第十五話「二つの出会い」
退くゴルゴスと追撃するグランドルーク、雌雄は決するかと思われたが、そこに割り込む存在があった。セレナクイーンほどではないが大型の所属不明の艦艇が接近してきたのである。軌道から想定するとセレスからの船のようであった。そしてセレスの都市代表4名の名前で通信のオープンと停戦を支持してきたのである。その船はセレスのアタラクシア派のものであった。セレナクイーンの到着を待たずにセレナから進発し、セレスの管制宙域外ではあるが、近傍での戦闘を止めるために来たのである。といってもアタラクシア側の旗色がよければ傍観するつもりであった。ゴルゴスの状態を光学観測で確認し、後退していることから介入を決意したのである。エルメスは舌打ちしたかった。もう少しでゴルゴスをせん滅できるチャンスがふいになったのである。セレスからの船の通達を無視して攻撃の手を休めないという判断もあっただろうが、この後連合代表はセレスとの話し合いをする必要があるのだ。停戦せざるを得なかった。親アタラクシア派の代表はグランドルークに対して24時間の停船を命じた。それだけあればゴルゴスがセレスまで撤退するのに十分である。機動兵器を収容しながらこの戦いで死んでいった兵士たちが無駄死にとなることを歯噛みしているエルメスであった。状況が許さなかったといえばそれまでだが、既にセレナクイーンが離脱した時点で戦う理由はなくなっていたはずである。セレスの親アタラクシア派の介入があると分かっていれば、ゴルゴス側と交渉してでも会戦は回避すべきだったかもしれない。
一方ゴルゴスである。三基のメインエンジンの内、二機が破壊され、右の装甲がずたずたにされ、PS格納庫に深刻なダメージを受けており、セレスへの退却すらままならない状況であった。親アタラクシア派の小型艇に曳航してもらいながらの退却劇はゴルゴスのラインバード傭兵達のプライドを傷つけたが、そこから新たなものを得るのがラインバードである。宇宙一の強兵というステータスは長引く第四次大戦のなかで連合のPSパイロット達の成長と共に過去のものとなり、意識改革する必要があった。
24時間の待機の間に、グランドルークは救護と修理に忙しかった。救護者の中にはラインバードのパイロットも数名いたのである。ヒュウの火傷は腹膜にまでは達していなかったが、左の脇腹が一部炭化していた。医療用ジェルパッドを張り付けてしばらくは安静にする必要があった。このパッドは局所麻酔と時間が経過すると定着して人工皮膚となる機能があった。
多くの兵がグランドルーク内で戦死し、マエジマやセンディア、ヒュウもモントを失ったことに喪失感を感じていた。グランドルークの第二戦僑は総員退避の上でエアを抜くことで火災の被害を抑えていたが、第二主砲は地球圏にもどってドッグ入りしないと修復不能であった。消火と応急処置が完了した第二戦僑とドッキングしたグランドルークは戦死者に対する追悼を行った後にセレスに進発した。セレスではハートマンが管理する港に入り、最低限の修理と補給は受けられるはずであった。また長期にわたる星間航行のストレスを解消することも重要であった。ハートマンによるとセレスの人工都市には疑似的ではあるが地球に近い環境が用意されているらしい。また娯楽もあるとのことであった。当初の計画通りであればセレス滞在は二ヵ月の予定であり、その間戦闘はご法度である。乗組員のリフレッシュと艦体の修理には十分な時間といえた。ヒュウはスズキとの面談でモントを失ったことの辛さを吐露している。ノヴィレン降下作戦前から三年以上共に戦ってきた戦友である。ヒュウの出自をうすうすわかっている様子だったが、何もいわず基礎教育の家庭教師役を引き受けてくれていた。除隊したあとは教師になりたいともいっていたが、これはヒュウを通じて人に教える喜びを経験したためらしかった。
セレスは半径495Kmでアステロイドベルトで最大の大きさを誇る。自身の重力で球体になっており、海王星の軌道内で唯一の準惑星に分類されている。岩石と氷が主成分で、鉱物資源と地下深くには液体状の、いわゆる「水」が存在しており、それが植民に大いに役にたった。10万人クラスの大都市が4つ存在しており、いずれも重力制御で1Gが維持されている。実はこの各都市はセレス表面から少しだけ浮いている。月開発の時のように都市の地盤を重力制御で固めると地下の崩落や地滑りで都市自体が大きな打撃をうける可能性があるためである。応力フィールドの技術が伝わっていないため、各都市の外壁は非常に強固であり、三重の隔壁の間には強粘性の緩衝用のゲル素材が注入されている。このゲル素材は、隕石により隔壁に穴が空いた場合、穴をふさぎ、自動的に固化して応急の補修材となる性質があった。