第三話「夜鳴き鴉」
マエジマは慣性誘導装置と当てにならないGPSの情報から、現在地が旧カザフスタンの北方にある山岳地帯であることを確認した。いくらアタラクシアが地球から引き上げ途中だったとはいえ地上の約3割の地域はアタラクシアの領土であり、またアタラクシア軍が軍閥化して土着した部隊が残っている地域もある。これから先の展望が明るいとは言えなかった。
7機の起動歩兵は残りの武装も乏しく、食料などは非常食が数日分しかない状況だった。動力に関してはMBジェネレータのおかげで余裕があった。これからの行動の選択肢はそう多くない。もっとも近い連合の基地まで自力で移動するか、無線で連絡を取って救出を求めるかである。無線は危険だが、もっとも近い基地まで数百キロある。何とか連絡を取って救出を求めるしかなかった。
この状況でマエジマがもっとも意を砕いたのは隊員たちのメンタル面である。自暴自棄になり民家を発見すれば略奪に走る可能性もある。多少の危険を冒してでも自分たちの部隊が連合軍との繋がりをたたれていないことを示す必要があった。大気圏内ではレーザー通信は当てにならない。通常電波による無線で暗号化されたパケットを最寄りの連合基地当てにパルス信号で15分毎に4回送信した。送信の度に移動し、逆探知による襲撃をさけたことをいうまでもない。
だが無線を傍受した者の中に切れ者がいたようである。4度目の送信直後にマエジマの部隊は突然現れた野戦部隊に取り囲まれてしまった。相手方にはパワードスーツはなく、軽機動戦機とでもいうべき小型車両にホバークラフトが付いたものや、生身の兵士もいた。明らかに地元の勢力のようであった。しかし中にはホーミング機能搭載のミサイルポッドを装備した車両もあり、簡単には突破できそうにはなかった。不意を突かれたこともありお互いにらみ合う状況のなか、一人の壮年の男が銃も持たずに歩み出てきたのである。
灰色の髪もあごひげも伸び放題といった感じだが不潔さはない、どことなく品さえ感じるその男は敵意はなく交渉したい、抵抗しなければ攻撃はしないことを告げた。どこか飄々とした不思議な魅力を持つ男であった。
彼らはここから南に十数キロの地点に拠点を持つ地元の住民だが、自分達の村を守る自警団的役割を果たしているだけで、連合にもアタラクシアにも与していないということだった。地域的にアタラクシアの領土の最南端に位置し、例の「人さらい政策」の網の目をくぐり抜けて細々と暮らしている。
「お頭」とまるで馬賊のボスのように呼ばれている男はグレイナウ・グレイスと名乗った。旧連邦が瓦解した際にどさくさに紛れて独立した小国の軍事アドバイザーだったのだが、その国がその後の戦乱で崩壊したことを契機に独自の部隊を編成し、故郷の村を守ってきたのだそうだ。彼の目的はマエジマ達の装備であった。パワードスーツに装備されている機銃とその弾薬の変わりに水と食料、それに近くの連合の部隊との連絡も付けてくれるという。兵装は本来連合の財産であり、軍事機密の塊である装備を譲渡するのはマエジマの権限の範疇ではない。だがマエジマも規則一辺倒の堅い男ではなかった。射撃システムのファームウェアをクリアしてから渡すことで折り合いがついたのである。普通「パワードスーツ、ビーム兵器をよこせ」と言われそうに思えるが、それらは高度なメンテナンス設備がないと長期の運用は不可能である。その辺はグレイスも元スーツ乗りであり、分かっているようであった。
条件が決まったことでまずグレイス達の村に向かうことになった。しかし村に到着直前、前方に煙が上がっているのが確認できた。グレイスは「しまった!」と声を上げると双眼鏡を取り出した。ヒュウとマエジマもスーツの望遠機能で確認した。山間にあるちょっとした平野部に戸数が300ほどの村があった。その村の奥の道から武装した車両が村に突入していた。「山賊どもだ!」とグレイスの部下がうめき声を上げた。ヒュウは一言「排除する」と言い残し、パワードスーツ・グレインを一瞬で村の上空にジャンプさせていた。グレイスの「頼む!」という声は近距離無線で聞こえていた。
圧倒的であった。相手の武装は小火器とせいぜいRPG程度である。全高8メートルほどの鉄の塊のような巨人が空から降ってきて仲間を蹴散らしだしたのである。抵抗する気も一瞬で失せた。ヒュウには圧倒的戦力差をかさに殺戮を楽しむような性癖はない。できるだけ略奪者も殺さないように注意しながら排除していった。その手際を後から駆けつけたグレイスは目の当たりにしたのである。彼は一瞬でヒュウを気に入ってしまった。
