第十六話「ギアレイ」
グランドルークはセレスで行える範囲の修理を終え、訓練飛行を行うこととなった。ランサーら使節団の交渉は難航しているようであったが、その内容についてグランドルーク隊は関係ない。常に置かれた環境でベストを尽くすことができるように準備しておくことが任務であった。グランドルークは被弾した第二戦橋と艦本体の左の居住区は閉鎖した状態でセレスから離れ、あのゴルゴスとの死闘を繰り広げた宙域に到達した。そこでPS隊を二つに分けて模擬戦を実施したのである。マエジマ隊とメディック隊で仮想敵味方に分かれて演習をしていた時であった。ビームの威力は百分の一で装甲表面を焼く程度、実弾はペイント弾での演習であった。メディックは華々しい戦果とは無縁であるが、守備や囮といった地味な役を淡々とこなす職人肌の指揮官であった。第三次重力戦争の初期からPSで戦っており、連合で最もキャリアの長いPSパイロットの一人である。流石のマエジマも小型のアステロイドを拠点に見立てて防御陣を敷いたメディックの布陣を攻めあぐねていた。その時である。メディック隊の後方にて明らかに演習では起こりえない規模の爆発が二つ確認された。PSが装備する推進剤の爆発とみられた。マイクロブラックホールが蒸発した際に記録される電磁波も観測された。間違いなくメディック隊のPSが爆発したのである。一瞬事故を疑ったマエジマであったが、即時に通信管制を解除し、メディックと本隊に状況確認を求めた。
メディックからはいきなり後方から攻撃を受けたこと、敵影をキャッチできないとの連絡があった。グランドルークからも敵と見られる機影が確認できないとの情報があった。少なくとも大型艦が近傍にいるとは考えられない。メディックが拠点としているアステロイド以外に周辺に隠れられる場所もない。全方位警戒態勢をしいて、グランドルークに撤退することとなった。その時である、何かが高速で接近していることをPSのAIが検知し、警報が鳴った。とっさにヒュウが敵がいると思われる方向にビームの出力を通常に戻した上で斉射したが、手ごたえはない。何かPSよりは大きいが、戦闘機ほどではない黒い影のようなものがマエジマ隊の真ん中を尋常ではない相対速度で通り過ぎた。同時にマエジマ隊の一機のPSが攻撃を受けて機体は爆発しなかったものの、パイロットは即死した。影は目で追える限界を超えたスピードで旋回し、再びマエジマ隊に襲いかかった。AIがかろうじて敵影をマークしているが、それも外れそうな勢いであった。ありえないことであった。人が搭乗しているPSや戦闘機であれば、あのような機動をすればパイロットがもたない。脳震盪で気絶するはずである。計算では瞬間に10G以上の加速度がかかる軌道で影は動いていた。無人機の可能性があるが、現在のAIでは人のパイロットに対抗できるようなフレキシブルな動きはできないはずである。そう、はずであった。もし新型AI搭載の無人機がこれだけの動きをしているのであれば、それはとてつもない脅威といえた。ヒュウは自分以外の機体に下がるように指示し、一人影に向かっていった。影のスピードから、数は優位とならない。むしろ同士討ちを警戒する必要があり邪魔なだけであった。ヒュウは思い切った行動をとった。レグナスの両肩のバインダを含む外部装甲をすべてパージしたのである。敏捷性を優先し、耐被弾性を無視した作戦であった。敵に合わせていては勝てない。影のスピードと一見ランダムに見えるコースから勘で予測進路を想定し、そこに向けてビームを斉射した。マエジマは演習のため各機がミサイルを搭載していないことを悔やんだ。ミサイルであれば予想進路にばらまくことで敵の動きを牽制できたはずである。ヒュウの目論見はあたった。影は進路にビームが横切ったことから一瞬狼狽し、その速度を緩めたのである。その動きはAIとは思えないほど人間臭かった。初めて影の細部を肉眼で確認できた。それは全体的に十字架のような形をしているが、十字の交差したあたりにどくろのような意匠の頭部と思しきものがあった。十字架の各先端にはビーム砲が装備されていた。PS のようにマニュピレータで保持しているのではなく、本体から直接砲口が伸びている。その総数は20以上ありそうであった。影は十字架の背面にあると思われるスラスターで再び加速に入ったが、それを易々と許すヒュウではなかった。影に突進していきビームの連射を浴びせる。しかしビームはことごとく影の応力フィールドではじかれてしまった。常識外の出力の応力フィールドが展開している証拠である。このような強度で展開した場合加減速のGを軽減してくれるかもしれないが、同時に内部に人がいればその体に影響が出るはずであった。再び加速して複雑な軌道を取りながらヒュウに襲い掛かる影であったが、ヒュウの方もそのスピードに少しずつ慣れてきていた。完全に同調することは無理でも迎え撃つことは可能であった。ヒュウのレグナス自体も加速して、影との相対速度を縮めていき、接近しようとしたが、ハリネズミのようにビーム砲が装備されている影はそれを斉射して近づけまいとする。その時戦域に追いついてきたメディックのPSが装備していたソリッドシューターで影を狙撃した。高い加速と複雑なコースを読み切り、弾頭は影を捉えたかのように見えたが、これも応力フィールドで射線が外れ直撃はできなかった。しかし牽制には十分であった。一瞬狙撃に対して反応した隙をついてヒュウのレグナスは影に接近し、ビームの一撃をその十字架の中心部に打ち込むことに成功したのである。明らかに装甲が溶けて破損したが、それでも影の動きは止まらなかった。しかし状況が不利であると判断したのか、一瞬で包囲を離脱し、閃光弾をまき散らしながら一気に離脱したのである。