ハートマンが代表を務める労働組合の本部は、第一都市にあった。親アタラクシアの都市代表の一人が市長であるが、その一角は労組が管理している。セレス最大の歓楽街もここにあった。光学観測の結果とハートマンからの情報で、ゴルゴスもこのファーストの別の港に寄港していることが確認されていた。先にセレナクイーンで到着していたランサーらの使節団は既に都市代表との予備交渉にはいっていた。グランドルークは地球から運んできた、セレスでは貴重な品々を元手に現地通貨を入手して兵士たちに配分した。エルメスはくれぐれも騒動を起こさない、現地のメンタリティーに配慮した行動をとることを条件に半舷上陸を許可したのである。もちろんこれまでに現地のメンタリティーに関するレクチャーを事前に何度も行っている。立ち入れる区画も限られていた。ヒュウはマエジマ達と一緒に最大の自然区画に出かけた。まだ脇腹に痛みはあるが戦闘でなければ支障はなかった。自然区画はスペースシドニーにもあるが、本物の樹木とホログラフの空で一見地球上と同じに見える環境が提供されている。マエジマ達地球出身者は、疑似とはいえ自然に近い環境にリラックスしているようであったが、ヒュウにしてみれば特に何も感じない。むしろ植物過多の状況は居心地が悪かった。ヒュウはどちらかといえばグレイスの村のような乾いた植物層に乏しい場所の方が好ましかった。
そんなヒュウに声をかける人物がいた。マリア・フランシスである。彼女は一足早く使節団と共にセレス入りしていたが、現在予備交渉の更に情報収集の段階のためランサーを取材する余地がない。また姉とヒュウの無事を確認するためにもグランドルークに足を運んだのだが、半舷上陸で置いてけぼりを食らっているニーニルヒにヒュウの居場所を聞いてここに来たのである。驚いたことにマリアはヒュウのところに駆けつけると同時に抱き着いてきたのである。どうやら泣いているようであった。ヒュウといえば棒のように突っ立っているだけだったので、流石にセンディアが「そっと抱き返してやれよ」とアドバイスしたものである。
マリアの中にヒュウに対する愛情が育っていたことは間違いない。当初、ジャーナリストとして取材対象としていたヒュウであったが、その出自を聞いたことから取材対象から外さざるを得なかった。その代わりに一人の男性としてみるようになったと考えるべきであろう。
ところで周囲から朴念仁と思われていたヒュウには男女の関係の知識はあったのであろうか。これが実はあったのである。あまり一般的な身に着け方ではないが。ヒュウが幼少期を過ごしたオーベルトの地下スラムには大きく三つの勢力があった。いわゆるマフィア的な組織と、そのマフィアから身を守るための自警団的組織(といっても内情はマフィアと大きく変わりはなかった)、そして売春宿の組織である。売春婦たちを束ねていたのはスミ・コールドウェルという50代の女性で、女傑といってよかった。マフィアと自警団のパワーバランスをとって女たちの生活を守っていたのである。もちろん女たちは客を取ることが仕事であり、その点は変わらないが、一方的な暴力にさらされることもなく、対価も得て、比較的安全に仕事をこなせる環境がそこにあった。そしてスミはオーベルトの孤児たちも養っていたのである。ただし孤児院のようなものではなく、あくまで人手として雇っていたといえる。ヒュウもオーベルトで生活し始めてしばらくしてからスミのところで世話になり、5歳ぐらいのころから外に働きに出るようになるまで売春宿の手伝いをしていた。文字の読み書きもここで身に着けたのである。数年の売春宿での生活の結果、男女の営みなどの基礎知識は自然と身についていたのである。
セレスに滞在を初めて二週間。可能な範囲での艦の修理がほぼ終わった頃にはヒュウの傷もほぼ癒えていた。乗員たちはセレスでの生活にも慣れ、歓楽街での遊びもほどほどにこなしていたのである。そんな時、マリアの誘いでファーストで一番大きな書店に行くことになった。流石に紙の本はないが、セレスの生活を元にした小説など地球圏では入手できない読み物もそろっていたので、マリアとしても取材の対象として興味深いものがあった。一見ヒュウは護衛のように見えるが、気晴らしのためにマリアが誘ったのである。そしてそこでヒュウはセリアム・ラインバートとアリス・ストラスバーグに鉢合わせすることになる。それまでも歓楽街などでグランドルークとゴルゴスの乗員が出くわすことは何度かあったが、幸い大きな騒動には発展していない(小競り合いは何度かあったらしい)。ヒュウは資料でセリアムの顔を見知っていた。書店の中でセレスの風俗小説の一覧を据え置き型の端末で見ていたのだが、ふと見ると隣の端末にセリアムがいたのである。