グレイスはこの国境地帯で故郷を守るために、連合軍にもアタラクシア軍にもパイプを持っていた。しかもこの村の地下には旧時代の光ファイバーが埋設されており、それを利用して200キロ離れた連合軍の駐屯地に直接連絡がとれるというのである。このあたりは第二次重力戦争のゲーザー攻撃の被害がなかったため、地中の光ケーブルにも被害がなかったのである。マエジマは駐屯地に連絡をとり、ノヴィレン降下部隊であり、本隊とはぐれた経緯を説明した。駐屯地の司令からは即時の回収は難しいといわれたが、あてがあるので数日待ってほしいとの回答があったのである。結局マエジマ達はグレイスの村に7日間世話になった。その間、ヒュウを含め地球が始めてのメンバーは様々な初体験をすることとなる。大地に触れること。自然の風に吹かれること。気温や湿度の変化。砂埃。様々な生き物、特に虫には閉口した(蚊に刺されたある隊員は大騒ぎしたものである)。夜には満点の星々が煌く(宇宙では大気の揺らぎがないので、星は煌かない)なか、一晩で数百の流星を見ることができた(度重なる重力大戦により宇宙が汚れきっている証拠なのだが、それは美しかった)。様々なにおいや音。そういった人工の環境では管理されているものが乱雑に五感を襲い、隊員の中には最初はパワードスーツの中にこもるものもいた。マエジマはできればこの機会に地球の環境を気に入ってほしかったが、無理強いはできない。メンタルの面で環境に適合できない者の中には、宇宙に戻る以外に治療法がない場合もある。地球病と呼ばれる現代の一種のうつ病にかかるとやっかいなのである。
ヒュウはこの村での地球体験をそれなりに楽しんでいたようである。食事もレーションではなく村人が用意してくれたものを食べた。略奪から救ってくれたヒュウたちを村人は歓待してくれたのである。といっても小さな貧しい村であるから、豪華な食事やホテルがあるわけではない。心づくしといったところであった。
この村でヒュウはあることを知るのであるが、それは今次大戦が終わった後、ヒュウが再びこの村を訪れるきっかけとなる。
グレイスはヒュウをこの村に迎え入れることを提案した。彼はヒュウがまだ若年であることを見抜いていた。ヒュウを気に入っていたこともあり、戦死したことにしてこの村で暮らすことを提案したが、ヒュウはそれを断った。パワードスーツから離れて暮らすことができない、それが大きな理由であった。そしてヒュウは心のどこかでアリスの生存を信じていた。軍にいればいずれ再会できる、そう心の奥底で感じていたのである。
マエジマは指揮官としてグレイスを完全には信頼できなかった。必ず二人はスーツにて待機するようにし、交代制で監視するようにしたのである。誰かが人質に取られた場合、即時に村を焼き払うとグレイスに明言した。このマエジマの態度にグレイスは閉口したようであるが、油断しない態度を評価している面もあった。
5日後に連合の駐屯地から連絡が来た。連合中央から派遣され、中央アジア駐屯地を基点に近辺のゲリラを掃討する任務についている部隊がグレイスの村の近くに来ているというのである。先日村を襲った連中も、この部隊の攻勢により北に流れてきたならず者集団のようであった。このゲリラ掃討部隊と合流すれば補給が受けられスーツの整備もできる。そのまま部隊に参加して任務終了後には、オーストラリアのアデレードにある連合軍中央に帰還できるという。マエジマは合流地点と時間を確認し、部隊の移動を決意した。合流地点は南東に40キロ付近の森林地帯である。パワードスーツで目立たないように地上走行した場合でも、数時間の距離であった。出発の日、「お弁当」と共にグレイスが情報を提供した。件の森林地帯では連合の部隊が何度か襲われているが、アタラクシアの大規模な部隊が展開している形跡がない。おそらく少数の遊撃隊が潜伏していると。ここ最近は活動が停止しているようだが注意しろとの情報に、マエジマは謝意を伝え、グレイスを疑った非礼をわびた。グレイスもまた改めて村を守ってくれたことを感謝したものである。