恐ろしい敵であった。その動きはどう見ても人間のものとしか見えない。しかしあの動きを人が行えば、たとえヒュウであっても脳は無事でも内臓が持たない。アタラクシアの新兵器だとすると、今後の対策が必要であったが、有効な対策が簡単に見つかるとも思えない状況であった。
グランドルーク隊を襲った十字架の形をした機体はそのまま加速して、グランドルークのレーダー検知外に待機していたアタラクシアの特務艦ミハイロフに収容された。十字架はアタラクシアの新兵器であり、ミハイロフに極秘に積み込まれていたものである。十字架は「ギアレイ」のコードネームで呼ばれている。ギアレイの存在はラインバードどころか、ミハイロフの正規軍にも通達されていなかった。ギアレイはアタラクシアの情報部が管理している機体なのである。本来今回の航海では戦闘に投入する予定ではなかったが、グランドルーク隊がセレスから離れた場所で演習を行っていることをキャッチした、ミハイロフに配属されているアタラクシア情報部の将校が、いいテストのチャンスと判断して投入したのである。ミハイロフの艦長ブレジネフはいい気がしなかった。軍隊の指揮系統は本来一本化されるべきである。それが情報部だからといって、作戦の指揮官であるセリアムに内証にして出撃するなど、本来ありえなかった。
ギアレイはAIによる無人機ではない。しかし人がそのまま搭乗している訳でもなかった。ギアレイの成り立ちには、例のアルフレッド・ノーラン博士が深く関わっていた。月のオーベルトにて逮捕され、そのまま軍刑務所に収監されていたノーランであったが、実は1年前にアタラクシア情報部の手引きにより脱獄し、そのままアタラクシアに亡命していた(このことを軍は公表しておらず、ナトリは知らない)。彼が考案した脳に浸透して耐G性能を発揮する高分子物質は、アタラクシア情報部に高く評価されていたのである。そして脳の保護から更に研究は進み、脳以外のGに弱い人の器官を排除することで、究極の起動兵器を作る計画が進行していたのである。そう、ギアレイの操縦者は脳と中枢神経のみ搭載されており、その生体パーツもノーランの高分子化合物により、高い耐G性を持っている。そのためエースパイロット級の動きを、人ができる数倍の速度で行えるのである。しかし弱点もあった。いくら脳に耐G性をつけて高い機動性を持たせても、その高速機動によって脳にかかる緊張によるストレスへの耐性とは無関係である。そのため利用する脳はそういった高速機動へのストレスに強いベテランパイロットのものが用いられた。それでも連続稼働時間には限界がある。高機動戦闘を連続で実行できるのは、せいぜい10分程度であった。現在、このストレスも軽減できるような脳内物質の研究が進んでいる。あと一歩であった。人を人でなくす悪魔的研究であるが、戦時下ではよくあることであった。
エルメスは自分の不覚を呪った。確かにセレス滞在中は連合軍とアタラクシア軍は戦闘行為を禁止されている。しかし、一旦セレスの管制宙域を出た場合、そこは常に戦場なのである。今回艦艇の姿は確認されていないが、攻撃を受けたからといってどこに文句を言えるものでもない。緊張感に欠けていたと謗られても反論できない状況であった。また自分の油断によって三名のパイロットを失ってしまった。部隊に所属するメンバーを一人でも多く生還させることが指揮官の務めであることを改めて痛感したのである。今回エルメスは油断していたとは言えない。もちろん敵の攻撃を想定して周辺空域の索敵は怠っていない。今回の敵が異常であったという点につきるのであるが、それを言い訳にしないところがエルメスらしかった。
一方、セリアムはミハイロフが命令していないのに出港したことを、半日遅れで確認していた。僚艦であるミハイロヴナの艦長から情報部に口止めされていることを聞かされたセリアムは、アタラクシアにおいてグランに次ぐ権力を持っているセオドア・アーメンガードが管轄する情報部であろうと出撃の目的の確認と懲罰の執行を決断していた。ラインバードは傭兵部隊であるが、この任務はアタラクシア正規軍の命令系統で発せられたもので、セリアムには中佐相当の権限があり、二隻の特務艦についてもセリアムに従うように命令されている。勝手な行動は軍規違反となる。セリアムは与えられている権限にて、ミハイロフの艦長をけん責処分、例の情報部将校を拘束の上で本国帰還後に軍事裁判にかける事を部隊内に宣言し、実行した。また本国にも暗号通信にてこの処分を伝えたのである。セオドアがどのような反応を返してきてもこの処分を撤回するつもりは
なかった。しかし、在セレスの情報部はこの処分を受けて、セリアムが予想だにしなかった方向で暴走したのである。




