連合の物量の前に支えきれず、ザイザの乗る指揮戦闘車も陸上戦艦の主砲の一撃で蒸発した。地上のアタラクシア部隊はディーラーン内部に引いていき、地上は連合に制圧された。ディーラーン内部に引いていった部隊は、基地内でトーチカを築き執拗な抵抗を試みていた。それでも徐々に後退し、やがて強固な隔壁の向こうに退避していった。隔壁は丈夫であるだけでなく応力フィールドでも保護されており、地道な破壊工作で穴をうがつ必要があった。あきらかな時間かせぎであったが、連合軍の上層部は例の巨大ビーム砲でアデレードを攻撃するための時間を確保するためと考え、前線に隔壁突破を急がせたのである。
隔壁が工兵により破壊されると、次の隔壁が現れるといういたちごっこが数回繰り返された後、数時間かけてようやく基地の主要部に突入成功した。しかしそこには誰もいなかった。抵抗する戦力は一兵たりともいなかったのである。連合軍首脳部の頭痛の種であった巨大ビーム兵器とおぼしき構造物は確認されたが、それはビーム砲などではなく、それらしい形で熱源を配置をしたダミー構造物であることが確認された。
いきなり基地から十数キロ離れた平原の氷がまばゆいばかりに発光し、大量の氷が一瞬で昇華した。おそらく下から大型ビーム兵器を拡散モードで放射したと考えられる。氷が消えた穴の内部には人工の構造物が見えたが、それは宇宙船の格納庫であった。基地中央からこの格納庫までの部分は巧妙に隠蔽されていたのである。中から大型の宇宙船がいきよいよく飛び出してきた。重力制御とロケットノズルの噴射による飛翔であった。基地の兵員の脱出シーケンスであることを察知した連合軍は、地上戦艦や後方の空挺空母の主砲にてこれを打ち落とそうとした。しかし氷から昇華して水蒸気となったため、高熱源が広い範囲に発生し、その影響で脱出船の周りには竜巻のような上昇気流が生まれ、視覚による照準は不可能であった。各種センサーも効かず、目測で狙撃しようとしても次に水蒸気が一気に冷やされて発生した氷の粒がバリヤーとなり、ビームが拡散減衰して敵の応力フィールドを突破できなかった。マエジマは事態を悟り部隊の早期退却を大隊長に進言すると共に、命令を待たずに自分が指揮する中隊にディーラーン周辺からの撤退を指示した。また周辺の中隊長にもディーラーンの自爆の可能性を指摘したのである。ディーラーンは自爆はしなかった。その意味でマエジマの判断は間違っていたといえるが、撤退自体は正しい判断であった。地鳴りと共に南極の氷原に大きなひびが走り、それは急速に広がっていった。ディーラーン最下層の例の大型ビーム砲に模した構造物には仕掛けがあり、時限スイッチにより一気に崩壊するように設計されていたのである。そしてその崩壊により上部構造物も連鎖的に崩れるように基地の拡充の時点で構築されていたのであった。つまり史上最大の落とし穴である。ノヴィレンの攻防戦では落とし穴とは比喩であったが、ここでは本当に落とし穴が用意されていたのである。
重力制御がついている機体は通常落下を免れるはずであったが、あまりにも突然の出来事であったため、全軍の3割ほどは重力制御による浮上が間に合わず、崩落する巨大な氷の塊と共に落下し、氷に押しつぶされたのである。脱出用の巨大な穴の周辺は特に氷の層がもろくなっていた。グランドルーク隊とその周辺の部隊はマエジマの通達によりほとんど上空に脱出できていた。しかし、グランドルーク本体は後方に着陸しており、甲板上に追加で設置されたPS格納庫の重さのため緊急上昇が間に合わず、亀裂に巻き込まれて穴の中に滑落していったのである。地上に展開していた一部メンテナンス部隊も氷の亀裂に落下していった。グランドルークはその丈夫な下部装甲のおかげで氷塊に押しつぶされずにすんだが、メインMBジェネレータと重力制御機構がある艦の中央あたりで折れ曲がり、竜骨に深刻なダメージを受けたのである。二度と浮かび上がることはできなくなったグランドルークからPS隊が乗員を救出し始めた。落とし穴の罠は自爆より破壊力は低いかもしれないが、広範囲にわたって被害を与えるという意味では効果があったといえる。PS隊は支給されていた宇宙服を装着した生き残りの乗員を救出し、最後方の輜重部隊の空挺空母へと運んでいった。グランドルークの艦橋要員は全員無事であった。被害が大きかったのは地上にいた一部メンテナンス部隊であり、ほぼ壊滅と言ってよかった。オルフィスも艦内のメンテナンスベースにいたため救助された。彼女を救出したのはヒュウであったが、エドガーのことを伝えることはできなかった。オルフィスもグランドルークの座礁にショックを受けていたこともあり、エドガーの安否を聞きそびれていた。彼女がエドガー戦死の報を知るのは、この後グランドルークの乗員が収容された後方部隊において、エルメスの口からである。
エドガーが乗りこんだ動けないPSもまた、救助されないままにディーラーンの崩落に巻き込まれていた。この時巨大な氷塊の隙間に落ちたことで圧殺は免れたが、それでもコクピットが変形し、エドガーの両足を押しつぶしたのである。幸いMBジェネレータは機能し続け凍死はさけられたし、救助ビーコンも発信し続けていた。インターフェーススーツに装備されているモルヒネが自動投与されて朦朧とした意識の中で救助を待つしかなかった。そして、救助されたのは三日後であり、エドガーは一命は取り留めたものの失血から記憶障害を引き起こしていた。そして両足は切断するしかなかった。体に埋め込まれているICチップで身分照会はできるはずであったが、PSから脱出した際にマイクロブラックホールを蒸発させたため発生した電磁気の影響で、チップは破損していた。エドガーは記憶を取り戻すその日までアデレードの傷痍軍人病院で過ごすことになる。そして記憶を取り戻した時、すでに第四次重力戦争は終結していたのである。本来であれば全軍人の遺伝子情報を登録しておく制度が確立しているはずであったが、度重なる戦乱でそのシステム構築が先送りになっていたことも影響した。
こうしてアタラクシアのディーラーン基地攻略作戦は、またしても基地の放棄と罠による損害を連合軍に与えた。しかしこれで地球上からアタラクシアの勢力はほぼ一掃され、戦いの主戦場は宇宙に移るのである。一見アタラクシアの撤退につぐ撤退に見えるが、実際には宇宙で戦力を増強し、地上の兵力を整理したことで、人的損害はあったが、組織としては宇宙中心の構成が確立しつつあったのである。これはアタラクシアにしてみれば既定路線であった。