村人の見送りを受けて、部隊は出発した。何人かは後ろ髪を引かれたようである。マエジマはうすうす気づいていた。部隊のうち、少なくとも二名は村の女性といい関係になったようである。それを咎める気などマエジマにはなかった。
合流地点は森林を抜けたあたりであり、まっすぐ移動しても森の中を5キロほど進む必要があった。迂回すると合流時間に遅れる可能性があるため、周辺を警戒しつつ森をつっきることをマエジマは決定したが、これが安易な選択であったことを後悔することになる。拠点制圧作戦へ参加するための装備であったため、部隊に広範囲の索敵能力をもったスーツは配備されていなかった。物陰が多く、生物の多い森のなかではスーツのセンサー類にも死角が多く、待ち伏せには絶好の環境であった。森の中は日中でも薄暮の時のように薄暗い状況であり動体の視認が難しかった。
それは音もなく飛来してきた。一本の槍とでもいうべき直径12ミリ、長さ400ミリの合金製の固体弾がパワードスーツ・グレインのわき腹にある装甲のうすい部分を貫通し、パイロットは胴体を貫かれて即死した。あまりにも突然であったため、グレインは数歩そのまま移動したのち停止した。パイロットは一言も発することができなかった。
マエジマは指揮官機のデータリンクでパイロットたちのバイタルを監視できる状態であったため、事態を即時把握した。ヒュウは既に槍が飛来した方向に向かって突進している。マエジマは残りの4名に警告を発し、盾で防ぐように指示した。しかしヒュウが突進した先には敵影はなかった。攻撃方法と森の中であることから長距離狙撃の可能性はない。周囲を索敵しながら、ヒュウ以外の5体はかたまって盾で四方を防御したのである。ヒュウは危険を覚悟でいったん上空にジャンプして上からの索敵を試みた。次の瞬間、かたまっていた一機の右の膝間接に槍がヒットした。パワードスーツという名称であるが、現在の機体は全身が入るコクピットに頭と手足、動力部であるランドセルが接続されているような構成である。スーツの脚部には生身の足は入っていない。しかし間接を射抜かれたため、バランスを保つことができず、そのスーツは片膝をついたのである。その瞬間、下がった盾の上を槍が通り、横にいたスーツのランドセルと本体の接合部を貫いた。さすがに貫通とまではいかず、パイロットは無事であったが、MBジェネレータの制御機構が破損し、内部のマイクロブラックホールが一瞬で蒸発したため、その衝撃波でランドセルが爆発し、固まっていた5機ははじき飛ばされた。森全体が揺れるような衝撃波の影響でセンサー類が一瞬ブラックアウトしたが、敵は正確にこちらの位置を把握しているようであった。無数の葉が雨のように降り注ぐ。敵はグレインの構造を熟知しているようであった。MBジェネレータを射抜いたのは偶然ではなく、固まっていた5機を分断するためにわざと狙ったのである。その証拠に弾き飛ばされた膝を射抜かれたグレインの首と胸の間の装甲の薄い部分に斜め前方から槍が打ち込まれ、パイロットは胸を射抜かれて、これも即死した。上空にいたヒュウは衝撃波にバランスを崩しながらも目視した。槍を発射している黒い影のような存在を。それはパワードスーツではなかった。全身を黒と見まごうほどの森林迷彩のマントで覆い、肩には槍を発射するためのランチャーとおぼしきものを装備しているが、その大きさはスーツよりかなり小さく、2メートルほどと見られた。ヒュウはビームライフルで狙撃しようとしたが、位置関係からマエジマたちに当たる可能性があるため、できなかった。また左肩に装備していた機銃はグレイスとの約束で提供しており、今はない。おそらく敵は同士討ちのことも計算に入れて攻撃しているのであろう。スラスターをふかし、体当たりで弾き飛ばそうとしたが身軽な敵は一瞬で森に隠れてしまった。スラスターのようなものが確認できないのに、空中で姿勢を制御し急速移動したのである。体勢を立て直したマエジマと残る二機の元にヒュウのグレインが降り立つ。MB ジェネレータが爆発した機体のパイロットはコクピットとランドセルの間の衝撃吸収機構により無事であったが意識を失っており、またスーツは動力源を失い動くことができなかった。