二人とも平服であったため、お互い軍人とは最初気がつかなかった。さらにそこにアリスが合流したのである。アリスを見つけて電撃を受けたようなリアクションをとったヒュウを、セリアムは怪訝な表情で見つめた。アリスもヒュウに気が付き、一瞬凍りついたようにその場に立ちすくんだ。マリアが三すくみのような状態の三人に気が付き、流石に普通の状況ではないと気づき、ヒュウに「外のカフェでみんなでお茶しない?」と声をかけたものである。ジャーナリスト魂がふつふつと沸いたのは言うまでもない。セリアムはアリスに「連合か?無視して帰るか」といったが、アリスはマリアの提案を受けた。そしてオープンテラスのカフェに四人は落ち着き、名を名乗りあったのである。ヒュウの名前を聞いてセリアムには想起される情報があった。「ヒュウ・メイスコット。ダラス隊の?連合のエースじゃないか。」ヒュウの名前は連合側のプロパガンダによりアタラクシア側にも知れ渡っていたようである。その瞬間セリアムは過去二戦にて自分を追いつめたPSパイロットが目の前にいることを認識したのである。アリスはこれまでの経緯と今の自分の立場を軍事機密とプライバシーを守る範囲でヒュウに説明した。あのアームストロング強襲時にラインバードに救出されたこと、セリアムと出会い生涯をともにする相手であると感じ、ラインバードに入隊したこと。これからもセリアムと一緒に生きていく事をである。
ヒュウにはそう簡単にアリスの変節(としかヒュウには受け止められなかった)を認めることはできなかった。セリアムに騙されているのではないかとまで疑ったが、それはアリスの人格否定となることをマリアにさとされて黙らざるを得なかった。どちらのせよアリスは脱走兵である。連合側からすれば逮捕して軍法会議にかけ銃殺するのが妥当であるが、ヒュウとてそのようなことは望んでいない。いまだ懊悩するヒュウはその場に居続けることが苦痛であった。去り際に「戦場で会えば落とす。二人とも」という宣言しかできなかった。セリアムは驚いた。見た目も中身も子供ではないか。それがひとたびPSを操縦すれば、あの鬼神のごとき戦い方をするのか、と。マリアはこの複雑な状況をヒュウの短く狭い人生経験では理解し難いであろうと思った。彼はこれから大人になるのだ。この事態もその糧であるといえた。
帰り道、ヒュウからぽつりと「俺はどう・・・」という言葉が漏れたが、答えを求めているのではないのがわかっていたので、マリアはただ黙りこくっていた。ヒュウは泣いていたのかもしれない。この件については、自分は何も助言できない。ただ傍にいてあげるだけである。できるとすればマエジマであろうこともわかっていた。結局ヒュウはこの一件をマエジマには相談しなかった。しかしスズキには個人名を隠した上で吐露したのである。スズキはいつものように回答を押し付けたりはせず「だれでも自分の生き方を選択できる権利がある。今無理に理解しようとしなくてもいい」とだけ告げたものである。
その後、グランドルーク隊とゴルゴスの間で、お互いの救助者の交換が行われた。グランドルーク側から七名、ゴルゴス側から三名である。しかしゴルゴス側の三名にオルフィスは含まれていなかった。また帰還した三名もオルフィスがラインバードに救助されていることを知らなかった。オルフィスは決意したのである。十年前、自分はラインバードの団長の娘という環境が耐え切れず逃げ出した。しかしいまグランドルーク隊で長年過ごし、エドガーとの愛をはぐくんできた自分には、その現実に対応する強さが備わっていると感じていたのである。ラインバードに戻り、ゴドウィンと対峙し、さらに可能であればギィ・グランと話してみようと。どういう結果になるか分からないが、それができるのは自分だけであるという自覚があった。
その頃、エルメスはグランドルーク隊のメンバーが第一都市の住人に迷惑をかけた場合の相談窓口を第一都市の政庁に設けていたが、そこに何故か入隊申し込みの若者が多数訪れていた。二週間で 50 名を超える状況で、親アタラクシアと考えられていたセレスの社会情勢からは意外な出来事であった。もっとも彼らにすれば、地球圏に行くことができれば連合だろうがアタラクシアだろうが関係ないのかもしれない。兵役を務めあげて市民権を得て、地球や月で暮らすことを夢想している若者たちであった。エルメスはこの入隊依頼者を丁重に断る方針であったが、ランサーは受け入れを指示した。少しでもセレス上層部との交渉の材料にしようという目論見が見え見えであったため、エルメスはこれを拒否した。この件に関して、ランサーはエルメスに命令できる立場にはいない。入隊を受け付けていないことを明言したのである。後にこの行為がセレス上層部に評価されることになる。