敵はなりを潜めていたが、ヒュウには殺気のようなものが感じられた。一瞬白い光が左から襲ってきたように感じられた。とっさにスーツの肩を下げ、飛来した槍を装甲に対して斜めにあてることではじくことができた。ヒュウは気づいていなかったが、彼は槍が飛来する一瞬前に回避動作を行っていた。かつて合気道の創始者である植芝盛平は、銃で撃たれる寸前に白いつぶてが飛んでくるように感じ、それをよけることで銃弾をよけたとの体験談を記している。ヒュウにも殺気が白いつぶてと感じられたのであろうか。次に右からの攻撃の直前にヒュウはマエジマの機体に自分の機体をぶつけて、槍をそらした。敵はこの時点でヒュウの能力に気づいたようであった。殺気を殺し再度潜伏したのである。マエジマはこの状況を打破するため、ヒュウ以外の二機にスラスターをふかしてジャンプし、森の切れ目に一気に移動するように命じた。高く飛ぶとアタラクシア軍のレーダーに感知される可能性があったが、そのリスクを侵してでも敵の獲物を減らして攻撃の選択肢を狭くする必要があった。この恐るべき敵をヒュウとマエジマだけで迎え撃つつもりであった。誰かが残らない限り、敵は脱出の瞬間を狙ってくるだろう。槍は応力フィールドの影響を極力受けないように慣性エネルギー(質量と速度)が制限されている。そのため装甲が薄い部分でないと射抜けないのである。マエジマは機体をロックモードに移行した。これは宇宙空間で長距離移動する際に、G による間接への負荷を軽減するために装甲を縮めて全身をロックする状態である(PS パイロットたちからは「こけし」モードと呼ばれていた)。装甲の隙間が埋まるため、槍で射抜かれる可能性が低くなるが、直立不動の状態でまったく動けなくなる。マエジマはみずからが囮になってヒュウにチャンスを与えるつもりであった。ヒュウも、そして敵もそれを理解した。いくらロックモードでも装甲の弱い部分が完全になくなるわけではない。敵がそこを狙ってくる瞬間を捉えるのである。無限に近い時間が流れたが、それは数十秒であった。ヒュウのグレインのビームライフルが一閃した。しかしそこに敵はおらず、ビームの直撃を受けた木の幹が爆発した。ビームの高熱により幹の水分が一瞬で蒸発し、水蒸気爆発が起こったのである。次の瞬間、ヒュウはマエジマ機を押し倒しながら反対方向にもビームを発射した。槍はマエジマ機の頭部を貫いたが、マエジマの体には触れなかった。ヒュウのライフルの銃口の先には、胴体が炭化した敵が倒れこむ姿があった。距離はわずか10メートルほどであった。敵のストーキング技術は達人に域にあったといえる。ヒュウはわざとあらぬ方向にビームを発射し、敵の攻撃を誘ったのである。敵の高い能力を信頼しているからこそ、本当の攻撃方向が限定できたのである。最後の一撃はほぼ敵を視認しないで撃っていた。
敵は一人、しかもほぼ生身であった。宇宙開発初期のハードスーツの倍力装置を身にまとい、森の中ですばやく移動できるようにカスタム化していたのである。ジャンプしていたのは、なんとワイヤーとその巻取り装置、および圧縮空気によってであった。センサーリダクション用のマントを羽織って、徹底的に熱源と音をしぼり、薄暮の状態の森の中でレールガンを改良した槍の射出装置が唯一の武器であった。この森に特化した特殊なゲリラ兵である。少ない装備でマエジマの部隊の二人を殺し、一体のスーツを破壊した。恐るべき敵であったといえる。ヒュウはノヴィレン攻略戦以上の疲れを感じていたが、あの殺気のような気配を感知した経験は今後おおきな力となってくれるはずであった。
破壊されたスーツのパイロットを救出し、合流地点である森のはずれに移動し、先行していた二機と合流したが、時間になってもゲリラ掃討部隊は現れなかった。そこで戦死した二名をスーツから出し、遺髪を採集した上で森のはずれに埋め簡易的な墓を作った。二度と来ることがないと思われる場所だったが、いつか誰かが弔ってくれることを期待して。戦死した二名のスーツ自体は稼動していたため合流地点まで移動させた。後はゲリラ掃討部隊が来ることを祈るのみである。もしこなければ、またグレイスの村に戻るしかなかった。
森のはずれの岩場の影に部隊を移し迎えを待つ間、マエジマは失った部下のことを思った。ノヴィレン攻略戦で2名、そして今回2名である。ノヴィレン攻略戦では組織的な戦いの中で失ったが、今回は目の前で自分自身の判断ミスから失った。森を迂回するか、近在のアタラクシア部隊に察知されるリスクを犯してでも一気に森を飛び越えるべきだったのかもしれない。指揮官に課せられた重責を改めて痛感する戦いであり、敵であった。